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「セーラー服と機関銃」と「たまこラブストーリー」に共通する映画らしさ 

「セーラー服と機関銃」を見た。



散々言われているが、本作の長回し・望遠、魚眼レンズの使用・ロングショットetc。
相米慎二監督の若いキャリアの時にしかできないであろう縦横無尽なカメラワークと
最後まで見ると実は初恋と青春の物語であることがわかるのが面白かった。

この作品から感じた、若いキャリアの時にしかできないカメラワーク・演出、
そして初恋と青春の物語といったキーワードを思い浮かべていたら
あるアニメ映画を思い出した。「たまこラブストーリー」である。

「たまこラブストーリー」も山田尚子監督の望遠レンズを使った
カメラワークを含めて若い時にしかできないであろう数々の演出が印象的な作品。
そしてこの作品も初恋を取り扱っている。
両作品ともに一人の少女に強くスポットを当てて
初恋を通して少女の変化と脱皮を描いているようにも見える。

また「セーラー服と機関銃」「たまこラブストーリー」ともに
相米慎二、山田尚子ともに映画監督の2作目に当たるのも共通している。
余談だが2本目を撮る時は監督の「自分の撮りたい画」が明確化してくるのだろう。
これは押井守監督の2作目の映画「うる星やつらビューティフルドリーマー」にもいえる。

個人的には「セーラー服と機関銃」と「たまこラブストーリー」は
似ている部分を多く感じさせた作品だった。どちらも「青春映画」と括れるからだろう。
ただ結末として、初恋が成就する「たまこラブストーリー」と
そうではない「セーラー服と機関銃」という差はあるが。

そして「たまこラブストーリー」に対して言及されていた映画らしさは
「セーラー服と機関銃」と同質のものであったのかなぁと感じた。
監督が若い時にしか撮れないフィルムであり、
「青春映画」=望遠レンズを使うというのも含めて、
カメラで撮っている事を観る側に意識させるのが「映画的」ともいえるのだろう。
  
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[ 2014/08/13 10:03 ] たまこまーけっと | TB(0) | CM(4)

「たまこラブストーリー」の変化と恋を描く物語の傑作性について 

「たまこラブストーリー」を鑑賞。

たまこともち蔵の初々しい恋の物語を丁寧な所作と芝居で描ききった快作。
こんな気持ちになれた青春映画を見たのは久しぶりだった。

併映された「南の島のデラちゃん」のファーストカットが往年の松竹映画のパロディだが、
これは本編の「たまこラブストーリー」は往年の邦画のように作りたいという決心だろう。

そんな邦画的である事を表明する本作は、省略と抽象性を上げること、
つまりキャラクターの心情や動機を、事細かに言葉等で説明せず、
極めて淡々と物語を紡いでいた事で、往年の邦画的であろうとした作品だと感じた。

特に本作で良かったのが、物語の展開のさせ方、組み立て方、構成だ。
そこでこの記事では本作の構成、本作に登場するアイテムについて、
重要な役割を担ったキャラクター「常磐みどり」の役割について語りながら、
「たまこラブストーリー」全体を包括できるように語ってみたい。

※ネタバレ有りです。

ファーストカットについて

まず、本作のファーストカットが、宇宙から見た地球だったのには驚いた。
商店街と学校という、宇宙から見た地球から見れば、
とてもミニマムな場所で展開する物語だからである。

ただたまこの変化は、パンフレットにも書かれた通りに
「宇宙の入口」に立ったような感覚なのだ。
その事を表現するために、わざわざ宇宙から見た地球のカットを入れたのだろう。

「たまこラブストーリー」は変化を描く物語だという事を
強烈に突きつけたファーストカットだったとわかるシーンだ。

光る構成の妙について

次に、物語の構成について語ってみたい。
構成で上手いと思ったのが、キャラクターを自然に二人きりにさせたり
展開が自然に二転三転していくところである。

例えば、たまこの祖父の福がもちを詰まらせて倒れ、病院に搬送された時に
もち蔵の両親が、もち蔵がたまこに告白した事で、お互い話せなくなったのを察してか
あんこと豆大と先に帰り、もち蔵とたまこを二人きりにしたところ。
たまこともち蔵を二人きりにする舞台の整え方として、上手い組み立て方をしたと感じた。

