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山田尚子の手-境界の彼方 5話より 

境界の彼方5話を視聴。

今回は、何よりアバンの手の作画/芝居に見入ってしまった。

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今までも境界の彼方で、手の良い作画はあったのかもしれないが、
それはごめんなさいと目をつぶる。
とにかく私の中で引っかかったのは今回の5話のアバンの手。

男性キャラは骨格/関節のごつごつした感じを表現している手。
女性キャラは、男性キャラよりシャープに骨格/関節を表現した手。
こういうリアルな感じに仕上げている手は好きだ。

またカット的に見ても、
手のクローズアップしたショットが多かった事も含め
手の芝居を見せたいようにも見えた。

今回のコンテ・演出は山田尚子さん。
山田さんはけいおん!では脚の描写、芝居にこだわっていたが、
今回の境界の彼方では、手の芝居をやりたかったのかもしれない。


他に面白かった描写は液体。

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上3つを見ても、液体のドロっとした感じを上手く表現しているように見える。
ちなみに液体の色が全部緑色なのは偶然なのだろうか。

手の作画の他にも、全体的に作画が面白かった。
作画監督の内藤直さんは、名前は存じ上げていたが、
キャラの細かい芝居を含めて、面白い仕事をする方なんだなぁと思った。
これからはより気をつけて、内藤さんの仕事を追ってみたいと思う。
 
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[ 2013/10/31 20:14 ] 境界の彼方 | TB(27) | CM(2)

新房昭之さんとシャフトアニメのスタッフクレジットの使い分けを調べてみた 

2004年以降、シャフトで数多くアニメの監督を手がける新房昭之さん。

気になるのは、新房さんは作品ごとに総監督と監督のクレジットを使い分けていること。
また新房さんの作品では、シリーズディレクターや副監督など
新房さんの監督業を支える副監督業的なメインスタッフのクレジットも作品ごとで異なる。
これには何か基準があるのか知りたくなった。

まずは新房監督がシャフトに関わり始めた「月詠」からどんなクレジットで参加しているか。
また新房さんを支えるスタッフのクレジットをリスト化してみた。

まずTVアニメから。
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次にOVAと劇場版
sinbouu3.png

※表はクリックすると見やすくなります。

わかったこと

・TVアニメの新房さんは監督としてのクレジットが総監督と比べて比較的多い。
・監督:新房昭之 シリーズディレクター:○○ というパターンが一番多い。
・シリーズディレクターは色々な方がクレジットされている。
・龍輪直征さんは副監督としてのクレジットが多い(特に絶望先生シリーズ)。
・チーフ演出は宮本幸裕さんが絶望先生シリーズで用いる専用クレジット。
・監督補佐、チーフディレクターのクレジットは1回のみ。
・ここ2作の物語シリーズは、総監督:新房昭之、監督:板村智幸のクレジット。
・新房さんは絶望先生シリーズ、ひだまりスケッチシリーズでは総監督クレジットを使わない。

まとめ

新房さんが総監督と監督を使い分ける確たる理由は、
リストをまとめてもわからなかった。

ただ、シャフトのメインスタッフの流れも垣間見ることができた。
ぱにぽにだっしゅ・ネギま!?の頃の相方は大沼心さんであり、
その後は龍輪さんや宮本さん、
そして板村さんが続いているように見える。

リストをまとめてわかることも多少はあったので良かった。
 
※追記
nobita4さんから以下のコメントを頂いた。抜粋して掲載。

「TVシリーズの場合は同クールで2本作品の監督をする時に使い分けてることがほとんどですね。例としては2004年秋のなのは1期(シャフト作品ではありませんが)と月詠、2007年1月のネギまとひだまり1期、2010年秋の荒川2期とそれ町、2011年春のまりほり2期と電波女。後者の作品が総監督名義になってます(まりほり2期と電波女だけは両方総監督名義)

同クールで2本作品を手がけると、総監督と監督を使い分ける傾向があるようだ。
 
nobita4さん、貴重なご指摘ありがとうございました。
 
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[ 2013/10/29 20:47 ] シャフト | TB(0) | CM(8)

「劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」は「コゼットの肖像」の別の可能性なのか 

はじめに

「劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編 反逆の物語」の
まどかとほむらの関係について考えてみたいと思い、
新房監督の「コゼットの肖像」と「The Soul Taker 〜魂狩〜」と
比較しながら考察したいと思った。

※ネタバレが多いので、劇場版を未見の人は注意してください。


まどかとほむらの関係

まどかを独占的に愛したい悪魔ほむら。
魔法少女全ての苦しみの解放を願い、世界を作りかえた神まどか。
ほむらはまどかだけを望み、まどかはほむらも含めた人の救いを望む。
ほむらは何があってもまどかなのだ。

後述するが、新房監督作品では、愛を独占したいキャラがよく描かれる。

魔法少女まどかマギカの原点としてのコゼットの肖像

ここでまどかマギカとコゼットの肖像と比較したい理由を挙げてみる。

それは、劇場版まどかマギカを見ながら感じていたのは、
幻想的なビジュアルイメージ、そして物語展開の突き放し方が
「コゼットの肖像」もしくは「The Soul Taker 〜魂狩〜」の頃の
新房さんの作りにかなり近かったという事だ。

kozet000.jpg
(参考:コゼットの肖像:3話より、ほむらのイメージに近いと思った)

最近「コゼットの肖像」が「魔法少女まどかマギカの原点」というキャッチコピーで
BS11で再放送されたが、それは宣伝的な煽りだけではない事はわかったし、
他でもコゼットの肖像の公式HPにある、新房監督のコメントでも
はっきり「コゼットの肖像」を「まどかの原点でしょう」とも言っている。

コゼットの肖像とは-劇場版まどかマギカとの比較

「コゼットの肖像」は、倉橋永莉がグラスの中に映る幻の少女コゼットという少女と
血の契約を交わし、永莉は正体不明のコゼットの実像を追っていく。
この中で、倉橋永莉はコゼットを追い求め、コゼットは永莉を自分の世界へ誘う。
しかし最終的には、永莉はコゼットの誘いを振り切り、現実の世界へ還る。

まどかマギカの接点でコゼットを語るなら、
執拗に自分のために永莉を求めるコゼット、
まどかを自分だけのものにしたい・求める暁美ほむら、
この二人の感情の趣き/方向性に共通点を感じられること。
永莉とコゼットの契約が、魔法少女的な契約と連想できることが挙げられる。

The Soul Taker 〜魂狩〜との比較

次に「The Soul Taker 〜魂狩〜」における
主人公:伊達京介と妹でラスボス:時逆琉奈の関係も見てみたい。

京介と新しい世界を作ろうと誘い、京介を独占しようと感じられる琉奈。
おおまかな感情の流れでいえば、京介=まどか、琉奈=ほむらに相当するだろう。
しかし京介は琉奈の誘いを断り、琉奈は京介によって浄化される。
ここでも兄:京介を独占したいと望むほむらのような感情を持つ琉奈が描かれる。

偶然かもしれないが、時逆という苗字が、ほむらの魔法の設定とかぶるのは面白いし、
時逆琉奈には、現実とは違う嘘の世界を作る能力を持ち、他人と共有することもできる。
この琉奈の能力は劇場版まどかマギカで、ほむら自身が行っていた嘘の世界作りにかなり近い。

