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富野由悠季と移動の魅力―トリトンからGレコまで 

富野由悠季は
海のトリトンからGのレコンギスタのキャリアで
「移動」を描いてきた。

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トリトンからイデオンまでの喜幸時代は
生死を賭けた中での移動(漂流)。
トリトンやザンボットは生き抜くための漂流。

この頃の富野はさすらいのコンテマン時代。
仕事場を転々とし、不安定な状況を反映して
漂流における生死のドラマにこだわったのかもしれない。

そしてガンダムの中で移動は
子供の頃の夢、宇宙旅行を戦争ものに置き換えて表現。
生死を描くドラマと宇宙旅行の魅力がガンダムで結実。
この路線を究極的に推し進めたのがイデオンだ。


富野はガンダム・イデオンを通して
サンライズを本拠地にして業界内でも存在感を示した。
自身のキャリアが変化する中で
由悠季以降は移動や生死の中で描かれるドラマ以上に
自身が描きたいもの・観念の表現に重きが置かれる

ファンタジー世界の創作(ダンバイン)
人類は粛清されなければならないのか(逆シャア)
家族とは(F91)

移動は観念を支えるものとなり、
移動そのものの魅力が低下。
Vガンは地球と宇宙を交互に移動はするが、
過酷なドラマに押しつぶされる印象が強い。


富野はVガン以降、心身不調に。
そして復調後の∀以降の移動のモチーフは
根源・ルーツが付与されたものになっていく。

心身不調からの復帰、還暦も迎る中で
自身の根源に至りたい、ではなぜ至りたいのかという
問いが自身の中で生まれたのかもしれない。


地球への帰還(∀)
現状打破の為のエクソダス(キンゲ)
故郷に戻りたい(リーン)
地球へのレコンギスタ(Gレコ)

移動そのものにエクソダス・レコンギスタと名が与えられ
移動する人々の動機に沿った物語が描かれる。

この富野における移動の最新の物語が、
エネルギー・物流・宗教・政治・経済。社会・技術といったテーマを射程にして
真実を求めて移動(宇宙旅行)したGレコである。
 

富野はキャリアの中で移動の性質を変えているが
アニメーションという絵で動かす・どう動かすのかを追求する表現の中で、
人の移動(動きで生まれる生活描写・なぜ動くのか)を描く。
移動を描く富野にアニメーションはピッタリの媒体である。
 
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[ 2021/07/31 18:34 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

元気の加速―劇場版Gレコ第3部の到達点 

ガンダム Gのレコンギスタ第3部を鑑賞。

以前に「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括という記事の中で
私はTV版Gレコを富野由悠季の「科学技術と社会経済の視点から見た世界に対する研究論文」
と総評していた。

TV版はTV版の研究論文的、つまり世界観の提示とテーマを優先した仕上がりから
映画版はキャラ手動のアニメ(映画)にランディングしている印象を受ける。
場面ごとのキャラの芝居から生まれる楽しさ・元気を積み重ねる作劇を徹底。

畳み掛けるセリフと芝居。
キャラが喋ればフォローしたいカメラワークの連続。
3部ではドレッド軍やレイハントン家ゆかりの人々が登場し
フィルムの仕上がりが2部以上にわちゃわちゃしている。

大筋ではTV版と同じ物語展開でも、映画版は違う手触りで見られる。
キャラ達の元気な挙動、生き方に悲惨さや鬱屈さが感じられず、
戦闘でも目的達成のため生き抜くに生きるキャラ達が描かれているからだ。

(3部の戦闘シーンは濃密でかつ尺も長いために
逆シャア以来のMS戦闘アニメ的な感じにも見えた
MS戦闘をやらせたら富野由悠季が最高だと改めて思った)