次に物語のクライマックスにあたる、たまこが連絡網で翌日の学級閉鎖の件を聞いて、
学級閉鎖の件をもち蔵には伝えず、翌日に学校で登校するであろうもち蔵を待とうとしたら、
みどりが登場して、たまこに「もち蔵は東京に向かった」と話す一連の流れ。

たまこは学級閉鎖の件を、もち蔵に話さずに翌日学校へ行けば
何も知らないもち蔵は登校し、二人きりでたまこはもち蔵と話せるとたまこは考えたはずだ。
鑑賞者側も、たまこがもち蔵へ学級閉鎖の件を連絡しないと決断し、
翌日たまこが学校にいるシーンを見た時に、たまこの考えに気づくと思う。

しかし学校に現れたのは、もち蔵ではなくみどり。みどりはもち蔵は東京に向かったと告げる。
ここで、同じ事を考えているだろうたまこと鑑賞者が裏切る展開が上手い。
通常の展開をひとつ裏切ったあとに、みどりを登場させて、さらにどんでん返しを図る。
物語が二転三転させていく展開の上手さに、舌を巻いた。

また本作は、たまこともち蔵とその友人関係の物語は基本的には学校を中心に進め、
一方でたまこともち蔵の家族と商店街の人々の物語は、商店街で描くことで、
学校と商店街の二つの舞台を軸に、「変化」というキーワードを、
学校=わかりやすい変化がある場所、商店街=わかりやすく見えないが変化もある場所、
という対比のさせ方で描いたのも上手かったと思う。

アイテムの使い方、関連のさせ方について

以上のような、物語の展開や繋げ方も上手かったが、
物語内の個々のアイテムが物語の進行によって関連づけされていくのが上手かった。

まずは、糸電話とバトンという個々の小道具が繋がっていく展開。
「たまこラブストーリ-」ではバトン部のたまこはバトンをリリースした後に拾えず、
もち蔵が投げる糸電話もほとんどキャッチできないことが描写される

これは、変化を気にしていなかった(バトン)たまこの心情の表れともいえるし、
もち蔵の想いを受け取れない(糸電話)という見方もできる。

ただみんなの進路を聞き、もち蔵の告白によって、変化があることに気づくたまこ。
そしてもち蔵の告白を受け止めてからは、バトンが取れるようになり、
新幹線乗り場で、もち蔵からの糸電話をキャッチできたたまこ。
たまこの変化、相手の気持ちを受け取れることを表現するアイテムとしての
バトンと糸電話が、それぞれの場面で効果を発揮する瞬間を見るのは楽しかった。

次に「もち」と「もち蔵」について。

たまこはもちの事が好きで、新しいもちの商品を考案しているが、
最初はもち嫌いであり、もち好きになったのは亡くなった母親の影響であった事が語られる。
たまこが考えるおっぱいもちやおしりもちというのは、母への思慕表現なのかもしれない。

ただ、たまこがもちを好きになったキッカケが、実はもち蔵であった事を思い出す。
つまり元々意識していなかったが「もち」=「もち好き」=「もち蔵好き」だったのだ。
それがわかってから、たまこはもち蔵の事が最初から好きだったと自覚し
もち蔵への想いに応えようと考えを改める。
もちというアイテムと、もち蔵という名前が、関連付けられていく展開もまた面白かった。

たまこともち蔵を俯瞰し、後押しする常盤みどりの存在

本作は、たまこともち蔵の両想いな二人が、お互い声に出していえない気持ちを
お互い声に出して告白することで、二人の関係の変化、自身の変化を描いた作品だ。

そんな二人の関係を俯瞰しながら見て、時には苛立ち、時には後押ししたのが常盤みどりだ。

TVシリーズ2話で、みどりはたまこに対し、友達以上に想う感情表現を見せ
もち蔵のたまこへの想いに気づき、煮え切らない態度に苛立つ。
そして「たまこラブストーリー」では、みどりがもち蔵にたまこへの想いを
打ち明けることを後押しして、たまこに「今日もち蔵が話がある」事を伝えることで、
もち蔵はたまこに告白できた。みどりは重要な役割を果たしている。