まどかマギカ・コゼットの肖像・魂狩-新房監督が描くもの

こうして、まどかマギカ・コゼット・魂狩と
新房監督のオリジナルアニメ作品を3つ踏まえてみると、
主要キャラクター2人が、

■愛するもの・愛されるもの
■愛を奪おうとするもの・愛を奪われるもの
■愛を独占するもの・愛を独占から解き放つもの

というような関係で、新房監督はそれぞれを作品に応じた形で描いているのがわかる。
「化物語」や「荒川アンダーザブリッジ」などにもこの要素はあると思う。

ただ、ほむらがコゼットのように愛するものを求めているとはいえ、
永莉がまどかと完全に一致しているわけではないし、京介もまた同様だ。
通底するモチーフはあるが、作品ごとで形は変えている。

「反逆の物語」は「反逆のコゼット」でもあったのか

さらに突き詰めて考えてみたい。

もしかすると「反逆の物語」とは
「コゼットの肖像」の別の可能性、
あるいは続きの可能性の話なのかもしれないことを。

「コゼットの肖像」では永莉が自分の絵を書くと決意し、
コゼットを突き放しコゼットは消えるわけだが、
その後、コゼットが復活して、永莉を愛し、彼を奪い返す展開があるとしたなら。

「反逆の物語」がTVシリーズで全てが終わった話から、
映画という形で続きを作った点を踏まえて
「コゼットの肖像」にもし続きがあったらとしたら、
「反逆の物語」のようになっていた可能性があったのでは。

もしかすると新房監督の中では、「コゼットの肖像」の別の可能性を
「劇場版 魔法少女まどかマギカ」で試しているともいえるのかもしれない。

まとめ

「魔法少女まどかマギカ」「コゼットの肖像」「The Soul Taker 〜魂狩〜」
と新房監督は違う作品を作りつつも、どこか同じモチーフを描いている部分がある。

それは、新房監督さんが常に言及し、取り上げ、多大な影響を受けている
故:出崎統監督は新作を作り続けながらも、通底するモチーフ・共通点があった方だ。

その意味では優れた作り手というのは、様々な作品を作りながらも、
一方で自分の中にある同じものを磨き続け、同じものを作り続けているのかもしれない。

<参考>満たされない物語と円環の理-「劇場版魔法少女まどかマギカ」考察
 
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[ 2013/10/27 10:05 ] 魔法少女まどか★マギカ | トラックバック(-) | CM(0)

満たされない物語と円環の理-「劇場版魔法少女まどかマギカ」考察 

「劇場版魔法少女まどかマギカ-新編 反逆の物語」を鑑賞。

TVシリーズのまどかマギカに続く新しい物語として面白かった。
TVシリーズではいきつくところまで物語を描いたように感じたが、
映画ではTVシリーズのその先の物語が描けたという点に感動した。

※ネタバレ要素が多いので、本編を未見の方はご注意ください。

暁美ほむらは何に反逆したのか

副題に「反逆の物語」とあるが、反逆したのは暁美ほむら。
反逆する対象は、まず自分自身で作り出した妄想的な閉鎖世界であり、
その次に円環の理と言われる鹿目まどか、
そして鹿目まどかが書き換えたあとの世界だ。

これは暁美ほむらが自分にとっての鹿目まどかを取り戻す戦いでもある。
他のキャラクターが、世界がどうなろうとも、おかまいなし。
そんな暁美ほむらを描くために、
本作では円環の理を象徴すると思われる円/円状のモチーフが多用される。

繰り返される円環の理を象徴する円/円状のモチーフ

本編映画のファーストカットを思い返してみたい。

ファーストカットは暁美ほむらのソウルジェムが
螺旋を描くように運動を行い、画面の奥底に沈んでいくが
この描写は円環の理を象徴するものであり、
この作品はまず円環の理の世界であるというの意思表示なのだろう。

本作では、他にもまどかが書き換えた円環の理の以降の世界であることが強調される。

例えば物語の最初、登校時にまどかとさやかと杏子が登校するシーン。
さやかと杏子が軽い感じで言い争い、
さやかと杏子がまどかの周りをぐるぐるまわる描写があるが
これは、さやかと杏子が描く運動線が円環なものとして描かれている。
何よりその中心にいるのが、まどか(要の円)である点において円環の形成を成している。

また何度か描写される、巴マミが使う円状のカップ。

ほむらとマミがガンカタ風味な銃撃戦時の、
お互いがぐるぐる回ることで生じた円状の運動線。

ナイトメアに止めを刺す時に行われた「魔法少女のお茶会」での
テーブルとぐるぐる周りながら連想ゲームみたいなものを5人で行うシーン。
これが一番円状モチーフとして意味合いが強かったのかもしれない。

日常シーンや、バトル、オブジェという様々な所で
円もしくは円状のモチーフが使われている。
この円状モチーフは、幸せな状態という意味が多分に強く、
一方で実はほむらが作った、閉じた世界の閉塞感も表現している。

こうして暁美ほむらの反逆の対象である
円環の理(その先にあるアルティメットまどか)をモチーフとした描写を積み重ねることで、
最終的には円環の理=まどかを書き換える事に繋げているのがわかる。

特に世界がほむらによって書き換えられた世界で、
ほむらが見上げた先に半分に欠けた月が描かれるシーンがある。
これこそ円環の理から円が壊れた世界の象徴、反円状の象徴であり
まどかが最後に感じた違和感そのもの、引き裂かれたまどかを象徴しているともいえる。

円環の理の世界から円環の理とは違う世界へ…
これを円状のモチーフを積み上げた後に
反円状のモチーフを使う事で描写しているのである。

円環の理の中では居心地がよかったであろう世界を書き換え、
ほむらもまどかも、円環の理ではない反円的な世界で
今までより居心地が悪い世界で生きていく。新編はそんな物語なのかもしれない。

解釈を委ねる物語 ビジュアルで語る作品

TVシリーズが言葉で物語を一切合切説明した作品であったのに対して
劇場版新編は描写の説明に関しては省くところは徹底的に省き、
不明瞭な部分を多く残したまま描いたように見えた。

これはTVシリーズよりレベルが上がっている映像の力とのバランスを考えて
言葉で説明するより、まずは映像で見て解釈は観る側に委ねようとしたのかもしれない。
または、劇場やBD等で2回見てほしい事を前提に作られたのかもしれない。

いずれにせよ、暁美ほむらと巴マミのガンカタを彷彿とさせる銃撃戦、
劇団イヌカレーのビジュアル、
少女達に優しくない禍々しい都市空間、
以上のようなものが圧倒的な描写力で描かれ、映像的に圧倒していた。

幻想的な空間、アイディアが詰まった空間、絵を見ているだけでも、面白い作品だ。

満たされない物語としての魔法少女まどかマギカ劇場版 新編

虚淵玄さんが、パンフレットのインタビューで
これを手がかりにして様々な人が新しい物語をつくってもらえればうれしいですね。

と語っている。

私も映画を観た後の直後、最後から続きがあるのかが気になってしまった。
神のまどか。悪魔となったほむら。
二人が戦うのか、それとも別の展開があるのか。
今後の展開を観る側に想像させる力を持った作品である

