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「セーラー服と機関銃」と「たまこラブストーリー」に共通する映画らしさ 

「セーラー服と機関銃」を見た。



散々言われているが、本作の長回し・望遠、魚眼レンズの使用・ロングショットetc。
相米慎二監督の若いキャリアの時にしかできないであろう縦横無尽なカメラワークと
最後まで見ると実は初恋と青春の物語であることがわかるのが面白かった。

この作品から感じた、若いキャリアの時にしかできないカメラワーク・演出、
そして初恋と青春の物語といったキーワードを思い浮かべていたら
あるアニメ映画を思い出した。「たまこラブストーリー」である。

「たまこラブストーリー」も山田尚子監督の望遠レンズを使った
カメラワークを含めて若い時にしかできないであろう数々の演出が印象的な作品。
そしてこの作品も初恋を取り扱っている。
両作品ともに一人の少女に強くスポットを当てて
初恋を通して少女の変化と脱皮を描いているようにも見える。

また「セーラー服と機関銃」「たまこラブストーリー」ともに
相米慎二、山田尚子ともに映画監督の2作目に当たるのも共通している。
余談だが2本目を撮る時は監督の「自分の撮りたい画」が明確化してくるのだろう。
これは押井守監督の2作目の映画「うる星やつらビューティフルドリーマー」にもいえる。

個人的には「セーラー服と機関銃」と「たまこラブストーリー」は
似ている部分を多く感じさせた作品だった。どちらも「青春映画」と括れるからだろう。
ただ結末として、初恋が成就する「たまこラブストーリー」と
そうではない「セーラー服と機関銃」という差はあるが。

そして「たまこラブストーリー」に対して言及されていた映画らしさは
「セーラー服と機関銃」と同質のものであったのかなぁと感じた。
監督が若い時にしか撮れないフィルムであり、
「青春映画」=望遠レンズを使うというのも含めて、
カメラで撮っている事を観る側に意識させるのが「映画的」ともいえるのだろう。
  
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[ 2014/08/13 10:03 ] たまこまーけっと | TB(0) | CM(4)

「たまこラブストーリー」の変化と恋を描く物語の傑作性について 

「たまこラブストーリー」を鑑賞。

たまこともち蔵の初々しい恋の物語を丁寧な所作と芝居で描ききった快作。
こんな気持ちになれた青春映画を見たのは久しぶりだった。

併映された「南の島のデラちゃん」のファーストカットが往年の松竹映画のパロディだが、
これは本編の「たまこラブストーリー」は往年の邦画のように作りたいという決心だろう。

そんな邦画的である事を表明する本作は、省略と抽象性を上げること、
つまりキャラクターの心情や動機を、事細かに言葉等で説明せず、
極めて淡々と物語を紡いでいた事で、往年の邦画的であろうとした作品だと感じた。

特に本作で良かったのが、物語の展開のさせ方、組み立て方、構成だ。
そこでこの記事では本作の構成、本作に登場するアイテムについて、
重要な役割を担ったキャラクター「常磐みどり」の役割について語りながら、
「たまこラブストーリー」全体を包括できるように語ってみたい。

※ネタバレ有りです。

ファーストカットについて

まず、本作のファーストカットが、宇宙から見た地球だったのには驚いた。
商店街と学校という、宇宙から見た地球から見れば、
とてもミニマムな場所で展開する物語だからである。

ただたまこの変化は、パンフレットにも書かれた通りに
「宇宙の入口」に立ったような感覚なのだ。
その事を表現するために、わざわざ宇宙から見た地球のカットを入れたのだろう。

「たまこラブストーリー」は変化を描く物語だという事を
強烈に突きつけたファーストカットだったとわかるシーンだ。

光る構成の妙について

次に、物語の構成について語ってみたい。
構成で上手いと思ったのが、キャラクターを自然に二人きりにさせたり
展開が自然に二転三転していくところである。

例えば、たまこの祖父の福がもちを詰まらせて倒れ、病院に搬送された時に
もち蔵の両親が、もち蔵がたまこに告白した事で、お互い話せなくなったのを察してか
あんこと豆大と先に帰り、もち蔵とたまこを二人きりにしたところ。
たまこともち蔵を二人きりにする舞台の整え方として、上手い組み立て方をしたと感じた。

次に物語のクライマックスにあたる、たまこが連絡網で翌日の学級閉鎖の件を聞いて、
学級閉鎖の件をもち蔵には伝えず、翌日に学校で登校するであろうもち蔵を待とうとしたら、
みどりが登場して、たまこに「もち蔵は東京に向かった」と話す一連の流れ。

たまこは学級閉鎖の件を、もち蔵に話さずに翌日学校へ行けば
何も知らないもち蔵は登校し、二人きりでたまこはもち蔵と話せるとたまこは考えたはずだ。
鑑賞者側も、たまこがもち蔵へ学級閉鎖の件を連絡しないと決断し、
翌日たまこが学校にいるシーンを見た時に、たまこの考えに気づくと思う。

しかし学校に現れたのは、もち蔵ではなくみどり。みどりはもち蔵は東京に向かったと告げる。
ここで、同じ事を考えているだろうたまこと鑑賞者が裏切る展開が上手い。
通常の展開をひとつ裏切ったあとに、みどりを登場させて、さらにどんでん返しを図る。
物語が二転三転させていく展開の上手さに、舌を巻いた。

また本作は、たまこともち蔵とその友人関係の物語は基本的には学校を中心に進め、
一方でたまこともち蔵の家族と商店街の人々の物語は、商店街で描くことで、
学校と商店街の二つの舞台を軸に、「変化」というキーワードを、
学校=わかりやすい変化がある場所、商店街=わかりやすく見えないが変化もある場所、
という対比のさせ方で描いたのも上手かったと思う。

アイテムの使い方、関連のさせ方について

以上のような、物語の展開や繋げ方も上手かったが、
物語内の個々のアイテムが物語の進行によって関連づけされていくのが上手かった。

まずは、糸電話とバトンという個々の小道具が繋がっていく展開。
「たまこラブストーリ-」ではバトン部のたまこはバトンをリリースした後に拾えず、
もち蔵が投げる糸電話もほとんどキャッチできないことが描写される

これは、変化を気にしていなかった(バトン)たまこの心情の表れともいえるし、
もち蔵の想いを受け取れない(糸電話)という見方もできる。

ただみんなの進路を聞き、もち蔵の告白によって、変化があることに気づくたまこ。
そしてもち蔵の告白を受け止めてからは、バトンが取れるようになり、
新幹線乗り場で、もち蔵からの糸電話をキャッチできたたまこ。
たまこの変化、相手の気持ちを受け取れることを表現するアイテムとしての
バトンと糸電話が、それぞれの場面で効果を発揮する瞬間を見るのは楽しかった。

次に「もち」と「もち蔵」について。

たまこはもちの事が好きで、新しいもちの商品を考案しているが、
最初はもち嫌いであり、もち好きになったのは亡くなった母親の影響であった事が語られる。
たまこが考えるおっぱいもちやおしりもちというのは、母への思慕表現なのかもしれない。

ただ、たまこがもちを好きになったキッカケが、実はもち蔵であった事を思い出す。
つまり元々意識していなかったが「もち」=「もち好き」=「もち蔵好き」だったのだ。
それがわかってから、たまこはもち蔵の事が最初から好きだったと自覚し
もち蔵への想いに応えようと考えを改める。
もちというアイテムと、もち蔵という名前が、関連付けられていく展開もまた面白かった。

たまこともち蔵を俯瞰し、後押しする常盤みどりの存在

本作は、たまこともち蔵の両想いな二人が、お互い声に出していえない気持ちを
お互い声に出して告白することで、二人の関係の変化、自身の変化を描いた作品だ。

そんな二人の関係を俯瞰しながら見て、時には苛立ち、時には後押ししたのが常盤みどりだ。

TVシリーズ2話で、みどりはたまこに対し、友達以上に想う感情表現を見せ
もち蔵のたまこへの想いに気づき、煮え切らない態度に苛立つ。
そして「たまこラブストーリー」では、みどりがもち蔵にたまこへの想いを
打ち明けることを後押しして、たまこに「今日もち蔵が話がある」事を伝えることで、
もち蔵はたまこに告白できた。みどりは重要な役割を果たしている。

そんなみどりはもち蔵が告白した事に対して、告白できないと思っていたので評価している。

一方でたまこに対しては、これまたもち蔵に気持ちを伝えられないので、
たまこに「もち蔵が今日転校する」という嘘をついてまで後押しをする。

おそらくみどりは、二人の関係の変化/発展を願っていた。
それ以上に二人の気持ちも察し、二人の関係の決着を願っていた。
それは、みどり自身がたまこやもち蔵に対する感情に決着をつけたい面もあったはずだ。

つまり、みどりもたまこともち蔵を後押しして、自身を変化させたかった。
だからたまこに嘘をつき、たまこが走ってもち蔵の元へ向かったのを見て、
二人の関係は変化するとわかったみどりは、かんなとともに走る。
このシーンを見た時に、みどりの何かが吹っ切れたと私は感じた。

序盤で進路を聞かれた時に、漠然と進学と答えたみどりだったが、
たまこともち蔵の関係を、誰よりも深く理解してフォロー役に回り
自分の気持ちを吹っ切った・変化させた点で、影の主役ともいえる存在感を発揮したと思う。

こうした作品内で、作品・物語をわかっているキャラクターが存在し、
物語の問題解決を後押しするのは、私個人的にはとても好きだ。

まとめ

想像以上に、しっとりとした物語の語り口とストイックな仕上がり。
ほぼコメディ無しでこんなに真面目に作ってしまったのかと驚いた。

そして、たまこを筆頭にみどり、かんな、史織、あんこを含めて
どの女の子達の仕草・動き・芝居には個性/違いがあり、
それぞれがそれぞれに可愛いのが表現できていたのが上手かった。
この辺りの作画面は京都アニメーションの強みが十分に出たと思う。

山田尚子さん・堀口悠紀子さん、吉田玲子さんが3人が揃った美少女アニメは強いと再確認。
山田さんの主導によるものであろう、キャラクターの会話劇の切り返し方、
決して飽きさせない(間が持つ)カメラの置き方、ダイナミックな走らせ方。
行き届いた演出による画面の面白さもにじみ出ていて、見ていて楽しかった。

何より、二人の淡い恋による変化を丁寧に描く展開と物語に好感が持てた青春映画。
恋と変化の変という文字は、漢字の部首に共通点がある意味で、
恋とは変わることでもあることもわかったし、
たまこまーけっとという作品が好きなことも再確認できた作品だった。

最後の新幹線の辺りのシーンは、うるっとしながら見ていた。

機会があれば、もう一度劇場で見たい作品だ。
 
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[ 2014/04/27 15:31 ] たまこまーけっと | TB(7) | CM(1)

「革命機ヴァルヴレイヴ」の悪意。そして何が革命されたのか 

革命機ヴァルヴレイヴ最終話を視聴。

今回の記事では、本編で描かれた「悪意」とタイトルにも使われる「革命」について考察する。

まず「悪意」について。

冒頭、エルエルフがジオール総統の喉元を切り裂き、ドルシア総統がマギウスである真実は
一時は世界を暴いてみせたが、「101人評議会」の情報操作によって隠蔽される。
まるでドルシア総統の傷口が塞がるように隠蔽される。

