まどかが起こした最悪の結果!
一生懸命さがもたらす悲劇と真実の暴露が
今回の話の趣旨でした。
まどかの首の角度が曲がっている点が
自ら行った事の衝撃性を表すかのようでした。
何にしても、ドキドキの展開なので見逃せません。
今回は真実の暴かれ方が面白かったです。
まどか☆マギカはゾンビですか?
「魔法少女っす あとゾンビっす」
今回、衝撃的だった事実。それは魔法少女になると、
人間の魂はソウルジェムに移り変わってしまう事です。
「これはゾンビですか?」では「ゾンビっす、あと魔装少女っす」と歩は言ってますが、
佐倉杏子の言葉を借りるなら、魔法少女達は実質ゾンビ状態である事がわかりました。
つまり魔法少女になる事は、肉体が入れ物になり、人間である前提を失う事だったのです。

この作品は「魔法少女」というタイトルがついています。
魔法少女モノは人でありながら魔法少女になる事で
自分の叶えたい事(夢)を具現化する物語が主でした。
しかし、まどか☆マギカのこの設定は魔法少女として契約する事が
人間としての死であり、人間では無くなる事を意味します。
これは魔法少女として新しい切り口ですが、これも願いを叶える代償なのでしょう。
例えば住宅を購入したいと願う場合、住宅ローンを組みます。
住宅ローンが組めれば、住宅は先に手に入ります。
しかし、その後に待つのはローンを支払う為に働き続けないといけない。
つまりローンを払い続ける事が一種のゾンビ状態(魔法少女)ではないかという事です。
まぁ作り手側がそういった事を意図しているか知りません。
ただ魔法少女になった後、待ちうけているのが、魔法を使う→ソウルジェムが穢される→
グリーフシードを集めてソウルジェムの穢れを浄化→魔法を使う(以下)というループです。
そして彼女達はあの世界の奴隷として死ぬまで一生戦い続けないといけません。
こうしたシステムの奴隷(住宅ローンや魔法少女の世界)という意味で
魔法少女とローンを払う人は同じなのではないかと思ってしまいます。

佐倉杏子は前回、食物連鎖の例えをしていましたが
魔法少女の世界では魔法少女は最下層ぐらいの居場所でしかない。
あの世界を構成するシステムの一部でしかないのではとも考えられます。。
杏子は自分を強者と位置づけていたでしょうが、これは間違いなのかもしれません。
わかってないのはさやかも杏子も一緒だったのではないでしょうか。
魔法少女は本当にゾンビだった。みんなが最善を目指し最悪の結果へ。そして真実へ
今回の物語の最大のキモは、
まどかがさやかのソウルジェムを投げ出す行動に出るまでのプロセスでしょう。
まどかはさやかに杏子とのいざこざを解決しようと試み、対話を進め拒否される。
さやかへかける言葉を失ったまどかは母親にアドバイスを求めます。
母のアドバイスは「(正しい事をする為に)あえて間違った事をすること」でした。
母の大人的なアドバイスは、純粋すぎるまどかに的確なアドバイスだと
視聴者に感じさせておいて、あの最悪な結果になりかねない事態を引き起こす展開。
視聴者の心を上手く誘導していて、上手いなぁと感心してしまいます。


まどか=ジュース=子供
まどか母=ウィスキー=大人
という比喩を用いながら、大人が子供にアドバイスしているぞという演出が面白かったです。
魔法少女というのは大人の階段を登る過程の比喩なのでしょうか。
さて話を戻しますが、
つまり自分なりの最善を尽くしたつもりのまどかの行動は、さやかを殺しかねなかった。
お母さんは「若いうちの失敗はリカバリーが効く」ような事を言いましたが
あそこでまどかがさやかを殺したら、リカバリーは効かなかったでしょう。
そしてまどかの行動で今回わかったのが、みんな事態を打開しようと頑張っているのに
事態を打開できない、むしろ頑張れば頑張るほど最悪に向かっていく構造でした。

