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今の宮﨑駿と富野由悠季の対照性 

 宮﨑駿「君たちはどう生きるか」。心境小説的な印象の本作は登場人物に身近なモデル(仕事仲間・家族等)がいると、メディア/鈴木敏夫経由で語られる。観る側もあの登場人物は誰々のような語り口が見られた。
 一方富野由悠季「Gのレコンギスタ」は登場人物のモデルが誰々と言及される語り口は見られなかった。「君生」を通しての鈴木の語り口に違和感を持ちつつ、富野のGレコは登場人物のモデル探しがされなかったと思った。ただ富野も「逆襲のシャア」「ガンダムF91」の頃はシャアとアムロ二人合わせて富野、鉄仮面は富野だと、登場人物=監督自身の視点で語られた印象がある。今の二人のこのモデルを探される違いは何なのだろう。
 私見では二人の着想の出力先がちがうのではないかと思う。宮﨑の君生は自身と周辺(家族・過去の仕事)から着想して登場人物へ落とし込む。富野のGレコは自身の取材等で得た着想を主に世界観(設定・デザイン)に落とし込む。着想の先がキャラクター(宮﨑)か世界観(富野)の違い。これはメディアの出演とも重なり、宮﨑はかつてほど政治問題等をメディアで世界を語る機会は減り、富野はメディアを通してウクライナ戦争やAI等、世界/世界観について語る。共通する部分もあるだろうが、興味の対象が異なるのではないだろうか。

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 内的/私的の宮崎。外的/公的の富野。同年代の二人は対照的である。 
 
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[ 2024/01/02 16:15 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

令和の石動雷十太―その扱いの困難性から生まれる魅力 

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「るろうに剣心」の石動雷十太。私にとってマンガの作者が、キャラの扱いに困ることを教えた存在だ。
 雷十太の作者コメントを読むまで、作者は作品作りに万能なイメージがあり、この話を知って衝撃だった。作者コメントを読み、本編を読むと最初は強キャラな感じが、回を重ねるごとに矮小化していた。読者として青紫編に後の話だから、青紫より強いもしくは同格の強さをもつのが連載モノとして理想と思うが、そうにはならなかったキャラだと思う。
 一方で全巻終わってまた読むと、技の強さ、この一点で十本刀の一部メンバーより強いと思わせる存在で、矮小化された内面と強さへのポテンシャルのギャップが著しい存在に映った。以上がマンガ版の雷十太のイメージ。

 そして2023年にるろうに剣心2度目のアニメ化。さらに作者が再アニメ化で手直対象として雷十太を挙げるインエタビュー発言。私は血がたぎった。再アニメ化を憂うものである、かそうでないか。見なければと思った。そして雷十太編を見終わり、作者の手直しは、雷十太が最後まで人を斬れない(斬らなかった)こと、剣心や薫から才能の評価と精神面のギャップの指摘、剣心の人を斬らなかった事は救いであるフォローが入ったこと。

 しかし雷十太の行動は結果的に斬らなかっただけであり、誰かを殺めた可能性がある。剣心レベルの剣客だから雷十太に不意打ちされても、飛飯綱の連続でも剣心がやられなかっただけである。由太郎が腕だけの傷で済んだのは運だといえる。また不意打ちや弥彦を人質に取る行為は、やはりいただけない。よって剣心が言葉でフォローしても取り繕えない面もあり、雷十太の扱いの困難さを改めて思い知ることになった。Cパートの少女・老婆を斬れず、地蔵を斬った。その地蔵の首を元に戻したらにっこりしていた描写は、雷十太に剣客として再起ができるお膳立てをして終わらせたと感じた。

 石動雷十太の魅力は、作中での扱いの困難さから生ずる存在感だと思う。殺人剣至上主義だが、人を斬ったことはない。技は強いが、精神がもろい。それゆえに作者が扱いに困ったが、作品で見せたブレるキャラ像が雷十太の魅力だ。