一方、その後に起こった各地のクーデターは「101人評議会」によれば真実もあったようだが、
デマゴギーによる悪意ある扇動が主であったようだ。
この嘘にまみれた扇動の方がエルエルフ達の行動より「101人評議会」を恐怖させた。
(※この蜂起もエルエルフの情報がキッカケではあったが)

つまりヴァルヴレイヴ最終話は、真実より嘘も含まれた悪意の方が
人々を動かしてしまう(悪意の拡散)ことを描いていた。
こうした人々の悪意を上手くヴァルヴレイヴは上手く拾ったと思う。
執拗に行われたSNS描写もこの悪意を表現するツールなのだろう。


またハルトがカイン達を諦めたもの達と断じ、
自分たちの正しさを訴えつつ、最終的にカインを倒すことについて。
カインを倒した後に待っていたのは、魔女狩り的なマギウス虐殺などの社会的混乱。
こうした描写は、ハルトが信じる正義に対する相対的な描写だと感じた。
ハルトは完全に正しくはないのだと。

ただハルトの正義が否定されたわけではない。
ハルト達の短い歴史の中では混乱をもたらしたが、
その後に第三銀河帝国の礎となる意味では、
長い歴史の上では、石像に象徴されるように英雄になったといえるのかもしれない。

おそらく本作のタイトルにも使われる「革命」とは何かを考えた時に、
それは、短いの歴史の中では混乱ではあるが、
長い歴史からみれば新しい世界の礎になることを意味するのだろう。
だからこそ、歴史的見地に立つことがハルト達の行動を是とできる意味で、
物語の結末は200年後の舞台に移ったのだろう。

この舞台に移った意味において、
実はヴァルヴレイヴの物語が200年生き抜いたサキ達による語りだったことは、
本作が口承文学的な構造を有していたともいえるのかもしれないと思った。

そして「革命機ヴァルヴレイヴ」において何が革命されたかといえば、
世界がジオール主導から第三銀河帝国になったこともあるだろうが、
それ以上に、「ニンゲンヤメマスカ」と問いかけた一号機が
「ニンゲンシンジマス」という問いに変化したこと。
またこの問いにYESと答えたであろうショーコがカミツキの道を選んだこと。

ハルトの命懸けの行動が、ショーコを動かし、
人と人以外の存在の融和というハルトの意志を継ぎたいからこそカミツキになった。
最初はカミツキを否定したこのショーコの変化こそ「革命」といえるのではないか。
だからこそ、最後は異星人との対話で物語が締めくくられたのではないだろうか。
 
「ヴァルヴレイヴ」はタイトル通りに
ヴァルヴレイヴという機体を通して「革命」を描いた作品だったと思う。
 
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のんのんびより8話はベルセルクである 

のんのんびより8話に出てくる干し柿、

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通称カキジロウを湯掻いているシーンを見ていたら

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三浦建太郎さんの漫画「ベルセルク」に出てくる
アイテムであるベヘリットの姿を彷彿とさせた。

平穏なのんのんびよりの世界に、
あの恐ろしいベルセルクの蝕が来るかと思うと気が気でならない。

のんのんびよりの世界で誰がグリフィスで、誰がガッツに相当するのか。
のんのんびよりの4人の内誰がゴッドハンドに転生するのか。むむむ。

この世界には人の運命をつかさどる何らかの超越的な「律」神の手が存在するのだろうか 少なくとも人は自分の意志さえ自由には出来ない(剣風伝奇ベルセルク1話ナレーションより)

 
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[ 2013/11/27 22:48 ] のんのんびより | TB(13) | CM(0)

「アウトブレイク・カンパニー」 8話のドラゴンクエストをペトラルカの心情に組み込んだ演出解説 

アウトブレイク・カンパニー 8話は、ドラクエネタが良かった。

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※ラダトーム城周辺を参考にしたフィールド。

今回は、慎一とペトラルカが引きこもる展開。
そんな引きこもりの二人がやっていたのは
「ドラゴンクエスト1」を模したかのようなゲームだ。
中盤以降、このドラゴンクエストっぽいゲームが
効果的に物語に絡み合う。

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まず小ネタ的な見所を挙げてみる。

このゲーム画面中に出ているラウラという単語もグッドチョイス。
これも元ネタはドラゴンクエストのラダトーム城のお姫様「ローラ姫」。
ラウラは英語圏だと「ローラ」とも読める単語。つまりラウラ=ローラである。

後はパラメータがレベル30でEが65535になっているのも再現度が高い。
(※ドラクエ1は最大レベルが304でE(経験値)のカンストが65535だから。)


そして物語と絡み合う点について挙げてみる。

まず二人がゲームをやっている時に流れているBGMは、
ドラゴンクエストだとラダトーム城で流れる曲名も同じ「ラダトーム城」を模している。
短い曲なので本編場でもループするのだが、これが二人の引きこもり生活とマッチングし、
この短いループが上のキャプの「そんな ひどい…」が続くループとシンクロする。

有名な話だが、ドラゴンクエスト1ではローラ姫の問いで
「はい」か「いいえ」を選択することになるが「いいえ」と選ぶと
「そんな ひどい…」と返され、問いの最初に戻され、再び質問される。
「いいえ」と選ぶ限り「そんな ひどい…」がエンドレスにループされる仕様。
このループをアウトブレイク・カンパニーでもやっているのだ。

つまり音楽のループとゲーム画面の「そんな ひどい…」のループが
ペトラルカが、ひきこもり生活から抜け出せないループを表現しているのだ。
だから「いいえ」を選ぶペトラルカは、まともに生きる事を拒否する態度でもある。

ここでドラゴンクエストを小ネタで使っているだけではなく、
きちんと作品の、キャラクターを描く表現に落とし込まれているのが上手かった。

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※ドラゴンクエスト1のEDシーンを模したゲーム画面。

そしてゲームは最後を迎える。
ここでペトラルカは「はい」を選び、
「いいえ」のスパイラルから抜け出す。

ドラゴンクエスト1では、ここで「はい」を選んだあと、
主人公とローラ姫は自分たちの国を作るために旅立つ。

引きこもり生活から元の生活、新しい世界へ。
ここでもゲームの選択が、ペトラルカの選択とシンクロする。

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そしてゲームがここでEDを迎えたわけだが、
家臣たちの事を考える余裕もでき、
ペトラルカもゲームの選択ではなく、
自ら行動に出て、引きこもりからの脱却を志す。

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ゲームの終わり、ゲームクリアと共に
ペトラルカは扉を開け、引きこもり生活を終わらせる。
この扉を開けるのが、今回のクライマックスだったと思う。

思うに、ペトラルカにとって引きこもり生活とは
ドラゴンクエストのようなゲームだったのかもしれない。

そしてゲームにはゲームクリア、終わりが訪れる。
そんなペトラルカは引きこもり生活を通して、一歩前に進むという話を
ドラゴンクエストみたいなゲームを使って今回は表現したのだろう。

まとめ

私が見てきたアニメの中で、本作ほど「ドラゴンクエスト」を
上手く使った作品に出会ったのは始めてだった。(他にもあるかもしれない)

ただのネタやパロディではなく、物語に組み込まれた演出。
ドラゴンクエストが持っている雰囲気を
上手くペトラルカの心情を描くものとして使われていたのが良かった。

また、ファンタジー世界でオタクな日本人がオタク文化を広める
アウトブレイク・カンパニーという作品で
和製ファンタジーゲームの代表的な作品「ドラゴンクエスト」が
ペトラルカに広めていた点でも面白かった。
 
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「ワルキューレロマンツェ」7話の和傘・風車・小麦粉の性的モチーフの演出解説 

ワルキューレロマンツェ 7話が面白かった。

今回は、スィーリア先輩と茜が風車の中で衣服を失い
裸で右往左往するエロ展開が素晴らしかった。

最初はここまでのエロ展開が予想できなかったが、
この展開のヒントは実は、2カット目に提示されていたのだ。

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それは上の和傘のカットだ。

このカットは本編2カット目のカット。
その前のファーストカットは茜の顔を映すカットだったが、
その次はこの生花で使う和傘を俯瞰で映したカットだ。

この和傘をよく見てみると「おっぱい」をイメージしているのがわかる。
石突は乳首を表現し、円形の傘はおっぱいの形を表しているようにも見える。
つまり今回はエロ展開をやりますという宣言が、この和傘を映すカットだったのである。

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次にスィーリア先輩と茜がエロを繰り広げる舞台になった
風車は、風車の形通り、男性器(おちんちん)である。
男性器の中で二人はあんなエロ展開になるわけだ…。

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二人のエロ展開が始まってからの
風車が回転するのは、マスターベーションのイメージだろう。
回転し始めたことで、エロ展開に拍車がかかる。

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風車内で精製される小麦粉は精液/射精のイメージ。
おそらく風車が回転した事で作られている意味でも、射精のイメージなのだろう。
しかも外では学生達が写生(射精)大会を始める展開。
それにつられて、茜達が射精を連呼する状態。

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そんな精液に見立てられているものを体に付けて変装する二人。
外では写生/射精大会の学生に囲まれ、
自身達も射精と連呼してしまったが故に、
精液を身にまとわなくてはいけなかったのだろう。

こんなエロ展開でも主人公は下着を拾おうが
二人が裸の姿を見ても殆ど動じないわで、
改めて貴弘のストイックさが浮き彫りになる展開だった。

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そんなエロ展開が生きるのもキャラクターの絵柄の魅力が大きい。
こもりけいさんのキャラクター原案に
桂憲一郎さんがキャラクターデザイン/総作画監督。
この二人のタッグは、反則級に強いと思う。

今回も桂さんを中心にした作画を拝めて眼福。

まとめ

今回はエロ展開を盛り上げるための要素として、
和傘や風車を性的モチーフとして使用していたのが面白かった。

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一方で写生大会や、最後のクマのぬいぐるみのオチ、
そして最後のムンクの叫びみたいに描かれる主人公というように
展開の面白さも際立っていた。

脚本は本田雅也さん。
こんなにぶっ飛んだ話が描けるのかと驚いた。  
 
可愛い少女達、貴弘の賢人ぶり、魅力的に描かれる馬、そして今回のような展開。
ワルキューレロマンツェの今後の展開に期待したくなる挿話だった。
 
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アニメ嗅覚論~アニメにとって匂いとは何か―境界の彼方 6話 

境界の彼方 6話が面白かった。

この作品は、こんな遊び回もできるのかと驚いた。
その意味ではシリアスとギャグの境界の彼方ともいえる内容だったし、
けいおん(音楽)の京都アニメーションと、
ラブライブ(歌・踊り・アイドル)の花田十輝さんが交差した瞬間でもあった。

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さて、今回は敵の妖夢の花粉を浴びると、とても臭いという状況下で
何度も何度も妖夢に立ち向かうも失敗する展開が微笑ましかった。

本編では名瀬美月が最初に花粉を浴びてしまい
周りはガスマスクをつけなくてはいけないほど臭い。
そして花粉の匂いの被害は拡大しつづける。

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「臭い」「臭い」と各キャラクターは口を揃えて言う。

そんな展開を見ていて思ったのは、
アニメにとって匂いとは何かということだった。

映像と音響で組み合わせで成立する映像表現。
その映像表現のアニメは視聴覚を大いに刺激するが、
こと嗅覚に関しては、視聴者が状況から想像することしかできない。

今回もガスマスクをしなくてはいけないぐらいの匂いだったわけだが、
もしそれぐらい刺激的な匂い(嗅覚)を
他の視覚や聴覚に置き換えて、本編で表現されたらどうなのだろうか。