まどかもさやかもみんな頑張っています。
しかし、①まどかのさやかに対する純粋性が、今回さやかを殺しかねませんでした。
②さやかのマキの意志を継いで他者を守る姿勢は、杏子に殺されかねませんでした。
こうした彼女達のひたむきさは、死という可能性が常にはらんでいます。
マミや杏子、そしてほむらもみんな一生懸命であり、最善を目指しているのだと思います。
でも最善を尽くせば尽くすほど、泥沼に落ちていく事が描かれたように見えました。
何より最善を尽くした最悪の結果が、魔法少女についての真実を導き出してしまった。
しかしこの真実は魔法少女の杏子にとっても耳の痛い事だった。
そして真実をさやかは聞かなかった点で、彼女には皮肉的な結果に終わったと思いました。
最悪の結果で真実が見える事。世の中そんな事だらけだと思います。
(変な話、世間を騒がしている相撲賭博も最悪の結果わかった真実です)

今回は「みんな頑張れば頑張るほど悪い結果になっていく」事が描かれました。
この事は大人になれば、もしくは仕事をすればよくある事です。
そしてみんなが個々の目的の為に最善を尽くした結果が上手くいかないのは
数学におけるゲーム理論的な世界観だなぁと思いました。
極めてリアリスティック的な結論であり、その世界観がこの作品の面白さです。
またわざと間違った行動を進めるお母さんの発想は、
ゲーム的な発想をしている点でこの世界がゲーム的でもある印象を受けました。
変な話、今回のお母さんのアドバイスはギャルゲーの攻略で
「正攻法以外の選択肢を選んでみたら」という感じにも聞こえました。
QB擁護論
今回、まどかの行動はQBから魔法少女の実体についての真実を引き出す事に成功しました。
視聴者側からすればQBのこの遅すぎる説明は、契約違反だとも非難できますが
QBは人間ではないので人間的な倫理観に基づいた契約などするわけがありません。
つまり人間の価値観ではQBを図れないし、期待するのは間違っているのでしょう。
今回の魂の件も「聞かなかった君達が悪い」ぐらいにしか思っていないでしょう。
個人的にはQBは1話の時に「人間の魂はどうなるの」ってまどか側が聞けば
いくらでも今回のような話をして、答える気がします。

結論。QBは人間的な倫理観や価値観では動いていない。本当に人外の存在です。
でもQBは彼なりの合理性や価値観で動いている。魂をソウルジェムに移すメリットを
饒舌に語った点を見ると、彼は良い事をしていると思っているのは間違いありません。
つまりサブタイトルの「こんなの絶対おかしいよ」とQBに言っても
意味がなく、まどかの悲痛な叫びでしかないのです。
そして考えて見ると、人間の魂がソウルジェムに保管されるなら
魂の在り処を気にしないQBの体は借り物なのではないかと考えるようになりました。
つまり本体は別の場所にあるのかもしれないと考えると
QBは魔女なのかもしれないなんて考えるようになりました。


そして気になったのが、今回さやかがソウルジェムの穢れを吸ったグリーフシードを
処理するとき背中の口に放り込んでいましたが、このQBの背中の模様が
まどかの背中の模様と一致した事に気付きました。この事は設定的に意味がありそうです。
設定的な部分で気になった事
①ワルプルギスの夜とは
果たしてこの1話冒頭のシーンがワルプルギスの夜なのか?
今回ほむらから発せられた
「ワルプルギスの夜」とは何なのでしょうか。
1話冒頭の衝撃的なシーンなのかなぁと連想しました。
ちなみに「ワルプルギスの夜」に関してはてなキーワードには以下のように書かれています。
>魔術や悪魔を祓う魔封じの聖人ワルプルギスの聖なる記念日が五月一日であり、
>その記念日前日四月三十日に魔女・魔術師・魔の諸霊達がブロッケン山
>に集って聖ワルプルギスに対するある種の挑戦としての魔の祝祭
>を行うという伝説が生まれた。四月三十日夜をワルプルギスの夜
>と言い、この日は魔女・魔術師にとって極めて重要な魔の祝祭日である。
>この日は魔女・魔術師が使う力、神に叛く魔力的諸力が増大すると言われている。
またwikiには「ヴァルプルギスの夜」で記述され、以下の記述が興味深いです。
>ゲーテの『ファウスト 第一部』での場面は「ヴァルプルギスの夜」と呼ばれ、
>第二部での場面は「古典的ヴァルプルギスの夜」と呼ばれる。
本作と「ファウスト」の関連性が指摘される点から見て興味深い内容ではあります。
②ほむらの能力は空間転移ある位置からある位置まで移動するような能力でしたね。
ただ描写的に走行中のトラックに追いつくのに苦労していました。
これは変身していなかった事に由来するのでしょうか。


