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「生きる糧の物語」としての「鉄血のオルフェンズ」4話。 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」4話を視聴。

クーデリア姫を地球に護送する算段を整えつつ
鉄華団がこの護送の仕事をこなして生きる糧と自分たちの道を手に入れようとする。

一方のギャラルホルンのファリドとボードウィンは
クーデリア姫を拘束しようとして現地に調査へ向かう。

三日月はクーデリアを連れて、ビスケットの祖母のトウモロコシ畑に連れて行く。
三日月はクーデリアに作物を採取することと作物の状況や行き先を教える。
その最中に三日月達とファリド達と遭遇し、一悶着がある。

畑から戻ってきた三日月達にオルガは新しい旗を持って迎えるのだった。

「生きる糧の物語」として描写された作物を採取すること

鉄血のオルフェンズの物語のキーワードは「生きる糧」である。

本作は生きるために何をしなければならないのかを
火星と厄祭戦300年後という世界をもって描いている。

ガンダム作品の多くは、キャラクターに理念や主義を与えて行動する作品が多かった。
00の刹那であれば戦争根絶。AGEのフリットであればヴェイガンへの復讐。
Gレコは戦争をしないようという考えでベルリが動くが、
戦争以上に旅することへの好奇心がより勝っていたと思う。

鉄血はこれらの作品とは違い、三日月は理念や主義で動くこと以上に
まず生きることが第一であることを強い比重で描かいている。
だから金や食べ物の話題が本作では欠かさずに出てくる。

鉄血に近いのは1stガンダムかもしれない。
1stガンダムが「生き延びること」であり、鉄血は「生きる糧を得ること」だから。

今回特にこの「生きる糧」というキーワードを強く感じさせたのは、
三日月がクーデリアをビスケットの祖母のサクラちゃんの農地に連れて行き、
みんなで作物を採取するシーンを描いたことだ。
(このトウモロコシはバイオ燃料用で格安で取引される)

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生きるとはまず食べることである。食べるために食物を育てたシーンを描く。
こうした当たり前の光景をきちんと4話で描いてきて見事だと思った。
作物の描写を描くことで、3話でクーデリアが野菜を切り
配給を手伝っていたシーンが伏線として生きてくる。
食べ物を調理するだけでは生きることはできない。
作物を育てることを含めて、食べて生きていくことができるのだと強く訴えている。
「生きる糧」そのものが描写されているのだ。

戦争がメインの作品は補給・兵站という点での食事の重要性は描かれるが、
「生きる糧」生きていくことそのものをテーマにした本作では、
作物の採取・農業の描写というのは欠かせないものだったと思う。

三日月はまず生きることと現状をサクラちゃんの作物を通して
クーデリアに伝えたかったのだろう。
現実にはクーデリアが知らない事も多いのだと。
その想いはクーデリアの心に伝わっていたようで、
一方の三日月もクーデリアという存在を気にかけているようだ。

さらに今回はヒューマンデブリという、金でやり取りされる人間という設定も出てきた。
過酷な世界であることがより克明に伝わってくる。

生きるということは、大人達のようにずるがしこく生きるということも
トドなどの描写で対比的に描写されている。
次回以降大人側の立場の人間が子供にカウンターを出すのだろうか。

まとめ

「生きる糧は戦場にある」
鉄血のオルフェンズのキャッチコピーである。

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「生きる糧」とは生きるために必要なお金や食料の事を指すが
それ以上に鉄華団が生きていくための動機を見つけていくことでもある。
その糧が戦場にあるとしたなら、鉄華団は戦いを通してしか
生きる方向性を得ることはできないという厳しい現実が待っている。

ただまずは旗を手に入れた。自分達の「生きる糧」になる居場所を作った。
小さな前進ではあるが大きな前進である。

戦争・戦場を舞台にするからこそ、
生きるために必要な食べ物・農業の描写が入ることで
本作の物語展開により深みが加わった4話だった。
 
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「鉄血のオルフェンズ」は、子供が現実認識を欠く大人達を破壊する物語である。 

はじめに

鉄血のオルフェンズ3話を視聴。

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今回のクライマックス。
赤く染め上げた背景と黒い機体のシルエットがコンテの大張さんらしい絵作り。
サブタイトルの「散華」のように機体の花火が散る。


大人達からCGSを乗っ取るオルガと三日月達。
CGSは新体制となる。
今までの自分の道を見失ったクーデリアは、
わからないと言いつつも、新たな道を踏み出そうとしていた。

CGSはクーデリアをギャラルホルンに引き渡そうと協議するが
クランク・ゼントはCGSに決闘を申し込み、三日月はバルバロスで受けてたつ。
三日月はクランクを殺し、オルガはCGSを鉄華団と改称する。
鉄華団は新たに決意したクーデリアの護衛を続けるのだった。

