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カテゴリー  [富野由悠季 ]

逆襲のシャアのif 

永野護がメカデザインを降板されず続投できたら。
安彦良和がオファーを断らず作画監督をしていたら。
アムロに子供がいる設定のままでベルトーチカがいて、チェーンがいないなら(ベルチル)。

どんな作品にも製作中にスタッフの降板等や設定の変更はあるのだろうが、もし逆シャアが上記の形で製作されたらどうなったか。違う仕上がりになったと推測される。どっちの方が面白いのか?なんて考えてもみるが、結局世に出た逆シャアがより面白いのではないかと思ってしまう。クエスのあの感じを出すなら北爪が手がけたほうが上手くいくような気もするし。
創作は様々な可能性から唯一の選択肢を見つけ出す、細い一筋の道を辿っていく行為でもあるのだろう。ifの話でいえば、制作されなかったF91のTVシリーズも気になるところ。もしTV版F91が制作されたら、Vガンダムは?平成アナザーは?どうなっていたか。バンダイはサンライズを買収する時期で外部要因も加わり、ガンダムを取り巻く環境も変わっていたのかも。
いずれにしよ戦記物でありながら複数の世界線がある逆シャア(小説でいうハイストとベルチル)みたいな作品があるからガンダムって人気があるのかなと思った。
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[ 2022/11/26 21:02 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野汗まみれ 

ジブリ汗まみれ1/9のゲストに富野監督。

最近、富野監督と鈴木敏夫Pが対談等を通して
やりあっている姿を見ているのが楽しい。

話し合う二人の距離感が面白かった。
数十年ぶりに同士が出会い語り合うような距離感。
1970年後半から80年前半ぐらいが
お互いがやりあっていた頃で
かの時代に戻ったような感じで話しているのがよかった。
二人の蜜月時代は確かにあったのだろうと。

鈴木Pには今後、富野・宮崎の対談をぜひ実現させてほしいと思う。
 
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[ 2022/01/10 17:15 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季と移動の魅力―トリトンからGレコまで 

富野由悠季は
海のトリトンからGのレコンギスタのキャリアで
「移動」を描いてきた。

i48es.jpg

トリトンからイデオンまでの喜幸時代は
生死を賭けた中での移動(漂流)。
トリトンやザンボットは生き抜くための漂流。

この頃の富野はさすらいのコンテマン時代。
仕事場を転々とし、不安定な状況を反映して
漂流における生死のドラマにこだわったのかもしれない。

そしてガンダムの中で移動は
子供の頃の夢、宇宙旅行を戦争ものに置き換えて表現。
生死を描くドラマと宇宙旅行の魅力がガンダムで結実。
この路線を究極的に推し進めたのがイデオンだ。


富野はガンダム・イデオンを通して
サンライズを本拠地にして業界内でも存在感を示した。
自身のキャリアが変化する中で
由悠季以降は移動や生死の中で描かれるドラマ以上に
自身が描きたいもの・観念の表現に重きが置かれる

ファンタジー世界の創作(ダンバイン)
人類は粛清されなければならないのか(逆シャア)
家族とは(F91)

移動は観念を支えるものとなり、
移動そのものの魅力が低下。
Vガンは地球と宇宙を交互に移動はするが、
過酷なドラマに押しつぶされる印象が強い。


富野はVガン以降、心身不調に。
そして復調後の∀以降の移動のモチーフは
根源・ルーツが付与されたものになっていく。

心身不調からの復帰、還暦も迎る中で
自身の根源に至りたい、ではなぜ至りたいのかという
問いが自身の中で生まれたのかもしれない。


地球への帰還(∀)
現状打破の為のエクソダス(キンゲ)
故郷に戻りたい(リーン)
地球へのレコンギスタ(Gレコ)

移動そのものにエクソダス・レコンギスタと名が与えられ
移動する人々の動機に沿った物語が描かれる。

この富野における移動の最新の物語が、
エネルギー・物流・宗教・政治・経済。社会・技術といったテーマを射程にして
真実を求めて移動(宇宙旅行)したGレコである。
 

富野はキャリアの中で移動の性質を変えているが
アニメーションという絵で動かす・どう動かすのかを追求する表現の中で、
人の移動(動きで生まれる生活描写・なぜ動くのか)を描く。
移動を描く富野にアニメーションはピッタリの媒体である。
 
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[ 2021/07/31 18:34 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

「富野由悠季の世界」展【スペシャル対談 富野由悠季監督×細田守監督】 

対談で富野監督が1stガンダム1話で
「主人公をどうロボットに乗せるのか」というシーンの
作り方を次のように語った。

―横たわっているガンダムのハッチを
(雨露を凌ぐ)フォロー(画面では黄土色の敷物)に覆い被さっている状態にして
アムロにフォローを剥がさしてコクピットに乗せた―

koituugokuzo.jpg

この工夫に細田守は富野監督に喝采を浴びせた。
初めての表現である事の凄さがこのシーン引いてはガンダムにはあるのだと。
そして枚数をかけてクオリティ以上に、(アニメは)アイディアなんだと続いた。

このハッチ周りの演出。
富野ガンダムは特に序盤、主人公が乗る機体のハッチが空いたままの戦闘がある。
これは操縦に慣れない現れであり、不慣れさの描写が
リアル(嘘八百のリアリズム)になり、作品の面白さに繋がるものだと思った。

また細田守が富野監督の工夫に感銘を受けていたの見て、
少女革命ウテナのLD特典の錦織博、橋本カツヨ、風山十五の座談会で
橋本カツヨが錦織コンテ回の5話でAパートの最後のリンゴがウサギに変化する演出に
「革命の実態を2枚のセルで表現してしまう、コストパフォーマンスに舌を巻いた」と
語っていた事を思い出した。
 
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[ 2020/12/06 20:16 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季の今 

静岡の富野由悠季展に合わせて行われたインタビュー。



新作企画「卑弥呼大和」について熱く語る姿に
生きるモチベーションを与えられた感じだ。
監督から漂う生気を感じ、色々自戒していた。

57年前から始まった商業TVアニメ草創期から
活躍されている方が齢80でも健在なことに驚く。

他の草創期からの方々の動向が目立ちにくくなる中、
宮崎駿(新作:君たちはどう生きるか)と共に、
今の仕事を全うしてほしいと思う。
 
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[ 2020/10/31 20:47 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野コンテの印象 

富野由悠季監督の絵コンテについて箇条書きでまとめてみた。

tomikonn.jpg

・富野監督自身の絵柄がある。その絵柄がかわいい(味がある)
・絵柄は手塚先生がベースな印象。アオリのシーンの絵柄は湖川さんっぽくなる
・絵コンテの絵柄は現在に至るまで変わっていない印象

・読みづらい文字
・逆シャア、F91のコンテではワープロで印刷された文字が貼られているが、
F91以降のVでは再び手書き文字を使用している(テンションを伝えたいためか)

・細かく描かず要点を抑えたような絵。アニメーターに解釈を委ねる感じ
・抽象的な絵でかつ勢い良い描線のためか、イメージ喚起力が強い気がする
・富野作品を特徴づけるキャラとメカの独特なポージングはコンテにあり

・著書「映像の原則」で書いていたようにラフな絵で描いているため、
流れるようにコンテを見ることができるのかもしれない

・コンテを切るスピードに定評があるが、そのスピード感が伝わるテンション高い描線
・描くのが速いとは、線を引くのが速いこと
・テンション高く引くのが速い描線が、作品のテンションと展開の速さに繋がっている印象
・線を引くのが速いことが、富野監督の決断力の速さおよび高さを感じさせる

・富野監督初コンテである鉄腕アトム96話のコンテは絵の線が硬い(流石にまだ慣れてない)
・シートン動物記のコンテは、富野動物が見られるのがよい(舞台背景も書き込んでいる)
・1stガンダム1話のコンテで、ガンダムが逃げるザクを斬るコンテが最高
・逆襲のシャアのコンテは面白い
・ブレンパワードのコンテは、絵柄をいのまたデザインに合わせているのがかわいい
・ブレンパワードのOPコンテを見て、改めてぶっとんだ内容だと再確認できた
・∀ガンダム最終話コンテのラストカットに書かれた富野監督のコメントに泣いた
・劇場版Zのコンテからはテンションの高さが伝わる

・TVシリーズよりOVAや劇場作品の方が、コンテの書き込み(密度)が上がる
・コンテ用紙の枠外等にある富野監督の指示(独白)のようなコメントがとにかく面白い
・コメントももちろん富野台詞口調 

・サンライズには富野監督の絵コンテ集を書籍化してほしい
 
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[ 2019/08/18 21:05 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季監督 特別講演レポート-創作の原動力 

5月5日の13時からに宝塚大学 東京新宿キャンパスにて
富野由悠季監督 特別講演が行われた。

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その中で「創作の原動力は?」という質問があり、
富野監督は次のようなニュアンスで答えた。

現在でここにあるものではない何かを作りたい。違うものを作りたい。
今ここにあらわれているものに好きなものはない。
好きなものがあっても自分で作っていない。好きなものは自分で作りたい。

ガンダムGのレコンギスタを作った。
ガンダムを作ったと大人の世界ではそうだが
ガンダムを作った覚えはない。これがガンダム世代にはわからない。

今あるものは気に入らない。
違うものを作りたいと強固に思っています。40年前も1stもそう.



今ここにはない、違うものを作りたい。これが全てである。

富野監督は自分自身で作りたい方である。
既にあるもので好きなものがあっても、
自分が作ったわけではないから気が済まない。
自分で作って、作ったものを好きになりたい方なのだ。

富野監督は子供の頃、宇宙ロケットが好きだったが、
既存のロケットの形では満足せず、ロケットのデザインを描いていた。
子供の頃から変わらない、違うものを作る挑戦。

空想とはいえ世界全てを作ることができる
オリジナルアニメのような媒体は富野監督に適していたと思う。
ロボットアニメでもオリジナルなものができる可能性を見出して
特にザンボット3以降、ロボットアニメの専従者としてやってきたのだろう。

富野監督が自分の作った作品を好きになるかについては、
自身の作品を「失敗作」「見てはいけません」等々の発言からわかるように、
相当なハードルを課している。安易に自分の作品を好きとは言わない。

そして続編は、作ったという認識ではない。
だからZガンダムからブレンパワード直前までのガンダム専任時期について
新作を作ってこなかったと発言することもあった。

新しいもの(新作)を作りたいのだ。

富野監督の真髄が明確にわかる質問への答えだった。
以前に富野作品に惹かれるのはカウンター性、
今見えている世界とは違う世界を作る点にあると感じていたが、
富野監督から今ある世界とは違うものを作りたい事が明確に聞けて、
私の考えも遠からず当たっていたのかと少し安心した。
 
そんな富野監督は公演で12歳の少年から
「一番好きなガンダム作品は何ですか?」と質問された。

富野監督は「色々あるが、一番最初のガンダムが一番好き」と答えていた。
違うものを作り好きになりたいという富野監督にとって
1stガンダムが新しいものを作ったという自負を感じさせた返答だった。
 
富野監督には新しいものを作っていただきたい。
 
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[ 2019/05/07 20:22 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

逆襲のシャアにおけるサザビー脱出ポッド問題について 

逆襲のシャアのサザビーで印象に残るといえば
脱出ポッドの大きさである。

sazabidassyutu.jpg

この絵だと脱出ポッドはνガンダムの頭部よりも大きく見えてしまう。
この絵を元にサザビーのサイズをいま計算してみたが
サザビーの全長は70mにも及んでしまう。
サンライズの頑張り過ぎだ、いうことが語り継がれている。
(サザビー脱出ポッド問題)

sazabidassyutu2.jpg

射出時の脱出ポッドは、サザビーの頭部に収まる比で描かれている。

sazada.jpg

上記シーンを絵コンテと比較すると
コンテに近い形の縮尺で脱出ポッドは描かれている。
(若干コンテの方が小さめに描かれている感じ)

νガンダムが両手で脱出ポッドを抱えるシーンの
コンテがないので何ともいえないが、
元々の設定でサザビーの脱出ポッドが腹部にあった事に
起因するミスという説もある。

sazaib2.jpg

一方で大きく脱出ポッドを描くことで
絵的な見栄えが増す効果は、この問題において見逃せない。
(脱出ポッドを大きく描くことでシャアのカットインの入るポイントがすぐわかる)

sazaib3.jpg

あの大きさの脱出ポッドをアクシズに叩きつけるのは絵的にはカタルシスがあると思う。

結論をいえば、上記以外の脱出ポッドが描かれている絵コンテが見たい。
 
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[ 2019/04/28 20:27 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

富野アニメのカウンター性 

富野アニメの何に惹かれるのかといえば、カウンター性。

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勧善懲悪が主流のテレビまんがの世界に善悪逆転のカウンターをかける
「海のトリトン」「無敵超人ザンボット3」

おもちゃのロボットが出ていれば
スポンサーからは良しとされたロボットアニメに
人間ドラマへの志向を試みる
「機動戦士ガンダム」

バブル経済前夜の風潮に対する
現状認知としての物語としての
「機動戦士Zガンダム」

正当こそが異端であると主張した
「∀ガンダム」

googleでもディズニーでもないものとしての存在があると
講演会で語られていた
「Gレコ」

今見えている世界だけが世界ではない。
もっと違う見え方ができれば別の世界がある、
というカウンターを富野アニメは常に放っていると思う。

違う世界があることを
絵の積み重ねで語られるアニメという虚構を用いて
嘘八百のリアリズムで語られる点に富野アニメの魅力がある。
 
虚構でできた世界だからこそ、逆に真実があるように感じられるのだ。

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[ 2019/04/21 22:45 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け 

昨年「機動戦士Vガンダム」を見返していた。

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一番気になったのが、ファラ・グリフォンの存在の重さ。
理由は、まず後半での劇中の強さだ。

後半でとても強くなったウッソと互角以上に渡り合う強さ。
特にザンネック(ザンネックキャノン)は凶悪だった。

ファラが戦死するキッカケになった
マーベットのお腹の赤ちゃんの存在に気を取られなければ、
逆にウッソはファラにやられていた可能性がある。

ファラとカテジナの強さを比べてみる。
カテジナはシュラク隊の面々は葬っているが、
ウッソとの真正面の対決ではファラより強さを示せていない印象を持つ。

カテジナはネネカ隊やコックピットから降りてウッソを直接刺殺する奇襲で、
ウッソに優位に立とうとするが、MS戦においてはファラの強さに軍配が上がる。


次にこれがより大切だが、ファラはVガンダムを象徴するキャラであること。
特にファラが死ぬ47話「女たちの戦場」のファラとウッソの会話が、
Vガンダムで描きたかった事の一つではないかと思う。