ちなみにほむらが拾ったさやかのソウルジェムからは
かすかな音でしたが心室細動のような音が聞こえるあたり、
本当に魂なんだなぁと思わせる描写が上手いです。
ちなみにほむらの能力はまだまだ隠し持っていそうな気もします。
まとめ
今回見逃せないのが、上條に退院日を知らせてもらってなかったさやかです。
上條には別に好きな人がいるフラグな印象がぬぐえません。
さやかは生き残りましたが、彼女の待つ未来にはもはや暗い結果しか見えませんでした。

今回の事を知っても、さやかや杏子は戦い続けなければいけません。
結局魔法を使えばソウルジェムが汚れますから、戦わないといけないからです。
それは杏子も同じで、生き残るためにソウルジェムが必要になったので
むしろ、より戦いあう必要性が生じたようにも思えました。
また、ほむらがさやかを助けた動機。これも気になります。
まどかがさやかを殺すのはのむらにとって避けたいがたかったのは間違いありません。
もちろんそれはまどかに関係するからなのでしょうが。
そして「ワルプルギスの夜」の到来を事前に察知し、QBにイレギュラーと呼ばれるほむら。
彼女が全てを知っているのは、この世界がループしているのではという印象を持ちます。
ほむらのショット。まどかと同じように首を傾けています。
この両者の共通点は一体何なのでしょうか?今回は、魔法少女の設定に対して、大きな驚きをもたらしました。
3話でマミが死に、6話でさやかは死にかけたというように
3の倍数回で大きな節目を迎えているような気がします。
そうなると次の節目は9話ぐらいに来るのではと勝手に予想していますが、果たしてどうなるか!
楽しみです。
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まどか☆マギカはゾンビですか?
「魔法少女っす あとゾンビっす」
今回、衝撃的だった事実。それは魔法少女になると、
人間の魂はソウルジェムに移り変わってしまう事です。
「これはゾンビですか?」では「ゾンビっす、あと魔装少女っす」と歩は言ってますが、
佐倉杏子の言葉を借りるなら、魔法少女達は実質ゾンビ状態である事がわかりました。
つまり魔法少女になる事は、肉体が入れ物になり、人間である前提を失う事だったのです。

この作品は「魔法少女」というタイトルがついています。
魔法少女モノは人でありながら魔法少女になる事で
自分の叶えたい事(夢)を具現化する物語が主でした。
しかし、まどか☆マギカのこの設定は魔法少女として契約する事が
人間としての死であり、人間では無くなる事を意味します。
これは魔法少女として新しい切り口ですが、これも願いを叶える代償なのでしょう。
例えば住宅を購入したいと願う場合、住宅ローンを組みます。
住宅ローンが組めれば、住宅は先に手に入ります。
しかし、その後に待つのはローンを支払う為に働き続けないといけない。
つまりローンを払い続ける事が一種のゾンビ状態(魔法少女)ではないかという事です。
まぁ作り手側がそういった事を意図しているか知りません。
ただ魔法少女になった後、待ちうけているのが、魔法を使う→ソウルジェムが穢される→
グリーフシードを集めてソウルジェムの穢れを浄化→魔法を使う(以下)というループです。
そして彼女達はあの世界の奴隷として死ぬまで一生戦い続けないといけません。
こうしたシステムの奴隷(住宅ローンや魔法少女の世界)という意味で
魔法少女とローンを払う人は同じなのではないかと思ってしまいます。