大人と子供-世界に対する現実に対する認識力

今回強く印象に残ったのは、
大人と子供の現実認識力の差だ。

まずCGSの大人達を眠らせて捕らえた時に大人側のリーダーのグンネルが
オルガに交渉を持ちかけて、自分の身の安全を図ろうとするところ。
縛られた状態でグンネルがオルガに交渉を持ちかけること自体、
グンネルの認識の甘さがよく出ている。

グンネルは殺される可能性をわかっていないのだ。
もしくはわかったとしても助かることができると思っているのだ。
そもそも少年たちの死も グンネルの現実認識の甘さによるものであり
最後まで甘かったのが三日月に有無を言わせず殺された理由だろう。

またもう一人の大人、ギャラルホルンのクランク・ゼントが
三日月に決闘を申し込んだ所。
クランクは相手が少年(三日月)である為に殺したくはなかったようだが
自分が負ける事を想定していない都合の良い条件や
大人側の理屈だけを述べて、三日月の反感を買った。

クランクは決闘で勝敗をつけようとした。
一方の三日月はオルガに言われてはいるものの、クランクを殺す事を前提に戦う。
クランクの決闘も命令違反ものであり覚悟がいるものだが、
生きるか死ぬかの価値観で戦う三日月の方がより強い覚悟でいる。

クランクも相手が生き死にを問わない決闘に乗ると思っていたようで、
まさか殺し合いになるとは想定していなかったのだろう。
クランクもグンネルと同様現実認識が甘かった。

現実への認識力の欠如、
つまり「鉄血のオルフェンズ」の世界は生きるか死ぬかであることを
グンネルもクランクもわかっていなかった。
より正確にいうと甘い考えはオルガや三日月には通じないのだ。

さらに三日月に倒されたクランクは、自分の最後を三日月に託そうとするシーン。
強い敵が主人公側に介錯を頼むのは、ロマンシズム溢れる展開であるが、
三日月にはそんなロマンシズムも通じなかった。
それはクランクが最後まで喋らせる事無く三日月が銃を放ったことでわかる。
大人自体も大人のロマンシズムも悉く三日月は否定していくのだ。

三日月とオルガは大人の打算やロマンシズムなど関係なく生きるために動く。
だからオルガはCGSの人事の再編成時に
会計ができる大人に残ってほしいと要請をする。

鉄血のオルフェンズの物語の3話に共感するなら
三日月やオルガの現実へのシビアな対応力や切実性にあるのだろう。

まとめ

大人のずるがしこい打算や、甘いロマンシズムを
子供の三日月やオルガが破壊する。
甘さが許されない世界にこそ共感できるのではないだろうか。

物事を知っているはずの大人の方が現実への対応力を欠き
世界の底辺で生きてきた子供たちの方が現実への対応力が圧倒的に高い。

子供側の傍にいるクーデリアもまた三日月やオルガを見て、
食事の配給や新たな自分の方向性を見つけるなど
あの世界の現実に即した行動をとるようになっている。

こうした大人の欺瞞を子供達が暴いていき、少年達の自立を見せていくのが
「鉄血のオルフェンズ」3話までで明確に示していたのが痛快だった。
 
とはいえ、殺しに容赦のない三日月やオルガはこのままでいるのだろうか。
人との出会い、様々な出来事によって、価値観を変えていくのか。
今後の物語展開に期待をしたい。
 
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新しい世界に出会う冒険の感動ードラゴンクエストⅡ・Ⅲ、ファイナルファンタジーⅢ 

昨日以下のようなツイートをした。




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参考画像:ドラゴンクエストⅢ

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参考画像:ファイナルファンタジーⅢ

ドラクエⅢのギアガの大穴に落ちた後に広がる世界が、アレフガルドだったこと。
ファイナルファンタジーⅢの浮遊大陸を出た後の世界が、水没していたこと。
この二つは私のゲーム体験の中でも忘れられない瞬間であり、
ゲームから世界の広さと(疑似体験ながら)冒険の面白さを教えてくれた。

ドラクエⅢは、Ⅰ・Ⅱとプレイしてきて、アレフガルドという土地と名前を
覚えているからこそ訪れた世界がアレフガルドというところに驚く。
Ⅲはプレイしていると、Ⅲの舞台はアレフガルドではないのかぁと思ってしまうが、
そのプレイヤーの思い込みを後半で見事に裏切る。上手い。
魔王バラモスを倒し、大魔王ゾーマの存在を知るタイミングも神がかっている。