(以下、重要な会話の抜粋)
(マーベットの胎児の鼓動を感じ取り)
ファラ「ひとつの命の中に、ふたつの命があるというのか。何故だ」

ファラ「首を落とせば、命も消える。そうすれば、命の輝きに脅かされる事も無い」
ウッソ「ギロチンの鈴など捨てれば楽になるんですよ。ファラさん」
ウッソ「あなたは女性でなりすぎたんです。」
ファラ「あれも光。命も光。ギロチンの刃も光る。」
(以上)

死刑執行人の家系に生まれ、ギロチンを背負わされたファラ。
死神ファラにとって、対としての生・命の光(胎児)と
命を奪うギロチンの光りが一緒であること。
死も生も光るものであることをファラは感じ取る。

ここで富野監督のVガンダムについてのインタビューを引用してみる。

一番初期の企画書を書いた段階では、ギロチンだけだったんですよ。
ギロチンさえあれば、戦車を出す必要もなければ、タイヤも出す必要もありません。
『ガンダムワールドの中でのギロチン』というコンセプトだけで、筋は一本シャーッと通っています。


ザンスカールと、ギロチンと、ファラがいてくれたら、僕には十分でした。


(出典:それがVガンダムだ ササキバラゴウ)

富野監督のVガンダムの初期コンセプトでは
ギロチンを重要なモチーフとしてVガンダムを描く構想があり。
このギロチンのモチーフを体現するキャラとしてファラを考えた。

ギロチンを通して何を描きたかったのか。
おそらく宇宙世紀の宇宙に人が住む高度に進んだ時代にあって
前時代のギロチンという徹底的に死を突きつける道具を
人々が見せつけられたら宇宙世紀の人々はどう感じるのか。

結局、時代は進んでも人は生と死に対して変わらないのではないか、
それでも次代へ引き継いで人はより進んでいくみたいな話を
ギロチンを通して、宇宙世紀時代の人の命と生と死を描きたかったと私は推察する。


ただギロチンがモチーフとして目立つのは、
ウッソ達が宇宙に上がるまでの序盤まで。
ファラは15話で物語から一度退場。再登場は43話。
一方でファラが登場しない間にカテジナはパイロットになり、ファラより目立ってくる。

こうシリーズ構成から見ると、初期案のギロチンのテーマは後退して
その埋め合わせとしてカテジナが台頭したようにも思える。
なぜ後退したのか。
おそらく初期構想案通りにギロチンで物語を展開しても
実際に物語を進めたら、期待に反して物語が弾まなかったと判断したのではないか。
だからファラを一端は退場させたのかもしれない。

初期案ではより重要な位置づけであっただろうファラ。
見返してカテジナとは別の角度で
Vガンダムの根っこを掴んでいるキャラとしてファラはいるという確信を得た。
 
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[ 2019/02/19 22:35 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

シャア・アズナブルと島耕作の共通性 

シャア・アズナブルと島耕作は同種の人間ではないか?
両者の共通点から探ってみる。

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①運が良い→運を引き寄せる諦めない心

つまり運が良いことで生き延びられたということ。
シャアはアムロに額にサーベルが突き刺さるピンチも
Zでハマーンにボッコボコにされるなど、
何度も戦いに敗れても、生き延びてきた。強運の持ち主である。

島も初芝の派閥抗争に巻き込まれながらも、
社内で独特の位置を保ちつつ
出向やピンチはあったが、致命的な失脚はなく
最終的に社長・会長に上り詰めた。

島自身も「人生の5割は自分の力で変えられるが
残りの5割は他力の部分だ おれはその残りの5割で運が良かった」
と語るように運の良さを自覚している。

ただ運を引き寄せたのは、プラス思考や諦めない心である。
島もシャアもどんな状況でもへこたれないし諦めない。
シャアの「まだだ、まだ終わらんよ」は
島の「負けたら次に勝てばいい。また負けたらその次に勝てばいい」
は両者の諦めない心を表す言葉である。

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②手段を選ばない

①の諦めない心につながるのだが、
両者ともに目的のために手段を選ばない。
シャアはガルマを謀殺し、キシリアもどさくさにまぎれて殺した。
島も裏工作や、マフィアを使っての事件解決などを行っている。

③人を引きつける力

シャアはZでブレックスやカミーユから「人の上に立つ人物」だと言われ
島も周りから評価されて役職を昇っていく。
人に"こいつは…"と思わせる何かが両者にはあるらしい。


④女性遍歴の多さが仕事につながる

最大の共通点。
シャアも島も女性遍歴が多い。
そして女性関係が仕事に役立っている事も共通する。

・両者の女性遍歴
島:岩田怜子、馬島典子、大町久美子、鈴鴨かつ子、片桐久子、八ッ橋新子etc(多いので割愛)
シャア:ララァ、ハマーン、レコア、ナナイ

シャアもギュネイの「大佐のララァ・スンって寝言を聞いた女はかなりいるんだ」発言が
あるので、上記以外の女性とも関係を持っていたのかもしれない。

両者ともに女性が自分に仕事に有用である場合、
うまく彼女たちを使って解決していたと思う。(これは島に軍配があがる)



次に異なる点もみてみよう
シャアと島の最大の違いは血筋及び職業である。

シャアはジオンの創設者ジオン・ダイクンの忘れ形見という血筋が
ネオ・ジオンの総帥になった要因として大きい。

対して島は特別な血筋はない。

島に特別な血筋がなくてもよかったのは、
戦後日本の経済社会だからという点が大きい。
ビジネスマンには血筋は求められてはいなかった。

シャアが身を置いた軍事・政治の舞台では
ジオンの子という血筋が、スペースノイドの支持に大きな役割を果たした。

島の職業では血筋は求められておらず、
シャアはより自身が活躍するには血筋を活用するのが最適だった。
ということである。


まとめ

シャアも島も人気があるキャラクターである。
その両者の共通性は(特に)運と女性。
二人に人気が集まるのは、
特に男が運と女性がほしいという願望が元にあるのではと思った。
 
やはりシャアと島耕作は似ている。
 
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[ 2018/09/02 19:54 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

逆襲のシャアにおけるチェーン・アギの重要性 

逆襲のシャアをAbemaTVで見た。
チェーン・アギが気になった。
それは案外、チェーンもまた重要なキャラだと思ったからだ。

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キャラ面から見た逆シャアは、
シャアとアムロの決着やエキセントリックなクエスの存在が目につきやすい。
チェーンはニュータイプでもなく、パイロットでもないので
シャア・アムロ・クエスほどは目立たないと思う。

ただ、よくよく考えてみると
逆シャアで名有りパイロットを一番撃墜しているのはチェーンだったりする。
レズンのギラ・ドーガとクエスのαアジールの2機を撃墜している。

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レズンを倒したのはサイコフレームの力によるところが大きいし、
クエスも不意打ちに近い攻撃+αアジールの被弾箇所がνガンによって損傷していた。
つまり運が悪かったという側面もあるが、撃墜したことには変わりない。

レズンを倒さなければ、ラー・カイラムは危険な状況に陥っただろうし、
マシーン化したクエスも戦場においてはまた危険では存在であった。
つまりロンド・ベルの戦況が有利になるような戦果を挙げている。

ロンド・ベルのエースパイロットより赤い彗星より強化人間より
メカニックマンが逆シャアの中で有名パイロットを一番倒した結果に。

1位:2機 チェーン(レズン・クエス)
2位:1機 アムロ(ギュネイ)、ギュネイ(ケーラ(一応カウント))、ハサウェイ(チェーン)

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さらにリガズィの出撃時にアストナージが敵の攻撃に巻き込まれ戦死する。
チェーンの行動原理はアムロのためという素直で健気でもあるのだが、
チェーンの行動すると、みんな死んでいく。

一方で試料のサイコフレームをアムロの元に届けようとした事で、
アクシズが地球から離れる奇跡に一役買ったといえる。
νガンダム、サザビー、そしてチェーンが持っていたサイコフレームがあったから
人の意思を吸うことで、アクシズは地球から離れることができたのだと思う。

以上を考えると第二次ネオ・ジオン抗争は、
チェーンの起こした行動が戦況に大きな影響を与えている。
本人はアムロのためぐらいにしか思っていなかっただろうが、
そういう女性が宇宙世紀の歴史を大きく変える力にもなっているのである。
 
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[ 2018/05/16 21:33 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季とは何者なのか 

はじめに

富野由悠季はアニメ演出家・監督、原作者・作詞家・小説家である。

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国産TVアニメの幕開けの「鉄腕アトム」(1963年)からアニメ制作に携わり
「ガンダム Gのレコンギスタ(Gレコ)」(2014年)までに今に至る。
現在はGレコの劇場版を準備中。

老舗虫プロからサンライズに至る、
日本のテレビアニメの歴史の一つの流れを形成。
作家の福井晴敏は富野を「ガンダムを創った方」と評する。

富野由悠季が何者かと言われれば、
ガンダムの原作者というのが一番通りが良いのではないか。
でもそれだけでまとめるのは、惜しいと思う。

富野演出とは~映像の繋がりを意識した演出

富野由悠季監督作品の演出とは何か。
ベースはエイゼンシュテインのモンタージュ理論。
カットの組み合わせによって最大限の映像効果を求める演出である。
富野の著書「映像の原則」ではこの理論をベースに映像演出法を書いている。

では富野作品から演出例を挙げてみる。「機動戦士ガンダムF91」(1991年)。
主人公シーブックが鉄仮面を倒した後のシーン。

シーブックは、セシリーが鉄仮面によって宇宙に放り投げられたので、
動揺し「セシリー、セシリー」と叫ぶ。
シーブックはいつ敵機が襲ってきてもおかしくない状況ながら、
動揺の為にF91が持っていた武器を機体から放す。

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この放された武器をカメラが追いかけ、
敵側のクロスボーン・バンガードのザビーネが乗る機体が
「ガギャーン」という音とともに受け止める。
シーブックが武器を放り投げ、
ザビーネが武器を受け止める映像のつなげ方は、抜群に上手い。

なぜ上手いのか。
シーブックの動揺を描くために武器が投げ捨てられ、
ザビーネが武器を受け止めるのが一連の流れになっており
自然なカット繋ぎになっているからである。

もしシーブックが武器を放り投げて、
ザビーネが武器を受け止めずに後ろからシーブックを発見する繋ぎ方にすれば、
シーブックとザビーネに接点を持たない、繋がりが弱い映像になってしまう。

このシーンは決して本編で目立つ部分ではないが
映像の繋がりによって生まれる面白さを追求した演出だと思う。

映像の繋がりを意識する演出は、「鉄腕アトム」の頃から一貫している。
例えば180話「青騎士」では青騎士が投げた花を
カメラが追いかけた先にアトムがいる演出をしている。

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富野作品で使用される通称「カットイン」と呼ばれる画面分割の演出も、
不要なカットを割らずに映像の連続性を心がけた工夫から生まれた。

富野作品は、富野台詞や富野節、
キャラクターが死ぬ皆殺しの富野といった展開が目立つ。
基本的に富野作品は、映像の連続性を損なわずに演出し
さりげないシーンで演出的に凄いと思わせることもやるので目が離せない。

観念を映像化する富野作品

富野作品では観念やイメージをどう画面に演出するのかに心を砕いてきた。

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「機動戦士ガンダム」(1979年)ではアムロとララァが戦闘を通して、
非現実空間でお互いの思念を交流させるシーン。

ララァが死んだ直後ではアップで映ったアムロの目から大波が押し寄せるシーン。
ドズル・ザビの後ろから怨霊のような影がみえるシーン。
人の業をどう描くのか様々な試みをしている。

「伝説巨神イデオン」(1980年)は第六文明人の精神集合体であるイデを描く。
「発動篇」で、姉ハルルに殺されたカララの胎内では、
イデの力でお腹の赤ちゃんは生き続けていた。
他にも地球とバッフクラnの戦いをコントロールし続け、
形のないイデが圧倒的存在感として作品内で君臨し続ける。

「聖戦士ダンバイン」(1983年)では聖戦士のオーラ力を描く。
特に自意識の肥大化がもたらす悲劇を
ジェリル・クチビやトッド・ギネスのハイパー化という設定を用いて描いている。
(ハイパー化は今川泰宏の功績が大きい)
以上のように、富野はアニメという媒体を通して観念的なものを描き続けてきた。

富野台詞・ネーミング

富野作品における富野台詞は、言葉として意味を伝えると同時に、
音の響きを重視し映像とシンクロさせて伝える事を念頭においている。
富野台詞は富野流「映像の原則」に則った映像の連続性を考慮しながら使われる。

また富野作品はネーミングにも拘る。
映像における聞こえ方を念頭に置いた名前。
韻を踏んだような名前(ジュンコ:ジェンコ)。
ダジャレのような名前(ボリノーク・サマーン)。
ひどい名前(ミ・フェラリオ)。
富野作品のネーミングは独特のものがある。

富野監督と映像の原則

富野の著書「映像の原則」では「映像には原則がある」と主張する。
なぜこの本を発表したのか。現場に対する危機意識。
自分の考えを後世に、後進に残したい。様々推測できるだろう。

富野が「映像の原則」にこだわる理由を考えてみる。
まず富野が進学した日本大学芸術学部映像学科で映像のいろはを習得したこと。
学生時代を振り返り、富野は映像制作について自信があると思っていたようだ。

次に入社した虫プロの制作環境だ。
「鉄腕アトム」の制作は日本発の試みであり制作ノウハウが少ない。
かつ極めて多忙なスケジュール。

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虫プロは、作画枚数を極端に減らす3コマ作画や止め絵・バンクシステムといった、
最小限で効果を上げる手法を生み出す。
東映動画出身の大塚康生曰く「省力アニメーション」という
TVアニメを発明した「鉄腕アトム」の制作現場にいたのが大きい。

厳しい制作環境ながら学生時代に身につけた映像のイロハと
虫プロで叩き込まれたアニメ制作のノウハウを元に
映画として見せるにはどうしたら良いのかを富野は試行錯誤していた。

