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「Gのレコンギスタ」4話の繋がらない富野流会話劇の意味 

「Gのレコンギスタ」4話。

アイーダに連れられて、ベルリ・ノレド・ラライアが宇宙海賊の元へ。
一方キャピタル・アーミィはデレンセン大尉のカットシー部隊を使い、
宇宙海賊を叩く魂胆だが、ベルリはカーヒル大尉の件で
アイーダに貸しがあると感じ、戦いを止めようとGセルフに乗る展開。

カットシー乱舞というタイトル通り、
カットシーとGセルフの戦いが小気味よく描かれていた。


さて今回はGレコの会話劇について、4話を例に語ってみたい。
まず富野監督の作品は、Gレコもキャラ同士の会話が噛み合わないと指摘されている。
しかし他にも動作にしてもキャラクターがどこかに飛び移ろうとして失敗しそうになる、
もしくはストーリーの進行上を見ても、何かを行おうとしても進まないなど、
富野作品は世界観・キャラの会話や動作も含め「うまくいかない」価値観で通底される。
これが前提としてある。「ディスコミュニケーション」的であるともいえる。

一方で、会話が噛み合わないという指摘にも、噛み合わないパターンがいくつかある。
①お互いの手の内を見せたくないから噛み合わせないパターン。
②感情が高ぶり相手の聞く耳を持たないで会話するので噛み合わないパターン。
③一方は相手に理解を示すも、相手が理解を拒絶するので噛み合わないパターン。

今回のGレコ4話では①のお互いの手の内を見せないパターンが見られた。

Greko04001.jpg

まずベルリとドニエル艦長の会話。
お互いが情報を引き出そうと、話題を振るが巧妙に避けつつ質問する。

この後、ノレドやアイーダ、クリムとラライアも会話をするので、カオスな空間になる。

Greko04000.jpg

またベルリの母親、ウィルミット長官はルシータ大佐との会話でも
極めて大人同士で巧妙に胸中を明かさず、相手から心意を引き出そうとする会話。

アイーダに関しては、

Greko04-1000.jpg

カーヒル大尉を殺された件もあり、ベルリに対して感情的になり
相手の言うことを聞こうとしないので②のパターンと言える。
一方で、Gセルフで貸しを返すと言ったベルリの言葉には理解を示した模様。

③に関しては、お互いの主張や理解が深まってから起こるパターンなので
まだGセルフではみられないような気もするが、私が気づいていないだけかもしれない。

こうした繋がらない会話劇にある価値観とは何か。
繋がらない会話劇・不完全な会話に関して考える時に
かつて立川談志が松本人志のコントを見た時の発言を思い出す。

「言葉としてそのう。非常に不完全な言葉のやりとりね。オレとっても良くわかるんですよええ。だから俺はよくやってた。『月夜にターザンが泣くねぇ』『王手飛車取りだな』なんだかわかんないんだよ。うん。『潜水艦が飛んでるね』『ブラームスはやだね』なんだかわかんないんだよ、だけどね、そこで笑ってくるのがあるのが一つ。それとその、会話って言うのがこうやって繋がってるようだけど、実際には繋げてるだけの話でね。ほんとに繋げてるんだかどうだかわからない。(中略)
(出典:テレビ朝日1999年10月1日放送 VISUALOVE)


会話は、本質的には繋がっていない・つなげているだけと談志は言う。
こういう立場に富野監督も立っているからこそ、
繋がらない会話を描くことを自覚的にやっているのだろう。

一方で会話が繋がらないだけは終わらない。
この繋がらない会話劇の先にある繋がらない会話(人は繋がれない)な世界でも、
逆シャアのラストのシャアとアムロの会話劇のように、
シャアとアムロが最後の最後で本音で話し合った結果、
サイコフレームが発動して、アクシズが地球から遠ざかった奇跡に繋がる。

Gのレコンギスタが、逆シャアのように繋がらない会話劇からの奇跡を描くかはわからない。
ただ会話が噛み合わない世界・物事がうまくいかない世界で生まれる、
人同士が繋がる瞬間。物事が奇跡的にうまくいく瞬間が描かれるのが、
富野作品の醍醐味の一つではあると思う。
 
Gのレコンギスタは、繋がらない会話の連続のようにも聞こえるかもしれないが
繋がらないのが普通であり、会話とはつなげているだけに過ぎないと捉えれば
また新しい見え方ができるのかもしれない。
 
