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カテゴリー  [ダーリン・イン・ザ・フランキス ]

ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較 

ダーリン・イン・ザ・フランキスを見終えた。
本作は出会っては引き裂かれ、繋がりたいと思えばまた引き裂かれ、
それでも繋がりを繰り返し求め、その絆は愛に昇華した二人の物語だったと思う。

そしてプラスティック・メモリーズの最終話を見返した。

なぜプラメモを見返したのかといえば、
プラメモの脚本(全話)とダリフラのシリーズ構成・脚本が林直孝さん、
両作がアニプレックスの鳥羽洋典プロデューサーが関わるから。
(アニプレックス製作のオリジナルアニメという点も同じ)
ダリフラの物語を読み解くヒントがプラメモにあることを期待して見返したくなった。


プラメモ最終話のあらすじ↓

ヒロインのギフティア(アンドロイド)であるアイラの耐用期間が近づいていた。
主人公の①ツカサはアイラと遊園地で穏やかで幸せな最後の時間を過ごす
そして観覧車内で②ツカサは「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」と語り
二人は③キスを交わして、アイラは静かに終わりを迎えた。
アイラとの別れから④時が経って、長期出張から戻ったツカサは
⑤新たなギフティアと出会い、握手を交わすのだった。


赤文字にした部分は、ダリフラ最終話の展開に通じそうなところである。

①の「ツカサはアイラと遊園地で~最後の時間を過ごす」は、
ダリフラだと「ヒロとゼロツーが外宇宙でVIRMと戦い最後の時間を過ごす」といえる。

②「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」は、
ダリフラではゼロツーが「いつになってもいい。僕らに魂というのものがあるのなら、
僕はあの星で、もう一度君に出会うよ。」
と言っている。
どちらも会いたいことを望んでいるセリフだ。

③キスはプラメモ・ダリフラどちらもしている。
④もラストエピソードは時間が経過した後を舞台にしている。
プラメモ:長期出張終了後のツカサ
ダリフラ:ヒロとゼロツーの魂が地球に戻って以降の時間

⑤新たなギフティアと出会い、は
ダリフラなら魂が地球に戻ったヒロとゼロツーの再開で締めくくっている。

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というように、プラメモとダリフラ最終話は
・主人公とヒロインが最後の時間を過ごす点
・またお互い会いたいと願う点
・最後は新たな出会いで終わる
という点でかなり近い最終話だといえる。



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他にプラメモとダリフラの共通点としてヒロインが人間ではない点(人間に作られた)。
アイラはアンドロイド、ゼロツーは叫竜の姫のクローンとして。
非人間的なヒロインに対し、人間の主人公はどう接するのか。
これが両作品に通じる物語の大枠。

プラメモならツカサがアイラの時間が終りを迎えるまでどうするか。
ダリフラならヒロが叫竜のゼロツーとの接近と疎遠を経験しながらどうするか。
その中で主人公がヒロインとどう近づき、純愛的な関係を築き上げるというのが、
プラメモ・ダリフラという作品だった。

林さん・鳥羽さんが組んだアニプレックスのオリジナルアニメでは
二人の人間・非人間という壁を越えての純愛を描きたいのだと、
プラメモ及びダリフラを見て思える。


ダリフラ最終話は穏やかだった。
VIRMとの戦闘もプラメモを見返した後だと、
プラメモのツカサとアイラの遊園地でのデートと同じように思え、
戦いもデートのように見えてしまう。

老化が先行したイクノも生き残り、地球には緑が戻り、最後に二人は再開する。
過酷な戦いを乗り越えた先にある幸せな時間。
ヒロとゼロツーの物語は始まったのだと思う。 
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキスの作品構造-若さと親密と疎遠の物語 

ダリフラの23話を見て、若い作品だと思った。

それは物語が思春期の若いヒロとゼロツーの関係に集約されていること。
どういうことか本作の物語を振り返る。

まずヒロとゼロツーが接近して親密になると
ストレリチアに力が与えられて敵を倒す事が可能になる。
次に13部隊・オトナ達・敵・お互いが知らない部分の無理解など、
二人の関係を引き裂く・失わせる展開が働いて、
ヒロとゼロツーの関係が物理的・精神的に疎遠・後退する。

しかしこの疎遠になった関係を、ヒロもしくはゼロツーが修復しようとして
さらに関係を親密になることで、さらにストレリチアが強くなって敵を倒す。
具体的には下記表のように物語は展開する。

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この親密→敵を倒す→疎遠→親密→敵を倒す(パワーアップ)
という展開が繰り返され、ついに真・アパスになったのが今回だ。

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※神々しさが表現されているようなゼロツーの表情

ヒロはゼロツーが全て、ゼロツーもヒロが全て。
この自分の全てを相手に賭けるような求め方。
若い時の恋する事が人生の全てのように感じる思春期の物語という点、
恋の成就で未来を切り開く点で、
ダリフラという作品の若さを感じずにはいられない。


ロボットアニメは過去作品の作風や設定の影響下を受けやすい。
むしろ作り手側も過去作品を自覚的に取り入れて作るケースも見られる。
ダリフラも、制作会社ガイナからトリガーの、
トップ→エヴァ→トップ2→グレンラガン→ダリフラの流れに位置づけられるだろう。

特に長い間アニメを見ている方は
ダリフラを見ていて過去作品の影響がちらつくことがあるだろう。

しかしダリフラの二人の今の関係性だけが全てという作風は、
過去作品の影響を気にしなくても良いのではという感じ方をさせる。
それはダリフラの視聴対象層が、彼ら13部隊と同年代の若い層、
特に過去作品に触れていない層をターゲットにしていると感じさせるから。

だからトップもエヴァもグレンラガンも知らない若い方からすれば
ダリフラをヒロとゼロツーの関係に焦点を絞って共感して見ていたのではないかと思う。

こうした思春期な二人の親密と疎遠を繰り返す展開を
性的モチーフを組み入れたロボット(フランクス)を交えながら描いたのが
ダーリン・イン・ザ・フランキスなのだと改めてわかった。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 22話の演出を語る-万物流転・暗から明へと生きる 

オトナ達はいなくなり自らの手で大地と生きようとするコドモ達。

もぬけの殻の状態のゼロツーと手一杯のヒロ。
ココロの妊娠、作物は育たず、指導者もいない。
全てがうまくいかない中で、少しの手がかりと
前に進もうとする人の心を元に希望を見出す話だ。

誰も、同じ川に二度入ることは出来ない。
今回この言葉が使われていた。
万物流転、全ては変化するという考えだ。

オトナ達がいた世界からいない世界へ。
いない世界からその先の一歩踏み出した世界へ。
13部隊は地上から宇宙へと生きるための戦いに赴く。
全ては変化するために、留まることを許されない。

