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ドラクエⅢの強敵エリアポイント(アレフガルド編) 

ドラクエⅢには、いきなり場違いな強敵が出現するエリアがある。

一番有名な箇所は、カザーブの村を真東に進んでいった先の川近くの森。
まほうおばば、グリズリー、デスストーカー、ばくだんいわといった
「ホビットのほこら」エリアの強敵が現れる。



通常プレイだとレベル10程度で行けてしまうところに、
レベル20以上に達していないと戦えないモンスターが現る。

まほうおばばのベギラマ、バシルーラ。
グリズリー・デスストーカーの圧倒的火力
そしてばくだんいわのメガンテ。

何もわからない内に全滅したプレイヤーも数多いと思う。


他にも場違いに強敵が出現するエリアがある。
ノアニール西の洞窟の南にエジンベアのモンスタ。ー
ネクロゴンドの火山の火口の近くは、イシスではなくネクロゴンドのモンスター。
他にもあるが、攻略レベルを遥かに上回る強敵が潜んでいる。

これは「エリアバグ」とも呼ばれている。
モンスター生息エリアのズレにより、別の地域のモンスターが出現してしまう現象。
細かくモンスターの出現エリアを設定できないFCの仕様のようである。


あまり知られていないのかもしれないが
アレフガルドでもエリアバグがある。

場所は、ラダトームからドムドーラに南下した岬の1マス。

dq3エリアバグ
※勇者がいる1マス

このマスだけ出現モンスターが違う。
この辺りはマドハンド・じごくのきし・スライムベス・スライムなどが出るのだが、
このマスは、トロルキング、ヒドラ、ドラゴン、ゴールドマン、はぐれメタルが出る。

どうやらこのマスだけ、ゾーマがいる魔の島のモンスター生息エリアにかぶっている。
(※魔の島は、画像右上の岩山に囲まれた毒の沼地)

ただここまで通常プレイで到達していれば、
レベルもそれなりにある(推定:30以上)ので、
圧倒的に苦戦するほどではないと思う。

だから目立たない強敵出現ポイントではあるが、
子供の頃の思い出の一つとして、この箇所は思い出深い。
  
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[ 2016/12/25 16:57 ] ドラゴンクエスト | TB(1) | CM(0)

ドラクエⅢの「ぼうけんのしょ」についての思い出 

ツイッターで「#おまえらのゲームのトラウマ挙げてけ」という
ハッシュタグがあったので、ファミコンのドラクエシリーズのトラウマを挙げてみた。



特にトラウマなのが、ドラゴンクエストⅢ(ファミコン)で
「ぼうけんのしょ」が消えてしまうこと。

boukennnoso.jpg

初クリアするまでに2回消えてしまった事は覚えている。
1回目はサマンオサまで行って(レベル23ぐらい)。
2回目はロマリアで(レベル10ぐらい)。

子供の貴重なゲームの時間が「ぼうけんのしょ」が消えてしまうために
何度も何度も同じ展開を味ってしまう。

クリアしてからやり直すのは疲れないが、
途中でデータが消えてやり直すのはとてもきつかった。
でも「ぼうけんのしょ」が消える苦労を多くの方が味わったことが、
ドラクエⅢを振り返った時に「思い出補正」として機能している面もあると思う。

さらにいえば、一緒のソフトを使っていた父親の「ぼうけんのしょ」は
1回も消えなかったので、羨ましかったという記憶も覚えている。


さて「ぼうけんのしょ」が消えてしまうのは
起動時の読み込み失敗のためにデータを消してしまうのが原因。
データが消えているのではなく、消しているのだ。

そして「おきのどくですが ぼうけんのしょは ~」
というメッセージが出ている時はまだデータを消していない状態なので
すぐに電源を切ってやり直せば、データは元のまま保存されるとのことがわかっている。

