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(告知)冬コミ参加情報(C85) 

冬コミの参加情報をお知らせします。


「アニプレッションvol.6」に「2013年のアニメ雑感」という記事を寄稿しました。

2013年に見たアニメ映画とアニメ映画について書きました。
アニプレッションは3日目(12/31)西1れ-32aで頒布します。よろしくお願いします。


②えすじさんの 冬コミの新刊「真・ゆゆ式MANIAC」
 『ゆゆ式』かおり監督インタビューのインタビュー協力を担当しました。

アニメーター時代から『ゆゆ式』の監督までのかおり監督の軌跡についてお尋ねしました。
必見のインタビューです。よろしくお願いします。
えすじさんのサークル名は「ポストモダンのポリアネス」。
3日目(12/31)西も22aで頒布予定との事です。 


③アニバタさんの冬コミの新刊「アニバタ Vol.7 [特集]京都アニメーションを語る」
「元作画オタ+元鍵っ子+アニメ評論同人誌発行者座談会」の座談会に参加しました。

京都アニメーションについて、あるアニメーターさんの軌跡を追いながら語りました。
3日目(12/31)西め32b「東雲連合」に委託予定です。よろしくお願いします。

④Fani通さんの新刊「Fani通2013上半期」のレビューに参加させて頂きました。

以上、参加情報になります。よろしくお願いします。
 
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[ 2013/12/31 00:00 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

話数単位で選ぶ、2013年TVアニメ1選 

2013年のアニメを振り返る、話数単位で選ぶ、2013年TVアニメ1選。

<1選リスト>

・帰宅部活動記録12話

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11話のウシロシンジ回によって物語が締めくくられ、
物語から解放された彼女たちが、笑いという表現に挑んだ展開。

往年の「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」のような
高い圧縮性を見せるコント的な展開を、
矢継ぎ早に見せる構成は見事としか言いようがなかった。

面白いとはこういうことだ、という見本。

至福の時間体験を味あわせてくれた意味でも、
TVアニメでここまで面白い事に挑戦できる事も含めて素晴らしかった。
 
今年は「あいまいみー」と「帰宅部活動記録」で、
随分とアニメから笑いを摂取することができた。

今回は以上。
 
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[ 2013/12/30 19:59 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

「革命機ヴァルヴレイヴ」の悪意。そして何が革命されたのか 

革命機ヴァルヴレイヴ最終話を視聴。

今回の記事では、本編で描かれた「悪意」とタイトルにも使われる「革命」について考察する。

まず「悪意」について。

冒頭、エルエルフがジオール総統の喉元を切り裂き、ドルシア総統がマギウスである真実は
一時は世界を暴いてみせたが、「101人評議会」の情報操作によって隠蔽される。
まるでドルシア総統の傷口が塞がるように隠蔽される。

一方、その後に起こった各地のクーデターは「101人評議会」によれば真実もあったようだが、
デマゴギーによる悪意ある扇動が主であったようだ。
この嘘にまみれた扇動の方がエルエルフ達の行動より「101人評議会」を恐怖させた。
(※この蜂起もエルエルフの情報がキッカケではあったが)

つまりヴァルヴレイヴ最終話は、真実より嘘も含まれた悪意の方が
人々を動かしてしまう(悪意の拡散)ことを描いていた。
こうした人々の悪意を上手くヴァルヴレイヴは上手く拾ったと思う。
執拗に行われたSNS描写もこの悪意を表現するツールなのだろう。


またハルトがカイン達を諦めたもの達と断じ、
自分たちの正しさを訴えつつ、最終的にカインを倒すことについて。
カインを倒した後に待っていたのは、魔女狩り的なマギウス虐殺などの社会的混乱。
こうした描写は、ハルトが信じる正義に対する相対的な描写だと感じた。
ハルトは完全に正しくはないのだと。

ただハルトの正義が否定されたわけではない。
ハルト達の短い歴史の中では混乱をもたらしたが、
その後に第三銀河帝国の礎となる意味では、
長い歴史の上では、石像に象徴されるように英雄になったといえるのかもしれない。

おそらく本作のタイトルにも使われる「革命」とは何かを考えた時に、
それは、短いの歴史の中では混乱ではあるが、
長い歴史からみれば新しい世界の礎になることを意味するのだろう。
だからこそ、歴史的見地に立つことがハルト達の行動を是とできる意味で、
物語の結末は200年後の舞台に移ったのだろう。

この舞台に移った意味において、
実はヴァルヴレイヴの物語が200年生き抜いたサキ達による語りだったことは、
本作が口承文学的な構造を有していたともいえるのかもしれないと思った。