こうした想像力を働かせる余地がある作品は、
想像する楽しさがあるといえると同時に、
満たされないものでもあるといえるのかもしれない。

それは特に劇場版で中心的な役割を果たす暁美ほむらが
満たされようとしつつも、一方でも満たされていないように見えるし
それが物語としても満たされない、満たさないように作られていることにも繋がってくる。
この満たされなさは、本作の宿命なのかもしれない。

それは暁美ほむら自身が、満たされる円環の理の世界から、
満たされないであろう反円環の理の世界に書き換えたのだから。


例えるなら、溢れ出すコップの水のように、溢れ出す感情のように
いつまでも満たされない想いのようにまどかマギカは作られている。
 
旅行に行く時は、目的地を決め、準備をする時が楽しいものであるが、
物語も実際に作られたものを観るより、作られる以前で色々言っているのも楽しいものだ。
特に暁美ほむらに関して描ききった物語であるが、一方で寸止めの物語でもあるからこそ、
まどかマギカは観る側の想像力というフィルターを大いに刺激する。
その刺激の仕方が、多くのファンに支持された作品になっているのかもしれない。
 
劇場版新編後の物語が作られるのかどうなのか。
今はただ、新編の物語をまた見返したい気持ちでいっぱいだ。
 
おわりに

まどかマギカは一人の天才が作り上げた作品ではなく、
新房昭之さん、虚淵玄さん、蒼樹うめさん、梶浦由記さん、劇団イヌカレーを中心にした
奇跡的なスタッフワーク/スタッフ間の相乗効果があってこそできた作品だと思っている。

今回の劇場版でも、このスタッフワークに支えられつつ
エフェクト作画監督の橋本敬史さんやデザインの泥犬さんが参加したことで
ビジュアル面でのパワーアップがきちんと感じられた仕上がりだった。

一人の力ではなく、みんなの力で作られた作品を観るのは楽しいし面白い。
まどかマギカはスタッフワークの面白さを教えてくれる作品だ。

<参考>「劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編 反逆の物語」は「コゼットの肖像」の別の可能性なのか

※追記

1話を見返した。

劇場版冒頭のまどかが悪夢から覚めて、
朝起きてからのお母さんとの歯磨きからの登校までのシークエンスが
レイアウトや台詞まわし含めて、1話冒頭と同じように作ってある。
ただ劇場版ではまどかと一緒に登校するのがさやかと杏子だが
TV版1話では杏子ではなく、仁美である。

その後の、クラス内のシーンやまどかとほむらが一緒に校内を動くシーンも
台詞内容や見せ方も1話を踏襲して劇場版は作られている。
世界のループ性、やり直し性が伝わってくる演出である。

劇場版を見た後に、1話から見直すもの面白いのかもしれない。
 
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誰かと一緒にアニメを見ることの楽しさについて-気づき・共有・一体感 

はじめに

誰かと一緒にアニメを観るのは好きだ。
それは一緒に見ている方から、自分では発見できない気づきや見方を教えてくれるからだ。
今回は、このことについて語ってみたい。

他の方の見方から教えられる発見

最近あるアニメを見た。
次の日、そのアニメが好きな方と話していたら、一緒に見ようという話になった。
そして一緒に見たのだが、その方が話す作品の言及や場面ごとの指摘が見事だった。
彼の話す内容全てが面白くて、有意義で楽しいひと時を過ごすことができたし、
何よりその作品についての、様々な気づきを多く教えてくれたのが良かった。
その作品との出会いがより良いものになった。

私も含め、多くのアニメファンは一人で見る機会の方が多いとは思うが、
時間がある時は、知り合いや友達含め、お互いに共通に好きな作品があるなら
話し合いながら一緒に見てみるのも、良いものだと思う。

それは自分の見方だけでは、常に限界があると感じている私からすると、
他の方の見方を一緒に見ながら聞くことで作品への視界が広がる。
作品とのより良い出会いにつなげることができるチャンスだからだ。

一緒に見ることで得られる共有感・一体感

何より誰かと一緒に話しながらアニメを観るのは楽しい。
誰かと一緒に見ることができるのは、映像作品の強みだと思う。
同じ時間で同じものを体験し共有することで生まれる一体感。

前に私は、ニコニコ動画で配信されていた「戦姫絶唱シンフォギア」の最終話を
みんなで見ようという企画を立てたことがあるが、
みんな一緒に見ているという一体感も後押したのかものすごい高揚感だった。
だから何度も見ていたシンフォギアの最終話ではあったが、
みんなで見た最終話は高揚感もあってまた格別の味だった。

他にも「少女革命ウテナ 劇場版」や「とっとこハム太郎 劇場版」を
一緒に見る企画にも参加させて頂いたが、
一緒に参加した人の見方が自分とは違っていたので
こうした意見を聞きながら見ると、見慣れた作品でもまた別の感じ方ができる。

例えば、ウテナ劇場版の見所が「音のない部分」という指摘には目から鱗だった。
自分では気づかない事を教えてもらえるのは、自分の財産になるのだと思う。

まとめ

一人で作品を徹底的に見ることで、作品に潜り込む事も一つの道であるし
誰かと作品を見ながら語り合い、別の角度から掘り下げるのも一つの道である。
私としては両方をうまくやりながら、アニメと接していければと思う。
  
他人から得られる気づき、一緒に見たという共有、そして一体感。
私はこうしたものに助けられながら、アニメを見続けられているのだと思う。
 
そんな一緒に見る場所として一番機能しているのが
ニコニコ動画の配信・一挙配信なのかもしれない。
 
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[ 2013/10/23 20:47 ] コラム | TB(0) | CM(0)

WHTE ALBUM2 3話の演出解説-電車によるキャラの感情表現の演出について 

はじめに

WHTE ALBUM2 3話を視聴。

今回は要所要所で登場する電車の使い方が、
キャラクターの感情を見事に表現していた点で面白かった。
そこで今回は電車の演出について紹介してみたい。

河川敷での春樹と雪菜の会話シーンで登場する電車

まず河川敷で春希が雪菜に対して、冬馬かずさについて語っているシーン。

2howaruba3-1000.jpg2howaruba3-1001.jpg

最初はお互い、同じ横線上で話し合っていたのだが、
春希が熱っぽくかずさについて語り始めると、
雪菜は立ち止まり、春樹と距離のズレが生じてくる。

このズレは、雪菜が自分が知らないかずさという存在を
春希が熱く語り始めたことに対する違和感の表明であり、
雪菜が立ち止まったのは、自分の感情に何か引っかかったからだろう。

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そしてカメラは春希の背中にカメラを付けてような感じで雪菜を映す。
カメラが引いた感じで雪菜を映す事で、
春希と雪菜の距離を大きく感じさせる描写。

春希とかずさの距離、春樹と雪菜の距離を視聴者にイメージさせる一連の描写。

2howaruba3005.jpg

そんな二人の距離感が生じる中、
さらに雪菜の気持ちを断ち切るかのように、
電車が音を立てて通り過ぎ、画面はフェードアウトしていく。

上記の縦構図で引き気味なアングルで映された雪菜のショットから、
その次に横構図で電車が映されたショットという流れを踏まえると、
縦に運動性があった画面から、横に運動性を起こさせる電車を使う事で
見事なまでに雪菜の感情にしこりを残し、
雪菜の感情の流れを断ち切っていることがわかる。