ドラクエⅢが発表されて数ヵ月後もすると
「ぼうけんのしょ」が消えたことがある子供達で溢れかえった。
そんな中で誰に聞いたが忘れたが
「あの音楽が聞こえたら、すぐに電源を切ってやり直すと冒険の書が復活する事がある」
という話を聞いたことがあった。

嘘だろうなぁと思っていたが、友達の家でドラクエⅢをやろうとした時に
例の「おきのどくですが~」のメッセージがあの音楽とともに聞こえたので、
ダメ元ですぐさま電源を消した。友人は消した時にもちろん怒り気味だったが、
私は「あれが聞こえたら消えてしまうからダメ元でやってみた」と話した。
そして電源をつけたらあの音楽も鳴らずに「ぼうけんのしょ」は残っていた。
私と友人は安堵した。噂は本当だったんだなぁと思った。

後にドラクエⅤでエスタークが10ターン以内に倒せば仲間になるという
噂を本当にして頑張ったのは数年後の話。

「ぼうけんのしょ」もソフトを丁寧に扱うようになれば消える率は低くなると思う。
ソフトを本体に優しく差し込む。本体をホコリから守る。本体やソフトを動かさない。
何より「りせっとぼたんを おしながら でんげんを きってください。」を守ること。

私はドラクエⅢの「ぼうけんのしょ」から
機械を丁寧に扱うことの大切さを学んだのかもしれない。

最後に
私にとって「ぼうけんのしょ」といえばドラクエⅢだ。
あの消えやすい冒険の書があってこそドラクエⅢが輝いているのである。
 
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[ 2016/12/13 21:01 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(0)

ドラゴンクエスト30周年ーその思い 

1986年5月27日「ドラゴンクエスト」発売。そして今年で30年が経った。

1234.jpg

子供の時にはドラクエが、ここまで続くことは思わなかった。
大人になっても未だにやり続けるなんて想像もできなかった。

最近はDS版のⅣとⅤをやり直したばかり。
DSのⅤは嫁にしたデボラとの会話が面白いと思いつつ、
今回はいつもは仲間になりやすいホイミスライムが仲間に中々ならず、
中盤の回復役が不足してちょいと苦労した。

ドラクエは面白い。いつやっても飽きない。

そんなドラクエは私にとって何なのか。
まず子供の頃はドラクエが一番の楽しみだった。
クリアしては最初からやり直し、クリアしては最初からやり直し。
あくる日もあくる日もドラクエばかりやっていた。

ⅠやⅡはふっかつのじゅもんを書くのが面倒だったが、
バッテリバックアップができるようになったⅢ以降は
飛躍的に周回プレイする数が多くなった。

なぜドラクエにそんなにハマってしまったのか。
それは父の存在がとても大きい。父は鳥山明がとても好きなのだ。
子供の頃は一緒にアラレちゃんやドラゴンボールのアニメを楽しみ
二人で少年ジャンプを回し読みしていた。
そして今でも父はドラゴンボール超の放送を毎週楽しみに見ている。

父はゲームに必ずしも肯定的ではないのだが、
鳥山明が絵を描いているドラクエは無条件に買ってくれた。
むしろ率先して買ってきてくれた。
ドラクエⅣは徹夜でゲームショップに並び
発売当日に買ってきてくれたのも父だった。

そんな父と一緒にドラクエをやっていた。
よくよく考えると、父とはドラクエを通してコミュニケーションをとっていた。
特にドラクエⅡは、中々攻略できない大灯台を徹夜でクリアを試み、
ロンダルキアへの洞窟にいるメイジバピラスから
レアアイテム「ふしぎなぼうし」をドロップした父に尊敬を抱いたものだ。

ふっかつのじゅもんを間違えずに書き取りできるように教えてくれたのも父。
ロンダルキアへの洞窟の落とし穴の法則やゾーマの城の回転床の法則を
教えてくれたのも父。そんなドラクエを教えてくれた父は立ちはだかる壁でもあった。