そんなみどりはもち蔵が告白した事に対して、告白できないと思っていたので評価している。

一方でたまこに対しては、これまたもち蔵に気持ちを伝えられないので、
たまこに「もち蔵が今日転校する」という嘘をついてまで後押しをする。

おそらくみどりは、二人の関係の変化/発展を願っていた。
それ以上に二人の気持ちも察し、二人の関係の決着を願っていた。
それは、みどり自身がたまこやもち蔵に対する感情に決着をつけたい面もあったはずだ。

つまり、みどりもたまこともち蔵を後押しして、自身を変化させたかった。
だからたまこに嘘をつき、たまこが走ってもち蔵の元へ向かったのを見て、
二人の関係は変化するとわかったみどりは、かんなとともに走る。
このシーンを見た時に、みどりの何かが吹っ切れたと私は感じた。

序盤で進路を聞かれた時に、漠然と進学と答えたみどりだったが、
たまこともち蔵の関係を、誰よりも深く理解してフォロー役に回り
自分の気持ちを吹っ切った・変化させた点で、影の主役ともいえる存在感を発揮したと思う。

こうした作品内で、作品・物語をわかっているキャラクターが存在し、
物語の問題解決を後押しするのは、私個人的にはとても好きだ。

まとめ

想像以上に、しっとりとした物語の語り口とストイックな仕上がり。
ほぼコメディ無しでこんなに真面目に作ってしまったのかと驚いた。

そして、たまこを筆頭にみどり、かんな、史織、あんこを含めて
どの女の子達の仕草・動き・芝居には個性/違いがあり、
それぞれがそれぞれに可愛いのが表現できていたのが上手かった。
この辺りの作画面は京都アニメーションの強みが十分に出たと思う。

山田尚子さん・堀口悠紀子さん、吉田玲子さんが3人が揃った美少女アニメは強いと再確認。
山田さんの主導によるものであろう、キャラクターの会話劇の切り返し方、
決して飽きさせない(間が持つ)カメラの置き方、ダイナミックな走らせ方。
行き届いた演出による画面の面白さもにじみ出ていて、見ていて楽しかった。

何より、二人の淡い恋による変化を丁寧に描く展開と物語に好感が持てた青春映画。
恋と変化の変という文字は、漢字の部首に共通点がある意味で、
恋とは変わることでもあることもわかったし、
たまこまーけっとという作品が好きなことも再確認できた作品だった。

最後の新幹線の辺りのシーンは、うるっとしながら見ていた。

機会があれば、もう一度劇場で見たい作品だ。
 
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[ 2014/04/27 15:31 ] たまこまーけっと | TB(7) | CM(1)

たまこまーけっとは日常が非日常を取り込む物語~京都アニメーションが目指すもの~ 

はじめに

みどりさんが可愛かった、たまこまーけっと最終回。
結論からいうと、最終回を見て思ったのは
たまこまーけっとは、日常が非日常を取り込んだ話である。

この日常とは、たまことたまこの関係者全て、うさぎ山商店街であり
非日常とは、つまりデラという存在そのものであるとする。
つまりたまこまーけっとは、たまこ達うさぎ山商店街が、デラを取り込む話だということだ。
この事の意味を、京都アニメーションの他作品も含めて考えてみたい。

うさぎ山商店街から出られないデラ

私が日常が非日常を取り込む話だと感じたのは、
デラがうさぎ山商店街を去ろうと人知れず立ち去っていくのに
結局、たまこ達の元へ戻ってしまい、物語が終わる展開だからだ。

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(花の匂いを嗅ぎそのまま眠り、ダンボール箱に包まれ、たまこの元へ戻るデラ。)

デラは外へ出ようと自ら望んだのにも関わらず、運命はたまことデラを引き離さない。
さらにダメ押しでたまこに「初詣に行こう」と言われ「おしまい」の文字。
初詣以降が2期等があって今後描かなければ、
現状、たまこまーけっとの物語は、デラがたまこの元に留まることを選択したわけである。