そして雪菜は心にしこりが残ったからこそ、
かずさにアタックをかけられる事につながる、電車の演出のように感じた。

喫茶店での雪菜とかずさの会話が終わった後に登場する電車

次に雪菜とかずさの喫茶店のシーン。

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雪菜から勧誘を受け、一端は誘いを断ったかずさだが、
雪菜の態度や性格にインパクトと違和感を受けつつ、

2howaruba3000.jpg

「苦手だ。ああいうやつ」というかずさの言葉とともに電車が再び登場する。
おそらく上で取り上げた電車と同じ場所を走っているものだろう。
ここでは、かずさの雪菜に対する心の違和感が電車と共に流れる、
言いかえればかずさの感情を電車が運んでいるようにも思える演出だ。

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そんなかずさの感情をのっけながらも、
次のカットでアイキャッチが挟まり、Aパートは終了。

2howaruba3002.jpg

そしてアイキャッチからのBパートの最初は、
日が落ちたビル群の億で移動する電車のショット。

夕日の電車からアイキャッチ、
そして日が落ちたビル群の奥に映る電車という一連の時間軸の流れを
電車を使ってスムーズに繋げている。巧みだなぁと思う。

かずさの告白後に登場する電車-今回のクライマックス

Bパートでは雪菜の家で遊んでいた春希とかずさだが
雪菜家の家族問題が発生し、二人は雪菜家から帰ることになる。
ここでかずさは春希に軽音部に入りたいと伝える。
予想もしていない突然のかずさの告白に、戸惑う春希。

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春希の戸惑いに「5年早いね」と言い返し、歩き去るかずさ。

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ここで頬を染める春希。勧誘成功という当面の目的成就を達成し、
冷静沈着・合理的思考な主人公の顔が赤くなった意味でも、今回のクライマックスだ。
そんな中で、物語がここから本格的に動くのかを予感させるように電車が登場。

電車が春希の感情を代弁するかのように、かずさの方向へ突き進んだ見方もできるし、
電車という存在が物語を、何より二人の空間を劇的にさせる。
何より春希の感情の高ぶりが、電車の音とスピードで代弁されているかのようだ。

おわりに

電車が登場する場面は、キャラクターの感情に変化があり高ぶっている時だ。
そんなキャラクター達の心の揺れ動き、感情の高ぶりを電車が見事に表現していた。

毎回、演出的に見所が多く、また物語的な期待も抱かせるWHITE ALBUM2。
なかむらたけしさん原案のキャラクターが動く点でもこのアニメは見逃せない。
 
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[ 2013/10/20 09:55 ] WHITE ALBUM2 | TB(9) | CM(0)

TVアニメを1話作るのに必要な鉄くずの量を調べてみた-アニメ作りの重たさ 

はじめに

30分のTVアニメを1話分を作るためには、どれぐらいの鉄くずが必要なのだろう。

その為にはTVアニメの1話分の制作費と制作費を賄える必要な鉄くずの量、
および鉄くずの価格を調べなければならない。調べてみることにした。

アニメの制作費を調べてみる

信用できそうな資料を探してみることにした。
まず平成15年に経済産業省が発表した「アニメーション産業の現状と課題」。
URL:http://www.meti.go.jp/policy/media_contents/downloadfiles/kobetsugenjyokadai/anime200306.pdf

ここで5ページの図に記載されている

実際に製作に係る経費は1000万~1300万程度


という数字。

また孫引きになるが、
アニメニュースJapanimate.comさんで掲載されていた
「シビアな制作予算、クオリティとコストの板挟み、アニメ業界の現状」という記事では

2010年のメディア開発綜研の調査によると、テレビアニメ30分1話の制作費用1100万円の内訳は次の通り。
原作:5万円、脚本:20万円、演出:50万円、制作進行:200万円、作画監督:25万円、原画150万円、動画:110万円、仕上げ:120万円、美術(背景):120万円、撮影:70万円、音響制作:120万円、材料:40万円、編集:20万円、プリント:50万円となっている。
このうち、動画については1話あたりの枚数を5000枚とすると、動画1枚の費用を220円と試算している。

1000万円~1300万円という調査結果だ。

どちらの資料も、1000万円台の数字である。
アバウトではあるが1話あたりの制作費を1000万円としてみよう。

鉄くずの価格動向

次に鉄くずの価格動向を調べてみる。

株式会社ABCによると、厚い鉄くずAは1キロ30円、薄い鉄くずは1キロ25円で買取。

金田商事は、悪いくず鉄は1キロ22.5円、良い鉄くずは30円で買取。

一般社団法人日本鉄リサイクル工業会によると
2013年9月は、安くて1キロ32円~高くて34.5円で推移しているようだ。

おおよそ良い鉄くずであれば、1キロ30円程度で買い取り可能なようだ。
以上を踏まえて1キロ30円で計算してみることにする。

※業者の鉄くずの買取価格は2013年10月現在の価格。
 
TVアニメ1話を制作するのに必要な鉄くずの量を調べてみる。

アニメの制作費を1000万、鉄くずの価格を1キロ30円と設定したので、
計算式は以下のように、

10,000,000(円)÷30(1キロ/円)=333,333(キロ)

となる。つまりアニメを1話分、制作するには、333,333kg必要なのがわかった。

まとめ

アニメを作ることがいかに重いか。
個人では集めることが到底無理そうな
鉄くず333、333kg(約333トン)が必要であるという数字が全てを物語っている。
 
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[ 2013/10/18 20:12 ] ネタ | TB(1) | CM(0)

アニメーターの知られざる絵本の世界 

はじめに

永岡書店が出している、世界名作アニメ絵本の「赤いくつ」の絵は可愛い。



昔、先輩にヒロインのカーレンが
ものすごく可愛く描かれているからと勧められた。
そして実際に買って読んでみたら、確かに可愛いのだ。
絵本の世界でもこんな萌えが潜んでいるかと当時ビックリした。

201310162032000 (1)

↑本の中身

さて、こんなに可愛い絵を誰が描いたのか。
本には杉本幸子さんと描かれている。
そしてこの名前で検索してみると、
アニメーターに同姓同名の杉本幸子さんがいるらしいのだ。

杉本幸子さんはアニメーター?

アニメ@wikiによると、アニメーターの杉本幸子さんは
マングローブ制作の神のみぞ知るセカイやましろ色シンフォニーで作画監督、総作画監督。
他にも犬夜叉完結編や焼きたてジャぱんで作画監督をしている。

もし、赤いくつの絵を描いたのがアニメーターの杉本幸子さんなのかわからないが、
世界アニメ名作絵本と「アニメ」と書かれていること。
またこの「赤いくつ」の著者が
おとめ妖怪ざくろの12話や真・恋姫†無双 ~乙女大乱~ の8話で絵コンテをされた
福島宏之さんであることから、アニメーターの杉本さんである可能性が高い。

また他の永岡書店の世界名作アニメ絵本を紹介してみる。



例えば「ヘンゼルとグレーテル」では柳川茂 (著),宮尾岳(イラスト) とある。
柳川茂さんは、うる星やつらやセーラームーンで脚本を手がけた
タツノコプロ出身の脚本家の柳川さんであり、
また宮尾岳さんも、魔物ハンター妖子シリーズのキャラデザをした宮尾さんだ。

他にもこの世界名作アニメ絵本では、



ピノキオや長ぐつをはいたネコでは清水義治さん
※名探偵コナン「絶海の探偵」の作画監督(共同)