生きるために戦うこと、それは変化することを恐れずに上に向かうこと。
そんな話だったと思う。


さて今回。とにかく画面から滲み出る空気が重い、辛い、物悲しい。
まずそれはキャラが辛そうな表情をしているから。

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登場する殆どのキャラが身体的・精神的に追い詰められ虚ろな表情を見せる。
各シーンごとで万遍なく見せてくる容赦のなさ。
さらにその虚ろさを取り払う術が無い点を突きつけられ、
より視聴者に暗々たる印象を植え付ける。
例①ナインズはメンテナンスできないので、そのままの状態でいるしかない。
例②作物が育たないが、対抗するすべがない。

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キャラクターの悲しみを代弁するかのように降る雨。
そして明度を抑えられた暗いトーンの画面の連続。
キャラ表情と画面と物語が三位一体となって
Bパート中盤まで物語は辛い展開の連続で構成される。


転機はミストルティンの土なら栽培できる可能性が期待できるところから。
ナナさんは自分の足で立ち上がる。
ヒロは心がストレリチア・アパスに残されたゼロツーを迎えに火星へ行くことを決心。

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独善的なヒロ(いつものことだけど)に
ゴローの怒りが爆発する姿を見て感情が高鳴るイチゴ。
真正面から抑えているところと、表情付けが素晴らしい。グッとくる。

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イチゴの涙は流星へと繋がる。ロマン溢れる演出。
この流星もゼロツーの心があるアパスがVIRMと戦って
生まれた光なのかもしれないと考えるとグッとくる。

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旅立ちの朝。
一人で宇宙へ向かおうとするヒロと一緒に行こうとするみんな。
空は雨から晴れにて光り輝き、今までのどんよりムードを払拭させる。
画面は上方へPANされ開放的に生きる希望を孕みながら今回を締めくくる。
ゼロツーを迎えに行くこと、VIRMを倒すことが生きることになると信じて。

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ED曲が流れる中、水の波紋を映すカットがちょっとある。
「誰も、同じ川に二度入ることは出来ない。」とゴローのモノローグを挟みながら。

オトナ達の言葉を信じて考えなかったコドモ達が、
様々な経験を積み重ね生きることを掴んできた。
そして絶望下の状況の中でも希望を見出し
変化を恐れずに前に向かうことを選択した。

ダリフラとはそういう生き方を伝えたかった作品なのかもしれない。
 
絵コンテ・演出は高雄統子さん(3回目)。
雨も暗いトーンも重い空気とその先の光も含めて高雄さんがにじみ出た演出だった。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 21話を語る-ヒロとゼロツーの繋がりの物語 

叫竜の姫とヒロが囚われの身となった所を
13部隊が殿を引き受けて、ゼロツーが助ける展開。
ゼロツーとヒロの姿に繋がる者の強さを感じ取った
叫竜の姫がヒロ達に力を貸すことで奇跡が起きる。

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ダリフラ。
序盤は部隊の青春群像劇をメインに見せながら、
中盤以降(特に13話以降)は、
ヒロ・ゼロツー、ヒロ・ゼロツー、ヒロ・ゼロツーで押し切る展開。
二人に待ち受ける困難を乗り越えて「好き」を遂げる物語だとわかる。
(個人的にはイチゴが好きだったので、中盤以降は物語の牽引力が
弱くなってしまったのは惜しいが、仕方がない役回りでもある)

肉体という繋がる術を持たず、肉体を捨てよというVIRM。
そのVIRMと戦うために繋がることを忘れた叫竜達。
叫竜のシステム(フランクス)を使い、繋がることを恐れずに生き抜いた13部隊。
今回はゼロツーとヒロの繋がりがストレリチアアパスとなってVIRMを退けた。
肉体を捨てよのVIRMか、肉体(そして心)を通した繋がりのヒロとゼロツーか。
その辺りをどう描いていくかに期待している。
さしあたって最後のゼロツーの異変が気になる。


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さしあたって今回好きなのは13部隊の結束力・友情。
絵作りから、13部隊が戦いと生活を通して関係を育んできたのがわかる。
特にイチゴがミクとココロの肩に寄りかかる自然な密着感が、
「ああこいつら友情あるんだな」という感じがして良い。

こういう絵は本来キャラクター側で描かれるのだが、
フランクスという機体で描かれるのがダリフラの新鮮なところ。
メカニックでもあり搭乗者のキャラクターを反映したキャラにもなれる。

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ストレリチア・アパスのアオリ。
ただ単にかっこいいから載せてみた。
(このデザインをアオって描くのは大変だなぁと)

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スパロボでいう気力150のヒロ。
瞳のハイライトも回転しているのも良いが、
この純粋すぎる表情付けが素晴らしい。
新しい力を得たんだなぁという気概に満ち溢れている。

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ヒロインでもあり、今回ヒロを救出したことで
ヒーローでもある事を証明したゼロツー。
ゼロツーメインで押してくるので、自然に好きなキャラになってしまった。
そういう感情の中で、こういう事切れた表情をされると悲しくなる。
ヒロの奇跡でゼロツーの復活はなるか…
それともOPでの描写のように別れの前兆となるか。
あの絵本の最後の結末は!
  
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 20話の演出を語る-血の先にあるのは 

本作品の設定のほとんどが明らかにされた今回。

マグマ燃料と叫竜、及び叫竜とフランクスの関係。
叫竜の姫の目的。宇宙からの侵略者VIRM。

人間は男と女で新しい命を作り繋げ
叫竜人は男と女をつがいにして叫竜となる。
種こそ違えど似た者同士だった。


そして戦いは、叫竜と人類というフェイズから
叫竜とVIRMと人類というフェイズに移行した。

地上での戦闘がメインだった本作が
地上と宇宙側で戦闘を始めた。

VIRM及び叫竜の姫側で投入される
物量と破壊のレベルの規模が今までと違っていた。
宇宙からVIRMの艦隊及び兵器群の圧倒的物量。
姫のビームは宇宙に放たれ、VIRM斥候艦隊を一撃で葬り去るほどに見えた。
これまでのフランクスと叫竜の戦いが些細に見えるほどに。
VIRMという侵略者の登場と、この今までの描写の規模の落差が
いわゆる超展開と感じさせる所以でもある。

今後はVIRMをヒロとゼロツーでどう立ち向かうかが焦点になりそうだが…


さて20話の演出で気になったところ。

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9'εの挑発に言い返すゼロツーを囲む13部隊。
この1カットでゼロツーと他のみんなの距離感がないのが伝わってくるのが良い。

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ヒロとゼロツーのキスは口元を撮さないことで
二人の関係のプラトニック性を保っていたかのように思うが、
叫竜の姫のヒロとのキスは、姫がヒロを奪うような感じとして描かれ、
二つの描写が対照的になっていると感じた。


画面の各勢力の配置の規則性についてはオーソドックス。

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左側に敵、右側に味方という構図。
新勢力のVIRMが登場し左に置くことで、
人間側と同じく叫竜の姫が右側に配置され、
姫が自然と味方のような映像印象になっていく。