そして「革命機ヴァルヴレイヴ」において何が革命されたかといえば、
世界がジオール主導から第三銀河帝国になったこともあるだろうが、
それ以上に、「ニンゲンヤメマスカ」と問いかけた一号機が
「ニンゲンシンジマス」という問いに変化したこと。
またこの問いにYESと答えたであろうショーコがカミツキの道を選んだこと。

ハルトの命懸けの行動が、ショーコを動かし、
人と人以外の存在の融和というハルトの意志を継ぎたいからこそカミツキになった。
最初はカミツキを否定したこのショーコの変化こそ「革命」といえるのではないか。
だからこそ、最後は異星人との対話で物語が締めくくられたのではないだろうか。
 
「ヴァルヴレイヴ」はタイトル通りに
ヴァルヴレイヴという機体を通して「革命」を描いた作品だったと思う。
 
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今週のアニメの涙描写について-凪あす・リトバス・ホワルバ2 

今週見たアニメは、涙の描写が目立った。
今回はこの涙について簡単ながら触れてみたい。


「凪のあすから」11話

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「凪のあすから」が特に顕著だが、涙の粒・涙量が大きく、粘っこい印象を受ける。
美海の悲しみを強調するために、あえてこの描き方を取っていると推察される。
(もしくは海・水を題材にする本作ならではの描き方か)


「リトルバスターズ! Refrain」11話

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シリーズもいよいよクライマックス。

リトルバスターズの恭介が流した涙も号泣といってよいほどの量だ。
前期から本作を通して、恭介はクールで感情的を表に出すタイプではなかった。
ただ世界の終わり、リトルバスターズとの別れの中で
終わりたくない、別れたくないという恭介の感情が激しく高ぶった瞬間の涙。
シリーズ通してのタメが、ガツンと効くシーンであり
緑川光氏の演技も相まって、強く印象に残る号泣だった。


「WHITE ALBUM2」11話

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こちらもシリーズ終盤。(原作ではその先もあるようだが)

かずさもリトバスの恭介と同様にクール系のキャラだ。
春希・雪菜との関係の中で、自分の本心を隠し続けてきた。
そんなかづさが春希に見せる涙。
ただ本心を言ってしまうことで、二人との関係が壊れてしまう。
行き場のない感情の吹き溜まりがかずさに訪れたかのような涙だった。

まとめ

涙を流す描写は、作品におけるリアルの度合いを決める指標の一つだと思っている。
涙の流し方で、その作品のシリアス感が伝わってくるというか。
この点で「凪のあすから」の誇張性の高い涙は強く印象に残った。
 
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[ 2013/12/15 16:32 ] ニュース | TB(1) | CM(1)

「まどかマギカ」は「かっとばせ!キヨハラくん」である-クワタ・ほむらの顔の輪郭の系譜 

今日の昼休み中に、ふと以下のような事を思いついた。


ほむらの暗さはクワタに通じるものがあって思いついたのだが、
そうしたら、私のツイートを受けて、以下のようなツイートがあった。


なるほど。確かにそうかもしれない。
ただ実際にツイートの通りなのか、画像を並べて検証してみたくなった。

madok.jpg

maka058.jpg

※左:暁美ほむら 右:クワタ

以上のように、ホームベース顔の系譜として
クワタくんから暁美ほむらへ引き継がれていることがわかった。
まさかこの二人に以上のような共通点が浮上するとは思わなかった。
 
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「物語シリーズ セカンドシーズン」23話の80年代風OPの意図-過去と現在を繋ぐ新房昭之 

はじめに

〈物語〉シリーズ セカンドシーズンの第23話のOPを見てビックリした。
いきなり80年代のテイストのOP映像と曲だったからである。
今回はこの事について触れてみたい。

80年代のTVアニメの象徴「上條修」というクレジット

まずこのOP映像で驚いたのは、
キャラクターデザインに上條修さんがクレジットされていたことだ。

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上條修さんといえば
「宇宙戦士バルディオス」「特装機兵ドルバック」のキャラクターデザインであり
「戦国魔神ゴーショーグン」「ミンキーモモ」「超獣機神ダンクーガ」の作画監督といった
80年代の葦プロダクション(現:プロダクション・リード)制作の
アニメ作品を支えてきた、ミスター葦プロともいえるベテランアニメーター。

その人がなぜ、このOPに。

ただOP映像を見ていると、その意図もわかる。
それは、上條修さんという80年代のアニメ(特に葦プロ作品)に
クレジットされた名前を用いて、80年代の空気感を作りたかったこと。
もう一つは、実際に上条さんに80年代の絵柄を描いて、再現してほしかったこと。
以上の二つが考えられると思う。