虫プロを退社後に関わる作品も、制作環境が厳しいものが多かった。
制作環境が厳しい中で、富野は鍛え上げられた。
作品や会社を問わず様々な作品に参加。通称「絵コンテ千本切り」時代である。
この間に制作環境に左右されない自身の「映像の原則」を徹底して磨き上げ、
演出スタイルを確立していったと思う。

「映像の原則」を活用すれば、厳しい制作環境のTVアニメでも映画を作ることができる。
この信念で富野は今までやってきたのだろう。次のように富野は語る。

「アニメは、その映画的なるものの一部でしかないから、僕は、未だにアニメに興味を持つことができず、エイゼンシュテインの時代のモンタージュと映像の弁証法という映像力学をもって監督するだろう。TVアニメ屋として。」(出典:富野由悠季全仕事・1999年)



人との出会い

富野演出を形作ったのは人との出会い。

まず手塚治虫。
「鉄腕アトム」で演出になりたい富野の心意気を汲み演出に抜擢した手塚。
富野はアトムで最も多く演出を担当することになる。

次に虫プロ常務の穴見薫。
富野は虫プロの制作体制に不満を持ち始めただが、
虫プロの現場を経営面から支える穴見は、富野の不満を受け止めていた。

穴見は手塚治虫版ディズニーランド「虫プロランド」の構想を富野に打ち明ける。
富野は感銘し穴見と仕事をしたい(カバン持ちでもいい)と思うようになる。
しかし穴見は亡くなり、穴見の死は富野が虫プロを辞める遠因となる。

虫プロ退社後は、アニメから離れ広告代理店で働き
専門学校でアニメの講師として仕事をする。
その後広告代理店の社長の死によって結局アニメ業界に戻ることになる。

アニメ業界に戻った富野は、出崎統、長浜忠夫、高畑勲、宮崎駿と出会う。
出崎からは「あしたのジョー」(1970年)でアニメでも
演出次第で映画になるという事を学び、
固有の才能を持つ出崎に完膚なきまで叩きのめされたと語る。
ここで出崎統的な立体感ある演出を取り込んでいくことになる。

長浜からは作品の企画の根本を押さえれば、
自分の色が出ることと音響演出の重要性を学ぶ。

「アルプスの少女ハイジ」(1974年)「母をたずねて三千里」(1976年)では
高畑勲から出崎とは別の意味で演出、
自然主義的なリアリズムある映像のつくり方を学ぶ。
富野演出は、出崎の表現主義と高畑の自然主義の融合がベースとなっている。

またタツノコプロではコンテ演出を一貫しての仕事が大きな経験となる。
さらに先ほど挙げた方以外にも様々な作品で絵コンテを切った経験が蓄積となる。

多数の現場を渡り歩き、「海のトリトン」(1972年)
「勇者ライディーン」(1975年)以降、
富野がオリジナルアニメの監督ができる場所として、
虫プロの流れを汲む日本サンライズ、現在のサンライズと出会う。
「無敵超人ザンボット3」(1977年)以降は、
サンライズをメインホームに「機動戦士ガンダム」を生み出していく。

おわりに

福井晴敏が富野を「ガンダムを創った方」と評したが、歴史的にはこの指摘が正しい。
それでも私は富野をまず「演出家」「監督」として位置づけて捉えていきたいと思う。
それは監督自身が自身を「作家」ではなく「職人」であることに矜持があるから。

富野作品を好きなのは、組織と人の業を希望も絶望も全て丸ごと描き続けること。
常に未来への人のあり方を説き、エンタメ感溢れる映像で見せていくことにある。

アニメの面白さとアニメの可能性を見せてくれたのは富野作品だった。
富野作品は年を経れば経るほど面白みを増していく。今後も事あるごとに見ていきたい。
 
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[ 2018/01/03 04:37 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季と岡田麿里、そして故郷 

11月18・19日のちちぶ映画祭でアニメツーリズム協会のシンポジウムが行われた。
シンポジウムの冒頭、協会会長の富野監督から挨拶があった。

20120521_yakumitsuru_26.jpg

挨拶の内容として開催場所の秩父という事から
「あの花」「ここさけ」の脚本家の岡田麿里さんへの言及があった。
(富野監督は直接岡田さんの名前は出してはいなかったが)

そこで富野監督は岡田さんと一緒に仕事をしようと思った時期もあり
岡田さんと付き合ったこともある
と話していた。

10月22日のアニ玉祭でのアニメツーリズム協会の講演会でも
富野監督は岡田さんの自伝を読んだ上で言及していた。
それは「あの花」「ここさけ」と聖地巡礼の勉強のために
富野監督は岡田さんの自伝を読んで岡田さんを知ったのだと思っていた。
ただ自分の作品に関わっていない脚本家について言及するのは
極めて珍しいとは思っていた。そうではなく知人の本として読んだのだとわかった。

富野監督と岡田さんが一緒に進めていた仕事は気になる。
表に出ている企画ならGレコだが、そうでなければわからない…。

富野監督はアニ玉でもちちぶ映画祭でも
岡田さんに対する言及内容は一緒だった。
その内容は以下のように要約できる。


"自閉症だった彼女がアニメの脚本を通して
客観的に秩父を描くことで、自閉症を脱して大人になれた。
アニメを作るときは客観的に対象を見られる。
アニメの性能はリアリズムを見直す時に良いのではないか。"


富野監督は岡田さんが故郷の秩父をアニメを通して描いた時に
自閉症を脱して大人になったことにとても興味があるようだ。
それは富野監督自身も故郷の小田原に複雑な思いを抱いているからだろう。

共通しているのは富野監督と岡田さん共に
若い頃に故郷が嫌だった時期があり
上京してアニメの仕事で成功を収めてきたこと。

岡田さんの故郷に対する思いに
富野監督はシンパシーを覚えたのではないかと推測する。

故郷秩父を舞台に少年少女の等身大の青春を描いた岡田麿里。
遥か未来を舞台に故郷へ帰還する物語を描いた富野監督。
この二人の仕事を故郷を通して見ると新たな視点を得られるのかもしれない。
 
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[ 2017/11/24 22:43 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

Zガンダム39話「湖畔」の物語的位置付け 

機動戦士Zガンダム 39話「湖畔」。

湖畔とは、予期せぬ運命的な出会いが訪れる場所。
宇宙と人工的なコロニーとMSと戦艦がひしめく中で
自然を感じさせ、人同士のふれあいが描ける場所。

1stではアムロとララァが始めて出会い、
Zではカミーユとロザミアが始めて出会った。

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これらの出会いは共に悲劇(女の死)に終わる。
カミーユにとってロザミアの死は、
彼の精神崩壊に及ぶプロセスの中での
最後の決定打として見ている。
39話はこの決定打の始まりでもある。

湖畔とセットで押さえておきたいのが
表現における死の象徴に用いられる白鳥だ。
特に1stの空から湖へ下降していく白鳥の姿は
やがて死にゆくララァの姿を重ねていたのだろうか。

Zでも湖畔で白鳥を出した点では、
ロザミアも死にゆく運命をまず提示したかったのか。

また一羽で飛ぶ1st、複数羽で飛ぶZの差に
個人の物語(1st)と、集団の物語(Z)の差があることも見立てられる。

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余談だが、逆襲のシャアのサントラにはSwan (白鳥)という曲がある。
この曲の後半部分がシャアとアムロの戦闘シーンでかかる。
アムロの夢のシーンでララァ=白鳥を連想させつつ、
白鳥の名を冠した曲で二人が戦う。ララァはいつも二人の間にいるのだ。
---------------------------------------------------------------------------

また「湖畔」は悩み揺れるシャアの葛藤を描いた話でもあった。

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中立コロニー内にアムロの気配がすると感じてしまったために
流されるままにティターンズと戦闘状態に突入。

本来のシャアであれば、敵のハイザック2機を倒すなど造作もないだろうが
不利な状況と、近くにいたハマーンのプレッシャーを感じたのもあってか
結果的にコロニーを滅茶苦茶にしてしまった。

ダカールの演説が成功に終わり、一つ新しいステップを踏み始めたシャアだが
レコアの件もあってか、本調子にはまだ程遠い感じ。

まとめ

カミーユの新しい出会いと、シャアの苦悩。
どちらの出来事も、湖畔という場所を通して
Zガンダムの悲劇性を積み上げるエピソードの一つとして描かれたと思う。
 
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[ 2016/07/18 18:30 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

富野由悠季作品における芝居について 

富野監督作品の魅力とは何か。


世界観、富野台詞、皆殺し展開、エキセントリックなキャラ。
監督自身が提唱する映像の原則に則った、自然な繋がりのある映像。

おそらくそれだけではない。

少し前にsiwasuさんの「ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ」
を読みながら、昨日「機動戦士ガンダム F91」を見て確信した。

富野作品の魅力は「芝居」(所作)そのものにある。


siwasuさんが富野作品の芝居について、簡潔明瞭に語っている。

ストーリーをみようとすると、芝居という枝葉に邪魔されて、発見できない(笑)だろう。
このあたりは、富野の欠点でもあり魅力でもある。
ストーリーなど気にせずに、場面場面の芝居を堪能すれば、おのずと作品世界の息遣いを感じることができるようになる。
そうなれば、あとは芳醇な悦楽が待っている。


『ガンダム Gのレコンギスタ』を第九話まで観た(ネタバレなし)「ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ」

芝居、もしくは芝居に伴うポージングが富野作品をみて飽きさせないのではと思う。
実際に逆襲のシャアから見てみよう。

tominosibai000.jpg

クエスがシャアの機体の中に飛び込み、シャアがクエスを抱えるシーン。
シャアとクエスという男女の身体が密着する、
極めてパーソナル性の高い芝居をさせる。

こういう画を見せられるだけで、
この二人のシーンで何が起こるのかを期待せずにはいられない。

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ここでシャアがバイザーを開けるのも良い。
富野作品は細かい芝居を入れてくる。

かつての盟友、安彦良和さんも富野さんの芝居・コンテについて以下のように語る。

富野さんの絵コンテは、余分なことがいっぱい描いてあるんですよね。それで、非常に作画受けが悪い。例えば主役が、画面の中央で何か芝居をしますよね、その時に脇の方で、関係ない通行人が何かやっていたりするんです。

「富野由悠季全仕事」より

作画にとっては大変なのだろうが、
こうした芝居があることが富野作品の魅力につながっている。

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シャアとナナイの夜のシーン。
男女の関係をこれでもかと芝居で見せてくる。
芝居の強さが、アニメとして物語としての強度に繋がる。

庵野秀明さんの逆シャアについての意見を引用しよう。

庵野 セックスを連想させてくれるのは、富野さんのアニメだけなんですよ。「逆シャア」というのは、特にそれを感じてですね。シャアとナナイに(この辺りは力説している)。

「逆襲のシャア友の会」より

富野さんのアニメにはセックスがあると、庵野監督に思わせるぐらいの力があり、
その力は芝居から生まれているのだと思う。

tominosibai003.jpg

逆シャアラスト近辺のアムロのコクピット内のシーン。
座席にしがみつく、見た目はカッコ悪いポーズをとるアムロ。
こういうカッコ悪いポーズ(でもやっている事はかっこいい)
というか芝居をさせることができるのが、富野作品の魅力だと思うのだ。


逆シャア以外を振り返ると、特にイデオンは
湖川友謙さんのアオリの効いた作画も相まって芝居が極まっていると感じる。

tominosibai-1000.jpg

ドバ総司令が全てを悟りつつも自らの業を
ロゴダウの地球人にぶつける覚悟を決めた瞬間。
芝居がかったともいえるかもしれないが、
これぐらいやってくれると、見ごたえがある。

またGレコでも、よくキャラが何かに頓いたり、ぶつかるのも
芝居としての面白さ。

greko18-2000.jpg

マッシュナーが自身のイヤリングを顔に当てるのもコミカルで面白い。

まとめ

以上、簡単ながらに富野作品の芝居について見てきたが
各キャラがどんな芝居や所作をするのかに着眼して
富野監督作品を見てみると、発見があってみられるのではないかと思う。
 
全体的には、生々しい、人間らしい芝居が多いという印象。
大仰な芝居と細かい所作を合わせながら、
映像を紡いでいくのが、富野作品なのだと思った。
 
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[ 2016/04/03 16:19 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

富野監督の「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」発言から感じた事 

8/27のガンダムカフェで開催されたGレコ勉強会。
ゲストは富野監督と石井マークさん。

勉強会のクライマックスは、
この勉強会の質疑応答の中で富野監督は、質問者から
「初めて時間を遡った作品を作られた心境を」と聞かれたところ
「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」
という返答をしたところ。

私は目からウロコだった。
監督自身による「Gレコ」が「ターンエー」より後の作品という発言に驚かされた。

私は「ターンエー」で提示された
黒歴史そしてガンダムの全肯定という概念に対して
「ターンエー」以降に作られるガンダムも全て黒歴史となり
全てのガンダムの終着点として「ターンエー」があると思っていた。

「SEED」も「00」も「AGE」もこれからの「鉄血のオルフェンズ」も
全て黒歴史になって、最後に「ターンエー」の世界が訪れると思っていた。
「ターンエー」が歴史の最後という位置づけで今までのガンダムを見ていた。

富野監督は上記の発言に続いて
「そんなのは、あのターンエーの時代の黒歴史でしかなくて」
と発言したが、確かに黒歴史は「ターンエー」という作品の話であって
他のガンダムに黒歴史という視点を用いるかどうかは、
解釈の問題でしかなかったのだ。

私は「ターンエー」の黒歴史と今までのガンダムの全肯定という
概念を素晴らしいものであると思い、この視点を活用して他のガンダムを見ていた。
この視点に縛られていたのだ。

富野監督の発言をうけて、「Gレコ」の物語を振り返ると、
概念に縛られたアイーダが旅したことで
世界に対する認識を変えていった物語でもあった。
振り返ると私も概念に縛られていた。

今思うと「ターンエー」が黒歴史後の最後のガンダム世界という見方も
縛られた概念・固定観念であって、
「Gレコ」は固定概念を叩き潰す為にあった作品だったのだとすら思える。

富野監督の発言には
常に最新作こそが自分の一番の作品であるという気持ちが伝わってくる。
過去の作品に満足せず、常に今の作品が一番。
つまり「ターンエー」を刷新して「Gレコ」があるという思い。
挑戦の精神が衰えない、富野監督の姿勢こそ見習っていきたい部分だ。


