今回は黒猫が良い所を掻っ攫いました!!
彼女の魅力が伝わってきます!!アニメオリジナル回でした。
内容には賛否両論ありそうですが、
賛否は問わずに、描かれた内容を中庸な視点で見ていきます。
感想「ヒロインが描いた小説のアニメ化する経緯を描く」というまぁメタな展開でしたね。
原作を知らない私は
「これはオリジナル回臭いなぁ。でも原作にあったらどうしようか」と思ってみてましたが、どうやらアニメオリジナルのようです。
個人的には視聴者をミスリードさせたい意図が、色々見受けられたように感じました。
例えば、原作に冷淡な姿勢をとるアニメスタッフの方々(特に構成)。
アニメスタッフから見たら、迷惑的としか思えない原作者である桐乃の主張。
そしてアニメスタッフの描き方、スタッフ・桐乃の主張もどこかステレオタイプ。
ネットで知りえる情報を基にして、わざわざ描いたかのような展開でした。
違和感を当たえるような描き方でした。
だから、物語の本筋でいえば彼らの主張の内容の是非がメインではなく
いつものように京介が桐乃の為に体を張る熱意を見るべきなのでしょう。基本的に
「俺の妹はこんなに可愛いわけがない」は
「無茶を通して道理を引っ込める」展開の作品だと思っています。
理屈や整合性・道理が物語を展開させるわけでなく、
京介の無茶な熱意が世界を動かす作品なのだと思います。


または黒猫の可愛いさを楽しむという視聴も十分にアリです。
この回の決着もアニメスタッフ側が半ば生贄的な存在になって、
京介と黒猫の主張を押し通す形になりました。
今回、このパターンが違うのは桐乃の為に体を張ったのが
京介だけではなく黒猫も体を張った点にあるのでしょうね。桐乃はどこまでもウザク・それでいて容姿端麗・才能に溢れているという
視聴者から見ると感情移入しづらい面もある困ったキャラですが、
作品中のキャラみんなに愛されていますね。
この視聴者と作品内のキャラの桐乃に対する温度差も興味深いです。アニメオリジナル回なのに作品中でスタッフが良く描かれないという
自虐的な態度な感じもしますが、ただ自虐的に見せつつ
スタッフ側の主張を奥底に混ぜ込むというスタンスに見えました。
今回、原作アニメのオリジナル展開で原作改変の是非を問う話というのは
中々にアクロバティックな批評視線だと思います。 先週ぐらいに私はツイッターで
「俺妹」のある種ステレオタイプな作風を
脚本担当でかなりのガチオタと予想される倉田英之はどう見てるのかね。
と書きました。
http://twitter.com/ohagi23/status/4086569166176257基本的には毎回、倉田英之は批評的に原作のシナリオを書いていると思いますが
今回はかなり倉田目線、倉田英之の批評的視座が入っていたと思います。
とはいっても、アニメオリジナルでありながら原作は原作として存在し影響されます。
この原作の影響ありながら、倉田や他スタッフの自意識も入りながら、
様々な自意識が混濁した内容として伝わってきました。
特に黒猫が後半、アニメスタッフに啖呵をきった主張だった
「桐乃の作品と比較して、自分が全く注目されない、構成の人も売れていない等々」のくだりは複数の視点が入っていて、内容が濃かったなぁと思いました。
また黒猫は京介に
「何で妹の為にそんなに体を張っているの」と問い
京介は
「妹だから」と返しましたが、この黒猫の質問はスタッフの視点だったと思います。
まるでアニメスタッフが原作者にしているかのような内容でした。
今回は色々な視点が存在しているのでしょうね。それは劇中内では
1 アニメ原作者である桐乃の視点(どこまでもウザイ存在)
2 アニメスタッフの視点(冷淡)
3 京介、黒猫の視点(落ち込む桐乃に溜飲を下げつつ、でも釈然としない)
といった視点で描かれながら
1 視聴者
2 アニメスタッフ
3 原作者・原作
この3つの目線が相互に絡んだ展開のように見えました。