今回の絵コンテは長井龍雪さん(14話に続いて、2回目)。
長井さんらしさを感じたのは最後の
口元を拭いて→顔のアップからの→サブタイトル
という流れのカット割。

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他に長井さんつながりで言うと

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血の跡で描かれた線の後にゼロツーがいるのは、
血の流れた先に倒れたオルガの死ぬシーンを思い出した。
(オルガ死ぬ回のコンテは西澤晋さんと遠藤広隆さんの連名)。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 19話の演出を語る-オマージュかパクリか。ガイナのエヴァ、トリガーのダリフラ。そして神戸守。 

本作の世界がいかにしてこうなったかという経緯を説明した回。
博士、APE、マグマ燃料、オトナとコドモ、叫竜、そしてゼロツーの誕生。
今までわからなかった世界設定が明らかにされた。


さて今回は各所で新世紀エヴァンゲリオン21話「ネルフ誕生」を思い出す内容だった。

世界の変動、組織の成り立ち、キャラクター。
今回を見て博士はエヴァのゲンドウと冬月を足したような存在に思えたし、
碇ユイと同じようなポジション(博士の相手、研究者、ロボットの実験中に死亡)の
カリナ・ミルザも登場した。

オマージュ?パクリ?リスペクト?インスパイア?
受け取り方によって言い方は様々あるだろう。
今までにもエヴァとの類似の指摘はあったが、今回は特に多かったと思う。

そして本作の制作にはエヴァのガイナックスのスタッフが母体のトリガーが参加。
エヴァに関わったスタッフも多数参加している。
(4話絵コンテの摩砂雪さん、今石洋之さんetc)

今回の脚本の大塚雅彦さんはエヴァで演出デビュー。
ちなみに今回の参考になったであろうエヴァ21話のビデオ版の演出にも参加している。
よってエヴァ21話の脚本や絵コンテを参照にしながら、
大塚さんは脚本を書き上げたのかなと推測してしまう。

ガイナックスのエヴァ。
トリガーのダリフラ。

TV版エヴァから23年が過ぎて古典になりつつある中で
トリガーが古巣が作った古典をなぞらえて、
自覚的に今風のアニメとして仕立てる。

少年ジャンプの黒子のバスケが、
スラムダンクを彷彿とさせるシーンがあったように
トリガー側はダリフラをエヴァになぞらえて制作していると思った。
かつてのエヴァみたく、エポックになるロボットアニメを目指して。


さて今回の演出について。絵コンテは神戸守さん。
神戸さんの演出イメージはクール(冷静かつ客観的)かつ淡々な印象が強い。
その演出イメージと今回の主役であり語り部でもある
博士の冷徹さと狂気さを併せ持ったキャラクター像とマッチした絵作りだったと思う。

今回は演出の特徴として、
キャラクターを中心に四角く画面をトリミングするような、周りを黒くする画面が見られた。

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過去の博士。

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ココロ(小さい)

この四角くするのは、監督だったコメットさんやコンテ・演出の苺ましまろで見られる。


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過去の博士と博士の上司の学長との会話。
上は切り返し、下は切り返さず、二人の位置を上から逆にしている。
会話のシーン、単純な切り返しだけでは間が持ちづらい。
構図はほぼ同じでも、位置を逆にすることで間が持つ画面になる。

他にもキャラクターのアップや印象的に1枚絵で見せる場合、
四角く切り取る画面が10回以上はあったと思う。
私としてはこういう画面の作りはクールだなぁと思う。


次にキャラを重ねるようなレイアウト。

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キャラクターのポジションが、そのまま関係性を示しているようで良い。


緩やかなダッチアングル。

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同ポ。
(神戸さんがコンテだったよりもい7話にも同ポがある)

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自然に現在から過去への回想に繋がっていく感じが良い。

技法としては以上のような見せ方が印象的ではあった。
大切なのは技法よりも博士の淡々とした語り口に合わせて
自然に映像が流れていく感じに積み重ねているのが良かった。
技法はあくまでアクセントとして。画面をダレさせずに見せるため。
作画枚数に頼らずに、演出で魅せる格好の例のような絵作り。

エヴァ21話っぽいといわれるが、それだけではない。
神戸守さん的技法でまとめ上げたといえると思う。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 17話の演出を語る-人間とは何か、形か感情か生殖か 

ダーリン・イン・ザ・フランキス 17話について。

ナインズがやってきてココロが持つ本の事がバレてしまう。
ココロは子供を作ること、未来を作れることを主張するが、
アルファはそれらは過去のものとして否定する。
ミツルは傷ついたココロの全てを受け入れ、二人は結ばれる。

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ミツルとココロのセックス。
性の悦びおじさんなら「あんなことこんなこと、ドラえもんみたいにやっとんだろ!」
と言いたくなる展開であっただろう。


今回のポイントは、人間とは何かについて。

ダリフラのコドモたちはオトナ達の教育を受けて
フランクスに乗って戦うことだけの人生を送っていた。
しかし博士の思惑によるものだろうが、
13部隊は戦い以外の人生・生き方・人のあり方を
志向するような経験を積み重ねてきた。

その中で特にココロが生殖行為への自覚心から
生き方への考えがステップしたように思われる。

一方ナインアルファの言い分は、
生殖も感情的になりすぎるのも人には必要の無いものであると否定。
(ゼロツーも「(生殖機能は)自分にはない」と言っていた)

生殖機能がある・感情の昂ぶりを起こす13部隊。
生殖機能がない(だろう)・感情を極力抑えるナインズ。
どちらがより人間なのだろうかという対立構造を見せていたように思える。

さらに人間とは何か問題を複雑にするのは叫竜側。
今回、叫竜の姫(001)が登場し降伏勧告を迫った七賢人を殺し
仮面を剥ぐと、黒いままで人間ではない(少なくとも人間の形がない)事がわかる。
そして「人間になりすますもの」と、くぎゅ声で蔑む。

つまり人間側だと思われていたAPEが
実は人間ではない可能性を突きつけられた。
13部隊、ナインズ、七賢人が目指すもの、そして叫竜。
彼らが思う、人とは何か像を巡り今後の物語は展開されるのだろう。

全体の関係をまとめると、こんな感じに見えた。

17関係

そして17話の恋愛関係図は次のように展開。

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さて画面的な演出について。

ヒロにもツノらしきものが生えてきて、ゼロツーが互いのツノを合わせるシーン。

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二人の親密性を伺わせる印象を強く受ける。
ゼロツーには生殖機能が無いためか、二人の関係は性愛的な方向には進まない。
純愛的な感じにも見える。(ツノ合わせはメタセックス的ではある)
性愛的な関係を含むミツルとココロとは対照的に描かれている。

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このシーンを見ながら、イデオン発動篇でコスモとカーシャが
キスをしようとしたらヘルメットが邪魔をしたシーンを思い出した。


次にナナとハチがココロを尋問し、アルファと会話する一連のシーン。

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ダッチアングルを含めて不安定な構図で描かれている。
ココロの件で取り巻く状況が不穏になってきたわけだが、
特にナナの心の不安定さを描くためでもあった。

