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シン・ゴジラ 感想-ゴジラとは核と映画製作 

シン・ゴジラを見る。面白かった。

キャッチコピーの「現実(ニッポン)と虚構(ゴジラ)」通りの作品。
東京の破壊描写、そして自衛隊とゴジラの戦いのすごさに
涙を流しすぎて鼻水まで垂れてきてしまった。

特に後半のヤシオリ作戦での、土木作業車の大群。
新幹線や電車自体が爆弾になってゴジラに突撃する描写では
ただただ、かっこいいと涙を流しながら見ていた。

ゴジラが起こす東京の破壊に
「もっと破壊を見たい」というカタルシスを感じつつ
一方で「これ以上日本を壊さないでほしい」という
矛盾するような二つの感情を抱きながら見ていた。

現実としては東京の破壊はないことに越したことはないのだが
虚構を楽しみたい観点に立つと、東京の破壊を見たくなる。
一つの感情だけ物語を感じるではなく
複数に抱く感情で同時に揺さぶられる点が、
シン・ゴジラの凄さだったと思う。

庵野監督と樋口監督とゴジラ

ゴジラを引き受けた庵野監督と樋口監督。
並々ならぬ決意があったに違いない。

空想特撮への憧れを強く語るお二人。
特に樋口監督はゴジラに憧れ、
ゴジラの映画製作のアルバイトからキャリアをスタートしただけに、
ゴジラの監督には、強い思いがあったのは推察できる。

また庵野監督は監督のオファー時にうつ病を抱えられていたようだが、
本作を見るに、病も払拭して制作された気概を強く感じられた。
「シン・エヴァ」にも改めて期待したくなった。

空想特撮からエヴァ、エヴァから空想特撮へ

シン・ゴジラはエヴァのような作りにも見える指摘は見られる。
カット割り、テロップの多様には庵野監督の作風を感じられ、
ゴジラを止めるためのヤシオリ作戦は、エヴァのヤシマ作戦を彷彿とさせる。

ただ元々のエヴァがゴジラやウルトラマンといった
空想特撮の手法や精神に影響を受けて作られている点を踏まえれば、
空想特撮(ゴジラ・ウルトラマン)からエヴァが生まれ
エヴァ的なものを注入して、シン・ゴジラ(空想特撮)が生まれたと
見るのが妥当かなと思った。

シン・ゴジラ製作時に出された庵野監督のコメントで
「恩返し」という表現があったが、
主にアニメを中心に活躍されていた庵野監督が
自分なりに培ってきた手法を持ってゴジラを作り
ゴジラに恩返しをした感じられる作りだった。

ゴジラを自己言及的に見てみる-ゴジラは映画製作そのもの

シン・ゴジラを自己言及的に見るとどうなるのか。
それは過去の庵野監督作品は極めて自己言及的な要素が強いからだ。

ゴジラを描く、政府・自衛隊がゴジラを止めるという行為は
特撮映画を作ること(もしくはアニメ製作)そのものなのではないかと思う。

本編で起こる
会議は企画会議、製作プロセスの打ち合わせ
各部署で案を練るのは、脚本や画コンテ、演出プランの打ち合わせ
ゴジラと戦うのは、実制作のような感じで見られるのではないか。

ゴジラにどう対処するにも、一つの映画を作るにも
膨大な人の存在と会議と、組織と組織のシステム構築が必要なのだ。
ゴジラに対処するのも、映画を作るのも一緒であり、つまりは戦争なのである。

例えるなら

東宝=日本政府
ゴジラ製作=ゴジラへの対処
庵野監督=矢口

みたいな見立てもできるかもしれない。

物語の中心にいる矢口は、庵野監督の自己投影先だと思う。
つまりはゴジラが実際に現れたら庵野監督ならこう動くという
存在が矢口だったのではないかと思う。

まとめ シン・ゴジラとは何か

ゴジラとは何か。
それはその時代に生きる我々に核の問題を突きつける存在なのだと思う。

初作の1954年ゴジラと本作の2016年シン・ゴジラでは
時代状況も社会経済のシステムも全く異なる、
しかし核の問題とゴジラが起こす恐怖を常に突きつけている点では同じである。

ゴジラがいつの時代でも人を惹きつけるのは、
決して無縁ではいられない問題を突きつけているからではないかと思った。
核ある限り、ゴジラは存在するのだと。
 
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[ 2016/07/31 21:16 ] ニュース | TB(1) | CM(0)

夏コミ新刊「トミノ・トミノ・トミノ」の紹介  

今回の夏コミ(C90)にて、富野監督を語る同人誌「トミノ・トミノ・トミノ」を頒布します。

<概要>
無題

頒布日:8月14日(3日目)
スペース:東ポ14a
サークル名:失われた何か
ページ数:22P
頒布価格:200円

本の内容/目次は下記の通り。

無題

当日はぜひお越し下さい。
 
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[ 2016/07/24 17:15 ] ニュース | TB(0) | CM(0)

Zガンダム39話「湖畔」の物語的位置付け 

機動戦士Zガンダム 39話「湖畔」。

湖畔とは、予期せぬ運命的な出会いが訪れる場所。
宇宙と人工的なコロニーとMSと戦艦がひしめく中で
自然を感じさせ、人同士のふれあいが描ける場所。

1stではアムロとララァが始めて出会い、
Zではカミーユとロザミアが始めて出会った。

hakutyo2_3.jpghakutyo_3.jpg

hakutyo3_5.jpghakutyo4_5.jpg

これらの出会いは共に悲劇(女の死)に終わる。
カミーユにとってロザミアの死は、
彼の精神崩壊に及ぶプロセスの中での
最後の決定打として見ている。
39話はこの決定打の始まりでもある。