 マンガでキャラが立つという言葉がある。代表例は同時期のジャンプマンガ「ダイの大冒険」のポップ。編集側からポップ殺しましょうという意見もあったが、原作側は反対しポップはダイ大を代表するキャラに成長した。ポップは作者の狙いが成功し、読者にも支持された好例だ。逆に石動雷十太は作者の狙いは失敗、つまりキャラ立てできなかったが、それゆえに狙いから外れたことで生まれた魅力があると感じる。他の作品でもキャラ立てに失敗しているような存在も見受けられるが、雷十太のような狙いから外れて生まれる魅力を感じるキャラもそうはいない。
 雷十太の魅力はその外面的な強さとは裏腹の精神的弱さであり、ネガティブさ・弱さの問題は多くの人も抱える問題だからではないだろうか。斎藤一の強さに心が響くように、雷十太の弱さに心が響いてしまうのだ。
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[ 2023/11/03 18:40 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

滝川みうとバランス風呂釜 22/7 

22/7 の滝川みうといえばバランス釜(バランス風呂釜)だ。

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バランス釜は昭和時代の公営住宅で普及したお風呂で使用するガス給湯機器。壊れやすい等の理由で1990年代以降、屋外壁掛け式のガス給湯器の普及により見かけなくなった。バランス釜を使用する滝川みうの住まいは古めの住宅団地と推察できる。風呂釜は給湯器と比べると使い勝手が悪い。風呂釜は複数のスイッチをひねり、レバーを回すなど複数の操作を要する。また空焚き(水がない状態で追い焚き機能を使用してしまう)は絶対にしてはいけないなど操作を覚えるまで面倒。一方で給湯器はリモコンで簡単に安全に使用できるので便利だ。またバランス釜は冬季に本体の水抜きを行わないと、本体内で水が凍結して膨張した氷が銅管等を破裂故障させる。特に2023年1月の強烈寒波では給湯器とは違い本体に凍結防止機能がない風呂釜が凍結によっての故障が多かっただろう。バランス釜は(給湯器に比べ)使い方とメンテナンスに気を配る。

wikipediaでもバランス釜は長所に比べ短所の記述が多い。

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実際にバランス釜の使用者の感想もあった。不便だという。
<実際にバランス釜のお風呂を3年間使ってみた感想やメリット・デメリット(ヘブルシュの日記)>
https://www.heburushu.com/entry/baransukama

バランス釜は電気を使用しないメリットもあるが、全体的に不便で短所も多い。22/7を見る中で、使いづらく不便なバランス釜が滝川みうに重なってくる。今時のアイドルの仕様が、あるいは斎藤ニコルが使いやすい安全な給湯器なら、不器用で内気で繊細な滝川みうは不便で壊れやすいバランス釜。使いにくいバランス釜と同じように他のナナニジのメンバーも滝川みうの扱いに困る場面が以降では散見される。お風呂というサービスシーンの中で、一枚絵で滝川みうのキャラクターをバランス釜をなぞらえ、ひと目でわかるようにしている。私にとって22/7はバランス風呂釜である。
 
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[ 2023/04/29 20:41 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

分解の面白さ(炊飯器を分解しよう!) 

分解することで表面上では見えないものが見えてくるのが面白い。例えば炊飯器。分解すると、内部の構造や基盤の詳細、素材の組み合わせ方、色々発見できるのが楽しい。さらにゴミとして出しやすくなる。分解とはドライバーとペンチを持って新しい発見を目指して旅する行為ともいえる。からくりサーカスでフェイスレス指令が分解について語っていたが、今にしてその意味がわかる。分解はモノの理解に繋がるし、本質に到達する方法の一つなのだなと実感。実際に手にするから身体をもって理解できるのも良い。分解の面白さを伝えたく記事を書いたのだが、まずは手軽に分解できる炊飯器から取り掛かってみるのはいかがだろうか。
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[ 2023/02/18 20:38 ] ニュース | TB(0) | CM(1)