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[ 2014/10/18 22:02 ] Gのレコンギスタ | TB(7) | CM(0)

Gのレコンギスタの「クンタラ」の使い方にみる、富野由悠季の本気の作劇 

Gのレコンギスタでは「クンタラ」という言葉がある。

kuntara000.jpg

本編ではノレドが「クンタラのくせに」のように言われる。
また、ルイン・リーが「ベルリのお袋に取り入って、さすがクンタラ」と言われる。
どうやら蔑称のような感じで扱われてることはわかるが、
3話までの劇中でこの言葉の意味が詳しく紹介されることはない。

公式HPでは、
リギルド・センチュリーの世界では「クンタラ」と呼ばれる下級階層の人々が存在する。(出典:GのレコンギスタHP)
とのみ紹介されている。

しかし月刊アニメージュ 2014年10月号の小形尚弘プロデューサーの
インタビューで「クンタラ」について以下のように説明されている。
「クンタラ」とは、富野さんの造語ですが、この世界で差別されている人々です。宇宙世紀の後半、戦争でかなり疲弊した状態に陥り、経済的にも支配されて“食肉”になっていた人たちです。 ルイン、ノレド、マニィはその末裔です。現代の経済も、貧困層が富裕層の食い物にされている状態だというのを象徴しています。 (出典:月刊アニメージュ10月号 小松尚弘インタビュー)

「クンタラ」。宇宙世紀末期に食肉の対象とされていた人々。なんとも重い設定だ。
もしかすると、今後の地球規模の大騒乱が勃発した場合、
この「クンタラ」みたいに扱われる人々が出てくることも考えて設定されたのかもしれない。

しかしこの「クンタラ」の説明は本編中では全く行われないようだ。
富野由悠季監督もこの「クンタラ」の説明はしないと明言している。

ではなぜ説明をしないのか。
下調べをすればわかるが、しない人もいるだろうから
説明をした方がわかりやすく伝わるのにという意見もあるだろう。

その試みは、富野監督が2009年7月7日の日本外国特派員協会での講演で
以下のように語ったことに集約されている。
児童文学を書くためのハウツーものを読んだ時にあった1行が、僕にとって現在までの信条になりました。「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、その時は難しい言葉遣いでも、子どもはいつかその大人の言った言葉を思い出してくれる」という1行でした。つまりアニメのジャンルに関わらず、「子どもに向かって嘘をつくな。作家の全身全霊をかけろ」と僕は理解しました。
(出典:宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る(前編))

ここの富野監督の発言は、他の媒体や機会があるときに
以上のようなニュアンスの発言をしている。 
私もこの富野監督のスタンスが本当に好きだ。

さて上記の富野監督の発言と「クンタラ」がどう結びつくか。
私の中で考えているのは「クンタラ」という言葉の意味が伝わることが大事ではなく
「クンタラ」という言葉を使った側のキャラクターの心情、
もしくは「クンタラ」と言われた側のキャラクターの心情を描くのが大事なのだ。
そして「クンタラ」の宿命を背負った、ルイン・ノレド・マニィが
端々に見せる生き様なのだろう。

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2話でノレドがアイーダに撃ったパチンコも「クンタラ」の悲劇の歴史から生まれた
「本能的に自衛する武器」としての意味合いもあるようだ。

こうして「クンタラ」を具体的には説明せずに、
一方でその設定を元にしたキャラクター達の言動を描いていくことこそが
富野監督の言う「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、
その時は難しい言葉遣いでも、子どもはいつかその大人の言った言葉を思い出してくれる」
という部分に繋がっていくのだと思う。

つまり本編中で「クンタラ」という言葉がすぐにはわからなくても、
いつかはその言葉の意味が、キャラクターの言動を通してわかってほしいという
願いで使われているのだと私は思う。

一方で「クンタラ」という音の違和感によって引っかかりを与えているので
調べなくても、何かしら意味が通じているようにも描いているようにも見える。

富野監督の作品は上記のような「クンタラ」の設定を元に
行動や心情を具体的に描きすぎず、行間を重んじながらキャラクターと世界を描く。
これが富野監督の本気の作劇なのだと思う。
これは「海のトリトン」で初監督を手がけて以来、変わらない心情だ。
 
