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プリキュアシリーズの作画監督と参加回数リスト(2015年度版) 

はじめに

去年に「ドキドキプリキュア!」までの
「全プリキュアシリーズの作画監督と参加回数」をカウントして
参加回数のランキング付けしてみたのだが、
今回は、ハピネスチャージプリキュア!までの作画監督さん達をカウントして
再度集計をしてみた。

※集計作品はTV放映された作品(ふたりはプリキュア~ハピネスチャージプリキュアまで)
※プリンセスプリキュアは今回はカウントせず
※連名の回でもそれぞれカウント

プリキュアシリーズの作画監督の参加回数集計表


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ハピネスチャージプリキュアまでのシリーズごとのランキングは
前回記事に掲載したので、今回はハピチャのみのランキング。

ハピネスチャージ!プリキュア
赤田信人 8
河野宏之 7
星野守 6
フランシス・カネダ 5
上野ケン 5
ジョーウィー・カランギアン 4
織岐一寛 4
近藤瑠依 4
松井誠 4
森悦史 4
青山充 3
稲上晃 3
山岡直子 2
相澤茉莉 2
佐藤雅将 2
高橋晃 1
アリエス・ナリオ 1
小松こずえ 1
濱野祐一 1
 
以上。

まとめ

河野宏之さんがハピチャでも7回参加されて、計69回の参加になり1位。
青山充さんも3回参加されて2位をキープ。
プリキュアオールスターズの作画監督もある面では青山さんの功績は計り知れない。

河野さんと青山さんがプリキュアの守護神といえるだろう。
もっというとニチアサの守護神でもある。

河野さん・青山さん以外はシリーズごとで
新しい作画監督を参加させつつ、
その前のシリーズでローテーションしていた方も
登板しているという感じの布陣を取っているように思われる。

プリンセスプリキュア放送終了後、どういうリストになるのか。
一年後の楽しみにしたい。
 
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[ 2015/03/29 12:22 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である 

はじめに

「Gのレコンギスタ」最終話を視聴。

ベルり達の冒険がこれから始まるという幕引きだった。
宇宙、月、金星まで行って地球に戻ったベルリが下した結論は、
もう一度世界一周という旅をすることだった。
そして姉のアイーダはクレッセントシップで再び宇宙の旅に出る。
旅する事で得られるサムシングをベルリは、再び手に入れたかったのだろう。
元気いっぱいの未来へ繋がるラストだった。

さて、私が気になったのはベルリの旅の始まりの場所が日本のある場所だったこと。
そして旅の道中でベルリが話した老夫婦についてだ。

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ピンクの服を着てメガネの老人。どう見ても声を聞いても富野監督自身である。
その傍らにいる女性は、富野監督の奥さんの亜阿子さんであろう。

そしてベルリ達の奥では新幹線のようなものが走り、
さらにその奥には富士山がある。

富野監督、奥には富士山、新幹線のようなものが走っている。
この3つの要素から導き出されるのは、
ベルリ達が話すこの場所が富野監督の出身地である「小田原」だということだ。

私は震えた。

富野ガンダムで「小田原」が描かれたことに。
(※リーンの翼最終話最後のお墓のシーンはおそらく小田原)

富野監督と小田原

富野監督は神奈川県の小田原について以下のように語っている。

世間では「小田原嫌い」とも言われている富野監督。本人も認めるところだが、それは郷土に対する想いがあればこそ。「小田原は本来、風光明媚で素晴らしいところ。それを活かせない『今の小田原』が嫌いなんだよ」と感情をあらわにする。
出典:ガンダムの原点は小田原!? 富野監督が「地元嫌い」な理由(わけ)とは

そういう態度で親が生活をしていると、いくら小田原で生まれ育っても、そこを故郷と感じることは難しい。“地つき”と呼ばれる、土地に根ざした感覚が生まれることはなかった。
出典:「ガンダム」の家族論

僕の家庭は余所者であったから、地つきの人に違和感がなかったとはいえない。だから、僕は小田原を捨てられると考えたのだ。
出典:だから僕は

富野監督は出身地の小田原で小中高を過ごしたのだが、
両親が東京から小田原に移り住んだ経緯と親から小田原は本当の故郷ではなく
東京が本来の生まれ育つ場所だったような事も言われたようだ。
こうした両親の価値観や事情が富野監督の小田原への想いを複雑にし、
小田原を故郷であって故郷でないような感覚にしてしまったようだ。

この故郷であって故郷でないという感覚が
宇宙漂流ものの作劇を自然に描いてしまうことに繋がり、
もしくは過去の作品で幾度も見られた
自分の居場所が無い人間が故郷を目指す・ルーツを探す物語を志向する
富野監督の作風を決定する要因の一つだったと思う。

富野監督を考えるにあたり「小田原」は最重要キーワードの一つなのかもしれない。

元気のGの始まりの場所としての「小田原」

そんな小田原がベルリの本当の旅・冒険の始まりの場所として描かれる。
そこには監督の分身と奥さんがいて、ベルリの旅の案内役を担う。

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自分の作品が子供に引っかかってほしいと願い、アニメを作る富野監督にとって
このシーンは富野監督が若者であるベルリに道を案内するという点において、
富野監督が若者に未来を託した描写という解釈ができるだろう。