以上富野監督の発言を受けて、私なりの感じ方をまとめたが、
「Gレコ」が「ターンエー」の後の世界なのか、
「ターンエー」が最後のガンダム世界か、
それとも時系列なんて関係ないと見るかどうかは
最終的に決めるのは受け手が作品をどう見ていきたいかにある。
受け手の作品に対する答えは、受け手の中にあるのだから。

私の中では「Gレコ」が「ターンエー」の500年後の世界であっても、
1999年当時「ターンエー」が提示した
黒歴史からのガンダム最後の世界による
ガンダムの全肯定という視点の価値自身が揺らぐことはないと思っている。

それでも「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」という発言によって、
「ターンエー」が提示した黒歴史と全肯定という概念に縛られていた
ガンダムの見方の刷新ができたのは、これ以上にない収穫だった。
 
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[ 2015/08/28 19:25 ] 富野由悠季 | TB(1) | CM(2)

「Go!プリンセスプリキュア」18話の出合いの大切さと富野監督のサイン会 

「Go!プリンセスプリキュア」18話を視聴。

はるかが大好きな絵本「花のプリンセス」の著者
望月ゆめがサイン会をすることになり、
はるかが望月ゆめに対面し、サインをもらうシーンに心を打たれた。

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それは、はるかが好きな作家に憧れる視線を見ながら、
私も先月の4月12日の富野由悠季講演会の終了後に
ゲリラ的に行われたサイン会で富野監督から
自分が冬コミで作ったGレコの同人誌を差し出しサインを頂いた事を思い出したからだ。

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※ 左が同人誌の表紙、右の画像が同人誌に頂いたサイン。

好きな作家に会えるのは嬉しい。
そんな気持ちを、はるかを通して呼び起こされた。

富野監督のサイン会についてはまさか講演会後に
サイン会があるとは思ってもいなくて、何も用意していなかったので、
苦肉の策として自分の同人誌を出すことにしたのだが
今ではむしろ最高に良かったと思う。

※他の講演会受講者は富野監督の著書やガンダムのグッズを
きちんと用意をしていて段取りがいいなぁと思っていた。

そして私にサインの順番が回ってきた時に、
私は富野監督に何かを話そうと思いつつも
はるかと同じように緊張して上手く話せなかったのを思い出した。
以下、富野監督と私のやりとり

おはぎ「Gレコ。本当にありがとうございました。Gレコを見て生きていこうと思えるようになりました」
富野監督「(笑)まぁうん……。(渡した本を見て)何だこれは。こんなの僕知らない」
おはぎ「私が作りました」
富野監督「こんなもの作る奴もいるよね~」
おはぎ「はい。」
富野監督「(サインを書き終え私を見て)体脂肪に気をつけてね」
おはぎ「ありがとうございました」


富野監督から「体脂肪」についてのご指摘が入ったので、
体脂肪に気をつけて生きていく決心をした。
以上が私にとってのサイン会の全てである。

再びプリキュアの話に戻る。

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物語後半ではトワイライトにサインをもらった「花のプリンセス」を
焼かれようとしてキュアフローラは懸命に本を救い出すが、
私もサインを頂いた本が焼かれたら、はるかと同様に悲しいと思うだろう。

「私だけが目指せるプリンセスがあるかもしれない」

今回キュアフローラがたどり着いた境地は上の言葉に集約されている。

憧れた好きな作家との出会いが、そして望月ゆめの言葉が
トワイライトにプリンセスとしてのあり様を全否定された
キュアフローラの新しい力を引き出すキッカケになる。

憧れから新しい力や生き方など、生きるモチベーションを得ていきたい。
今回のプリキュアを見て、出会いの大切さを改めて教えてくれ、
私自身は体脂肪に気をつけて生きていこうと決心した。
  
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[ 2015/05/31 15:53 ] 富野由悠季 | TB(2) | CM(0)

宮崎駿と富野由悠季の「大量消費」観 

今週、TBSラジオの「荒川強啓 デイ・キャッチ!」で宮崎駿氏のインタビューが放送された。
その中で気になったキーワードは「大量消費」だった。

宮崎駿「何を言っているかっていうと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。日本国に起こっていることだけじゃないんですよ。」

宮崎駿「大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるからあちこちで騒ぎがおきているんだと思う。」

宮崎駿「だからこんな民族にねろくな判断がつくはずないんですよ。大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるから、あちこちで騒ぎが起こっているんだと思うんですよ。でも大量消費をしたいんですよみんなね。それが、もうできないんです。」
 
インタビュー中に繰り返し強調した「大量消費」。
宮崎氏はこの言葉を機会があるごとに主張していた。

 
大量消費文明があと何年続くか、五十年だろうというんですが、僕は三十年くらいだろうと期待しているんです。大混乱が起こって、不幸も病気も戦争も、くだらないことがいっぱい起こるんですよ、人間の歴史ってそういうものですからね。大変なことなんだけれども、大量消費文明という嫌らしいものが終わるだけでもいいと思っているんです。
 そういう大量消費文明のまっただ中にアニメーションも入っていて、僕自身ジレンマの中にありながら解決がつかない。この世の中に生きているということはそういうことだと思います。逃れられないのなら、時代と面と向き合って作品を作っていくしかない。

出典:宮崎駿「折り返し点」(岩波書店)
  
 不安だけは着々と膨らんで、20歳の若者も60歳も区別がつかなくなりました。そして、突然歴史の歯車が動き始めたのです。生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終りの第一段階に入ったのだと思います。風が吹き始めた時代の風とはさわやかな風ではありません。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。

出典:宮崎駿「本へのとびら―岩波少年文庫を語る」(岩波新書)

大量消費・大量消費文明に強い警鐘を鳴らす宮崎監督。
一方で自身がアニメ制作という大量消費文明の送り手側に立っている
矛盾やジレンマにも自覚的でいる宮崎監督。

この大量消費という言葉が気になったのは、宮崎監督と同じ1941年生まれの
富野由悠季監督の新作アニメ「Gのレコンギスタ」の19話でも出てきたからだ。

Gレコ19話のクレッセントシップのキア・ムベッキ艦長が以下のように話す。

ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。
そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。
その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」

「ガンダムーGのレコンギスタ」19話より


Gレコの世界は大量消費と戦争によって文明が滅び、再生された世界を描いている。
つまり大量消費をしていると、世界が滅ぶという事を直接言っていると思う。

宮崎氏がインタビューで大量消費と喋っているとほぼ同じ時期に、
富野監督の新作アニメで大量消費という言葉が出てくる。
Gレコの脚本自体はずっと前にできたいたものだろうと推測できるが、
ほぼ同じタイミングにと二人から(富野監督の場合は作品からだが)
同じ言葉が出てきたことに、二人に興味がある私としては気になってしまう。

富野監督も大量消費については作品以外でも次のように語っている。

富野由悠季「60億人の大量消費行為は、ひょっとすると戦争よりも悪かもしれません。しかし、僕らの世代は新型車を買うのが夢で、その感覚をぬぐうことができないまま地球を消費し続けてきました。」

ガンダムエース2007年11月「教えてください。富野です。VS枝廣淳子」より


富野「戦後、日本は高度成長を続けてきて、大量消費が始まりました。文化生活を営んで、一億みな中流意識を持ってしまって、飽食の時代を過ごしてきた。僕も含めて国家の隆盛期に生きてきた今の日本人は、世界的に見て異常なほど贅沢に暮らしてきたわけです。何も考えないで暮らしていける時代を生きてきた人に、使えるヤツなんていませんよ。せいぜい角が立っている人間がいても、僕のレベルまで(笑)。でもこれからの日本はそうはいかない。

石川智晶 special contents第7回「石川智晶VS富野由悠季」より


富野由悠季「為替レートや株価が秒単位で上下し、巨額の利益や損失が生まれる。現実から離れたバーチャルな世界ですが、それで世の中が動くことを人々は常識と考えている。『給料が毎年上がらなければ困る』ことも、今の時代は真理ですがマクロレベルで言えば、地球資源の限界が見えているのに、さらなる大量消費を推し進める」

2013年2月8日朝日新聞「ガンダムの警鐘」より


戦後の高度成長時代に多感な時期を生きた二人にとって、
大量消費という行為に様々に強い思いがあるのだろう。
富野監督も新しいもの好きだから、新しいものを買い、新車に憧れ、
でもそれではダメだというジレンマも抱えていた。

さらにいえば、二人共に多くの人に自分の作品を送り出す
大量消費型の大衆娯楽・大衆文化であるアニメの送り手でもあり、
その日本のアニメを大きく牽引してきた二人だからこそ、
ただ時代の流れに乗っていいのかという思いもあったのだろう。
※二人共に時代へのカウンター意識が強いと思う。

同年生まれで「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」で
一緒に仕事をする機会もあったが、やがてお互いの道に突き進み大成したお二人。
作風やジャンルは別々だが、それでも「大量消費」という言葉を通して、
二人にも共通の問題意識があることを浮き彫りになった、
宮崎氏の直近のインタビューだった。
 
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[ 2015/02/19 20:57 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(3)

第2回 富野監督作品オンリー トミケットレポート 

東京の大塚にある林野会館で開催された
第2回富野監督作品オンリーイベント「トミケット」に行ってきた。

私が会場に訪れたのは、12時前。

プラモの展示、アニメックなど富野関係の資料が当たり前のように置いてあるサークルさん。
富野作品の同人誌の数々。

会場に入った途端、アットホームな熱気が感じられ、
オンリーイベントの良さを改めて感じさせられた。

会場にはプロの佐藤元さんや今木商事さんのサークルもあり、
アディゴ隊というサークルで出されていたイデオン本では、
時田貴史さんやイラストレーターの吉田明彦さんが寄稿されていた。

お目当て自体は、あでのいさんのトミケット勉強会だったが、
それとは別に12時ちょっと過ぎにサプライズが訪れた。

湖川友謙さんがイベントにやって来たのだ。

ダイターン3・イデオン・ザブングル・ダンバイン・エルガイムで
80年代の富野作品を支えた、あの湖川友謙さんが。

私は会場の外のベンチに座っていて湖川さんが通りがかったのを見たのだが、
湖川さんの顔の見て「湖川さんだ。マジか!」と思ってしまった。
イベントに湖川さんが来るなんて。テンションが3段階上がった。

湖川さんは会場内のサークルを見て回り、
それから湖川さんがイラスト付きサインを参加者に向けて描いていた。
そのイラストを描く中で、湖川さんの質問コーナーが設けられた。

湖川友謙さんの質問コーナー

質問者は3人だったと思う。

Q「湖川さんが描かれるキャラクターの目のハイライトの描き方について」

湖川さん「ハイライトが無い目を描いたのは自分が始めた」
〔※最初の質問はよく聞き取れず)

Q「現在ヘーベルハウス劇場のふるさと再生日本の昔ばなしに参加されていますが、湖川さんが手がけてみたい昔話は何かありますか」

湖川さん「何でもいい。ギャグで面白い話をやりたい。」

Q「ツイッターはやられないのですか」

湖川さん「ツイッターはやらない。ツイッターをするほど寂しくない。優れた人に会いたい。優れた人は会いに来てほしい。パソコンのメールは2週間前に始めた。」

質問は以上。また湖川さんから参加者の方に絵についてのアドバイスがあった。

「絵は勉強すればどんな絵でも描ける。人間を描くには人間を勉強する。」
「今風を描くために、今風を描く」
「絵は勉強」

と話されていた。湖川さんは後進のアニメーターを教えているが、
教えるのが好きな方だと感じられる話し方だった。

あでのいさんの勉強会

そんな、湖川さんの質問会とサイン会が行われる中で
あでのいさんが、熱く熱く富野作品のドラマツルギーについて語られていた。
会話の繋げ方、物語の作り方など含めて、極めて多岐にわたった内容でかつ
富野作品に愛が詰まった話をおよそ1時間半されたいた。

何より富野作品の熱弁を湖川さんの前でできるのはとても貴重。
私も会場で話したかったぐらいだ。

勉強会終了後にあでのいさんに挨拶。
富野愛に溢れた方だというのが伝わってきたし、
道中に読んだあでのいさんのブレンパワードの同人誌を読んでも感じられた。

まとめ

トミケットの終盤、湖川さんからトミケットについてのコメントがあった。

湖川さん「〔イベントについて)仲間と一緒にワイワイやるのはよい。ただもっとまじめな話ができるとよい。また私も仲間に入れてほしい」

というようにイベントに対して好意的なコメントが寄せられた。

また湖川さんは午後1時から3時ぐらいまでのおよそ2時間の間に
一般・サークル参加者のサインのお願いに無償で全て応えていたのが印象的だった。
湖川さんのサービス精神に、一参加者として心打たれた。

そんな私も湖川さんに「伝説巨神イデオン」の
ハルル・アジバのイラスト付きサインを頂いた。

DSC_0123.jpg

湖川さん、本当にありがとうございました。

そしてトミケットの主催者のほりかー様、楽しいイベントを主催して頂きありがとうございました。
また一般・サークル参加者の皆様、お疲れ様でした。

湖川さんも来られ、大いに盛り上がった今回のトミケット。
これも全て富野監督及びイデの導きなのかもしれない。
   
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[ 2014/11/02 23:57 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(1)

富野由悠季監督作品のオススメ各話を10本選ぶ 

富野由悠季監督作品からおすすめしたい挿話を、各話単位で10本選出した。
1作品から1本までの選出という縛りで、
富野監督がクレジットされている挿話(斧谷稔名義含む)に絞って選出した。