具体的に説明しなくても、本気で伝えればわかってくれる。
そんな願いがGレコの「クンタラ」という言葉を通して、伝わってくる。
 
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[ 2014/10/16 21:06 ] Gのレコンギスタ | TB(1) | CM(0)

「Gのレコンギスタ 3話」の排泄描写の意味-日常と非日常の接続 

「ガンダム Gのレコンギスタ」3話を視聴。

クリム・ニックが襲撃した混乱に乗じ、Gセルフに乗ったアイーダに連れられて、
海賊の元へ行くことになったベルリとノレド。
世界の中心たるキャピタルの外に出たことで、
ベルリが今後世界の真実を知ることになる予兆を感じさせた展開。

3話は海賊部隊の才気あふれる若きパイロットである
クリム・ニックの3枚目的な立ち振る舞いが面白かった。
また幾度となく描写される動物の描写は、
りギルドセンチュリーは自然が回復している世界という予感と
動物達のコミカルな仕草は、手塚治虫・虫プロ的な系譜を感じさせた。

日常と非日常をつなげるモビルスーツ内での排泄描写

さてGレコ3話では、クリム・ニックにも関わる見逃せない描写がある。
それはモビルスーツ内で起こる排泄描写である。

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モビルスーツの操縦席が、そのままトイレにもなっている。
初めてガンダムのモビルスーツの操縦席にトイレが付いた点で
ガンダムアニメの中でも画期的なシーンになっている。

そして、モビルスーツ内にトイレがある事は次の意味を持つ。

まずキャラクターの日常感をモビルスーツの機体内で表現できること。
最初に排泄をしたクリム・ニックは、水を飲む描写があるが、水を飲むから排泄をする。
他にも紙を捨てる、トイレの仕方などを含めてクリム・ニックという
キャラクターの生きる為の当たり前の行為(日常)がモビルスーツ内で表現可能となる。

今までのガンダムシリーズのモビルスーツは、戦争をする為に存在していた。
モビルスーツは平和を壊すものであり、日常とは反対の非日常的な存在だ。

それがトイレという日常的な舞台装置を一つ取り付けることで、
日常(排泄)と非日常(戦争・モビルスーツの機体内)をシームレスに繋ぎ
モビルスーツ内での排泄という劇的な空間を構成することを可能にしている。

キャラクターの日常を描く為の排泄描写を劇的に描く手段として、
モビルスーツ内で排泄行為をさせる。ガンダムアニメという特性を生かし、
日常と非日常を見事に繋げる設定だと感じた。

greko3002.jpg

さらにベルリの排泄シーンはさらに劇的に感じた。
なにしろ女の子3人に囲まれながらの排泄である。
これは一種のセックスに近い描写といってもよいのかもしれない。

そして極めつけは挿入歌「ハイフンスタッカート」である。
排泄行為を隠す為の歌だからこそ、強烈な歌詞と曲にしたのだろう。
排泄描写+強烈な挿入歌、という組み合わせで面白いシーンに仕上がり、
富野監督が常々目指している「劇的」「劇的な空間」の成立に一役買っている。

なぜベルリが排泄をしたのか。戦いが一段落して緊張の糸が途切れたためか、
それともGセルフがハッチを開けたままだったので、風に当たりすぎて腹を壊したのか。
色々考えられるが、何にしても排泄をすることで、
ベルリというキャラクターの行動動機を知りたくなるキッカケにもなる。

そしてクリム・ニックとベルリの二人が排泄したという意味では、
排泄を通して二人の比較が行われていたとも捉えられる。

またクリム・ニックは戦う前に排泄し、ベルリは戦い終了後に排泄する。
戦いの始まりと終わりにはトイレで用を足したくなる、人間の性質を描いている。

ガンダムアニメの挑戦としてのトイレ

富野由悠季総監督がこのトイレについて語っているインタビューを紹介する。


──ガンダムシリーズの完全オリジナルとなる新作は『∀ガンダム』以来(約15年ぶり)となりますが、新たに挑戦したことはありますか?

