星の祭りは人を洗脳するシステムだった。
この酷い現実をクレインは突きつけられます。
「人は放っておくと人は余分な事を考える。だから洗脳する」
という祭りのシステムには結構ショッキングでしたね。
今の日本も星の祭りで祈っている人々なのかもしれません。
感想
ネッサが可愛い!!まずここが大切でしょう!!
そして物語は今まで積み重ねてきた前提を壊す方向性でした。
クレインは日本の若者の縮図?
今回でわかるように、クレインはフラクタル世界の純粋な享受者でした。
与えられた世界に対して、それを上手く使いこなす存在であり、
その世界そのものに疑いを持たなかったのです。
彼は今までフラクタル世界を純粋に信仰していたといえます。
そんな彼の信仰というか前提が壊れていく様を描いたのが今回でした。
純粋にアイドルに憧れていた少年が知った、芸能界の裏の真実のような展開です。

(見たくないものを見せられている感じが出ていて良いですね。この描写)
フラクタルは今の日本社会と連想させる描写が多いです。
フラクタルシステムが、この社会で起きている
ゼロサム社会、工業化・機械化・ネット社会の伸長といった
要素を考慮されたものだとは思います。
今の停滞状況の日本とフラクタルの世界を比較すると
クレインは今の日本社会の若者の象徴なのでしょうか。

クレインを見ていると
「不思議の海のナディア」のジャンを思い出しますね。
ジャンもフラクタル世界ではないですが「科学」を信じていました。
ジャンは「科学」が人を幸せにするという事を純粋に思っていた少年でした。
ただ
「不思議の海のナディア」は「科学」が人を幸せにしない、
むしろ不幸にする事を正面切ってでは無いですが、丹念に描いてきました。
そして物語の最後は
「科学万能主義が良いわけではない話」にテーマ的には収束します。
今回のクレインが体験しているのもジャンと同じで
自分の信じているものが壊れていく体験なのでしょうね。
そしてフラクタルは日本の社会経済の総合的なシステムの現状と今後を
SFを用いて象徴的に描いていくのでしょうね。
本来、SFはこうした現状から未来を描き出す表現として有効だと思うのです。
クレインが今後進む道が日本社会の行く末の一つを提示するのでしょうか。
岡田磨里はエロいのか?
今回、
「マグロだ」「エッチなことのし過ぎ」「パンツの色が知りたい」といったようにちょっと際どい台詞がいっぱい出てきています。
私が思うに脚本の岡田磨里さんはこういった下ネタが好きなのかと思いました。
そういえば
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」という新作が
今後、彼女の仕事でありますが、この作品の女キャラに岡田さんは
「アナル」と名付けています。
そして頑としてこの名前でいくと岡田さんは主張しているようです。
曰く
「この作品の最大のキモ」だとも言っているようです。
やはり岡田さんは下ネタっぽい事も好きなのでしょうかねぇと思ってしまいました。
ヤマカンの場外乱闘
今週の24日、ヤマカンのブログの書き込みで
「引退してください」と書き込まれ、
ヤマカンが引退すると書き込みに応酬しました。ヤマカンの書き込みでは
プロデューサーに引退を相談したが却下されたといわれたようです。
そして、ネットでの騒動の責任を取ってブログの閉鎖をしました。
この昭和のプロレスのような出来の良すぎる展開。多少疑問も感じます。
まずあのブログの書き込みが認証制だからです。
だから引退しろという書き込みも、ヤマカン自らが了承して載せているわけです。
つまり「引退しろ」との書き込みも、自作自演の疑いも晴れません。
また口が軽いヤマカンの発言する場を減らす為に
ヤマカンより上の上層部がこの件を企んだのかもしれません。
まぁ真実はいつも闇の中ですが、ヤマカンはとにかく体を張って
この作品を内容以外でも盛り上げようと一生懸命なのでしょうね。
まとめ
3話で物語展開のギアを上げて来た感じです。
1話・2話で作品世界の一見平和的な舞台背景や生活を見せておき
3話ではその世界が行き詰っている事を指し示しました。

1話・2話の牧歌的な展開を散々見せておいて、さらにトドメとして
今回のグラニッツ村の人々の本当に牧歌的で前近代的な生活を見せておいた後の
グラニッツ村の住人による銃殺シーンの落差はとても良く描けていたような気がします。一応ショッキングなシーンにはなっていますね。
描写もわざわざグロく描かれていますね。生々しいです。