さらにいえば、老夫婦が小田原にいたという点において
富野監督が最後に自分が帰るべき場所なのは
小田原であるという想い
があったからかもしれない。
もしくは老夫婦(富野夫妻)もベルリと一緒に始まりを迎えようとしているのかもしれない。

あれほど小田原に対して愛憎入り混じって語っていた富野監督が
小田原をベルリの始まりを祝福する場所として描き、
富野監督自身の魂の安らぎの場所、
もしくはこれからの自身の始まりの場所として描いていることに
私は心が震えずにはいられない。

おわりにーTのレコンギスタ

レコンギスタが地球帰還作戦であるなら、
富野監督にとってのレコンギスタは故郷の小田原への帰還だ。

そして最終回で、富野監督は故郷の小田原にレコンギスタした。
つまり「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である。
「Gレコ」ならぬ「Tレコ」だ。

富野監督の若者へ未来を託したいメッセージとともに、
富野監督自身のさらなる始まりの場所として
一方で自身の故郷として認めても良いというニュアンスを含んで
小田原を描写したことは、一ファンとしてこれ以上に嬉しいことはないシーンだった。
 
台地に立ったのは、ベルリ・ゼナムであり富野由悠季だったのだ。
富野由悠季監督のこれからの旅に祝福を。 
 
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[ 2015/03/28 10:54 ] Gのレコンギスタ | TB(4) | CM(0)

「Gレコ」の物語の本質と「G」に込められた5つの意味について 

「Gのレコンギスタ」25話を視聴。
物語も佳境を向えて、話の終着点も見えてきた感じだ。
では「Gレコ」の物語とは何だったのか。

異郷から故郷へ戻る物語としての「Gレコ」

まず富野作品における物語の大筋の傾向として、
異郷の地から故郷・祖先の地へ、元の所へ戻ろうとする展開が挙げられる。

1999年の「∀ガンダム」では月から地球へ帰還する人たちの物語。
2002年の「キングゲイナー」ではウルグスクからヤーパンへエクソダスする人々の物語。
2006年の「リーンの翼」ではバイストンウェルから日本へ戻ろうとするサコミズ王の物語。

「Gレコ」も、月のトワサンガ・金星のジット団といった宇宙の諸勢力が
レコンギスタという名目で地球に戻ろうとすること。
そして地球育ちのベルリとアイーダ達が宇宙に旅立ち、
月と金星へ向かい、そして地球に戻ってくる事も含めて、
異郷(宇宙)から故郷(地球)へ帰ってくる物語といえる。

以上を踏まえると「Gレコ」の世界では人類は宇宙を目指すが
最終的には人類は地球に帰ってくる事を伝えたい物語ともいえる。

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それが明らかになるのは、ラ・グー総裁のムタチオンした姿にあると思う。
人類は地球から離れると劣化してしまう可能性を示したラ・グー総裁の姿は、
人は地球から離れて暮らす事ができない事を示しているように思う。

またピアニ・カルータことクンパ・ルシータ大佐のように
戦争を通しての人の強化が必要だと考えるものもいれば、
ジット団のように技術を振り回して地球に戻りたいと考える者もいる。
宇宙に進出した人類は、結局は人類の故郷である地球に
本能的に戻ってきてしまう習性があるのではという事を見せているのかもしれない。

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特に25話では大気圏突入を経て地球圏に降り立ったジット団の
クン・スーンやチッカラが地球に本物の土や緑があることに感動する姿を描いている。
金星で作られた水や台地や空気は地球とは違っていたと教えられていただろうし、
彼女たちもまた自分達を形作るオリジナル・ルーツに触れた事に心震えたのだあろう。

「Gのレコンギスタ」における5つの「G」

以上、「Gレコ」は異郷から故郷へ戻る物語として見ることが可能であり
本作におけるレコンギスタとは再征服運動という原義のように
人々が宇宙から地球に戻っていく事を指しているのだろう。

では次に「Gのレコンギスタ」の「G」とは何なのだろう。

①ガンダム(Gundam)

まずガンダム。ガンダムのアニメでGといえばガンダムなのだ。

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Gセルフ=ガンダム自身(そのもの)であり、G=ガンダムの意味は欠かせない。

②重力(Gravity)

次に挙げておきたいのは重力のGravityのG。

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※大気圏突入を試みる、カバカーリーとジーラッハ。

特に25話は大気圏突入という死線を越える展開だった点も含め、
人が宇宙から地球に戻ってきてしまうのは、
重力があることに他ならないのだろう。

よく「Zガンダム」では「重力に魂を引かれた人々」と
否定的なニュアンスで使われたりもしていたが、
「Gレコ」では「Zガンダム」のようなニュアンスはなく、
人が地球にいるのは、定めみたいなものとして扱っているのだろう。


一方で重力は物理法則的な意味の重力に留まらない。
キャラクターの心や感情を引っ張る重力もまた存在する。
今回25話では、マッシュナーが恋人のロックパイという重力に魂を引かれていた。