佐倉杏子は前回、食物連鎖の例えをしていましたが
魔法少女の世界では魔法少女は最下層ぐらいの居場所でしかない。
あの世界を構成するシステムの一部でしかないのではとも考えられます。。
杏子は自分を強者と位置づけていたでしょうが、これは間違いなのかもしれません。
わかってないのはさやかも杏子も一緒だったのではないでしょうか。
魔法少女は本当にゾンビだった。みんなが最善を目指し最悪の結果へ。そして真実へ
今回の物語の最大のキモは、
まどかがさやかのソウルジェムを投げ出す行動に出るまでのプロセスでしょう。
まどかはさやかに杏子とのいざこざを解決しようと試み、対話を進め拒否される。
さやかへかける言葉を失ったまどかは母親にアドバイスを求めます。
母のアドバイスは「(正しい事をする為に)あえて間違った事をすること」でした。
母の大人的なアドバイスは、純粋すぎるまどかに的確なアドバイスだと
視聴者に感じさせておいて、あの最悪な結果になりかねない事態を引き起こす展開。
視聴者の心を上手く誘導していて、上手いなぁと感心してしまいます。


まどか=ジュース=子供
まどか母=ウィスキー=大人
という比喩を用いながら、大人が子供にアドバイスしているぞという演出が面白かったです。
魔法少女というのは大人の階段を登る過程の比喩なのでしょうか。
さて話を戻しますが、
つまり自分なりの最善を尽くしたつもりのまどかの行動は、さやかを殺しかねなかった。
お母さんは「若いうちの失敗はリカバリーが効く」ような事を言いましたが
あそこでまどかがさやかを殺したら、リカバリーは効かなかったでしょう。
そしてまどかの行動で今回わかったのが、みんな事態を打開しようと頑張っているのに
事態を打開できない、むしろ頑張れば頑張るほど最悪に向かっていく構造でした。

まどかもさやかもみんな頑張っています。
しかし、①まどかのさやかに対する純粋性が、今回さやかを殺しかねませんでした。
②さやかのマキの意志を継いで他者を守る姿勢は、杏子に殺されかねませんでした。
こうした彼女達のひたむきさは、死という可能性が常にはらんでいます。
マミや杏子、そしてほむらもみんな一生懸命であり、最善を目指しているのだと思います。
でも最善を尽くせば尽くすほど、泥沼に落ちていく事が描かれたように見えました。
何より最善を尽くした最悪の結果が、魔法少女についての真実を導き出してしまった。
しかしこの真実は魔法少女の杏子にとっても耳の痛い事だった。
そして真実をさやかは聞かなかった点で、彼女には皮肉的な結果に終わったと思いました。
最悪の結果で真実が見える事。世の中そんな事だらけだと思います。
(変な話、世間を騒がしている相撲賭博も最悪の結果わかった真実です)

今回は「みんな頑張れば頑張るほど悪い結果になっていく」事が描かれました。
この事は大人になれば、もしくは仕事をすればよくある事です。
そしてみんなが個々の目的の為に最善を尽くした結果が上手くいかないのは
数学におけるゲーム理論的な世界観だなぁと思いました。
極めてリアリスティック的な結論であり、その世界観がこの作品の面白さです。
またわざと間違った行動を進めるお母さんの発想は、
ゲーム的な発想をしている点でこの世界がゲーム的でもある印象を受けました。
変な話、今回のお母さんのアドバイスはギャルゲーの攻略で
「正攻法以外の選択肢を選んでみたら」という感じにも聞こえました。
QB擁護論
今回、まどかの行動はQBから魔法少女の実体についての真実を引き出す事に成功しました。
視聴者側からすればQBのこの遅すぎる説明は、契約違反だとも非難できますが
QBは人間ではないので人間的な倫理観に基づいた契約などするわけがありません。
つまり人間の価値観ではQBを図れないし、期待するのは間違っているのでしょう。
今回の魂の件も「聞かなかった君達が悪い」ぐらいにしか思っていないでしょう。
個人的にはQBは1話の時に「人間の魂はどうなるの」ってまどか側が聞けば
いくらでも今回のような話をして、答える気がします。