みにくいあひるのこや三びきのこぶたは大坂竹志さん。
※まいっちんぐマチコ先生などの作画監督

といったアニメ関係者の名前が並ぶので
杉本幸子さんはアニメーターの方である可能性が高いと思われる。

絵本の世界でもアニメーターさんは活躍されているのだ。

アニメーター達が活躍する絵本の世界

また、最近の河出書房から発刊された「せかいめいさくアニメえほんシリーズ」がある。
公式HPには、以下のように書かれている。

プリキュアシリーズの上北ふたご先生や、NHK「クッキングアイドル! アイ!マイ!マイン!」の中嶋敦子先生など、人気のアニメ作家が新たに描き下ろした世界の名作物語シリーズの発売が開始しました。
出典元:http://www.kawade.co.jp/np/special/3539336409/

そして、



しらゆきひめ、にんぎょひめ、シンデレラは上北ふたごさん。
(これは絵の美麗さゆえに、発売時に話題にもなったようだ)



三びきのこぶたやオオカミと七ひきの子やぎは
アニメーター・キャクターデザイナー、
最近では「メガネブ!」のキャラデザでもある中嶋敦子さん。



ヘンゼルとグレーテルはアニメーター・演出家、
最近ではRDGのOP演出を手がけた室井ふみえさん。



ジャックとまめのきは、IGを中心に活躍する美術監督の平田秀一さん。

上北ふたごさん、中嶋敦子さん、室井ふみえさん、平田秀一さんなど
アニメ界のベテラン絵描きさんが参加していて、
これはぜひ読んでみたいと思わせるラインナップだ。


他にも



宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュ、
またコンビニたそがれ堂という絵本のイラストは、
押井守監督の「天使のたまご」の作画監督である名倉靖博さん。



「ツボミちゃんとモムくん」という絵本を
スタジオジブリを中心に活躍するアニメーター百瀬義行さん。

 

宮沢賢治の戯曲「種山ヶ原の夜」を絵本にしたものもあるが、
これはスタジオジブリが出版し、美術監督の男鹿和雄さんが絵を手がけている。

絵本という世界でもアニメーター/アニメ関係者は活躍しているのだ。

終わりに

「ヴァルキリープロファイル」の吉成鋼さんや吉成曜さんのように
ゲームのキャラクターデザインで活躍するアニメーターもいれば、
安彦良和さんや石田敦子さんのようにアニメーターから漫画に活動をシフトされた方もいる。

そして絵本という世界の中でも、
特に絵の技術を生かしたアニメーターが活躍しているのを改めて調べてみて
アニメーターという仕事の領域の広さを感じた。
  
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[ 2013/10/16 19:49 ] コラム | TB(0) | CM(2)

ガンダムビルドファイターズ 2話のバトル演出の魅力-機体の位置関係からの考察 

はじめに

ガンダムビルドファイターズ 2話が面白かった。
特に面白かったのが、後半の紅の彗星ことユウキ・タツヤとイオリ・セイ/レイジの戦いだ。

面白かった理由として、ユウキ・タツヤがイオリ達を追い込み打ち勝つ
一連の流れの演出が抜群に上手かったからだ。

この演出を生み出していたのは、
ビルドストライクとザクアメイジングのめまぐるしく変わる両機の位置関係だ。
今回はこの位置関係に注目しながら語っていきたい。

ままぐるしく変わる位置関係

gbiru2000.jpggbiru2001.jpg 

まず最初の両機の位置関係だが、
上手(右側)にいるビルドストライクガンダム
下手(左側)にいるザクアメイジング
となっている。

主人公側が上手、敵側が下手に配置されるのは、基本的な配置の仕方だ。
そして両機の戦いが始まる。

gbiru2-2000.jpg

まずザクアメイジングが突進し、
待ち構えていたビルドストライクのビームサーベルの斬撃をかわし、
逆側に滑り込むように移動。

gbiru2-3000.jpggbiru2-3001.jpg

ここで
ザクアメイジングが上手、ビルドストライクが下手となり両者の配置が逆転する。
戦いの状況が変わったと見ていいだろう。

下手のビルドストライクは風上を取ったと自分たちが有利だと思うが、
ザクアメイジングは驚きの速さで再び間合いを詰め、ヒートナタで斬撃を浴びせる。

gbiru2-4000.jpg

ここで再び、ビルどストライクがザクアメイジングの斬撃を交わすことで
ザクアメイジングが下手、ビルドストライクが上手と、両機の位置関係が、再逆転する。

gbiru2-5000.jpg

ここで下手側のユウキ・タツヤのアップが挿入。
両者の位置関係を次々にめまぐるしく変えているのは、ユウキの戦い方によるものだ。
その意味でユウキが戦いの主導権を握っている事が伝わるカットだ。

gbiru2-5001.jpg

「燃え上がれ。燃え上がれ」と
機動戦士ガンダムの主題歌「翔べガンダム」の歌詞と同じ言葉を言うユウキは、
さらにビルドストライクの斬撃を交わし、再度回り込む。

gbiru2-5002.jpg

ここで今度は上手側のユウキのアップが挿入されるが
このカットではザクアメイジングの回り込みに合わせて
コクピット内のユウキの回り込みが描かれている。

このザクアメイジングがビルドストライクを回り込み続ける描写が、
ビルドストライクを八方塞がりに追い込む効果を産む演出につながる。

gbiru2-6000.jpg

そして再び、画面の上手側に回るザクアメイジング。
上手・下手がめまぐるしく変わる展開が続く。
再び、ザクアメイジングはビルドストライクに突進。

gbiru2-6001.jpg

ダメ押しともいえる「ガンプラ」と叫ぶユウキのアップ。
このユウキのアップで完全に流れはザクアメイジング=ユウキにあるのは明らかだ。
ここでザクアメイジング=上手=強者
ビルドストライク=下手=弱者、という力関係が白日になる。

gbiru2-7000.jpg

さらにここで、ザクアメイジングはジャンプでビルドストライクの裏を取る、
ただの上手・下手の力関係をさらに超えた、位置関係の演出。

gbiru2-7001.jpg

ビルドストライクもキックを試みるが、ザクアメイジングのヒートナタにより転倒。
この転倒の決定的瞬間を俯瞰で見せたのが抜群に上手い。
今までのカットが煽り気味の構図が多かっただけに、より際立つ演出。

gbiru2-8000.jpg

そしてザクアメイジングはビルドストライクの喉元にヒートナタを突きつける。
勝負あったの瞬間だ。

まさにユウキのザクアメイジングがレイ達ビルドストライクを
操縦技術、経験、スピードで上回った事を突きつけられた展開だった。

まとめ

ユウキのザクアメイジングが下手から上手へ、上手から下手に
めまぐるしく変わる、もしくは位置関係を自由自在に操る戦い方を行うことで、
視覚的にザクアメイジングがビルドストライクを追い詰める演出が抜群に上手かった。

対するビルドストライクは斬撃やバルカンを撃つとはいえ、
自由自在に移動する相手の速さについていけず、動けていないのだ。
動くザクと動けないガンダム。両者の技量の差がこの面からでもわかる。

また戦いで流れるラテン調の音楽によって
まるでザクアメイジングがスペインの闘牛のような存在に見立てられ、、
マタドール(ビルドストライク)を追い詰めていくかのように聞こえるのだ。