という意味で今回は視聴者・作り手・原作者の様々な思惑が重なったお話でしたね。
だからとても「語る」には語りやすい内容だったと思います。
好き嫌いは別として。
今回のようなお話がオリジナルエピソードで挿入されるのも、
いわゆる
「原作レイプ」に代表されるように
アニメと原作の関係を気にする視聴者が増えているからでしょう。最近は原作者が好意的にアニメ制作に参加される方もいますが、
この作品(伏見つかささん)はどう参加されているのか。
また、今回のような話をどう思っているのですかね。
余談ですが、私が好きな富野由悠季監督はあるシンポジウムで
「銀河鉄道999」で有名な
マンガ原作者である松本零士さんがいるにも関わらず、
「原作者なんて死んでしまえばいい」と発言した事があります。
ちょっと別の視点も紹介します。特に映像面からの視点です。

桐乃・京介・黒猫・沙織たちがそれぞれ話している中で
画面後ろでロボットアニメが上映されています。
この劇中劇の意味を考えるに今回の内容は、メインのお話も劇中劇でありメタである
側面がある事を繰り返し強調しているように見えました。
桐乃の作品がアニメ化される展開の中でロボットアニメが流される状況下の中で
フィクション世界の住人である劇中内のキャラクターが
さも現実世界にあるアニメ制作についての薀蓄や状況をリアリティをもって話している。
これは現実とフィクションを混在させた世界に視聴者を誘おうとする魂胆なのでしょう。
俺妹は現実的にも「あるある」と思わせるリアリティ感を感じさせる事が
重要だと思いますが、このシーン達は「あるある」感を視聴者に感じさせています。それにしても手前の画面では作中のキャラが芝居を行い、
後ろの画面ではクオリティの高いロボットアニメが放映されている。
作画監督には渡部圭祐氏を参加させる気合の入れようです。
中々豪華な画面作りではないでしょうか。
メタ展開はこれぐらい、画面作りを底上げしないと成立し得ないともいえるでしょう。
- 関連記事
-
感想「ヒロインが描いた小説のアニメ化する経緯を描く」というまぁメタな展開でしたね。
原作を知らない私は
「これはオリジナル回臭いなぁ。でも原作にあったらどうしようか」と思ってみてましたが、どうやらアニメオリジナルのようです。
個人的には視聴者をミスリードさせたい意図が、色々見受けられたように感じました。
例えば、原作に冷淡な姿勢をとるアニメスタッフの方々(特に構成)。
アニメスタッフから見たら、迷惑的としか思えない原作者である桐乃の主張。
そしてアニメスタッフの描き方、スタッフ・桐乃の主張もどこかステレオタイプ。
ネットで知りえる情報を基にして、わざわざ描いたかのような展開でした。
違和感を当たえるような描き方でした。
だから、物語の本筋でいえば彼らの主張の内容の是非がメインではなく
いつものように京介が桐乃の為に体を張る熱意を見るべきなのでしょう。基本的に
「俺の妹はこんなに可愛いわけがない」は
「無茶を通して道理を引っ込める」展開の作品だと思っています。
理屈や整合性・道理が物語を展開させるわけでなく、
京介の無茶な熱意が世界を動かす作品なのだと思います。


または黒猫の可愛いさを楽しむという視聴も十分にアリです。
この回の決着もアニメスタッフ側が半ば生贄的な存在になって、
京介と黒猫の主張を押し通す形になりました。
今回、このパターンが違うのは桐乃の為に体を張ったのが
京介だけではなく黒猫も体を張った点にあるのでしょうね。桐乃はどこまでもウザク・それでいて容姿端麗・才能に溢れているという
視聴者から見ると感情移入しづらい面もある困ったキャラですが、
作品中のキャラみんなに愛されていますね。
この視聴者と作品内のキャラの桐乃に対する温度差も興味深いです。アニメオリジナル回なのに作品中でスタッフが良く描かれないという
自虐的な態度な感じもしますが、ただ自虐的に見せつつ
