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WHTE ALBUM2 3話の演出解説-電車によるキャラの感情表現の演出について 

はじめに

WHTE ALBUM2 3話を視聴。

今回は要所要所で登場する電車の使い方が、
キャラクターの感情を見事に表現していた点で面白かった。
そこで今回は電車の演出について紹介してみたい。

河川敷での春樹と雪菜の会話シーンで登場する電車

まず河川敷で春希が雪菜に対して、冬馬かずさについて語っているシーン。

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最初はお互い、同じ横線上で話し合っていたのだが、
春希が熱っぽくかずさについて語り始めると、
雪菜は立ち止まり、春樹と距離のズレが生じてくる。

このズレは、雪菜が自分が知らないかずさという存在を
春希が熱く語り始めたことに対する違和感の表明であり、
雪菜が立ち止まったのは、自分の感情に何か引っかかったからだろう。

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そしてカメラは春希の背中にカメラを付けてような感じで雪菜を映す。
カメラが引いた感じで雪菜を映す事で、
春希と雪菜の距離を大きく感じさせる描写。

春希とかずさの距離、春樹と雪菜の距離を視聴者にイメージさせる一連の描写。

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そんな二人の距離感が生じる中、
さらに雪菜の気持ちを断ち切るかのように、
電車が音を立てて通り過ぎ、画面はフェードアウトしていく。

上記の縦構図で引き気味なアングルで映された雪菜のショットから、
その次に横構図で電車が映されたショットという流れを踏まえると、
縦に運動性があった画面から、横に運動性を起こさせる電車を使う事で
見事なまでに雪菜の感情にしこりを残し、
雪菜の感情の流れを断ち切っていることがわかる。

そして雪菜は心にしこりが残ったからこそ、
かずさにアタックをかけられる事につながる、電車の演出のように感じた。

喫茶店での雪菜とかずさの会話が終わった後に登場する電車

次に雪菜とかずさの喫茶店のシーン。

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雪菜から勧誘を受け、一端は誘いを断ったかずさだが、
雪菜の態度や性格にインパクトと違和感を受けつつ、

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「苦手だ。ああいうやつ」というかずさの言葉とともに電車が再び登場する。
おそらく上で取り上げた電車と同じ場所を走っているものだろう。
ここでは、かずさの雪菜に対する心の違和感が電車と共に流れる、
言いかえればかずさの感情を電車が運んでいるようにも思える演出だ。

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そんなかずさの感情をのっけながらも、
次のカットでアイキャッチが挟まり、Aパートは終了。

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そしてアイキャッチからのBパートの最初は、
日が落ちたビル群の億で移動する電車のショット。

夕日の電車からアイキャッチ、
そして日が落ちたビル群の奥に映る電車という一連の時間軸の流れを
電車を使ってスムーズに繋げている。巧みだなぁと思う。

かずさの告白後に登場する電車-今回のクライマックス

Bパートでは雪菜の家で遊んでいた春希とかずさだが
雪菜家の家族問題が発生し、二人は雪菜家から帰ることになる。
ここでかずさは春希に軽音部に入りたいと伝える。
予想もしていない突然のかずさの告白に、戸惑う春希。

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春希の戸惑いに「5年早いね」と言い返し、歩き去るかずさ。

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ここで頬を染める春希。勧誘成功という当面の目的成就を達成し、
冷静沈着・合理的思考な主人公の顔が赤くなった意味でも、今回のクライマックスだ。
そんな中で、物語がここから本格的に動くのかを予感させるように電車が登場。

電車が春希の感情を代弁するかのように、かずさの方向へ突き進んだ見方もできるし、
電車という存在が物語を、何より二人の空間を劇的にさせる。
何より春希の感情の高ぶりが、電車の音とスピードで代弁されているかのようだ。

おわりに

電車が登場する場面は、キャラクターの感情に変化があり高ぶっている時だ。
そんなキャラクター達の心の揺れ動き、感情の高ぶりを電車が見事に表現していた。

毎回、演出的に見所が多く、また物語的な期待も抱かせるWHITE ALBUM2。
なかむらたけしさん原案のキャラクターが動く点でもこのアニメは見逃せない。
 
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[ 2013/10/20 09:55 ] WHITE ALBUM2 | TB(9) | CM(0)