こうした戦い方の見せ方一つをとっても、ガンダムビルドファイターズは上手いし
それが面白さにつながっているのではないかと思った。

ガンダムビルドファイターズには、
今後もMS同士の戦いの魅力を存分に描いてもらいたいし、
それこそLODガイキングのように
メカ作画好きなアニメーターさんが集結して暴れてほしいとも思う。
 
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WHTE ALBUM2 2話の演出解説―顔を映さない描写の意図とは 

はじめに

ホワイトアルバム2 2話を視聴。演出の見事さに舌を巻いた。
それはキャラクターの顔を見せない演出のこと。
今回はこの事について触れてみたい。

序盤・中盤で顔を見せない演出を積み上げる雪菜、春樹

まず序盤、中盤の春希と雪菜、もしくは雪菜を顔の映し方について見てみたい。

howaru2000.jpghowaru2001.jpghowaru2002.jpghowaru2003.jpghowaru2004.jpghowaru2005.jpg

ずっと見ていて気になっていたのが、雪菜の顔を映さないように
カメラの位置を低くして描写したものが多かったこと(顔を映すシーンももちろんある)

最初は、雪菜の下半身を見せたいサービスかと思っていたが、
雪菜の服の着替え以外は映し方が淡白な印象だ。つまり他の意図があると思った。

そんな顔を映さない描写を続けながら、
物語は雪菜が徐々に春希の説得や態度に心動かされながら、
雪菜の揺れ動く心を描いていたのも魅力的だった。

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例えば、春希が雪菜が八百屋で働いている事を知りながら
その事を知られていないと思っていた雪菜に突きつけた後の公園のシーン。
ここでも顔を映さない描写を使う。

ブランコを一生懸命漕ぎ、物理的に揺れ動いている雪菜。
この雪菜は自身の心の揺れ動きを表現しているかのようにも思える。
実際にこの後、雪菜は心の揺れ動きの決着をつけるため春希をカラオケに誘い、
最終的には春樹の誘いを受け入れるのだった。

顔を全く見せない少女の登場。劇的かつ自然な流れを作るための演出

さて顔を映さない意味は後半で明らかにされる。

物語は雪菜の勧誘には成功したが、問題はピアノの演奏者がいないこと。
そして部の隣で時折演奏されるピアノの演奏者に目をつけ勧誘したい流れに。
しかしピアノの奏者が誰なのかわからない。物語に謎が生まれる瞬間だ。

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howaru2-2001.jpghowaru2-4000.jpg

そんなピアノの奏者がわからない状況。そんな中、春希が荷物を取りにクラスに戻った時、
顔を全く映さない新たな黒髪ロングの少女の登場。
ここでこの少女がおそらくピアノの奏者であることは想像がつく。
でも、春希は彼女に対し知人のような喋り方をする。どういうことだろう。

ここで雪菜の顔を映さない描写が多用されていた意味も少しわかってくる。
それは雪菜の顔を映さないことで、この少女の顔も全く映したくないようにするための
自然な流れを作りたかったのだろう。

もし雪菜の顔を見せる描写・ショットで今回の描写をずっと繋いでいると、
ここで黒髪ロングの少女をいきなり顔を見せない描写が極端に見えてしまう。
一方で黒髪ロングの少女の正体は、物語の展開的にまだ伏せておきたい。
だから顔を見せない。見せさない。映さない。
その為に雪菜の描写から顔を見せないショットを途中途中で挟み込んだのだろう。

かずさの登場

そんな物語はある確信に近づく中、下校する春希にピアノの音が聞こえてくる。
音楽室に戻る春樹。しかし音楽室は開かない。
そこで柔道の黒帯を命綱に壁づたいから音楽室に潜入する春樹。
しかし手を滑らし、絶体絶命に陥る。

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そんな春樹に手を差しのべた時に、ピアノの奏者の素顔がわかる。
ここで初めてかずさという言葉が登場し、
名前も顔と同様に巧妙に伏せられていたのだなぁと思い知らされる。これは脚本の上手さだ。

howaru2-5001.jpg

つまりこの劇的、春樹の命があぶない状況下でかずさが手を差し伸べるというシーンで
始めてかずさが顔を見せることで、正体が暴かれるスケール感が見事に演出されている。

また顔を映さず、下半身を映していた描写の多用から一転し、
春希があずさの顔を見上げる構図を使ってくることで、
よりあずさの正体=顔がインパクトある見せ方になっている。
このカメラワークこそが演出だと、私は思う。

張り巡らせていた伏線

そしてよくよく見返してみると
実はかずさは、OP後のクラスで春樹達が話しているシーンできちんと映されていた。

howaru2-5002.jpg

ここでかずさがクラスのドアの外やってきて、自分の机でうつ伏せになる。
この一連の動きの中でもあずさの顔はちゃんと伏せられている。
見返してみて、はじめてわかる伏線。顔は雪菜からではなくかずさから伏せられていたのだ。

howaru2-5003.jpg

ただ次のクラスでの春樹の会話シーンではかずさが不在のため、
かずさがいたイメージが消えてしまう仕組みにもなっている。
ここで巧妙にかずさは最初に登場しているが、
中盤ではかずさの存在を意識させないように成功している。上手い。

まとめ

雪菜の顔を見せない演出は彼女の心の機敏を描く、
つまりは春樹の想いに応える描写として機能しつつ、
一方ではかずさの顔を伏せる自然な流れを作るためのものでもあった。
そして最後の最後でかずさの顔がでることで劇的な展開を作ることに成功した。

かずさの顔が明らかになることによって物語は次のステージに移行する。
その流れの一連を上手く作ったのが、今回の演出の上手さだった。
今回がとても面白かったことで、今後のWHITE ALBUMの展開により期待を抱いた。

今回のコンテは沼田誠也氏。
 
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[ 2013/10/13 09:47 ] WHITE ALBUM2 | TB(8) | CM(0)

「ミス・モノクローム」は必ず何かを失う物語なのか? 

「ミス・モノクローム」が面白い。

それは、銀髪で未来形なイメージを持つミス・モノクロームの
ビジュアルデザインからイメージする・もしくはイメージしてしまうものと
物語の展開のギャップがあり、そのギャップ、落差の見せ方が極端だから面白いのだ。

例えば1話では以下のように
193億円を差し押さえられるミス・モノクローム。
飲み屋街で彷徨う、ミス・モノクローム。
コンビニで「らっしゃいやせー」というミス・モノクローム。
といった姿が見られる。

外見、もしくはHPのビジュアルから発せられるイメージとは
程遠い、状況に巻き込まれるミス・モノクローム。

misumonokuro2000.jpgmisumonokuro2001.jpg

2話でも、
ボロく何も無いアパートに居住するミス・モノクローム。
新聞紙をかけて寝ているミス・モノクローム。
など、やはりミス・モノクロームの扱いは悪い。
その可愛いミス・モノクロームとその彼女への扱いのギャップが涙を誘う。

さらに追い討ちをかける様に、ルーちゃんが死亡。
どうやらミス・モノクロームがサインの練習を書いていた紙を吸いすぎて死んだようだ。
公式HPのキャラ紹介で、ルーちゃんは「ミス・モノクロームの大切な家族」と書かれていたが
あまりにもな最後と公式HPの紹介文とのギャップもまた面白い。

さて、1・2話をまとめて振り返ると、
1話では家と全財産193億とマナちゃんを失い、
2話ではルーちゃんを失う。
今のところ、ミス・モノクロームは何かを失う話が主軸のようだ。

