FC2ブログ

青春の閉塞感と焦燥感-ダーリン・イン・ザ・フランキス 

ダーリン・イン・ザ・フランキスのEDでのイチゴの走りを見ながら
本作は青春の閉塞感と焦燥感を描きたいのかなぁと思った。

イチゴの走りは焦っている、何かから逃げるように見えたからだ。


コドモしかいない閉塞な人間模様
鳥カゴ内だけでの閉塞な世界
そして閉塞な世界から(叫竜によって)外に出られない状況。

3話ではヒロがゼロツーに誘われて始めて都市の景色を見る中で
ゼロツーに外の世界に出てみないみたいな事を言っていた。

このシーンで本作は外へ行きたい、
でもコドモだから行けない(力がない)
話なんだなと思った。

力がないから、焦りイライラする。
ヒロもイチゴもゼロツーもミツルもそれぞれが焦燥感に駆られている。
自分の心の気持ちの整理もできないまま(整理できる言葉も知らない)。

焦燥感がコドモ達自身を追い詰める。
ヒロが絡む事案に敏感に反応しすぎるがあまり
ストレリチアの救援が来た時にヒロとゼロツーが乗ったと思い
ヒロへの気持ちからデルフィニウムを動かせなくなってしまったイチゴ(ゴロー)。

ミツルもヒロに名前をつけてくれたことから始まる羨望と
フランクスに乗れない事がわかってからの失望と反動としてのヒロへの対抗心。
自分の心がわからないまま、その感情に飲み込まれ行動し最後には傷つく。

青春も性についても全く知らない彼ら彼女達が
戦いを通してこうした事に目覚めて外へ行こうとするのが本作の物語の筋なのだろう。
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
[ 2018/01/28 21:37 ] ニュース | TB(1) | CM(0)

ヴァイオレット・エヴァーガーデンをより面白く見る為の提案 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンをどう楽しんだら良いのか。
一つ思いついたので提案してみたい。

vetyan.jpg

それはキャラや設定を京都アニメーションやアニメ作りに置き換えてみることである。

早速置き換えてみよう。

まず

ヴァイオレット・エヴァーガーデン=新人アニメーターもしくはキャラデザの高瀬亜貴子さん
ve1.jpg

ギルベルト(少佐)=堀口悠紀子さん(いない繋がり)
ve5.jpg

クラウディア=石立太一さん
ve3.jpg

自動手記人形=先輩アニメーター
ve2.jpg

客=スポンサー
ve4.jpg

CH郵便社=京都アニメーション
手紙を書く=アニメ作り
ve6.jpg


最初、少佐は上司ということで木上益治さんにしようかと思ったが
「いない」という点に注目した時に、
京アニを退社したと思われる堀口悠紀子さんの方が当てはまるのかなぁと思った。
(まぁ少佐は戻ってきそうな気もするが)

以上のように京アニ関連で置き換えてみた時に大筋はどうなるのか
ポニーキャニオンのニュースサイトに掲載されていた、
本作のストーリーの文を置き換えてみる。

<ストーリー>
かつて「武器」と呼ばれた少女、高瀬亜貴子は、
戦場を離れ京都アニメーションで新たな人生を歩み始めようとしていた。
彼女はそこで相手の想いをすくい上げ言葉を紡ぐ
アニメという仕事に出会い、心を動かされる。
アニメーターとして働き始めた高瀬亜貴子は、
人の心と向き合いながら、さまざまな感情や愛のかたちに触れてく。
あの時の、あの言葉の意味を探しながら。
<了>

なんとなくこれでも意味の通じる話に聞こえる。

よって本作は「愛してる」という言葉の意味を知りたい高瀬さんが
自動手記人形という先輩アニメーターさん達やクラウディア石立さんの協力を得て
手紙を書くというアニメ作りを通して「愛してる」事を知っていく話しなのである。

以上のように置き換えるとより本作がよりクリアに見えるのかもしれない。
この見立てが当たってるかどうかは、今後の展開を見守っていこう。 
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
[ 2018/01/18 19:43 ] ニュース | TB(2) | CM(0)

「ラーメン二郎」が登場したアニメの紹介 

「スペース☆ダンディ」2話を視聴。

内容的には宇宙ラーメン食べ歩き人情紀行みたいな内容だったが、
その中で注目したいのが「ラーメン二郎」をモチーフにした
「ラーメン三郎」が登場していたこと。

supeda2002.jpg

ラーメン二郎がそこそこ好きな私は、ラーメン二郎ネタにどうしても反応してしまう。
今回の記事では私が知っている範囲で、
「ラーメン二郎」が登場したアニメ作品を取り上げていきたい。