商店街から抜け出したメチャ王子と、チョイさん

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対照的にチョイさんが、商店街に馴染みながらも商店街に出られたのは
チョイ・モチマッヅィという、たまこの大好きなもちを否定する名前であること。
また褐色肌という、たまこやもちとは違う色だったことと見立てると
彼らは結局うさぎ山商店街とは別世界に生きる存在だったと見ると面白いのではないか。

そして色という視点で考えると、デラが白いのには意味がある。
それは白いからこそ、もち(白)やたまこ(白)うさぎ山商店街(白)と親和性があり、
商店街に取り込まれるという必然性があるという意味合いにも見立てられる。
デラは商店街から逃げられない。
 
京都アニメーションが志向する日常+α

話を少し変える。

「けいおん!」以降の京都アニメーションの作品には
日常を舞台とする内容に+αを志向する傾向があると見ている。

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「氷菓」では、折木君やえるの日常で起こる物事を推理という+αな切り口で語られる。
折木君の推理がえるに新しいものを見せるという意味では、それが非日常的であるともいえる。

次の「中二病でも恋がしたい」では、勇太の日常に中二病に染まる六花が現れる。
そして中二病とありきたりの日常の境界線が描かれる。
「中二恋」では中二病が+αに相当すると思う。

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そんな「氷菓」「中二病でも恋がしたい」という二つを踏まえて、
たまこまーけっとは、デラという人語を解し喋る非現実な鳥が現れる。
まさに非日常そのものともいえるキャラクターを出してきた。
「氷菓」でも「中二恋」の+αでも、こんなに非現実的な存在はいない。
デラは京都アニメーションなりの日常+αに関して、一歩踏み出した存在だと思うし、
たまこと共にこの作品の世界観を担うキャラクターだ。

非日常(デラ)を取り込む日常(たまこ・商店街)

そんなデラは上記で述べたように、
たまこ達とうさぎ山商店街に取り込まれ物語は終わる。
つまり、デラという非日常をたまことうさぎ山商店街の日常は受け入れたのだ。
むしろ、たまこが別れを寂しがるよう、なくてはならない存在なのだ。
それは、繰り返すが、デラがたまこに戻ってきてしまったオチでわかる。
デラも日常になった、うさぎ山商店街の一員になったのだ。

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(デラの走るシーンは今シリーズのクライマックス)

こうした非日常を取り込み、日常にしてしまう意味では
日常という存在の強固さと強さを感じさせた作品が、たまこまーけっとである。

まとめ

改めて、京都アニメーションが非日常的な存在を直接登場させて
日常を描く事の意味を問い直した作品が、たまこまーけっとであったことがわかる。
押井守さんが自分の作品を「犬の視点で人間を描く」みたいな話をたまにするが
もしかするとたまこまーけっとは鳥の視点で人間を日常を描いた作品なのかもしれない。

そんなたまこまーけっとも終わり、
京都アニメーションは改めて日常の意義を本作を問いかけたわけだが、
これを踏まえて、

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「中二恋」の2期が、どういう日常+αを問題提起してくるのかが興味深い。
 
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[ 2013/03/28 20:00 ] たまこまーけっと | TB(48) | CM(0)

たまこまーけっと11話にみる、白と黒の関係性。 

今回、気になって仕方がなかったのは、
最後の最後で登場したメチャ・モチマッヅィ王子の格好。

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華やかな色どりなうさぎ山商店街に突如現れた
全身黒色の服に身にまとったその姿。
感情移入、他者の感情をはねのけてしまう黒い格好は、
メチャ王子の異物性を極度に強調したものに見えた。

またたまこまーけっとで、
こんな真っ黒なものが画面に出てきたのは、初めてではないだろうか。
まさに、うさぎ山商店街にやって来た黒船襲来といったところか。

今までのたまこまーけっとを振り返ると、建物の色味やキャラの格好を全てを含めて
鮮やかな明度の高い色彩で描かれたビジュアルを積み上げてきた。
しかし11話の最後で、良いイメージが先行して描かれていたような王子が
こうした姿をまとったのにはインパクトがあり、それゆえにこの黒には意味があるのだと思う。

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この黒には、予兆があった。
今回、チョイがデラの通信機能を使う際は部屋を暗いわけで、
暗い、つまり黒に近い空間が真っ黒を出す前フリとして示されていた。
また、今までも王子と通信する際のシーンは暗くされた部屋で行われていた。