絵柄、背景、オブジェからみる80年代

実際に映像をみてみよう。

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車の光らせ方、および車の影のつけ方は80年代に流行した金田調。
(葦プロ作品ではよく、こうした影つけや光らせ方は多い)
それ以上にイラストレーターの鈴木英人さん風味。

一方、雲の描き方は、イラストレーターのわたせせいぞうさん風味。

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画面の映り方も、80年代のTVのようなフィルムの質感。
歌詞テロップがあるのも80年代のTVアニメのOP。

何より絵柄の差が顕著。
目の下に線を入れる、まつげを太く描く、髪の毛のフサ、
鼻の鼻背をきちんと描く、今と比べて丸っこい腕や手の描き方など。

monogaop1001.jpgmonogaop1000.jpg

この二つの絵が、80年代と今(渡辺明夫さんデザイン)の差だろう。
上條修さんの絵柄(左)と、おそらく岡本真由美さんの絵柄(右)

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いかにもキリッとしたまゆげと目。
80年代テイストの貝木は角ばったデザインに仕上がっている。

あと、戦場ヶ原さんと貝木のデュエット曲である点も含め
この男女のデュエット曲というフォーマットが
「男と女のラブゲーム」のような曲があった80年代の風物詩。

monogaop004.jpg

雲の色味、雲の色分け、雲のフォルム、空の色彩を含めて
これらはやっぱり、わたせせいぞうさんのテイスト。
それだけ、わたせさんが80年代を象徴する人であるともいえる。
(TVアニメの世界だと、この象徴が上條さんという対比も含めて)

あとトロピカルジュースという意匠が80年代としかいいようがない。

新房監督の意図

新房さんはインタビューでよく出崎統さんの話や
昔のアニメの話やアニメーターさんの話をする機会が多い。

出典元は忘れたが、新房さんは
「出崎さんを語り継いでいくのは自分の使命」みたいな事を言っていた点。
また「化物語」などでは杉浦茂や水木しげる風味の絵を使った点においても、
新房さんはかつて自分が見たものを、今の時代に伝えたいという意志が強い方だと思う。

今回でいえば、今のアニメファンに上條修さんという方がいたことを
伝えたかったという想いもあったのだと思う。

そして80年代のTVアニメ風味なOPも、
かつてアニメにはこういう時代があったというメッセージがあるように感じられた。

まとめ

OPディレクター(絵コンテ・演出・作画監督)は高津幸央さん。
上條修さんは原画と作画監督とキャラクターデザイン。
原画には岡本真由美さん。

monogaop001.jpg

改めて今回の<物語>シリーズのOPをみるに、
80年代のTVアニメは、上り調子でありつつも初々しい空気感に満ちた時代だと思い返される。
(経済的にも上り調子だったという気分が反映されているかのよう)

本編との絡みでいえば、戦場ヶ原さんと貝木の関係性が
あのOPのように甘く、良き想い出みたいな形で描かれていたのかもしれない。

今回のOPのように、もしくは播磨サクラのPVのように
昔のテイストの映像を今の技術で再現する面白さというのは確実にあると思った。
そしてこうした映像を通して、昔のアニメと今のアニメが繋がりつつ
語られるようになると、より良いのではと感じた。 
 
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[ 2013/12/08 10:57 ] 物語シリーズ | TB(25) | CM(1)

神風動画の「播磨サクラ」と新海誠さんの「スリランカ高速道路」篇から考える、今のアニメPV 

最近、二つのアニメPVが話題になっている。

一つは神風動画が手がけた「未来光子 播磨サクラ」。
もう一つは新海誠さんが手がけた大成建設のCM「スリランカ高速道路」篇だ。


※未来光子 播磨サクラ

80年代に流行したかのような播磨サクラの絵柄、
そしてサクラとマスコットが顔を突き出した構図。

次に機械描写のディティールへの拘りは
90年代のOVA作品のテイストを感じられる。

そして金田さんテイストなエフェクトや動かし方も含めて
80年代と90年代のアニメのエッセンスを、
現代にブラッシュアップさせた仕上がりになっている。

またfripsideが醸し出す90年代の小室哲哉感も相まって
懐かしさも感じさせながらも、作りは極めて今時であるのが面白い。

アニメファン心をくすぐったOPを制作したのは神風動画。
今後も神風動画制作のアニメには目が離せない。


もう一つ、新海誠さんの「スリランカ高速道路」篇。



スリランカで初の高速道路の建設に携わる男性技術者に焦点を当てたCM。
新海さんらしい圧倒的な映像美が眩しい作品。
過去と今を空やグライダーを使い、躍動感あるカメラワークで
シームレスに繋ぐことで、高速道路作りの先の未来を見る演出には鳥肌が立った。