「元気が加速している」仕上がりに改めて驚嘆するとともに
スタッフの頑張りが伝わってくるフィルムになっている。

40年前は「死」にダイブするイデオンを作っていたが
今のGレコは「生」にダイブする感じだ。
死も生も表裏一体で、ベクトルが違うだけで同じかもしれない。

ただ、いずれ人は死ぬのだから死を目指すのではなく、
死ぬまで元気に加速してベルり達のよう真実を求め次々と新しい世界を旅し
好きな人がお姉さんだと知りショックを受けても
生きようというメッセージのように思える。

元気でいられるから
元気でいられるから
手を挙げて やってみる 
前を向いて やってみる
(Gの閃光 作詞:井荻麟)


元気の話とは一転。
TV版Gレコから7年。その間に高畑勲が亡くなった。
他の富野監督と同時代の商業TVアニメ草創期の方々の仕事が目につきにくくなっている。
宮崎監督の「君たちはどう生きるか」ぐらいではないか。
TVアニメ草創期の方々の作品で育った身として寂しい限りではある。
だからこそ富野監督がGレコを作っていることに改めてエールを送りたい。
 
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[ 2021/07/24 17:38 ] Gのレコンギスタ | TB(0) | CM(0)

冬月にとっての人類補完計画(シン・エヴァ評) 

旧劇も同様なのだろうが、冬月にとって人類補完計画は
碇ゲンドウの研究課題に付き合うようなものだと思った。
例えるなら補完計画はネルフ本部冬月ゼミの碇ゲンドウゼミ生の研究課題。

冬月ゼミは碇ゼミ生と冬月先生のマンツーマン形式。(ちょっと前にはユイもいた)
研究期間も予算も可能な限り潤沢なゼミ。
ゲンドウの課題(補完計画)を見守り、手伝い、助言をする。答えは出さないで導く。

大学での教鞭は辞めても、冬月にとってゲンドウは生徒であり
冬月はゼミ生の研究課題を見守る先生だった。
研究課題に失敗しようが成功しようが、その過程結果を見守ろうとした。

冬月の報われない可能性も孕んだ思い。
一方でマリに託して、最終的にはシンジを助けへ繋がるなど
ゲンドウ以上に課題の答えが見えていたような印象もある。
※将棋の達人なだけのことはある

一方で人類全体に累を及ぼす課題なので
関係がない人にとってははた迷惑でもある。

ちなみに冬月のモデルの清川元夢氏が
エヴァの作品作りを常に現場で見守る先生だったのではないか。
そんな印象を受けたのがシン・エヴァだった。
 
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[ 2021/03/15 21:07 ] ヱヴァンゲリオン | TB(0) | CM(1)

シン・エヴァに求められる「エヴァをやめへんで〜!」の邦正的感覚 

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||は、
2007年からのエヴァを終わらせる物語だったと思う。

シンでは「(さらば)さようなら、全てのエヴァンゲリオン」のコピーが印象的だが
さようならとくれば山崎邦正/月亭邦正であろう。

ガキの使いの企画「さようなら山崎邦正/さようなら月亭方正」。
邦正がガキ使から卒業する体で始まるが、結局辞めないというオチの企画。
(過程や何回も同じ事を行っているマンネリを楽しむ面もある)

エヴァとの違いは、エヴァはさようなら/終わらせようとしているのに対し
方正は結局はガキ使をさようならしないし、辞めない点にある。

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私が思うにエヴァもガキ使の邦正みたいに
「庵野ちゃんはエヴァンゲリオン作るの止めへんで~」みたいな感覚で
エヴァも作りたいと思えば、また作ればいいのではと思った。
むしろシン・エヴァのラストで「エヴァ止めないです」といってもよかった。

監督自身も過去に「エヴァは繰り返しの物語」と言ってるし、
繰り返し作ってもいいと思う。2032年ぐらいに始めてみては。
人生もエヴァも繰り返し。

一方でアニメ製作/制作は多数の人が関わり(スタッフクレジットが長い長い)
メインスタッフは高齢化し、モベーション的にも再び作るのはとても大変そうだ。
 
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[ 2021/03/14 00:05 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

