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カテゴリー  [機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ]

鉄血のオルフェンズの総括 

鉄血のオルフェンズ最終回を迎えて。

本作のキャッチコピーは「いのちの糧は戦場にある。」

その通りの作品になったと思う。

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三日月・オーガスのいのちの糧と血の物語

三日月は戦場だけがいのちの糧である事を体現するキャラクターだった。
ラスタルやマクギリスは戦場が野心の発露や今後の未来を作るための場であり、
ジュリエッタにとっては大義を証明する場所、
三日月は戦場=いのちそのものだった。

それゆえに三日月は平和な世界では生きられない。
厄祭戦という遺物であり忌まわしいガンダムに乗ることで
悪魔となってしまったからには
新しい未来を作るための生贄となるしかなかった。

ただ三日月にも希望はあった。子供のアカツキの存在。
かつてのアグニカ・カイエルはガンダムに乗り革命に成功し英雄として名を残したが、
三日月はガンダムに乗り悪魔となって散り、アカツキという血を残した。

オルフェンズは「血」の物語

鉄血のオルフェンズはタイトル通り「血」の物語。
キャラの死には必ずおびただしい血をもって描写された。
三日月の死も血を描いていたが、
アトラが身ごもったアカツキの誕生によって、
戦場の「血」から、繋ぐ生命の誕生という「血」を描いたことで
最後は三日月にも救いはあったという形を描いていた。

鉄華団は家族的団結をもった子供達の擬似家族集団が、
最後はバラバラになってしまいながらも、
協力者・理解者と共に生きていく事を描く結末となった。

鉄華団の成功と最後には失敗を描くことで、
若者たちの青春の蹉跌を描いた物語。
思うにオルフェンズは鉄華団で生き残った子供達が、
失敗を経て大人になっていく話だったのかもしれない。

それゆえに子供のままでいることが自身のアイディンティティでもあった
マクギリスや三日月は血をもって死ぬしかなく、
未来のビジョンを持つラスタルやクーデリアへの礎となるしかなかった。

MSアクションについて

MSアクションは「ガンダム00」以降の3スタで
培われた高速アクションの系譜を引き継いだ。
特に寺岡巌さんコンテ回は高速アクションと共に、
縦横無尽に動くアクションが見ものだった。

接近戦を描く設定の元に、機体や武器の重量感、装甲の破壊描写に注力した作画。
アクションがある回はTVシリーズでここまでやるのかと舌を巻いた。
特にMAを倒す回のバルバドスのアクションが最高にかっこよかった。

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一方で2期のダインスレイヴの登場で、
1期と戦闘の意味が変わってしまった事も描いていた。
ガンダムがいかに強くても、ダインスレイヴにはかなわなかった。
個人が武勇を誇る時代が完全に終わった事も描いていた。
それはアグニカ・カイエルの英雄性が終わったことも意味している。

最終回はメカが戦いの中で朽ちていきながら、それでも戦い続ける状況が好きだ。
それは破壊されながら戦う姿には(キャラクターの)ドラマが宿っているから。
味方を、腕を、血を失ったバルバドスが三日月が
それでもいのちの糧を戦場に求めて死の直前まで戦う光景は悲しくも美しかった。

手描きのロボットアニメが少なくなる現状。
ガンダムアニメが手描きロボットアニメの最後の砦だと個人的には見ている。
鉄華団の滅びと手描きロボットアニメの現状をシンクロして見ていた。
オルフェンズは最後まで頑張ったし、
作画演出的に新機軸をやろうとしていた事も伝わってきた。

好きなメカニックアニメーターさんが大挙して参加していた作品。
ガンダムが手描き作画メインでTVシリーズを手がけられるのはいつまでなのか。
 
まとめ

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オルフェンズの鉄華団は1期1話がどんぞこ。
以降徐々に体裁を整え、クーデリアを送り届けた1期最終話から2期1話がピーク。
そこからラストに向けて徐々に下降していく推移するアーチ構造で描かれる。
栄光と敗北の物語だった。

そして子供=孤児(オルフェンズ)と大人という構図を用いて
子供達が大人と対峙しながら生き抜いていく事を描いた物語でもあった。

長井龍雪監督と岡田磨里さんシリーズ構成による
若者達による「心が叫びたがってるんだ」「血を流し続けるんだ」ガンダム。
成功の物語ではなく失敗の物語であるがゆえに苦味がある作風となった。

世界は厳しい。そんな事を突きつけるガンダムだったのかもしれない。
だからこそ「いのちの糧は戦場にある」のだろう。
戦場は戦争する場所だけはないと捉えるのなら、
人はどんな場所であれ戦い続けないといけないのだ。
 
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イオク・クジャンは、なぜ悪目立ちするのか? 

「鉄血のオルフェンズ」2期の物語上で一番目立っているのは、
日曜日のたわけことイオク・クジャンである。

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登場初期は現実に足つかない理想高い志を持つ存在だった
イオクが物語上で目立つ意味で無双し始めたのは、
35話で不用意にMAハシュマルを起動させてしまった事に始まる。
※34話でMS操縦の低さを見せられた時が、前フリと位置付け。

その後のイオクの行動も

・火星についてきた部下はみんなハシュマルによって死なせてしまう
・ハシュマルに意味のない攻撃を仕掛け、その結果農業用プラントが全滅
・鉄華団がピンチになりかける行動しか取らない

と、各方面に厄災(イオク自身が現在の厄災戦かも)をばらまく存在である。

MAの件以降も、部下を失った恨みの矛先を
自身の責任やMAに向けずに鉄華団へ転嫁した。

この逆恨みの原因は、イオクがマクギリスが七世勲章の為に
MAの件を仕組んだと思い、鉄華団も絡んでいるからだと思い込んでいるからだろう。
※もちろん事実は違う

鉄華団への恨みからテイワズのジャスレイ・ドノミコルスとコンタクト。
鉄華団の盟友・後ろ盾のタービンズの名瀬を違法組織としてでっちあげる。
タービンズの名瀬の停戦・降伏信号を無視して攻撃。
しかも条約違反の兵器「ダインスレイヴ」を持ち出して輸送船を攻撃。
ルール無用のイオクによって名瀬とアミダは命を落とすことになる。

動くイオクと待ちのラスタル、マクギリス達

なぜイオクが目立つのか。それはイオクが行動を起こすからだ。
逆にいえばイオク以外の人間が動かないから動くイオクが目立つ。

イオク以外で状況を動かせそうな人間といえば

・マクギリス
・ラスタル
・マクマード・バリストン

などが挙げられる。
彼らは理知的な判断を優先し、感情では動かない頭が良いキャラ達。
だから先に動いて、相手に隙を見せるような事は中々しないし
動く時ではない時には決して動かない。

鉄華団の現状は何事もなければ安定状態なので
戦う必要や要請がなければ、今の所は戦う理由がない。

今いる殆どの主要キャラが相手の出方を「待つ」、受けのタイプなために
相手の出方を「待たない」イオクが行動して、状況を作る役割を担わされている。

※振り返れば、1期のカルタ・イシューも理知的な判断より
イオクのように感情を優先して「行動」を優先するキャラだったようにも思える。

それでもイオクは回っている

イオクは状況判断力や作戦指揮能力に疑問がつくように描写されているが、
タービンズを叩き、名瀬とアミダを戦死させた。

さらにいえば三日月が動けなくなったのも、イオクの迷惑極まりない行動から
引き起こされたと見れば、結果的にイオクは鉄華団にダメージを与えている。

イオクが動くから、物語が動いている。回っている。
もし彼がいなかったら、MAも起動せずに状況は大きく違っていただろう。
というか、かなり鉄華団周辺に限れば平和な状況だった。

まとめ

イオクが目立つのは
他のキャラの動かない性質もさることながら、とにかく行動するからである。
3クール目あたりから物語上の要請でイオクに「動く」役割が与えられているのである。

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そんなイオクの今回のタービンズ攻撃は次の新たな火種を生むのだろう。
特に条約違反兵器を持ち出しての攻撃は、マクギリスからいつ糾弾されてもおかしくない。
糾弾され追い込まれたイオクは何をするのかわからない。

部下の為に泣き、部下への思いのために行動する姿は人の心を動かすが
その為にルール無用の行動を取ることにはためらいが無い。
いずれにしよ、イオクは鉄血のオルフェンズで一番目を離さない目立つキャラである。
 