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恋人の死に完全に頭がおかしくなったと言われても
仕方がないように描かれるマッシュナーは
戦争中にいてもロックパイの幻影しか見えていなかったのかもしれない。

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またルインとマニィ、クリムとニックの2組の恋人同士の関係も
重力が働いているといえるのかもしれない。
大気圏突入という重力に身は引っ張られながらも、
二組の恋人同士の心はお互いが引っ張り合うことで身も心も離れない。
そんな様子を描くために大気圏突入のシチュエーションが用意されたといえる。

最後に戦争そのものが人間を引っ張る重力ともいえるのかもしれない。
マッシュナーもそうだが、マニィもルインと戦いに引っ張られているように見えるし、
戦争の激化によって、人々が異常なテンションと感情の昂ぶりを見せているのが
今回の25話の各キャラクターの描写で明らかになっていたように思える。

「Gレコ」は戦争が起こるメカニズムと全体主義についても描いている作品だと思うが、
戦争によって人々が変わっていく姿を描いているのもわかってきた。

③地・台地(Ground)

3つめは地・台地のGroundのG。
レコンギスタとの関係、宇宙から地球に戻る物語という点において、
このGroundのGが一番本作の物語の核に直結する。
人は地・台地なしに生きてはいけないのだろう。

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25話のラストカットのギアナ高地。
この絵を見て、宇宙から地球に戻ってきたという実感が湧いてくる。
しかし人類のルーツである地球の台地の上に降り立っても、
人々はまだ戦いを止めずにはいられない。リアルは地獄。

④地球(Globe)

GがGroundの地・地面のGでもあるなら、地球のGlobeのGでもあると思う。
台地があるのも水があるのも重力があるのも全て地球があってこそだ。

⑤元気(Genki)

そして最後のGは元気のGである。
人間が生きるのに必要なのは元気であり、
元気があるから何かを始められる。

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泣くことや怒ることができるのも、
トワサンガやジット団がレコンギスタ作戦をできるのも、
ベルリ達が宇宙へ旅立ち、地球へ戻るのも、
そして何より戦争を起こしてしまうのも、元気があるからである。

富野由悠季監督が70歳になってアニメーション制作を行い、
コンテを書いては修正できるのも元気を保っているからである。

そうアニメーションの実制作も、キャラクターが動くのも
全ては元気があってこそなのだと思う。

まとめ

改めて「Gのレコンギスタ」は
宇宙という異郷から地球という故郷へと戻ってくる
レコンギスタする人々の物語であり、
このレコンギスタを5つのGを織り交ぜて描いている物語でもある。

25話は各キャラクターが否応なしに好戦的になっていき、
戦争という重力に魂を引っ張られる様子が恐ろしくもあった。
こうした状況下に対し、主人公のベルリは最終回で
地球に降り立ったルインとクリムをどう止めていくのか。

いよいよ来週で最終回。
物語はこれで終わるが、ベルリ達の冒険は最終回以降が始まりなのだろう。
 
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[ 2015/03/21 14:17 ] Gのレコンギスタ | TB(10) | CM(0)

「Gレコ」における巨大MAと女性の悲劇の歴史-バララとユグドラシル 

はじめに-ユグドラシルの魅力

「Gのレコンギスタ」24話はバララ・ベオールが乗る
巨大モビルアーマーのユグドラシルの描写が圧倒的だった。

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ユグドラシル、北欧神話でいう世界樹の名を関する機体は伊達ではなく
ユグドラシルが放つテンダービームが世界樹の形のように広がるビジュアルは
今までに見たことがないエフェクト表現だった。
戦争という凄惨な空間でありながら、テンダービームには美しさがあった。
これを見られただけでも、幸せだった。

巨大モビルアーマーと女性の関係性

さて今回の主役は、マニィがルインの元に戻って来たことで
自分の居場所が無くなってしまったバララ・ベオール。

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さてバララがこの巨大モビルアーマーユグドラシルに乗ったのは
ガンダムシリーズ的に色々思うところがある。

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まず女性と巨大モビルアーマーといえば、
今まで1stガンダムであればララァ・スンがエルメス。
Zガンダムでいえば、フォウ・ムラサメがサイコガンダム。
ロザミア・バダムがサイコガンダムMkⅡ。
逆襲のシャアでいえば、クエス・パラヤがαアジール。

などなど、ガンダムシリーズで女性が巨大モビルアーマーに乗るのは
一種の様式にもなっていると思う。


私の中ではこうした彼女達と巨大モビルアーマーの関係性に、
複雑な立場にあり精神的に不安定な彼女達の心を縛るものとして
巨大モビルアーマーが存在しているのだと、私は思っている。

(参考)逆襲のシャアにおける、αアジールの機体名の意味から考えるクエス・パラヤ論

過去に書いた記事ではクエスが乗るαアジールの機体名の意味には、
クエスにとっての始めての聖域・避難所であることが
込められているという解釈を書いた。
この視点からもクエスの心を縛る存在だというのがわかる。