もしかすると余りにも視聴者の視覚や聴覚を刺激してしまうのではないか。
そうなると、その作品は視るのも聴くのも、大変なのかもしれない。

その意味ではアニメにおける嗅覚の表現はどんなに臭くても、
視聴者に直接的な刺激を与えない、間接的なものである点で
どこまでも誇張しても良い表現領域なのかもしれない。

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むしろガスマスクを着けるビジュアルはそれだけでもギャグになるし、
臭さで顔を歪め、吐いてしまう描写もギャグに転化できる。
「臭い」「臭い」と言っても、上手い具合に視聴者が面白さに転化できる。

何より臭いのは嫌だというのは、一番わかりやすく共感を得やすいものだと思うし、
この共感が、今回の境界の彼方の物語をグッと視聴者を引きつける。

今回の境界の彼方6話は、アニメで上手く「匂い」を使うと、
こんなにも面白い話に仕立てられる事がわかった。

まとめ

他のアニメでも「匂い」を感じる瞬間はあると思う。
キャラクター、お花、から放たれる良い匂い。
またオナラの描写があれば、臭い匂いだろう。

こうした良い匂い・悪い臭いはあるにしても、
その匂いを上手く視聴者に想像させて、視聴者の嗅覚を揺さぶる。

アニメそのものからは匂いは生じないが、
アニメの表現を通して視聴者の想像の嗅覚を揺さぶる作品もまた面白い事がわかった。
 
アニメ作品における「匂い」「嗅覚」にも今後気をつけて見てみたくなった。
 
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[ 2013/11/07 20:29 ] 境界の彼方 | TB(35) | CM(0)

山田尚子の手-境界の彼方 5話より 

境界の彼方5話を視聴。

今回は、何よりアバンの手の作画/芝居に見入ってしまった。

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今までも境界の彼方で、手の良い作画はあったのかもしれないが、
それはごめんなさいと目をつぶる。
とにかく私の中で引っかかったのは今回の5話のアバンの手。

男性キャラは骨格/関節のごつごつした感じを表現している手。
女性キャラは、男性キャラよりシャープに骨格/関節を表現した手。
こういうリアルな感じに仕上げている手は好きだ。

またカット的に見ても、
手のクローズアップしたショットが多かった事も含め
手の芝居を見せたいようにも見えた。

今回のコンテ・演出は山田尚子さん。
山田さんはけいおん!では脚の描写、芝居にこだわっていたが、
今回の境界の彼方では、手の芝居をやりたかったのかもしれない。


他に面白かった描写は液体。

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上3つを見ても、液体のドロっとした感じを上手く表現しているように見える。
ちなみに液体の色が全部緑色なのは偶然なのだろうか。

手の作画の他にも、全体的に作画が面白かった。
作画監督の内藤直さんは、名前は存じ上げていたが、
キャラの細かい芝居を含めて、面白い仕事をする方なんだなぁと思った。
これからはより気をつけて、内藤さんの仕事を追ってみたいと思う。
 
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[ 2013/10/31 20:14 ] 境界の彼方 | TB(27) | CM(2)

WHTE ALBUM2 3話の演出解説-電車によるキャラの感情表現の演出について 

はじめに

WHTE ALBUM2 3話を視聴。

今回は要所要所で登場する電車の使い方が、
キャラクターの感情を見事に表現していた点で面白かった。
そこで今回は電車の演出について紹介してみたい。

河川敷での春樹と雪菜の会話シーンで登場する電車

まず河川敷で春希が雪菜に対して、冬馬かずさについて語っているシーン。

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最初はお互い、同じ横線上で話し合っていたのだが、
春希が熱っぽくかずさについて語り始めると、
雪菜は立ち止まり、春樹と距離のズレが生じてくる。

このズレは、雪菜が自分が知らないかずさという存在を
春希が熱く語り始めたことに対する違和感の表明であり、
雪菜が立ち止まったのは、自分の感情に何か引っかかったからだろう。

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そしてカメラは春希の背中にカメラを付けてような感じで雪菜を映す。
カメラが引いた感じで雪菜を映す事で、
春希と雪菜の距離を大きく感じさせる描写。

春希とかずさの距離、春樹と雪菜の距離を視聴者にイメージさせる一連の描写。

2howaruba3005.jpg

そんな二人の距離感が生じる中、
さらに雪菜の気持ちを断ち切るかのように、
電車が音を立てて通り過ぎ、画面はフェードアウトしていく。

上記の縦構図で引き気味なアングルで映された雪菜のショットから、
その次に横構図で電車が映されたショットという流れを踏まえると、
縦に運動性があった画面から、横に運動性を起こさせる電車を使う事で
見事なまでに雪菜の感情にしこりを残し、
雪菜の感情の流れを断ち切っていることがわかる。

そして雪菜は心にしこりが残ったからこそ、
かずさにアタックをかけられる事につながる、電車の演出のように感じた。

喫茶店での雪菜とかずさの会話が終わった後に登場する電車

次に雪菜とかずさの喫茶店のシーン。

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雪菜から勧誘を受け、一端は誘いを断ったかずさだが、
雪菜の態度や性格にインパクトと違和感を受けつつ、

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「苦手だ。ああいうやつ」というかずさの言葉とともに電車が再び登場する。
おそらく上で取り上げた電車と同じ場所を走っているものだろう。
ここでは、かずさの雪菜に対する心の違和感が電車と共に流れる、
言いかえればかずさの感情を電車が運んでいるようにも思える演出だ。

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そんなかずさの感情をのっけながらも、
次のカットでアイキャッチが挟まり、Aパートは終了。

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そしてアイキャッチからのBパートの最初は、
日が落ちたビル群の億で移動する電車のショット。

夕日の電車からアイキャッチ、
そして日が落ちたビル群の奥に映る電車という一連の時間軸の流れを
電車を使ってスムーズに繋げている。巧みだなぁと思う。

かずさの告白後に登場する電車-今回のクライマックス

Bパートでは雪菜の家で遊んでいた春希とかずさだが
雪菜家の家族問題が発生し、二人は雪菜家から帰ることになる。
ここでかずさは春希に軽音部に入りたいと伝える。
予想もしていない突然のかずさの告白に、戸惑う春希。

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春希の戸惑いに「5年早いね」と言い返し、歩き去るかずさ。

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ここで頬を染める春希。勧誘成功という当面の目的成就を達成し、
冷静沈着・合理的思考な主人公の顔が赤くなった意味でも、今回のクライマックスだ。
そんな中で、物語がここから本格的に動くのかを予感させるように電車が登場。

電車が春希の感情を代弁するかのように、かずさの方向へ突き進んだ見方もできるし、
電車という存在が物語を、何より二人の空間を劇的にさせる。
何より春希の感情の高ぶりが、電車の音とスピードで代弁されているかのようだ。

おわりに

電車が登場する場面は、キャラクターの感情に変化があり高ぶっている時だ。
そんなキャラクター達の心の揺れ動き、感情の高ぶりを電車が見事に表現していた。

毎回、演出的に見所が多く、また物語的な期待も抱かせるWHITE ALBUM2。
なかむらたけしさん原案のキャラクターが動く点でもこのアニメは見逃せない。
 
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[ 2013/10/20 09:55 ] WHITE ALBUM2 | TB(9) | CM(0)

WHTE ALBUM2 2話の演出解説―顔を映さない描写の意図とは 

はじめに

ホワイトアルバム2 2話を視聴。演出の見事さに舌を巻いた。
それはキャラクターの顔を見せない演出のこと。
今回はこの事について触れてみたい。

序盤・中盤で顔を見せない演出を積み上げる雪菜、春樹

まず序盤、中盤の春希と雪菜、もしくは雪菜を顔の映し方について見てみたい。

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ずっと見ていて気になっていたのが、雪菜の顔を映さないように
カメラの位置を低くして描写したものが多かったこと(顔を映すシーンももちろんある)

最初は、雪菜の下半身を見せたいサービスかと思っていたが、
雪菜の服の着替え以外は映し方が淡白な印象だ。つまり他の意図があると思った。

そんな顔を映さない描写を続けながら、
物語は雪菜が徐々に春希の説得や態度に心動かされながら、
雪菜の揺れ動く心を描いていたのも魅力的だった。

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例えば、春希が雪菜が八百屋で働いている事を知りながら
その事を知られていないと思っていた雪菜に突きつけた後の公園のシーン。
ここでも顔を映さない描写を使う。

ブランコを一生懸命漕ぎ、物理的に揺れ動いている雪菜。
この雪菜は自身の心の揺れ動きを表現しているかのようにも思える。
実際にこの後、雪菜は心の揺れ動きの決着をつけるため春希をカラオケに誘い、
最終的には春樹の誘いを受け入れるのだった。

顔を全く見せない少女の登場。劇的かつ自然な流れを作るための演出

さて顔を映さない意味は後半で明らかにされる。

物語は雪菜の勧誘には成功したが、問題はピアノの演奏者がいないこと。
そして部の隣で時折演奏されるピアノの演奏者に目をつけ勧誘したい流れに。
しかしピアノの奏者が誰なのかわからない。物語に謎が生まれる瞬間だ。

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そんなピアノの奏者がわからない状況。そんな中、春希が荷物を取りにクラスに戻った時、
顔を全く映さない新たな黒髪ロングの少女の登場。
ここでこの少女がおそらくピアノの奏者であることは想像がつく。
でも、春希は彼女に対し知人のような喋り方をする。どういうことだろう。

ここで雪菜の顔を映さない描写が多用されていた意味も少しわかってくる。
それは雪菜の顔を映さないことで、この少女の顔も全く映したくないようにするための
自然な流れを作りたかったのだろう。

もし雪菜の顔を見せる描写・ショットで今回の描写をずっと繋いでいると、
ここで黒髪ロングの少女をいきなり顔を見せない描写が極端に見えてしまう。
一方で黒髪ロングの少女の正体は、物語の展開的にまだ伏せておきたい。
だから顔を見せない。見せさない。映さない。
その為に雪菜の描写から顔を見せないショットを途中途中で挟み込んだのだろう。

かずさの登場

そんな物語はある確信に近づく中、下校する春希にピアノの音が聞こえてくる。
音楽室に戻る春樹。しかし音楽室は開かない。
そこで柔道の黒帯を命綱に壁づたいから音楽室に潜入する春樹。
しかし手を滑らし、絶体絶命に陥る。

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そんな春樹に手を差しのべた時に、ピアノの奏者の素顔がわかる。
ここで初めてかずさという言葉が登場し、
名前も顔と同様に巧妙に伏せられていたのだなぁと思い知らされる。これは脚本の上手さだ。

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つまりこの劇的、春樹の命があぶない状況下でかずさが手を差し伸べるというシーンで
始めてかずさが顔を見せることで、正体が暴かれるスケール感が見事に演出されている。

また顔を映さず、下半身を映していた描写の多用から一転し、
春希があずさの顔を見上げる構図を使ってくることで、
よりあずさの正体=顔がインパクトある見せ方になっている。
このカメラワークこそが演出だと、私は思う。

張り巡らせていた伏線

そしてよくよく見返してみると
実はかずさは、OP後のクラスで春樹達が話しているシーンできちんと映されていた。

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ここでかずさがクラスのドアの外やってきて、自分の机でうつ伏せになる。
この一連の動きの中でもあずさの顔はちゃんと伏せられている。
見返してみて、はじめてわかる伏線。顔は雪菜からではなくかずさから伏せられていたのだ。

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ただ次のクラスでの春樹の会話シーンではかずさが不在のため、
かずさがいたイメージが消えてしまう仕組みにもなっている。
ここで巧妙にかずさは最初に登場しているが、
中盤ではかずさの存在を意識させないように成功している。上手い。

まとめ

雪菜の顔を見せない演出は彼女の心の機敏を描く、
つまりは春樹の想いに応える描写として機能しつつ、
一方ではかずさの顔を伏せる自然な流れを作るためのものでもあった。
そして最後の最後でかずさの顔がでることで劇的な展開を作ることに成功した。

かずさの顔が明らかになることによって物語は次のステージに移行する。
その流れの一連を上手く作ったのが、今回の演出の上手さだった。
今回がとても面白かったことで、今後のWHITE ALBUMの展開により期待を抱いた。

今回のコンテは沼田誠也氏。
 
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[ 2013/10/13 09:47 ] WHITE ALBUM2 | TB(8) | CM(0)

「ミス・モノクローム」は必ず何かを失う物語なのか? 

