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10周年の「魔法少女リリカルなのは」を振り返る 

はじめに

今年で「魔法少女リリカルなのは」のTVアニメが始まって10年が経つ。

「魔法少女リリカルなのは」シリーズは、
今年までにTVシリーズが3作。
劇場版が2作と新作のThe MOVIE 3rd Reflectionが控え、
漫画、ゲーム、ドラマCDと様々なメディア展開を行っている。

ファンの購入意欲が旺盛な話はよくネット上で話題になり、
特にコミケでの企業ブースでなのは関連のグッズを扱う企業では
「なのは完売」という情報戦が繰り広げられている。

なのはシリーズにお金を費やしたファンのことを
「なの破産」「フェイ倒産」なる言葉も生まれるなど熱狂的なファンも多い。

私もリアルタイムで無印を見てファンになったのだが
10年経った事がとても感慨深いと思い、
「リリカルなのはシリーズ」の原点である
「魔法少女リリカルなのは」を振り返ってみたくなった。

① シャフト以前の新房昭之監督作品として

「魔法少女リリカルなのは」は、
新房昭之さんが、シャフト以外でTVアニメの監督をつとめた最後の作品だ。

18禁アニメに活動をシフトしていた新房監督久々のTVアニメということもあり、
大胆な陰影を使った演出、魔法少女ものに見せかけてからのバトル展開など
ただの魔法少女アニメものに収まらない意欲的な内容を盛り込んだものになった。

1話の食卓シーンの吉成鋼さん原画など
ビジュアル面で見所たっぷりの作品になったのも新房さんの采配もあるだろう。

新房監督が手がけたことが「魔法少女リリカルなのは」シリーズの
大きな基礎になった側面は大きいと思う。

その後新房さんが「魔法少女まどか☆マギカ」を手がけることになったのも
この作品の成功による部分もあると思うので、
その意味でも本作の成功は、結果論ではあるが大きな意味をもったと思う。

② 美少女とメカ

「魔法少女リリカルなのは」は特にバトル面において、
武装やアクションにおいてロボットアニメ的な意匠やノウハウを取り込んだ作品だ。

メカメカしいレイジングハートやバルディッシュ。
変身後のなのはは例えるならウイングガンダム
フェイトはガンダムデスサイズを彷彿とさせる格好であり、
彼女達はまるでロボットのようにダイナミックに動く。

このことは、アニメ界大鉄板の「美少女+メカ」の法則を踏まえ
美少女にメカ的な意匠を融合させたアイディアであるといえるし、
こうした「美少女+メカ」のアクションがこの作品の面白さを下支えしたと思う。



この「美少女+メカ」の法則を支えたのは、
師匠格の大張さんのようなタメツメの効いたアクションを手がけた
プロップデザイン・メカニック作画監督の斉藤良成さんだろう。

③ なのはとフェイトの物語として

この作品が支持されたのは、
なのはとフェイトが心通わす物語が首尾一貫として描かれていたからだろう。

これといった目的・将来の夢がなかった高町なのは。
母親と仲良くなりたい、その為にジュエルシードを集めるフェイト・テスタロッサ。
二人の対照的なそれでいて、家族とは距離を感じる店では共通する少女達の物語。

話さなければ伝わらない、言葉にしなければわからない。
なのはの想いがフェイトに届いたからこそ二人は友達になれた。
魔法という力があったからこそ生まれた奇跡。

この二人が敵同士から、どう友達になっていくのかという過程が
1クールで過不足なく見事に描けていたからこそ、
なのはは10年続くシリーズの基礎になったといえる。

まとめ

以上、簡単ではあるが「魔法少女リリカルなのは」について振り返ってみた。

他にも田村ゆかりさん水樹奈々さんの存在や、
原作者の都築真紀さんの凝った世界観や設定といった要素が
作品を大きく支えていると思う。

そしてこの初代「魔法少女リリカルなのは」をスタートに
徐々に人気を伸ばしていって、今年で10年。
時間が経つのは早いと改めて思い知らされる。

そんな「なのはシリーズ」10周年の年だが、
「A's」から「StrikerS」の空白期間を描く
「The MOVIE 3rd Reflection」の公開を楽しみに待ちたい。
 