もっと直接的にいえば、搭乗者を精神的に操りもする
モビルアーマーにあるサイコミュという設定は、
彼女達を縛るものでしかない。

そして彼女達はそれぞれに心を縛られたまま戦場で死んでいった。
この事は宇宙世紀時代の悲劇ともいえるだろう。

バララの心を縛る居場所としてのユグドラシル

さてGレコで巨大モビルアーマーに乗ったバララ・ベオールも
宇宙世紀時代のララァやクエス達と同じ系譜に属しているのではないかと思った。

マニィが帰ってきたことで、ルインがマニィとお互いの寄りを戻したことで、
自分の居場所が無くなってしまったバララ。
そんな彼女が生き続けるには、パイロットして完璧である事を証明する為に
巨大モビルアーマー、ユグドラシルに乗って戦うしかなかったのだろう。

このバララ・ベオールの立ち位置は、
逆襲のシャアにおけるクエス・パラヤがアムロと仲良くなりたかったのに
アムロの交際相手であるチェーンの存在をうっとおしく思って
シャアの元に走り、αアジールに乗って戦場で散った事に近いと思った。
※バララはクエスほど無邪気ではないにしろ

こうしたバララの気持ちを縛る・バララの居場所として存在するユグドラシルは
諸説あるが王の墓とも言われるピラミッドのような形状をしているのも興味深い。
それはピラミッドが墓という説を取るならピラミッドの形をしたユグドラシルは
バララの墓だったのではないかという言い方もできるからである。

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バララはアメリア軍とドレッド軍の間で成立しようとしていた停戦に割って入り込み
テンダービームで両軍に大打撃を与えた。その光景を見たベルリは
「艦隊をまるごと破壊するのがどういうことかわかれ」と怒る。

戦争に嫉妬を持込み、完璧なパイロットである事を証明しようとして
無闇に人を殺し過ぎたバララ・ベオール。
そんなバララの最後の心の柱がユグドラシルだったわけだ。

まとめ

こうした女性達が巨大モビルアーマーに乗っては戦場に散る意味で
宇宙世紀時代から人の有り様が変わっていないと感じた。
歴史はりギルドセンチュリーでも繰り返される。

そして戦争は個々人がそれぞれに抱く感情を戦場に持ち込むこと、
今回でいえばバララが嫉妬心を戦場に持ち込むことで、
戦争は拡大し、悲劇が生まれてくる事を改めて感じさせた。

※ちなみにユグドラシルがGセルフによって撃ちた後に
脱出ポッドが出てくる描写が見えるので、もしかすると生きているのかもしれない。
 
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[ 2015/03/14 10:26 ] Gのレコンギスタ | TB(7) | CM(0)

「Gレコ」のユニバーサルスタンダードとは全体主義の現れである。 

はじめに

「Gレコ」が始まる前、富野由悠季監督は
政治学者ハンナ・アーレントの著述や彼女の「全体主義」についての思想を
アニメに盛り込んで新作を作りたい発言をしていた。

35周年に向けて、次はハンナ・アーレントの言葉を背負った上で『新ガンダム』を作る気にもなってます。

出典:ニュータイプ2009年5月号「ファーストの見た30年間」
 
この「Gレコ」における「全体主義」はどこに描かれているのか。
まず富野監督がハンナ・アーレントを引き合いに出して発言していた
「独自に判断できる人は少ない」という点にあると思っていた。

状況に流されるベルリ。教えられた事を信じていたアイーダ。
そんなキャラクター達の姿にハンナ・アーレントの人間観を踏まえて
独自に考えることができないキャラクター達を
富野監督は描くのを狙っていたと私は考えていた。

ユニバーサルスタンダード=全体主義
-異なる考えのキャラクター、同じである事を求められるMS

そしてもう一つ、大事なキーワードがある事に気づいた。
それは本編中に度々登場する「ユニバーサルスタンダード」
直訳すれば宇宙基準・宇宙標準ともいうべき言葉に
「全体主義」のテーマが込められているのではないか。

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マニイ「操縦がユニバーサル・スタンダードなんですよこのモビルスーツ」
※21話「海の重さ」より

もう一度キャラクター達について触れてみると、
まず本作のキャラクター達は様々な考えの元に諸勢力に属している。

・キャピタルのキャピタル・ガードとキャピタル・アーミィ。
・クアメリアのアメリア急進派(クリム親子)とのアメリア穏健派(グシオン総監)。
・トワサンガのドレッド家とレイハントン家のレジスタンス。
・ビーナス・グロゥブのジット団とラ・グー総裁派
・諸勢力の人間が参加するメガファウナ。

これだけのバラバラな勢力があり、さらに諸勢力の中で
各キャラクターは様々な思惑を絡ませる。
ハンナ・アーレントも互いに異なう個性を持つ事を認め合うのが人間性であり
この人間性を壊すのが「全体主義」
であるという考えらしい。
このバラバラ感はある意味、人間性らしいともいえる。

その一方でキャラクターと対をなす関係にあるメカニック・MSは、
誰でも使え、機体の換装や部品や武器の流用も可能な
「ユニバーサルスタンダード」である事が、
リギルドセンチュリーの世界で求められているようだ。