博士のセリフやナナのフラッシュバックから察するに、
ナナもココロと同様に生殖行為を試みていたこと、
博士はココロ達を観察して昔の事を思い出そうとしてしまう
ナナの事も観察対象にしていたようだ。

絵コンテは入江泰浩さん。
正面、横、俯瞰など、様々なアングルを効果的に使い、
要所では縦PANなどで見せてくる絵作り。
入江さんはキャラの感情に寄り添う演出ができる方という印象で、
今回もキャラの話にすんなり入っていける感じなのが良かった。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 16話の演出-戦いと生活、生きる意味 

ヒロとゼロツーが寄りを取り戻した後のダリフラ16話。

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ゼロツーはみんなと積極的に打ち解け合おうとする。
束の間の平和の中で自活することを覚えながら、
13部隊は戦い以外の自分たちの生きる意味を感じ始める。

今回は生活描写に注目したい。

フランクスに乗れるよう育てられ、叫竜と戦うためだけに生きてきたヒロ達。
食べもの・着るものも全て用意された環境だった。
彼らに日常はあったかもしれないが、生活はなかったといえる。
住んでいた場所が機能不全の中で、不慣れながら生活を始める。

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(洗濯)

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(散髪)

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(入浴)

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(釣り)

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(調理)

着ること・食べること、他愛のない生活が描かれている。
戦いもなく普通に生きている現実の我々にとっては普通の光景かもしれないが
彼らにとっては始めての体験であり、ある意味非日常的体験なのかもしれない。

生活描写の中で散髪は特に良かった。
ミツルがかっこよくなったのもあるし、
ココロとの距離を近づける描写としても良い。
ヒロとのわだかまりも解けたミツルのキャラの変化を
デザイン面で端的に表せていたのも良かった。

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また生活の中で、みんなが互いを気遣う感じが出ているのも良かった。
明るく振舞うゼロツー。素直なイチゴ。紗に構えた言い方が抜けたミツル。
食べられないフトシの身体を気遣って泣くゾロメ。
穏やかで感情豊かな彼らの振る舞いは、
確実に今までの彼らとは違うものだった。

生活を通して、戦いだけではない生き方を覚えていく。
特に後半の自分たちで作った食事の時、
欠かさず行なっていたパパ達への感謝の挨拶を行わかったのは
彼らがパパから自立する姿を見ているようだった。


生活の積み重ねを経て、今後も戦いは続くだろう。
誰か傷つくかもしれない。死ぬかもしれない。
だからこそ、今回のエピソードが
彼らの中で輝いていた出来事として刻まれていくのだろう。

かけがえのない生活がるからこそ、戦いの描写もまた生きる。


絵コンテは舛成孝二さん。
13部隊という共同体(コミュニティ)を丁寧に積み上げて描き、
彼らの生活する時間が愛おしく思わせる描写の数々。
舛成さんらしい作りだった。
 
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(16話までの恋愛関係図)
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 14話の演出を語る-キャラの向きと視線・思いのすれ違い 

ヒロとゼロツーのすれ違いにより二人に距離ができる
ヒロはゼロツーに未練を残すが、
イチゴは自分にヒロを振り向かせるため、ヒロにキスをして告白する。

せっかく記憶が戻ってヒロとゼロツーの関係が進むかと思いきや
イチゴがコンフリクトとなって進展を妨げる展開。
今回はキャラクターの向きと視線に注目して語りたいと思う。

・大事な所は顔を隠し背中を向いて語る

今回は背中を向けるシーンが印象的。

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ヒロがミツルに昔の約束の話について語ろうとするが、
ミツルは「昔のこと」と会話をかわそうとする。
その時のミツルの表情は見えない。
表情を見せないことで、視聴者に想像の余地を与える。
おそらくミツルは表情にこそ変えていないだろうが、内心はホッとしているだろう。

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作戦会議のシーン。
ゼロツーだけ会議の場で背中を向けている。
(ここでも表情は映らない)
前まではオトナ側に顔を向けていたのだが…
ヒロとのこと、周りとのギクシャクで背けようとしている。

・モチーフ

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ウサギなリンゴの形からのゼロツーのツノのカットへ。
ヒロがリンゴを見て、ゼロツーを思い浮かべていたようにみせるカット繋ぎ。
 
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割れて形もなくなった手鏡。二人の関係は一旦リセットを迎える。

・視線のすれ違い、思いのすれ違い

今回の最大のポイントは、思いがすれ違うこと。
ゼロツーはヒロを思い、
ヒロはゼロツーを思う。
イチゴはヒロを思う。
しかしすれ違いによって、関係は上手くいかない。

そんなすれ違いを視線の方向で表現していたのがラスト。

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左向きのゼロツー(新たな赴任地へ向かう)

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左に行こうとするヒロ(ゼロツーに未練があるような感じ)。
そんなヒロの心を察知して、ヒロを行かせないイチゴ。

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ヒロを振り向かせるためにイチゴはキスをする。(ゼロツーとは逆の右向きに)
ポイントは背丈が足りないイチゴがジャンプしてキスするところ。

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ヒロの体に頭をぶつけるイチゴの独特の告白。
二人の間に身長差があるのは、このキスと告白の仕方を狙って設定したか・・・?
イチゴはヒロの方を向き、ヒロもイチゴの方を向いているが視線と思いは交差しない。

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飛行機の音で、飛行機の中にゼロツーがいる事に思いを馳せるヒロ。
ヒロの視線は空を見上げる。イチゴの視線とすれ違い、思いを交差させない。
そしてヒロの視線など気づかずに、ゼロツーは遠くに行く。

3人の視線はそれぞれの思い人に向けようとするが、
その視線と思いが届かないことが伝わってくる。
だからイチゴの告白も虚しく聞こえてしまう。

おわりに

今回の絵コンテは長井龍雪。
キャラデが田中将賀という事を考えれば待ってましたという人選だし、
ジャンル(ロボット)や作風(青春)を考えても長井さんの参加を期待していた。

見返すと、キャラの表情を隠して背中で語るのは
鉄血のオルフェンズでもオルガ等がよく見せていた。
ヒロがゼロツーに「君は化物だ。人間じゃない。」というシーンで
BGMを遮断させて、画面を一旦暗転させるのも
長井さんの監督作品ではよく見たような気がする演出であった。
見返したら、長井さんだという事がわかるコンテだったというか。

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(千早に尽くしても見向きもされない萩原雪歩) 

キャラクターの思いが届かない感じは
長井さん監督作的にいえばゼノグラシアぽかったななぁと思った。

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(14話までの人間関係図)

とくがわいえやす
爪を噛むゼロツーを見ていたら、爪を噛む癖があった徳川家康を思い出した。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 13話の演出を語る-照明と作り物の世界と雪と 