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「鉄血のオルフェンズ」は「心が叫びたがってるんだ」であるーオルフェンズの総評 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」25話「鉄華団」を視聴。

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※サブタイトルが出る直前のこの絵が美しい。この絵を見せたいがために、
オルフェンズの物語を帰納法的に作ってきたのではないだろうか。


1話の感想記事で、長井龍雪・岡田麿里コンビの映画になぞらえて
「ガンダムが叫びたがってるんだ」と書いたのだが、
案外、1期最終話はここさけではないかと思った。

その理由として
アイン、ガエリオ、マクギリスが、
そしてクーデリア、オルガ、そして三日月のみんなの
「心が叫びたがってるんだ」といえるように
思いの丈を吐き出した展開になったからだ。


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アインはクランク二尉への思いから、
クランク二尉を殺した三日月とバルバトスとクーデリアに対し
自らの正義心の全てを三日月に叫ぶ。
そんなアインの叫びを三日月は悉く否定するのだが…

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ガエリオは自身を裏切ったマクギリスに対し
カルタのマクギリスへの思いと、マクギリスへの怒りを叫ぶ。
ガエリオも叫びもまた、マクギリスに蹂躙される。

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マクギリスは、ガエリオへの友情心と怒りだけが
自分の心に響くことを穏やかに叫ぶ。


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クーデリアは会議上で、ギャラルホルンが生み出す歪みと
火星と鉄華団の為に勇気を出して全てをぶつけて叫ぶ。

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オルガは前回、作戦のために死んでくれと言ったが
マカナイを送り届け、目的達成後「生きろ」と鉄華団に叫ぶ。
この叫びこそ、オルガの本心なのだろう。
そしてオルガは、三日月への想いも叫ぶ。

三日月は戦いの為に、バルバトスに自身の体を捧げ
阿頼耶識のさらなる解放?を行うよう静かに叫ぶ。


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アトラも番外的だが、アトラの三日月への思いも
彼らと同じように心から叫んでいるのだろう。

こう振り返ると、主要キャラの本心というか本音を
心から叫んでいく展開であるのがわかる。

言葉にしないとわからないものもあると
長井・岡田コンビの「心が叫びたがってるんだ」は描かれていたが、
オルフェンズもその延長線上的に、
各キャラの心の叫びを描いたように思えた。

まとめ

鉄血のオルフェンズの総評をまとめたい。

本作は鉄華団という任侠的繋がりとしての擬似家族を描き
その中で大人の理屈では彼らを救えず、報酬(生きる糧)を得ることこそ
子供たちが生き残る方法であるという物語を描いてきたと思う。

この報酬を得る中で起こってしまう、犠牲(人の死)を乗り越えて
オルガなり三日月なりが死を背負い生きていく事を描きつつ、
一方で散っていったフミタンやビスケットのように
大切なものを身をもって守ることも描いていた。


MSの戦闘シーンは高レベル。
序盤は何話かに一度という感じで戦闘シーンは描かれていたが、
後半はボリュームが増え、満足感ある仕上がりになっていった。

接近戦・格闘戦を金属の質感をも表現しながら
重量感溢れる作画で描いたのは
TVシリーズのアニメとして凄かったと思う。

また序盤の宇宙での戦闘シーンは、
互い勢力の作戦の妙味が描かれたのも面白かった。

横山克さんの音楽もまた耳に残るものであり、
重要なところでかかる曲で、盛り上がれたと思うし、
MISIAの「オルフェンズの涙」はとても良かった。


2期は火星への帰り道を描く物語になるだろう。
今来た場所は本当にたどり着く場所の中継点。
宇宙戦艦ヤマトでいえばイスカンダルだ。

そしてラスボスになりそうなマクギリス。
最後は三日月と戦いそうでもある。
三日月はアインとの戦いで阿頼耶識システムを酷使し
目と手の機能を失っているが、
最後には両目とも失ってしまうのかという予感を抱かせる最後だった。
三日月の目が特徴的にデザインされていたのも、
この事を描きたかったためだろうか。

いずれにしても秋の2期が楽しみである。
 
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「鉄血のオルフェンズ」と正しさ-未来の報酬 

鉄血のオルフェンズの世界でいう正しさとは何か。

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今回24話で、マカナイを市街地に送り届ける為の
最後の作戦をオルガがみんなに伝えるシーン。
そこでオルガは鉄華団という一つの家族のために
個々人の命をチップにして、未来の報酬を手に入れようとみんなに伝える。

年端もいかない子供達に分が悪い命のやり取りを強いるオルガ。
そしてそのオルガの想いに強く共感する鉄華団。
狂信的ともとれる彼らの信念。

大人のメリビットは、命を賭ける作戦に反対する。
子供達を囮にし、みずみず命を失われる作戦は正しくないと。
しかしメリビットの正しさは、鉄華団には届かない。

最後、メリビットは子供達の姿を見て何も言えずただ泣くのみであった。
同じく大人のナディもまた間違っていることを知りながら、
彼らをフォローすることに徹する感じで見守る。

鉄血のオルフェンズを見ていると、
いわゆる「正しさ」では鉄華団を救えない事がうかがい知れる。
元々の母体が、火星の貧困層集団であるのが大きいのだろう。
彼らを救えるのが「正しさ」ではなく「報酬」(未来の報酬)だけなのである。

だから正しさ以上に、報酬に近づける考えがあればそれに従う。
キャッチコピーの「いのちの糧は、戦場にある。」を思い出してほしい。
この鉄華団の理念に関しては、このキャッチコピーが全てであり、
どんな手段でも戦いに打ち勝ってでしか、糧(未来の報酬)は得られない。

「子供の命が大事」というメリビットさんの「正しさ」では糧と報酬を得られない。
モラル的に間違っているとしても、そうまでして生きなければならないのだと。


鉄華団の敵であるMSと一体化したアインもまた「正しさ」から外れた存在になった。
(※本人が望む望まないにも関わらず)
ただクランク二尉の仇討ちに殉じ、クーデリアを亡きものにしようとする。
目的のために手段を問わない存在としてアインもまた浮上してくる。


こうして見ると味方・敵ともに、いわゆる「正しさ」から外れながら
彼らの思うように生きていく様が描かれる。

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特に今回は特に鉄華団・テイワズメンバーの死が壮絶に描かれ、
正しさから外れた「未来の報酬」に対する代償の大きさがクローズアップされた。
そんな大きな代償を払うものの、それでも生きていかなければならないのが
鉄血のオルフェンズという物語なのである。

人の心を動かすのは正しさ以上に
間違っているようにみえても当人達を共感させる強き理念を描き
正しさ以上に大事なもの(信念)を描く。

そして今までの展開と照らしわせて結論づけるなら
フミタン、ビスケットのように誰かの為に命を張ることこそ
本作でいう正しさなのかもしれない。
そんな物語のように鉄血のオルフェンズの24話は感じられた。
 
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鉄道と雪のモチーフからみる「鉄血のオルフェンズ」 

「鉄血のオルフェンズ」23話はカルタが散る物語であった。

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そんな鉄血のオルフェンズだが、
モチーフ(テーマを描くために用いられるもの)が明確な作品だ。
今回でいえば鉄道(鉄道は前回から)と雪だと思う。
そしてこれらを通して鉄華団とカルタを描いていたのだと感じた。

鉄道=鉄華団の進む道

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まず「鉄道」。
蒔苗 東護ノ介を一直線に送り届ける鉄道。
往路しかなく、帰り道がない鉄道。

ビスケットが死んでも、鉄華団の歩みを止めることができない。
突き進むしかない。そんな鉄華団の心情そのままに鉄道が動いているかのようだ。

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そんな鉄道の歩みを止める、カルタ・イシューは間違いなく敵。
少なくとも鉄華団・特に三日月は強く認識する。

彼らにとってカルタの誇りや決闘という提示は無意味なものでしかない。
鉄道を止めた(=鉄華団の先の道を止めた)時点で敵なのだ。
ここでも鉄道というモチーフが明確に機能している。