①「真・恋姫†無双~乙女大乱~」4話「魏延、一目ぼれするのこと」(2010年4月~)

脚本:雑破業 絵コンテ:藤原良二 演出:井上茜 作画監督:大田謙治 総作画監督:平塚知哉

私がアニメで二郎ネタを初めて見た作品が「真・恋姫†無双~乙女大乱~ 第4話」だ。

razirou001.jpg

razirou002.jpg

razirou000.jpg

架空の世界、しかも中国の三国志をモデルにして
英雄豪傑を女体化した恋姫無双にも関わらず
そんな世界で現実世界のラーメン二郎を出してきたのが、素晴らしい。

このネタを仕込んだのは、脚本の雑破業さん。
雑破業さんは「絶対防衛レヴィアタン」で牛丼や麦茶を登場させるなど
異世界における飯ネタを使うセンスが卓越していると思う。


②「THE IDOLM@STER」15話「みんな揃って、生放送ですよ生放送! 」(2011年7月~)

脚本:高橋龍也 絵コンテ・演出:伊藤祐毅 作画監督:山口智、中路景子

次に二郎ネタと出会ったアニメはアニマス。

「四条貴音のラーメン探訪」という番組の一コーナーで登場。
ここでは「ラーメン二十郎」と呼ばれている。

imasu15010.jpg

この立地の感じだと、店のモデルはラーメン二郎:旧三田本店だと思う。

imasu15011.jpg

見事なまでの野菜タワー。

imasu15012.jpg

美味しそうではあるが、食べるのが大変そうだ。

③「スペース☆ダンディ」2話「幻の宇宙ラーメンを探すじゃんよ」(2014年1月~)

脚本:佐藤大 絵コンテ・演出:山本沙代 作画監督:青山浩行

そして今回の「スペース☆ダンディ」2話。
スペダンでは、野菜タワーと普通っぽい二郎が描かれる。

supeda2001.jpg

野菜タワーをSF的に宇宙人がいる世界の中で描くとこうなるよって感じが面白い。
個人的にはあんまし美味しくみえない…

supeda2000.jpg

これぐらいの量なら食べられそうであり、旨そうでもある。

④よんでますよ、アザゼルさん。Z(2013年4月~) 6話「純天使、ベィビィ」

脚本:後藤みどり 絵コンテ・演出:ひいろゆきな 作画監督:つなきあき、谷口元浩

zirou2016_2.jpg

zirou2016-1_2.jpg

二郎ならぬ一郎で登場。
盛りの量としては、今まで紹介した作品より大人しめ。

⑤サムライフラメンコ 5話「正義とは」(2013年10月~)

脚本:倉田英之 絵コンテ・演出:北條史也 作画監督:山本航、池田早香、袴田祐二

zirou2016-3_2.jpg

出てきたのは、店の外観のみ。ラーメン二郎立川店がモデルとされる。

⑥ラーメン大好き小泉さん 1話
ラーメンが題材のアニメではあるが最初のラーメンから二郎だった。

zirou2018000.jpg

zirou2018-1000.jpg

本家、三田二郎のような立地である。

⑦カードキャプターさくら クリアカード編 11話

脚本:大川七瀬 絵コンテ:夏目真悟 演出・アクション作画監督:菊池聡延
総作画監督:濱田邦彦 作画監督:藤田まり子

zirousakura.jpg

ユエが撮影したものらしい。

まとめ

ラーメン二郎の映像的に盛りの良い点は、絵的に使われやすいという印象を持った。
特に野菜タワーはインパクト大で、絵的にもつ意味でも貢献度が高そうである。

私が知っている中で二郎が出てきたのは以上の作品だが他にもあれば教えてほしい。
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
[ 2018/01/05 23:27 ] ニュース | TB(1) | CM(2)