ヒロとゼロツーの出会いが語られた13話。

13話のポイントとして冒頭とゼロツーを助ける時に使われる"照明"が挙げられる。

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落下する照明。映画「トゥルーマン・ショー」を彷彿とさせる演出だ。
トゥルーマン・ショーの大筋を要約すれば
主人公の人生が実は作られたTV番組。周りの人物は俳優。住む街は全部作り物。
主人公は作り物の世界から抜け出し外の世界へ踏み出す話。

今回の13話も作り物度が高い閉鎖された施設(ガーデン)から
ヒロとゼロツーが抜け出して、外の世界へ行こうとする話。

今回のダリフラがトゥルーマン・ショーを見立てているのかもわからない。
また脚本段階か、またはコンテ段階でこの照明が出てきているのもわからないが、
少なくとも照明(作り物の世界を象徴する道具)というモチーフで
今回を描き出そうとしているのは伝わる。

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要所要所で出てくるノイズもまた今回の作り物感を補強させる効果に繋がっている。
(キャラの記憶のノイズという意味もある)

まず最初の照明は、繰り返しになるがここが作り物の世界だと露呈させる演出になっている。

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次の照明(最初の証明と同じシーンだが)は
ヒロがゼロツーを助ける時に、二人を隔てるガラスを破るために用いられる。
物理的にはガラスを破り、一方で作り物の世界を壊すという意味も込められているだろう。
ガラスを破って二人は外の世界へ向かっていったのだから。

しかし二人の脱出は失敗に終わり、二人の記憶は書き換えられてしまう。
トゥルーマン・ショーも主人公の1回目の脱出は失敗し、2回目に外の世界に出る。
だから今回の失敗は次の脱出の成功を暗示させるものとあるともいえるだろう。
 
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(このゼロツーの振り向きが最高)

そして今回の最後でヒロは思い出し、絵本の女の子と呼びかけたことで
ゼロツーも思い出したのであろう。「ソシテ再開ノ物語」。

おさらい。

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(1話)

1話ではゼロツーがヒロの手を握りストレリチアが起動した事で
ゼロツーが外の世界に誘う主導役かと思っていたが、

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今回、最初にヒロがゼロツーを外の世界に誘おうとしていた事がわかった。
ただヒロを駆り立てたのは、ゼロツーがオトナに歯向かう姿を見てから。

手を取り合う描写は、繋がりの演出として鉄板でもあるが、
互いが互いに外の世界へ誘おうとしている姿は良いものがある。

・おまけ

今回の絵コンテは高雄統子。5話でも素晴らしい仕事をしていたが、
13話も同等、ドラマ的にはそれ以上のものを繰り出してきた。
演出(岡本学)もコンテの要求に存分に応えていたかのような出来栄えに見えた。

高雄統子といえば雨の演出が特徴的と指摘されるが、
個人的には雪の高雄であるとも思っている。
今回もダリフラでも雪が醸し出す寒い・冷たいイメージが
二人の悲しい過去に呼応するかのようだった。

高雄さんの雪で印象深いのは「CLANNAD番外編 もうひとつの世界 智代編」。

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シーン自体は少ないものの、クライマックスで雪が使用されている。
雨や雪を効果的に使う高雄演出であった。
 

ダーリン・イン・ザ・フランキスの恋愛関係図【13話現在】

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ダーリン・イン・ザ・フランキス 12話の演出を語る-ゼロツーの人間への憧れと非人間的描写 

ゼロツーがヒロのことをエサとしか見ていなかったことが衝撃的だった12話。

今回は設定的な部分が多く提示されていた。

・ゼロツーは叫竜を倒し続ければ人間になれると信じている
・ゼロツーは竜化が深刻。パートナーのヒロも竜化している
・ゼロツーはパートナーの命を吸って戦っている(過去100人がその生贄になっている)
・過去にガーデンでヒロとゼロツーは会っていた(ヤドリギ)
・過去のゼロツーはもっと異形の姿(鬼)をしていた
(1話アバンの姿と今回の姿が一緒だと確認できる)
・ヒロはミツルとガーデンにいたことを知らない(記憶操作の疑い)

物語的にはゼロツーに焦点を当て、
人間になりたくてとにかく焦るゼロツーから見え隠れする本心がさらけ出される。
その展開を絵的には、非人間的になっていく
ゼロツーの絵をたくさん見せることで成立させようとしている。

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(表情付けが半歩人間から脱している形相。)

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(牙を持つ口内。口の中ってエロい)

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ヒロにプレゼントされた鏡を割る(わざとではない感じ)。
①ヒロとの関係の暗示(関係を悪る)
②人間の姿が割れる→竜化の暗示

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ストレリチアの形相。
ダリフラのポイントであるフランクスに
ピスティル側の表情が投影される設定が生かされているなぁと思った。

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イチゴへ向ける視線。イチゴを戦慄させる程の力。


ゼロツーは早く人間になりたいと叫びながら、
その叫竜を殺戮する行動や形相が非人間的になっていくのが皮肉だったし、
画面的にはゼロツーの非人間的な描写と叫びを対照的に描いていた。

そんなゼロツーにヒロは今の君が「好きだよ」と言っても相手にされない。
「好き」以上の何かをゼロツーに差し出さないといけない(命)。
ヒロはゼロツーにどう接していくか(本当のダーリンになれるか)が今後のポイント。

12話現在の関係。

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ダーリン・イン・ザ・フランキス 11話の演出-叫竜とフランクス達の位置関係とルール作り 

パラサイトのコンビが変わってしまう事が今回描かれた。
フトシとココロ、ミツルとイクノのコンビが入れ替わる形で。
特にミツルのヒロに対する思いと、ココロの思いを受けて
自身の心境の変化を描いた。

こうした舞台の変化もナナの言葉から察するに、
博士の思惑通りなのかもしれない。
13部隊は今までの部隊とは違う運用がなされていること。
思春期の集団による不安定な関係こそ、力を生み出している。

集団・コンビの変化が、個人を集団を活性化させる。
バラバラな思いが、最終的にはひとつになってパワーになるのだろう。

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(参考:11話までの恋愛関係図)



さて演出について。
今回気づいたことだが、ダリフラの戦闘シーンの舞台は荒野が多い。
木や草、川や湖といった自然物がなく、荒野と空のみで舞台が構成されている。
背景に何もない状態なので、フランクスを動かす上で背景的な縛りがない。
むしろダリフラという作品はフランクスを動かさせる為に、
この舞台背景を採用していると思わせるぐらいに。

一方で荒野ということは背景に目印となるものがない。
よって敵味方の位置関係や見せ方に一定のルールを設けないと
画面的にどこに何がいるのかわからない状態になってしまう。

そこで以下のモニターのように、敵味方がどこにいるかがまず示される。

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味方は右上、敵は左下。
要は左下から右上に向かってくる叫竜を、
右上にいるフランクス達が施設(掘削場)を防衛することになる。

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よってフランクス達は画面上では右から左へ(地図上では右上から左下)に動く。

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叫竜は画面上では左から右(地図上では左下から右上)に動く。