富野: かなりあります。今回のモビルスーツ(以下:MS)のパイロットシートには全部、バキュームトイレがついているんです。これは20年以上前から気にはなっていたんです。今まではあまり切実じゃなかったから、劇中なんだからそれは考えないでいいだろう、みたいな所がありました。僕も体調不全を経験したりして生理的なことを切実に感じるようになったので、メインスタッフが決まった時に、一番最初に依頼したのがトイレのデザインでした。そしてもう一つ、宇宙服を着ていても用が足せるデザイン。これは安田君(メカニカルデザイン:安田 朗氏)に考えてもらいました。僕が簡単に確定させてしまうと、デザインに反映されない不細工なものになってしまう恐れがあるので、安田君に依頼したのです。安田君がラフを描いてきて「どう考えても、ここまでです。ここまで開かないと、用は足せません」って。そこまで割らないと便座に座れないし、用が足せない。だから今回の『G-レコ』に出てくる宇宙服とパイロットスーツ、全部お尻までファスナーがあります。

「ガンダム Gのレコンギスタ」富野由悠季総監督インタビュー、本日到着!

富野監督の生理的な実体験がトイレの設定のきっかけ。
また新しいと聞かれてトイレの設定を挙げるあたり、
監督の作品に対する貪欲性が感じられる。

まとめ

戦争の道具であるモビルスーツ内でトイレをつけたのは、
リギルドセンチュリーという世界だからでもあるのだろう。

宇宙世紀で続いた資源争奪の為の戦争の連続によって人口が激減し、
そこから1000年経って、復興を遂げつつあるこの世界において、
今までの宇宙世紀的な価値観とは別の価値観ができていることを
トイレの存在は示唆しているのかもしれない。

それにしても日常的な排泄のシーンを、モビルスーツ内で描いてしまうのは
物語構成においても段取りを省きつつも、見たこともなかった映像
つまり劇的な空間を形成できるという意味でも、面白い描写だった。
  
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[ 2014/10/11 06:27 ] Gのレコンギスタ | TB(16) | CM(2)

「ガンダム Gのレコンギスタ」1話にある富野・出崎・ジブリの結合点 

TV版「ガンダム Gのレコンギスタ」1話を視聴。

注目したいのはベルリとアイーダの初対面のシーン。

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アイーダをじっくり見つめるベルリ。
ベルリはここでアイーダに一目惚れしてしまう。

このシーンで面白いのは通常の時間の流れとは違うこと。
ベルリの主観的時間をイメージBGを使いながら、
ベルリから見たアイーダが一目惚れするほど鮮烈だった事を描いている。

本編が目まぐるしく、カットが進行していく中で
このシーンだけ時間の進行具合が違うという印象を受けた。
また常時キャラクターが喋りあいながら進行する物語において、
アップで見せながらもお互いのセリフが無いシーンでもある。

ベルリの一目ぼれという、物語において重要な要素を
本編における時間進行の緩急とイメージBGで演出している。

そして私はこのキャラクターの鮮烈さを見せる演出を、
富野さんが出崎さん的な引き出しを使ってきたものだと感じてしまう。
このシーンを、ジブリ出身の吉田健一さんのキャラクター(+作監修正)で描かれる。

このシーンは富野・出崎・ジブリ(宮崎)の結合点として見てしまい
日本のTVアニメのひとつの節目を感じさせるシーンだと私個人は思った。
 
 
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[ 2014/10/04 07:14 ] Gのレコンギスタ | TB(11) | CM(2)

富野由悠季監督は大器晩成型である-「ガンダム Gのレコンギスタ」 

「ガンダム Gのレコンギスタ」の1話から3話までの先行上映を見た。

結論からいうと、富野由悠季監督はまだまだパワーアップしている印象。
齢72歳にしてこの境地。老いてますます盛んな黄忠のようである。
そんな想いもあって、次のようなツイートをした。




ますます富野監督はコンテを切って、新作を作ってほしい。

本編について

さて、監督の話題からは外れて本編の話題へ。
(以下、ネタバレ有りです)

3話まで見た感想は、退屈せず楽しく食い入るように見ていた。
高密度高圧縮に展開される物語。
その物語を盛り上げるように元気に動くキャラクター達。
宇宙世紀のビジュアル感とは違う感じを見事に表現する美術。
映像を見事に盛り上げる音楽。
そして間延びもない、スピード感溢れる映像。

全ての要素が渾然一体となって、エンターテイメントした作品に仕上がっていた。

生き生きと描かれるキャラクター

私がまず惹かれたのは生き生きとしたキャラクター達だ。

リギルド・センチュリーの宇宙エレベーターの世界に生きる
ベルリ達若者のエネルギッシュな姿に心がときめいた。
彼らは生きていることに鬱屈とせず、自分なりの信念があり、
恋愛にも積極的で男女ともに交じり合う姿が描かれているようにも見えた。