①海のトリトン 27話「大西洋 陽はまた昇る」
<脚本:松岡清治 絵コンテ:斧谷稔 演出:富野喜幸>

衝撃的なラストは、知っていても驚く展開。
富野監督の作家性が本格的に開花した挿話という位置づけ。

②無敵超人ザンボット3 17話「星が輝く時」
<脚本:荒木芳久 絵コンテ:斧谷稔 演出:行田進・菊池一仁>

勝平の友人、浜本を通して人間爆弾の恐ろしさを描いた傑作回。
自分の作品を褒めることが少ない、富野監督が好きな回でもある。

③無敵鋼人ダイターン3 13話「前も後もメガ・ボーグ」
<脚本:楯屋昇 絵コンテ:斧谷稔 演出:斧谷稔 作画監督:井草明夫>

富野監督が井草明夫というペンネームで作画監督まで手がけた珍しい挿話。
富野監督のキャリアからすると異色なので、あえて選出。

④機動戦士ガンダム 1話「ガンダム大地に立つ!!」
<脚本:星山博之 絵コンテ:斧谷稔 演出:貞光紳也 作画監督:安彦良和>

庵野秀明監督をして完璧と評する、日本のロボットアニメ史的にも金字塔の1話。
安彦良和さんキャラクターデザインと作画監督が見せる絵力は伊達じゃない。

⑤聖戦士ダンバイン 1話「聖戦士たち」
<脚本:斧谷稔 ストーリーボード:斧谷稔 演出:鈴木行 作画監督:湖川友謙>

バイストンウェルというオリジナルな世界を湖川作画と共に見せ切った。
細やかな設定も含め、富野監督の観念が詰まった挿話。

⑥OVERMAN-キングゲイナー 1話「ゲインとゲイナー」
<脚本:大河内一楼 絵コンテ:斧谷稔 演出:笹木信作 作画監督:吉田健一>

エクソダスというテーマと本編の内容をシンクロさせるために、
主人公の逃亡劇から始める構成が秀逸。
冬のシベリアという世界とキャラクターを躍動的に描いていた。

※ ④⑤⑥の3つは、富野アニメの1話として好きな3作品から選出した。

⑦機動戦士Zガンダム 21話「Zの鼓動」
<脚本:大野木寛・斧谷稔 絵コンテ:大野木寛・斧谷稔 演出:本橋鷹王 作画監督:山田きさらか>

ザブングル・ダンバイン・エルガイムと
主人公機交代劇のノウハウを積み重ねた挿話。
ピンチのカミーユを、幼馴染のファが助けるシーンがグッとくる。

⑧機動戦士Vガンダム 45話「幻覚に踊るウッソ」
<構成:斧谷稔 絵コンテ:斧谷稔 演出:玉田博 作画監督:逢坂浩司>

富野監督には、編集で話を作ってしまうというスキルがあるが
⑧のVガンダム45話は、このスキルを最大限発揮した挿話になっている。
もちろん只の総集編ではなく、シャクティの水浴びシーンがあるのも見所。

⑨リーンの翼 6話「桜花嵐」
<脚本:富野由悠季 絵コンテ:富野由悠季 演出:五十嵐達也 作画監督:工藤昌史・吉岡毅>

ラストシーンのお墓から、リュクスが消えていくシーンのシークエンスが好き。
リュクスが消える切なさを余韻として残したままEDに入るのが秀逸。
サコミズ王の叫びも心に響く。

⑩∀ガンダム 50話「黄金の秋」
<脚本:浅川美也 絵コンテ:斧谷稔・川瀬敏文 演出:森邦宏 作画監督:戸部敦夫・菱沼義仁>

全てのガンダムサーガを全肯定する最後のお話。
Bパートの菅野よう子さんの月の繭と共に流れるエピローグはただただ圧巻。

⑨と⑩は、富野アニメの最終話で好きな2作品から選出。

まとめ

1話と最終話が多くなってしまったが、
それだけ富野監督の作品は始まり方と終わらせ方が秀逸だというように感じる。

tomizyu000.jpg

「ガンダム Gのレコンギスタ」は、とりあえず今回は抜きで選出したが、
最終話まで見終えたら、Gレコも含めて再選出できればと思う。
  
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[ 2014/10/13 12:40 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

富野由悠季と小田原と東京-富野アニメにおける故郷探しの物語の観点から 

はじめに

富野由悠季監督の「Gのレコンギスタ」が今年度中に発表される。
富野監督は「Gレコ」でどんな物語を描くのか。

そんな富野作品にはある物語作りの傾向がある。
それは、ある場所から故郷・祖先の地へ、元の所へ戻ろうとする物語を描く点だ。

先祖返りの物語

特に近年の作品では故郷、祖先の地へ戻る物語の傾向が強い。

「∀ガンダム」では月から地球へ帰還するディアナ。
「キングゲイナー」ではウルグスクから故郷の地ヤーパンへエクソダスする人々。
「リーンの翼」ではバイストンウェルから日本へ戻ろうとするサコミズ王。

一方で「Vガンダム」のように故郷カサレリアを出発し、
最後には再びカサレリアに戻る作品もある。

これらの作品で共通するのは、移動する物語であり、
ある場所からある場所へ向かう物語であるということだ。

富野監督自身も、故郷へ戻りたい物語を描いてしまう事を自覚しているようだ。
それは富野監督が「キングゲイナー」が始まる前に放映局のWOWOWで放映された
「富野由悠季最新作『キングゲイナー』が出来るまで」に出演した時に
以下のように語っているからだ。


水本早苗(番組司会)「あのちょっと思ったんですけど、前作ターンエーでは月の住人が故郷を求めて地球にやって来たい。そしてこのキングゲイナーでは、やっぱり先祖が代々住んでいた土地っていうのを求めて、そのあの要するに原因はね、いろいろあると思うんですけど、先祖の住んでいる所を内心ちょっと行ってみたいな、っていうこの移動のなんていうんですかね魅力、ああいうことに取り憑かれた人々っていうので、ちょっとまぁ共通するテーマっていうのがあると思うのですけど。」

富野「あのー、実を言うとその部分は、その原作の立場に立った時に似たようなモチーフでやだなと思いました。えーだからといってそれやっぱりその無理に違うテーマを見つけて作るのも、えーと無駄なことなんじゃないかっていうふうに思ってます。それはどういうことかと言うと、今の時代は本当に皆さんもご存知のようにかなり不安定な時代になってきている。その原因を考えた時に、あの今も仰られたような、その先祖返りしたい部分や自分が元々持っている何かみたいなのを知りたいとか、それとは逆にそうじゃなくて絶対にもう現状維持のまんま、っていうそういう人達の、何ていうのかな気分ワサワサワサって出てきて、一つのものに統合されない時代が来ているのが、それこそ21世紀だと思うんです。こう言った時に、こういうようなモチーフから作られる物語っていうのは、ひょっとしたら時代性を持ったものなので、必ずしもその、うーん僕は物語の発想が狭いからこうなんだとも思えない部分があるっていうのがありまして、うーん地球でのつまり逃亡劇みたいなものをやってみたいなっていう風に考えました」

※出典 WOWOW:富野由悠季最新作「キングゲイナー」が出来るまで

こうしたある場所から故郷へ戻りたいというモチーフだけでなく、
ある場所からある場所へ移動する・転々する、
水本さんがいう移動の魅力を描いた物語は、
「海のトリトン」「無敵超人ザンボット3」「機動戦士ガンダム」でも描かれてきた。
特に「機動戦士ガンダム」は、「僕には帰れる場所があるんだ」というアムロのセリフが
象徴的ではあるが、最後に帰る場所を見つける物語であったことでもわかる。

なぜ富野監督は、この帰る場所の物語、先祖の土地返りの物語を描くのだろうか。

富野監督における出身地小田原と東京

富野監督の出身は神奈川県小田原市である。
元々両親は東京に住んでいたようで、小田原に住んでいたのも親の仕事の関係。
しかし少年富野は、親が小田原に寄留しているような態度で生活しており、
つまり小田原に根ざして生活していなかったので、
小田原を故郷であると感じることができなかったようだ。
この事は「だから僕は」でも語られている。

地つきの人間。
小田原の僕の育った周辺で言われる言葉である。差別語に近い。
他所者がなかなかなれることできない……それは、地方にいけばどこでも同じといえるのかもしれないのだが、僕の家族は余所者であったから、地つきの人に違和感がなかったとはいえない。だから、僕は小田原を捨てられると考えたのだ。

※出典「だから僕は」著:富野由悠季

こうした少年時代の経験が、故郷を感じられない富野喜幸(由悠季)を醸成し、
故郷に戻りたい、先祖の地へたどり着きたいという、物語を生み出す下地になったと思う。
それは、富野監督が出身地であるが故郷として思い入れられない小田原と、
両親が出身地、故郷だと思う東京という二つの場所に引き裂かれたともいえる。
だから、ある場所(小田原)からある場所(東京)へという物語作りに
監督の作劇が自然に流れていったのかもしれない。

もちろん、このことだけが全てではい。その後の富野監督のキャリアを見ると、
まず虫プロへ就職し、鉄腕アトムの演出を手がけた後に退社。
そしてCM会社へ就職し、専門学校の講師をやりつつ、再びアニメ業界へ復帰。
復帰後は、様々な作品で圧倒的なスピードで絵コンテを切る
「コンテ千本切りの富野」としてサンライズに拠点を置くまでは各会社を渡り歩いた。

ガンダム以前は、流浪性が高いキャリアであったことがわかる。
この転々としたキャリアもあって、人が移動する事は富野監督にとっては
当たり前のものとして、物語を作ってきたのではないだろうか。

まとめ

富野監督が韓国で

「物語を創作する秘訣?簡単です。地球と月の間の距離さえ感じれればいい。」

参考:TOMINOSUKI / 富野愛好病 富川映画祭 富野由悠季監督関連ニュース紹介 その2

と語っているが、この月と地球というのは、私には小田原と東京のことであるようにも思える。
つまり小田原と東京の距離を感じるのが、富野監督の作劇なのかもしれない。

こうした小田原での少年時代から高校生までの体験と
アニメ制作の様々な会社で仕事をしたキャリアが
先祖の地へ帰る故郷探し、移動の魅力の物語という
富野監督の物語の作劇を決めてきたのではないかと思われる。

何にしてもここ数作の、2000年代の富野作品は故郷へ帰ることが主題だった。
さて2010年代の「Gのレコンギスタ」はこの故郷へ帰るテーマをどう継承するか
もしくは移動の魅力の物語をどう描いていくのか期待して見ていきたい。
 
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[ 2014/06/01 15:03 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

TVの全ガンダムアニメの作画監督の参加回数を調べてみた 

はじめに

TVアニメの各ガンダムシリーズの作画監督は誰か。
また、作画監督さん達は各シリーズで何回参加されているのか。
気になったので調べてみた。

※集計作品はTV放映された作品(1st~BFまで)
※連名の回でもそれぞれカウント

↓以下のように表記↓
[例]日登喜幸[作画監督名](100)[作画監督でクレジットされた回数]

TVのガンダムアニメの作画監督の参加回数を調べてみた

「機動戦士ガンダム」全43話
安彦良和(16)
中村一夫(7)
作画監督不在(7)
富沢和雄(5)※大泉学名義含む
山崎和男(5)
青鉢芳信(2)
鈴木一行(1)


「機動戦士Zガンダム」全50話
小林利充(11)
山田きさらか(10)
金山明博(10)
北爪宏幸(8)
瀬尾康博(4)
兵頭敬(2)
恩田尚之(2)
寺東克己(1)
照日四郎(1)
大森英敏(1)
敷島博英(1)


「機動戦士ガンダムZZ」全47話
神村幸子(8)
山田きさらか(8)
金山明博(8)
小林利充(7)
恩田尚之(7)
北爪宏幸(3)
敷島博英(3)
内田順久(1)
小曽根正美(1)
山下明彦(1)


「機動戦士Vガンダム」全51話
西村誠芳(16)
新保卓郎(10)
瀬尾康博(8)
板倉和弘(7)
谷口守泰(6)
吉田徹(5)
前田明寿(5)
逢坂浩司(5)
村瀬修功(3)
森下博光(2)
さとうけいいち(1)


「機動武闘伝Gガンダム」全49話
西村誠芳(15)
佐久間信一(13)
新保卓郎(11)
大塚健(11)
木村貴宏(7)
森下博光(5)
菅野宏紀(2)
吉田徹(1)
逢坂浩司(1)
佐野浩敏(1)


「新機動戦記ガンダムW」全49話
西村誠芳(24)
佐久間信一(23)
藁谷均(23)
土器手司(1)
重田敦司(1)
菱沼義仁(1)
筱雅律(1)
阿部邦博(1)


「機動新世紀ガンダムX」全39話
西村誠芳(19)
藁谷均(18)
佐久間信一(17)
筱雅律(3)


「∀ガンダム」全50話
佐久間信一(21)
しんぼたくろう(12)
中田栄治(12)
戸部敦夫(5)
菱沼義仁(4)
杉光登(3)
鈴木藤雄(3)
後藤雅巳(2)
土器手司(1)
うのまこと(1)


「機動戦士ガンダムSEED」全50話
※左側:作画監督 右側:メカ作画監督
山口晋(12)     池田有(9)
大貫健一(10)   植田洋一(9)
米山浩平(9)    高瀬健一(7)
森下博光(8)    阿部邦博(7)
しんぼたくろう(7)  吉田徹(7)
佐久間信一(4)   大森英敏(1)
平井久司(4)    永田正美(1)
吉田徹(2)     重田智(1)
          森下博光(1)


「機動戦士ガンダムSEED-DESTINY」全50話+特別編
※左側:作画監督 右側:メカ作画監督
山口晋(11)     有澤寛(9)
鎌田祐輔(9)    椛島洋介(8)
森下博光(8)    西井正典(7)
しんぼたくろう(7)  高瀬健一(7)
大貫健一(7)    池田有(6)
米山浩平(6)    吉田徹(5)
佐久間信一(2)   重田智(3)
平井久司(2)    松田寛(1)
椛島洋介(2)    伊藤浩二(1)
吉田徹(1)


「機動戦士ガンダム00」全50話(前期後期合わせて)
※左側:作画監督 右側:メカ作画監督
大貫健一(10)     西井正典(10)
しんぼたくろう(10)  高瀬健一(10)
森下博光(9)      有澤寛(10)
松川哲也(8)     松田寛(9)
千葉道徳(6)     中谷誠一(8)
今泉良一(4)     大塚健(6)
池田佳代(3)     阿部邦博(5)
高村和宏(1)     佐村義一(3)


「機動戦士ガンダムAGE」全49話
※左側:作画監督 右側:メカ作画監督
大貫健一(9)     有澤寛(10)
牧孝雄(9)      阿部邦博(9)
しんぼたくろう(9)  金世俊(8)
松川哲也(8)    松田寬(8)
森下博光(7)    進藤ケンイチ(8)
池田佳代(7)    大塚健(7)
千葉道徳(2)    阿部宗孝(5)
石野聡(2)      久壽米木信弥(4)


「ガンダムビルドファイターズ」全25話
※左側:作画監督 右側:メカ作画監督
しんぼたくろう(5)  有澤寛(4)
千葉道徳(5)    金世俊(4)
松川哲也(5)    阿部宗孝(4)
池田佳代(5)    久壽米木信弥(3)
大貫健一(4)    大塚健(3)
森下博光(4)    大張正己(3)
赤井方尚(1)    進藤ケンイチ(3)
大籠之仁(1)    牟田口裕基(2)