ⅠⅡⅢは父に先にクリアされてしまったが、
Ⅳで始めて父より先にゲームをクリアできた時はとても嬉しかった。
またⅣは父の力(助言)を借りずに一人でクリアできた事が何より嬉しかった。
父より先にクリアしたことで、父に勝ったと当時は思えた。
そんなやり取りをしながらドラクエをしていたので、
ドラクエというと父との思い出をまず思い浮かべる。

そしてドラクエの何に惹かれたのか。
面白いのは私にとって間違いないのだが、中々言葉にできなかった。
そして最近、ガルムウォーズに公開に関連して、
押井守さんと虚淵玄さんの対談配信での押井さんの話の中でわかった気がする。
(※奇しくも押井さんもドラクエ好き 今はドラクエビルダーズをやっている)

押井さんは対談で「ファンタジーの役割は、ファンタジーを通して世界を知ること」
というニュアンスで語っていた。この話を聞いて子供で何も知らなかった私は
ドラクエというファンタジーを通して世界が知りたいから、やり続けたのだと気づいた。
私にとってドラクエが世界の縮図であり、その縮図から色々学びたかったのだ。

ドラクエの世界を旅すること。世界の人々と会話し、おつかいして何かを見つけること。
内気ながら擬似的ながら旅することの、外へ向かう面白さを掴みたかったのだ。

特に現実世界に似ている形のドラクエⅢの世界を冒険することは、
まさに世界を旅する事をゲームで追体験できるものであり、
世界を知りたい思いを叶えるものだった。
そんな世界の下にアレフガルドがあるが、
現実世界の奥底には私たちの知らない世界もあるかもしれないという
ファンタジー的な希望も抱かせてくれた。

ドラクエシリーズは、私にとって全てだった。全ての始まりだったと思う。
今のように趣味に取り組むようになったのもドラクエがあったからだろう。
 

ドラクエと出会えて良かった。
ドラクエと出会わなければ、人生ちょいと損していた。
ドラクエがあったから、なんとか生きてこれた。
新作ドラクエやリメイク、DQMシリーズをやるために生きのびてきた。

Ⅺがプレイできる日を待ち遠しく思いつつ、
今日、明日と生きていく。
 
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[ 2016/05/26 19:27 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(0)

なぜ、ドラクエの店はアイテムを定価の75%で高額買取できるのか? 

はじめに

なぜ、ドラクエの武器屋はあれほど強いアイテムを売っているのに、しがない商売を続けたのか?(京都のマンドリルさんのnote)

という記事を読んで、子供の時から思っていたあることを書きたくなった。

「なぜ、ドラクエの店はアイテムを75%で買取るのか?」

do4.png
※殺された幼馴染のシンシアのはねぼうしを、210Gで売ろうとするドラクエ4の女勇者

シリーズによってはⅠやⅨのように半値買取もあるが、
多くのドラクエは定価の75%でアイテムを買取する。
今回はこのことについて語りたい。
※筆者はⅩをやってません

道具・武器防具のケース

例えば薬草や毒消し草なら未使用のものだから、
そのまま使えるという事で定価の75%の買取も可能なのかもしれない。
※一方で使用期限の問題も浮上してくるのだが・・・

武器防具の場合はどうだろう。
散々モンスターと戦いボロボロになった中古の武器防具を
定価の75%で買取るのは、店側にとっては不利益なのではないか。

スライムを殴り続けてボコボコになった「こんぼう」
ドラゴンを斬り過ぎて刃こぼれした「ドラゴンキラー」
戦士の血と汗にまみれた「まほうのよろい」
マーニャが着た「おどりこのふく」←むしろこれは価値が上がるかも

どんなに使い尽くしても、定価の75%で買取。
勇者側にとって、これ以上に有利な条件のようにも思える。

どうしてだろう。

理由

ドラクエの武器屋が高値買取すぎる件(Excite Bit コネタ)