湖畔とセットで押さえておきたいのが
表現における死の象徴に用いられる白鳥だ。
特に1stの空から湖へ下降していく白鳥の姿は
やがて死にゆくララァの姿を重ねていたのだろうか。

Zでも湖畔で白鳥を出した点では、
ロザミアも死にゆく運命をまず提示したかったのか。

また一羽で飛ぶ1st、複数羽で飛ぶZの差に
個人の物語(1st)と、集団の物語(Z)の差があることも見立てられる。

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余談だが、逆襲のシャアのサントラにはSwan (白鳥)という曲がある。
この曲の後半部分がシャアとアムロの戦闘シーンでかかる。
アムロの夢のシーンでララァ=白鳥を連想させつつ、
白鳥の名を冠した曲で二人が戦う。ララァはいつも二人の間にいるのだ。
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また「湖畔」は悩み揺れるシャアの葛藤を描いた話でもあった。

hakut.jpghakut5.jpg

中立コロニー内にアムロの気配がすると感じてしまったために
流されるままにティターンズと戦闘状態に突入。

本来のシャアであれば、敵のハイザック2機を倒すなど造作もないだろうが
不利な状況と、近くにいたハマーンのプレッシャーを感じたのもあってか
結果的にコロニーを滅茶苦茶にしてしまった。

ダカールの演説が成功に終わり、一つ新しいステップを踏み始めたシャアだが
レコアの件もあってか、本調子にはまだ程遠い感じ。

まとめ

カミーユの新しい出会いと、シャアの苦悩。
どちらの出来事も、湖畔という場所を通して
Zガンダムの悲劇性を積み上げるエピソードの一つとして描かれたと思う。
 
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[ 2016/07/18 18:30 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)

「甘々と稲妻」と美味しいご飯 

美味しいご飯を食べれば幸腹になれる。

おかずに手間を加えても、肝心なのはご飯の美味しさ。
本当に美味しいご飯なら、ご飯だけでもペロリと食べられる。
そんな物語が見られたのが「甘々と稲妻」。

amama1.jpg

ご飯を美味しそうに食べるつむぎ。
子供(つむぎ)にこんな美味しそうな顔をされたら、
親からすれば、心動かさずにはいられないだろう。
※親視点で見ていました…

amaama1-1-compressor.gif

炊き上がった瞬間の米が立っているシーン。
この絵を見ながら「米が立っていて美味しそう」と感動した。

食べ物が美味しそうに見えるかそうでないかは
描き手の資質による部分が大きいのだが、
「甘々と稲妻」の場合は美味しく見える方。

あとはつむぎがご飯を食べるシーンが良かった。

amaama1-5-compressor.gif

口の動かし方が上手いなぁと。
あと感動を全身で表しているのも良い。

何より美味しそうに食べているのを見ると、
こっちまで美味しいご飯を食べたくなってしまう。

1話はつむぎも公平も味気ないコンビニ飯も食べていたりと
どこか満たされない感じの食事シーンもあった。
そして公平に思いがある小鳥のご飯が
二人の心を炊き上がるご飯の湯気のように暖かく包みこむことで、
家族を失った公平とつむぎの心を癒していくのだろう。
 
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[ 2016/07/05 21:19 ] ニュース | TB(2) | CM(0)

甲鉄城のカバネリ-恐怖と行き帰りする物語 

まず恐怖を描いたアニメだったと思う。

カバネという異物が襲いかかる恐怖。
カバネの恐怖が、人同士の争いを呼ぶ恐怖。
恐怖が恐怖を呼び、人の尊厳は失われていく。

生駒も最終回直前で一度敗北し、
無力さと絶望と恐怖から尊厳を失うが、自身を取り戻す。
こうした恐怖で喪失したものから、どう立ち直るか。
カバネリの胆はこの点にあったと思う。

美馬は破壊と復讐によって、喪失を埋めようとしたのではないか。
そんな美馬も生駒の執念に冷や汗をかき、
恐怖を覚えつつも、そこで自身を取り戻したのではないかと思う。
最後に生駒を救ったのは美馬が生駒に打った白血漿なのだから。

恐怖からの喪失と回復があれば、
一方で本作は行き帰りする物語でもあった。

物語最後、甲鉄城に戻る生駒・栗栖・無名の3人を
甲鉄城の面々が熱く迎えるシーン。
また振り返ると、生駒は甲鉄城から離れては、
何か変化をして甲鉄城に戻ってくる展開でもあった。

こうした展開の連続は本作は、
行って何かを手に入れ、帰ってくる物語であることを
徹底していたの作劇だった。

生駒と無名の喪失(カバネリ化)と回復(人間に少し戻る)。
恐怖を克服する姫様。
生駒を出迎える甲鉄城の面々(行き帰りする物語)。
最終回の以上のシーンを描くために、本作は物語を紡いできたのではないか。


圧倒的な映像力で、王道的な物語を描こうとしたカバネリ。
彼らの旅はこれからが本番なのだろう。
 
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[ 2016/07/01 06:56 ] ニュース | TB(1) | CM(0)