「SDガンダム三国伝 Brave Battle Warriors」(全51話)
佐久間信一(32)
牟田口裕基(10)
榎本勝紀(6)
亀井治(4)

まとめ

箇条書きでまとめてみる。

・1stはやはり安彦さん最多の16回。倒れなかったら、もっと回数は多かったと推測
・Z・ZZは金山明博さんと山田きさらかさんが安定して参加
・Vの作画監督といえば前田明寿さん
・V~Xまでの西村誠芳さんの参加回数は段違い
・西村さんと同じスタジオダブだった佐久間信一さんと藁谷均さんの参加回数も多い
・しんぼたくろう(新保卓郎)さんはV以降、長く参加されている
・ガンダムXはスタジオダブ
・∀ガンダムで光るうのまことさん作画監督回
・SEED以降に欠かせない、大貫健一さん・森下博光さん
・高瀬健一さんのメカ作画が好き
・SEED-D以降ではメカの有澤寛さんが欠かせない
・00以降に欠かせない池田佳代さん・松川哲也さん
・AGE以降のメカ作画を引っ張る金世俊さん
・三国伝でもダブ出身の佐久間さんの回数が多い
・00以降ローテーションが安定している感じ
 
今年でガンダム35周年。
今後のガンダムアニメでもスターアニメーターが輩出されるのを期待したい。
 
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[ 2014/05/28 23:19 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(1)

逆襲のシャアを越えるための物語として-機動戦士ガンダムUC ep7「虹の彼方に」 

機動戦士ガンダムUC episode 7「虹の彼方に」を鑑賞。

結論として本作は宇宙世紀を、そして「逆襲のシャア」の物語とテーマに
真正面から立ち向かい、越えようとした作品だと感じた。

今回は「ガンダムUC」を「逆シャア」を乗り越える物語として捉えて語りたい。

サイコフレームの光から始まる「ガンダムUC」の物語

冒頭「ガンダムUC」は、一年戦争から第二次ネオジオン抗争、
「1stガンダム」から「逆シャア」の映像を回想的に交えた構成から始まる。
このダイジェストが終わってから、UC7話の本編が開始される。
「ガンダムUC」が「逆シャア」までの宇宙世紀を総括することを強調する構成だ。

そして「ガンダムUC」の物語は、本作の重要人物サイアム・ビストが
「逆シャア」の結末であるサイコフレームの力がアクシズを押し返す奇跡を見て、
人の可能性を信じてみたくなり「ラプラスの箱」の開放を決心をしたからである。
つまり「ガンダムUC」の物語は、「逆シャア」を踏まえての話なのがわかる。

アムロ「世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
(機動戦士ガンダム逆襲のシャア)


gyakusya1001.jpg

アムロのこの想いは、戦場で一緒にアクシズを押し返そうとした
連邦・ロンド・ベル・ネオ・ジオンの兵士、地球にいたクリスチーナなどの
地球の人々には届いたのかもしれない。

しかしフル・フロンタルは、光を見ても人は何も変わらなかったと言う。
(実際にフル・フロンタルが見たのかどうかはわからない)
フル・フロンタルは人の変革や可能性を全く信じない態度を取り、
その為にラプラスの箱も連邦との取引材料としか見なさない。
(直接的には描かれていないが、マーサ・ビストも同様の立場にいるかも)

対してバナージとミネバは、人の未来と革新に期待し「ラプラスの箱」の開放を願う。
これは二人がニュータイプの素養を持つからではなく
二人が一連の騒動を通して出会った人々との触れ合いを通した経験からの結論だ。

サイアムが言うように箱を開放しても、世界は変わらないのかもしれない。
しかし大事なのは、本編でも語られているように箱の内容・中身ではない。
出会いと触れ合いを通して得た、バナージ達、人の意志や決意なのだ。

サイコフレームの光に人の未来を見たサイアム・ビスト。
このサイアムの想いを引き継ぐバナージとミネバ。
対して光に人の未来を抱かず、人の総意の器と言いながら空っぽのフル・フロンタル。
こうした意識の違いと、互いの相克が描かれるのが「ガンダムUC」という物語。

ニュータイプの問題-わかりあえるのか・わかりあえないのか

一方で「逆シャア」のサイコフレームの光への評価とは別にある
「1st」以来のガンダムシリーズにおけるニュータイプの問題について。
もしくは人はわかりあえるのかという点でも、バナージとリディの間に相違があった。

リディ自身がニュータイプでありつつもこの事を否定し、人がわかりあえることも
マリーダやネェル・アーガマのクルーの声を聞いても否定したリディ。
このリディの冷えた心を溶かすのは、同じニュータイプのバナージ。
ニュータイプのリディが自分がニュータイプであることを否定するのは珍しいケースだ。
こう考えるのはリディのマーセナス家出身のせいでもあるのだろう。
「ガンダムUC」の中ではニュータイプの問題も扱っているのがわかる。

結局は、マリーダの命をかけた行為がリディの心を動かす。
そしてリディとバナージが共闘して、ネオ・ジオングのフル・フロンタルと戦い打ち倒す。

このネオ・ジオングも「逆シャア」の物語を越えるMAとして相応しい。
それはネオ・ジオングが、サザビーとαアジールを合体させたような機体だから。
そしてネオ・ジオングには、相手の機体を乗っ取る機能があったが、
この機能は人とわかりあろうとしないフロンタルの心情を代弁するもののように思える。
ネオ・ジオングのデザインは、キャラクターの設定やテーマを踏まえてデザインされている。

逆襲のシャアを乗り越えるものとして-ガンダムユニコーン

宇宙世紀の歴史はフロンタルが言うように、
サイコフレームの光が起こすアクシズを押し返す奇跡を人に見せても
連邦上層部や一部のビスト財団、ジオンの残党には届かなかったのかもしれない。

しかし同じ光を見たサイアムの想いは、最終的にバナージとミネバを呼び
ミネバがラプラスの箱の真相を地球圏上で公表することで、
世界の変革を起こすキッカケになった。

バナージも人の変革を願い、人は変わらないとするフル・フロンタルと戦う。
二人の戦いは、人の意識、ニュータイプの奥底ともいうべき場所に到達し、
時間を遡りながら戦いつつ、最後はフロンタルの意識をも変えていった。
この戦いの最中、BGMは1stガンダム劇場版Ⅲの「ビギニング」が流れ
また「めぐりあい宇宙」のスレッガー中尉のビクザム特攻シーンを描かれていた。
本当に、本作はサービス抜群だ。

そしてララァの姿をした女性や、アムロの声が登場。
みんなでフロンタルを、いやシャアを救済しようとしていたのも良かった。
ララァやアムロがフロンタルの前にやってくると、
シャアの一部がフロンタルの中にいたという解釈もできるかもいしれない。
(個人的に「箱を託す」と言ったのはフロンタルではなく、シャアだったと思う)

「逆シャア」の物語は「逆シャア」で完結していると思うが、
本作はこの点を踏まえても、アムロ・シャア・ララァの物語を補完する解釈が取られていた。
3人とも刻が見える世界で、お互いふれあっていくのだろう。

「逆シャア」後の物語を描いたこと。
ニュータイプ論的、人はわかりあえるのかというテーマを
富野ガンダム的な切り口で真正面に描いたこと。
アムロやララァまで登場させて、フロンタルとシャアの救済をしたこと。

以上のように「逆シャア」からの物語・テーマ・キャラクターを引き継ぎ
越えようとしたのが「機動戦士ガンダムUC」だ。
つまり富野ガンダム的なテーマに果敢に挑戦した作品だった。
富野さんの作品に多大な影響を受けた福井晴敏さんらしい作品でもあり、
この福井さんのコンセプトを、古橋監督以下スタッフが映像化した作品でもある。

シリーズのまとめ

サンライズのロボットアニメの真髄と底力を見せつけた傑作だった。

メカアクション、キャラクターの芝居、全てがガンダムシリーズ最高レベル。
特に縦横無尽なカメラワークと、MSの切断面を描かれる作画には驚嘆。
シリーズを通してメカ総作画監督を手がけられた玄馬宣彦さんの仕事は、
評価しても評価しすぎることはない、と感じるほどの仕事ぶり。
これだけ手間暇かけて作られたガンダムアニメは、そうそう見られないのと思う。

また澤野弘之さんの音楽が何より素晴らしかった。
澤野さんを意識したのは本作の1話だったが、ガンダムUCにすんなり入っていけたのは、
澤野さんの音楽があったからこそだと思う。特に「Unicorn」は流れると盛り上がる。

監督の古橋一浩さんの代表作になると思う。
古橋さんが力のある演出家であることは疑いようもないのだが、
ロボットアニメの経験はなかったので、始まる前はどうなのかなぁと思っていたが
2話を見て以来は、その辺りの心配も全くなくなった。
むしろ古橋さんだからこそできるカメラワークや、キャラクター芝居の演出
今までのガンダムにはない非サンライズ的な面もあった戦闘描写の演出には舌を巻いた。

最後にサイアム・ビスト役の永井一郎さんについて。
永井さんの声が聴けただけでも、ありがたかった。
特にフル・フロンタルの池田秀一さんとのやり取りを見た時は泣いてしまった。
(シャアとドレン・アカハナのやり取りを思い出した)
最終話だけサイアムの声が永井さんでなかったらと思うとゾッとする。
一年戦争からラプラス騒動までの宇宙世紀を見守ったサイアム、そして永井さん。
改めてご冥福をお祈りしたい。
 
スタッフの皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 
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[ 2014/05/18 14:57 ] 富野由悠季 | TB(6) | CM(0)

機動戦士ガンダムUC展レポート 

池袋のPARCO別館で開催されている機動戦士ガンダムUC展に行ってきた。

http://www.gundam-unicorn.net/event/(公式ページ)

展示物

・100秒でわかるガンダムUCみたいなPV
・1話から7話までの原画(作監修正等々)
・版権絵
・キャラ表
・美術設定(小惑星パラオやコロニー)
・SF設定考証の資料
・本編に登場するMSのガンプラの作例
・1/10バンシィ

会場の雰囲気

行く前は料金を支払えばすぐに入場できると思っていたが
入場口で20人ぐらいが並んでいたので、入場までに15分ぐらいかかった。
どうやら会場内の入場人数を調整して、入場させていたようだ。
私が入場する直前には、列ができており後ろに20人ぐらいの人が並んでいた。

お客さんは、おじさん、カップル、親子連れ、ガンダム好きそうなグループなど
様々な層が来ていたので、ガンダムUCの人気の高さを感じさせた。

会場内に入場させるお客さんの量を調整していた為もあり、
会場内はスムーズに移動できるのはありがたかった。

感想

まず見たかったのは原画等々。
ガンダムUCの画面のクオリティの高さは見ればわかると思うが、
それを支えるアニメーターの絵の数々に、食い入るように見た。

特に7話に登場するであろうネオ・ジオングの原画や
他のMSの原画等々を見て、こんなに線の多いMS達を
どうやって動かすんだという、気持ちで見ていた。

しかも影つけや、機体への被弾の描写なども含めると
この手間のかかりようは、いかほどのものなのか。
素人の私でも、想像ができてしまう。

そんな手間のかかるMSを本編できちんとかっこよく見せてしまう。
本作のスタッフの仕事ぶりには感動してしまう。


またとても驚いたのは、パラオなどの美術設定。
SFというジャンルに位置するためか、
SF考証・科学考証がとてもきっちり行われている設定の数々。
設定考証の小倉信也さんのアイディアのすごさが垣間見えた。

コロニーの空気の抜ける時間の計算式、
地球と戦艦の距離を計算して、どう画面に配置するかを考証するなど
本編映像を科学的な整合性を確立させる為の様々な設定。

UC展で紹介された設定は、ホンの一部であるだろうから
本編では山のような設定が用意され、数々の考証を重ねてきたことを伺わせる。

画面だけを見ていると気づかない、様々な計算や考証の積み重ねで
ガンダムUCは成り立っている事を気づかせてくれた。
そしてロボットアニメやSFものは、作品を成立させるために
膨大な設定と考証を積み重ねる必要性があることを改めて思い知らされた。

意外に面白かったのは、100秒でわかるガンダムUCのPV。
シリアスな本編とは裏腹に、コミカルな編集とナレーションで
ガンダムUCの世界にツッコミを入れる感じの映像が面白かった。
ビスト財団、袖付き、連邦のそれぞれの思惑の説明もわかりやすかった。

1/10バンシィは何か威圧感があった。

まとめ

膨大な時間と精鋭スタッフと制作リソースを費やして
ガンダムUCは制作されていると、毎回見るたびに思っていた。
そしてUC展のSF設定考証の資料を見て、計算式などを使いながら
画面にどう説得力を持たせるかまで行われているのを見て、
本作が徹底的に拘りに拘りを重ねて作られたのを感じさせてくれた。

来週17日から最後のエピソード「虹の彼方に」が公開される。
ユニコーン、バンシィ、ネオ・ジオングのメカアクションに期待したい。
 
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[ 2014/05/11 01:08 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

スタッフの人選から見た 富野由悠季最新作「ガンダム Gのレコンギスタ」 

はじめに

富野由悠季監督の新作「ガンダム Gのレコンギスタ」が正式に発表された。

「ガンダム Gのレコンギスタ」公式サイト

仕事で気持ちが滅入っていたが、家に帰ってこの報を知り、
疲れが吹っ飛んでしまうぐらい、テンションがあがっている。

スタッフの人選について

発表されたスタッフを見てみると、

総監督:富野由悠季
キャラクターデザイン:吉田健一
メカデザイン:安田朗 形部一平 山根公利
デザインワークス:コヤマシゲト、西村キヌ、剛田チーズ 内田パブロ 沙倉拓実、倉島亜由美
色彩設計:水田信子
美術:岡田有章
音楽:菅野祐悟

以上の通り。

キャラクターデザインの吉田健一さん、
メカデザインの安田朗さん、山根公利さん、
デザインワークスの沙倉拓実さん、西村キヌさんなど
主に「キングゲイナー」で参加したスタッフが多く揃えた感じだ。

一方で美術が岡田有章さんだったのは驚いた。
富野作品の美術監督は、いつも池田繁美さんだというイメージがあったので、
新作も公式に発表されるまで、池田繁美さんだと予想していた。