ドラクエ3の実用性の低い橋3選。 

発売されて33年の年月が経ったドラクエ3。
このドラクエ3には「誰が渡るのだろう?」という実用性の低い橋が存在する。
そこで3で使われにくい橋3選を紹介してみる。

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①世界樹から南東にある橋。
南西へと迂回すれば西・北へ行けるので
橋をかける意味が薄いと思われる。
北へ間違えて進んだ場合の保険みたいな感じ。

東へ行けばムオルの村があるが、
川(画面右側)で隔てられ結局船でしか行けない。
こちらに橋をかければ、ムオルから世界樹へ行けるのでより実用性が高かった。

ちなみにこの地区は爆弾岩・グリズリー・デスストーカー・まほうおばばといった
強敵達が出没する危険地帯。

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②スー地方に架かる橋。
この橋とスーの集落とは接続していない為
結局船でしかスーには行けない。
ゲーム攻略的には実用性が無く、むしろ勇者の進路を阻んでいる。
スーの住民には狩猟・採取に必要な橋なのかもしれない。
 
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③ポルトガより南、テドンより北にある橋。
こちらも北へ迂回すれば、橋のかかる東側へ行けるため
距離を短縮できる以外の意味は低い。
ただ東側へ行っても何もないので、やはり橋の意味は無い。
南のテドンは廃墟であり、この地方は南にあるほこら以外人の住む気配が無い。 

-まとめ-

3の世界では実用性が低いかもしれないが、
3より昔の時代には橋を作る意味があったはずだ。だから橋がある。
ただ3の時間軸では橋の存在意義が低くなったのだろう。
こうした橋の存在に世界の歴史の重みを感じるのである。

一方でこうした橋達は何もない地方において
画面の彩りを添えるために存在しているのかもしれない。
 
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[ 2021/02/13 08:30 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

ダウンタウンの強さ 

伊集院光が
「松本人志のすごいところは、松本人志の本当の面白さがわかるのは
俺だけだなとみんなに思わせることができるところ」
というような指摘をしていた。

この発言のポイントは、あくまで"思わせる"だけで、
みんなは本当の面白さはわからない。
本当の面白さがわかるのは浜田雅功だけ。

二人だけが笑っている場面があるが、
観る側はダウンタウンに追いつけない。
この構造を持ってるからダウンタウンは強いと思う。
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[ 2021/01/31 13:22 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

「富野由悠季の世界」展【スペシャル対談 富野由悠季監督×細田守監督】 

対談で富野監督が1stガンダム1話で
「主人公をどうロボットに乗せるのか」というシーンの
作り方を次のように語った。

―横たわっているガンダムのハッチを
(雨露を凌ぐ)フォロー(画面では黄土色の敷物)に覆い被さっている状態にして
アムロにフォローを剥がさしてコクピットに乗せた―

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この工夫に細田守は富野監督に喝采を浴びせた。
初めての表現である事の凄さがこのシーン引いてはガンダムにはあるのだと。
そして枚数をかけてクオリティ以上に、(アニメは)アイディアなんだと続いた。

このハッチ周りの演出。
富野ガンダムは特に序盤、主人公が乗る機体のハッチが空いたままの戦闘がある。
これは操縦に慣れない現れであり、不慣れさの描写が
リアル(嘘八百のリアリズム)になり、作品の面白さに繋がるものだと思った。

また細田守が富野監督の工夫に感銘を受けていたの見て、
少女革命ウテナのLD特典の錦織博、橋本カツヨ、風山十五の座談会で
橋本カツヨが錦織コンテ回の5話でAパートの最後のリンゴがウサギに変化する演出に
「革命の実態を2枚のセルで表現してしまう、コストパフォーマンスに舌を巻いた」と
語っていた事を思い出した。
 
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[ 2020/12/06 20:16 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)