名前もメチャ・モチマッヅイなわけで、たまこの餅屋とは正反対。

一方で、たまこ達は白を基調とする。もちも白いし、デラも白い。

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仮説なのだが、白とは光であり、光とは楽しさや明るさを意味するものなのかもしれない。
そんな白いもちやデラは、史織やあんこを救ってきた経緯もある。
そう考えると、白と対照的な黒は苦しさや、暗さを表すものなのかもしれない。

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(ちなみに糸電話は白い、そして夜は暗い=黒い)

黒が苦しみとするなら、今回の話がたまこが苦しむという話という意味で合致する。
つまり王子=黒がやってくる/お妃になるという展開に
白=たまこが苦しむというのはある種の必然なのかもしれない。

王子は、うさぎ山商店街に始めて現れた敵なのか?
白は黒に染まってしまうのか?
そんな予感を持ちながら、次回への引きとなった。
来週で最終回。どんな幕引きを迎えるのだろうか。期待したい。
 
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[ 2013/03/21 22:22 ] たまこまーけっと | TB(46) | CM(0)

たまこまーけっと10話における、みどりと史織の逆転する関係性と、みどりの脚描写の考察 

たまこまーけっと10話が良かった。
みどり好きな私にとっては、幸せな時間を過ごすことができた。
この作品にけいおんを求めていた人は、こういう話展開を望んでいたのではとふと思った。

今回、一番良かったのが、トイレのシーン。

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(10話)

踏ん切りがつかないみどりが、トイレで一歩踏み越えようと頑張ろうとしている姿は

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(3話)

以上の3話での史織さんが、たまこに自分の気持ちを打ち明ける描写と見事に対比している。
光の加減は違えど、カメラの置き方なども含め、レイアウトもほぼ同様にしている。

さらに、こうした10話のみどり、もしくは3話の史織の姿を見てしまうのが

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(10話)

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(3話)

以上のように、史織(10話)でありみどり(3話)なのだ。
これも、キャラを入れ替えてはいるが、レイアウトが同じ。
つまり3話と10話で、みどりと史織の両者の関係が逆転しているのだ。
この二人の立ち位置が、時が立ったことで逆転しているのはとても面白いと思う。

この後、10話では史織さんがたまこ含めたみんなに話して、みどりを救っていくわけだが、
3話でもみどりがキッカケで史織さんとの仲が良くなっていった。

つまり今回は物語が、時間が経てば、人が他人と同じような状況になるという話でもあった。
そして史織さんもみどりも、たまこによって救われるのまでも同じなのだ。

こうして、3話→10話と回をまたがっていても、
キャラクターの立ち位置を反転させることで、シリーズの連続性を感じさせる描写。
こうした繋がりを感じさせる演出がテレビシリーズの面白さの一つではないだろうか。

ちなみに3話、10話の絵コンテ・演出ともに小川太一さん。
小川さんのこの演出は狙っていたとしか思えない。
そんな小川さんは、トイレ(鏡)を自分の気持ちを整理する場所として使っているようだ。


また次に良かったのが、みどりの鼻水。

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鼻水まで出させたのは、中々突っ込んだ描写ではないかなと思った。
人はよほどの感情が極まっていないと、鼻水を出さないと思うので。
鼻水を出す描写自体が基本的には好き。

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このあと、たまこがみどりの顔をさわり、包み込む描写も良かった。
9話でも、他のキャラが顔をさわって親近感を描写するシーンがあったが、
こうした身体的接触があると、見ている側は素直に気持ちいいなぁと感じる。


そして今回は脚を見せる描写がとても多かった。

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バトン部みんなの楽しげな空間を演出する脚。

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みどりの困りつつある感じを徐々に表している脚。

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脚を上げてみたはいいものの、良いアイディアは浮かばず・・・
(ここはお腹が露出しているのも素晴らしい)

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喫茶店に入っての、マスターの言葉に真剣に接することを現す脚。