スタッフ側の主張を奥底に混ぜ込むというスタンスに見えました。
今回、原作アニメのオリジナル展開で原作改変の是非を問う話というのは
中々にアクロバティックな批評視線だと思います。 先週ぐらいに私はツイッターで
「俺妹」のある種ステレオタイプな作風を
脚本担当でかなりのガチオタと予想される倉田英之はどう見てるのかね。
と書きました。
http://twitter.com/ohagi23/status/4086569166176257基本的には毎回、倉田英之は批評的に原作のシナリオを書いていると思いますが
今回はかなり倉田目線、倉田英之の批評的視座が入っていたと思います。
とはいっても、アニメオリジナルでありながら原作は原作として存在し影響されます。
この原作の影響ありながら、倉田や他スタッフの自意識も入りながら、
様々な自意識が混濁した内容として伝わってきました。
特に黒猫が後半、アニメスタッフに啖呵をきった主張だった
「桐乃の作品と比較して、自分が全く注目されない、構成の人も売れていない等々」のくだりは複数の視点が入っていて、内容が濃かったなぁと思いました。
また黒猫は京介に
「何で妹の為にそんなに体を張っているの」と問い
京介は
「妹だから」と返しましたが、この黒猫の質問はスタッフの視点だったと思います。
まるでアニメスタッフが原作者にしているかのような内容でした。
今回は色々な視点が存在しているのでしょうね。それは劇中内では
1 アニメ原作者である桐乃の視点(どこまでもウザイ存在)
2 アニメスタッフの視点(冷淡)
3 京介、黒猫の視点(落ち込む桐乃に溜飲を下げつつ、でも釈然としない)
といった視点で描かれながら
1 視聴者
2 アニメスタッフ
3 原作者・原作
この3つの目線が相互に絡んだ展開のように見えました。
という意味で今回は視聴者・作り手・原作者の様々な思惑が重なったお話でしたね。
だからとても「語る」には語りやすい内容だったと思います。
好き嫌いは別として。
今回のようなお話がオリジナルエピソードで挿入されるのも、
いわゆる
「原作レイプ」に代表されるように
アニメと原作の関係を気にする視聴者が増えているからでしょう。最近は原作者が好意的にアニメ制作に参加される方もいますが、
この作品(伏見つかささん)はどう参加されているのか。
また、今回のような話をどう思っているのですかね。
余談ですが、私が好きな富野由悠季監督はあるシンポジウムで
「銀河鉄道999」で有名な
マンガ原作者である松本零士さんがいるにも関わらず、
「原作者なんて死んでしまえばいい」と発言した事があります。
ちょっと別の視点も紹介します。特に映像面からの視点です。

桐乃・京介・黒猫・沙織たちがそれぞれ話している中で
画面後ろでロボットアニメが上映されています。
この劇中劇の意味を考えるに今回の内容は、メインのお話も劇中劇でありメタである
側面がある事を繰り返し強調しているように見えました。
桐乃の作品がアニメ化される展開の中でロボットアニメが流される状況下の中で
フィクション世界の住人である劇中内のキャラクターが
さも現実世界にあるアニメ制作についての薀蓄や状況をリアリティをもって話している。
これは現実とフィクションを混在させた世界に視聴者を誘おうとする魂胆なのでしょう。
俺妹は現実的にも「あるある」と思わせるリアリティ感を感じさせる事が
重要だと思いますが、このシーン達は「あるある」感を視聴者に感じさせています。それにしても手前の画面では作中のキャラが芝居を行い、
後ろの画面ではクオリティの高いロボットアニメが放映されている。
作画監督には渡部圭祐氏を参加させる気合の入れようです。
中々豪華な画面作りではないでしょうか。
メタ展開はこれぐらい、画面作りを底上げしないと成立し得ないともいえるでしょう。
- 関連記事
-
原作云々は否定的ではありません。
原作がきわどかったりしたら内容を変えても良いのでは?