ただ岡田さんも「勇者シリーズ」や「STAR DRIVER 輝きのタクト」
最近は「彗星のガルガンディア」などロボットアニメでの
美術経験は豊富。岡田さんはどんな世界を描き出すのか。

音楽の菅野祐後さんは「軍師官兵衛」の音楽も手がけるなど活躍が目立つ方。
富野作品でどんな音で作品を盛り上げるのか期待したい。

後、発表されていないのは脚本家陣や音響監督。
シリーズ構成は富野監督がやるとは思うのだが、
脚本は大河内一楼さん、浅川美也さん、高山治郎さん、高橋哲子さん辺りが参加されるのか。
それとも富野監督が脚本を手がけるのか。

また富野監督の片腕としてアニメーションディレクターを誰か立てるのか。
立てた場合は、吉田健一さんになるとは思うのだが。
他にどんな演出家さんが参加するのかも気になる。

まとめ

公式サイトにはPVもあるが、
カットインしてからさらにMSの動きに合わせて
カットインが変形する演出は、まさに富野演出。
本家のカットインは、いいなぁと。

「リーンの翼」からおよそ8年。
富野由悠季監督の「Gのレコンギスタ」大いに楽しみ。 
 
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[ 2014/03/20 20:49 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(1)

富野由悠季作品は、なぜ偽名・変名のキャラが多いのか 

富野由悠季監督作品では変名・偽名のキャラが多い。
例えば、本名:キャスバル・レム・ダイクンこと
シャア・アズナブルの存在が最も有名だろう。

そしてシャアが偽名を使った為か
「新機動戦記ガンダムW」のミリアルド・ピースクラフトが
ゼクス・マーキスを名乗るなど後続の多くのガンダム作品に与えた。

他にも富野監督が直接手がけたガンダム作品には
多くの偽名・変名のキャラがいる。
本名・偽名/変名・作品と分けて、リストアップしてみた。

本名

変名・偽名

作品

キャスバル・レム・ダイクン

シャア・アズナブル

クワトロ・バジーナ

エドワウ・マス

1stガンダム~逆襲のシャア

アルテイシア・ソム・ダイクン

セイラ・マス

1stガンダム・Z

クエス・パラヤ

クェス・エア

逆襲のシャア

ハサウェイ・ノア

マフティー・ナビーユ・エリン

閃光のハサウェイ

ベラ・ロナ

セシリー・フェアチャイルド

F91・クロスボーン

シーブック・アノー

キンケドゥ・ナウ

クロスボーン

テテニス・ドゥガチ

ベルナデット・ブリエット

クロスボーン

ハンゲルグ・エヴィン

ジン・ジャハナム

Vガンダム

アシリア

シャクティ・カリン

Vガンダム

ロラン・セアック

ローラ・ローラ

ガンダム



次に、ガンダム以外の富野作品もリストアップしてみる。

本名

変名・偽名

作品

カモン・ワーラー三世

ダバ・マイロード

エルガイム

オルドナ・ポセイダル

アマンダラ・カマンダラ

エルガイム

ミアン・クゥ・ハウ・アッシャー

オルドナ・ポセイダル

エルガイム

伊佐未依衣子

クインシィ・イッサー

ブレンパワード

ジョナサン・マコーミック

ジョナサン・グレーン

ブレンパワード

アノーア・マコーミック

バロン・マクシミリアン

ブレンパワード

シャルレ・フェリーベ

ゲイン・ビジョウ

キングゲイナー



では、なぜ富野作品では偽名・変名キャラが多いのか。
それは富野監督自身が様々ペンネームを使うからかもしれない。

そもそも「富野由悠季」という名前もペンネームである。
本名は「海のトリトン」から「伝説巨神イデオン」の頃まで使っていた「富野喜幸」である。

他にも、富野監督には以下のような様々なペンネームがある。

脚本・絵コンテ・演出の時に使う「斧谷稔」
作詞で使う「井荻麟」
始めての脚本・演出を手がけた「鉄腕アトム」で使った「新田修介」
「さすらいの太陽」のコンテで使った「斧谷喜幸」
「ムーミン」の時に使った「阿佐南」
「ど根性ガエル」の時に使った「阿佐みなみ」
「未来少年コナン」「あらいぐまラスカル」などで使った「とみの喜幸」
「無敵鋼人ダイターン3」の絵コンテ・演出・作画監督で使った「井草明夫」

さらに漫画を投稿する時には「小田良」というペンネームも使っていたらしい。

参考:富野由悠季は15のペンネームを持っている(TOMINOSUKI /富野愛好病)

以上のように、富野監督自身のキャリアそのものが
様々なペンネームを使ってきた軌跡でもある。

もしかしたら、こうしたペンネームを使い分けてきた事で
富野監督の中で偽名・変名を使うことが自然な感じになり、
富野作品で偽名・変名キャラが自然に登場するようになったのかもしれない。

まとめ

よくキャラクターは作者の自己投影、
そして悪役の方が作者の願望が投影されやすいという意見はよく聞かれる。

以上を踏まえつつ、さらに名前の使い分けの視点を加えると
4つの名前を使い分けたシャア・アズナブルは、
アニメ業界で様々なペンネームを使い分けた
富野由悠季監督に一番近い存在だったのかもしれない。
 
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[ 2014/03/19 20:54 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

「逆襲のシャア」のセリフをみさくら語に変換した 

はじめに

「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」は、
アムロとシャアの掛け合いやクェスの存在など
キャラ同士の言い争いや名セリフが多い。

そこで「逆シャア」のキャラ同士の掛け合いを中心に
各台詞をみさくら語変換器を使って変換してみた。
原文と比較しながら読んでほしい。



原文

アムロ「なんでこんな物を地球に落とす?これでは、地球が寒くなって人が住めなくなる。核の冬が来るぞ」
シャア「地球に住む者は自分達の事しか考えていない、だから抹殺すると宣言した」
アムロ「人が人に罰を与えるなどと」
シャア「私、シャア・アズナブルが粛清しようというのだ、アムロ」
アムロ「エゴだよそれは」
シャア「地球が持たん時が来ているのだ」

みさくら語

アムロ「にゃんれこんにゃ物を地球に落としゅ?これれは、地球が寒くにゃって人が住めにゃくにゃりゅ。核のぉおお冬が来りゅぞ」
シャア「地球に住む者は自分達のぉおお事しか考えてへぇええぇ゙いぃにゃいぃ、らから抹殺しゅりゅと宣言した」
アムロ「人が人に罰を与えりゅにゃどと」
シャア「私、シャア・アズナブルが粛清しようといぃうのぉおおら、アムロ」
アムロ「エゴらよそれは」
シャア「地球が持たん時が来ていぃりゅのぉおおら」



原文

シャア「フィフス・ルナ落としの作戦は、ネオ・ジオン軍として初めての艦隊戦であった。この作戦で諸君らの働きを見せてもらい感動している。本日はこれらの作戦の締めくくりとして、追撃するロンドベルの艦隊に陽動をかけてもらう。単純な作戦ではあるが、無事任務を果たしてスウィートウォーターに帰投してもらいたい。以上」

みさくら語

シャア「フィフス・ルナ落としのぉおお作戦は、ネオ・ジオン軍としてぇぇぇぇ゛初めてのぉおお艦隊戦れぁあああ あぉった。このぉおお作戦れ諸君らのぉおお働きを見せてもらいぃ感動してぇぇぇぇ゛いぃりゅ。本日はこれらのぉおお作戦のぉおお締めくくりとしてぇぇぇぇ゛、追撃しゅりゅロンドベルのぉおお艦隊に陽動をかけてもらう。単純にゃ作戦れはぁあああ あぉりゅが、無事任務を果たしてぇぇぇぇ゛スウィートウォーターに帰投してぇぇぇぇ゛もらいぃたいぃ。以上」



原文

クェス「前にもここには入ったわ、あなたこそなんでここにいるの?」
チェーン「えっ?なんでって、自分はこの船のメカニックマンよ」
クェス「大人の言いそうなことね。あたしが聞きたいのはそういうことじゃないわ、アムロ・レイとの関係よ」
チェーン「関係って、私の尊敬する上官よ」
クエス「そうじゃないって。あたしはインドで修行したのよ、人類がみんな共感しあえるニュータイプになれるようにって。だからあたしは、ニュータイプだって言われているアムロに興味があったのに、なんであなたは邪魔するの」

みさくら語

クェス「前にもここには入ったわ、ぁあああ あぉにゃたこそにゃんれここにいぃりゅのぉおお?」
チェーン「えっ?にゃんれって、自分はこのぉおお船のぉおおメカニックマンよ」
クェス「大人のぉおお言いぃそうにゃことね。ぁあああ あぉたしが聞きたいぃのぉおおはそういぃうことに゛ゃにゃいぃわ、アムロ・レイとのぉおお関係よ」
チェーン「関係って、私のぉおお尊敬しゅりゅ上官よ」
クェス「そうに゛ゃにゃいぃって。ぁあああ あぉたしはインドれ修行したのぉおおよ、人類がみんにゃ共感しぁあああ あぉえりゅニュータイプににゃれりゅようにって。らからぁあああ あぉたしは、ニュータイプらって言われていぃりゅアムロに興味がぁあああ あぉったのぉおおに、にゃんれぁあああ あぉにゃたは邪魔しゅりゅのぉおお」



原文

クェス「インドのクリスチーナが言ってたのと違うな。ニュータイプは、物とか人の存在を正確に理解できる人のことだよ。それもさどんなに距離が離れていてもそういうのがわかるようになるの」

ハサウェイ「ああ。人間って、地球だけに住んでいた時は頭の細胞の半分しか使ってなかったんだろ。それが、宇宙に出て、残りの頭の部分を使うようになれば、テレパシーだって予知能力だって高くなるよな。じゃないと、地球とコロニーで暮らしてたら家族だなんて思えなくなっちゃうもん」

みさくら語

クェス「インドのぉおおクリスチーナが言ってたのぉおおと違うにゃ。ニュータイプは、物とか人のぉおお存在を正確に理解れきりゅ人のぉおおことらよ。それもしゃどんにゃに距離が離れていぃてもそういぃうのぉおおがわかりゅようににゃりゅのぉおお」

ハサウェイ「ぁあああ あぉぁあああ あぉ。人間って、地球らけに住んれいぃた時は頭のぉおお細胞のぉおお半分しか使ってにゃかったんらろ。それが、宇宙に出て、残りのぉおお頭のぉおお部分を使うようににゃれば、テレパシーらって予知能力らって高くにゃりゅよにゃ。に゛ゃにゃいぃと、地球とコロニーれ暮らしてぇぇぇぇ゛たら家族らにゃんて思えにゃくにゃっひゃうもん」



原文

シャア「このコロニー、スウィートウォーターは、密閉型とオープン型を繋ぎ合わせて建造されたきわめて不安定な物である。それも、過去の宇宙戦争で生まれた難民の為に急遽、建造された物だからだ。しかも、地球連邦政府が難民に対して行った施策はここまでで、入れ物さえ作ればよしとして、彼らは地球に引きこもり、我々に地球を解放することはしなかったのである。私の父、ジオン・ダイクンが宇宙移民者、すなわちスペースノイドの自治権を地球に要求した時、父ジオンはザビ家に暗殺された。そしてそのザビ家一統はジオン公国を騙り、地球に独立戦争を仕掛けたのである。その結果は諸君らが知っている通り、ザビ家の敗北に終わった。それはいい。しかしその結果、地球連邦政府は増長し、連邦軍の内部は腐敗し、ティターンズのような反連邦政府運動を生み、ザビ家の残党を騙るハマーンの跳梁ともなった。これが、難民を生んだ歴史である。ここに至って私は、人類が今後、絶対に戦争を繰り返さないようにすべきだと確信したのである。それが、アクシズを地球に落とす作戦の真の目的である。これによって、地球圏の戦争の源である地球に居続ける人々を粛清する」

クエス「あたし、みんな知っていたな」

みさくら語

シャア「このぉおおコロニー、スウィートウォーターは、密閉型とオープン型を繋ぎ合わせて建造しゃれたきわめて不安定にゃ物れぁあああ あぉりゅ。それも、過去のぉおお宇宙戦争れ生まれた難民のぉおお為に急遽、建造しゃれた物らからら。しかも、地球連邦政府が難民に対してぇぇぇぇ゛行った施策はここまれれ、入れ物しゃえ作ればよしとしてぇぇぇぇ゛、彼らは地球に引きこもり、我々に地球を解放しゅりゅことはしにゃかったのぉおおれぁあああ あぉりゅ。私のぉおお父、ジオン・ダイッひゃううぅんンが宇宙移民者、しゅにゃわちスペースノイドのぉおお自治権を地球に要求した時、父ジオンはザビ家に暗殺しゃれた。そしてぇぇぇぇ゛そのぉおおザビ家一統はジオン公国を騙り、地球に独立戦争を仕掛けたのぉおおれぁあああ あぉりゅ。そのぉおお結果は諸君らが知っていぃりゅ通り、ザビ家のぉおお敗北に終わった。それはひぃぃぃっよぉおお゙。しかしそのぉおお結果、地球連邦政府は増長し、連邦軍のぉおお内部は腐敗し、ティターンズのぉおおようにゃ反連邦政府運動を生み、ザビ家のぉおお残党を騙りゅハマーンのぉおお跳梁ともにゃった。これが、難民を生んら歴史れぁあああ あぉりゅ。ここに至って私は、人類が今後、絶対に戦争を繰り返しゃにゃいぃようにしゅべきらと確信したのぉおおれぁあああ あぉりゅ。それが、アクシズを地球に落としゅ作戦のぉおお真のぉおお目的れぁあああ あぉりゅ。これによって、地球圏のぉおお戦争のぉおお源れぁあああ あぉりゅ地球に居続けりゅ人々を粛清しゅりゅ」

クエス「ぁあああ あぉたし、みんにゃ知っていぃたにゃ」



原文

ブライト「すまんが、みんなの命をくれ」

みさくら語

ブライト「しゅまんが、みんにゃのぉおお命をくれ」



原文

チェーン「ハサウェイ。どきなさい」
クェス「あれは」
ハサウェイ「駄目だよクェス。そんなんだから敵だけを作るんだ」
クェス「あんたもそんなことを言う。だからあんたみたいのを生んだ地球を壊さなくっちゃ、救われないんだよ」「何?」
ハサウェイ「クェス、そこにいるんだろ。わかっているよ、ハッチを開いて。顔を見れば、そんなイライラすぐに忘れるよ」
クェス「子供は嫌いだ。ずうずうしいからっ」
ハサウェイ「あっ」
チェーン「ハサウェイ。どきなさい。その子は危険よ」
クェス「嫌な女。お前がいなければアムロの所にいられたのに」
チェーン「アムロの所ってあの子が?」
ハサウェイ「クェス。降りて」
チェーン「ハサウェイ」
クェス「直撃。どきなさい、ハサウェイ」