「ユニバーサルスタンダード」が当たり前、
そうで無ければ「タブー」であるという考えの方が浸透しており、
Gセルフにレイハントンコードを仕込み
ベルリとアイーダとラライヤしか搭乗できないようにした
ロルッカ達に対しクンパ・ルシータ大佐は「タブー破り」であると批判している。

キャラクター達にはお互いに違うことを徹底的に描きつつ、
メカニックにはMSのルックスや性能は違えども
その中身は同じであることが求められている世界を設定している点で、
「Gレコ」は違う考えの人々が同じ規格・基準の道具を使う世界でもある。

全ての機体が「ヘルメスの薔薇の設計図」から作られている点においても、
元々の作る土台は同じ設計図からであることからもわかる。
また「ユニバーサルスタンダード」が徹底されているからこそ
Gレコの世界では短期間に次々に新しい機体を投入が可能なのかもしれないし、
引いては現状の戦争拡大を大きく推進している繋がる可能性もある。

同じ価値観・宗教を強いられる世界で、
異なる主張を戦わせるキャラクター達

上記のように同じ基準のものを使う事を今の世界に例えるなら、
世界中の人々がWINDOWSのようなオフィスアプリケーション、
古くは家庭用ビデオ再生機の規格であるVHSを
使用している事に置き換えられるかもしれない。

道具が人間の価値観に影響を与えると考えるなら
WINDOWSやインターネットのような同じ道具・手段を使用することによって、
世界中の人間は、ある部分では同じの価値観が形成されている可能性がある。
世界中で同じ基準の道具を使うことで、同じ考えや空気が生まれ浸透するのが、
富野監督が意図する「全体主義」であるなら、
宇宙基準が求められる「ユニバーサルスタンダード」の世界である
りギルドセンチュリーは、現代的な「全体主義」の生き写しでもあるのだろう。

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また世界中で信仰されている「スコード教」も含めて考えると、
様々な考えのキャラクター達がいる一方で、殆どのキャラクターが
「スコード教」や「ユニバーサルスタンダード」といった価値観を受け入れている。
この統一的な考えが広まっている状況こそ「全体主義」的といえるのではないか。

こうしたある部分では同じ考えを持っている世界の中で、
お互いが違う考えであると思いながら戦う状況は
「リアルは地獄」と呼ぶに相応しい世界であり、
今の世界状況にも符合するということなのだろう。
 
まとめ

ハンナ・アーレントがいうように
人間同士の個性を認め合う人間性を壊すのが「全体主義」というなら、
同じものしか認めない、これを破るものは「タブー破り」であるとする
「ユニバーサルスタンダード」という規格は、
「全体主義」的な価値観の例として扱っていいのかもしれない。

この点を踏まえると、存在そのものが「タブー」であると指摘された
「Gセルフ」の立ち位置が「全体主義」「ユニバーサルスタンダード」に対する
痛烈なカウンターとして機能していることであることもわかる。

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物語の最初では「スコード教」「ユニバーサルスタンダード」を受け入れていたベルリが、
「全体主義」的なものに染まらないGセルフに乗ることで世界と人間の考えを知り、
アイーダ達、何かの縁で集まった多国籍軍のメガファウナのメンバーと共に
「全体主義」で起こる戦争を止める為に動くのが「Gレコ」の物語構造なのかもしれない。
  
さらにいえば、ユニバーサルスタンダードも使い方次第では
多国籍なメガファウナのメンバー達がこれをうまく活用して
「全体主義」を克服する可能性も含んでいるのかもしれない。
 
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[ 2015/03/08 13:44 ] Gのレコンギスタ | TB(0) | CM(1)

「Gのレコンギスタ」―なぜ戦争は起こるのか。タナトスとエロスの関係から 

はじめに

「Gのレコンギスタ」23話を視聴。

地球から月、月から金星までのベルリとアイーダの旅行も終了。
旅を経た二人の意識の変化が感じられる内容だった。
そして玉川慎吾さんのエネルギッシュなキャラ作画が光り、
とにかくキャラの芝居が細かくそしてパワフルだった。

「Gレコ」は数々の題材を扱ってきた。
文明が進みすぎた為に滅亡し再生した世界の
「技術」と「エネルギー」と「宗教」の有り様。
宇宙で人が暮らす時代の「人の意識」と「男女の関係」。
そんな数ある題材の中でも今回は
「人はなぜ戦争を起こすのか」という切り口を強く描写していた。

クライマックスにもってくるのは、やはり「戦争」だった。

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今までの「Gレコ」を踏まえるなら
一つの勢力・同じ組織、同じ星の人間同士でも
様々な考えがあることで対立し、引いては戦争になる。
その中には戦争状態を利用し、自分のプライドやサクセスを掴みたい人間もいる。
またはハンナ・アーレントの「独自に判断できる人は少ない」発言から、
状況に流されるままに戦争を始めてしまってしまう人もいる。
人がいるから戦争が起こるのだ。