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物語から解放された「てさぐれ!部活もの」の魅力 

「てさぐれ!部活もの あんこーる」が面白い。

この「てさぐれ!部活もの」シリーズの魅力は、
段取りから解放された時間、段取りに縛られない部分がある所だ。

アニメは物語に沿って、キャラクターや物事の一部始終を語る事に沿って作られ、
物語を語るために段取りが作られる。
ギャグアニメでも、オチや展開には一部始終があり、物語と段取りは存在する。

さらにアニメは脚本・絵コンテという設計図を書く。
この工程において、作品は作り込まれる為に、
物語・段取りから逸脱するアドリブ的な展開は行われにくい。

そんな物語や段取りから解放された瞬間を見せるのが
「てさぐれ!部活もの」シリーズだ。

この作品の構成は、まず台本通りに進行するが、
途中で台本に書かれた大喜利的なお題がキャラクターに振られる。
大喜利が始まってからは、声優さん達のアドリブで内容は進む。

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このアドリブが始まってからは物語も段取りからも解放された時間帯になる。
西明日香さん達、声優さんの発想に委ねられた時間。
そんな物語や段取りから解放された時間が、見ていて聴いていて心地よい時間だと思う。

また「あんこーる」ではOPの最初の歌詞が毎回変わるのもアドリブ感を与えている。
OP曲と映像という基本変わらないものに対して、変化を付けることでも
油断をさせない、つまりアドリブ感を含ませている演出といえる。

アニメには物語があり、展開があり、段取りがある。
描かなかれば何も生まれないというアニメの特性上、
仕方のないこととはいえ、頑張れば頑張るほど作り込むことに縛られてしまう。
その為に、作品からアドリブ感を求めるのが難しいのだ。

しかし「てさぐれ!部活もの」シリーズは、
作画よりも前に録音を行う「プレスコ」という手法を取ることで、
まず声優さんのアドリブを生かすことで、
作品全体にアドリブ感を与えることに成功している。

振られた大喜利のお題から、どこにいくのかわからない、予測不能な感じ。
物語とは全く無縁な、声優さん達の発想を、
その発想からキャラクターの動きや表情を見ているのが面白い。
こうした感覚を味わえるアニメは極めて貴重だと思う。

確かに声優さんの発想を聴くだけなら、
アニメでも、なくてもいいという意見もあると思うが
ここでキャラクターが存在して、面白い変な動きをつけて、
声優さんのネタを増幅させる演出があるからこそ、
「てさぐれ!部活もの」は面白いのだと思う。

まとめ

アドリブが取り入れられているのは、石ダテコー太郎さんが関わった
「gdgd妖精s」「バックステージ・アイドル・ストーリー」「直球表題ロボットアニメ」
といった作品でも同様だ。

ただ「てさぐれ!部活もの」では今までの作品を手がけた蓄積、
今まで以上に声優さんを信頼して完全任せる石ダテさんの采配もあってか、
極めてアドリブ感が高い映像を見せてくれる作品だと思う。

物語を見せるのではなく、声優さんのアドリブを通した
キャラクター達の大喜利的な発想を見せる。中々TVアニメでは見られないスタイルだ。
この大喜利的な発想をみせるという点で、
TV番組的にいえば「「てさぐれ!部活もの」」はTVドラマ志向ではなく、
バラエティ番組志向のアニメだといえる。
 
これは石ダテコー太郎さんがお笑い芸人・放送作家から
キャリアを出発させた点にあるといえよう。

TVアニメでバラエティ番組を作れるのか。
そんな試みを石ダテコー太郎さん達スタッフは、
意識しているかしてないかはさておき、実際には実践していると思うし、
この試みが物語から段取りからの開放としての
「てさぐれ!部活もの」を際立たせていると思う。
  
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[ 2014/02/16 09:12 ] てさぐれ!部活もの | TB(0) | CM(0)

「僕は友達が少ない」と「逆襲のシャア」の意外な共通点-「え?なんだって?」 

「え?なんだって?」は「僕は友達が好きない」の
主人公である羽瀬川小鷹が使ったことで有名になった言葉だ。

ニコニコ大百科では「え?なんだって?」を以下のように説明している。

1 声が小さい、周囲の雑音が大きい、他の事に集中していた、ボーッとしていた等の理由で相手の台詞がよく聞き取れなかった時に、相手の発言が何だったのかを聞き返す場合。
2 相手の台詞が聞こえていたにも関わらず、聞き取れなかった振りをして誤魔化す場合。
出典:ニコニコ大百科-単語記事: え?なんだって?