「ミス・モノクローム」が面白い。

それは、銀髪で未来形なイメージを持つミス・モノクロームの
ビジュアルデザインからイメージする・もしくはイメージしてしまうものと
物語の展開のギャップがあり、そのギャップ、落差の見せ方が極端だから面白いのだ。

例えば1話では以下のように
193億円を差し押さえられるミス・モノクローム。
飲み屋街で彷徨う、ミス・モノクローム。
コンビニで「らっしゃいやせー」というミス・モノクローム。
といった姿が見られる。

外見、もしくはHPのビジュアルから発せられるイメージとは
程遠い、状況に巻き込まれるミス・モノクローム。

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2話でも、
ボロく何も無いアパートに居住するミス・モノクローム。
新聞紙をかけて寝ているミス・モノクローム。
など、やはりミス・モノクロームの扱いは悪い。
その可愛いミス・モノクロームとその彼女への扱いのギャップが涙を誘う。

さらに追い討ちをかける様に、ルーちゃんが死亡。
どうやらミス・モノクロームがサインの練習を書いていた紙を吸いすぎて死んだようだ。
公式HPのキャラ紹介で、ルーちゃんは「ミス・モノクロームの大切な家族」と書かれていたが
あまりにもな最後と公式HPの紹介文とのギャップもまた面白い。

さて、1・2話をまとめて振り返ると、
1話では家と全財産193億とマナちゃんを失い、
2話ではルーちゃんを失う。
今のところ、ミス・モノクロームは何かを失う話が主軸のようだ。

そんな失う原因を作り出しているのは、ミス・モノクローム自身である。
1話でマナちゃんに全財産を与えたのは彼女自身であるし、
2話でルーちゃんを死なせたのは、彼女が書いたサインが原因である。

こうした原因をより深く突っ込むと
1話では、ミス・モノクロームがマナちゃんを信じたから、
2話では、アイドルになる為にサインを練習を頑張っていたといった
彼女自身の善なる心によってもたらされているのである。
 
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ミス・モノクロームが頑張れば頑張るほど、彼女自身が次々と何かを失う。
この失っていく道程こそ、アイドルへの道であること、
何かを失わなければアイドルになれない、そんな事をこの作品は教えているように見える。

次回ではミス・モノクロームは自身の善の心によって何を失っていくのか、
もしくは失わないのか。次はマネオかkikukoが危ないのかもしれない。
 
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[ 2013/10/09 19:53 ] ミス・モノクローム | TB(10) | CM(0)

WHITE ALBUM2 1話から、ここ10年のアニメにおける美少女ゲーム絵の再現性を振り返る 

WHITE ALBUM2 1話を視聴。

キャラクター原案のなかむらたけしさんの絵柄の再現度が高く
村様(なかむらたけしさんの愛称)のキャラ絵を見ているだけで眼福。

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特になかむらさんの特徴ともいえる
顔の頬から顎のラインにかけてのシャープな感じが
再現できているのが感動的。

「シンフォギアG」でも奮闘していた、
キャラクターデザイン・総作画監督の藤本さとるさん。
サブキャラクターデザイン・総作画監督の水上ろんどさんの仕事を存分に味わえた。

2009年にはなかむらさんの「ティアーズ・トゥ・ティアラ」もあったが、
2010年代になるとなかむらたけしさんの絵柄も
アニメ界で十分に再現できるのだなと感じると思った。

個人的には1990年代後半から2000年代中盤までにかけて
コンシューマーもしくはPCの美少女ゲームの絵を
どうアニメに再現・定着させるかという取り組みをしていた時期に見える。

特に2000年代初期は線量を含めて繊細かつ情報量が圧倒的に多い
その中でも再現が難しいと思っていたのは、
なかむらたけしさん、みつみ美里さん、甘露樹さんらの絵柄。
実際、ゲームの美少女絵をアニメで表現するには四苦八苦していた感じがする。

例えばなかむらたけしさん等が原画を手がけた
2001年の「こみっくパーティー」のキャラデザ・絵柄は、
アニメ的に動かしやすい・作劇しやすいものに解釈されていた。
他にも東映アニメーションの「kanon」が「顎アニメ」と言われていたことでもわかる。

2000年初期は美少女ゲームの絵は再現の方向性よりも
元絵の情報量を減らし、アニメ的に最適化されたデザインをしていたといえるだろう。
その中でも独自の解釈で検討したのが千羽由利子さんの「to heart」だと思う。

それが2005年ぐらいから
京都アニメーションの「Air」が示すように再現の方向性に舵を取るようになってきた。
また同時期に「こみっくパーティーRevolution」も
前のこみパとは違い、ゲームの絵を忠実に再現する方向性になった。

これは京都アニメーションなら、木上さん・荒谷さん・池田さんらを中心とした高い作画力、
「こみパRevolution」なら桂憲一郎さんのキャラクターデザイン力といった
力のあるスタッフに恵まれたという側面も大きいだろうし、
デザタル技術の進展によって撮影や仕上げでできる事が可能になった面もあるだろう。

そして2006年の甘露樹さんのキャラクターである「うたわれるもの」では
2009年の「ティアーズトゥティアラ」では中田正彦さんが
甘露さんやなかむらさんの絵を上手い解釈でデザインしていた。

2000年中盤以降は、美少女ゲームの絵をアニメでも再現できるようになってきたと思うし、
再現できることによって、アニメのさらなる可能性にも繋がっていると思うし、
美少女ゲームのファンをアニメに呼びこんできたのかもしれない。

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そんな美少女ゲームのような絵が見られるアニメの時代に突入しつつも、
それでもなかむらたけしさんのキャラクター原案の作品が
アニメで見られる・動くというのは、私にとってはフェイバリットなのだ。
 
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[ 2013/10/06 20:11 ] WHITE ALBUM2 | TB(11) | CM(0)

キルラキルとヒエラルキーの関係、そしてグレンラガン。 

そもそもキルラキルというタイトルの意味は何なのだろうか。
まずこのタイトルについて考えてみたい。

ヒントは、以下の画像が象徴するように

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ヒエラルキーである。

まずヒエラルキーを逆から読むとキルラエヒとなる。
ここから「キルラ」を抜き出し、
そして本作の重要なモチーフであろう、切る・斬る・着る=キルを加えて
タイトルを「キルラキル」にしたと推測している。

もしくは斬る裸着る=キルラキルなのかもしれないけど。

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ヒエラルキーを意識した描写については、
他にも本編で、生徒会長側は高みの存在である上層、
主人公側は地を這い蹲る下層という
ヒエラルキーを意識した位置関係を描いている。

また今後の展開としては、
下層の主人公の纏流子が、上層である生徒会メンバーに戦いを挑み
徐々に上に登りつつ、生徒会長と再び戦う展開が予想される。

つまりキルラキルというタイトル名の意味は、
纏流子が学校内の生徒会長を頂点とするヒエラルキーを逆転させ、斬ってしまうという
解釈もできるのではないだろうか。

本作が雁屋哲原作・池上遼一作画の漫画「男組」を
意識した世界観であると踏まえるとよくわかる話である。

こうした下から上へ登る、下が上を凌駕し頂点に辿り着く点においては
やはり「天元突破グレンラガン」にも似た構造を持っているのだと思う。
 
グレンラガンは地下世界の住人であったシモンがカミナと共に地上世界を目指し
地上世界に飛び出し、引いては宇宙に飛び出していった展開を
地下世界-地上世界-宇宙というヒエラルキーでまとめられることでもわかるし、
そもそも主人公名がシモン(下)であることからもわかる。

まとめ

グレンラガンでは下から上への道筋を螺旋力で突っ切ったわけだが、
キルラキルでは下からう上への道筋をハサミで斬って突っ切るのかもしれない。

今石さん、中島さんの間ではヒエラルキーを意識して
世界観と作品を作っているのではないかと思われる。
構成する要素は違えども、その伝えたい中身に共通するものはあるのだろう。
 
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[ 2013/10/06 09:08 ] キルラキル | TB(2) | CM(3)

キルラキルへのキタイ-お久しぶり新谷真弓さん 

キルラキル1話。

今石監督、中島かずきさん脚本、トリガー制作と聞くだけで
見る前からおおよそのイメージを思い浮かべる。

そして実際に見ても、事前に思い浮かべたイメージに近いものではあったが
このテンションで突っ切ってしまうのはやっぱり凄いと思った。

高密度で過剰な情報量に溢れた画作り。
良く動く、いや動きすぎるキャラクター。
モブの多さ、描写の過剰さ、半端をせずに徹底的に描く。
緩急をつけずに、全部が見せ場と言わんばかりの展開。

金田さんのようにデフォルメを効かせた派手なアクション。
出崎さんを思わせる光の使い方やキャラクターを映す演出。
Aプロ作品に出てきそうなモブ達。
島本和彦さんの炎の転校生を彷彿とさせる世界観とテンション。

今石さんと中島さんは、また濃いものを混ぜ込んで
自分たちの作品を作り上げようとしているなぁと思った。

そんな見所に溢れたキルラキルだが、
私の中での最大の見所は、

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蛇崩乃音役の新谷真弓さんである。

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彼氏彼女の事情の芝姫つばさ役がとにかく鮮烈だった。

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フリクリのハルハラ・ハル子も強烈なキャラだった。
(ちなみにこのキャプのハル子の原画は今石さんだと思う)

そんなガイナックス作品で光っていた新谷真弓さんが、
ガイナックス出身者で作られたトリガー作品で久しぶりに顔を見せる。
その事実だけで胸を時めかせてしまう。

そして久しぶりに新谷さんの声を聞いて、
「あぁ新谷さん」だと思った次第。

もしかすると蛇崩乃音は、主人公の纏流子と戦うかも。
何にしてもキルラキルは新谷さんの声が聞ける意味で楽しみな作品だ。
 
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[ 2013/10/05 20:22 ] キルラキル | TB(22) | CM(0)

熱量あるセリフ回しと演技-戦姫絶唱シンフォギアG10話 

戦姫絶唱シンフォギア10話。

展開も佳境に入り、盛り上がりを大いに感じさせる中、
今回は各キャラの台詞回しが良かった。

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ドクター「愛ですよ」

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ナスターシャ「なぜそこで愛?」

未来をシンフォギア装者になれたことについて語る二人。
愛という言葉の仰々しさと、
ドクターとナスターシャの顔のアップの仰々しさが見事にマッチング。
画面の見栄え的に濃い映像展開がハマっている。