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※かっこいい

三日月は相手の隙を突いて、カルタを含めた3体のMSを一掃する。
まるで道を塞ぐものを片付けるかのように蹂躙する。

オルガが主導し、三日月がオルガの理念を具体的に示した場面。
オルガはためらいを見せる瞬間もあるが、
オルガの決断の先にあるのが三日月の行動なのだ。

雪=現実の厳しさとカルタの純真な精神

さて今回、もう一つのモチーフであろう「雪」。
おそらくカルタを描くために使われたのだと思う。

まず雪。雪の寒さを通してあの世界の厳しさ、生きる厳しさを表しているのだと思った。
カルタの正々堂々な精神や誇り高さは、彼女に近しいものから見れば高潔に映るだろうが、
三日月達には関係がない。このことに気づかず、
自分の価値観が相手も受けるだろうと思ってしまうカルタは甘いのだ。

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三日月達から見れば甘いであろうカルタであっても、
アインにとっては、もしくはマクギリスにとってカルタの精神は強く心を打つ。

そんなカルタの心は雪のように純真だったのではないだろうか。
写真で綺麗に撮られた雪を見て美しいと感じるように、
カルタの心もまたそうだったのではないかと。

一方で現実としての雪は、命を奪いかねないもの(雪崩・豪雪)でもある。
美しいがゆえに時には命をも奪う雪を通して、カルタを描いたのではないだろうか。

だからこそそんな白い雪のような銀髪のカルタを
血の赤で染め上げる三日月がより容赦なく見えるのかもしれない。

まとめ

今回は鉄道と雪を通してオルフェンズを語ってみた。

次回以降も鉄道は突き進み、やがて目的地へと辿り着く。
その目的地が鉄華団のたどり着く場所になるのか。
彼らの旅は雪に散ったカルタの屍を越えてまだまだ続く。
 
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「鉄血のオルフェンズ」の本質-死と悲しみ背負い生きるオルフェンズの物語 

「鉄血のオルフェンズ」は、21話のビスケットの死によって
本作の輪郭が見えてきたという思いが強まった。

それは本作の物語構成が、
あるキャラと深い関係にある対になるキャラが
そのキャラを庇って死ぬことで展開していることにある。

庇って死ぬキャラ達

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12話で昌弘は昭弘を庇って死に、

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16話でフミタンはクーデリアを庇って死に、

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21話でビスケットはオルガを庇って死ぬ。

死んだキャラはみんな味方キャラを庇って死んでいる。


本作は数話単位で○○編という形をとっているのだが、

ブルワーズ編の12話では昌弘。
コロニー編の16話でフミタン。
地球降下編の21話でビスケット。

というようにブルワーズ編以降、各編で一人づつ死ぬ構成をとっている。


また死んではいないのだが、
敵側でもガエリオを庇ってアインが瀕死の寸前に至っている。

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中盤以降の鉄血は誰かを庇うという展開を
何度となく繰り返す構成になっている。

また、主要なキャラには価値観に隔たりがある
対となるキャラが存在し、両者の関係性で物語が描かれるのがわかる。

ヒューマンデブリでも家族があれば救われると思った昭弘と否定する昌弘。
クーデリアの価値観に難色を示し続けたフミタン。
方向性の違いが明白になったオルガとビスケット。

そんな方向性・価値観が違う関係でありながら
最後は他者のために庇って死んでいくという構図になっている。

オルフェンズが描くもの-孤児(オルフェン)の二つの意味

庇って死ぬ展開が起こることで、何が描かれるのか。
それは生き残った者が、自分を庇って死んだ事に対して
どう向き合って変わっていけるかということだ。


例えば昭弘であれば昌弘の死を乗り越えようとするために
彼を手に掛けたガンダム・グシオンを乗機とする決めた。

クーデリアもフミタンの死を無駄にしないよう
甘さを捨てて目的のために行動する
強さを手に入れたように感じられる。
(三日月の前で泣いたりもするけど)

人の死を乗り越えて、強く生きようとする姿が描かれている。


そんな生き残った者達は一方では
孤独になっているのではないかという思いがよぎる。

本作は親がいない孤児たちが鉄華団という家族といえる居場所を作り、
孤児達が孤独や悲しみから開放されていくようにも見えた。
しかし人の死によって、昭弘やクーデリアは鉄華団はあっても
孤独になってしまっている側面があるように思える。

つまりオルフェンズ(孤児)には二つの意味があるのではないだろうか。

まず鉄華団の面々のように親がいない意味の孤児。
次に大切な人を失い一人になる意味ので孤児。

以上のように考えると
後者の生き残った孤児達(オルフェンズ)が大切な人の死を乗り越え、
悲しみを背負いながら生きぬいていくのが、
本作の物語の骨子かもしれないと思った。

まとめ

「鉄血のオルフェンズ」という物語は
主要なキャラには対になるようなキャラが存在し、
価値観の相克を超えて、最後は身を犠牲にする。

そして生き残った者はその死を乗り越え、
孤児として厳しさに揉まれ生きていく。

ED曲「オルフェンズの涙」でも
「オルフェンズ 涙 愛は悲しみ背負い 強くなれるから」
という歌詞があるように、
人の死と悲しみ背負い生きるのが「オルフェンズ」の物語であることがわかる。

そして今後の展開を考えると
三日月の対になるようなキャラは誰かという問題に辿り着く。
可能性の話ではあるが、三日月は誰に庇われるのかということ。
アトラかオルガかそれともクーデリアか。

ただオルガもクーデリアも既に庇われているので、
アトラあたりが危険なような気もしてしまう。

いずれにしても、
本作はキャラ同士の価値観の対立が起こったら
庇って死ぬという展開が続いているので、
今後は誰が誰をかばうのかという展開も予想しながら
見ていくと面白いのかもしれない。
 
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過去のマクギリスと未来の三日月、そして三日月が見たもの-鉄血のオルフェンズ19話 

はじめに

鉄血のオルフェンズ19話を視聴。
ガンダム恒例の大気圏突入回。

シリーズ最高のメカ戦だった。
MSの打撃時の衝撃の反発や被弾の仕方で金属装甲の質感までも作画で描く。
また宇宙船やMSも含め、大気圏突入時に重力に引っ張られている感じが
きちんと表現され、まさに重さや質感を見事に描いていた。

また三日月とマクギリスが過去と未来という視点から対照的に描かれていた点、
各キャラが見事に描かれていた点で、ドラマ的にも充実した内容だった。

過去のマクギリス、未来の三日月

今回、マクギリス・ガエリア・カルタと、
オルガと三日月の回想シーンが対比的に描かれた。
マクギリスは過去の因縁を、三日月は見たことないものを見るためにという
動機をそれぞれ思い返す。

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それぞれの回想シーンで三日月が未来を見る人間、
マクギリスが過去の因縁を清算するという点で、
未来と過去で対比させていたのがわかる回だった。

三日月の見たもの-三日月が見た未来


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そして見たことないものを見るためにオルガとやってきたと思い出す三日月が、
地球の重力に引っ張られ見たのが、
思い返していた見たことのない三日月という展開は素晴らしいなぁと思った。

マクギリスが鉄華団に可能性や未来へ踏み出しているのかと問うようなシーンがあるが
三日月が見たことがない三日月を見たのが
確実に可能性の一歩や、未来へと踏み出している証拠といえよう。
三日月は三日月を見ることで未来の一歩を本格的に踏み出したのかもしれない。

物語が始まった当初は悲劇的な結末になるかもと思ったが、
案外、鉄華団は救済されて終わるかもしれないと思った。
※道中、メンバーの多大な犠牲はあるだろうが。

おわりに

絵コンテが綿田慎也さんと寺岡さんの連名。演出は綿田さん。
戦闘シーンメインのBパートは寺岡さんコンテと推測。
綿田さんはシリーズの中でも印象深い3話で絵コンテを手がけていて、
本作の重要回を任されたキーマンなのかもしれないと思った。

ロボットアニメ19話は新世紀エヴァンゲリオンやラーゼフォンを含め
個人的に多いのだが、鉄血も当てはまったなぁと思った。
 
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「フミタン追悼」 

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フミタン

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フミタン

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フミタン

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フミタン

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フミタン

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フミタン

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フミタアアアアああーーーーーン

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」16話。
三大ヒロインの一角であるフミタン・アドモスが
ドルトコロニーとギャラルホルンで起きた紛争の最中、
同じく三大ヒロインのクーデリア・藍那・バーンスタイン
を狙う凶弾から身を庇い死亡した。