周りの空気を壊したくない、羽瀬川小鷹というキャラクターを象徴する台詞だろう。

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(※僕は友達が少ないNEXT11話)

この「え?なんだって?」だが、言葉は違えども
25年前に同じような感じで「僕は友達が少ない」に先駆けて使われていた作品がある。

それは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」である。

「逆襲のシャア」では「え?なんだって?」がどのように使われていたのだろうか。
それはケーラがリガズィで出撃する時に恋人のアストナージが見送るシーンだ。
ここではケーラとアストナージの間に以下のような会話が繰り広げられる。

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(※機動戦士ガンダム 逆襲のシャア)


アストナージ「ケーラ。とっておきのサラダ、作っとくからな」
ケーラ「愛しているよ」「リ・ガズィ行きます」
アストナージ「なんて言った?」

ケーラの「愛している」は出撃時の周りの騒音でアストナージには聞こえなかった。
だからニコニコ大百科の2にあるような、聞き取れないフリをしているわけではなく
1の周囲の雑音が大きいために聞き返したパターンだと思う。

小鷹の「え?なんだって?」はニコニコ大百科の2の使い方で有名になったが
1の本当に聞こえなかった場合もあるので、
その点では羽瀬川小鷹とアストナージの使い方は同じといえる意味で、
両者には意外な共通点があったことを思い知らされた。
 
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[ 2014/02/12 20:47 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(2)

ケンプファーとガトリングガンの因縁そして精算-ガンダムビルドファイターズ18話 

はじめに

「ガンダムビルドファイターズ」18話は
ユウキ・タツヤとレナート兄弟のガンプラバトルが描かれる。

「戦争」「僕らの戦争」と「機動新世紀ガンダムX」のフロスト兄弟を彷彿とさせる発言。
そしてジオン兵投入などレナート兄弟は、ガンプラバトルを「戦争」として行う。
対してメイジン、ユウキ・タツヤはガンプラバトルはガンプラバトルだと言い切る。

今回はガンプラバトルにおける両者の戦いの価値観の矜持を争った展開でもあった。

25年越しの逆襲-ケンプファーとガトリングガン

そんな今回の最大の見所は、お互いの決着がつくバトル終盤の
ケンプファーアメイジングがジムスナイパーK9に対して「ガトリングガン」を撃つシーン。

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ユウキ・タツヤの先に先を読みガトリングガンをこの場所に落とした慧眼にも痺れるが、
やはりケンプファーとガトリングガンの組み合わせに心が動かされる。
それはこの組み合わせに因縁があるからだ。


この因縁は遡ること25年前になる。
1989年の「機動戦士ガンダム0080-ポケットの中の戦争」の4話での話だ。
物語は、ジオンのサイクロプス隊が連邦の新型ガンダムのアレックスを奪取しようとし、
隊の一員であるミーシャが乗るMSケンプファーは作戦の中心的役割を果たす。

サイクロプス隊優勢の展開で進むが、次第に連邦が主導権を握る。
そして新型ガンダム-アレックスが起動しケンプファーと戦うのだが
このアレックスがケンプファーに止めを刺した武器が「ガトリングガン」なのだ。

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アレックスの左腕に仕込まれたガトリングガンは、ケンプファーの全身に撃たれる。
このガトリングガンの餌食になり朽ちていくケンプファーの描写は、
「ガンダム0080」の中でも屈指の名シーンだ。

キャプにはないが、上記のガトリングガンを被弾するケンプファーのシーンで
コクピット内部を映すのだが、パイロットのミーシャは映さずに
彼が飲んでいた酒の容器だけが揺れ酒が溢れる描写があったが、
一方的にやられる様子がこれでもかと描かれるので、強烈に覚えている。

以上がケンプファーとガトリングガンの因縁の始まりである。

この因縁を踏まえると、
「ガンダム0080」でガトリングガンにやられたケンプファーが
「ガンダムビルドファイターズ」ではケンプファーがガトリングガンを使い
ジムスナイパーK9を葬り去る。逆襲のケンプファーであり、因縁の精算でもある。
またピンチからの逆転劇という流れも、両作品は共通している。