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だから叫竜をなるべく右に行かせないようにして撃破したいのだが
攻撃すると敵の破片が分裂したりするので厄介で追い詰められていく。
ミツルとココロの連携も上手くいかず機体が止まるなどして、
叫竜は施設一歩手前まで手を伸ばす。

というように、敵味方の位置関係及び向きを左と右で決めて
そのルールの中で動かすことで、画面に説得力を持たせている。
(むしろ作り手がルール下の制作によってわかりやすく作ることができそう)

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最後も画面右側から左側に着地するストレリチア。
 
以上のように戦闘シーンにおける敵味方の位置関係をダリフラは自覚的に描く。
例えば6話でも左側からやってくる敵に対し、右側で待ち受ける味方というように。

世界の舞台設定が先か、戦闘を描くための背景としてが先かはわからないが、
いづれにせよ荒野という舞台での戦闘に対し、位置関係と動きの向きをルール化することで
ダリフラの戦闘シーンが描かれている。演出とはルール作りでもある。

セックスのメタファーが注目されている本作だが、
戦闘をセックス的な行為として見るならば、
戦闘シーンがどのように描かれているかも一つのポイントになりえると思う。

今回のコンテ・演出・作画監督はA-1が誇るアクションアニメーター鹿間貴裕。 


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おまけ。
ヒロとゼロツーの影付けの境界線が平行になっているのが
デザイン的な画面になっていて好き。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 10話の演出-オトナ・都市の無機質性と縦・横の画面構成 

今回は大人に憧れるゾロメと現実に現れたオトナとの対話によって
ゾロメのオトナへの幻想が変わっていく話。
(物語の設定的にもいくつか示唆的な点があった)

まずゾロメとオトナ女性は何らかの関係があるのだろう。
ゾロメがオトナ女性と始めて会ったのに懐かしい発言。
オトナ女性が先にゾロメの名前を言い当てた点。

オトナ女性はオトナは生殖行為をしない(過去の話)と言っていたので、
ゾロメの遺伝子の提供者と推測できる。

演出的にも

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大人女性の下半身から顔へと上方向にカメラを映し、
ゾロメにオーバラップさせるカットがある。
これはオトナの女性とゾロメに関係性を示唆させる。

また

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横からお互いの顔、特に目を焦点に映す事で、
目の色が一緒という共通点が鮮明に見えてくる。
(ガラスの映り込みも良い味出している)

他にも

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イスに座った幼少のゾロメ→オトナ女性の絵を連続して繋げている点。

二人の言葉のやり取りを聞いているだけでも、
なんとなく二人の関係性が見えてくるが、
画面演出的にもきちんと関係性があることを見せているように思える。

さらに言えば、アバンのゾロメのモノローグ。

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"不思議に同じ夢を何度も見る なぜかその夢で僕は暗闇の中にいて
遠く眩しい光を見て泣いている 悲しいのか嬉しいのかわからないけど
とめどなく涙が溢れてくるんだ その光はどんどん大きくなって
最後に僕は光に包みこまれ そして大きな叫び声を上げる"

おそらく生まれてくる瞬間をイメージした詩的なモノローグであろう。
生まれのモノローグを最初に持ってきた点でも、
ゾロメとオトナ女性は関係があるのだろう。

しかしそんな二人の関係性を積み重ねておきながら、
物語ではオトナ女性がゾロメとの関係を完全に断ち切る。
(画面的にも一瞬暗転させて、スパッと断ち切っている)
コドモ(13部隊)細菌持ちでオトナとは決定的に違う存在であるのだ。
この断ち切り方が余りにも切れ味が良かった。

ゾロメが抱いていたオトナへのある種の幻想を
自分に関係していたであろうオトナが断ち切った。
大げさに言えば、今回は乳離れの話であったのかもしれない。


今回絵的に特徴があった点として

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キャラを真正面から描くレイアウトと

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真横からのレイアウト(引いても、アップでも)、

主にこの真正面と真横と真俯瞰のカットの連続で物語を積み重ねてきた。

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このある種、規則的で無機質な縦と横の画面の連続は
規則的に四角のブロックで構成される都市の建物群の空間性・無機質感、
あるいはオトナの無機質感と符合するような印象を与える。

以上のように静逸的な真正面と真横の連続で主に繋ぎながら、
あるカットでは回り込んだレイアウト、コミカルな演技(ミクとか)、
最後のドアップのゼロツーの成長した牙、などのスパイスを混ぜてくる。

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こうしたスパイスの中でも最も特徴的なのが、
小気味よくカットを割っている中で
真正面からゾロメがミクについて語るカット。
約22秒。今回の中では長く感じられ、一番重要なシーンでもあるのだろう。

このゾロメの語りが始まる前に、オトナ女性が
ゾロメの名前を言い当てている点でもこの辺りは重要。


オトナと都市の無機質性を縦横の主に画面構成で描き、
ゾロメの淡い期待との決別を描いた10話。
コンテは小倉陳利。ガイナ・トリガーアニメでお馴染みのベテランの仕事を堪能させて頂いた。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 9話の演出-髪留めとイチゴとゴローと 

今回はゴローとイチゴの話。

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(ゴローから見たイチゴ。焦点は髪留め)

今回はイチゴの髪留めがポイントとなる。

パパからプレゼントがもらった流れで、ヒロはゼロツーに手鏡をプレゼント。
嬉しがるゼロツーを見ているイチゴと、そのイチゴの髪留めを見つめるゴロー。

思いの方向を←で示すなら、
"ゼロツー←ヒロ←イチゴ←ゴロー"
みたいな感じになるだろう。

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この髪留めはヒロからプレゼントされたもの。
ヒロとイチゴの親密性を改めて伺わせる話。
一方でイチゴに髪留めを渡しそびれたのがゴロー。

イチゴが好きなのに(今回まで言葉にできなかった。)届かない思い。
それは幼少の頃に髪留めを渡せなかった事から始まっていた。

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(3人の距離感を画面分割で表現したもの)

イチゴはヒロを見ていて、ヒロもイチゴを見ている。
その中からゴローは残念だけど疎外されていた。

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ゴローは叫竜の中に閉じ込められ、ゴローに助けられたイチゴは
今度はゴローを助けようと、叫竜の中に潜入。
しかしその中で髪留めが流れてしまう。

このシーンがターニングポイント。

今までのイチゴの行動原理はヒロが中心だった。
(リーダーとして云々というのはあくまで役割としての行動原理)
ヒロがどうするか、特にヒロとゼロツーが絡むと感情が高ぶっていた。
そのヒロとイチゴを結ぶ象徴としての髪留めが、ここでなくなっている。

つまりこれ以降のシーンは、
髪留めが外れたイチゴはヒロからの開放を暗示しているともいえる。

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イチゴはゴローに思いの丈をぶつける。ヒロへの思いにも負けない強い叫び。
この前のシーンにはゴローを気遣い、泣くイチゴのシーンもあり、
イチゴはヒロだけではなくゴローに対してもきちんと思いがあるのがわかる。