メガネ・メイド・クールという当ブログの琴線に触れる存在
フミタンに対し哀悼の意を表します。
 
つらい。
 
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「鉄血のオルフェンズ」のタナトスとエロス。そして半勃起。 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」13話を視聴。

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昌弘は兄を庇って死に、
鉄華団とブルワーズの戦いで
双方ともに多くの死傷者が出た。

昌弘は最後は心を通わせ兄と手を繋げた。
昭弘も(本編上はともかく)最後には死ぬのだろうが、
兄と弟、再び巡り合ってほしいと願う。

死ータナトス

今回は色濃く死と生を描いた展開だった。

まずOPに入る前は、鉄華団とブルワーズの戦闘で死そのものを描く。
OP後は生者が死者を送り出す、葬送をもって死を描く。

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花火のように美しい光が、生と死を象徴するかのよう。

鉄血の世界ではオルガのように葬式の概念に希薄なのもいるようだ。
今の日本とは違い、葬式の意識が薄い世界だからこそ、
若者達の死を描く本作で葬式を行うことに意味や価値が見いだせるのだろう。

生-エロス、そして半勃起

そして死者を送り出した後に描かれるのは生への執着、意識だ。
エロスといってもいいのかもしれない。

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まず泣き止まないライドがフミタンに抱きつくシーン。
ライドは死への恐れと死者への悲しみで感情がいっぱいになり
フミタンのおっぱいの柔らかさに安らぎを求めたのだろう。

私はこのシーンで半勃起的な気分を味わった。
つまりライド、羨ましすぎるという気持ちである。
私もフミタンの胸で泣きたい。

参考:アニメキャラ半勃起論について

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次に名瀬とアミダは鉄華団との話し合いが一段落後、激しいキスを交わす。
名瀬は「人死が多い年には出生率が高まる」「子孫を残そうとする」と言う。
明らかにセックスを意識した発言。生への執着が強く伺える。

このシーンはライドとフミタンのような半勃起では済まない。
フル勃起してしまいそうな感覚。
名瀬はフル勃起していたであろうと推測する。

話は前後するが、ライドとフミタンのシーンは
ライドが子供ゆえにセックスの匂いは感じないが、
最初に(フミタンとライドのような)母と子の関係のようなエロスを見せて、
次に名瀬とアミダの恋人のセックスなエロスで見せる順番が上手いと思った。

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最後に三日月の手の震えを察知したクーデリアが三日月を抱きしめる。
クーデリアは感情を表に出さない三日月の微妙な変化を見逃さなかった。

グダルの「戦闘を楽しんでいる」と指摘された点、
葬式には恐らくオルガと同じようにピンと来なかった点、
名瀬とアミダの濃厚なキスに微妙な反応をした点など、
三日月のの周りに出来事が起こって、
心の奥底にある感情が揺り動かされたのかもしれない。

そんな三日月にクーデリアが優しさを見せるシーン。
このシーンも三日月羨ましいなぁと思い、心が半勃起してしまう。

そんな三日月はクーデリアの優しさに可愛さを感じて衝動的にキスをする。
さすがクーデリア、本作随一のおっぱいの持ち主である。
三日月の心を動かしていると思った。

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「オーーールフェーーーンズ」

キスをすること自体が、強い感情表現の表れでもあろう。
三日月の心の中に変化を感じさせる象徴的な瞬間でもある。
その変化はエロス-生への執着に起こったのかもしれない。

まとめ

今回は死と生の色濃い物語を存分に堪能できた。
死の後には生がある。生があればセックスがある。
放送時間だけにセックスは描けないが、セックスの代替としてのキスは描ける。
そんな生と死の強い感情を描いた話だった。

今回の絵コンテは、芦野芳晴さん。
まどかマギカの1話~3話の絵コンテを担当し、
マミさんの首を容赦なく飛ばした感じを彷彿とさせた演出だった。
 
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暗礁に引き裂かれた兄弟の物語-鉄血のオルフェンズ12話(感想) 

はじめに

敵海賊ブルワーズに航路を察知されている可能性を考慮し
暗礁宙域を通り抜ける所で策を寝ることにした鉄華団とテイワズ。
ブルワーズに昭弘の弟の昌弘がいることを知り、
オルガを始めみんなが昌弘を助けようと、昭弘を後押しし動くのだが。

時間と境遇は家族関係をも壊す

昭弘と昌弘。昌弘を救おうとする昭弘と、兄との再開に戸惑う昌弘。
鉄華団という家族ができた昭弘。
同じヒューマンデブリの仲間はいたが、ブルワーズという境遇の為に
家族という認識が持てなかった昌弘。

二人は兄弟であり、兄の昭弘は昌弘を迎えに行くと言っていたのに
時間の流れは大きく二人を隔ててしまった。
特に昌弘は昭弘とのやり取りの中で、兄が自分を忘れて幸せになったと
思ってしまったようであり、逆上的な気持ちをも抱いたようだ。

昌弘は今まで生きていたことで消耗していたのだろう。
兄の優しさを素直に受け取ることができなかった。

とはいえ兄弟の情はもちろんある。
兄と弟が一緒に手を取り合えなくても、兄を救うことはできる。
最後に捕まえていた昭弘のグレイズを離したのも
兄に生きていて欲しいと願った、弟の最後の願いだったのだろう。

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※引きつった笑いのような表情を見せる昌弘の心中を思うと辛い。

時間、そして置かれた立場(ヒューマンデブリ)は肉親という関係性を狂わせる。
昭弘と昌弘は手を取り合えない結果に終わってしまったが、
昌弘が昭弘を突き放したのが、逆に救いにもなっているのが悲劇でもある。
物語冒頭で輪廻の話が出ていたのも、この結末のためだったか。

まとめ

鉄血の戦闘シーンは味方と敵がどこにいて、どの場所で戦うのかを
きちんと明確にして戦わせているのが良いと思う。
今回も暗礁を舞台にデブリが舞う雑然とした空間で混戦模様が描かれるのが良かった。

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1クール目の折り返しタイミングでもあるのか、戦闘シーンたっぷりの展開。
戦艦は体当たりし、MSもビーム系の武器より鈍器で叩くのが強く
物理で殴る描写が痛々しく、それゆえに戦争の悲劇性が強調される側面がある。

暗証というデブリ多い場所で、ヒューマンデブリの二人の兄弟が引き裂かれる。
悲しい話ではあったが、鉄華団はこうした事も乗り越えて、
クーデリアを地球に送らなかればならないし、
クーデリアもまた乗り越えていかなければならないのだろう。
 
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「鉄血のオルフェンズ」9話は盃と結婚を通し、今までを決算し大人になる物語である 

「機動戦士 ガンダム 鉄血のオルフェンズ」9話を視聴。

オルガと名瀬が盃を交わし、
鉄華団がタービンズ預かりになる話。

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SFで宇宙と未来の世界を扱うガンダムで
任侠道の世界を見せてくれるのは新鮮で面白かった。

また今回は今までの「鉄血」の物語を
まとめるような、中間決算するような話だったと思う。

様々な大人達

鉄血のオルフェンズは
オルガや三日月といった子供のオルフェンズ(孤児達)が
大人達の思惑によって翻弄されつつも
それでも自分達の居場所を作り求めていく物語であった。

CGSのマルバ・アーケイ、ハエダ・グンネルのようなCGSの大人は
保身的で姑息で高圧的な気質であったが、
現実的で生きる事に切実なオルガや三日月によって倒される。

ギャラルホルンのクランク・ゼントも子供達に理解を示したように接したが
三日月との現実認識の差があり、クランクも三日月に倒される。
最初に出てきた大人達は、子供達に無理解な存在であり、
子供達の現実認識の方が過酷でリアルである事が描かれた。

次に出会った大人達は名瀬とタービンズの女性達。
最初はタービンズと交戦するも、戦いを通して名瀬は鉄華団を認める。
多くの女性を愛し子供も含めて家族を愛し、組織をまとめる
名瀬の姿はオルガに頼れる大人像を見せる。

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名瀬の父のマクマード・バリストンも、クーデリアに前を進む覚悟を問いかけ
今までの大人達と違った、きちんとした大人の姿を見せる。
名瀬とマクマードを通して、まともな大人達を見せていく。

