はじめに
「Wake Up Girls!」9話を視聴。
この作品が描き出す輪郭が自分の中でわかってきたのが良かった。
今回はこの作品が描くもの、輪郭について語りたいと思う。
震災と復興
まず9話で注目してしまうのは、気仙沼の描写。
今回はWUGのメンバーが気仙沼に行く話であり、
震災の被災地としての気仙沼を描いていた。

ちょうど3日後に震災から3年が経つ。
もしかすると放送時期を合わせてきてのこの回を用意したのかもしれない。
「Wake Up Girls!」は元々、震災の復興の一助として企画が開始されたという。
参考:
山本寛監督直撃 新作は「今の思いが全部詰まった“遺言”みたいな作品」そんな企画の発端の顔が出ていたのが、今回の気仙沼の描写だったと思う。
では被災地を通してこの作品は何を描くのか。
アイドルと人間、そしてWake Up
震災の被災地を通して描かれるのは復興であり、
その復興の姿を「Wake Up Girls!」の7人の少女に重ねて描くのだろう。
そして「Wake Up Girls!」は、
アイドルとしての成功を描く以上に、
人間として起きる物語を描く事に主眼が置かれている。

この事がわかるのは、今回語られた、真夢の過去話から。
「I-1クラブ」に所属していた頃の白木徹との顛末が描かれたが、
ここで「人間である前にアイドルである」という白木徹に対して
真夢は「いいえ、私たちはアイドルである前に人間です」だと答えるシーン。
この真夢の発言でわかるように、
アイドルである前に人間であることを選んだ真夢が「I-1クラブ」を抜け
「Wake Up Girls!」の活動を通して、人間として生きる物語なのだろう。
松田マネージャーのように有能には描かれない点。
須藤や佐藤マネージャーのような汚い大人を描く点。
他にもこの作品で描かれるキャラは、決して天才達ではなく
カリカチュアされつつも現実にいそうな人間の側面を描いている点でも、
この作品は人間を描きたいという面が見える。
その点で「Wake Up Girls!」はジャンルとしてはアイドルものであるが、
描きたいのはアイドルである前に存在する人間の姿なのだろう。
まとめ
タイトルから作品の輪郭を捉えてみると、
「Wake Up」という、起きるという言葉の意味を考えた時、
震災の復興が「Wake Up」つまり「起きる」という意味に掛かってくるのである。
7人の普通の少女達が人間として起きる、
目が覚める意味ではなく、自我と意志を持った人間として起きることを
この「Wake Up Girls!」は描きたいのだろう。
そんなアイドルユニット「Wake Up Girls!」を、
被災地の東北・仙台・気仙沼を舞台にして描きつつ、
彼女達の人間として生きる姿を通して、震災の復興の願いを託したのが
「Wake Up Girls!」という作品の輪郭なのだと思う。