庵野秀明の「メカと美少女」理論から見る宮崎駿の「風立ちぬ」の構造 

宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を鑑賞。

大まかにいえば、前半は零戦の設計者である堀越二郎の半生をベースに、
後半は堀辰雄の風立ちぬをベースにして
結核に犯された里見菜穂子とのラブロマンスを描いた作品だった。

また宮崎監督の前作の長編「崖の上のポニョ」では水と海を描いた作品であり
本作では、風と空を描いた作品になっていたのが面白かった。
さらにいえば「風立ちぬ」の水が「ポニョ」を踏まえた表現だったのが技術的に面白かった。

また堀越次郎の顔の骨格が「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐と似ていたので、
二郎をムスカの若かりし頃の時代の存在、もしくは生まれ変わりだと思えたので面白かった。

さて全体的に気になったのは、前半の堀越二郎の夢と仕事の物語が
後半では一転したかのようにラブロマンスに変わっていったのが気になった。

そもそもなぜ堀越二郎と堀辰雄という
全く別の二人をモデルにして一人のキャラにまとめなければならないのか。
この疑問を紐解くキーワードを探してみた。

それは「メカと美少女」である。
この言葉は、奇しくも風立ちぬの主役である庵野秀明氏が
師匠である宮崎駿監督を言及した際に用いた言葉である。
以下の庵野秀明氏へのインタビューを見てみよう。

庵野 いや~、もうそれは、アニメファンとかその辺の人のポピュラリティは、メカと美少女ですね。
小黒 行き着く先は、やっぱり「それ」ですか(笑)。
庵野 それが永遠のポピュラリティ。アニメファンの男にとってのポピュラリティは、それ以外には何もないわけでね。とにかくメカと美少女さえ出ていれば、基本はOKですよ。
(中略)
庵野 宮さん(宮崎駿)の時代から何も変わってない。宮さんだって、メカと美少女だよ。(中略)大月(俊倫)さんの分かりやすい企画のあれ……何だっけ、『(機動戦艦)ナデシコ』にしても、その後の『アキハバラ(電脳組)』にしても、もう「メカと美少女さえ出してればOK」っていうのが、丸分かりなんですよ。
小黒 そうですね。
庵野 アニメファンは、そういう分かり易いエサにも食いつくわけです。自分達がどんなに世間からバカにされているのか分かったとしても、これはもう変わらないと思うよ。彼らの求める興味の対象は。
小黒 庵野さん自身、分かっててもやっちゃうわけでしょ?
庵野 自分で。……う~ん、そうじゃないですかねえ。「これでもやってりゃいいんだ」っていうつもりは、ないんですけどね。それはもう、自分がオタクだからしょうがないわけですよ。自分もそうだから分かるけど、やっぱり、メカと美少女だと思うんですよ。
「庵野秀明のアニメスタイル」/『アニメスタイル』BT2000年4月号増刊)

以上のように、庵野氏は2000年頃に以上のような発言をしている。
この意図としては、アニメのポピュラリティは「メカと美少女」が担保していると指摘し
宮崎駿監督の時代から変わっていないと言い、
庵野氏も「メカと美少女」を自覚的に使っていると自己分析する。

この庵野氏が言う「宮崎さんの時代」とはいつの時代か。
推測するに、宮崎さんの初監督作品の1978年放映の「未来少年コナン」から
すでにメカと美少女のモチーフは徹底されていた。
庵野氏の「宮崎さんの時代」は、この頃(1978年)の事を言っているのだろう。
その後も宮崎監督は「メカと美少女」の第一人者として
「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「紅の豚」の作品を作り続けた。

この「メカと美少女」というモチーフは今でも日本のアニメを支えるポピュラリティだ。
例えば、ガンダム・エヴァなどの作品もこのモチーフに属する作品群である。
また今年放映のアニメでいえば「革命機ヴァルヴレイヴ」「彗星のガルガンディア」
「銀河機攻隊 マジェスティックプリンス」「ビビッドレッドオペレーション」などが
「メカと美少女」理論で支えられ作られた作品だろう。

そして「風立ちぬ」も「メカと美少女」理論でできた作品だ。
それは、本作のメカを担う部分として堀越二郎の半生を使い
美少女を担う部分として堀辰雄の「風立ちぬ」を使い、
この二つを足して「メカと美少女」としてまとめたのが宮崎駿監督の「風立ちぬ」である。

堀越二郎の半生だけではメカは成立するが、美少女が成立しない。
堀辰雄の「風立ちぬ」では美少女は成立するがメカが成立しない。
それであれば、この二つを足して
「メカと美少女」を成立させてしまうのが本作の構造なのである。

さすがに「メカと美少女」の第一人者だけあって
こうしたやり方は宮崎駿監督ならではの手法だと思う。
その反面、前半と後半でトーンが変わったように感じてしまう作用もあったのだと思う。

さらに主人公:堀越二郎の飛行機の設計に対する姿勢と
宮崎駿監督自身のアニメ制作(漫画映画制作)に対する姿勢をダブらせている。
本編では、飛行機の仕事は戦争に加担する「矛盾」
仕事のために結婚をする「矛盾」と語られていたが
この矛盾は宮崎監督のアニメを作る事で抱える矛盾でもあるのだろう。

そんな堀越二郎という主人公役に宮崎監督の弟子を自称する庵野秀明氏が担当する。
つまり監督自身を反映させたキャラを、監督の弟子に演技をさせる。
そして「メカと美少女」。構造だけを取り出すと、何とも凄い作品だ。

以上のように、「風立ちぬ」は宮崎駿監督らしい「メカと美少女」を
堀越二郎と堀辰雄の二人の掛け合わせで作ってしまった作品だ。
その意味で「メカと美少女」は70を過ぎた宮崎駿監督にとって切っても切れないモチーフのだ。
つまり「メカと美少女」こそが宮崎駿監督の永遠の夢なのだ(ムスカ談)。

それは、宮崎駿監督の自身の願望を反映させたキャラであろうカプローニが
二郎の夢の中で、たくさんの女性達と一緒に飛行機に乗っていたシーンでもわかる。
だから二郎の夢とカプローニは宮崎駿監督の夢でもある。

これらを踏まえて「風立ちぬ」は宮崎駿監督の夢が詰まった作品であり、
その夢の結晶を「メカと美少女」だと師匠を指摘した
庵野秀明氏が形にした作品なのだと思う。
 
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[ 2013/07/21 14:32 ] 風立ちぬ | TB(0) | CM(0)