アニメってタイミングもあるのだなぁと個人的には感じました。
もしこの放映が1週間早かったら、もう少し話題になったのかなぁとか思います。
でもまどか☆マギカの展開によって話題を総取りにされている感はあります。
今回のフラクタルを見ていると、人間らしく生きるとはどんな事なのか。
その為の社会システムは、どうあるべきなのかを考えさせられてしまいます。人を幸せにしようとするシステムが逆に人を不幸にする事もあるのでしょう。
かつての共産主義も、最初は人を幸せにしたいと願って考えられたのでしょうが
結局はそのシステムを使う人の心持ちや世界の状況で北朝鮮化してしまうのでしょう。
この作品の結末がどこに向かうのかが気になります。
何にしても、面白くなりそうな展開です。
SF的にもいろんな展開が待ち構えていそうです。
- 関連記事
-
感想
ネッサが可愛い!!まずここが大切でしょう!!
そして物語は今まで積み重ねてきた前提を壊す方向性でした。
クレインは日本の若者の縮図?
今回でわかるように、クレインはフラクタル世界の純粋な享受者でした。
与えられた世界に対して、それを上手く使いこなす存在であり、
その世界そのものに疑いを持たなかったのです。
彼は今までフラクタル世界を純粋に信仰していたといえます。
そんな彼の信仰というか前提が壊れていく様を描いたのが今回でした。
純粋にアイドルに憧れていた少年が知った、芸能界の裏の真実のような展開です。

(見たくないものを見せられている感じが出ていて良いですね。この描写)
フラクタルは今の日本社会と連想させる描写が多いです。
フラクタルシステムが、この社会で起きている
ゼロサム社会、工業化・機械化・ネット社会の伸長といった
要素を考慮されたものだとは思います。
今の停滞状況の日本とフラクタルの世界を比較すると
クレインは今の日本社会の若者の象徴なのでしょうか。

クレインを見ていると
「不思議の海のナディア」のジャンを思い出しますね。
ジャンもフラクタル世界ではないですが「科学」を信じていました。
ジャンは「科学」が人を幸せにするという事を純粋に思っていた少年でした。
ただ
「不思議の海のナディア」は「科学」が人を幸せにしない、
むしろ不幸にする事を正面切ってでは無いですが、丹念に描いてきました。
そして物語の最後は
「科学万能主義が良いわけではない話」にテーマ的には収束します。
今回のクレインが体験しているのもジャンと同じで
自分の信じているものが壊れていく体験なのでしょうね。
そしてフラクタルは日本の社会経済の総合的なシステムの現状と今後を
SFを用いて象徴的に描いていくのでしょうね。
本来、SFはこうした現状から未来を描き出す表現として有効だと思うのです。
クレインが今後進む道が日本社会の行く末の一つを提示するのでしょうか。
岡田磨里はエロいのか?
今回、
「マグロだ」「エッチなことのし過ぎ」「パンツの色が知りたい」といったようにちょっと際どい台詞がいっぱい出てきています。
私が思うに脚本の岡田磨里さんはこういった下ネタが好きなのかと思いました。
そういえば
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」という新作が
今後、彼女の仕事でありますが、この作品の女キャラに岡田さんは
「アナル」と名付けています。
そして頑としてこの名前でいくと岡田さんは主張しているようです。
曰く
「この作品の最大のキモ」だとも言っているようです。
やはり岡田さんは下ネタっぽい事も好きなのでしょうかねぇと思ってしまいました。
ヤマカンの場外乱闘
今週の24日、ヤマカンのブログの書き込みで
「引退してください」と書き込まれ、
ヤマカンが引退すると書き込みに応酬しました。ヤマカンの書き込みでは
プロデューサーに引退を相談したが却下されたといわれたようです。
そして、ネットでの騒動の責任を取ってブログの閉鎖をしました。
この昭和のプロレスのような出来の良すぎる展開。多少疑問も感じます。
まずあのブログの書き込みが認証制だからです。
だから引退しろという書き込みも、ヤマカン自らが了承して載せているわけです。
つまり「引退しろ」との書き込みも、自作自演の疑いも晴れません。
また口が軽いヤマカンの発言する場を減らす為に
ヤマカンより上の上層部がこの件を企んだのかもしれません。
まぁ真実はいつも闇の中ですが、ヤマカンはとにかく体を張って
この作品を内容以外でも盛り上げようと一生懸命なのでしょうね。
まとめ
3話で物語展開のギアを上げて来た感じです。
1話・2話で作品世界の一見平和的な舞台背景や生活を見せておき
3話ではその世界が行き詰っている事を指し示しました。

1話・2話の牧歌的な展開を散々見せておいて、さらにトドメとして
今回のグラニッツ村の人々の本当に牧歌的で前近代的な生活を見せておいた後の
グラニッツ村の住人による銃殺シーンの落差はとても良く描けていたような気がします。一応ショッキングなシーンにはなっていますね。
描写もわざわざグロく描かれていますね。生々しいです。


アニメってタイミングもあるのだなぁと個人的には感じました。
もしこの放映が1週間早かったら、もう少し話題になったのかなぁとか思います。
でもまどか☆マギカの展開によって話題を総取りにされている感はあります。
今回のフラクタルを見ていると、人間らしく生きるとはどんな事なのか。
その為の社会システムは、どうあるべきなのかを考えさせられてしまいます。人を幸せにしようとするシステムが逆に人を不幸にする事もあるのでしょう。
かつての共産主義も、最初は人を幸せにしたいと願って考えられたのでしょうが
結局はそのシステムを使う人の心持ちや世界の状況で北朝鮮化してしまうのでしょう。
この作品の結末がどこに向かうのかが気になります。
何にしても、面白くなりそうな展開です。
SF的にもいろんな展開が待ち構えていそうです。
- 関連記事
-
情報の多さと分析の細かさが見事ですね~