そんな失う原因を作り出しているのは、ミス・モノクローム自身である。
1話でマナちゃんに全財産を与えたのは彼女自身であるし、
2話でルーちゃんを死なせたのは、彼女が書いたサインが原因である。

こうした原因をより深く突っ込むと
1話では、ミス・モノクロームがマナちゃんを信じたから、
2話では、アイドルになる為にサインを練習を頑張っていたといった
彼女自身の善なる心によってもたらされているのである。
 
misumonokuro2003.jpgmisumonokuro2002.jpg

ミス・モノクロームが頑張れば頑張るほど、彼女自身が次々と何かを失う。
この失っていく道程こそ、アイドルへの道であること、
何かを失わなければアイドルになれない、そんな事をこの作品は教えているように見える。

次回ではミス・モノクロームは自身の善の心によって何を失っていくのか、
もしくは失わないのか。次はマネオかkikukoが危ないのかもしれない。
 
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[ 2013/10/09 19:53 ] ミス・モノクローム | TB(10) | CM(0)

こんなガンダムアニメを見たかった-ガンダムビルドファイターズ 1話 

新作ガンダムアニメ。

記事のタイトル通り、こういうガンダムが見たかった。
もしくは私が見たい映像に満ち溢れていた1話だった。

まずメカアクションが最高。

ウィングガンダムが、ギャンが、1stガンダムが、メッサーラが、ディジェが
今の絵柄・解釈でデザインされた作画でよく動く。もちろん手描き作画。
ガンダムは、手書き作画によるアクションが醍醐味だ。
何にしても、今までのMS達が登場するのがたまらないし、
今後も色々登場するのかと思うと、胸がワクワクする。

MSの動かし方も、MSが速すぎないよう目で追えるスピードにしつつ
見栄やハッタリの効いた絵を所々に入れるのが良かった。
ここら辺は、SEED→00→AGEの流れを踏襲しているのだろう。

またガンダム作品の多くは戦争が舞台である為、多勢と多勢を描くのだが、
本作は、戦いの基本である1対1がメインになっている。
この1対1こそ、1stのガンダムとグフの戦いのように、ガンダムの原点回帰なのかもしれない。
特に最後にビームサーベルを取り出し、ギャンを斬るシーンは本当にかっこよかった。

キャラクターも面白い。プラモ作りは上手いが、ガンプラバトルは不得意なセイ。
日本的な常識があんまし無いが、セイの父親にも似たガンプラの扱いをするレイジ。
二人の凸凹コンビの掛け合いは魅力的であり、かつ共感しやすいキャラのように見える。

他にも可愛いお母さんや、ラルさんが良かった。

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大張正巳さんが、セイのお父さんが操る1stガンダムを動かすシーンの原画を担当。
今までのロボットアニメを牽引した大張さんが、1stガンダムを描くことで
若手に対して次代へのロボットアニメを繋ぐ架け橋役になったとも思えた意味で
中々に感慨深いシーンであり、単純に大張さんの1stガンダムが見られたので嬉しい。
 

ガンダムはかっこよさとは何かを表現してほしいジャンルだと思っている。
それは見た目のかっこよさ、強いことでのかっこよさもあるが
何より少年達の勝ちたい、強くなりたい心の純真さをカッコよく描いて欲しい。
こうした少年達の気持ちをどうガンダムを通し発現していくのがを見てみたい。

まとめ

ガンダムビルトファイターズがどんなかっこよさを発信していくのか。
1話を見た限りこの路線が続いてほしいと思うので、
商業的にも成功して欲しいと願うのみである。
果たしてプラモは売れるのか、子供からの人気は得られるのか。
  
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WHITE ALBUM2 1話から、ここ10年のアニメにおける美少女ゲーム絵の再現性を振り返る 

WHITE ALBUM2 1話を視聴。

キャラクター原案のなかむらたけしさんの絵柄の再現度が高く
村様(なかむらたけしさんの愛称)のキャラ絵を見ているだけで眼福。

2howaruba1000.jpg

特になかむらさんの特徴ともいえる
顔の頬から顎のラインにかけてのシャープな感じが
再現できているのが感動的。

「シンフォギアG」でも奮闘していた、
キャラクターデザイン・総作画監督の藤本さとるさん。
サブキャラクターデザイン・総作画監督の水上ろんどさんの仕事を存分に味わえた。

2009年にはなかむらさんの「ティアーズ・トゥ・ティアラ」もあったが、
2010年代になるとなかむらたけしさんの絵柄も
アニメ界で十分に再現できるのだなと感じると思った。

個人的には1990年代後半から2000年代中盤までにかけて
コンシューマーもしくはPCの美少女ゲームの絵を
どうアニメに再現・定着させるかという取り組みをしていた時期に見える。

特に2000年代初期は線量を含めて繊細かつ情報量が圧倒的に多い
その中でも再現が難しいと思っていたのは、
なかむらたけしさん、みつみ美里さん、甘露樹さんらの絵柄。
実際、ゲームの美少女絵をアニメで表現するには四苦八苦していた感じがする。

例えばなかむらたけしさん等が原画を手がけた
2001年の「こみっくパーティー」のキャラデザ・絵柄は、
アニメ的に動かしやすい・作劇しやすいものに解釈されていた。
他にも東映アニメーションの「kanon」が「顎アニメ」と言われていたことでもわかる。

2000年初期は美少女ゲームの絵は再現の方向性よりも
元絵の情報量を減らし、アニメ的に最適化されたデザインをしていたといえるだろう。
その中でも独自の解釈で検討したのが千羽由利子さんの「to heart」だと思う。

それが2005年ぐらいから
京都アニメーションの「Air」が示すように再現の方向性に舵を取るようになってきた。
また同時期に「こみっくパーティーRevolution」も
前のこみパとは違い、ゲームの絵を忠実に再現する方向性になった。

これは京都アニメーションなら、木上さん・荒谷さん・池田さんらを中心とした高い作画力、
「こみパRevolution」なら桂憲一郎さんのキャラクターデザイン力といった
力のあるスタッフに恵まれたという側面も大きいだろうし、
デザタル技術の進展によって撮影や仕上げでできる事が可能になった面もあるだろう。

そして2006年の甘露樹さんのキャラクターである「うたわれるもの」では
2009年の「ティアーズトゥティアラ」では中田正彦さんが
甘露さんやなかむらさんの絵を上手い解釈でデザインしていた。

2000年中盤以降は、美少女ゲームの絵をアニメでも再現できるようになってきたと思うし、
再現できることによって、アニメのさらなる可能性にも繋がっていると思うし、
美少女ゲームのファンをアニメに呼びこんできたのかもしれない。

2howaruba1-1000.jpg

そんな美少女ゲームのような絵が見られるアニメの時代に突入しつつも、
それでもなかむらたけしさんのキャラクター原案の作品が
アニメで見られる・動くというのは、私にとってはフェイバリットなのだ。
 
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[ 2013/10/06 20:11 ] WHITE ALBUM2 | TB(11) | CM(0)