喪失と結びから観る「君の名は。」 

大ヒット映画、新海誠監督「君の名は」。

default_3e2ba644fc64728af640d2dbccbaa719.jpg

本作では幾度と「結び」というキーワードが語られる。
そして新海作品に通じる「喪失」の物語であった。
今回はこの「結び」「喪失」から「君の名は」を考えてみたい。

「結び」のモチーフ性

まず空の上で二つに別れた
彗星の軌道(動線)こそ、
瀧と三葉の二人の「結び」の最たる象徴だった。
※上の画像が象徴的。

また瀧と三葉でやり取りされた携帯端末のやり取り
※LINE-線-糸

糸守という「糸」の名前。

三葉が瀧に飛騨から東京へ迎う間で生まれる動線、
瀧と三葉が互いを探しに、糸守のご神体ですれ違う動線
※動線を糸に見立てる

物語最後で、瀧と三葉が互いに乗る電車ですれ違うのも、
電車を糸として見立てれば、全て「結び」の一種だと思う。

幾度も幾度も、携帯端末、二人の動線、電車、といった「結び」を通して
瀧と三葉が、組糸のように繋がっていく物語であった。

瀧の腕に付けている紐。
瀧と三葉の身体が入れ替わること。
物語の謎が、一つに結ばれ昇華し、
最後は「名前」というコードを通して、二人は「出会う」資格を得る。


過去の新海作品と君の名はにある「結び」

また過去の新海作品と「君の名は」の間での「結び」という側面もあった。

「言の葉の庭」の雪野百香里が登場(CVは花澤香菜さん)。
もしくは瀧と奥寺に見られる、年上の女性に憧れる年下の少年の関係性。

「ほしのこえ」のウラシマ効果的な、時間軸の違いで生まれる悲劇。

「雲のむこう 約束の場所」で見られた“夢からの目覚め”と符合する
瀧と三葉の入れ替わり(二人共、最初は夢だと思っていた)

「秒速5センチメートル」のラストシーンを彷彿とさせる、瀧と三葉が出会う場所。

「星を追う子供」のビジュアルを彷彿とさせる、糸守のご神体とその周辺。

最後に、瀧の家にあった新海さんが描くネコをあしらったマグカップ。

自身の過去作品のモチーフ・要素・設定と新作を「結び」つける。
その行為は集大成的ともいえるのかもしれない。

私自身、新海さんは前作の問題点を検証し、
新作に反映されるスタイルだと思っている。

作中でも一葉おばあさんがいっていた
過去の宮水家の人間には入れ替わりの現象があり、
このことを聞いた三葉が彗星の落下を教えるためにあったこと。
(一葉⇒二葉⇒三葉・四葉、という名づけ方も、繋がり「結び」を感じる)

このシーンのやりとりは、
過去の作品があったからこそ、今の作品(君の名は)があるメタファーのようにも思える。

こうしたスタイルこそ過去と新作を「結び」つけるといえるのではないだろうか。

「喪失」と「結び」

新海作品で語られる「喪失」。
「喪失」とは、手に入れられたかもしれないものを失った意味での喪失。
そして喪失を取り戻すために動く物語。

どう喪失し、どう喪失を取り戻そうとし、結局喪失心はどう決着つけるのか。
作品ごとで「喪失」の描かれ方は違う。

瀧は三葉を失っていた(糸守の崩壊=喪失)事を知り、
三葉と糸守を救ったものの(喪失を取り戻す)、
互いの存在と名前を忘れる(再び喪失)。

しかし前述した今まで瀧と三葉の二人で起こった「結び」によって
最終的に二人は出会える機会を得られたのだと思う。

「喪失」しても「結び」によって喪失からは解放される。
喪失は結びで乗り越える。そんな風に感じられた。

瀧と三葉、互いに名前を言える時が来た。
ここからが本当の二人の物語の始まり。
「結ばれたこと」を描くのではなく「結ばれるまで」を描く物語。

まとめ

「結び」とは縁でもあると思う。
飛騨のラーメン屋で瀧の絵を見たおじさんが「糸守」だと言った偶然も縁であり
過去の作品との縁があって、「君の名は」がある。

過去と現在の縁、人との繋がりという縁、こうした中に自身(新海誠さん)がいて
作品を作っているのだという決意を見せられたかのような作品だった。

瀧と三葉のお互いの思う様子に涙し、
二人が名前を呼び会える機会を与えられたことに涙した。

2010年代を代表するアニメ映画になるのではという思いと、
今後の大作オリジナルアニメ映画は新海誠さんと細田守さんが
牽引していくのではという確信を抱く作品内容だった。
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
[ 2018/01/03 20:50 ] ニュース | TB(0) | CM(1)

富野由悠季とは何者なのか 

はじめに

富野由悠季はアニメ演出家・監督、原作者・作詞家・小説家である。

goru2000.jpg

国産TVアニメの幕開けの「鉄腕アトム」(1963年)からアニメ制作に携わり
「ガンダム Gのレコンギスタ(Gレコ)」(2014年)までに今に至る。
現在はGレコの劇場版を準備中。