まとめ

1989年の「ガンダム0080」から25年後の「ガンダムビルドファイターズ」で
ケンプファーがガトリングガンを使うシーンを見られたのは嬉しかった。

以前に「メタサンライズアニメとしての『ガンダムビルドファイターズ』」という、
本作はガンダムネタ・サンライズネタが多いという記事を書いたが、
今回もこの例に沿った描写といえると思う。

そしてこのシーンがなお一層感慨深いのは、
「ガンダムビルドファイターズ」のガンプラバトルの
描写・作画・演出が三位一体で素晴らしいからであろう。
 
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「ニセコイ」5話はなぜ足つくプールを深海のように描いたのか-アニメの嘘 

ニセコイ5話を視聴。

今回は、千棘が準備運動不足でプールの中で溺れてしまい、
楽が千棘を助けるためにプール内に飛び込んで助け出す
シークエンスにおけるプール内の描写が面白かった。

特に面白かったのはプール内の描き方だ。

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画面を見ると、とてもプールとは思えない深さと暗さ。
まるで深海のようであり、端的にいえば嘘な描き方をしている。

なぜこのようなプールではないような描き方をしたのか。

さらにこの千棘が溺れる直前のシーンには、るりが

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るり「ここのプールは足つくんだし」

というように説明的なセリフをわざわざ入れている。
このセリフに沿って画面を作るなら、足つくようなプールを描く方が自然だろう。

しかしニセコイ5話は、この自然な流れを採用せず、深海のようなプールを描く。
なぜなのだろうか。理由を二つ考えた。


まず一つ目。実際に浅い足つくプールを描いて、
楽が千棘を助けてもドラマ的に盛り上がらない。
画面的に盛り上げるために、あえて深海のようなプールを描き
ドラマティックに描こうとしたのだろう。

そして二つ目。これがより重要だと考えるが、
足つくプールという現実を描くより
千棘と楽の主観的な心情を優先させて描く意図があったからだろう。

溺れてしまった以上、そこにプールが足がつくものなのかは関係ない
むしろ千棘は上のような深海に引きずり込まれる感覚に襲われたのだろう。

そしてこの感覚は千棘を助けようとする楽も同様である。
彼にとってプールで溺れた千棘を助けるのは、
深海で溺れた千棘を助けるのと気持ち的には同義なのだろう。

こう考えると、同じ深海のようなプール、
心情的なイメージを映した画面にいる二人は、
同じ気持ち・感覚を共有しているともいえるだろう。

それだけ千棘が溺れたのは、
千棘にも楽にも深い出来事だったという証明ともいえる。

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ニセコイの関係であり、表面上はお互いよく言い争ってもいる二人。
でも大事な所で二人は確かに繋がっている、
そんな印象を深海のようなプールは見せてくれたのかもしれない。
 
まとめ

足がつくプールを、深海のような深さで描いたのは、
楽が千棘をドラマティックに助けさせるという面と、
楽と千棘の心情を表現したいためという意図があったからだと思う。

こうした実際の設定(足がつくプール)とは違うもの、ぶっちゃけ嘘を、
いきなり主観的なイメージ(深海のようなプール)を用いて描く。
こうした大胆な嘘をつけるのがアニメの演出・表現の面白いところだと思う。
 
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[ 2014/02/09 12:09 ] ニセコイ | TB(16) | CM(0)

話数単位で選ぶ「機動戦士Zガンダム」5選 

はじめに

自分の好きなアニメから、好きな話数を選ぶことについて語ってみたい。
こうした試みは面白いと私は思う。

こういう試みのキッカケは「話数単位で選ぶ、○○年TVアニメ10選」という
その年の好きなアニメ作品を10本選ぶ企画だ。
これを作品単位に置き換えたものだとイメージしてほしい。