特に主人公のベルリ・ゼナムが好印象。
それは、1話でGセルフがやって来たら
ノリノリでレクテンに乗ってGセルフを抑えようと試み、
(しかも様々なギミックで抑えようとするのが良い)
色々な所に首を突っ込む好奇心旺盛さが見ていて気持ちが良かった。

また他にも2話のノレド達チアリーディングが踊るシーンや
3話で海賊部隊のクリム・ニックと辻親八さん声のおじさんキャラが
口論しているシーンなど元気なキャラが駆け回るのが良かった。

特に美少女キャラはどれも魅力的。アイーダ・ノレド・マニィ、どれもいい。

そしてMSの戦闘シーンでも、キャラクター達は嫌々戦うわけではなく
むしろノリノリで好戦的ですらある。
彼らは戦争したいわけではないだろうが、生きるため・何かをしなくてはと想う
キャラクター達が能動的に動く事で物語は進行していた。

どのキャラクターも一癖二癖があって生き生きしている。
なんだか現実に生きる私の方が生き生きとしていないと思ったぐらいだ。
こんなにバイタリティー溢れるキャラクター達を見て元気をもらえた。
 
疾走感ある演出

こうした生き生きとしたキャラクター達が画面狭しと世界を動く動く。
宇宙エレベーター内、キャピタルテリトリィ周辺、建物の中・・・。
ベルリ達は様々な所へ移動することで、動くこと自体の魅力を再確認させる。
そんなキャラクターに合わせて、カメラもよく動く。

矢継ぎ早の物語とよく動くキャラクターとカメラ、
そしてカット頭からキャラのアクションから始まるアクションカットの連続によって
間延びしない・疾走感ある展開が生まれるのだろう。

それにしても最近のアニメでここまでカメラが動く作品は無いような気がする。
このカメラを動かす(カメラを最大限に活用する)のが
高密度高圧縮展開を可能にさせる富野監督の演出方法なのだろう。
他には主人公やメインキャラが中心にいるショットで
後ろにいるモブキャラがさりげなく動いているカットが多いのも富野さんらしい演出。

一方で、1話最後のベルリとアイーダが身体的にすれ違うカットで
画面の背景がピンク色のイメージBGになり、スローモーションになった所は
富野監督が出崎統さんの演出の引き出しを使ってきたなと思った。
めまぐるしく動くキャラクターとカメラ演出が続く中だからこそ
ピンク色のイメージBGとスローモーションが際立って生きていた。

ちなみに1話から3話まで脚本:富野由悠季、斧谷稔コンテ。
濃厚な富野ワールドな映像体験であった。

光るギャグのセンス

何よりビックリしたのが、ギャグのセンスが光っていたことだ。
(富野監督の頭が光っていたわけではない。むしろ最近は少し毛がある)

特に3話はギャグのキレが良かった。

まず上記でも語ったが、
クリム・ニックと辻親八キャラが口論しているシーンがコミカルで面白かった。

またクリム・ニックがMSモンテーロに乗って、アイーダを救出するために
キャピタルテリトリィに向かう途中で森林内を突き抜けるのだが、
MSが森林内に現れたために、森林内の動物たちが驚きコミカル調になるシーンがある。
まるでギャグ漫画のようなタッチで動物たちが作画されているのだが、
そのシーンが作品内的にも浮いていないように描かれていたのが面白かった。

またMSに搭乗しているクリムが何かの衝撃でコクピット内のどこかにぶつかるなど
アクションつなぎからの、キャラがどこかにぶつかるというのが面白く感じられた。
他にはアイーダに乗っ取られたGセルフ達と一緒にベルリ達も連れられたことを知った
ベルリのお母さんの「自分の息子もですか!」みたいな台詞回しも面白かった。

2話で海賊部隊のカーヒルが死んで終わりという、結構ハードな展開があったからこそ
3話では強くコミカル調・ギャグ調に仕立て上げたのだろう。

富野監督作品のギャグといえば「戦闘メカザブングル」や「機動戦士ガンダムZZ」
の前半が思い浮かぶが、本作はこれらの作品以上にギャグが際立って洗練されていた。
言い換えればギャグっぽく描かれていても、世界観が壊れていない。
まさか富野監督のギャグセンスに磨きがかかっているのは意外中の意外。
その意味でも自分の中での新しい富野監督の一面を見られたのが最大の収穫だった。