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そして、イベントが終わったあとにも脚を見せる。

以上のように、要所要所でみどりの感情を表現するために脚を使う描写が多かった。
監督の山田尚子さんが脚で感情表現を表すことが得意かつ好きなようなので
今回の絵コンテの小川さんが山田さんの思うところを上手く拾ってきたのかもしれない。

そんな、女性の脚は感情を見せるのに魅力的なものだと感じた。
みどりの頭の先から、脚の先まで存分に楽しませてもらった10話だった。
 
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[ 2013/03/14 07:26 ] たまこまーけっと | TB(57) | CM(0)

あんことユズキ、豆大の距離感から考える、たまこまーけっと9話 

豆大とひなこの初恋話。
そしてあんことユズキの初恋話。

世代は違えど、恋に苦しみ、悩みそして立ち向かっていく話。
そんな豆大やあんこを支えたのは、周りのみんな。

あんこの気持ちを知った、もち蔵は自分もモニョる傾向もあるから
同じ悩みを抱えるあんこを助けるし、たまこもたまこなりにあんこを後押しする。
みんな仲間だ。

豆大の過去は豆大以外は、詳しく描かれなかったが、
喫茶店のマスターは、豆大とひなこを
フォローしていたのかもしれないなんて考えると面白い。

そういう意味では、豆大やあんこの恋を生むキッカケとなり支えていたのは
「うさぎ山商店街」であったという見方もできるだろう。


今回は、あんことユズキ君の距離感がまず面白い。
最初は、あんこはユズキ君が店に買い物に来ても
直接、面を向き合うことができずにお互いの距離が遠い。
あんこは恋に悩んで動けず、ユズキ君との距離を縮められず、
そして、もち蔵はあんこからユズキ君の引越しを聞く。
ここでさらに距離感は遠くなる。

そんな、あんことユズキ君の間に、
物理的にも精神的にも距離をできるだけ離しておいて
最後に、あんこがユズキ君の家に、走って向かうことでググッと距離感が近くなる。

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あんこが走ることで生じる疾走感によって距離感がグッと縮む。
カタルシスが生じ、見ていて気持ちよかった。
レイアウト的にも、特にあんこが回るように走るシーンは
フレームに収まらない広い空間を用いることで、ダイナミズムを生み出していた。

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そしてあんことユズキ君が実際に出会い距離感を無くしたところで
ユズキ君は「引越ししても、たまやに買いに来る」という事で
お互いの距離感は消えるように無くなる展開。見事で気持ち良い流れ。


一方で、あんこが距離感を縮めるかと思いきや。
親父の豆大は過去の事が知れると、一人でみんなと外れた場所にいる。
映写機で過去のライブを映したシーンでは、彼は映像から視線を逸していたし、
一人でギターを弾いていたシーンも、豆大が一人みんなと距離を置こうとしたシーンである。
つまり、あんこの問題が解決すると、豆大とみんなの距離感を生む状況が生じたわけ。

それは豆大が一人で過去の自分を振り返りたい事の証でもあるのだろう。
さらにいえば、豆大のそばにはいつでもひなこがいるという事でもあるのだろう。
親も子も同じようなことで悩み、そしてうさぎ山商店街で生きていくのだ。


今回はとても面白かった。今までの中でもトップクラスかも。
木上さんっぽい作画的な見所が多かったので、クレジットを見たら三好さん。

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今回はかんなの餅つきを真似る所作や、チョイさんの踊りのシーンの作画が
動き的な密度がかなり高くてとても良かった。
また多くのキャラに見せ場があり、あんまし物語には絡んでいないとはいえ
みどりさんやかんなにも見せ場があって楽しかった。史織さんは回らなかった感じだが・・・

今回は豆大にも焦点が当たった話だが、
おそらく三好さん=木上さんはおそらく40代~50代の方だと推測できるので
もしかすると、豆大に自分の感情を寄り添ってコンテを切ったのかもしれない。
自分が豆大なら、こういう風な感じで行動するみたいな。
  
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[ 2013/03/07 07:24 ] たまこまーけっと | TB(50) | CM(0)