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響「死んでも未来を連れて帰ります。」
師匠「死ぬのは許さん。」
響「じゃぁ死んでも生きて帰ってきます。
それは絶対に絶対です。」



私は矛盾があるもしくは矛盾を抱える状態や感情が好きだ。
人が生きることは常に矛盾が潜んでいると思うからだ。
だから、この死んでも生きるという矛盾に満ちた響の台詞は好き。
とにかく未来を助けたい、響の想いがガツンと伝わる。


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司令「勝算はあるのか?」
響「思いつきを数字で語れるものかよ。」

1期で司令が言っていた台詞を、ここで響が司令に返す。たじろぐ司令。
響の変化、そして司令からの影響を感じさせる言葉。
もっといえば、響の格が司令の域に近づいているという事の証明でもある場面。
二人のキャラクターの格のせめぎあいが見られるシーンも個人的には好き。


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未来「離して」
響「嫌だ。離さない。もう二度と離さない。」

人も世界も繋がれる、そして繋がることを恐れないのがシンフォギア。
二人が再び繋がる瞬間。この瞬間がシンフォギア。今回のクライマックス。
 
まとめ

今回の台詞回しは金子彰史さんの手によるものだと思うが、
金子さんの言葉遣いは、個人的に心地いい。ハッタリが効いている。
またこうした台詞を実際に表現する声優さんの演技も素晴らしい、

特に悠木碧さんの絶叫気味の演技は心地いい。
叫び気味の挿入歌と相まって感情的に何度も揺さぶられる。

今後の展開が待ち遠しい。
これは毎回、引きが見事なのが大きい。
クリスがどう動くのか、マリアさんに活躍の場が訪れるのか。
響の身体はどうなってしまうのか。来週が楽しみ。
 
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[ 2013/09/07 07:25 ] シンフォギアG | TB(8) | CM(0)

山内・幾原派の美術背景術-君のいる町 8話と劇場版セーラームーンR 

君のいる町8話。相変わらず面白い。
個人的に好きだったシーンはこれ。

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かつての彼氏彼女が合コンで再会し、
その後二人きりになったシーンでの
「LOVE」という文字のオブジェがある公園。
二人に対しての皮肉なのか、直球なのか、
よくわからないが、ものすごくインパクトがある。

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しかもこの「LOVE」オブジェを中心に色んな角度で見せることで二人の物語を紡いでいく。
この後二人は再開の可能性を孕みつつも別れ、この場を立ち去る。
これは「LOVE]というオブジェから離れたことを意味し
同時に二人にある「愛」が一端は離れたともいえるのかもしれない。

こうした過剰にインパクトある背景を用いるのが山内重保監督作品らしい。


そして山内さんが監督した「劇場版まじかる☆タルるートくん」で
助監督として山内さんの下で仕事をした幾原邦彦さんも、
こうした山内さんの影響を受けているのではないだろうか。
次のキャプを見てほしい。

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(劇場版セーラームーンR劇場版 監督:幾原邦彦)

一目瞭然。タキシード仮面様の後ろにあるタキシードの男たちの背景。
右下の紳士服ヒグチというのが良い味を出している。
(※これはたぶん幾原さんのポーカーフェイス的ギャグだとは思うのだが)

私は、上の「LOVE」のオブジェのシーンを見た際に
セーラームーン劇場版のこの場面を思い出した。

山内さんも幾原さんも、過剰な背景で語るという引き出しを見せてくる。
こういう演出は好きで、思わず喜んでしまう。
 
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[ 2013/09/01 10:59 ] 君のいる町 | TB(0) | CM(1)

シリアスとユーモアの関係から見る 戦姫絶唱シンフォギアG 9話 

今回は、まずこれ。

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まさか英雄故事(映画「ポリスストーリー 香港国際警察」のテーマ曲)が聞けるとは。
アクション映画が好きな司令らしい、選曲だ。

それ以上にこういう選曲と修行シーンを挟むのが、シンフォギアらしくてとても好きだ。
1期の修行シーンの延長線上に今回の修行シーンがあるわけだが、
こういうある種の変さをも許容できるのが、シンフォギア世界の魅力だと思う。

また、構成的な面から見てみると
行方不明の未来が生きている証拠が掴んでからの修行シーンであることがわかるが、
響達の絶望感からの開放、そして楽しい修行という流れが見ていて気持ちがいい。
話の流れ的にも繋がっていて、シーン単体で浮いていないのがいい。
何よりユーモアあるシーンで見ていて楽しい。

私はシリアスを活かすには、
どうユーモアを巧みに織り交ぜていくかという点が大切だと思っている。
端的にいえば、ユーモアがシリアスを引き立たせると思っている。

このシリアスとユーモアの面から見ても
ここでユーモアある修行シーンを挿入して来た事が、次の展開ですぐさま生きて来る。

それは、

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捕らえられた未来が、シンフォギア装者(?)になってしまったこと。
修行シーンのユーモアからのこの落差ある展開。痺れる。

未来は虚ろな瞳を見る限り、操られている感じなのだろうか。

まとめ

今回の流れをシリアスとユーモアの流れで見るならば

未来が行方不明→絶望(シリアス)
未来が生きている→可能性・希望の広がり(シリアスからユーモア)
未来を救うために修行→今回のベストハイテンション(ユーモア)
未来が敵に→なんてこったい(シリアス)

以上のように
シリアスの間にユーモアを挟み込んで、両者の緩急をつけていることがわかる。
物語の中盤で、ユーモア(修行シーン)を入れたことが、
ラストの未来登場(シリアス)にインパクトを与えていることがわかると思う。

それにしても、響と未来が敵味方に分かれるのは
待ちに望んだ展開だが、それを平然とやってのけるシンフォギア。

2期は物語的に何ができるのだろうと思っていたのだが、
予想以上に物語的に盛り上がっていて、ファンとして嬉しい限り。
このまま突っ走って欲しい。
 
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[ 2013/08/31 06:49 ] シンフォギアG | TB(11) | CM(0)

日笠陽子の息、アニメの生(いき)-戦姫絶唱シンフォギアG 8話 

はじめに

アニメーションは生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する言葉だ。
この命のないもの、生のないものに。、命や生を感じられるから面白いのである。

そんなアニメーションにおけるキャラクターの生を
我々に感じさせる要素は、作画(光)と声優の演技(音)である。

今回のシンフォギアはこの部分、特に声優の演技(音)について
とても感動した箇所があったので触れてみたい。

マリアの歌と息切れ

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感動したのはマリア(日笠陽子さん)の歌と
歌い終わり息切れした上記のシーン。

まず、マリアの歌について。
ナスターシャは米軍と講話しようとしたが、
米軍に裏切られマリア達は窮地に立たされる。
しかしウェル博士のノイズ召喚によって、マリアはピンチを脱出。

そしてマリアは変身し「烈槍・ガングニール」を歌いながら、ノイズや米軍と戦い続ける。
このマリアの歌いぶりにまず感動。

シンフォギアの劇中歌に関しては毎回アフレコで録り下ろしているとの事。
だから毎回歌い方が違っている。

そして今回はマリアの歌い方に
フィーネを背負いきれない自分自身への怒りや状況に対する苛立ちなど
マリア自身が抱える様々な感情を、戦いで払拭するかのように
極めて強く激しく「撃槍・ガングニール」を歌う。
感情の強さの裏には悲壮感さえ伝わってくるマリアの歌いぶり。心が震える。

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マリアの苛立ちを象徴する、足で破片を砕く描写。

こうしてただ挿入歌を流すわけではなく、
キャラクターの心境に合わせてアフレコ時に歌うのは
物語を否応なく盛り上げる効果がある事にとても感動した。

生きることは息すること

次にマリアの息切れについて。
米軍達と戦い、歌い終わったあとに、マリアが「はぁはぁ」息切れをするのだが、
この息切れにこそ、私はアニメの生を感じることができた。

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それは、ダジャレに聞こえてしまうかもしれないが
生(息)きることは息することだからだ。

マリアが息切れしているのは、それだけ激しく動き、息を使っているからだ。
動き(作画・光)と歌う事によって生じた息切れ(演技・音)が、
キャラクターの生と生き様を見事に表現する。

マリア役の日笠さんもここまでのシーンに辿り着く前に
強く激しく歌っていたのだから息切れを起こしてもおかしくはない。
こうした白熱の演技も相まって、息切れによってキャラクターは生を獲得する。
少なくとも私はそう感じた。

シンフォギアGは、おそらく響の命と問題と
マリアの生き方/戦い方の問題が物語の二大軸になっていくだろう。
その意味でも、今回のような演技でマリアのキャラクターが立つのは良いことだと思う。

ということで、アニメにおける生を考える上で
マリアの描写はとても心打たれた。

今回のコンテは若林あつし(厚史)さん。4話に続いての参加。
4話では、マリアと翼の大白熱した戦闘シーンが印象深いが、
今回もマリアに比重を置いた展開だったので、
マリア=若林さんというイメージが徐々にできつつある。

おまけ~響と未来

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1期のシンフォギアの8話は、
響が未来とスマホでノイズに気づかれないようコミュニケーションを取りながら
最終的にはピンチを脱し、二人の絆が深まる名回だったが、
2期のGの8話でも、前期を踏襲するかのように響と未来の描写に重きを置いた展開だった。

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響を救いたい未来。
しかし心では繋がっているはず手は無情にも引き離される。

手を繋ぐことの意味を強く伝え続けているシンフォギアで
最も濃い友情関係を見せている二人の手が離れてしまうのは、
その後の二人に振りかかった展開を含めて、見ていてとても辛かった。
未来の泣く表情を見て、心がグッと持っていかれる。

1期のOPのラストカットのように二人は再び手を繋ぐことができるのか。
今後の展開を期待したい。
 
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[ 2013/08/24 08:26 ] シンフォギアG | TB(16) | CM(1)

フクロウの像が象徴するもの-君のいる町 山内重保のいる町 6話 

君のいる町6話を視聴。抜群に面白い。

さて、本編の描写で気になったのがフクロウの像の存在。

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唐突に現れたが、意味が無ければ画面に出てこない。だから意味はある。
そう思い、フクロウは何を意味しているのかと思い調べてみた。

フクロウは死の象徴

豊島 ふくろう・みみずく資料館のサイトによるふくろうのイメージによると

ふくろうは夜行性であることから、夜や闇のイメージと結び付けられることが多く、美術工芸品では月にともなって夜の活動を象徴します。加えて、鋭い知覚の持ち主であることから、闇の見張り番、死の予告者、さらには夜に活動する魔女や魔法使いの付き添い、日本では忍者のシンボルなどとして童話や物語にあらわれます。(ふくろうのイメージ 2-2 闇の見張り番より)

フクロウのページには

日本ではフクロウは死の象徴とされ、フクロウを見かけることは不吉なこととされていた。(フクロウ-神話より)

とある。

本編の物語の流れに沿ってフクロウの象徴/意味を考えるならば
風間恭輔の命があと一年しかない事が、
枝葉柚希から桐島青大に伝えられた展開を踏まえるに
フクロウは、風間の死を象徴していると解釈できるだろう。