大人と子供と家族

大人とは何か。鉄血では家族を作れる・家族の主であると問いかける。
前回、名瀬はオルガの話を通して鉄華団は家族のようであると評する。
この名瀬の言葉を聞いて、オルガは家族として団を守る決心を固める。
ここで本作が家族の物語であることが鮮明になった。

今回、鉄華団のオルガがタービンズの名瀬と盃を交わす。
これは組織同士が結ぶ結婚である。
鉄華団が家族を守るために新たな家族と結ぶ選択でもある。

生きていく中で人も変われば組織も変わる。
結婚もして子供を産み、盃も交わす。
今回のオルガのように酒に酔いつぶれる。
そんな変化も全て大人になることへの道であり、
家族である鉄華団を守り、未来の道を示していくことでもある。

まとめ

盃を交わすことは、組織を通しての大人の「結婚」を比喩的に描き、
子供が大人になっていく過程を見せていくようでもあった。

任侠的世界を使ったのも、血の繋がりの無い鉄華団の家族性を
一番家族を記号的に伝わりやすく描くためなのだろう。

家族の長たるオルガもある意味結婚し、大人になったわけであり、
今後どう変化していくのが楽しみでもある。

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ノルバが夜の世界に繰り出し、大人の味を覚えるのも、
別側面で大人への通過儀礼を描いたというべきか。

一方で任侠の世界の「盃」を通して、本作が描かれている事。
ギャラルホルン、引いては宇宙と世界を相手にしなければならないであろう
鉄華団の今後の運命は、やはり過酷である。
その点でも「結婚」を描いた今回は、鉄血が終わった後に振り返ったら
幸せの刻を描いた瞬間になるのかもしれない。
 
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「鉄血のオルフェンズ」の家族論-鉄華団とタービンズ 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」 8話を視聴。

タービンズの名瀬がオルガと鉄華団との取引を認め、
鉄華団がテイワズ傘下に入れるように勧める。
オルガは名瀬との交渉で、自身の子供っぽさを感じ、
三日月はさらに頑張らないといけないと感じていた。

鉄華団とタービンズ-家族のありよう

今回のキーワードは「家族」。

名瀬が鉄華団の面々をバラバラになって
仕事を斡旋する提案にオルガが反発する。

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オルガは名瀬に鉄華団とは
今まで流された血と、これから流す血が混ざって
鉄のように固まっているので離れられないと話す。
そのオルガの仲間への想いを名瀬は「家族」という。

オルガにとって家族とは意外な言葉だったのかもしれない。
オルガも三日月も他の鉄華団の面々もおそらくは、
仲間だとは思っていただろうが、家族とは思っていないから。
鉄華団は肉親同士ではなく、肉親達と切り離された存在。
家族を失った子供たちの寄り集まりなのだから。

そんな彼らも血を流しあい混ざりあうことで鉄のような固い関係になる。
オルガの想いをズバリ的確に言った名瀬はまさに本作の「大人」であり家族の長だ。

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名瀬もまた艦内の女性が全て自身の妻であり、
艦内に腹違いの5人の子供とさらに大きい子供達もいる点から、
今の日本からみれば極端な家族・家族構成を見せている。

血の繋がった関係性は無いが、仲間達の血が合わさった鉄華団。
一人の男と複数の女達の血の繋がりでできたタービンズ。
二つの組織は、肉親の血の関係性においてとても対照的だ。

おそらくタービンズは、鉄華団という横(仲間)の繋がりでできた擬似家族的組織に対し
鉄華団の組織を有り様を対照的に映させるために設定されたのだろう。
この点を踏まえると「鉄血」の物語は「大人」「子供」と共に
「家族」も強いキーワードになっていくのだろう。

そして名瀬や彼女達の言動をみると、名瀬が信頼に足る家族の長であり
名瀬もまた家族を守りつつ、生きていく覚悟ある大人として描かれている。
だから青臭くても鉄華団の家族を守ろうとするオルガの言葉に
名瀬は自身が青臭かった頃の姿をオルガに重ねつつ、思うところがあったのだろう。

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子供のオルガと大人の名瀬。
前回の戦闘ではオルガが名瀬を認めさせたが、
今回のように「家族」の問題になると大人が一枚上手のようだ。

まとめ

今回で始めてタイトルの「鉄血」の核心たる「家族」に触れた意味でも、
本作が家族として仲間たちと生き抜く物語なのが浮き彫りになった。

前回の戦闘回では戦闘の魅力を存分に描き、
今回のような艦内メインの話では物語のキーワードを見せていく。
シリーズものとして手馴れた構成でありつつも、
毎回きちんと新しい物語を見せてくれる点で、本作は面白い。
 
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子供が大人と渡り合うには-「鉄血のオルフェンズ」7話のやんちゃ性と画面演出について 

はじめに

タービンズの名瀬・タービンが鉄華団と接触。
オルガは名瀬の要求を呑めないとして交渉は決裂。
タービンズは実力で鉄華団を抑えようとする。

大人のタービンズ-子供の鉄華団

「鉄血のオルフェンズ」を読み解く主要なキーワードとして
「子供と大人」が挙げられると思う。

過酷な環境下で生き残ってきた子供達の鉄華団が、
生き抜くために立ちふさがる大人達に対抗していくのが
「鉄血のオルフェンズ」の物語の骨子だと思う。

今回、鉄華団に立ちふさがったタービンズは大人達である。
それは今回の最初のカットがペディキュア(足指にマニキュアを塗る)を行う
ラフタ・フランクランドの姿でわかる。

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足指にマニキュアを塗るのは、大人の女性的な振る舞いである。
最初にこのシーンを見せてきたのは
今回は大人の女性が鉄華団と関わってくるかという話の宣言のためだ。

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名瀬・タービン。長髪の無精ひげに帽子をかぶったキザな大人。
よくよく見ると大人的な記号で固められたキャラクターである。
ギャラルホルンのマクギリス・ファリド、ガエリオ・ボードウィンとは違った
大人側のポジションとして。OPを見ても恋愛にも奔放そうであり、
長く鉄華団に挑んでくる存在なのだろう。

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アミダ・アルカ。姐さんと呼ばれ大人の色気を存分に発揮しているキャラクターだ。
声が田中敦子さんなのも、大人の女性としてこれ以上にない配役だ。

アミダ・アルカ、ラフタ・フランクランド。この女性二人は名瀬の彼女である。
つまり恋愛している点においても、大人であることを強調している。

今までの鉄血のオルフェンズで登場してきた大人達は
ギャラルホルンの二人以外は殆どがオッサンキャラだったのに対し
今回のタービンズは大人の女性を登場させてきたのが明確な違いといえる。
今まで男キャラが多かった本作において、華が広がったという感じだ。

子供が大人と渡り合うにはーそれはやんちゃ

名瀬のタービンズが女性達が多い組織だとしても
彼女達はMSを操縦するのだから、決して甘い考えの持ち主たちではない。
描写描写を見ても、戦闘のプロであることが強調されている。

そんな大人達のタービンズに子供達の鉄華団はどう立ち向かうのか。
大人であること。さらに相手に背後を取られ不利な状況であること。
この事は、タービンズが上手(左側)、鉄華団が下手(右側)にいることでも描かれる。

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※上手(右側)から下手(左側)へ向かうタービンズ。

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※下手(左側)で迎え撃つ鉄華団

大人を上手、子供を下手と見立てて、
鉄華団を不利そうに見える空間作りに成功している。
では鉄華団はどう状況をひっくり返そうとするのか。

それは鉄華団の面々が「やんちゃ」性を発揮することだ。
「やんちゃ」であるとは、平気で命を投げ出せる行動にでること。
今回、その「やんちゃ」を見せた瞬間が、イサリビがハンマーヘッドにすれ違う瞬間。

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ミサイルで煙幕を張り、逃げようと見せかけてハンマーヘッドのいる側に進路を取る。
まず相手の予想外の方向へ逃げる巧みな戦術かと思わせておいて、
実は本当の狙いは、船同士がすれ違った瞬間に
オルガ達がハンマーヘッドに乗り移り侵入することにあった。

名瀬も言っていたが、あのスピードで船同士が接触し敵艦に乗り移るのは、
死ぬリスクが極めて高い行動である。そんな行動を躊躇なく取る。
オルガの行動は勇気ともいえるし、やんちゃでもある。
ただ大人側のタービンズに一本取った瞬間でもある。

