「人生相談あるんだけど」
桐乃のこの言葉は京介を呼んでしまう
魔法のランプみたいな言葉ですね。
この「人生相談あるんだけど」という言葉を
桐乃が京介に対して自覚的に使っているのかどうか。
まぁ半分は自覚的で半分は無自覚に使っていると思います。
この曖昧さがこの作品の魅力なのでしょう。
感想サブタイトルから察するに桐乃と京介の関係はこれからも続いていく事なのでしょう。人生相談が今回だけで3回あったという事で、それだけ桐乃も今回は
人生相談したかったのでしょう(特に1回目と2回目)
桐乃がアメリカ留学→留学しないという話になりました。
留学という展開は唐突ですが、留学を取りやめるのもまたアクロバティックでした。
京介と桐乃が秘密を共有したのは9ヶ月前。この時期には留学を決めたのでしょうかね。
留学が決まったから、兄貴に秘密を打ち明けたのかなっても思いました。
最終話は作画が1話並に良かったですね。特に高坂家という空間を様々なショットで表現していたように思えます。


個人的には最初の朝食シーンが好きですね。
カウンター越しに桐乃がご飯を運ぶ姿が朝食という日常を上手く切り取っています。
食事シーンをきちんと描くと、作品世界の日常感のレベルが一段と増します。
まとめキャラクターが屹立していた作品という事に尽きるでしょう。
もっといえば、キャラクターの勝利です。アキバblogでは、俺妹の同人誌が圧倒的に数が増えているという事ですし、
コミケでも今期のアニメの中で一番描くサークルさんが多いようです。
こうした層に正しくアピールできた意味では成功ではないでしょうか。
内容が内容だけに(2次的な意味で)キャラクターを消費しやすい作品で
ある事をアニメによって知らしめた作品だったと思います。
またネット上の議論も活発だったように見るだけではなくて、
語りやすい・語って面白い作品なのだと思います。
一方でキャラクター達の中身・実像がなかなか見えてこない点が面白かったです。特にメインの桐乃と京介。彼らが本当に何を想い、どう行動しているかが気になります。
それ以上に重要なのは、映し出される個々の描写自体が果たして真実なのかどうか。
実はこの部分も怪しいのではとすら思えるようになりました。
・京介から見える桐乃像
・桐乃から見る京介像
原作はどうであれ、アニメにおいてはこの2つの視点が一方通行であり
お互いに噛みあわせないようにしていた作風だったような気がします。
一方で京介が桐乃が自分達が何を考えているのかをわかっていない感じもあるでしょう。
これはお互いがお互いを理解しきれないジレンマを表現したのか、
それとも思春期特有の自意識の肥大によって、他者を客観的に見られないのか。
一ついえるのは、二人のもやもや続く関係が作品を面白くしてくれたって事でしょう。とにかく、解釈できそうな情報は画面中に与えるだけ与えておき、
視聴者にキャラクターに多様性を与えているように受け取れる意味で
少なくとも話題作りと商業的には成功しているように思えます。
私としてはこの作品はキャラクター・物語の多様な解釈を与える事自体が目的であり、
多様な解釈を提供する事によって原作に興味を抱かせたい形にしたいと考えています。だからといって、原作が答えを書いているわけではないでしょうが。
ただ桐乃というキャラクターを制御することは難しかったのでしょう。これは最近、倉田英之が
「動かすと桐乃が可愛く見える。だから可愛くさせないようにした」というような趣旨の発言をしている事から伺えます。
つまり普通に描いてしまうと可愛く見えすぎてしまい、作品の趣旨が変わる所もあるので、
あえて可愛く見せない部分を強調したということなのでしょう。
この倉田の指摘自体がアニメーションの魅力を表現しているのでもありますが、
一方ではアニメの表現の威力が強く、作り手では制御できない部分がある事を意味します。
それだけ絵を動かすアニメの威力が視聴者が思っている以上に大きいのでしょう。アニメは可愛いものはより可愛く、カッコイイものはカッコ良く出来る表現なのです。
私はそれを理解したのはキングゲイナーというロボットアニメを通してでした。
話自体はネットであと何話かあるみたいなので、
そこでキャラクターの答えを出すのか出さないのか。