WHTE ALBUM2 2話の演出解説―顔を映さない描写の意図とは 

はじめに

ホワイトアルバム2 2話を視聴。演出の見事さに舌を巻いた。
それはキャラクターの顔を見せない演出のこと。
今回はこの事について触れてみたい。

序盤・中盤で顔を見せない演出を積み上げる雪菜、春樹

まず序盤、中盤の春希と雪菜、もしくは雪菜を顔の映し方について見てみたい。

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ずっと見ていて気になっていたのが、雪菜の顔を映さないように
カメラの位置を低くして描写したものが多かったこと(顔を映すシーンももちろんある)

最初は、雪菜の下半身を見せたいサービスかと思っていたが、
雪菜の服の着替え以外は映し方が淡白な印象だ。つまり他の意図があると思った。

そんな顔を映さない描写を続けながら、
物語は雪菜が徐々に春希の説得や態度に心動かされながら、
雪菜の揺れ動く心を描いていたのも魅力的だった。

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例えば、春希が雪菜が八百屋で働いている事を知りながら
その事を知られていないと思っていた雪菜に突きつけた後の公園のシーン。
ここでも顔を映さない描写を使う。

ブランコを一生懸命漕ぎ、物理的に揺れ動いている雪菜。
この雪菜は自身の心の揺れ動きを表現しているかのようにも思える。
実際にこの後、雪菜は心の揺れ動きの決着をつけるため春希をカラオケに誘い、
最終的には春樹の誘いを受け入れるのだった。

顔を全く見せない少女の登場。劇的かつ自然な流れを作るための演出

さて顔を映さない意味は後半で明らかにされる。

物語は雪菜の勧誘には成功したが、問題はピアノの演奏者がいないこと。
そして部の隣で時折演奏されるピアノの演奏者に目をつけ勧誘したい流れに。
しかしピアノの奏者が誰なのかわからない。物語に謎が生まれる瞬間だ。

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そんなピアノの奏者がわからない状況。そんな中、春希が荷物を取りにクラスに戻った時、
顔を全く映さない新たな黒髪ロングの少女の登場。
ここでこの少女がおそらくピアノの奏者であることは想像がつく。
でも、春希は彼女に対し知人のような喋り方をする。どういうことだろう。

ここで雪菜の顔を映さない描写が多用されていた意味も少しわかってくる。
それは雪菜の顔を映さないことで、この少女の顔も全く映したくないようにするための
自然な流れを作りたかったのだろう。

もし雪菜の顔を見せる描写・ショットで今回の描写をずっと繋いでいると、
ここで黒髪ロングの少女をいきなり顔を見せない描写が極端に見えてしまう。
一方で黒髪ロングの少女の正体は、物語の展開的にまだ伏せておきたい。
だから顔を見せない。見せさない。映さない。
その為に雪菜の描写から顔を見せないショットを途中途中で挟み込んだのだろう。

かずさの登場

そんな物語はある確信に近づく中、下校する春希にピアノの音が聞こえてくる。
音楽室に戻る春樹。しかし音楽室は開かない。
そこで柔道の黒帯を命綱に壁づたいから音楽室に潜入する春樹。
しかし手を滑らし、絶体絶命に陥る。

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そんな春樹に手を差しのべた時に、ピアノの奏者の素顔がわかる。
ここで初めてかずさという言葉が登場し、
名前も顔と同様に巧妙に伏せられていたのだなぁと思い知らされる。これは脚本の上手さだ。

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つまりこの劇的、春樹の命があぶない状況下でかずさが手を差し伸べるというシーンで
始めてかずさが顔を見せることで、正体が暴かれるスケール感が見事に演出されている。

また顔を映さず、下半身を映していた描写の多用から一転し、
春希があずさの顔を見上げる構図を使ってくることで、
よりあずさの正体=顔がインパクトある見せ方になっている。
このカメラワークこそが演出だと、私は思う。

張り巡らせていた伏線

そしてよくよく見返してみると
実はかずさは、OP後のクラスで春樹達が話しているシーンできちんと映されていた。

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ここでかずさがクラスのドアの外やってきて、自分の机でうつ伏せになる。
この一連の動きの中でもあずさの顔はちゃんと伏せられている。
見返してみて、はじめてわかる伏線。顔は雪菜からではなくかずさから伏せられていたのだ。