上記の企画は毎年行われているが、
一つのアニメの○選も見てみたいという気持ちが出てきた。

例えば4クールアニメは、話数が多いから自分の好きな回を選びやすい思うし、
あるアニメの5選をみんなで発表することで、見方や好みがわかってくるのもまた面白い。

例として昨日は、ドキドキプリキュアで

こんなツイートをしてみた。
基準としては、内容的にぶっ飛んでいる回と、
後半の高橋ナツコさん脚本回を中心にして選んでみた。

さてこの記事では「話数単位で選ぶ『機動戦士Zガンダム』5選」を選んでみたい。

話数単位で選ぶ「機動戦士Zガンダム」5選

①39話「湖畔」

脚本:鈴木裕美子 絵コンテ・演出:川瀬敏文 作画監督:山田きさらか

私イチオシの「Zガンダム」の回。理由は名セリフが多いから。

まず、ジャミトフとバスクの会話のシーン。
ジャミトフ「マメな事だな。ロザミア・バダムの件か?」
バスク「はっ」
ジャミトフ「あれはいい女だ」

なぜか、ロザミアの事を「いい女だ」ろ話すジャミトフの真意はよくわからず。

他にも、
シロッコ「エゥーゴの中で、プレッシャーを強く感じる戦艦があります。お気をつけ下さい。」
ジャミトフ「シロッコ。貴公の許せんことは、自分以上に能力の高い者がいないと思っていることだ。バカにするな」

バスクのシロッコへ圧力をかけているが、
バスクの圧力などとタカを食ってる感じのシロッコがいい。

また、笑っているミネバを見て
ハマーン「ミネバ様が笑ってらっしゃる」

驚き過ぎのハマーン様が美しい。

あと展開的に、コロニーの中立地帯でハイザック2機と戦ってしまったことで
クワトロ大尉が地元の警察に連行されるオチが好き。
(さらに次回以降に連行後の結果については何一つフォローされていないのも好き)

②26話「ジオンの亡霊」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ:井内秀治 演出:本橋鷹王 作画監督:北爪宏幸

Zガンダムの中でもメカアクションが特に好きな回。
ギャプランがビームサーベルを取り出して、ガンダムMk-Ⅱに襲いかかる所、
Zガンダムとギャプランのアクションがそれぞれに目立つ。

ちなみにZガンダムで作画が目立つ回は、MSの影がワカメ影で描かれ
金田アクション的な動きが目立つ時が多い印象。
80年代の作画の流行がZガンダムでも反映されている形だと思う。この回も同様に。

③15話「カツの出撃」

脚本:丸尾みほ・斧谷稔 絵コンテ:横山広行 演出:関田修 作画監督:北爪宏幸

これから幾度も繰り返すことになる。カツ始めての記念すべき無断出撃回。

個人的な見所は、ギャプランが撃墜され乗っていたロザミアが脱出する姿をみて
カミーユが女が乗っていたとクワトロ大尉に報告した時の大尉の以下のセリフ。
クワトロ「誤解が生んだ想念が放出されたと思いたいが、気にするな」

とにかく、気にするなと伝えたいシャアの気持ちが素敵。
誤解が生んだ想念=女 放出=脱出、なのかも。
 
Zガンダムはこうした意味がわからない言い回しが面白い。

④19話「シンデレラフォウ」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ:甚目喜一 演出:平林淳 作画監督:北爪宏幸

定番中の定番回。カミーユとフォウ、お互いの気持ちがつながりそうな二人が
敵味方同士になってしまう展開、恋と戦争がホンコンという街で繰り広げられ、
ホンコンを陵辱するかのように破壊する巨大なサイコガンダムの姿もまた戦争の悲劇だ。

当時、東映の演出家だった佐藤順一さんがペンネームで絵コンテを切ったのは有名な話。
作画監督の北爪宏幸さん=フォウのイメージを決定的にした回の一つでもある。

⑤50話「宇宙を駆ける」

脚本:遠藤明吾 絵コンテ・演出:川瀬敏文 作画監督:小林利充

リアルタイム放映では追っていない身としては
当時の感覚はわからないものの、伝え聞く限りも含めて、衝撃の最終回だったと思う。
そして主人公が精神崩壊して終わる世界を「現状認知」として描くラストには痺れる。

戦いが終わり、多くのキャラクター達が死に、寂しくなった世界を背に
ガンダムMK-2の残骸を見ていたファが
ファ「そうお前もアーガマに還りたいのね。」

と呟くのが印象的だ。
壊れた残骸のMS達が物語の終焉を否応になく感じさせるが、
「Zガンダム」は悲劇であることを感じずにはいられない最後だった。

おわりに

「Zガンダム」から5本を抜き出すのは困難だった。
それは、選んだ5本以外にも名挿話はあるからだ。
でも苦しんで選んでみてわかることもあると思った。

こうした「話数単位で選ぶ『○○』5選」みたいな企画は広まってほしいなぁと思う。
 
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[ 2014/02/05 21:39 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