FFⅢの場合は、まず主人公達がいた世界が浮遊大陸というアイディアに驚く。
そして浮遊大陸を出た世界に広がるのは、果てしなき大海原。
飛空艇でどこへ行っても海しかない。下手したら迷う。
切ない音楽とともに、私の心を絶望に叩きつけた。

FFⅢは初回プレイ時、飛空艇で動いたら迷ってしまいリセットした。
2回目の時に偶然、水のクリスタルの神殿をみつけたものの、
水の巫女エリアに会わないと、先に進めないため、
沈没船を見つけるまで途方に暮れたものの、見つけた時の喜びはひとしおだった。


こうした新しい世界をインパクトをもって見せてくれるゲームに痺れたものだ。


ちなみに私が始めてゲームで感動を覚えたシーンは、
ドラゴンクエストⅡのロンダルキアへの洞窟を登った先の
ロンダルキアの台地が白い平原の世界だったこと。

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ロンダルキアへの洞窟。
往年のドラクエファンなら説明不要の極めて難易度の高い洞窟だ。
落とし穴あり。ループ道あり。敵は強い。
ドラゴン4匹の炎。キラーマシンの硬さ。バーサーカーの攻撃力。

そんな辛くて難しい洞窟を抜けた先にあるのは白い台地。
川端康成の「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」のように
「ロンダルキアへの洞窟を抜けるとそこは雪国だった」と思わせる瞬間。

標高の高い台地に登ったからこその銀世界。
初プレイ時にロンダルキアの台地が美しく見えたのは私だけだろうか。
そんな白き台地でブリザードのザラキ、ギガンテスの痛恨の一撃
そしてデビルロードのメガンテが響き渡り、画面を真っ赤に染め上げる。

ドラクエもFFも、新しい世界を見せてくれた感動があった。
未だにドラクエやFFが好きなのは、こうした感動を覚えているからであり
私のゲーム原体験になっているからだろう。
 
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[ 2015/10/15 20:49 ] ドラゴンクエスト | TB(0) | CM(0)

「鉄血のオルフェンズ」2話のおっぱい問題とクーデリアについて 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話で

「お前言ってたじゃないか。死ぬときはでっけえおっぱいに埋もれて死にてぇって」

というおっぱい発言が話題になっている。

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これはギャラルホルンの戦いで死んだ少年ダンジに向けた友人の言葉だ。
年頃の少年であれば、思いがちな願望であるのだろうが
おっぱいへの憧れを叶えられず死んでいった少年ダンジの悲劇性、
火星での少年達の境遇がこの台詞で強く印象づけられる。

さて、戦場でおっぱいに憧れ死んでいった少年ダンジもいれば
自分自身のおっぱいを存分に戦場で見せつける女性もいる。そうクーデリアだ。

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服からはちきれんばかりのおっぱいを画面中で披露するクーデリア。
本編中で幾度となく見られるクーデリアのおっぱいに私は釘付けだった。

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上のキャプのように1話の最初は正装を着ていたので有り余るおっぱいが隠されていた。
(※Bパートで2話のような格好になる。)
まさかこんなおっぱいキャラだということに気づいたのは2話からだった。

特に以下の3つのキャプは連続したカットにもなっていて
クーデリアのおっぱいを考える上で興味深い演出となっている。

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クーデリアの横からのおっぱい
     ↓
クーデリアの真正面からのおっぱい
     ↓
「これお尻に似ている」という子供達

このおっぱい⇒おっぱい⇒お尻に似ている果物への繋げ方は、
明らかにクーデリアのおっぱいと果物を繋げていて、
クーデリアのおっぱいが物語的にも意味があるものだと見えてくる。

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※参考監獄学園10話

監獄学園でもキヨシが「所詮おっぱいなどお尻のまがいものに過ぎないのです」と
指摘するように、お尻とおっぱいは切っても離せない関係であるのは
作品を超えた真理なのだと思う。

話を戻すが、この一連のシーンは自分のせいで
みんなが死んだと思うクーデリアに対し三日月が突き放した後のシーンである。
本作で唯一おっぱいを体現するクーデリアは生き残り悩む。

ダンジが死んだのはクーデリアの存在にあることを強く印象づけ、
それはダンジのおっぱいへの憧れとクーデリアの現実にあるおっぱいが結びつくのだ。

まとめ

おっぱいに憧れて死んだダンジは、クーデリアのおっぱいを見たのだろうか。
それとも見ないまま死んだのだろうか。わからない。

いずれにしろクーデリアのおっぱいはそこにあり、
おっぱいに憧れた少年は死に、
少年の死を刻みながらクーデリアはおっぱいを背負い生きていく。
この事実こそが「鉄血のオルフェンズ」のリアルなのである。
 
今後もクーデリアのおっぱいに目が離せない。
 
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「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話を視聴。