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そしてフクロウの像を風間の死の象徴/予感とするなら、
上のシーン、風間から枝葉に自身の命の短さを伝えられる回想シーンにおいて
枝葉がフクロウの像に触れ、次のカットで枝葉が身体でフクロウの像を画面から隠したのは、
枝葉が風間の死を受け入れたくない、風間の死を隠したいという
彼女の気持ち/願いを象徴した行為のように解釈できる。

アニメでは、モノに何かを象徴させて表現する演出する手法は一つのセオリーだ。
特に本作の監督であり今回の絵コンテでもある山内重保さんは、
モノに何かを象徴させる事を強く出す演出家である。

そんな山内さんは、枝葉がフクロウの像を画面から隠す
無意識であろう行動でサラっと彼女の感情の本質を描いてしまう。
見事としか言い様がない。

6話の他の見どころ

フクロウ以外にも見所はとても多い。全部見所といってもいいぐらい。

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傘が開くところから始まるファーストカット。

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回想シーンの色彩は、枝葉の孤独感にマッチ。

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幻想的な美術。

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今回、ラストあたりの枝葉が左手でスカートを持つという芝居を入れてくるところ。
この芝居を入れることで、枝葉が青大に気があることを感じさせることがわかる。

他にもカットの割り方も凄いし、色々凄い。

まとめ

「君のいる町」の君とは誰か
少なくともアニメ版においては、君とは監督の山内重保さんではないかと思っている。
それぐらいに思わせるほど、この作品は山内ワールド/山内力学に支配されてる作品だ。
 
食い入るように見てしまう。「君のいる町」。今後も楽しみな作品である。
 
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[ 2013/08/18 10:40 ] 君のいる町 | TB(3) | CM(0)

帰宅部活動記録6話が面白い5つの理由-ツッコミからボケへの転化 

帰宅部活動記録6話。期待以上の圧倒的面白さを堪能できた名回。
今回はこの面白さについて5点触れてみよう。

① 外に出ると面白い帰宅部

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まずこれ。全てが説明されている画なのだが、
絵的にもっているのか、もっていないのかもわからない上に
これだけ取り出すと世界観がまるで掴めない感じが素晴らしい。
それを女子高生の日常というお題目で押し通すのも見事。

個人的には、帰宅部活動記録は部屋で会話しているよりも
4話の野球や今回の缶蹴りなど、部屋外で遊んでいたほうが面白いと感じる。
これは例えばあるバラエティ番組が部屋内でやっていた時は面白くなかったが、
ロケをやり始めたら面白くなったというパターンとよく似ている気がする。

② あざらしのスベリ芸が面白い

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「空き缶だけにノーカン」と言って、壮絶にスベったあざらし。
あざらしにスベリ芸を使ってくるところがニクい。
南極に生息するあざらしだけに、場をクールにしてくれた。

③ アニメにおけるツッコミのあり方の発見-違和感によるツッコミ=ボケ役機能

ここからが本題。また何より良かったのが、アニメ大好き残念な玄武。

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この「大好き」にだけルビをふっているネタもまぁまぁ面白かった。
むしろ、残念や玄武にもルビをふっていいような気もするが。
そしてこの玄武のツッコミで気づく。このツッコミ力はやばいと。

この玄武というキャラのツッコミ具合が最高だった。
むしろ、慣れていないツッコミが違和感を醸し出していて面白かった。

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※玄武のツッコミシーンは玄武を背から映したナナメな構図が多い。これがノーマッド。

そう、この玄武のツッコミを聞く限り、お世辞にも上手くは感じない。
だが、このツッコミが慣れていない玄武の存在によってある事がわかった。
それは、ツッコミ慣れていない人をわざわざ選んで演技をさせているのではないかという点

【アニメにおけるツッコミの難しさ-帰宅部活動記録4話より】

以前、上記の題で記事を書いたが、記事の趣旨としては
主人公の安藤夏希のツッコミは役者もツッコミ慣れしていない面もあり
ツッコミ・ツッコミ役として弱いのではないかという指摘をした。

そして夏希以外のツッコミ役として玄武が登場し、違和感ありありの演技を見ながら、
この作品は上手いツッコミよりも、慣れていなくても違和感や存在感あるツッコミを
選んだのであろうと個人的には思った。
これは、新人声優を使っていくという状況によって生み出された面もあるだろう。

この玄武の違和感あるツッコミを視聴者がまたツッコミを入れるという構図が生まれ
玄武のツッコミが、実質的にはボケに転化している
とも捉えられるだろう。
そして夏希の時点で、この「ツッコミ=実はボケ役」を含んでの起用だったのかもしれない。

今回の玄武の登場で、夏希も玄武も違和感あることをわざと押していくということが
両者を比較しながらわかってきたことだった。

アニメにおいてツッコミを表現する/的確にツッコミを入れるのは難しいと思っているが
こういうやり方で困難を突破していくのは、一つの手段としてアリだなぁと大変感心した。

④ はだける意味で少女革命ウテナを彷彿

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あの金髪の残忍な白虎の、タンクトップがはだけていたのだが、

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これは上にもあるように少女革命ウテナを彷彿とさせる。
男が意味なく脱ぎ始めるアニメは名作の傾向にある。

⑤ 視聴者プレゼントの当選数もニクい

最後にこのアニメらしく、視聴者へのプレゼントの当選数もエッジが効いている。

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プレゼントは「原作コミックス3巻セット」「サイン入り台本」「サイン入り番宣ポスター」
なのだが、この当選数が13なのが絶妙すぎる。
5や10といったキリの良い数字ではなく、素数である13。大プレゼントといいながらも13。
この13という数字をチョイスするところにこの作品のセンスの良さを感じさせる。

終わりに

徐々に個人的には面白くなってきている帰宅部活動記録。
そして今回6話は、ツッコミという部分ではかなり凄いものを見せてくれた感じだった。
アニメが始まるまで全く知らなかったが、面白い作品があるのだなぁと思い知った。
シリーズ構成・脚本:雑破業さんの力おそるべし。
 
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[ 2013/08/16 11:40 ] 帰宅部活動記録 | TB(4) | CM(0)

手を取り合うこと、拳で戦うこと-戦姫絶唱シンフォギアG 6話 

シンフォギアは手を取りあう事を訴え続ける作品だ。

それは、1期OPのラストのカットが
響と未来が夜空の下で手を取り合っているのがアップで映し出されていることでもわかるし、
他にも本編ではクリスと未来なども手を取り合う描写なども行ってきた。

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さて前回5話で、大事な手(腕)をもがれてしまった響。
物理的なショック以上に、手を取り合えない/繋げない意味で
この描写の意味は大きかったと思っていた。

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しかし、「暴走」という人を踏み外した状況に陥ったことで腕を取り戻してしまう。
腕を取り戻すの早いなぁと思ったが、裏返せばそれは前回の引きのうまさでもあるのだろう。

ただ人の道を踏み外して、腕を取り戻したこと。
そして響の体が危険状態であり、人から逸脱し始めている事がわかったことで、
手(腕)を再生させた奇跡は、サブタイトル通り「奇跡-残酷な軌跡」なのだろう。

響が人に戻れるのか、人からはみ出してしまうのか。
この部分が今後の展開のポイントになっていくだろう。
そして今後も手(腕)は重要なキーワードになっていくはずだ。

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ただ手は繋ぐだけではなく、突き放す為の手段にもなる。 
翼が(真実を知ったが故に)響を手で突き放した描写は衝撃に感じた。
翼が響を思い余っての行為だが、響にはどう映ったのだろうか。

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一方で調と切歌が手を繋いでいるシーンを見ると、希望はあるのかなと思う。
いつか響達とも手を繋ぐ、という未来への期待を抱かせた描写。

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そして響はノイズと戦い続けなければならない。
人の身でノイズに拳で触れても、大丈夫なほどに響の身体は変わっている。
溜内もなくノイズに触れたところをみると響は自身の変化に気づいているのかもしれない。

そして響は腕を失おうが、腕が再生されようが、その腕でノイズを倒し、
その手を使い、世界に手を取り合うことの大切さを身をもって訴えていくのだろう。
響が翼やクリスのように武器を使わずに、腕一本で戦い続ける理由が再確認された回だった。
 
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[ 2013/08/10 09:05 ] シンフォギアG | TB(20) | CM(0)

ワタモテ5話のネバネバ・ドロドロ感 

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!5話は、
要所で使われる、食べ物・飲み物が
ネバネバ感、ドロドロ感を出していたのが面白かった。

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ギャグの基本の一つには、見て面白いという要素があると思うが
ワタモテではネバネバ・ドロドロを上手くギャグに結びつけていたと思う。

一番ネバネバ・ドロドロが効果的だったのは、はちみつをたっぷり入れた後の
ドロドロした禍々しい描き込みにすら感じるコーヒーだろう。
この絵が出た瞬間に笑ってしまった。これは飲みづらいと一瞬で思わせてくれた。

まるで彼女の心を映し出すかのように、
ネバネバ・ドロドロしていた食べ物・飲み物達だった。
 
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[ 2013/08/06 21:31 ] ワタモテ | TB(12) | CM(0)

アニメにおけるツッコミの難しさ-帰宅部活動記録4話より 

「帰宅部活動記録」4話を見る。
ゆるい感じと、メタなネタが飛び交うのが面白い作品だ。
今回はAパートの野球がとても面白かった。
今期の中でも、とても楽しみになりつつある作品になっている。

さてこのアニメを見ていて思うのは、アニメにおけるツッコミの難しさだ。

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主人公であり本作のツッコミ役の安藤夏希のツッコミは
どうしてもツッコミ役として弱いと感じてしまう。
ボケが面白いので、相対的にツッコミが弱く感じられてしまう。
突っ込みの内容自体は悪くはないが、なにかしっくりこない。

それは安藤夏希はツッコミ役ではあるが、
キャラクター(もしくは演者)がツッコミ役としての技術を積んでいるかは
別にあるところに理由があるのかもしれない。

例えば、漫才におけるボケとツッコミを例にしてみたい。
ボケは発想/アイディアが面白ければ成立するが、
ツッコミは演者の努力で成り立つものである。

ツッコミの第一人者であるダウンタウンの浜田の
若かかりし時代のツッコミについて、以下のような記述がある。

中田カウス・ボタン、西川のりお・上方よしおなど「つっこみがうまい」と評判の先輩の舞台を、浜田は袖から何度も見た。役割分担ができてすぐは、「つっこみが弱い」と評されることもあったが、浜田はやがて松本のボケを殺さず、しかも対抗できるような変幻自在のつっこみを身につけていく。
「ダウンタウンの理由 著:伊藤愛子 1997年 集英社」




ダウンタウンの浜田が若手の頃は、
浜田と松本のボケとツッコミの役割分担ができていなかったようだ。
そしてステップアップの為にボケとツッコミの役割分担が明確化させたが、
その当初、浜田はツッコミが弱いと周りから言われていたようだ。
その克服の為に、地道に中田ボタンなどを参考にして今のツッコミ術を取得した。
ツッコミが日々の積み重ねによる努力で築き上げられるものがわかる。

つまりキャラクターに浜田のようなツッコミの訓練がなされているかどうか。
たぶん安藤夏希は演者も含めそういうキャラではない。

キャラクター(もしくは演者)にお笑い芸人のような
日々の積み重ねにより取得するツッコミの技術を
求めること自体はおかしいと言われればそれまでだが、
ツッコミ力が弱ければ、ボケが生かしきれない側面は必ず出てくる。