作り手の視線の注ぎ方から見たたまこまーけっと。 

たまこまーけっとの7話まで見て、
たまこまーけっとをけいおんと比較して思ったこと。

けいおんとたまこまーけっとの違いについて。
けいおんは、作り手がキャラクターの傍で観察しているような視線/画面で作られ
一方のたまこまーけっとは、作り手がたまこまーけっとという箱庭を作り
この作った箱庭の中を観察したような視線で作られている印象がある。

(※ここでいう作り手はあくまでアニメの制作者達に限定)

たまこのカラフルな部屋も、活気ある商店街も、銭湯も
まるで作り手によって巧妙に作られたよくできたジオラマの中で展開されているように思える。

逆にけいおんは、たまこまーけっとの各舞台のように
作り物感をあんまし出さずに、例えるならテレビドラマ的な空間で
キャラクターを見せていたようにも思える。


言い換えれば、けいおんは作り手がキャラクターに対等の視線を注ぎ
たまこまーけっとは、作り手が対等の視線をキャラに注いではいるが
元々自分達が一から作っているために、その視線が俯瞰的な印象を受ける。

けいおんが水平視線であるなら
たまこまーけっとは垂直視線(水平視線)が強いというか。

このけいおんとたまこまーけっとの違いは
原作有りアニメとオリジナルアニメの作られ方ともいえるし、
けいおんと違うコンセプトを狙っている製作/制作の表れかもしれない。

オリジナルアニメはやはりアニメの制作者が一からこしらえる為に
キャラ造形や設定・物語を作ってしまう側面が見え隠れする。
一方で、原作付きアニメは、まず原作という素材をどう咀嚼しアレンジするか。

こうした原作付きとオリジナルアニメの作られ方の差異が見られたのが
けいおんとたまこまーけっとを同じ棚において、自分なりに感じたことだった。
 
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[ 2013/02/22 12:32 ] たまこまーけっと | TB(1) | CM(1)

たまこまーけっと 5話はみどりともち蔵がたまこへの想いから衝突する展開を描く(感想) 

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みどりさんは可愛いですなぁ。
特に横顔が最高に魅力的。

今回はたまこへの想いを強く抱きつつ、
恋敵であるもち蔵と衝突しながら
夏の楽しいひと時を過ごす展開でした。

水属性なたまこと火属性のもち蔵/みどり、
みたいな見方で今回は見てみました。

 
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[ 2013/02/07 06:58 ] たまこまーけっと | TB(52) | CM(0)

たまこまーけっと 4話は恥ずがしがりやの北白川あんこを描いたハートフルなお話(感想) 

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感情的で、幼くて、でも想い人に会うと
恥ずかしくてなにもできなくなるあんこさん。
あんこさんメインの回でした。

何気に史織さんとたまこが親密になっていたりと
細かい進展が見られるのが面白かったです。
のどかなムードが好きな感じです。

 
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[ 2013/01/31 07:34 ] たまこまーけっと | TB(59) | CM(0)

たまこまーけっと 3話は朝霧史織の繊細な感情を描く心温まるお話(感想) 

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朝霧史織さんがたまこと急接近。
想いが伝えられない史織さんが四苦八苦します。

想いは人にちゃんと話さなければ伝わらない事。
想いを伝えることの大切さ、
想いは人に伝わることを感じさせた話でした。

演出の小川太一さんが上手すぎ。

 
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[ 2013/01/24 06:42 ] たまこまーけっと | TB(68) | CM(0)

たまこまーけっと2話の常磐みどりさんの淡い恋心について(感想) 

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常盤みどりさんが最高に可愛い。
けいおんの眞鍋和さん以来の衝撃かも。

今回は恋のイベントでもある
バレンタインに焦点を当てて
みどりさんの淡い恋心を描いていきました。
今回は牧野かんなさんも活躍!

 
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[ 2013/01/17 07:06 ] たまこまーけっと | TB(62) | CM(2)

たまこまーけっと、および山田尚子さんへの期待(1話感想) 

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京都アニメーションのオリジナルアニメ。
山田尚子さん、堀口悠紀子さん、吉田玲子さん。
けいおんの主要スタッフを揃えました。

舞台は商店街。
学校/サークルをメインに描いてきた京アニが
商店街をどう描くのか興味津々です。

 
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[ 2013/01/10 07:05 ] たまこまーけっと | TB(69) | CM(0)