上記記事によれば、RPGの元祖的作品のウィザードリィから
定価の半額買取が始まり、他のRPGも慣習的に
ならったのではないかという指摘をしていた。

ただ私としては別の理由も考えてみたい。
それも作品世界に寄り添って。

そして導き出した結論は、

「モンスターと戦う勇気ある戦士や冒険者に対し、
国や町が優遇政策を行なっているのではないかということ。」


ドラクエの世界は国や町や村を一歩出れば
モンスターがはびこっており、命の危険を常にさらされるような状態が多い。

そんな世界の中で時にはモンスターと戦う
冒険者や勇者達は、尊敬の対象になっていてもおかしくはない。

そんな勇気ある彼らに国や町は経済的に支援しようとして、
彼らが使った武器防具を高く買い取ることで、
冒険者たちが新しい武器防具を購入しやすくなるような
便宜を図っていたのではないだろうか。

例えば冒険者の武器防具道具の買取をした店は、
国の税務課や町の商工会に適正な申請すれば、
奨励金みたいなものが出ていたのかもしれない。

ドラクエ3ではどうのつるぎが定価100Gで、売ると75Gなのだが、
もし冒険者が店に1本売り、店は国や町に申請すると、
売値の20%、つまり15Gをキックバックしてもらえるとか
そんな制度があったのかもしれない。

要は冒険者にお金が回るよう国や町が支援いたのかもしれない
なんて考えると面白いかなと思った。

まとめ

ゲームシステム的にはアイテムを高く買取させることで、
モンスターとの戦闘によるゴールド稼ぎを減らして
ゲームバランスを取ろうとしたのかもしれない。

作品に寄り添って考えると以上のような想像が働いたのだが、
他にももう少し考えれば、面白い想像が働きそうだ。

今年はドラクエ30周年。これからもドラクエを楽しんでいきたい。
 
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[ 2016/02/17 21:23 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(1)

新しい世界に出会う冒険の感動ードラゴンクエストⅡ・Ⅲ、ファイナルファンタジーⅢ 

昨日以下のようなツイートをした。




doraff.jpg
参考画像:ドラゴンクエストⅢ

doraff2.jpg

doraff1.jpg
参考画像:ファイナルファンタジーⅢ

ドラクエⅢのギアガの大穴に落ちた後に広がる世界が、アレフガルドだったこと。
ファイナルファンタジーⅢの浮遊大陸を出た後の世界が、水没していたこと。
この二つは私のゲーム体験の中でも忘れられない瞬間であり、
ゲームから世界の広さと(疑似体験ながら)冒険の面白さを教えてくれた。

ドラクエⅢは、Ⅰ・Ⅱとプレイしてきて、アレフガルドという土地と名前を
覚えているからこそ訪れた世界がアレフガルドというところに驚く。
Ⅲはプレイしていると、Ⅲの舞台はアレフガルドではないのかぁと思ってしまうが、
そのプレイヤーの思い込みを後半で見事に裏切る。上手い。
魔王バラモスを倒し、大魔王ゾーマの存在を知るタイミングも神がかっている。

FFⅢの場合は、まず主人公達がいた世界が浮遊大陸というアイディアに驚く。
そして浮遊大陸を出た世界に広がるのは、果てしなき大海原。
飛空艇でどこへ行っても海しかない。下手したら迷う。
切ない音楽とともに、私の心を絶望に叩きつけた。

FFⅢは初回プレイ時、飛空艇で動いたら迷ってしまいリセットした。
2回目の時に偶然、水のクリスタルの神殿をみつけたものの、
水の巫女エリアに会わないと、先に進めないため、
沈没船を見つけるまで途方に暮れたものの、見つけた時の喜びはひとしおだった。