呼び起こされる兵士の攻撃性

そんな中で今回は、今まで以上に深く
「なぜ戦争が起こるのか」というメカニズムを
ベルリと同行した金星の一兵士の行動を通して描いていた。

この兵士の行動を攻撃性や破壊衝動を意味する
タナトスという言葉から考えていきたい。

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※金星の兵士が乗る機体

金星の兵士は編隊もうまくできないぐらいの人だった。
そんな中で、トワサンガのロックパイが乗るガイドラッシュの攻撃に
キャピタル・アーミィのベッカーが乗るウーシアが撃破される。

金星の兵士はウーシアが撃破される光を見て冷静さを失い
ガイドラッシュに突撃して、無力な攻撃を試みるもあえなく撃沈する。
兵士の顔を一切見せず、声だけで煽っていく演出がエグい。

戦争を知らずまったく慣れていない金星の兵士が
実際に戦争に加わって呼び起こされた怯えや恐れの感情が
兵士の中にある攻撃性・破壊衝動を大きく呼び起こす。
そして兵士の死をキッカケにベルリもまた戦闘に参加する事になり
ロックパイを殺害せざるを得なかった。

攻撃性は新たな破壊や攻撃を生み、それが積み重なって戦争は起こる。
戦争に慣れていない・感情がコントロールできていない兵士だからゆえに
起こった悲劇ともいえるだろう。

もしかするとピアニ・カルータことクンパ大佐が戦いの必要性を感じたのも
こうした兵士のような存在を金星で見てきたのもあるのかもしれない。

人は破壊衝動を呼び起こされて戦争に向かうとき、どうすれば良いのだろうか。

エロスと戦場

一方でタナトスとは対極にあるエロスも
ロックパイとマッシュナー、あるいはクリムとミック。
二組の関係で描かれている。

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ロックパイの出撃に対して励ますマッシュナー。
ロックパイもマッシュナーを立てる言葉を使う。
二人の仲むずましい関係性がはっきり見える描写だ。

この後に、クノッソス艦長の前で「気持ちよかった」と話すマッシュナー。
ここまで直接的にロックパイとの関係を告白する程に
マッシュナーはロックパイに惚れているのだろう。

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また作戦打ち合わせ時に、ミックに「寝坊」と言われたクリム。
ここでも二人がそうした関係にある事を直接的に言っている。
それを聞いた艦長は顔を赤くしているのが特徴的だ。

この二組の関係から見えるのは、
戦争中だからこそ、破壊衝動も強くなり
生への執着も強く働くという意味なのかもしれない。
戦争中でも男と女がいればセックスする。

この男女の関係こそ破壊衝動を呼び起こし戦いを導くトリガーともなる。
今回はマッシュナーを抱きエロスに溢れたロックパイが
戦場でベッカーと金星人を殺し、最後はベルリによって死んだ。

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マッシュナーもエロスに溺れ、ロックパイが死ぬ可能性を
実際にロックパイが死ぬまで考えることができなかった。
可愛がっていた男を戦場に送ってしまった女の悲劇である。
そんなマッシュナーが、ロックパイの死をニュータイプのように感じられたのは
戦争中にあって感受性が強くなっていった結果なのかもしれない。

ロックパイの死は、エロスの裏にはタナトスがあることをはっきりわからせてくれる。

ベルリの慢心

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ベルリが寒気を覚えたのは、ロックパイを殺したからか。
ロックパイの死によるマッシュナーの負の感情を
ベルリが直接感じ取ってしまったからか。

そんなベルリも慣れていない金星の兵士に
「あの人たち、戦争が怖いってわかってないよな」と言いながらも
ベルリ自身が死ぬ可能性を考えていなかった。

ラライアがベルリに「ロックパイと同じ」と諭した時に
「Gセルフでだぞ。パーフェクトバックパックがあるんだろ」と言い返す点で
ベルリは自分が死ぬとは思っていないのがわかる。
それは今までの描写を見ても、特に序盤のベルリは天才肌であるがゆえに
戦争・戦闘をピンチになってもGセルフの性能も相まって乗り越えてきた。
その経験がベルリの慢心を強くしてきたのだと思う。
今回、自分が死ぬことの可能性を覚えたベルリはより強くなるだろう。

まとめ

生があるから死がある。
死があるから生がある。

タナトスとエロスは相互作用することで、新たな命が芽生える。

「Gのレコンギスタ」で23話で描かれた、セックス(生)と戦争(死)を見ると、
戦争が起こるのは人間が本来持つ攻撃性や生への執着といった
死や生の衝動が原因であるという見方もできる。
それゆえに戦争を完全に止めるのも難しい。
人間にとって戦争はどうしても起こしてしまうものかもしれない。

いよいよ佳境を感じさせる「Gのレコンギスタ」。
次回予告を見る限りバララもグシオン総監も死ぬ可能性を感じさせる。
最終話までにどれぐらいのキャラが生き残れるのか。もしくは死ぬのか。
人の死をクライマックスに一気に見せてくる
富野由悠季監督の真骨頂といえる展開になりそうだ。
  
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[ 2015/03/07 09:35 ] Gのレコンギスタ | TB(3) | CM(0)