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※イサリビを追撃しようと反転するハンマーヘッド

さらにいえば、ハンマーヘッドの頭上を超えて突き進むイサリビを
ハンマーヘッドが反転したことで、

イサリビ=鉄華団=子供が上手(右側)
ハンマーヘッド=タービンズ=大人が下手(左側)
の構図に状況が変わったことを意味する。

つまりイサリビのハンマーヘッド越えによって
上手と下手の立ち位置が変更しされ、
子供が大人を乗り越えたという見方ができる。


さらにMS戦闘においても

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鉄華団のMSであるバルバトスとグレイズ改が上手側(右側)に回り、
タービンズのMSの百里と百練が下手側(左側)に回るようになる。

三日月も昭弘も命を張ることに躊躇がない。
ある意味やんちゃな二人がタービンズのMSを釘付けにしたことも、
イサリビのハンマーヘッド越えを可能にした状況を作り出した。
命を張るやんちゃ性が、状況と画面の立ち位置をも変えていく。

「大人と子供」という本作の重要なキーワードを
こうした画面における敵味方の配置で巧みに表現する。
アニメの演出の醍醐味の一つだと思う。

まとめ

鉄血は戦闘シーンが面白い。
戦闘がメインの5話と7話の脚本が鴨志田一さんなので
今後も戦闘回は鴨志田さんが担当されるのかもしれない。

基本的に鉄華団が置かれた状況は不利であり、
見に降りかかってくる火の粉を消さなくてはいけない。
そんな不利な場面作りを毎回趣向を凝らしながら作り
最後は形勢逆転してカタルシスを与える展開にもっていく。
一方で物語の骨子である「大人と子供」の関係性を交えながらも
戦闘シーンを描いていく本作の巧さは秀逸だと思う。

今回の戦闘の結果、戦闘は取りやめになり
名瀬は鉄華団と話し合うことにしたと言うがその真意はいかに。
大人が子供を認めたのか果たして…。
戦闘の余韻を残しつつ、次回を迎える「鉄血のオルフェンズ」。
毎回、楽しみな作品だ。
 
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「鉄血のオルフェンズ」の物語の積み上げ方-三日月とオルガの関係性と文字の読み書き 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」6話を視聴。

今回は三日月達が読み書きをするシーンに心を打たれた。
それは文字の読み書きから作品を積み上げていことする
姿勢に驚いたからでもあった。

生きるために文字を覚える三日月の強さ

文字が読めないことが間接的に語られてきた三日月。
今回もクーデリアの地球に行く動機を語る具体的な内容には
興味関心をあまり示していなかったようでもあり、
文字を覚えることに興味がないように思えた。

そんな三日月がクーデリアに読み書きするメリットを説かれて、
心を動かされ、勉強することにした。
気づいているのか気づいていないのか
クーデリアに対して三日月は惹かれているのかしれないし、
お姫様とも称されるクーデリアのカリスマ的魅力なのかもしれない。

なぜ三日月は文字を覚える気になったのか。

野菜を育てる大きな農場を作りたいため
MSの整備を手伝えるようにするため
と三日月は具体的な動機を言う。

野菜作りという将来への夢や展望、
もしくはMS整備という近々で覚えておきたい技術習得
三日月から出る言葉は、具体的に生きようとする
強い意志を持った人間のオーラを感じる。

日本人にとっては文字の読み書きの習得は当たり前のことだが、
鉄血はその当たり前を当たり前のものとして描かない点で
火星に住んでいた子供達の状況を的確に描き出しているのだと思う。

三日月とオルガ-見て見られて成長する二人の関係性

この三日月のオーラを最も強く感じているのがオルガであった。
強いリーダーシップで鉄華団を率いていこうとするのも、
クーデリアの地球までの護衛という難問をやり遂げようとするのも
全て三日月の目、三日月の思いに応えようとしたいというのがオルガの気持ち。

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5話まで見ていると、オルガの内面的な描写が控えめであったがために
オルガが三日月を導いているという見方で鉄血を捉えていたが、
今回で三日月に見られているオルガが、オルガとして振舞うように
応えている構図が明らかになったのがわかった。

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三日月とオルガが語らうシーン。
船の窓ガラスに映る反転した二人の姿から、二人の語りを映しているのだが、
こうしたシーンを見ると、オルガが三日月を導いていたように見せかけて、
実は三日月に見られているオルガが三日月の期待に応えて動いていたという
二人の関係性が反転したように見える意図があるのかもしれない。

三日月はオルガの背中を見て、オルガの期待に応えて成長・変化し
オルガもまた三日月に見られて、そのプレッシャーで成長・変化していく。
こうした共に共生していく関係は親子的(オルガ:親。三日月:子供)であるのかもしれない。
そんな二人の関係性が垣間見れたのが良かった。

まとめ

今回の脚本は土屋理敬さん。

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「かみさまみならい ヒミツのここたま」「プリパラ」のシリーズ構成など
キッズ向けアニメでも力を発揮されている方が手がけたのか、
子供キャラに注目した・視線に寄り添った印象を持った話だった。

文字の読み書きを習得するという三日月の姿勢から
三日月のオルガの関係性を見事に描き出した鉄血6話。
戦闘シーンは無くとも、鉄血は面白いことを
4話の農作物回に続いて証明した6話だった。
 
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鉄華団はさくら荘である-「鉄血のオルフェンズ5話」の鉄華団のチームワーク性について 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」5話を視聴。

はじめに

クーデリア地球への旅立ち。
ギャラルホルンのMSはイサリビを拘束し
クーデリアの身柄を引き渡すように伝えるものの、
この状況を想定してたオルガと三日月。
三日月はバルバドス出撃し、MSを引き付け
後方からのオルクスの船は昭弘が引き付ける。

鉄華団に不利な状況が訪れるが
小惑星を上手く利用して形成を逆転。
ユージンが身体を張る。

コーラルはマクギリスとガエリオを差し置いて
自ら出撃するが、バルバドスに負ける。
そして戦場で三日月とマクギリスとガエリオは交戦し
お互いの存在に気づくのだった。

鉄華団のチームワークについて

今回、印象に残ったのは鉄華団のチームワークの良さだ。

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オルガはトドが裏切ることを想定し、
予め三日月にガンダムを準備させ状況に備えた。
また前回で昭弘に別行動を取らせて、
オルクスの船への対抗と三日月のバックアップを行わせた。

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また状況の打開のために小惑星を利用することを思いついたオルガ。
オルガは自ら出向こうとしたが、ユージンが「大将はどんと構えること」と
オルガを諭し、自らが小惑星にアンカーを打つ仕事に出向く。

5話まで見ていて鉄華団は決して友達のような仲良し集団のようには見えない。
ただ仕事を行うときに抜群のチームワーク性を発揮しているという印象を受ける。

頭がよく全体も見渡せ、変わり行く状況にも的確な対応ができるオルガ。
そのオルガの考えをよく理解し、戦場での状況に対する判断が的確な三日月。
同じくオルガの良き理解者であり、作戦面でサポートをするビスケット。
オルガに文句を垂れつつも、時には身を呈して仕事をする事を証明したユージン。
ユージンと同じでオルガとは違う立場ながら、MS操縦などの仕事をした昭弘。

鉄華団のメンバーが、それぞれに的確な仕事をしていた事が
総合的には立場や戦力では圧倒的に上であろうギャラルホルンを
局地戦で撤退することに成功させることができた。

生まれも育ちも違うであろう鉄華団の面々が、
置かれた立場は不遇であった子供たちが協力をしながら、
トドといったこずるい大人を手玉に取り
さらにはマクギリスとガエリオといった有能な人物も互角に戦う。

生きるか死ぬかでずっと生きてきたであろう鉄華団にとっては
戦いの部隊が宇宙での戦闘・MS戦になっても
その戦う本質は変わっていないことを知っているのかもしれない。
それは考えは違えども、互いの考えを理解し協力することが
戦いを勝利に導くことを鉄華団は知っているのかもしれない。

さくら壮のペットなガンダム

今回の脚本は鴨志田一さん。
「さくら壮のペットな彼女」の原作者であり、鉄血では設定考証も担当。

そんな鴨志田さん視点で見ると、
個性が違う人間が一つの組織(鉄華団)にいる様子は
さくら壮的に見えるのかもしれない。
さくら壮も恋愛関係などもありつつ、
個性的な集団が一つの場所でがんばる姿を描いていた。