こうした新しい世界をインパクトをもって見せてくれるゲームに痺れたものだ。


ちなみに私が始めてゲームで感動を覚えたシーンは、
ドラゴンクエストⅡのロンダルキアへの洞窟を登った先の
ロンダルキアの台地が白い平原の世界だったこと。

doraff3.jpg

ロンダルキアへの洞窟。
往年のドラクエファンなら説明不要の極めて難易度の高い洞窟だ。
落とし穴あり。ループ道あり。敵は強い。
ドラゴン4匹の炎。キラーマシンの硬さ。バーサーカーの攻撃力。

そんな辛くて難しい洞窟を抜けた先にあるのは白い台地。
川端康成の「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」のように
「ロンダルキアへの洞窟を抜けるとそこは雪国だった」と思わせる瞬間。

標高の高い台地に登ったからこその銀世界。
初プレイ時にロンダルキアの台地が美しく見えたのは私だけだろうか。
そんな白き台地でブリザードのザラキ、ギガンテスの痛恨の一撃
そしてデビルロードのメガンテが響き渡り、画面を真っ赤に染め上げる。

ドラクエもFFも、新しい世界を見せてくれた感動があった。
未だにドラクエやFFが好きなのは、こうした感動を覚えているからであり
私のゲーム原体験になっているからだろう。
 
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[ 2015/10/15 20:49 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(0)

3DS版「ドラゴンクエストⅧ」のゼシカエンドについての雑感 

3DS版「ドラゴンクエストⅧ」をずっとやっていた。


 
本編はクリアし、追加の隠しボスや新要素もあらかた片付けた。
(写真クエストとモンスター・バトルロードのランクSSが残っている)

3DS版で驚いたのが、主人公と仲間のゼシカが結ばれる
通称ゼシカエンドが追加されたことだ。

ドラクエⅧは好きで、周回プレイを何回もしたが
私は主人公とゼシカをカップルとして全く見ることがなかった。
理由は二つある。

まず一つ目に、主人公とゼシカは目的を一緒にした仲間であり、
冒険の途中では、互いを異性としてみる描写がなかったから。

二つ目にゼシカは旅の目的にもなった死んだ兄への思慕がとても強く、
PS2版をやった時は、兄思いのゼシカが主人公を好きになるとは思わなかったから。

この二つの理由で、主人公とゼシカをカップルとして見ていなかった。
3DS版ではそんな二人がカップルになるエンドがあるのだから、
ファンの間では、主人公とゼシカのカップリングを望む声はあったのかもしれない。


3DS版のゼシカエンドは、ゼシカが故郷のリーザス村に戻り
死んだ兄の墓参りをするイベントのフラグを立てて発生する。

そしてEDでは主人公がゼシカへの思いを正直に告白し
旅してきたゼシカが死んだ兄を主人公に重ねることを告白することで、
互いに異性として意識するという繋げ方をしている。

まずゼシカの兄への思いがあって、その思いを主人公に繋げていく。
二人を結ぶのに、妥当な見せ方だと思う。

何にしても、そもそも主人公とゼシカがくっつくという想像力がなかったので
自分では想像できない新しい物語の結末が見られたのが良かった。
またED最後の主人公に惚れているゼシカの健気さは、
PS2版では中々見られない姿であり、
ゼシカというキャラの新しい一面を竹達彩奈さんの演技で見せてくれたのも良かった。
 
ドラクエⅧ好きなら、3DS版もやってほしいと薦めたい。
 
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[ 2015/09/09 20:09 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(0)

「ドラゴンクエストⅣ」は愛する者を失った二人の復讐の物語である。 

ファミコンソフト「ドラゴンクエストⅣ」が今年の2月11日で発売25周年となった。
今回はドラゴンクエストⅣ(以下ドラクエⅣ)の物語について語ってみたい。

1章から4章まで

ドラクエⅣは復讐の物語だったと思う。

本作は5章構成だが、1章から3章までは、復讐の色は見えてこない。
1章のライアンでは、戦士としての職責を描き
2章のアリーナ達では、おてんば姫の好奇心を描き
3章のトルネコでは、商人の探究心と商才を描く。
キャラクターの特徴に沿った物語展開を行っている。
そして4章から復讐の物語としての本作が色濃くなる。