黒田洋介の「好き」の作劇-「ガンダムビルドファイターズ」17話と「そにアニ」5話から 

はじめに

今週の「ガンダムビルドファイターズ」17話と「そにアニ」5話を見ていたら、
それぞれ「好き」という言葉がキーワードになっていたように感じた。

そして両作品ともに黒田洋介さんが脚本である点から、
興味深いと思ったので取り上げてみたい。

ガンダムビルドファイターズの場合

今回はセイ・レイジに立ち向かうために、マオが悩む展開だったが、
師匠の珍庵と接し「好き」というキーワードからマオは成長する。

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「好きなものに理屈なんぞいるかい」
「ただ好きでおればええんや」


マオがエマ・シーンをこれこれこういう理由で好きだと言った後に、
マオが珍庵師匠に好きなガンダム女性キャラを聞き、
珍庵師匠は「ガンダムSEED」のマニュー・ラミアスと答えた後に上のように答えた。

「好き」は理屈ではない事をマオに諭しているシーンだ。

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「だって好きなんですもん」

師匠との特訓を経てマオが辿り着いた境地は、まず「好きであること」楽しむことだった。

この後、マオは楽しみながらセイ・レイジ達と壮絶なガンプラバトルを繰り広げる。

「そにアニ」の場合

「そにアニ」では、そに子を取材するさやか側の視点を中心に物語は進む。
そして夢を追い求めるそに子と、夢を捨てきれないさやかの対比で物語は描かれる。

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「結構よね。善意に囲まれて楽しそうで」
「けど、それは若いから。社会に出て否定されたことがまだ無いから」
「壁にまだぶちあたってないから言えるのよ」
「生活するだけで精一杯になって」
「色んなものがこぼれ落ちてでも諦めきれなくて」

「好きだから続けたい」
「そんなの当たり前じゃない」
「何やってんのさ。何にもしてないくせに」
「あの子に何を言えんのよ。あの子に」
「好きなら、やれよ私。何でやんないのよ。何で」


そに子にグラビアアイドルとロックバンドの今後について聞き、
さやかの発言がこれ。

社会に揉まれてしまい自分の「好き」が純粋に貫けないようでいるさやか。
大人になって自分が失っていたものを、若いそに子は持っているからこそ、
さやかは反発するような言い方もしてしまったし、涙も流す。
でも「好き」でいることの大切さを、そに子から教えられたようであり、
さやかも何かしら吹っ切れたかのように見えた。

まとめ

「ガンダムビルドファイターズ」「そにアニ」ともに
「好き」でいる事、「好き」を続ける事が大事であるというメッセージが伝わってくる。

子供のマオには「好きには理屈がいらない」と大人側から説き、
大人のさやかには「好きならやれ」と自分に言い聞かせるようにする。

脚本の黒田洋介さんが「好き」という感情について、
本音としてどういう見解を持っているかはわからない。

ただ両作品ともに「好き」というキーワードを通して、
マオとさやかというそれぞれのキャラクターを
次のステップへ進ませたかった想いを感じた。

「好きこそものの上手なれ」と。
 
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「ガンダムビルドファイターズ」17話にSガンダムが登場した意義 

ガンダムビルドファイターズ17話の見所の一つは、
前回の次回予告にも登場していたS(スペリオル)ガンダムの登場だろう。

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数秒とはいえ、まさかこのSガンダムが
アニメで登場する姿を見られたのは嬉しかった。


このSガンダムは「ガンダムセンチネル」という
模型雑誌「モデルグラフィックス」内の企画で誕生したMSだが、
この企画には様々な経緯があったようだ。

平たくいえば、「ガンダムセンチネル」によって模型製造元の「バンダイ」と
企画を主導した「モデルグラフィックス」の関係が悪化し、
「ガンダムセンチネル」はバンダイから公式として認められなかったのだ。

以下のサイトでも

「ガンダム・センチネル」という企画はMSV以来最大のヒットを巻き起こしながらガンダムの歴史から抹消されてしまうという事態になってしまったのである。ー「MSVの歴史-ガンダム・センチネルの傷跡(http://members.jcom.home.ne.jp/0911502801/msv.htm)」より