京アニの色彩設計(色彩設定)担当リスト 

はじめに

京都アニメーションは元々、八田陽子専務が仕上の仕事を請け負って始まった会社である。
この事を考慮すれば、色を扱う色彩、ひいては色彩設計(設定)が
京都アニメーションを語る上で面白い視点になるのではないかと思った。

とりあえず基礎資料として、
京都アニメーション作品の色彩設定・色彩設計の方をリスト化してみる(敬称略)。

・TVシリ-ズ

フルメタル・パニック? ふもっふ:色彩設定:高木理恵
AIR:色彩設計:竹田明代
フルメタル・パニック! The Second Raid:色彩設定 :高木理恵
涼宮ハルヒの憂鬱:色彩設計:石田奈央美
KANON:色彩設計:竹田明代
らき☆すた:色彩設定:下浦亜弓
CLANNAD(1期・2期):色彩設計:竹田明代
涼宮ハルヒの憂鬱(2期):色彩設計:石田奈央美
空を見上げる少女の瞳に映る世界:色彩設定:高木理恵
けいおん(1期・2期):色彩設計:竹田明代
日常:色彩設計:宮田佳奈
氷菓:色彩設計 : 石田奈央美
中二病でも恋がしたい!:色彩設定:竹田明代
たまこまーけっと:色彩設計:竹田明代
Free!(1期・2期):色彩設計:米田侑加
境界の彼方:色彩設計:宮田佳奈
甘城ブリリアントパーク:色彩設計:石田奈央美
響け!ユーフォニアム:色彩設定 :竹田明代

・OVA

MUNTO:色彩設定:高木理恵
MUNTO時の壁を越えて:色彩設定:高木理恵
フルメタル・パニック! The Second Raid 特別版OVA:色彩設定・色指定検査:高木理恵
らき☆すたOVA:色彩設定:下浦亜弓

・劇場版

天上人とアクト人最後の戦い:色彩設定:高木理恵
涼宮ハルヒの消失:色彩設計:石田奈央美
映画けいおん!:色彩設計:竹田明代
小鳥遊六花・改 〜劇場版 中二病でも恋がしたい!〜:色彩設計:竹田明代
たまこラブストーリー:色彩設計:竹田明代

・Webアニメ
涼宮ハルヒちゃんの憂鬱:色彩設計:石田奈央美
にょろーん ちゅるやさん:色彩設計:石田奈央美

気づいたこと

作品ごとで色彩設計と色彩設定と役職名が違う
・ハルヒ関連の作品は石田奈央美さん
・MUNTOシリーズとフルメタは高木理恵さん
・鍵作品とけいおん!は竹田明代さん
・らき☆すたは下浦亜弓さん
・参加回数では竹田明代さんと石田奈央美さんが多い。
・全員女性

まとめ

他にも作品のビジュアルの方向性、監督やキャラデザとの兼ね合いも見る必要があると思った。
次に個々の作品の色彩を見ていく感じかなと。



※京都アニメーション版 仕上げ・撮影の手引き

京都アニメーションから出版。
 
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[ 2015/03/03 23:40 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

「Gのレコンギスタ」の技術と宇宙時代の人の有り様 

「Gのレコンギスタ」22話を視聴。

今回を視聴して地球外に人類が済む時代に起こり得る可能性と
こうした時代における技術の使い方、及び人の有り様について気になった。

まず驚いたのは、ビーナス・グロゥブのラ・グー総裁の姿の秘密について。

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前回、若々しい容貌のラ・グー総裁は自身がムタチオン(変異)し
自ら200歳だと告白してメガ・ファウナのクルーに驚きを与えた。
実はこのラ・グー総裁の若々しさは仮の姿であり、
やせ細った全身をボディスーツで支えている状態だった。

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人はここまでして生きなければならないのかと思わせる。

そしてラ・グー総裁から、ピアニ・カルータことクンパ・ルシータの存在が告げられた
クンパ・ルシータもまたラ・グー総裁と同じように、相当な高齢者であり
ボディスーツをまとっているのではないかと思った。

ラ・グー総裁も、クンパ・ルシータも杖を持ち歩き、
穏やかな言動と姿勢を決して崩さない点で二人は共通している。
ラ・グー総裁と、クンパ・ルシータはほぼ同じ世代の人間で
長年の同士だったのではないだろうか。

クンパ・ルシータは、金星に住む人々のムタチオンに絶望し金星から出る。
ラ・グー総裁はムタチオンを受け入れ金星に残る。
ムタチオンという現象に対し二人の考えは異なった。
「Gレコ」に見られる、一つの勢力に複数の考えがあるという描写がここでも使われる。

金星に住む、地球から離れて宇宙に住むということは、
200年生きる、全身の筋肉が無くなるといった劣化、
ムタチオン(変異)する可能性を描いた事でも衝撃的だった。


富野作品は、ガンダム作品を通して未来の時代をベースにして、
宇宙と宇宙に生きる人々の生活や考え方を描いてきた。
今回の「Gレコ」で見せた金星まで行った人類が
ラ・グー総裁のように生きる姿を描く意味は何なのだろうか。