島耕作を面白く読めるようになった 

島耕作シリーズが面白く感じられるようになった。

これは島耕作シリーズ側に要因があるわけではなく、自分が面白く読めるような状態/感覚に近づいたのだろう。思うのは島耕作シリーズで語られる経済社会情勢については、今でいうyoutube動画の経済系のゆっくり解説のような解説動画に近い機能があるのではと思う。解説動画的な事を島耕作シリーズは結構前からやっていたんだなぁと今更ながら思った。また島が老境に差し掛かっているので、久しぶりに登場した人物が島と再開して死ぬ展開が多い。死に方もエグいものもあるが、弘兼氏の描写は妙に達観かつ淡々としているのでエグい死に方でも読める(横山光輝にも似ている?)。島の周りでは死が多いので島が死神のように思えてしまう。会社員の追体験ものとしてよくできているなぁと思った次第。
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[ 2023/02/11 16:22 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

逆襲のシャアのif 

永野護がメカデザインを降板されず続投できたら。
安彦良和がオファーを断らず作画監督をしていたら。
アムロに子供がいる設定のままでベルトーチカがいて、チェーンがいないなら(ベルチル)。

どんな作品にも製作中にスタッフの降板等や設定の変更はあるのだろうが、もし逆シャアが上記の形で製作されたらどうなったか。違う仕上がりになったと推測される。どっちの方が面白いのか?なんて考えてもみるが、結局世に出た逆シャアがより面白いのではないかと思ってしまう。クエスのあの感じを出すなら北爪が手がけたほうが上手くいくような気もするし。
創作は様々な可能性から唯一の選択肢を見つけ出す、細い一筋の道を辿っていく行為でもあるのだろう。ifの話でいえば、制作されなかったF91のTVシリーズも気になるところ。もしTV版F91が制作されたら、Vガンダムは?平成アナザーは?どうなっていたか。バンダイはサンライズを買収する時期で外部要因も加わり、ガンダムを取り巻く環境も変わっていたのかも。
いずれにしよ戦記物でありながら複数の世界線がある逆シャア(小説でいうハイストとベルチル)みたいな作品があるからガンダムって人気があるのかなと思った。
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[ 2022/11/26 21:02 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

メドッサの館にみる青年富野喜幸の心情 

鉄腕アトム192話「メドッサの館」を視聴。

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今回の演出は富野喜幸。「富野由悠季全仕事」を読んでから見ると、ゲストヒロインのドリームの不思議でつかみどころのない感じも含めてチョキ(富野監督の著作で登場する女性。虫プロを辞めCM制作会社へ転職するキッカケとなった人。)にしか見えなかった。また外の世界に出たことがないドリームをアトムは「外に出よう」と誘う展開に、富野の「虫プロを出たい」にという心の声が聞こえた。ドリームには富野自身を仮託しているようにみえる。
アトムとドリームの惹かれ合いそうにながらも最終的にはドリームは海の中で暮らしていく(詳細は本編参照)ことになる。結局、外に出る出たいのが海の中でしか暮らせない結果で終わる。ドリームの兄(アトムと敵対し最後は妹と一緒に海に暮らす)の馬が雪の中で死んでいくカットで終わるなど、外に誘われても(虫プロを出て転職しても)順風満帆ではないという想像をアトムを使ってシュミレートしているようだ。結局富野は転職するが再びアニメ界に戻り今に至る。

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確かに「富野由悠季全仕事」で富野監督が語るようにメドッサの館には当時の青年富野の気分が見え隠れするようにみえる。Gレコは富野成分が強いといわれるが、Gレコは主義主張や観念の強さであり、アトムは青年富野の生々しい感情の発露の強さである。まだ演出スタイルが確立されているわけでもないので(兆しは端々で見えるが)ストレートな感情がフィルムにのっている印象すら受ける。

こうした富野の虫プロ出たいという気分を醸し出す挿話の次の話がアトムの最終回になるのも面白い。
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[ 2022/10/22 20:03 ] ニュース | TB(0) | CM(0)