まるで新海さんのモノづくりの思想と、大成建設のモノづくりの思想が
一致したかのようなPVのように感じた。


独立行政法人 理化学研究所 放射光科学総合研究センター X線自由電子レーザー施設
もしくは大成建設といった、各専門分野のTOPが
アニメという表現媒体を用いてアピールしている。

そして質の高い映像を見せてくれることで
アニメとしても面白いし、PR効果もあると思う。
(※X線自由電子レーザー施設「SACLA」の事を私は知りませんでした)

今後も、こうした一流企業などでアニメのPVが作られてほしい。
そうすれば、知らない事を知ることができるキッカケにもなると思うし、
こうしたPR、PVから面白いアニメが出てくる可能性も期待したいからだ。
  
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[ 2013/12/04 20:01 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

「かぐや姫の物語」は人間の業の肯定の物語である 

高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」を鑑賞。

この作品は、かぐや姫が地球で生まれ、育ち、人と出会い、そして月へ帰る。
かぐや姫が生きる中で起こった出来事の喜怒哀楽を見事に切り取った、
タイトル通り、「かぐや姫の物語」といえる作品だ。
そんな「かぐや姫の物語」は人間の業を描いた作品であるともいえる。

「かぐや姫の物語」におけるかぐや姫の人物像。そして感情。

本作を見て一番強く思ったのは、
この作品のかぐや姫はなんてワガママで感情の強い女の子だということだ。

見るまで気づきもしなかったが、私は原作の「竹取物語」という作品の名前は知っていたが
かぐや姫という人物が物語で抱く感情を全く知らなかったことに気づかされた。

原作の古典「竹取物語」は教科書の授業で触れた程度でしか知らなかった。
そして授業で教わったことを、今思い返してみても、
かぐや姫がどういう感情を持つ人物なのかわからないことを思い出した。

そんな原作ではよくわからないかぐや姫が
「かぐや姫の物語」を見ると、感情の強い女の子であることがよくわかる。
かぐや姫の感情がわかるから、かぐや姫に興味が沸き、ひいてはドラマにも興味が沸くのだ。

喜怒哀楽を肯定する かぐや姫という人物

かぐや姫は、捨丸達と一緒に自然の中でたくましく生きる。
また、炭焼きの老人に話を熱心に聞く点を見ても、
自然の生態やそこでいきる人々の仕事ぶりに興味を抱く女の子だ。

自然に興味があるだけでなく、
都に移り住んでからの、高貴な姫として習う琴などの教養や礼儀作法にも、
わずらしさを感じながらも、きちんと身につけていく。
おそらく人の営み全てに興味があるのだろう。

育ての親である翁や媼を人一倍想い、
子供時代に一緒に遊んだ捨丸達の事をずっと想い、
一方で自分の望まない、宮中の高官達への求婚に対し
無理難題を突きつけ、力強く拒否する。

難題の品を持ってきた高官達の品が嘘だったり、
石作皇子の本性を暴いては、笑いながらも
一方で無理難題を突きつけた石神中納言が
難題に立ち向かい不慮の死を迎えたことにはひどく心を痛める。

作法の師である相模に、高貴な姫は口を開けて笑ったりしないという主張に
強く反発するなど、とても喜怒哀楽が激しく、感情そのものを是とする態度。

高畑勲監督的にいえばかつて手がけた、
「アルプスの少女のハイジ」や「赤毛のアン」のような
力強く感情を持って生きる、でも複雑な感情も抱く女の子として描きたかったのだろう。

かぐや姫にとって生きるということ

帝の求婚、および帝に身体的に接触し、月にSOSを発信してしまったことで
かぐや姫は月に帰らなくてはいけないことになった。

このSOSを出してかぐや姫は自分の正体・存在を知り
ひいては地球にやってきた理由も知る。

かぐや姫は地球に住む人というものに興味があったのだろう。
その人の生きる営み、喜怒哀楽という感情、
それを触れたい、感じたい、表現したい。
捨丸との邂逅でもわかるように、恋もしたかったのだろう。

かぐや姫は、月の住人に忌み嫌われるような喜怒哀楽を出し、時には人をだまし裏切る、
そんな人として当たり前の生きることそのものを行いたかったのだ。

月と地球の対比 非感情と感情

なぜそこまでかぐや姫が感情的に生きたいという気持ちがわからなかったが、
かぐや姫を迎えに来る月の住人達の描写をみてわかった。

月の住人は仏像の面をしており、感情的ではなく解脱したかのような存在として描かれる。
雲に乗ってきて、かぐや姫を守るために集まった人を眠らせるなど
極楽浄土的なイメージの存在にも映った。