はじめに

ギャラルホルンのMSによる攻撃を、
三日月乗るガンダム・バルバロスによって防ぐものの、
再攻撃を命じられたクランクは単身CGSとの決戦に望み、
一方のCGSのオルガも大人達からの独立を企て、三日月に協力を願う。

敵を追い返しても、少年達の目の前には地獄しかない。
地獄であるなら、居場所を作り、地獄からの解放を自ら勝ち取る。
オルガと三日月の二人の行動から、自由への意志が感じられた回だった。

少年と大人と血の関係

1話でも強調されていた大人と子供という構図が
2話でも「血」というキーワードで語られる。

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三日月はガンダム・バルバロスに搭乗での負荷により鼻から血を出し、
オルガはCGSの大人達の都合により制裁を受け、血を流す。
三日月とオルガという少年二人が、それぞれの信念をかけて血を流す。

少年側という話でいえば、クーデリアもまた血を流さぬのだが、
彼女は彼女なりに三日月を理解しようとするが、
三日月への気持ちに遠く及ばずというところではある。

一方の大人達は命令し、自分達の立場を主張するだけで
CGSの大人達、ギャラルホルンの大人達も含め
身をもって血を流す覚悟をする者は殆どいない。
本気の子供とそうではない大人の有り様が血をもって描かれていた。

血とは生命の象徴であり、生きている事の実感でもある。
一方で死に繋がるものでもある。
生と死の狭間にある三日月とオルガの立ち位置が浮き彫りになっていた。

ギャラルホルンのクランクが
子供達の境遇への理解と軍人としての立場の狭間で
理解ある大人として描かれていたのは、大人側の救いの一つ。
またアインが戦闘で負傷した所では血を流していた。

次回3話は、少年三日月と理解ある大人のクランクが
戦う展開になりそうであり、序盤の節目の一つになるだろう。

まとめ

今回も戦闘も、煙を起こして相手の懐に下から潜り込む
ガンダム・バルバロスなど、知惠を使った戦法が随所に見られて面白かった。
驚異的なメカ作画と行き届いた演出で見るものを魅了する。

火星の茶色の土壌に包まれた広陵なビジュアルと
三日月とオルガに流される血が相まって
少年達の過酷な運命を象徴しているのも印象的だった。
 
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「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」1話「鉄と血と」感想-「ガンダムが叫びたがっているんだ」 

長井龍雪と岡田麿里の「あの花」「ここさけ」コンビの新作ガンダム。
田中将賀さんも参加が自然なような気もするが事情があるのだろう。

「鉄と血と」というサブタイトル、
地球圏に反旗を翻す少年達の戦いな世界観をみると、
ガンダムより「太陽の牙ダグラム」を彷彿とさせる。

1話は独立運動のお姫様クーデリアを守るために
主人公・三日月達がいる警備会社が請負ったら、
別の組織が襲いピンチになったところを、
三日月がガンダムを起動させて敵MSを倒して終わる。

Aパートでキャラクターと世界情勢を説明を尽くして語り、
Bパートでガンダムにとって大切なメカアクションを描く王道的構成だ。

サブタイ通りな血と鉄の汗臭い世界にみえつつも、
良い意味で脱臭され、爽やかに感じさせるバランス感覚もあった。

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火星の底辺に生きる若者たちの反抗の中で
純真な少年三日月はどう動くのか。
寡黙で能動的な姿は見せないが、秘めたる思いは強いはず。

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世間知らずなお姫様が、三日月との握手のやり取りで
自分は対等だと思っていたはずなのに、
実は対等ではなかったと思うシーンが良かった。
クーデリアの変化も描くのもテーマの一つだろう。

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戦闘シーンは、戦車っぽいモビルワーカー同士の応酬から、
敵MSのグレイズの登場の流れがかっこよかった。
敵はザク以来の伝統の緑色なのが良い。
細身でスマートなフォルムなのがかっこいい。

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MSが出てきて、形勢不利になるかと思いきや
主人公側はガンダムを投入して勝つというのはわかっていてもよい。
特にメイスという打撃で敵を叩き潰すのが最高にかっこよかった。
斬るのではなく叩く。若者らしい無骨なガンダムだ。

横山さんの音楽も、想像以上にマッチしていて、場面を盛り上げる。
長井龍雪さんの画面を安っぽく見せず
豪華に見せる仕上げる手腕が炸裂した仕上がり。
ガンダム・バルバドスがアップで映る時の、特攻処理が上手くて見栄えが良い。

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次回以降、戦いに次ぐ戦いの連続になる毎日を送ることになる「鉄華団」。
彼らは生き延びて、三日月のいう自分達の居場所を見つけられるのだろうか。

「ガンダムも叫びたがってるんだ」!
 
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