今回のEDで鴨志田さんが脚本であることがわかり
さながら鉄華団はさくら壮?みたいな感じで今回を受け取ってしまった。

おわりに

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今回のベストショット。アオリのガンダムはかっこいい。

鉄華団のチームワークの良さは
この作品を作っているスタッフのチームワークの良さにも繋がっている様に感じる。

本作はガンダムBF、そしてガンダムBFTのスタッフが多数参加しており
おそらくこの2作の流れに続いて鉄血のスタッフは集められている。
(※BF・BFT・鉄血のプロデューサーは同じ小川正和さん。)
同じスタッフでやり続ける事でスタッフワークの練度が上がっていると推測できる。

長井監督と岡田磨里さんはこの流れとは違う形で参加しているが、
二人の間の相性の良さは今までの作品で証明されている。

そんな作品作りのスタッフワークの良さを感じさせる作りと
鉄華団のチームワークの良さがシンクロするような感じを受けたのが
今回の鉄血5話の見所だった。
 
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「生きる糧の物語」としての「鉄血のオルフェンズ」4話。 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」4話を視聴。

クーデリア姫を地球に護送する算段を整えつつ
鉄華団がこの護送の仕事をこなして生きる糧と自分たちの道を手に入れようとする。

一方のギャラルホルンのファリドとボードウィンは
クーデリア姫を拘束しようとして現地に調査へ向かう。

三日月はクーデリアを連れて、ビスケットの祖母のトウモロコシ畑に連れて行く。
三日月はクーデリアに作物を採取することと作物の状況や行き先を教える。
その最中に三日月達とファリド達と遭遇し、一悶着がある。

畑から戻ってきた三日月達にオルガは新しい旗を持って迎えるのだった。

「生きる糧の物語」として描写された作物を採取すること

鉄血のオルフェンズの物語のキーワードは「生きる糧」である。

本作は生きるために何をしなければならないのかを
火星と厄祭戦300年後という世界をもって描いている。

ガンダム作品の多くは、キャラクターに理念や主義を与えて行動する作品が多かった。
00の刹那であれば戦争根絶。AGEのフリットであればヴェイガンへの復讐。
Gレコは戦争をしないようという考えでベルリが動くが、
戦争以上に旅することへの好奇心がより勝っていたと思う。

鉄血はこれらの作品とは違い、三日月は理念や主義で動くこと以上に
まず生きることが第一であることを強い比重で描かいている。
だから金や食べ物の話題が本作では欠かさずに出てくる。

鉄血に近いのは1stガンダムかもしれない。
1stガンダムが「生き延びること」であり、鉄血は「生きる糧を得ること」だから。

今回特にこの「生きる糧」というキーワードを強く感じさせたのは、
三日月がクーデリアをビスケットの祖母のサクラちゃんの農地に連れて行き、
みんなで作物を採取するシーンを描いたことだ。
(このトウモロコシはバイオ燃料用で格安で取引される)

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生きるとはまず食べることである。食べるために食物を育てたシーンを描く。
こうした当たり前の光景をきちんと4話で描いてきて見事だと思った。
作物の描写を描くことで、3話でクーデリアが野菜を切り
配給を手伝っていたシーンが伏線として生きてくる。
食べ物を調理するだけでは生きることはできない。
作物を育てることを含めて、食べて生きていくことができるのだと強く訴えている。
「生きる糧」そのものが描写されているのだ。

戦争がメインの作品は補給・兵站という点での食事の重要性は描かれるが、
「生きる糧」生きていくことそのものをテーマにした本作では、
作物の採取・農業の描写というのは欠かせないものだったと思う。

三日月はまず生きることと現状をサクラちゃんの作物を通して
クーデリアに伝えたかったのだろう。
現実にはクーデリアが知らない事も多いのだと。
その想いはクーデリアの心に伝わっていたようで、
一方の三日月もクーデリアという存在を気にかけているようだ。

さらに今回はヒューマンデブリという、金でやり取りされる人間という設定も出てきた。
過酷な世界であることがより克明に伝わってくる。

生きるということは、大人達のようにずるがしこく生きるということも
トドなどの描写で対比的に描写されている。
次回以降大人側の立場の人間が子供にカウンターを出すのだろうか。

まとめ

「生きる糧は戦場にある」
鉄血のオルフェンズのキャッチコピーである。

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「生きる糧」とは生きるために必要なお金や食料の事を指すが
それ以上に鉄華団が生きていくための動機を見つけていくことでもある。
その糧が戦場にあるとしたなら、鉄華団は戦いを通してしか
生きる方向性を得ることはできないという厳しい現実が待っている。

ただまずは旗を手に入れた。自分達の「生きる糧」になる居場所を作った。
小さな前進ではあるが大きな前進である。

戦争・戦場を舞台にするからこそ、
生きるために必要な食べ物・農業の描写が入ることで
本作の物語展開により深みが加わった4話だった。
 
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「鉄血のオルフェンズ」は、子供が現実認識を欠く大人達を破壊する物語である。 

はじめに

鉄血のオルフェンズ3話を視聴。

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今回のクライマックス。
赤く染め上げた背景と黒い機体のシルエットがコンテの大張さんらしい絵作り。
サブタイトルの「散華」のように機体の花火が散る。


大人達からCGSを乗っ取るオルガと三日月達。
CGSは新体制となる。
今までの自分の道を見失ったクーデリアは、
わからないと言いつつも、新たな道を踏み出そうとしていた。

CGSはクーデリアをギャラルホルンに引き渡そうと協議するが
クランク・ゼントはCGSに決闘を申し込み、三日月はバルバロスで受けてたつ。
三日月はクランクを殺し、オルガはCGSを鉄華団と改称する。
鉄華団は新たに決意したクーデリアの護衛を続けるのだった。

大人と子供-世界に対する現実に対する認識力

今回強く印象に残ったのは、
大人と子供の現実認識力の差だ。

まずCGSの大人達を眠らせて捕らえた時に大人側のリーダーのグンネルが
オルガに交渉を持ちかけて、自分の身の安全を図ろうとするところ。
縛られた状態でグンネルがオルガに交渉を持ちかけること自体、
グンネルの認識の甘さがよく出ている。

グンネルは殺される可能性をわかっていないのだ。
もしくはわかったとしても助かることができると思っているのだ。
そもそも少年たちの死も グンネルの現実認識の甘さによるものであり
最後まで甘かったのが三日月に有無を言わせず殺された理由だろう。

またもう一人の大人、ギャラルホルンのクランク・ゼントが
三日月に決闘を申し込んだ所。
クランクは相手が少年(三日月)である為に殺したくはなかったようだが
自分が負ける事を想定していない都合の良い条件や
大人側の理屈だけを述べて、三日月の反感を買った。

クランクは決闘で勝敗をつけようとした。
一方の三日月はオルガに言われてはいるものの、クランクを殺す事を前提に戦う。
クランクの決闘も命令違反ものであり覚悟がいるものだが、
生きるか死ぬかの価値観で戦う三日月の方がより強い覚悟でいる。

クランクも相手が生き死にを問わない決闘に乗ると思っていたようで、
まさか殺し合いになるとは想定していなかったのだろう。
クランクもグンネルと同様現実認識が甘かった。

現実への認識力の欠如、
つまり「鉄血のオルフェンズ」の世界は生きるか死ぬかであることを
グンネルもクランクもわかっていなかった。
より正確にいうと甘い考えはオルガや三日月には通じないのだ。

さらに三日月に倒されたクランクは、自分の最後を三日月に託そうとするシーン。
強い敵が主人公側に介錯を頼むのは、ロマンシズム溢れる展開であるが、
三日月にはそんなロマンシズムも通じなかった。
それはクランクが最後まで喋らせる事無く三日月が銃を放ったことでわかる。
大人自体も大人のロマンシズムも悉く三日月は否定していくのだ。