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イチゴの思いを知り、ゴローはイチゴに手を差し伸べる。

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幼少の頃、始めてイチゴを意識した時はイチゴから手を差し伸べられていた。
今回は逆にゴローから手を出している。王道的な描写の積み重ねだ。

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髪留めを失ったイチゴにゴローは渡せなかった髪留めを渡す。
ヒロの髪留めから、ゴローの髪留めへ。微笑むイチゴ。
それはイチゴの思いの変化を表すものであろうか。

イチゴにとってヒロは特別な人のままであり続け、
イチゴにとってゴローは好きな人へと変化していくのだろうか。
 
毎回イチゴはかわいいのだが、今回のイチゴはいつにも増してかわいい。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 8話の演出-思春期と遊びと死と 

今回は13部隊が男の子、女の子が思春期的な問題、
「裸をいやらしい目で見ていた問題」というくだらない問題から
人間の一生の課題である「死」を始めて意識する展開であった。

今回のサブタイトルの元ネタになったであろう
郷ひろみの歌「男の子女の子」の歌詞の中で

「一度の人生 大事な時間」 とある。

まさに13部隊にとって今が大事な時間であり、
一度の人生である事を意識した話であった。
(今回の話はこの歌を元に脚本を起こしたかのようだ)

では大事な時間=思春期とは何なのだろうか。
それはくだらない・必要以上の意地を張ったり、
ゼロツーのいう「遊び」に本気になることであり
自分が男や女である事を意識すること、ではないだろうか。

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(ヘイヘイヘイ おいで 遊ぼう-男の子女の子の歌詞)

男の子と女の子同士がくだらない意地の張り合いで
お風呂で「遊び」を興じるのも思春期そのものなのだろう。

無限に湧いて出る風呂桶もくだらなさ=思春期を、
子供の遊びを上手く演出するものとして機能している。

一方でオトナ達は今回の思春期の行動をイレギュラーとして見ている。
ダリフラの世界では思春的なくだらない遊びに興じることはないのだろう。
あくまで叫竜と戦うためだけのコドモでしかないのだろうか。

いずれにしても戦い・生き残れなければ死ぬ。
思春期に訪れる自身の身体と心の変化の最終的な先にある「死」。

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(ヘイヘイヘイ 夢があふれる-男の子女の子の歌詞)

身体の変化。生殖。希望。

「死」だけではない、希望や夢もある事を
本から知った知識でココロから語られる。

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(僕らの世界へ走っていこうー男の子女の子の歌詞より)

こうした思春期の遊びはゼロツーの動作で表現される。
遊びとは動き回ることでもある。

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ダリフラはシネスコ(横長の画面)になることがある。
上記のヒロとゼロツーが夕日の屋根上で喋るシーンでもそうなる。

そしてケンカする事を「人間らしい」ことというゼロツー。
人への憧れを抱くゼロツーにとって思春期の過程こそ
人間になれる道なのかもしれない。
ゼロツーの素直な思いが聞ける重要なシーン。
おそらくシネスコは重要シーンですよという合図なのだろう。

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(見つめる男の子-男の子女の子の歌詞より)

一方でアバンで叫竜の液体に触れた女の子達のスーツが
溶けて裸になるシーンでゾロメとフトシの表情を見せるときに
画面が通常からシネスコになるシーンがある。
(今回ダリフラでは始めて使われた)

これは先ほどのダリフラの重要シーンではシネスコが用いられる
演出パターンを応用した一種のいたずら的遊びなのだろう。
こういう遊びもまた思春期的である事を表現する演出だと私は見る。

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(セピア的な色彩が振り返った過去感を醸し出している)

以上のように今回は思春期とは何かを問うような回だった。
ケンカして、コミカルで、お遊びで、でも本気で、でも死を意識して、仲直りして
思春期のすべてが詰まったかのような話だった。


今回の絵コンテは岡村天斎。個人的には岡村天斎は
カウボーイビバップのカウボーイファンクのような
ハメを外すような話でこそ真価を発揮する方だと思っている。
今回はお遊びある密度な画面と小気味よいカット割りで
岡村氏の良い味が出ていた画面作りだったと思う。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 7話の演出-イチゴの髪と二面性 

ダーリン・イン・ザ・フランキスといえばイチゴ。

そんなイチゴの性格をデザイン上で最も表しているのが髪型。
この髪型を感情表現・画面効果として使っている。

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左側の髪はヘアクリップによって開かれることでの陽のイメージ。
第13都市部隊のリーダーとして明るく周りを気遣い引っ張り
パブリックを背負う面もあるイチゴ。

上のように左側から映すと、明るく凛のあるイメージに見える。

対して右側はイチゴの私的・内面を担う陰のイメージ。
端的にいえば、ヒロやゼロツーへの誰にも言えない思いを抱える。


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例えば、ゼロツーがイチゴに話しかけたシーン。
イチゴは左を向き目を逸らして話す。
右髪がゼロツーに対する精神的防御壁として機能しているイメージとなる。

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ゼロツーがキスについての話は興味があるので
目はゼロツー側を向くが、髪がゼロツーをシャットダウンしている。
髪型だけでイチゴとゼロツーには壁があることを感じさせるのが上手い。

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この左右非対称の髪型が生かされるのは振り向きシーン。
顔が隠れた状態から、表情が現れることで変化を感じさせるのが良い。
その表情が、あまり見せたことのない表情なら尚更。

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真正面から映すと陰陽が一体となったような、
イチゴの全てを見せてくれる感じがする。

イチゴの魅力はイチゴのヒロを思う気持ちが中々当人に届かない点に
視聴者側が思いを込めることで生まれると思うの。
さらにいえば、イチゴも自分の思いを上手く言葉にも形にもできない点にある。
最初はキスも知らない、恋も愛もまだ知らないこども達。

イチゴの髪型は彼女の複雑な内面をデザイン的に見せてくれるキャラクターだと思う。

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こうしたイチゴの髪型と同様な機能を持っているキャラクターとして
鉄血のオルフェンズのオルガ(前髪)が挙げられると思う。
リーダーとして振舞う責務があるオルガ。
一方で三日月の期待に応えることの不安を抱え持つ二面性を、
前髪で目や表情を隠したりすることで、表現してように思える。


ダリフラ7話はイチゴのモノローグで始まり終わった点でイチゴメインの回だった。
彼女が可愛く見えるのも、その髪によるものだというのがわかる7話だった。

<余談>

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偉い方々が「グランクレバス」への到達が目的と言っていた矢先に
大地の割れ目(クレバス=女性器の隠喩)から
滅びた都市へと誘われ世界の一端を知るこども達。

その中でココロは性に関する本を入手し、
ゼロツーとイチゴはキスについての話をする。

海(命・母性・感情)→割れ目(女性器)→荒廃都市(真実)→海及び流星と
場面転換した今回。

性的メタファーに彩られた本作でも最もらしい展開だった。
 
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[ 2018/02/25 16:30 ] ダーリン・イン・ザ・フランキス | トラックバック(-) | コメント(-)