人類は地球から遠く離れてはいけないことなのだろうか。
人類はムタチオンを受け入れる可能性も受け入れて宇宙で暮らすことが必要なのか。
もしくはラ・グー総裁の姿は今現実社会で起きている
介護問題に対しての対処の一つのあり様を示しているのか。

富野由悠季監督は「実物大ガンダムを動かすプロジェクト」の講演で
ロボットの開発と技術について以下のように語っている。

富野由悠季「今後ロボットの開発でどういう方向でやるべきという事に関していえば、基本的に僕は介護用ロボットに特化すべきだというふうに思っています。そうでない部分のロボット化というのは基本的に僕は奨励はしません。なぜかというと、人の能力を劣化させる道具にしかならないからです。これ以後は。この意味を大人の立場で考えていただきたいと思う。この部分でつまり介護用の所以外でのロボット化が進めば進むほど何が起こるのかというと、おそらくより鮮明な格差社会が日本に起こってしまうんじゃないかという風に恐れています。」

「もう一つ問題があります。ロボットのリアル化というものを進めていくということで起こってくるのは、技術の独走です。技術だけが先走っていって社会の生活と社会性とマッチングする事が無くなってくる懸念というものをものすごく感じるようになりました。」

出典:「Gのレコンギスタから君へ」

介護用ロボットに特化するべきという主張と、
ラ・グー総裁のボディスーツの技術は直接的に重ならないとはいえ、
ボディスーツが介護的なものであるとするなら、
富野監督は介護の部分では技術の飛躍の向上を良しとしているのかもしれない。

もう一つ、技術の独走というキーワードに関しては
「Gレコ」でもヘルメスの薔薇の設計図といった設定で描いている事も留意したい。
技術にどういう思想的・倫理的背景をつけて運用するか。
「Gレコ」のテーマの一つであると思う。

ベルリと母さんの再開

22話の名シーンは、ベルリと母さんのウィルミット長官の再会だろう。

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ウィルミットがベルリを抱きしめながらも
ベルリに投げかける言葉が微妙にそっけな感じであり、
ベルリが複雑な思いを抱くという描写が秀逸だった。

ウィルミットにしては、おそらく精一杯のベルリへの思いやりの言葉と見るのか。
現状がトワサンガとアメリアと緊張関係にあることもあり、
その中でも息子との事以上に、仕事のことも気にしてしまう母親なのだろう。

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ベルリがノレドの言葉に従って、ウィルミットの元から立ち去った時に、
私はベルリが「乳離れ」をしたのではなかという気持ちを抱いた。
母親は今までと変わらず。
ベルリはアイーダが姉さんだと知り、金星まで行ってきて、様々なものを見てきた。

人はどこかへ行くことで変化する。母は誇りをもって仕事をする。
どちらが良い悪いではなく、変化するのもしないのも人だと示している。

マニィとルインの再会

もう一つ、マニィとルインの再会も今回の見所であり、今回の締めのエピソードになった。

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自分の好きな人の為に、最新鋭の機体ジーラッハを持ってくる。
その為にモビルスーツの操縦技術を努力で習得する。
ジーラッハを持ち帰る時に、メガ・ファウナのクルーに操縦な下手なように見せかけ
マスクことルインの元に帰る隙を作る。マニィの健気な姿は心を打つ。

マニィはルインとの再開時に周囲もお構いなしに、一直線に抱きつく。
「Zガンダム劇場版」ラストのカミーユとファの抱擁を彷彿とさせるシーン。
マニィが一人で機体を持ってきたことにルインがたじろぐが、
それぐらいルインを圧倒するほどの変化をマニィが見せたのだろう。

一方で、マニィはベルリとマスクが戦うことを想定していなかったのかが気になった。
もしかして両者がお互いぶつかる事もあるし、実際に直接ぶつかってきた。
マニィの行動は、マニィとルインから見れば感動的でもあるが、
全体から見ると、戦いをより激化させる結果にもなりかねない。

全体を見ることがいかに難しいかを再び感じさせるマニィの行動でもあった。

まとめ

金星に住んだことでムタチオン(変異)し、人として劣化した姿を見せたラ・グー総裁。
再開したがベルリが期待していた言葉を投げかけなかった立派な母さんのウィルミット。
ルインの為に機体を持ち帰るマニィ。

宇宙に人が住む時代に、人はどんな形で技術を使っていくかを
ラ・グー総裁の姿は示したともいえる。
次にベルリとウィルミット、マニィとルインの再会は、
宇宙に人が住む時代でも、今と変わらないような人の有り様をみせていたと感じた。

技術と人の関係を「Gレコ」は常にでもあるが、今回も描いていた。

そんなGレコの最後の戦いは、
レイハントン家という選ばれし一族の忘れ形見のベルリと
クンタラという蔑まれた身分の末裔であるマスクことルイン。
この境遇が決定的に違う二人によって幕引かれるのだろう。
 
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[ 2015/03/01 18:08 ] Gのレコンギスタ | TB(8) | CM(4)