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一方で、こうした絵による解説付きツッコミがあることで、
説明/解説としてのツッコミは機能していて、アニメの強みでもある。
こうした画が、ツッコミの役割を上手くフォローしている。

ボケが面白いので、ツッコミ不在のままで進めてもいいのではないかとも思ってしまうが、
ツッコミ不在だと、場が収拾つかなくなり面白くなくなる可能性もあるので必要なのだろう。
さらにはツッコミを入れられる事自体が主人公:安藤夏希の特権なのかしれない。
 
つまり帰宅部活動記録はこうしたボケ先行の作風でもあるのだろうと個人的には感じた。
もしくは場数を踏んで、安藤夏希のツッコミが成長するのを見てみたい。
 
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[ 2013/08/03 20:53 ] 帰宅部活動記録 | TB(6) | CM(1)

戦闘と日常のシンフォニー-戦姫絶唱シンフォギアG4話 

戦姫絶唱シンフォギアG 4話を視聴。心が震えた。
今回は期待値以上の仕上がりで、びっくりするぐらい感動した。
今年見たTVアニメの中でも、屈指中の屈指だった。

正直な話、シンフォギアは1期でやりきった作品だと思っていて
2期で何ができるのかがちょっと不安ではあった。

そんな2期はアクションのパワーアップや音響を豪華にするという
極めてオーソドックスな側面から果敢にアプローチしていて
その成果が完璧に結実したのが4話だと思った。

何よりAパートの戦い、Bパートの日常のそれぞれのパートで
本作のテーマである「響くこと」を貫いていたのが良かった。

Aパートの見事な若林アクション

まず今回が面白かったのはAパートのアクションが最高だったこと。
この要因は絵コンテが若林厚史さんだったことに尽きる。

NARUTO-ナルト-の30話・71話・133話で
松本憲生さん、井上敦子さん達と一緒に魅せた
若林厚史アクションがシンフォギアで炸裂。

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まず、マリアさんのこのカットから、日笠陽子さん歌のイントロが始まる。
このダッチアングルがたまらない。

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よく動く動く。動かすことになんの躊躇いも感じさせないアクション。
カット割りのタイミングも、カメラが被写体を追いかける演出も本当に気持ち良い。
後は歌いながら戦う、挿入歌という音の側面が否応なく展開を盛り上げる。

後は2話も同様だったが、基本的には翼は画面の右側、マリアは左側にポジションを置く。
この辺りはシリーズ通しての演出のルールのような気がする。
※戦う中で入れ替わりも多々あるが、止まっている時はこの配置が多い。

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またマリアのバリアなマントを破るために
武器を脚にしまい、足蹴り戦法に切り替える翼。
しかし脚に激痛が走り、隙とみたマリアが攻撃に転じる。
ここでしまった武器をまた取り出すのだが、
武器の入れ出しをきちんと描いていたのが、戦いを大いに盛り上げていた。

何より感動したのが、月読調の禁月輪非常∑式!

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なんと機動戦士Vガンダムのアインラッドを彷彿とさせる武器。
Vガンダムが放映20周年記念というタイミングも相まって素晴らしい。

ちなみに月読調のアクションでもう一つ。

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彼女の動きは装甲騎兵ボトムズのローラーダッシュのようであり、
その意味で本作のアクションディレクターであり
ローラーダッシュの本家、アニメアール出身の光田史亮さんの匂いを感じる。
このローラーダッシュも良かった。

ただ悔しいのだが、静止画ではこのアクションの良さを伝えられない。
ぜひ動く彼女達の姿を見ることで感動を味わってほしい。

それにしても若林さんコンテのアクションは素晴らしい。
Aパートは戦い・アクションを描き抜いて終了する。

戦闘のAパート、日常のBパート

Aパートが戦闘なら、Bパートは日常だ。
戦いから離れ、3人の学園生活が描かれる。
3人の学園生活が描かれるのは2期の特徴だろう。

ただ普通の日常よりは、特にクリスが歌うシーンは派手なお祭りだ。
その意味では、Aパートの劇的な戦闘に拮抗させる意味で
Bパートにクリスの歌うシーンを持ってきたのだろう。

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そしてクリスの歌のシーンが始まるが、いつものクリスの顔が違う。
ただ可愛いし、歌うシーンの作画も演出も良い。

これはどうやら沼田誠也さんの仕事のようだ。


本人もこう発言しているし、クレジットにも明記している。

ここではクリスの歌に潜入していた敵側の2人も感動している描写は良かった。
1期では「壊すことしかできない」と言っていた彼女が、
ここでは「人をそれも敵すらも感動させる側になった」意味でも、
今回のクリスの歌った意味は大きい。

まとめ

とにかく、戦闘シーンも、歌うシーンも素晴らしく、
両方が極めて高いレベルで見せてきた意味において、今回の4話は傑作だったと思う。
若林さんがコンテを切り、沼田さんがEDのコンテを切り演出・作監をする。豪華だ。
シンフォギアG4話は、若林さん・沼田さんというスタッフの布陣も
お互いを響かせるという意味でのシンフォギアである事を見せてくれた回だった。

戦いも、歌も、何かを響かせながら行うもの。
その意味で、戦う事と歌う事は違う部分はあるだろうが、
何か同じな部分で繋がっているのかもしれない。

それはシンフォギアで何度となく語られているように
今回でも風鳴指令が言っていたように

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「通じないなら、通じ合うまでぶつけてみろ。言葉より強いもの。知らぬお前たちではあるまい」

戦うことも歌うことも、このぶつかり合い、響くことそのものであり、
この響きこそが自分を世界を変えるという話なのだろう。

戦いも日常も両方1話で描いたシンフォギア。素晴らしかった。
これが私の見たかったシンフォギア。 
シンフォギアにはアニメの夢が詰まっている事を再確認できた。
 
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[ 2013/07/27 09:08 ] シンフォギアG | TB(19) | CM(0)

戦姫絶唱シンフォギアG 2話のキャラ配置の上手・下手演出の考察 

戦姫絶唱シンフォギアG 2話のアクションシーンの演出が良かった。

特にBパートの風鳴翼とマリアがバトルする展開からの
上手・下手を使った、キャラクター配置の演出が上手かった。
今回はこのキャラクター配置について書いてみる。

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まずは、風鳴翼が上手、マリアが下手の配置から一連のバトルがスタート。
主人公側が上手、敵側が下手というのが基本ベースにあるようだ。

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アップ時でも、二人の立ち位置は上手・下手のポジションが確認できる。

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二人が互角に戦う。しかしマリアが通信に気を取られ、
その隙に翼の必殺技、風輪火斬が炸裂。この決め絵はかっこいい。

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この必殺技によって翼が下手側に、マリアが上手側に配置されるという配置の逆転が起こる。
すかさず下手側から上手側に向かいマリアを攻撃しようとする翼だが…そこへ…
そして、ここからが面白いのがシンフォギアG。

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上空から月読調が翼よりもさらに下手側から攻撃。
翼は上手側から下手側に振り向き、調の攻撃を防ぐ。

ここで翼=下手、マリア=上手の状況から、
読が乱入することで、調=下手、翼=上手という
新たな配置が生まれることで調の乱入感が強調されている。

さらに水樹奈々の挿入歌から、突如、調の挿入歌へ変わる点でも
音響面においても乱入感が表現され、映像と音の乱入感のシンクロがなされている。

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さらに暁切歌も翼より下手側から攻撃。
2対1という形勢不利な状況が作られる。

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調と切歌の下手側のW攻撃で翼が倒れる。
この追い詰められる展開は上手・下手がめまぐるしく移り変わりながらも
規則正しく機能している為、納得のいく画面作りになっている。

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形勢不利になった翼。
そんな翼視点からのマリア達に見下ろされているショット。

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次に第三者視点的な客観的にマリア達が翼が見下ろされているショット。

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このマリア達に見下ろされる翼という構図を
翼からの主観ショットと、客観的なショットからそれぞれ見せておいて

「貴様みたいなのはそうやって、見下ろしているばかりだから勝機を失う」

ここで前もって見下ろす構図を2弾構えで見せることで
「見下している」という翼のセリフが完璧に機能し引き立てられる。上手い。

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その後にクリスと響が翼の援護に駆けつける。
ここでもクリスと響の登場は下手側、マリア達よりも下手側であり
先ほどの調・切歌の乱入感をリフレインさせる画面作り。

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そして最後は、響が翼を抱きかかえながら、クリスと共に上手側に移動。
ここで、それぞれが仲間を加えながら最初の翼=上手、マリア=下手の位置関係に戻る。
また、敵側が味方側を見下ろす構図は変わっていない。
翼達の形勢不利な状況は続いているのがこの構図からわかる。

まとめ

主人公側と敵側の上手・下手が幾度となく変わりつつも、
基本的には主人公=上手、敵側=下手を基本にしながら
仲間が乱入する時は、一番下手側から登場するという
法則性を持たせることで、画面作りの秩序と盛り上がりを演出していると思う。

言いかえれば、翼VSマリアからの調と切歌の乱入、
追い詰められる翼、そこへ助けに来るクリスと響という
規則的でもあった彼女達の一連の動きの流れこそ、
シンフォニー(交響)を奏でていたという言い方もできるのかもしれない。

よくシンフォギアは細かいことはいいんだよ、ノリ重視みたいな言い方もされ、
確かにそういわれてしまう側面もあるかもしれないが、
こうしたノリを支えて面白くしているのは、
以上のようなキャラクターの配置や登場位置を
演出的にしっかり押さえているからだと思う。
 
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[ 2013/07/15 11:01 ] シンフォギアG | TB(1) | CM(0)

戦姫絶唱シンフォギアの作品構造-G2話の響の想いが相手に響かないことについて 

シンフォギアG2話。最高に最高に面白かった。
2話では響の想いが他者に響かない困難が描かれた。
響かない事、それはシンフォギアの作品の構造にも直結する問題だ。

主人公:立花響は、響という名前が示すように、
彼女の想い「手を取り携えることの大切さ」という想いを
生きる中で、シンフォギアとして戦う中で響かせてきた。

そんな響の想いは、天羽奏の死で心を閉ざしていた風鳴翼の心を響かせ、
両親の不遇な死により世界に絶望していた雪音クリスの心を響かせてきた。
さらに響の想いはフィーネにすら響かせ、了子として生を全うさせる。
この事は、最後の落下する月を響・翼・クリスが手を取り携え、
歌い合い(交響)ながらくい止めたのが際たるものだろう。

つまりシンフォギアとは、響の想いが人を世界を巻き込んで
響かせる、シンフォニーさせる作品なのである。
さらに作品の響きがファンの心にも響いたからこそ2期がある。

そんな響の想いが他者に届かなかった、響かなかったのがG2話の真骨頂。
それが以下のシーン。

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立花 響「やめようよこんな戦い。今日出会った私たちが争う理由なんてないよ。」

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月読 調「そんな綺麗事を」

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暁 切歌「綺麗事で戦う奴の言うことなんか信じられるものかです。」

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立花 響「そんな。話せばわかりあえるよ。戦う必要なんか…」

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月読 調「偽善者。この世界にはあなたのような偽善者が多すぎる」

自分の想いが通じない、響かない。響にとっては辛かった展開。
また響達を画面上において下側に、マリア達を上側に配置することで
響の言葉が届かないような演出的配慮もされているのもポイント。
これによって、響が調に偽善者と見下されている構図が生まれる。