4章では踊り子マーニャと占い師ミネアの姉妹は、父親を殺したバルザックを探し
やがてバルザックの所在を突き止め、一矢報いる。
しかしバルザックの後ろ盾であるキングレオに返り討ちをされる。
そして姉妹は国外へ落ち延びる。姉妹の復讐は失敗に終わる。

5章前半

そんな姉妹の失敗を受けて5章冒頭は、
山奥に住む勇者の村が魔族の首魁デスピサロに滅ぼされる展開になる。
育ての親、剣術や魔法の死、そして幼な馴染みシンシアとの死別。
特にシンシアは変身の魔法「モシャス」を使い、勇者の身代わりになって死ぬ壮絶さ。
この一連の流れはプレイヤーに衝撃を与えたであろう。

そして滅ぼされた故郷を背にして勇者は旅を始める。
手がかりはデスピサロという魔族の首魁。
この勇者の旅の目的としては、愛する人を、村を滅ぼされた
無念を果たす為にデスピサロを探し復讐を果たすという解釈が自然にくると思う。
こうして4章から5章にかけて、復讐に失敗した姉妹と復讐の為に旅する勇者が
出会うことで、勇者の運命が大きく好転する事を描いている。

そして勇者達は他の仲間たち(導かれし者たち)と出合い、
マーニャ・ミネア姉妹の敵であるキングレオとバルザックと再戦する。
バルザックは進化の秘法でより強い姿に進化したものの、
力をつけた勇者たちに倒されてしまう。
二人の姉妹の復讐もキングレオ・バルザックを倒すことでひとまず達成。
そしてバルザックの背後にいたのはデスピサロだったことがわかり、
バルザックもまたデスピサロという巨悪の手先に過ぎないことがわかる。
モンバーバラの姉妹の復讐は終わっても、勇者の復讐はまだまだ続く。

5章中盤・後半

ただそんなデスピサロも勇者が旅をしていく内に明らかになることがある。
それはエルフのロザリーの存在だ。
ロザリーの流す涙が宝石となるために人間に狙われていて、
そんなロザリーに対しデスピサロは哀れみと愛情があったのだろう、
彼女を守るために人間を根絶やしにすることを決意する。
その為に魔族の存在を脅かす勇者の存在を疎ましく思い、
勇者の居場所を突き止め、勇者を滅ぼし、目的は達成されたかに見えた。

しかし勇者は仕留めそこない、それが故にキングレオなどの部下を失い、
そして魔族側の切り札として見なされていた
地獄の帝王エスタークも勇者達に倒されてしまう。

さらにロザリーもデスピサロがエスターク探しに躍起になる中で人間に惨殺されてしまう。
結果デスピサロは人間への復讐心に心が支配され
黄金の腕輪によって完成した進化の秘法により究極進化を遂げ、
自らの記憶を失うとともに究極のモンスターとして生まれ変わることになった。

こうしてドラクエⅣの物語は
愛する村、愛する人シンシアを失った勇者と
愛するロザリーを失ったデスピサロという
愛するものを失い、復讐心を持った二人の戦いという構図になる。
それぞれの正義と復讐。

5章後半~ED

最終的には、一人ぼっちのデスピサロに対して
仲間が傍に勇者はデスピサロを倒すことができた。

デスピサロも哀れだった思う。ロザリーを守るために、
人間全てを滅ぼすという果てしない野望に身を殉じるよりかは
ロザリーの傍にいてあげたほうが良かったと思う。
しかし彼自身の行動が結果的に勇者を目覚めさせ、
ロザリーを失い、最後は自らのみを滅ぼすことにもなった。

一方の勇者も復讐を果たしたとはいえ孤独だ。
仲間達はそれぞれの居場所があるのだが、
マスタードラゴンに天空城で住む事を拒絶した
勇者の居場所は滅ぼされた山奥の村しかない。

