もし詩人・劇作家の寺山修司が生きていて、ロウきゅーぶを見たらどう思うのだろうか。
寺山がスポーツをどう見ていたか。その一例を紹介してみたい。
私はもっと素朴な一人の酒場のホステスの感想に耳を傾けたいと思う。
それは、
「サッカーのどこが好きかですって? タマが大きいからよ」
(中略)
サッカーのボールは、まぎれもなく大きい。だからゲームがどこを軸にして進んでいるかがよくわかる。一目見てわかるということも人気の因の一つに違いないのだが「タマが大きい」ということには、他のニュアンスもあるのだ。
大きいタマは男子的である。
それは性的時代の象徴であり、いかにも英雄的に見える。
そして、大きいタマこそは、世界を制するための条件の一つなのである。
寺山修司著「書を捨てよ町へ出よう」角川文庫 1976年
以上は寺山の著書からの引用だ。、
著書で寺山は、野球を引き合いに出しつつも
サッカーの人気の秘密をタマの大きさにあると指摘し
そのタマを足蹴りする所が魅力だと語っている。
そしてロウきゅーぶのバスケットは
サッカーよりも一回り大きいボールを使うスポーツだ。
野球からサッカーそしてバスケットとタマは大きくなってきている。
(参考)
サッカーボール:68~70cm(周囲)22cm(直径)410~450g(重量)
バスケットボール:74.9~78cm(周囲)24.5cm(直径)567~650g(重量)
※これは一般競技用の規格サイズであり、
ロウきゅーぶで使われているボールは。この規格よりも小さい可能性が高い。


自分たちの顔ほどのサイズがある、男子的であるタマを自在に使いながら、
智花達はバスケットボールをで汗をかき、友情を育む。
そんなタマを扱う少女達の汗を見守るのは年上の男(昴や昴の父親)である。
もしかするとロウきゅーぶは、バスケットボールという
手玉(タマ)を握られた男たちが、このタマを使う少女達を見守る物語なのかもしれない。
一方で少女達は、今回のミミが「私の初めて奪われた」というように
極めて性的とも捉えかねない自覚的な台詞を言う。
昴は少女達にタマを握られているのだ。
そんな昴はタマを取り返すのか、そのままでいるのか。
以上を踏まえると「やっぱり小学生は最高だぜ」という言葉がより意味深に聞こえてしまう。