というように「ガンダムセンチネル」が歴史から抹消された(まさに黒歴史!)
と書かれている。これらが大体1990年代前に起こった話だ。

この遺恨は根深く、
例えば1995年にSFCで発売された「第4次スーパーロボット大戦」では
この「Sガンダム」そして「Ex-sガンダム」が味方のユニットとして登場したのだが、
販売元のバンプレストがバンダイに許可を求めずに登場させてしまい、
モデルグラフィックスとバンダイ、バンプレストの間にトラブルが発生したという。
その後、スパロボでは「ガンダムセンチネル」のMSは登場していない。

しかし「ガンダムセンチネル」の人気は根強く、
2001年にはバンダイの「HGUC」で「Sガンダム」とゼク・アインが発売され、
また同年に始まった「GUNDAM FIX FIGURATION」の登場によって、
「ガンダムセンチネル」のMSが続々とキット化され、
バンダイも「ガンダムセンチネル」を認めつつある空気ができあがった。

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こうした流れもあっての「ガンダムビルドファイターズ」でのSガンダム登場。
かつてはバンダイから認められなかったガンダムが、TVアニメに登場する。
これらを踏まえると、Sガンダムが登場したのが感慨深く思える。
こうした変化もガンプラの歴史の歩みの一つなのだろう。
 
それにしても、この線の多い機体を描いて動かすのは大変だと思う。
 
参考記事:ガンダム センチネルの話 センチネルの話(承前) センチネル版権の話(3)
 
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アニメ監督の制作現場の作り方-富野由悠季・宮崎駿・押井守 

はじめに

アニメの監督の仕事とは何か。

まず視聴者なりに、アニメ監督の仕事内容をざっと挙げてみるとしてみると
本読み(脚本の打ち合わせ)、各話のコンテチェック、各話演出担当との打ち合わせ
アフレコ立会、編集などなど、仕事の内容は多岐にわたるのはなんとなくイメージできる。

こうした具体的な業務以外にも、監督の仕事はあるのではないか。
それは「制作現場の環境作り」である。
この事を気づかせてくれたのは、「栄光の80年代ロボットアニメ」にある
河原よしえさんが書かれた「80年代ロボットアニメ監督たちの素顔」という記事だった。


※栄光の80年代ロボットアニメ (タツミムック)

河原よしえさんは1975年にサンライズに入社し、製作現場の各作業補佐及び広報素材整理、
その後は設定や広報、脚本などを手がけたキャリアを持ち、
1980年代のサンライズの現場を間近で見てきた方だ。
この記事で河原さんは、富野由悠季監督について取り上げている。

今回の記事では、富野由悠季監督、宮崎駿監督、押井守監督のお三方の
「制作現場の環境作り」のエピソードを取り上げて見たい。

富野由悠季監督の現場作り

富野由悠季監督は「戦闘メカザブングル」を制作時に
富野監督は制作現場のスタッフを呼ぶ時は、
相手の年齢は関係なく「さん」「君」など敬称を付けるように指示したという。

この指示の意味を河原さんは、日本のアニメが社会に通用するためには
まず制作現場も社会に通用するような場所にしたかった
のという想いが
富野監督にあったのではないかという指摘をしている。
80年代からメディアに積極的に登場し、
アニメの地位を上げようとしていた富野監督の姿勢がここでもわかる。

また、河原さんは「勇者ライディーン」制作時には、
殆どのスタッフが制作現場が汚れやすい環境のために
ジーパンなど汚れてもいいような服を着ていたのに対し、
富野監督は、シャツにネクタイという社会人的な服を着ていたという。

以上のように、富野監督は「絵コンテ1000本切り」といった圧倒的な仕事量が目立つが、
こうした現場での振る舞いも、アニメを実際に作る「制作現場作り」の一環でなのだろう。

宮崎駿監督の現場作り

宮崎駿監督の「制作現場の環境作り」に関しては「宮崎駿の世界」という本で
押井守監督と上野俊哉さんの対談記事で押井監督が以下のように語っている。


※宮崎駿の世界 (バンブームック)