まとめ

キャッチコピーの「元気のGだ」は伊達ではなかった。
まさに映像を通して元気をもらえたし、そして面白かった。

富野監督が前に手がけたTVシリーズである「キングゲイナー」以上に
本作は元気の面が強調され、より自然な形で画面に結実していた。
こうした作品を手がけられるのは、富野監督が健康で元気だからだろう。

ファンだから富野監督ばかりの話をしてしまうが、
吉田健一さんによるキャラクターデザイン。
レクテン、グリモア、モンテーロ含めてどれもカッコイイMS達。
前面に出すぎず、それでいて印象的にも聞こえる菅野祐悟さんの音楽。
作品を支えるスタッフ達の魅力的な仕事も光っていた。

「ガンダム Gのレコンギスタ」今後の展開が待ち遠しい。
 
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[ 2014/08/24 19:43 ] Gのレコンギスタ | TB(2) | CM(0)

富野由悠季の挑戦-ガンダム Gのレコンギスタ1話 

「ガンダム-Gのレコンギスタ」1話を
ドコモdアニメストアによる冒頭10分間の先行配信を視聴。

よく動くキャラクターとカメラ。
そして映像の連続性(コンティニュティ)を徹底的に突き詰めたカット割り。

PANとズームを駆使したよく動くカメラは、
宇宙エレベーターを中心とした世界を見せたい想いであり、
生き生きと動く少年少女の元気な姿は、未来と生きていくことへの肯定感。
世界とキャラクターを富野由悠季なりの映像の原則を持って伝えている映像だった。

驚いたのはファーストカットがモビルスーツのシーンから始まったこと。
ファーストカットがロボッから始まるのは、富野作品でも少ないのではなかろうか。
ただファーストカットからロボットという映像的暴力性、
つまりロボットがいるだけで画面の間が持ってしまう機能を使い、
最初から興味を惹かせような展開で構成したのだなと思った。

このモビルスーツのシーンを見せてから、
キャピタル・テリトリィ、キャピタルタワーという世界の大枠をPANで見せていく。
そして世界を見せたら次にベルリ達、キャピタル・ガードといったキャラクターを見せる。
世界からキャラクターという繋げ方は富野監督らしい演出だ。

そんなベルリ達は楽しそうに生きている。
ノレド達チアリーディング部の女の子達のはしゃぎぶりも
キャピタル・ガード候補生達も生き生きとしている。
そういう未来に生きているんだなぁと思わせる世界とキャラクターだった。

それにしても高密度な10分間だった。

Gセルフに乗るラライアが捕獲
リギルドセンチュリーと宇宙エレベーターの世界観の説明
クラウンでのベルリ達の日常
そしてGーセルフの襲撃

この圧縮展開こそが富野作品の醍醐味だなぁと感じつつ、
一方で世界観や宇宙エレベーターの原理の説明がされているが
まだ世界観や設定を飲み込めていない自分がいる。
それでも、映像のスピード感がもたらす圧倒的気持ちよさに酔いしれた。

作画については、一枚絵的な描き込みの重視より
動くことの気持ちよさを重視したデザインと動かし方をしていた印象。
カットのリズムに合わせて作画されていた。
気になったのがベルリの口の形が喋り方に合わせて様々だったこと。
ユニークな口の形もしていて、かつGセルフがやってきた時に
楽しそうな表情を浮かべる点を見ても、ベルリは後期心旺盛なのだろう。

最後に。リギルドセンチュリーの世界を描き出す今後の展開に期待してしまう。
近未来性を感じる都市設定や宇宙エレベーターの存在。
宇宙世紀の世界より高度に進んだ文明の姿を見るのはワクワクする。

∀ガンダムでガンダム世界の最後を描きつつ、
始まりの宇宙世紀と終わりの正暦の間をつなぐりギルドセンチュリーを描く。
ガンダムの世界を拡張し、可能性を広げていくのは富野監督が一番だと思うし、
富野監督は常にガンダム世界において先駆者であることを改めて証明した。

ガンダムGのレコンギスタは、レコンキスタというに何を回復するのか。
ガンダムなのか、それとも日本のアニメーションなのか。
まだ1話のAパートのみであるがBパート以降に期待したい、というか早く見たい。
 
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[ 2014/08/09 06:38 ] Gのレコンギスタ | TB(1) | CM(0)