キルラキルとヒエラルキーの関係、そしてグレンラガン。 

そもそもキルラキルというタイトルの意味は何なのだろうか。
まずこのタイトルについて考えてみたい。

ヒントは、以下の画像が象徴するように

kiruraki3.jpg


ヒエラルキーである。

まずヒエラルキーを逆から読むとキルラエヒとなる。
ここから「キルラ」を抜き出し、
そして本作の重要なモチーフであろう、切る・斬る・着る=キルを加えて
タイトルを「キルラキル」にしたと推測している。

もしくは斬る裸着る=キルラキルなのかもしれないけど。

kiruraki1-4000.jpg

kiruraki1-3.jpgkiruraki4.jpg

ヒエラルキーを意識した描写については、
他にも本編で、生徒会長側は高みの存在である上層、
主人公側は地を這い蹲る下層という
ヒエラルキーを意識した位置関係を描いている。

また今後の展開としては、
下層の主人公の纏流子が、上層である生徒会メンバーに戦いを挑み
徐々に上に登りつつ、生徒会長と再び戦う展開が予想される。

つまりキルラキルというタイトル名の意味は、
纏流子が学校内の生徒会長を頂点とするヒエラルキーを逆転させ、斬ってしまうという
解釈もできるのではないだろうか。

本作が雁屋哲原作・池上遼一作画の漫画「男組」を
意識した世界観であると踏まえるとよくわかる話である。

こうした下から上へ登る、下が上を凌駕し頂点に辿り着く点においては
やはり「天元突破グレンラガン」にも似た構造を持っているのだと思う。
 
グレンラガンは地下世界の住人であったシモンがカミナと共に地上世界を目指し
地上世界に飛び出し、引いては宇宙に飛び出していった展開を
地下世界-地上世界-宇宙というヒエラルキーでまとめられることでもわかるし、
そもそも主人公名がシモン(下)であることからもわかる。

まとめ

グレンラガンでは下から上への道筋を螺旋力で突っ切ったわけだが、
キルラキルでは下からう上への道筋をハサミで斬って突っ切るのかもしれない。

今石さん、中島さんの間ではヒエラルキーを意識して
世界観と作品を作っているのではないかと思われる。
構成する要素は違えども、その伝えたい中身に共通するものはあるのだろう。
 
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[ 2013/10/06 09:08 ] キルラキル | TB(2) | CM(3)

キルラキルへのキタイ-お久しぶり新谷真弓さん 

キルラキル1話。

今石監督、中島かずきさん脚本、トリガー制作と聞くだけで
見る前からおおよそのイメージを思い浮かべる。

そして実際に見ても、事前に思い浮かべたイメージに近いものではあったが
このテンションで突っ切ってしまうのはやっぱり凄いと思った。

高密度で過剰な情報量に溢れた画作り。
良く動く、いや動きすぎるキャラクター。
モブの多さ、描写の過剰さ、半端をせずに徹底的に描く。
緩急をつけずに、全部が見せ場と言わんばかりの展開。

金田さんのようにデフォルメを効かせた派手なアクション。
出崎さんを思わせる光の使い方やキャラクターを映す演出。
Aプロ作品に出てきそうなモブ達。
島本和彦さんの炎の転校生を彷彿とさせる世界観とテンション。

今石さんと中島さんは、また濃いものを混ぜ込んで
自分たちの作品を作り上げようとしているなぁと思った。

そんな見所に溢れたキルラキルだが、
私の中での最大の見所は、

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蛇崩乃音役の新谷真弓さんである。

kiruraki21.jpg

彼氏彼女の事情の芝姫つばさ役がとにかく鮮烈だった。

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フリクリのハルハラ・ハル子も強烈なキャラだった。
(ちなみにこのキャプのハル子の原画は今石さんだと思う)

そんなガイナックス作品で光っていた新谷真弓さんが、
ガイナックス出身者で作られたトリガー作品で久しぶりに顔を見せる。
その事実だけで胸を時めかせてしまう。

そして久しぶりに新谷さんの声を聞いて、
「あぁ新谷さん」だと思った次第。

もしかすると蛇崩乃音は、主人公の纏流子と戦うかも。
何にしてもキルラキルは新谷さんの声が聞ける意味で楽しみな作品だ。
 
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[ 2013/10/05 20:22 ] キルラキル | TB(22) | CM(0)

「凪のあすから」1話の魅力に迫る-尻アニメに潜む世界の奥底 

はじめに

凪のあすから1話がとても面白かった。
今回は自分なりに1話の魅力について語ってみたいと思う。

①尻アニメ的要素に潜む世界の奥底

凪のあすからは、尻アニメである。

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それは上のように、ファーストカットが光の尻から始まり、

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まなかの初登場シーンでは、後ろから顔を映してからのPANで下半身・尻方向へ見せる演出。

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そして最後は後ろ姿というお尻側を見せつつ海の世界に変える光とまなか。

フェチ的にお尻を映しているわけではないが、
1話という物語の始め、ヒロイン初登場という場面、そして1話の最後という
ポイントポイントでお尻(後ろ)を見せる演出をしているのがよくわかる。

個人的には、こうした要所を尻、もしくは後ろ姿で締めてくるのは
この作品には奥があるというイメージを持ってしまう。
この奥とは物語の奥でもあるし、世界観の奥でもあるし、
キャラクターの奥でもあるし、海の世界の奥なのかもしれない。

光にもまなかにもちさきにも要にも紡にもまだ見えないキャラクターの奥。
そして彼らの奥底を描き、引いては世界の奥底を魅力を描くのが
本作なのだろうと勝手に期待している。

②細かい魅力ある演出に惹かれる

そして凪のあすからは魅力的な描写でいっぱいだ。

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アバンの光の朝食シーンから家を出るまでのシーン。
半裸から着着というふすまの開閉一つで光の着替えを見事に描写。

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夜の海岸沿い。
光の視点からはまずまなかの姿が映るが、
実はその後ろには紡がいる事が陰影を用いて見せる描写。

見せ方一つ一つが実に上手い。

何より世界の広がりを見せつつ、その世界を縦横無尽にキャラクター達が動くのが魅力だった。

③魅力的なブリキさんの原案を石井百合子さんがモノにする


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また、まなかも含めてキャラクターの絵柄の魅力がすさまじい。
線質が繊細かつ情報量も多いブリキさんのキャラクター原案を
石井百合子さんがキャラクターデザインをして果敢にブリキ絵をモノにしている。
もしくは石井さんを中心に修正を加え、絵柄の強化を図っている。

「電波女と青春男」の西田亜沙子さんのブリキ絵の解釈も良かったが、
石井百合子さんも負けてはいない。
この絵柄の魅力は作品を見続けるための大きな訴求力になると思う。

④美術の魅力-精鋭ぞろいのスタッフ

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またこの背景を見て、美術も素晴らしいなぁと思った。
今回美術はスタジオ・イースターがやっていたが、
撮影もT2studioが担当している点も含め、
凪のあすからはスタッフ的にも精鋭を集めてきているなぁと感じる。
絵コンテは篠原俊哉さんで、演出は浅井義之さんという組み合わせは強い。

まとめ

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物語的には海と陸 光と紡、というように
二項対立的なモチーフをベースに、その中の入り乱れた人間関係を描きそうだ。

本格的な恋物語を手がけるのは「true tears」以来。
水というアニメにおいて難しい表現に果敢に取り組もうとしている意味も含め
P.A.WORKSという新たなチャレンジとして「凪のあすから」に期待したい。
 
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[ 2013/10/04 21:22 ] 凪のあすから | TB(27) | CM(0)