押井 あの人は細かいことまで全部面倒見るんですよ。それこそ、皆が弁当を食う食堂があそこにあるわけだけど、そこに大きな鉢があって、そこにインスタントみそ汁が山ほど積んでいるわけね。好きに飲んでいいわけ。そういうことも全部あの人が全部指示するわけですね。当時、そこでしか飯食っちゃいけなかった。自分の机で飯食わせない。あめ玉しゃぶっても怒る。煙草吸いながら仕事するなんてのは、一〇年早いっていうさ。新人は、もちろん、食べながらとか、吸いながらとか一切させないんですよ。飲むくらいさせるだろうけど(笑)。基本的には学校というかさ。僕は道場だって呼んだんですよね。もちろん、就業時間も厳しい。ちゃんと一〇時までに入れとか。

押井 例えば、アニメーターをどこに座らせるかもあの人が決める。定期的に入れ替えるんですよ。固定はしない。絶えず、動かす。何ヶ月かすると、必ず配置替えするんですよ。だから、人間関係を見ているんですよ。あいつとあいつは隣に座らせるとか、あいつとあいつは離すとかね。-宮崎駿の世界より 

以上の押井監督の証言から察するに、宮崎監督はスタジオジブリにおいて
原画チェックといった多忙な業務を抱えつつも、
スタッフの席場所、食事、仕事の態度までの管理を行い、意見を出しているようだ。

また「千と千尋の神隠し」のメイキングビデオでも、
社員にインスタントラーメンを作り振舞う宮崎監督の姿が描写されている。

こうした宮崎監督の制作現場の環境作りを押井監督は
「スターリニズム」であり「教育」であり「外部注入」だと指摘
している。

一方で、全権支配的な宮崎監督にはしたたかな一面もある事を指摘している。

押井 どういうことかっていうと、宮さんといえでも、ジブリには逆らえないスタッフはいるわけだよね。そういう人間を地盤にしてものを作ってるってことは、自分でも十分自覚してるんですよ。だから、あの人のシステムの作り方っていうのは、誰を大将につけるか、誰は誰の言うことを聞くのかっていうこと。そういうヒエラルキーをベースにシステムを作ってるんですよ-宮崎駿の世界より

このジブリで逆らえないスタッフというのは、色彩設計の保田道世さんのことだが、
宮崎監督はこうした人間関係や状況も抱えながらも、
自分なりに理想的な現場を模索しながら作品作りを行っているようである。

押井守監督の現場作り

対して押井守監督は自分の制作現場の環境作りを「宮崎駿の世界」で以下のように語っている。

押井 僕はこのI・Gというスタジオでどういう現場を作ろうかっていう時に、ジブリであってはならないんだっていうさ。僕は現場でも公言しているし。「ここはジブリじゃないんだ。作品を誇るべきであって、スタジオを誇るべきではなんだ。」って。どんな人間だろうが、どんな仕事の仕方だろうが、要求したことに応えてくれるのであれば、それでOKだと。夜中に来ようが、家でやろうが。どんなに、極端な問題児であっても全然問題ない。現場が僕と同じことを考える必要はないんであってさ。そこら辺で教育する必要もなければ、全然違う意見を言っても構わないよって。何かあったらいいに来ればって。いつでも相手するぜ、っていうスタンスなんだよね。-宮崎駿の世界より

押井監督はスタジオジブリを仮想的にして、自分の現場を作ったようである。
スタッフにはどんな仕事のスタイルでも構わないと、意見があれば自分に言ってくれと
押井監督は言っているが、弁の立つ押井監督と意見するのは大変だろうなぁと感じる。

まとめ

社会的に通用する制作現場にしたかった富野監督。
食事など、細かい所にも気を配った宮崎監督。
成果が得られれば良いとした押井監督。
 
以上、3人がそれぞれの環境作りについて立ち振る舞いをしているが、
どれが正しいかどうかはともかく、それぞれの現場の環境作りが
引いては作品内容にも影響しているようにも感じる。

とは言っても、環境づくりは作品ごとで変わっていそうだが。

アニメは多くのスタッフが長い時間を掛けて作っていくだけに、
実際の制作現場をどう作り上げていくかが大事だろうし、
制作現場の空気自体が、そのアニメの作風にも繋がっていくのだろうと思う。

一視聴者としては現場を知ることはできないが、
想像するに、アニメーターさんや演出家さんの多くがフリーであり
作品ごとで現場を作る意味においても、現場作りは大切なのだろう。
 
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[ 2014/02/02 19:02 ] コラム | TB(0) | CM(1)