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ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較 

ダーリン・イン・ザ・フランキスを見終えた。
本作は出会っては引き裂かれ、繋がりたいと思えばまた引き裂かれ、
それでも繋がりを繰り返し求め、その絆は愛に昇華した二人の物語だったと思う。

そしてプラスティック・メモリーズの最終話を見返した。

なぜプラメモを見返したのかといえば、
プラメモの脚本(全話)とダリフラのシリーズ構成・脚本が林直孝さん、
両作がアニプレックスの鳥羽洋典プロデューサーが関わるから。
(アニプレックス製作のオリジナルアニメという点も同じ)
ダリフラの物語を読み解くヒントがプラメモにあることを期待して見返したくなった。


プラメモ最終話のあらすじ↓

ヒロインのギフティア(アンドロイド)であるアイラの耐用期間が近づいていた。
主人公の①ツカサはアイラと遊園地で穏やかで幸せな最後の時間を過ごす
そして観覧車内で②ツカサは「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」と語り
二人は③キスを交わして、アイラは静かに終わりを迎えた。
アイラとの別れから④時が経って、長期出張から戻ったツカサは
⑤新たなギフティアと出会い、握手を交わすのだった。


赤文字にした部分は、ダリフラ最終話の展開に通じそうなところである。

①の「ツカサはアイラと遊園地で~最後の時間を過ごす」は、
ダリフラだと「ヒロとゼロツーが外宇宙でVIRMと戦い最後の時間を過ごす」といえる。

②「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」は、
ダリフラではゼロツーが「いつになってもいい。僕らに魂というのものがあるのなら、
僕はあの星で、もう一度君に出会うよ。」
と言っている。
どちらも会いたいことを望んでいるセリフだ。

③キスはプラメモ・ダリフラどちらもしている。
④もラストエピソードは時間が経過した後を舞台にしている。
プラメモ:長期出張終了後のツカサ
ダリフラ:ヒロとゼロツーの魂が地球に戻って以降の時間

⑤新たなギフティアと出会い、は
ダリフラなら魂が地球に戻ったヒロとゼロツーの再開で締めくくっている。

darihura24-1.jpg

というように、プラメモとダリフラ最終話は
・主人公とヒロインが最後の時間を過ごす点
・またお互い会いたいと願う点
・最後は新たな出会いで終わる
という点でかなり近い最終話だといえる。



darihura24-3.jpg

他にプラメモとダリフラの共通点としてヒロインが人間ではない点(人間に作られた)。
アイラはアンドロイド、ゼロツーは叫竜の姫のクローンとして。
非人間的なヒロインに対し、人間の主人公はどう接するのか。
これが両作品に通じる物語の大枠。

プラメモならツカサがアイラの時間が終りを迎えるまでどうするか。
ダリフラならヒロが叫竜のゼロツーとの接近と疎遠を経験しながらどうするか。
その中で主人公がヒロインとどう近づき、純愛的な関係を築き上げるというのが、
プラメモ・ダリフラという作品だった。

林さん・鳥羽さんが組んだアニプレックスのオリジナルアニメでは
二人の人間・非人間という壁を越えての純愛を描きたいのだと、
プラメモ及びダリフラを見て思える。


ダリフラ最終話は穏やかだった。
VIRMとの戦闘もプラメモを見返した後だと、
プラメモのツカサとアイラの遊園地でのデートと同じように思え、
戦いもデートのように見えてしまう。

老化が先行したイクノも生き残り、地球には緑が戻り、最後に二人は再開する。
過酷な戦いを乗り越えた先にある幸せな時間。
ヒロとゼロツーの物語は始まったのだと思う。 
 
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ダーリン・イン・ザ・フランキスの作品構造-若さと親密と疎遠の物語 

ダリフラの23話を見て、若い作品だと思った。

それは物語が思春期の若いヒロとゼロツーの関係に集約されていること。
どういうことか本作の物語を振り返る。

まずヒロとゼロツーが接近して親密になると
ストレリチアに力が与えられて敵を倒す事が可能になる。
次に13部隊・オトナ達・敵・お互いが知らない部分の無理解など、
二人の関係を引き裂く・失わせる展開が働いて、
ヒロとゼロツーの関係が物理的・精神的に疎遠・後退する。

しかしこの疎遠になった関係を、ヒロもしくはゼロツーが修復しようとして
さらに関係を親密になることで、さらにストレリチアが強くなって敵を倒す。
具体的には下記表のように物語は展開する。

darihurakouzou.jpg

この親密→敵を倒す→疎遠→親密→敵を倒す(パワーアップ)
という展開が繰り返され、ついに真・アパスになったのが今回だ。

darihura23.jpg
※神々しさが表現されているようなゼロツーの表情

ヒロはゼロツーが全て、ゼロツーもヒロが全て。
この自分の全てを相手に賭けるような求め方。
若い時の恋する事が人生の全てのように感じる思春期の物語という点、
恋の成就で未来を切り開く点で、
ダリフラという作品の若さを感じずにはいられない。


ロボットアニメは過去作品の作風や設定の影響下を受けやすい。
むしろ作り手側も過去作品を自覚的に取り入れて作るケースも見られる。
ダリフラも、制作会社ガイナからトリガーの、
トップ→エヴァ→トップ2→グレンラガン→ダリフラの流れに位置づけられるだろう。

特に長い間アニメを見ている方は
ダリフラを見ていて過去作品の影響がちらつくことがあるだろう。

しかしダリフラの二人の今の関係性だけが全てという作風は、
過去作品の影響を気にしなくても良いのではという感じ方をさせる。
それはダリフラの視聴対象層が、彼ら13部隊と同年代の若い層、
特に過去作品に触れていない層をターゲットにしていると感じさせるから。

だからトップもエヴァもグレンラガンも知らない若い方からすれば
ダリフラをヒロとゼロツーの関係に焦点を絞って共感して見ていたのではないかと思う。

こうした思春期な二人の親密と疎遠を繰り返す展開を
性的モチーフを組み入れたロボット(フランクス)を交えながら描いたのが
ダーリン・イン・ザ・フランキスなのだと改めてわかった。
 
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