みさくら語

チェーン「ハサウェイ。どきにゃしゃいぃにゃのお゙ぉおォおん」
クェス「ぁあああ あぉれは」
ハサウェイ「らめにゃのぉぉぉ゛らよクェス。そんにゃんらから敵らけを作りゅんら」
クェス「ぁあああ あぉんたもそんにゃことを言う。らからぁあああ あぉんたみたいぃのぉおおを生んら地球を壊しゃにゃくっひゃ、救われにゃいぃんらよ」「何?」
ハサウェイ「クェス、そこにいぃりゅんらろ。わかっていぃりゅよ、ハッチを開いぃて。顔を見れば、そんにゃイライラしゅぐに忘れりゅよ」
クェス「子供は嫌いぃら。ずうずうしいぃからっ」
ハサウェイ「ぁあああ あぉっ」
チェーン「ハサウェイ。どきにゃしゃいぃにゃのお゙ぉおォおん。そのぉおお子は危険よ」
クェス「嫌にゃ女。お゙ぉおォおん前がいぃにゃければアムロのぉおお所にいぃられたのぉおおに」
チェーン「アムロのぉおお所ってぁあああ あぉのぉおお子が?」
ハサウェイ「クェス。降りて」
チェーン「ハサウェイ」
クェス「直撃。どきにゃしゃいぃにゃのお゙ぉおォおん、ハサウェイ」



原文

アムロ「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
シャア「四方から電波が来る」
アムロ「しかし革命の後では、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。だったら。」
シャア「私は世直しなど考えていない」
シャア「愚民どもにその才能を利用されている者が言う事か」

アムロ「そうかい」

みさくら語

アムロ「世直しのぉおおこと、知らにゃいぃんらにゃ。革命はひぃちゅもインテリが始めりゅが、夢みたいぃにゃ目標を持ってやりゅからいぃちゅも過激にゃ事しかやらにゃいぃ」
アムロ「しかし革命のぉおおぁあああ あぉとれは、気高いぃ革命のぉおお心らって官僚主義と大衆に飲み込まれてイっくぅぅふぅんから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いぃて世捨て人ににゃりゅ。らったら。」
シャア「四方から電波が来りゅ」
アムロ「しかし革命のぉおお後れは、気高いぃ革命のぉおお心らって官僚主義と大衆に飲み込まれてイっくぅぅふぅんから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いぃて世捨て人ににゃりゅ。らったら。」
シャア「私は世直しにゃど考えてへぇええぇ゙いぃにゃいぃ」
シャア「愚民どもにそのぉおお才能を利用しゃれていぃりゅ者が言う事か」

アムロ「そうかいぃ」



原文

シャア「私の勝ちだな。今計算してみたが、アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様らの頑張りすぎだ」
アムロ「ふざけるな。たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」
シャア「馬鹿な事はやめろ」
アムロ「やってみなければわからん」
シャア「正気か」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」
シャア「うわああ。アクシズの落下は始まっているんだぞ」
アムロ「νガンダムは伊達じゃない」

みさくら語

シャア「私のぉおお勝ちらにゃ。今計算してぇぇぇぇ゛みたが、アクシズのぉおお後部は地球のぉおお引力に引かれて落ちりゅ。貴様らのぉおお頑張りしゅぎら」
アムロ「ふじゃけりゅにゃ。たかが石っころひとちゅ、ガンダムれ押し出してぇぇぇぇ゛やりゅ」
シャア「バカ!バカ!まんこ!!にゃ事はやめろ」
アムロ「やってみにゃければわからん」
シャア「正気か」
アムロ「貴様ほお゛お゛っど急ぎしゅぎもしにゃければ、人類に絶望もしひゃいぃにゃいぃ」
シャア「うわぁあああ あぉぁあああ あぉ。アクシズのぉおお落下は始まっていぃりゅんらぞ」
アムロ「νガンダムは伊達に゛ゃにゃいぃ」



原文

シャア「命が惜しかったら、貴様にサイコフレームの情報など与えるものか」
アムロ「なんだと」
シャア「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか。しかし、これはナンセンスだ」
アムロ「馬鹿にして。そうやって貴様は永遠に他人を見下すことしかしないんだ」

みさくら語

シャア「命が惜しかったら、貴様にサイコフレームのぉおお情報にゃど与えりゅものぉおおか」
アムロ「にゃんらと」
シャア「情けにゃいぃモビルスーツと戦って勝ちゅ意味がぁあああ あぉりゅのぉおおか。しかし、これはナンセンスら」
アムロ「バカ!バカ!まんこ!!にしてぇぇぇぇ゛。そうやって貴様は永遠に他人を見下しゅことしかしにゃいぃんら」



原文

シャア「そうか。しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ。それをわかるんだよ。アムロ」
アムロ「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
シャア「ふん。そういう男にしてはクェスに冷たかったな。え。」
アムロ「俺はマシーンじゃない。クェスの父親代わりなどできない。だからか。貴様はクェスをマシーンとして扱って」
シャア「そうか。クェスは父親を求めていたのか。それでそれを私は迷惑に感じてクェスをマシーンにしたんだな」
アムロ「貴様ほどの男がなんて器量の小さい」
シャア「ララァスンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか」
アムロ「お母さん。ララァが。うわっ」

みさくら語

シャア「そうか。しかしこのぉおおぁあああ あぉたたかしゃを持った人間が地球しゃえ破壊しゅりゅんら。それをわかりゅんらよ。アムロ」
アムロ「わかってりゅよ。らから、世界に人のぉおお心のぉおお光を見せにゃけりゃにゃらにゃいぃんらろ」
シャア「ふん。そういぃう男にしてぇぇぇぇ゛はクェスに冷たかったにゃ。え!
アムロ「俺はマシーンに゛ゃにゃいぃ。クェスのぉおお父親代わりにゃどれきにゃいぃ。らからか。貴様はクェスをマシーンとしてぇぇぇぇ゛扱って」
シャア「そうか。クェスは父親を求めていぃたのぉおおか。それれそれを私は迷惑に感じてクェスをマシーンにしたんらにゃ」
アムロ「貴様ほお゛お゛っどのぉおお男がにゃんて器量のぉおお小しゃいぃにゃのお゙ぉおォおん」
シャア「ララァスンは私のぉおお母ににゃってくれりゅかもしれにゃかった女性ら。そのぉおおララァを殺したお゙ぉおォおん前に言えたことか」
アムロ「お゙ぉおォおん母しゃん。ララァが。うわっ」



おわりに

「逆襲のシャア」の魅力の一つは、キャラクター同士の掛け合いである。
アムロとシャアという表裏一体の存在ともいえる二人がお互い言い争い、そして物語は終わる。
言葉の面白さ、キャラクターの掛け合いの面白さを存分に味わえる作品である。
 
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[ 2014/03/02 20:02 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

「僕は友達が少ない」と「逆襲のシャア」の意外な共通点-「え?なんだって?」 

「え?なんだって?」は「僕は友達が好きない」の
主人公である羽瀬川小鷹が使ったことで有名になった言葉だ。

ニコニコ大百科では「え?なんだって?」を以下のように説明している。

1 声が小さい、周囲の雑音が大きい、他の事に集中していた、ボーッとしていた等の理由で相手の台詞がよく聞き取れなかった時に、相手の発言が何だったのかを聞き返す場合。
2 相手の台詞が聞こえていたにも関わらず、聞き取れなかった振りをして誤魔化す場合。
出典:ニコニコ大百科-単語記事: え?なんだって?

周りの空気を壊したくない、羽瀬川小鷹というキャラクターを象徴する台詞だろう。

nanndatte1000.jpg
(※僕は友達が少ないNEXT11話)

この「え?なんだって?」だが、言葉は違えども
25年前に同じような感じで「僕は友達が少ない」に先駆けて使われていた作品がある。

それは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」である。

「逆襲のシャア」では「え?なんだって?」がどのように使われていたのだろうか。
それはケーラがリガズィで出撃する時に恋人のアストナージが見送るシーンだ。
ここではケーラとアストナージの間に以下のような会話が繰り広げられる。

nanndatte000.jpg
(※機動戦士ガンダム 逆襲のシャア)


アストナージ「ケーラ。とっておきのサラダ、作っとくからな」
ケーラ「愛しているよ」「リ・ガズィ行きます」
アストナージ「なんて言った?」

ケーラの「愛している」は出撃時の周りの騒音でアストナージには聞こえなかった。
だからニコニコ大百科の2にあるような、聞き取れないフリをしているわけではなく
1の周囲の雑音が大きいために聞き返したパターンだと思う。

小鷹の「え?なんだって?」はニコニコ大百科の2の使い方で有名になったが
1の本当に聞こえなかった場合もあるので、
その点では羽瀬川小鷹とアストナージの使い方は同じといえる意味で、
両者には意外な共通点があったことを思い知らされた。
 
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[ 2014/02/12 20:47 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

話数単位で選ぶ「機動戦士Zガンダム」5選 

はじめに

自分の好きなアニメから、好きな話数を選ぶことについて語ってみたい。
こうした試みは面白いと私は思う。

こういう試みのキッカケは「話数単位で選ぶ、○○年TVアニメ10選」という
その年の好きなアニメ作品を10本選ぶ企画だ。
これを作品単位に置き換えたものだとイメージしてほしい。

上記の企画は毎年行われているが、
一つのアニメの○選も見てみたいという気持ちが出てきた。

例えば4クールアニメは、話数が多いから自分の好きな回を選びやすい思うし、
あるアニメの5選をみんなで発表することで、見方や好みがわかってくるのもまた面白い。

例として昨日は、ドキドキプリキュアで

こんなツイートをしてみた。
基準としては、内容的にぶっ飛んでいる回と、
後半の高橋ナツコさん脚本回を中心にして選んでみた。

さてこの記事では「話数単位で選ぶ『機動戦士Zガンダム』5選」を選んでみたい。

話数単位で選ぶ「機動戦士Zガンダム」5選

①39話「湖畔」

脚本:鈴木裕美子 絵コンテ・演出:川瀬敏文 作画監督:山田きさらか

私イチオシの「Zガンダム」の回。理由は名セリフが多いから。

まず、ジャミトフとバスクの会話のシーン。
ジャミトフ「マメな事だな。ロザミア・バダムの件か?」
バスク「はっ」
ジャミトフ「あれはいい女だ」

なぜか、ロザミアの事を「いい女だ」ろ話すジャミトフの真意はよくわからず。

他にも、
シロッコ「エゥーゴの中で、プレッシャーを強く感じる戦艦があります。お気をつけ下さい。」
ジャミトフ「シロッコ。貴公の許せんことは、自分以上に能力の高い者がいないと思っていることだ。バカにするな」

バスクのシロッコへ圧力をかけているが、
バスクの圧力などとタカを食ってる感じのシロッコがいい。

また、笑っているミネバを見て
ハマーン「ミネバ様が笑ってらっしゃる」

驚き過ぎのハマーン様が美しい。

あと展開的に、コロニーの中立地帯でハイザック2機と戦ってしまったことで
クワトロ大尉が地元の警察に連行されるオチが好き。
(さらに次回以降に連行後の結果については何一つフォローされていないのも好き)

②26話「ジオンの亡霊」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ:井内秀治 演出:本橋鷹王 作画監督:北爪宏幸

Zガンダムの中でもメカアクションが特に好きな回。
ギャプランがビームサーベルを取り出して、ガンダムMk-Ⅱに襲いかかる所、
Zガンダムとギャプランのアクションがそれぞれに目立つ。

ちなみにZガンダムで作画が目立つ回は、MSの影がワカメ影で描かれ
金田アクション的な動きが目立つ時が多い印象。
80年代の作画の流行がZガンダムでも反映されている形だと思う。この回も同様に。

③15話「カツの出撃」

脚本:丸尾みほ・斧谷稔 絵コンテ:横山広行 演出:関田修 作画監督:北爪宏幸

これから幾度も繰り返すことになる。カツ始めての記念すべき無断出撃回。

個人的な見所は、ギャプランが撃墜され乗っていたロザミアが脱出する姿をみて
カミーユが女が乗っていたとクワトロ大尉に報告した時の大尉の以下のセリフ。
クワトロ「誤解が生んだ想念が放出されたと思いたいが、気にするな」

とにかく、気にするなと伝えたいシャアの気持ちが素敵。
誤解が生んだ想念=女 放出=脱出、なのかも。
 
Zガンダムはこうした意味がわからない言い回しが面白い。

④19話「シンデレラフォウ」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ:甚目喜一 演出:平林淳 作画監督:北爪宏幸

定番中の定番回。カミーユとフォウ、お互いの気持ちがつながりそうな二人が
敵味方同士になってしまう展開、恋と戦争がホンコンという街で繰り広げられ、
ホンコンを陵辱するかのように破壊する巨大なサイコガンダムの姿もまた戦争の悲劇だ。

当時、東映の演出家だった佐藤順一さんがペンネームで絵コンテを切ったのは有名な話。
作画監督の北爪宏幸さん=フォウのイメージを決定的にした回の一つでもある。

⑤50話「宇宙を駆ける」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ・演出:川瀬敏文 作画監督:小林利充

リアルタイム放映では追っていない身としては
当時の感覚はわからないものの、伝え聞く限りも含めて、衝撃の最終回だったと思う。
そして主人公が精神崩壊して終わる世界を「現状認知」として描くラストには痺れる。

戦いが終わり、多くのキャラクター達が死に、寂しくなった世界を背に
ガンダムMK-2の残骸を見ていたファが
ファ「そうお前もアーガマに還りたいのね。」

と呟くのが印象的だ。
壊れた残骸のMS達が物語の終焉を否応になく感じさせるが、
「Zガンダム」は悲劇であることを感じずにはいられない最後だった。

おわりに

「Zガンダム」から5本を抜き出すのは困難だった。
それは、選んだ5本以外にも名挿話はあるからだ。
でも苦しんで選んでみてわかることもあると思った。

こうした「話数単位で選ぶ『○○』5選」みたいな企画は広まってほしいなぁと思う。
 
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[ 2014/02/05 21:39 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)