三日月とオルガは大人の打算やロマンシズムなど関係なく生きるために動く。
だからオルガはCGSの人事の再編成時に
会計ができる大人に残ってほしいと要請をする。

鉄血のオルフェンズの物語の3話に共感するなら
三日月やオルガの現実へのシビアな対応力や切実性にあるのだろう。

まとめ

大人のずるがしこい打算や、甘いロマンシズムを
子供の三日月やオルガが破壊する。
甘さが許されない世界にこそ共感できるのではないだろうか。

物事を知っているはずの大人の方が現実への対応力を欠き
世界の底辺で生きてきた子供たちの方が現実への対応力が圧倒的に高い。

子供側の傍にいるクーデリアもまた三日月やオルガを見て、
食事の配給や新たな自分の方向性を見つけるなど
あの世界の現実に即した行動をとるようになっている。

こうした大人の欺瞞を子供達が暴いていき、少年達の自立を見せていくのが
「鉄血のオルフェンズ」3話までで明確に示していたのが痛快だった。
 
とはいえ、殺しに容赦のない三日月やオルガはこのままでいるのだろうか。
人との出会い、様々な出来事によって、価値観を変えていくのか。
今後の物語展開に期待をしたい。
 
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「鉄血のオルフェンズ」2話のおっぱい問題とクーデリアについて 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話で

「お前言ってたじゃないか。死ぬときはでっけえおっぱいに埋もれて死にてぇって」

というおっぱい発言が話題になっている。

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これはギャラルホルンの戦いで死んだ少年ダンジに向けた友人の言葉だ。
年頃の少年であれば、思いがちな願望であるのだろうが
おっぱいへの憧れを叶えられず死んでいった少年ダンジの悲劇性、
火星での少年達の境遇がこの台詞で強く印象づけられる。

さて、戦場でおっぱいに憧れ死んでいった少年ダンジもいれば
自分自身のおっぱいを存分に戦場で見せつける女性もいる。そうクーデリアだ。

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服からはちきれんばかりのおっぱいを画面中で披露するクーデリア。
本編中で幾度となく見られるクーデリアのおっぱいに私は釘付けだった。

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上のキャプのように1話の最初は正装を着ていたので有り余るおっぱいが隠されていた。
(※Bパートで2話のような格好になる。)
まさかこんなおっぱいキャラだということに気づいたのは2話からだった。

特に以下の3つのキャプは連続したカットにもなっていて
クーデリアのおっぱいを考える上で興味深い演出となっている。

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クーデリアの横からのおっぱい
     ↓
クーデリアの真正面からのおっぱい
     ↓
「これお尻に似ている」という子供達

このおっぱい⇒おっぱい⇒お尻に似ている果物への繋げ方は、
明らかにクーデリアのおっぱいと果物を繋げていて、
クーデリアのおっぱいが物語的にも意味があるものだと見えてくる。

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※参考監獄学園10話

監獄学園でもキヨシが「所詮おっぱいなどお尻のまがいものに過ぎないのです」と
指摘するように、お尻とおっぱいは切っても離せない関係であるのは
作品を超えた真理なのだと思う。

話を戻すが、この一連のシーンは自分のせいで
みんなが死んだと思うクーデリアに対し三日月が突き放した後のシーンである。
本作で唯一おっぱいを体現するクーデリアは生き残り悩む。

ダンジが死んだのはクーデリアの存在にあることを強く印象づけ、
それはダンジのおっぱいへの憧れとクーデリアの現実にあるおっぱいが結びつくのだ。

まとめ

おっぱいに憧れて死んだダンジは、クーデリアのおっぱいを見たのだろうか。
それとも見ないまま死んだのだろうか。わからない。

いずれにしろクーデリアのおっぱいはそこにあり、
おっぱいに憧れた少年は死に、
少年の死を刻みながらクーデリアはおっぱいを背負い生きていく。
この事実こそが「鉄血のオルフェンズ」のリアルなのである。
 
今後もクーデリアのおっぱいに目が離せない。
 
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「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話を視聴。

はじめに

ギャラルホルンのMSによる攻撃を、
三日月乗るガンダム・バルバロスによって防ぐものの、
再攻撃を命じられたクランクは単身CGSとの決戦に望み、
一方のCGSのオルガも大人達からの独立を企て、三日月に協力を願う。

敵を追い返しても、少年達の目の前には地獄しかない。
地獄であるなら、居場所を作り、地獄からの解放を自ら勝ち取る。
オルガと三日月の二人の行動から、自由への意志が感じられた回だった。

少年と大人と血の関係

1話でも強調されていた大人と子供という構図が
2話でも「血」というキーワードで語られる。

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三日月はガンダム・バルバロスに搭乗での負荷により鼻から血を出し、
オルガはCGSの大人達の都合により制裁を受け、血を流す。
三日月とオルガという少年二人が、それぞれの信念をかけて血を流す。

少年側という話でいえば、クーデリアもまた血を流さぬのだが、
彼女は彼女なりに三日月を理解しようとするが、
三日月への気持ちに遠く及ばずというところではある。

一方の大人達は命令し、自分達の立場を主張するだけで
CGSの大人達、ギャラルホルンの大人達も含め
身をもって血を流す覚悟をする者は殆どいない。
本気の子供とそうではない大人の有り様が血をもって描かれていた。

血とは生命の象徴であり、生きている事の実感でもある。
一方で死に繋がるものでもある。
生と死の狭間にある三日月とオルガの立ち位置が浮き彫りになっていた。

ギャラルホルンのクランクが
子供達の境遇への理解と軍人としての立場の狭間で
理解ある大人として描かれていたのは、大人側の救いの一つ。
またアインが戦闘で負傷した所では血を流していた。

次回3話は、少年三日月と理解ある大人のクランクが
戦う展開になりそうであり、序盤の節目の一つになるだろう。

まとめ

今回も戦闘も、煙を起こして相手の懐に下から潜り込む
ガンダム・バルバロスなど、知惠を使った戦法が随所に見られて面白かった。
驚異的なメカ作画と行き届いた演出で見るものを魅了する。

火星の茶色の土壌に包まれた広陵なビジュアルと
三日月とオルガに流される血が相まって
少年達の過酷な運命を象徴しているのも印象的だった。
 
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「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」1話「鉄と血と」感想-「ガンダムが叫びたがっているんだ」 

長井龍雪と岡田麿里の「あの花」「ここさけ」コンビの新作ガンダム。
田中将賀さんも参加が自然なような気もするが事情があるのだろう。

「鉄と血と」というサブタイトル、
地球圏に反旗を翻す少年達の戦いな世界観をみると、
ガンダムより「太陽の牙ダグラム」を彷彿とさせる。

1話は独立運動のお姫様クーデリアを守るために
主人公・三日月達がいる警備会社が請負ったら、
別の組織が襲いピンチになったところを、
三日月がガンダムを起動させて敵MSを倒して終わる。

Aパートでキャラクターと世界情勢を説明を尽くして語り、
Bパートでガンダムにとって大切なメカアクションを描く王道的構成だ。

サブタイ通りな血と鉄の汗臭い世界にみえつつも、
良い意味で脱臭され、爽やかに感じさせるバランス感覚もあった。

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火星の底辺に生きる若者たちの反抗の中で
純真な少年三日月はどう動くのか。
寡黙で能動的な姿は見せないが、秘めたる思いは強いはず。

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世間知らずなお姫様が、三日月との握手のやり取りで
自分は対等だと思っていたはずなのに、
実は対等ではなかったと思うシーンが良かった。
クーデリアの変化も描くのもテーマの一つだろう。

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戦闘シーンは、戦車っぽいモビルワーカー同士の応酬から、
敵MSのグレイズの登場の流れがかっこよかった。
敵はザク以来の伝統の緑色なのが良い。
細身でスマートなフォルムなのがかっこいい。

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MSが出てきて、形勢不利になるかと思いきや
主人公側はガンダムを投入して勝つというのはわかっていてもよい。
特にメイスという打撃で敵を叩き潰すのが最高にかっこよかった。
斬るのではなく叩く。若者らしい無骨なガンダムだ。

横山さんの音楽も、想像以上にマッチしていて、場面を盛り上げる。
長井龍雪さんの画面を安っぽく見せず
豪華に見せる仕上げる手腕が炸裂した仕上がり。
ガンダム・バルバドスがアップで映る時の、特攻処理が上手くて見栄えが良い。

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次回以降、戦いに次ぐ戦いの連続になる毎日を送ることになる「鉄華団」。
彼らは生き延びて、三日月のいう自分達の居場所を見つけられるのだろうか。

「ガンダムも叫びたがってるんだ」!
 
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