戦いの終わりに響は想いが届かないことに号泣する。

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偽善と言われたが、響は様々な経験から他者の痛みも知っていると自認していただろうし、
そして世界は手を取り携えれば、良くなっていくことを信じていたはずである。
それを真っ向から手を取り合うことすら完全否定されてしまった。

一方で調は若く幼いながらも早く心を閉ざしてしまったことが
響の態度が気に入らないのかもしれない。

今後、響は彼女たちを響かせることができるのか。
前期の翼やクリスも含めて、響の想いは1回で他者に響いたわけではない。
何度も何度も想いをぶつけて(言葉でも物理でも)、相手を響かせてきた。
この展開を踏まえて、響は調や切歌そしてマリアとどう接して響かせていくか期待したい。
※マリアは翼が受け持ちそうだが。
 
繰り返しになるが、シンフォギアは想いをぶつけることで相手の心を響かせる物語である。
この点に今後も着目して見ていきたい。
  
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[ 2013/07/14 17:35 ] シンフォギアG | TB(13) | CM(2)

戦姫絶唱シンフォギアG1話を1期の1話と比較する 

戦姫絶唱シンフォギア1話を視聴。

シンフォギアがとても好きだった事もあり、期待を交えつつ視聴した。
そんなGの1話は、まず1期の1話を振り返りながら見るのが面白いと思う。

物語の構成について

さて物語の構成について1期とGを比較してみたい。

1期の1話の構成は

翼と奏のライブシーンと戦闘、そして奏絶唱により死亡が前半の展開。
響の日常シーンからのノイズ遭遇によるシンフォギア覚醒が後半の展開。

さて2期のG1話は

響とクリスの戦闘シーン(ソロモンの杖を守るミッション)が前半
そして翼とマリアのライブシーンからの、マリアの宣戦布告が後半の展開。

こう見ると、1話におけるライブシーンの配置が、
1期では前半、Gでは後半であることがわかる。
※Gはマリアの歌うシーンが所々で挿入されるが…
このライブシーンだけを見ると、1期2期で対称的な位置関係に置かれている。

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(ノイズとの戦いを受け入れ、邁進している事が伝わるG1話のAパート)

また主人公の響の扱いで見ると、
1期では主に後半の登場機会が多く
逆にGは前半のバトルの展開での登場がメインだった。

この意味は、1期は不意にノイズに襲われ、
シンフォギアに覚醒することで、多くの人とは違う生き方に突入する響が
Gではノイズと戦うことを当たり前の事として生きている事がわかる意味でも
1期からGへの響の変化が印象づけられた構成だったと思う。

そしてG1話は1期1話を踏まえて、
構成的には対称的に置かれている面があることがわかる。

新キャラのマリアについて

G1話の最大の目玉は、新キャラのマリア(日笠陽子)の存在だろう。

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ノイズを率いて、フィーネの名を掲げ、世界へ宣戦布告するマリア。
彼女はもう1人のガングニール装者。敵になるのか?

そしてそれ以上に重要なのは
おそらくマリアは、奏から翼、翼からマリアへという系譜に位置する存在だからだ。
こう感じたのは、以下の1期とGのカットの比較でわかる二人の位置関係。

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(1期1話)

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(G1話)

おそらくこの二つは1期1話とG1話を繋げるあるカット。

そしてこの両方を見ると、1期1話だと右が奏。左が翼。
G1話は右が翼。左がマリア。という位置関係がわかる。

1期では奏(右)から翼(左)に想いが託された引き継がれた展開を思い返すと、
Gでも翼(右)からマリア(左)へ想いが託される可能性はあるだろう。

sinfog1003.jpg

また声優のキャリアと歌手のキャリアから見ても
水樹奈々>日笠陽子であり、
1期の奏(高山みなみ)から翼(水樹奈々)の継承劇があったように
Gでも翼(水樹奈々)からマリア(日笠陽子)の継承劇的な作劇が行われることを
上のカットから予感させた。

キャラデザ・色味・ビジュアルなどの比較

ビジュアル的な意味合いでいえば、
淡い色合いだった1期よりGの方が色味的なコントラストが強調され、
光と影がくっきりした、より今風な画面に仕上がっている印象を受けた。

これは1期が、色彩設計が斎藤麻由さん、撮影監督が尾崎隆晴さんだったのに対し、
Gは、色彩設計が篠原愛子さん、撮影監督が岩崎敦さんに変わった影響なのかもしれない。

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(1期1話)

sinfog1001.jpg
(G1話)

またキャラクターデザインの面を見る為に、
響の1期とGのデザイン面での違いを上げてみる。

1期は頬から顎の顔のラインが丸み、ぷにっとしているのに対し、
Gは、頬から顎にかけてのラインがより鋭角、スラッとしているのがわかる。
また目の位置も1期より、顔の上部に配置し、おでこの面積が変わっているのがわかる。
これは、より大人になった響の成長をデザインで表現したものなのかもしれない。

まとめ

最大に気になる点は、監督が伊藤達文さんから小野勝巳さんへの変更だろう。

小野さんは遊☆戯☆王5D'sやビーストサーガの監督など
キッズ層主体の作品の監督をしてきた。
伊藤さんもしゅごキャラの監督をしている面も含めて、
シンフォギアはキッズ向けで蓄積がある演出家を監督に据えたい意向があるのかもしれない。

1期は伊藤さん、安田賢司さん、下田正美さんといった
監督クラスの方がメインでコンテを切っていたが
Gでも腕の立つコンテマンが参加してくれる事を期待したい。
 
sinfog1004.jpg

結論としては、G1話は作劇的には1期1話の展開を踏まえつつも
ビジュアル面ではより今風にブラッシュアップさせた印象を受けた。
そして本作で大事な音楽は様々な曲を投入して、ゴージャス感を引き立てていた。

何にしても、新しいシンフォギアの物語は開幕した。
一ファンとして、この新しい物語の経緯と結末を見届けたい。
 
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[ 2013/07/07 19:07 ] シンフォギアG | TB(17) | CM(1)

超圧縮展開のローゼンメイデン1話の構成にみえる望月智充さんの存在 

ローゼンメイデン3度目のTVアニメ化。

今回は、旧原作にあたるコミックバーズ版の総編集。
1話で8巻分相当を纏めてしまう超圧縮展開。
次回からヤンジャン連載の内容になりそうだ。

さてこうした圧縮展開を1話で仕掛けてくるのは驚いたが、
本作のシリーズ構成・脚本の望月智充さんの存在を踏まえるなら、
超展開の可能性も踏まえていいと思った。

例えば望月さんが手がけた「きまぐれオレンジロード」の1つ目と3つ目のOP。
1つ目のOPは、細かく映像を刻み、245カットに及ぶ構成。
逆に3つ目のOPはたった1カットのみで1分30分の映像を作る。

また1999年に監督をした「セラフィムコール」。
特に望月さんが絵コンテを切った2話では、
部屋内のぬいぐるみ視点から
この回のヒロインである寺本たんぽぽを徹底して描く。
決してぬいぐるみ視点からはブレない20数分が続くので、
異様な時間・空間感覚に襲われる回だった。

また、同じく絵コンテを切った5話の村雨紫苑・6話の村雨桜では
同じ物語を姉妹それぞれの視点で描く。
殆ど同じカットの使い回しを行いつつも
微妙に違う姉妹の感情の機敏を描く。
ほぼ同じ絵、だが感情的には違う内容を2週連続で見る奇妙な感覚を味わえた。

他にもぴえろ魔法少女シリーズでの演出も含めて、
望月さんは驚かせる演出をする引き出しを持つ
トリックスターなのである。

こうした望月さんのキャリアを踏まえれば、
1話で旧原作の8巻分をまとめてしまう脚本を書くのも
ありえるのかなぁと思った。

それにしても、8巻を1話分にまとめてしまえるのは、
作品への確信がなければできないだろう。
※これをコンテで描く、監督の畠山さんの仕事ぶりも気になった。

中々見られない展開を体験できたので良かった。
 
※追記

ちなみに望月智充さんは、1話が最終回でそこから物語の最初に遡る
「桃華月憚」のシリーズ構成だったことも留意しておきたい。
 
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[ 2013/07/05 20:53 ] ローゼンメイデン | TB(18) | CM(2)

あいうらの噛み合わない先にある楽しさ・日常・奇跡 

あいうら12話(最終話)を視聴。

このアニメはいつも私の想像を超えた表現を見せてくれた作品だった。

以前にも記事で書いたのだが、
キャッチコピーの「噛み合わない、それが楽しい。女子校生たちの日常。」にあるように、
あいうらは噛み合わない=違和感を描いてきた作品だと思っている。

【参考】「あいうら」は違和感でできている

例えば11話の傘をさすシーンでの電柱などが動く背景。
地面が入らない場所も入るレイアウト。
カット前にはあった背景が、カット後に背景が描かれなくなる6話。
声優さんの初々しい演技。
奏香のこ憎たらしい言動。
あいうらは常に「おっ」「あれっ」という違和感/噛み合わなさを生じさせていた。

そんな噛み合わないものを積み重ね続けた先にあったのが、最終話の以下のこのショット。

aiura12000.jpg

これだったのだから感動を覚えてしまう。
よく見ると違和感を感じる画だが、この画の力にはただただ感服するしかなかった。
そしてこの画と前後から感じられる3人の楽しそうな振る舞い。

噛み合わない事(違和感)が毎日の生活/生きていくことでありそれが楽しい。
噛み合わない先には楽しさがあり、それが日常なのだ。
あいうらはこうした事を描き続けた作品だった。

一方で最終話は1話を踏まえた構成だった点も素晴らしかった。
ゆっこんが自宅から階段を降りバスに乗り奏香達と合流し海へ。
1話と同じようで違う場所にたどり着くゆっこん。

この構成もまた、1話と最終話で同じようで違う意味において
噛み合わない=違和感を見せている演出なのだろう。

aiura12001.jpg

最後のカットは空の星を見るゆっこん。
この画もまた、画の力でねじ伏せてきていて、そこに痺れる。
さらにいえば、1話ではゆっこんが制服が着られるかどうかを悩んだのがオチだったが、
最終話では彼女が部屋を空けて空の星を見て話を終わる点もまた痺れる。

それは、おとなしめな性格のゆっこんは奏香や彩生と出会ったことで、
最後には外の扉を開くことができたと私には見えたからだ。

もともと1話で奏香、彩生に出会えたのも奇跡だったのかもしれない。
そして奇跡が新しい奇跡をを呼び、
ゆっこんの外の扉を開いたのがあいうらという作品だと、私は感じた。
 
あいうらは本当に素晴らしい作品だった。
中村亮介監督以下スタッフの皆様、ありがとうございました。
 
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[ 2013/06/26 20:35 ] あいうら | TB(7) | CM(0)

絶対防衛レヴィアタン11話の板野サーカス 

絶対防衛レヴィアタン11話。
レヴィアタンが水の力を使ったエフェクトが板野サーカスだった。

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ちゃんとサーカスやっているなぁと思っていたら
原画に後藤雅巳さんがクレジット。
おそらくこの板野サーカスは後藤さんかと思われる。
本家の板野一郎さんも認めるサーカスをレヴィアタンで見られるとは思わなかった。

銀色の髪のアギトの頃は過労/体調不良で仕事ができない話も聞こえていたが
ここ最近はアニメーターとしての活動も順調のようで、
マクロスプラス、ガンダムW、カウボーイビバップの頃から好きだった
後藤さんが帰ってきたような作画だったので嬉しかった。
 
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