ダーリン・イン・ザ・フランキス 6話の演出-性別ごとの表情の見せ方 

ダリフラにはある規則性があることに気づいた。

それはフランクスの稼動時・戦闘中では女性キャラの顔を見せないこと。
男性キャラの表情はカットインで見せること。

よくよく考えると、各フランクスの顔は女性キャラの表情を投影したもの。
コクピット内の女性キャラの顔まで見せるとダブってしまいムダなわけだ。

次のキャプを見るとわかりやすい。

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上から

・イチゴ(フランクス) ゴロー(生身・カットイン)
・イチゴ・ゼロツー(フランクス) ヒロ(生身・カットイン)
・ゼロツー(フランクス) ヒロ(生身)

一番下は違う見せ方でヒロと生身のゼロツーを映す会話は成立しそう。
だがあえてストレリチアからのゼロツーとヒロで語らせている。

本作がロボットアニメなら搭乗する女性キャラの表情はロボットに投影。
同乗する男のパイロットの会話はカットイン等。
こうした手法は自分が知らない見せ方だった。


だからコクピット内の女性キャラの表情が見られるとき。
それはフランクスが表情を失い、何らかの異常をきたした場合だ。

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ヒロが死んだと思いイチゴが激しく動揺してる時。
イチゴが動揺してフランクスの接続がNGな時。
イチゴの顔が映される。

そんな性別ごとのキャラの表情の規則性を効果的に見せたのがゼロツー。

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戦闘中、生身のゼロツーの表情はわからず。
実はコクピット内のゼロツーの表情はこうでしたというのが6話。
実の顔を見せなかっただけにこの見せ方は効果的だ。

ヒロが倒れた後、一人で叫竜と戦おうとするゼロツーの表情。
人から離れ鬼気迫るものがある。
ヒロも知らなければ視聴者も知らない表情。
(ヒロと視聴者がお互い納得する瞬間)

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孤独なゼロツーの翼になると決心しゼロツーに寄り添うヒロ。
(青い血は消えていく=人化)
ヒロに抱きしめられ人としての形を戻しつつあるゼロツー。

人になるとは男性と女性が交わることで成立するものなのか。
人もフランクス(ロボット)も人に造られた点で同じ。変わりがない。
そんな事を思わせる性別ごとの表情の使い方。

ダリフラの戦闘シーンはセックス的である事を自覚しているなぁとも思う。

<余談>

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イチゴは可愛い。
本作では一番感情の揺れ幅が大きいキャラな点。
負けヒロインの道をひたすら突っ走るので判官びいきしてしまう点にある。

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コード090。ヒロがあだ名をつけたらオクレになるだろうと思った。
オクレといえば、吉本興業のMr.オクレ。(髪型が似ている)
090は大人になったらオクレ兄さんになると想像しながら見ると面白い。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 5話の演出を語る 

死を覚悟しながらも再度フランキスへの搭乗を決心するヒロ。
ヒロを案じる無力なイチゴ。含みを持ちながらヒロを導くゼロツー。

高雄統子コンテ・演出回。

今回の演出の特徴として

・シリアス感・キャラの不穏さを支える彩度・明度が低い画面
・心情を水(雨,波紋,水面)に託す

が挙げられるだろう。
(これらの要素は高雄統子の演出の特徴でも挙げられる)


特に心情を水に託す演出が冴えに冴える。

まず

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ゼロツーの存在。危なっかしいヒロ。
そんな揺れ動くイチゴの心情に対応するカップの水面。

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イチゴの動揺は波紋となって
その後のイチゴとゼロツーへのやり取りに繋がり、

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波紋はさらにヒロの冷や汗(明らかに体調おかしい)に繋がる。
水の動きはキャラの感情の動き。


他の象徴表現としては

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チョウを捕捉しようとする蜘蛛。
蜘蛛はゼロツー。チョウはヒロのように見える。


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イチゴに人でなしと言われ
ツノと赤目と黒さで人外としての存在感を放つゼロツー。
今回はゼロツーの不穏さがこれでもかと描写される。

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イチゴとゼロツーのやり取り後、雨が降る。
ヒロが降らすことができないと言っていた雨。
イチゴのどうしていいかわからない悲しみ。
ゼロツーの人ではない悲しみ。
クライマックスとしての雨。

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雨上がりの朝。
水面スレスレのに飛ぶ鳥。
まさにヒロ自身。死ぬ可能性を示唆している。

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ヒロの決心を聞いたゼロツーが見せる不穏な表情。
何を考えているかわからない感じが良い。
このカットを見て、このアニメを見続けてきて良かったと思わせるぐらい。
この表情付けは作画監督の愛敬由紀子の修正によるものか…。

今回は、良い画面的緊張感の中で引き込まれるように見ることができた。


気になったのは、
トリガーメインの作画演出回と
A-1系メインのそれとで作風の乖離があるようなないような点。
逆をいえば作画演出の個性が光る、
もしくはトリガーとA-1で作品の捉え方が見えることにもつながる。
 
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「ダーリン・イン・ザ・フランキス」4話の演出を語る 

ダーリン・イン・ザ・フランキスは思春期の葛藤。

その葛藤と克服は、画面演出の上では例えば人との距離・距離感に集約される。

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拘束されたゼロツーがヒロに別れを告げる時のシーン。
ツノがヒロの頭にぶつかる。
人(ヒロ)と人(ゼロツー)ではない二人の距離がツノで表現される。

(余談だがこのシーン。イデオン発動篇のコスモとカーシャがキスするのを
ヘルメットが邪魔するシーンのオマージュだと思ってしまった)

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ヒロが連行されるゼロツーに思いの丈をぶつけるシーンでは
二人の距離が遠く、画面外へ遠ざかろうとしている。
さらにヒロの前には3話で出てきたセキュリティが遮る。

ヒロが今の気持ち全てをゼロツーにぶつけることで、
ゼロツーはヒロの元に舞い戻り、距離を詰め寄る。

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不敵に笑うストレリチアとそれに気づくデルフィニウム。
ゼロツーのイチゴに対する勝利宣言だったのだろうか。
敵を倒すのは自分たちという点においても、
ダーリンは私のものという強い意思表示を近距離で見せつける。

このシーンで気づいたがダリフラのフランクスの表情はドラマを作れる機能がある。
アクションシーンはキャラクターのドラマが停滞するとも言われるが、
フランクスの表情の変化はドラマの停滞を起こさずに、ドラマを生み出す効果がある。

今回は以上のように画面におけるキャラの距離及び距離感が印象的だった。

4話のコンテは摩砂雪。エヴァ19話はあまりにも有名だが、
キャラクターの感情を爆発させてメカシーンで
圧倒的カタルシスを生み出す演出にかけては天下一品だと思った。
 
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