老舗虫プロからサンライズに至る、
日本のテレビアニメの歴史の一つの流れを形成。
作家の福井晴敏は富野を「ガンダムを創った方」と評する。

富野由悠季が何者かと言われれば、
ガンダムの原作者というのが一番通りが良いのではないか。
でもそれだけでまとめるのは、惜しいと思う。

富野演出とは~映像の繋がりを意識した演出

富野由悠季監督作品の演出とは何か。
ベースはエイゼンシュテインのモンタージュ理論。
カットの組み合わせによって最大限の映像効果を求める演出である。
富野の著書「映像の原則」ではこの理論をベースに映像演出法を書いている。

では富野作品から演出例を挙げてみる。「機動戦士ガンダムF91」(1991年)。
主人公シーブックが鉄仮面を倒した後のシーン。

シーブックは、セシリーが鉄仮面によって宇宙に放り投げられたので、
動揺し「セシリー、セシリー」と叫ぶ。
シーブックはいつ敵機が襲ってきてもおかしくない状況ながら、
動揺の為にF91が持っていた武器を機体から放す。

f91-3-iloveimg-compressed.gif

この放された武器をカメラが追いかけ、
敵側のクロスボーン・バンガードのザビーネが乗る機体が
「ガギャーン」という音とともに受け止める。
シーブックが武器を放り投げ、
ザビーネが武器を受け止める映像のつなげ方は、抜群に上手い。

なぜ上手いのか。
シーブックの動揺を描くために武器が投げ捨てられ、
ザビーネが武器を受け止めるのが一連の流れになっており
自然なカット繋ぎになっているからである。

もしシーブックが武器を放り投げて、
ザビーネが武器を受け止めずに後ろからシーブックを発見する繋ぎ方にすれば、
シーブックとザビーネに接点を持たない、繋がりが弱い映像になってしまう。

このシーンは決して本編で目立つ部分ではないが
映像の繋がりによって生まれる面白さを追求した演出だと思う。

映像の繋がりを意識する演出は、「鉄腕アトム」の頃から一貫している。
例えば180話「青騎士」では青騎士が投げた花を
カメラが追いかけた先にアトムがいる演出をしている。

tominoto000.jpg

富野作品で使用される通称「カットイン」と呼ばれる画面分割の演出も、
不要なカットを割らずに映像の連続性を心がけた工夫から生まれた。

富野作品は、富野台詞や富野節、
キャラクターが死ぬ皆殺しの富野といった展開が目立つ。
基本的に富野作品は、映像の連続性を損なわずに演出し
さりげないシーンで演出的に凄いと思わせることもやるので目が離せない。

観念を映像化する富野作品

富野作品では観念やイメージをどう画面に演出するのかに心を砕いてきた。

tomino000.jpg

「機動戦士ガンダム」(1979年)ではアムロとララァが戦闘を通して、
非現実空間でお互いの思念を交流させるシーン。

ララァが死んだ直後ではアップで映ったアムロの目から大波が押し寄せるシーン。
ドズル・ザビの後ろから怨霊のような影がみえるシーン。
人の業をどう描くのか様々な試みをしている。

「伝説巨神イデオン」(1980年)は第六文明人の精神集合体であるイデを描く。
「発動篇」で、姉ハルルに殺されたカララの胎内では、
イデの力でお腹の赤ちゃんは生き続けていた。
他にも地球とバッフクラnの戦いをコントロールし続け、
形のないイデが圧倒的存在感として作品内で君臨し続ける。

「聖戦士ダンバイン」(1983年)では聖戦士のオーラ力を描く。
特に自意識の肥大化がもたらす悲劇を
ジェリル・クチビやトッド・ギネスのハイパー化という設定を用いて描いている。
(ハイパー化は今川泰宏の功績が大きい)
以上のように、富野はアニメという媒体を通して観念的なものを描き続けてきた。

富野台詞・ネーミング

富野作品における富野台詞は、言葉として意味を伝えると同時に、
音の響きを重視し映像とシンクロさせて伝える事を念頭においている。
富野台詞は富野流「映像の原則」に則った映像の連続性を考慮しながら使われる。

また富野作品はネーミングにも拘る。
映像における聞こえ方を念頭に置いた名前。
韻を踏んだような名前(ジュンコ:ジェンコ)。
ダジャレのような名前(ボリノーク・サマーン)。
ひどい名前(ミ・フェラリオ)。
富野作品のネーミングは独特のものがある。

富野監督と映像の原則

富野の著書「映像の原則」では「映像には原則がある」と主張する。
なぜこの本を発表したのか。現場に対する危機意識。
自分の考えを後世に、後進に残したい。様々推測できるだろう。

富野が「映像の原則」にこだわる理由を考えてみる。
まず富野が進学した日本大学芸術学部映像学科で映像のいろはを習得したこと。
学生時代を振り返り、富野は映像制作について自信があると思っていたようだ。