ダーリン・イン・ザ・フランキス 6話の演出-性別ごとの表情の見せ方 

ダリフラにはある規則性があることに気づいた。

それはフランクスの稼動時・戦闘中では女性キャラの顔を見せないこと。
男性キャラの表情はカットインで見せること。

よくよく考えると、各フランクスの顔は女性キャラの表情を投影したもの。
コクピット内の女性キャラの顔まで見せるとダブってしまいムダなわけだ。

次のキャプを見るとわかりやすい。

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上から

・イチゴ(フランクス) ゴロー(生身・カットイン)
・イチゴ・ゼロツー(フランクス) ヒロ(生身・カットイン)
・ゼロツー(フランクス) ヒロ(生身)

一番下は違う見せ方でヒロと生身のゼロツーを映す会話は成立しそう。
だがあえてストレリチアからのゼロツーとヒロで語らせている。

本作がロボットアニメなら搭乗する女性キャラの表情はロボットに投影。
同乗する男のパイロットの会話はカットイン等。
こうした手法は自分が知らない見せ方だった。


だからコクピット内の女性キャラの表情が見られるとき。
それはフランクスが表情を失い、何らかの異常をきたした場合だ。

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ヒロが死んだと思いイチゴが激しく動揺してる時。
イチゴが動揺してフランクスの接続がNGな時。
イチゴの顔が映される。

そんな性別ごとのキャラの表情の規則性を効果的に見せたのがゼロツー。

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戦闘中、生身のゼロツーの表情はわからず。
実はコクピット内のゼロツーの表情はこうでしたというのが6話。
実の顔を見せなかっただけにこの見せ方は効果的だ。

ヒロが倒れた後、一人で叫竜と戦おうとするゼロツーの表情。
人から離れ鬼気迫るものがある。
ヒロも知らなければ視聴者も知らない表情。
(ヒロと視聴者がお互い納得する瞬間)

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孤独なゼロツーの翼になると決心しゼロツーに寄り添うヒロ。
(青い血は消えていく=人化)
ヒロに抱きしめられ人としての形を戻しつつあるゼロツー。

人になるとは男性と女性が交わることで成立するものなのか。
人もフランクス(ロボット)も人に造られた点で同じ。変わりがない。
そんな事を思わせる性別ごとの表情の使い方。

ダリフラの戦闘シーンはセックス的である事を自覚しているなぁとも思う。

<余談>

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イチゴは可愛い。
本作では一番感情の揺れ幅が大きいキャラな点。
負けヒロインの道をひたすら突っ走るので判官びいきしてしまう点にある。

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コード090。ヒロがあだ名をつけたらオクレになるだろうと思った。
オクレといえば、吉本興業のMr.オクレ。(髪型が似ている)
090は大人になったらオクレ兄さんになると想像しながら見ると面白い。
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキス 5話の演出を語る 

死を覚悟しながらも再度フランキスへの搭乗を決心するヒロ。
ヒロを案じる無力なイチゴ。含みを持ちながらヒロを導くゼロツー。

高雄統子コンテ・演出回。

今回の演出の特徴として

・シリアス感・キャラの不穏さを支える彩度・明度が低い画面
・心情を水(雨,波紋,水面)に託す

が挙げられるだろう。
(これらの要素は高雄統子の演出の特徴でも挙げられる)


特に心情を水に託す演出が冴えに冴える。

まず

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ゼロツーの存在。危なっかしいヒロ。
そんな揺れ動くイチゴの心情に対応するカップの水面。

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イチゴの動揺は波紋となって
その後のイチゴとゼロツーへのやり取りに繋がり、

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波紋はさらにヒロの冷や汗(明らかに体調おかしい)に繋がる。
水の動きはキャラの感情の動き。


他の象徴表現としては

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チョウを捕捉しようとする蜘蛛。
蜘蛛はゼロツー。チョウはヒロのように見える。


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イチゴに人でなしと言われ
ツノと赤目と黒さで人外としての存在感を放つゼロツー。
今回はゼロツーの不穏さがこれでもかと描写される。

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イチゴとゼロツーのやり取り後、雨が降る。
ヒロが降らすことができないと言っていた雨。
イチゴのどうしていいかわからない悲しみ。
ゼロツーの人ではない悲しみ。
クライマックスとしての雨。

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雨上がりの朝。
水面スレスレのに飛ぶ鳥。
まさにヒロ自身。死ぬ可能性を示唆している。

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ヒロの決心を聞いたゼロツーが見せる不穏な表情。
何を考えているかわからない感じが良い。
このカットを見て、このアニメを見続けてきて良かったと思わせるぐらい。
この表情付けは作画監督の愛敬由紀子の修正によるものか…。

今回は、良い画面的緊張感の中で引き込まれるように見ることができた。


気になったのは、
トリガーメインの作画演出回と
A-1系メインのそれとで作風の乖離があるようなないような点。
逆をいえば作画演出の個性が光る、
もしくはトリガーとA-1で作品の捉え方が見えることにもつながる。
 
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「ダーリン・イン・ザ・フランキス」4話の演出を語る 

ダーリン・イン・ザ・フランキスは思春期の葛藤。

その葛藤と克服は、画面演出の上では例えば人との距離・距離感に集約される。

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拘束されたゼロツーがヒロに別れを告げる時のシーン。
ツノがヒロの頭にぶつかる。
人(ヒロ)と人(ゼロツー)ではない二人の距離がツノで表現される。

(余談だがこのシーン。イデオン発動篇のコスモとカーシャがキスするのを
ヘルメットが邪魔するシーンのオマージュだと思ってしまった)

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ヒロが連行されるゼロツーに思いの丈をぶつけるシーンでは
二人の距離が遠く、画面外へ遠ざかろうとしている。
さらにヒロの前には3話で出てきたセキュリティが遮る。

ヒロが今の気持ち全てをゼロツーにぶつけることで、
ゼロツーはヒロの元に舞い戻り、距離を詰め寄る。

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不敵に笑うストレリチアとそれに気づくデルフィニウム。
ゼロツーのイチゴに対する勝利宣言だったのだろうか。
敵を倒すのは自分たちという点においても、
ダーリンは私のものという強い意思表示を近距離で見せつける。

このシーンで気づいたがダリフラのフランクスの表情はドラマを作れる機能がある。
アクションシーンはキャラクターのドラマが停滞するとも言われるが、
フランクスの表情の変化はドラマの停滞を起こさずに、ドラマを生み出す効果がある。

今回は以上のように画面におけるキャラの距離及び距離感が印象的だった。

4話のコンテは摩砂雪。エヴァ19話はあまりにも有名だが、
キャラクターの感情を爆発させてメカシーンで
圧倒的カタルシスを生み出す演出にかけては天下一品だと思った。
 
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