まぁ出す出さないのかどっちでも良いのですが、描かれ方には注目ですね。
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感想サブタイトルから察するに桐乃と京介の関係はこれからも続いていく事なのでしょう。人生相談が今回だけで3回あったという事で、それだけ桐乃も今回は
人生相談したかったのでしょう(特に1回目と2回目)
桐乃がアメリカ留学→留学しないという話になりました。
留学という展開は唐突ですが、留学を取りやめるのもまたアクロバティックでした。
京介と桐乃が秘密を共有したのは9ヶ月前。この時期には留学を決めたのでしょうかね。
留学が決まったから、兄貴に秘密を打ち明けたのかなっても思いました。
最終話は作画が1話並に良かったですね。特に高坂家という空間を様々なショットで表現していたように思えます。


個人的には最初の朝食シーンが好きですね。
カウンター越しに桐乃がご飯を運ぶ姿が朝食という日常を上手く切り取っています。
食事シーンをきちんと描くと、作品世界の日常感のレベルが一段と増します。
まとめキャラクターが屹立していた作品という事に尽きるでしょう。
もっといえば、キャラクターの勝利です。アキバblogでは、俺妹の同人誌が圧倒的に数が増えているという事ですし、
コミケでも今期のアニメの中で一番描くサークルさんが多いようです。
こうした層に正しくアピールできた意味では成功ではないでしょうか。
内容が内容だけに(2次的な意味で)キャラクターを消費しやすい作品で
ある事をアニメによって知らしめた作品だったと思います。
またネット上の議論も活発だったように見るだけではなくて、
語りやすい・語って面白い作品なのだと思います。
一方でキャラクター達の中身・実像がなかなか見えてこない点が面白かったです。特にメインの桐乃と京介。彼らが本当に何を想い、どう行動しているかが気になります。
それ以上に重要なのは、映し出される個々の描写自体が果たして真実なのかどうか。
実はこの部分も怪しいのではとすら思えるようになりました。
・京介から見える桐乃像
・桐乃から見る京介像
原作はどうであれ、アニメにおいてはこの2つの視点が一方通行であり
お互いに噛みあわせないようにしていた作風だったような気がします。
一方で京介が桐乃が自分達が何を考えているのかをわかっていない感じもあるでしょう。
これはお互いがお互いを理解しきれないジレンマを表現したのか、
それとも思春期特有の自意識の肥大によって、他者を客観的に見られないのか。
一ついえるのは、二人のもやもや続く関係が作品を面白くしてくれたって事でしょう。とにかく、解釈できそうな情報は画面中に与えるだけ与えておき、
視聴者にキャラクターに多様性を与えているように受け取れる意味で
少なくとも話題作りと商業的には成功しているように思えます。
私としてはこの作品はキャラクター・物語の多様な解釈を与える事自体が目的であり、
多様な解釈を提供する事によって原作に興味を抱かせたい形にしたいと考えています。だからといって、原作が答えを書いているわけではないでしょうが。
ただ桐乃というキャラクターを制御することは難しかったのでしょう。これは最近、倉田英之が
「動かすと桐乃が可愛く見える。だから可愛くさせないようにした」というような趣旨の発言をしている事から伺えます。
つまり普通に描いてしまうと可愛く見えすぎてしまい、作品の趣旨が変わる所もあるので、
あえて可愛く見せない部分を強調したということなのでしょう。
この倉田の指摘自体がアニメーションの魅力を表現しているのでもありますが、
一方ではアニメの表現の威力が強く、作り手では制御できない部分がある事を意味します。
それだけ絵を動かすアニメの威力が視聴者が思っている以上に大きいのでしょう。アニメは可愛いものはより可愛く、カッコイイものはカッコ良く出来る表現なのです。
私はそれを理解したのはキングゲイナーというロボットアニメを通してでした。
話自体はネットであと何話かあるみたいなので、
そこでキャラクターの答えを出すのか出さないのか。
まぁ出す出さないのかどっちでも良いのですが、描かれ方には注目ですね。
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