焼け果て朽ち果てた村に戻る勇者。
この姿に復讐の無意味さを感じずにはいられない。
そんな勇者にシンシアの姿が現れ、勇者を抱きしめる。
そして後ろには導かれし者たちが駆けつける。そしてエンディングが始まる。

まとめ

ドラクエⅣは勇者とピサロというそれぞれ愛するものを失った
二人が戦い合うという悲劇の物語だったと私は思う。
そして復讐を果たしても、元には戻らない虚しさと儚さを描いてもいたと思う。
ただ勇者には共に戦った仲間たちがいた。それは勇者の救いだったと思う。

最後のシンシアについては解釈が別れるところだが、
私は素直にシンシアが生き返った(生き返った理由は不明としても)と思いたい。

最後に。ドラクエⅣは魔族側にもプレイヤーを共感する動機がある事を描いたが、
これは天空シリーズとしてのドラクエがロトシリーズ以上に
キャラクターの描写に拘った方向性を指向した事を象徴するものだと思う。
そんなキャラクター同士のぶつかり合い、そして個性ある仲間達の魅力を描いたのが
「ドラゴンクエストⅣ」の魅力だと私は思う。

※今回の記事はFC版のドラクエⅣが対象。
 
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[ 2015/02/13 20:57 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(1)

ドラゴンクエストのロト三部作の凄さは、Ⅰの勇者と王様の最初の会話に始まる 

ドラゴンクエストシリーズにおけるロト三部作の物語の凄さは、
ドラクエⅠの開始直後の、王様と勇者の会話にある。

DQ1.jpg

「その むかし ゆうしゃロトが 
カミから ひかりのたまをさずかり
まものたちをふうじこめたという」

この「ひかりのたま」は、後のドラクエⅢのラスボス「ゾーマ」戦において
「ゾーマ」の闇の衣を剥ぎ取る為に使用された。

私は会話中に「ひかりのたま」という言葉が使われるのが凄いと思う。
それは「ひかりのたま」がドラクエⅠからドラクエⅢへとシリーズを経て、
きちんと回収された伏線だからである。

そもそもドラクエⅠが世に出る時点では、
家庭用ゲーム機初のRPGという点でも
商業的に成功するかどうかもわからないゲームであった。

もしかするとドラクエⅠだけで終わっていた可能性もあるわけで、
その場合はⅢも無いので、この「ひかりのたま」の伏線も未消化に終わっていただろう。

それがもしドラクエⅠの時点で、ドラクエⅢの物語まで想定したのであれば、
それはそれで完璧な伏線張りであったと思うし、実際に商業的に成功して、
伏線を消化してロトシリーズを綺麗に完結させたのも素晴らしい。
私の場合、ゲームで長い伏線を張って消化する試みができる事を教えたのは、
ドラゴンクエストシリーズだった。

そして、ドラクエⅢのエンディングの最後で
「TO BE CONTINUED DRAGON QUEST Ⅰ」と表記されるが、
ゾーマに「ひかりのたま」を使って倒したドラクエⅢの勇者が、
ロトの称号を得ることを知った上でドラクエⅠをプレイすると、
上のキャプ画像の王様と勇者の会話から始まるので、
ロト三部作の繋がりがより鮮明に感じられるのである。

Ⅰ→Ⅱ→Ⅲとプレイして、またⅠをプレイすることで
シリーズの構造がより鮮明に見えてくるのが素晴らしいと思った。

ちなみにゾーマを封じる事になった「ひかりのたま」を持っていた竜の女王が
死ぬ間際に残した卵は、後のⅠのラスボスとなる竜王であるという説があるが
もしこの説が正しいなら、Ⅲのラスボスを封じたアイテムを持っていた子供が、
その後、ひかりのたまを奪い去るのは皮肉な運命であると思う。
 
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[ 2014/09/19 22:12 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(2)


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