次に入社した虫プロの制作環境だ。
「鉄腕アトム」の制作は日本発の試みであり制作ノウハウが少ない。
かつ極めて多忙なスケジュール。

tominoto4000.jpg

虫プロは、作画枚数を極端に減らす3コマ作画や止め絵・バンクシステムといった、
最小限で効果を上げる手法を生み出す。
東映動画出身の大塚康生曰く「省力アニメーション」という
TVアニメを発明した「鉄腕アトム」の制作現場にいたのが大きい。

厳しい制作環境ながら学生時代に身につけた映像のイロハと
虫プロで叩き込まれたアニメ制作のノウハウを元に
映画として見せるにはどうしたら良いのかを富野は試行錯誤していた。

虫プロを退社後に関わる作品も、制作環境が厳しいものが多かった。
制作環境が厳しい中で、富野は鍛え上げられた。
作品や会社を問わず様々な作品に参加。通称「絵コンテ千本切り」時代である。
この間に制作環境に左右されない自身の「映像の原則」を徹底して磨き上げ、
演出スタイルを確立していったと思う。

「映像の原則」を活用すれば、厳しい制作環境のTVアニメでも映画を作ることができる。
この信念で富野は今までやってきたのだろう。次のように富野は語る。

「アニメは、その映画的なるものの一部でしかないから、僕は、未だにアニメに興味を持つことができず、エイゼンシュテインの時代のモンタージュと映像の弁証法という映像力学をもって監督するだろう。TVアニメ屋として。」(出典:富野由悠季全仕事・1999年)



人との出会い

富野演出を形作ったのは人との出会い。

まず手塚治虫。
「鉄腕アトム」で演出になりたい富野の心意気を汲み演出に抜擢した手塚。
富野はアトムで最も多く演出を担当することになる。

次に虫プロ常務の穴見薫。
富野は虫プロの制作体制に不満を持ち始めただが、
虫プロの現場を経営面から支える穴見は、富野の不満を受け止めていた。

穴見は手塚治虫版ディズニーランド「虫プロランド」の構想を富野に打ち明ける。
富野は感銘し穴見と仕事をしたい(カバン持ちでもいい)と思うようになる。
しかし穴見は亡くなり、穴見の死は富野が虫プロを辞める遠因となる。

虫プロ退社後は、アニメから離れ広告代理店で働き
専門学校でアニメの講師として仕事をする。
その後広告代理店の社長の死によって結局アニメ業界に戻ることになる。

アニメ業界に戻った富野は、出崎統、長浜忠夫、高畑勲、宮崎駿と出会う。
出崎からは「あしたのジョー」(1970年)でアニメでも
演出次第で映画になるという事を学び、
固有の才能を持つ出崎に完膚なきまで叩きのめされたと語る。
ここで出崎統的な立体感ある演出を取り込んでいくことになる。

長浜からは作品の企画の根本を押さえれば、
自分の色が出ることと音響演出の重要性を学ぶ。

「アルプスの少女ハイジ」(1974年)「母をたずねて三千里」(1976年)では
高畑勲から出崎とは別の意味で演出、
自然主義的なリアリズムある映像のつくり方を学ぶ。
富野演出は、出崎の表現主義と高畑の自然主義の融合がベースとなっている。

またタツノコプロではコンテ演出を一貫しての仕事が大きな経験となる。
さらに先ほど挙げた方以外にも様々な作品で絵コンテを切った経験が蓄積となる。

多数の現場を渡り歩き、「海のトリトン」(1972年)
「勇者ライディーン」(1975年)以降、
富野がオリジナルアニメの監督ができる場所として、
虫プロの流れを汲む日本サンライズ、現在のサンライズと出会う。
「無敵超人ザンボット3」(1977年)以降は、
サンライズをメインホームに「機動戦士ガンダム」を生み出していく。

おわりに

福井晴敏が富野を「ガンダムを創った方」と評したが、歴史的にはこの指摘が正しい。
それでも私は富野をまず「演出家」「監督」として位置づけて捉えていきたいと思う。
それは監督自身が自身を「作家」ではなく「職人」であることに矜持があるから。

富野作品を好きなのは、組織と人の業を希望も絶望も全て丸ごと描き続けること。
常に未来への人のあり方を説き、エンタメ感溢れる映像で見せていくことにある。

アニメの面白さとアニメの可能性を見せてくれたのは富野作品だった。
富野作品は年を経れば経るほど面白みを増していく。今後も事あるごとに見ていきたい。
 
このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
[ 2018/01/03 04:37 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)