この非感情的、解脱的な月の住人の姿を見て、
かぐや姫が追い求めていた生きようが、やっとわかった。
かぐや姫は月の住人とは逆の、感情的で煩悩に苦しみながら
生きている実感をもって生きるのを知りたかったのだ。

「かぐや姫の物語」は人間の業を肯定する物語

落語家、立川談志は落語の事を「落語は人間の業を肯定である」と言った。
寝てはいけない状況でも寝る、酒を飲んではいけない時に飲む、
そんな人間の弱さ脆さ、つまり業を肯定するのが落語だと言った。

「かぐや姫の物語」も「人間の業を肯定した物語」だと私は思う。

高貴に暮らすことがかぐや姫の幸せだと思い込み、
自身の願望と知らず知らずに重なっていた翁。
翁の想いがかぐや姫の本心とは違うと知りながらも、強くは止めなかった媼。
かぐや姫の気持ちは知らずに求婚し、その最中でかぐや姫を騙そうとした宮中の高官達や
全ては自分の思うがままになると思い込んでいた帝。

そんな人は、生きることで弱さや脆さなどを見せつつも、
それでもあがき生きているその姿こそに意味がある。生がある。
その生を肯定する物語が「かぐや姫の物語」という作品であると私は思う。

田辺修さんの作劇 男鹿和雄さんの美術

この作品を語る上で、
人物造形・作画設計:田辺修さんと美術:男鹿和雄さんは欠かせない。

人と美術背景が一体化したアニメーション、
輪郭線を閉じない線、塗りつぶしを行わない試みは、
とても労力のいる試みであったのは、想像に難くない。

高畑さんの人物の造形や芝居のアイディアを田辺さんがまとめ、
男鹿さん達が作品世界を支える背景を描く。

淡い色彩でこれまでにない丁寧な筆致で描かれた人物作画と美術背景。
西洋から伝わった従来のアニメーション的な手法から解き放たれ、
この日本的な絵のもとで、日本の古典が描かれたのが
「かぐや姫の物語」の醍醐味の一つといえるだろう。
まさにこの作品に最もふさわしい表現手法だったと思う。

製作:氏家齊一郎さんの存在

この作品は、日本テレビの会長であった故氏家齊一郎さんの
「高畑勲監督作品を作りたい。金はオレが出す」という鶴の一声がキッカケだったという。

渡邉恒雄さんの盟友といわれた氏家齊一郎さんは、
徳間康快さん亡き後のスタジオジブリのパトロンになり、
ルーブル美術館を借り切って高畑監督・宮崎監督に鑑賞させたこともあるなど、
スタジオジブリを強力にサポートされていたようだ。
(※ジブリの冊子「熱風」の2011年5月号では亡くなられた氏家氏の特集を組まれた)

本作のパンフレットの中で企画:鈴木敏夫氏が採算性の不安を指摘したように
不安要素が多くある企画だったのだろう。でも氏家さんという重石があったからこそ
この作品は完成し世に送り出せたと最後に鈴木氏は締めている。

氏家さんの断固とした想いがあったからこそ「かぐや姫の物語」は世にある意味で
出資者は作品作りには直接手を下さないが、それでも作品作りには大きな影響を与える。
そして優れた作品には優れた態度で望む出資者がいる事を思い知らされた作品でもあった。

まとめ

捨丸という人物を新たに仕立て、自然(故郷)と都会(都)という構図を用いるなど
原作の物語を再構成し、かぐや姫に感情という血肉を与え、
かぐや姫を、心に残る人物に仕立て上げた作劇。

原作「竹取物語」では見えにくかった、かぐや姫が生き生きと描かれ
かぐや姫の地球での生き様を通して描かれる
人間の生の営みの肯定、人間の業の肯定が描かれた作品だった。

地井武男さん、高畑淳子さんなど、役者さんの演技も光る作品だった。

日本最古の古典に焦点を当て、古典を再び輝かせ
1000年先を見据えたかのような作りにおいて
これから語り継がれていくであろう「竹取物語」には
「かぐや姫の物語」の存在が欠かせないものになるだろう。
古典の授業でもこの作品は参考として使われるのかもしれない。

宮崎駿監督と拮抗し続けた高畑勲監督による日本的物語の到達点。
それが「かぐや姫の物語」なのだと思う。
 
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[ 2013/12/01 18:30 ] かぐや姫の物語 | TB(23) | CM(2)