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ただ次のクラスでの春樹の会話シーンではかずさが不在のため、
かずさがいたイメージが消えてしまう仕組みにもなっている。
ここで巧妙にかずさは最初に登場しているが、
中盤ではかずさの存在を意識させないように成功している。上手い。

まとめ

雪菜の顔を見せない演出は彼女の心の機敏を描く、
つまりは春樹の想いに応える描写として機能しつつ、
一方ではかずさの顔を伏せる自然な流れを作るためのものでもあった。
そして最後の最後でかずさの顔がでることで劇的な展開を作ることに成功した。

かずさの顔が明らかになることによって物語は次のステージに移行する。
その流れの一連を上手く作ったのが、今回の演出の上手さだった。
今回がとても面白かったことで、今後のWHITE ALBUMの展開により期待を抱いた。

今回のコンテは沼田誠也氏。
 
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[ 2013/10/13 09:47 ] WHITE ALBUM2 | TB(8) | CM(0)

WHITE ALBUM2 1話から、ここ10年のアニメにおける美少女ゲーム絵の再現性を振り返る 

WHITE ALBUM2 1話を視聴。

キャラクター原案のなかむらたけしさんの絵柄の再現度が高く
村様(なかむらたけしさんの愛称)のキャラ絵を見ているだけで眼福。

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特になかむらさんの特徴ともいえる
顔の頬から顎のラインにかけてのシャープな感じが
再現できているのが感動的。

「シンフォギアG」でも奮闘していた、
キャラクターデザイン・総作画監督の藤本さとるさん。
サブキャラクターデザイン・総作画監督の水上ろんどさんの仕事を存分に味わえた。

2009年にはなかむらさんの「ティアーズ・トゥ・ティアラ」もあったが、
2010年代になるとなかむらたけしさんの絵柄も
アニメ界で十分に再現できるのだなと感じると思った。

個人的には1990年代後半から2000年代中盤までにかけて
コンシューマーもしくはPCの美少女ゲームの絵を
どうアニメに再現・定着させるかという取り組みをしていた時期に見える。

特に2000年代初期は線量を含めて繊細かつ情報量が圧倒的に多い
その中でも再現が難しいと思っていたのは、
なかむらたけしさん、みつみ美里さん、甘露樹さんらの絵柄。
実際、ゲームの美少女絵をアニメで表現するには四苦八苦していた感じがする。

例えばなかむらたけしさん等が原画を手がけた
2001年の「こみっくパーティー」のキャラデザ・絵柄は、
アニメ的に動かしやすい・作劇しやすいものに解釈されていた。
他にも東映アニメーションの「kanon」が「顎アニメ」と言われていたことでもわかる。

2000年初期は美少女ゲームの絵は再現の方向性よりも
元絵の情報量を減らし、アニメ的に最適化されたデザインをしていたといえるだろう。
その中でも独自の解釈で検討したのが千羽由利子さんの「to heart」だと思う。

それが2005年ぐらいから
京都アニメーションの「Air」が示すように再現の方向性に舵を取るようになってきた。
また同時期に「こみっくパーティーRevolution」も
前のこみパとは違い、ゲームの絵を忠実に再現する方向性になった。

これは京都アニメーションなら、木上さん・荒谷さん・池田さんらを中心とした高い作画力、
「こみパRevolution」なら桂憲一郎さんのキャラクターデザイン力といった
力のあるスタッフに恵まれたという側面も大きいだろうし、
デザタル技術の進展によって撮影や仕上げでできる事が可能になった面もあるだろう。

そして2006年の甘露樹さんのキャラクターである「うたわれるもの」では
2009年の「ティアーズトゥティアラ」では中田正彦さんが
甘露さんやなかむらさんの絵を上手い解釈でデザインしていた。

2000年中盤以降は、美少女ゲームの絵をアニメでも再現できるようになってきたと思うし、
再現できることによって、アニメのさらなる可能性にも繋がっていると思うし、
美少女ゲームのファンをアニメに呼びこんできたのかもしれない。

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そんな美少女ゲームのような絵が見られるアニメの時代に突入しつつも、
それでもなかむらたけしさんのキャラクター原案の作品が
アニメで見られる・動くというのは、私にとってはフェイバリットなのだ。
 
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[ 2013/10/06 20:11 ] WHITE ALBUM2 | TB(11) | CM(0)