結論。QBは人間的な倫理観や価値観では動いていない。本当に人外の存在です。
でもQBは彼なりの合理性や価値観で動いている。魂をソウルジェムに移すメリットを
饒舌に語った点を見ると、彼は良い事をしていると思っているのは間違いありません。
つまりサブタイトルの「こんなの絶対おかしいよ」とQBに言っても
意味がなく、まどかの悲痛な叫びでしかないのです。
そして考えて見ると、人間の魂がソウルジェムに保管されるなら
魂の在り処を気にしないQBの体は借り物なのではないかと考えるようになりました。
つまり本体は別の場所にあるのかもしれないと考えると
QBは魔女なのかもしれないなんて考えるようになりました。


そして気になったのが、今回さやかがソウルジェムの穢れを吸ったグリーフシードを
処理するとき背中の口に放り込んでいましたが、このQBの背中の模様が
まどかの背中の模様と一致した事に気付きました。この事は設定的に意味がありそうです。
設定的な部分で気になった事
①ワルプルギスの夜とは
果たしてこの1話冒頭のシーンがワルプルギスの夜なのか?
今回ほむらから発せられた
「ワルプルギスの夜」とは何なのでしょうか。
1話冒頭の衝撃的なシーンなのかなぁと連想しました。
ちなみに「ワルプルギスの夜」に関してはてなキーワードには以下のように書かれています。
>魔術や悪魔を祓う魔封じの聖人ワルプルギスの聖なる記念日が五月一日であり、
>その記念日前日四月三十日に魔女・魔術師・魔の諸霊達がブロッケン山
>に集って聖ワルプルギスに対するある種の挑戦としての魔の祝祭
>を行うという伝説が生まれた。四月三十日夜をワルプルギスの夜
>と言い、この日は魔女・魔術師にとって極めて重要な魔の祝祭日である。
>この日は魔女・魔術師が使う力、神に叛く魔力的諸力が増大すると言われている。
またwikiには「ヴァルプルギスの夜」で記述され、以下の記述が興味深いです。
>ゲーテの『ファウスト 第一部』での場面は「ヴァルプルギスの夜」と呼ばれ、
>第二部での場面は「古典的ヴァルプルギスの夜」と呼ばれる。
本作と「ファウスト」の関連性が指摘される点から見て興味深い内容ではあります。
②ほむらの能力は空間転移ある位置からある位置まで移動するような能力でしたね。
ただ描写的に走行中のトラックに追いつくのに苦労していました。
これは変身していなかった事に由来するのでしょうか。


ちなみにほむらが拾ったさやかのソウルジェムからは
かすかな音でしたが心室細動のような音が聞こえるあたり、
本当に魂なんだなぁと思わせる描写が上手いです。
ちなみにほむらの能力はまだまだ隠し持っていそうな気もします。
まとめ
今回見逃せないのが、上條に退院日を知らせてもらってなかったさやかです。
上條には別に好きな人がいるフラグな印象がぬぐえません。
さやかは生き残りましたが、彼女の待つ未来にはもはや暗い結果しか見えませんでした。

今回の事を知っても、さやかや杏子は戦い続けなければいけません。
結局魔法を使えばソウルジェムが汚れますから、戦わないといけないからです。
それは杏子も同じで、生き残るためにソウルジェムが必要になったので
むしろ、より戦いあう必要性が生じたようにも思えました。
また、ほむらがさやかを助けた動機。これも気になります。
まどかがさやかを殺すのはのむらにとって避けたいがたかったのは間違いありません。
もちろんそれはまどかに関係するからなのでしょうが。
そして「ワルプルギスの夜」の到来を事前に察知し、QBにイレギュラーと呼ばれるほむら。
彼女が全てを知っているのは、この世界がループしているのではという印象を持ちます。
ほむらのショット。まどかと同じように首を傾けています。
この両者の共通点は一体何なのでしょうか?今回は、魔法少女の設定に対して、大きな驚きをもたらしました。
3話でマミが死に、6話でさやかは死にかけたというように
3の倍数回で大きな節目を迎えているような気がします。
そうなると次の節目は9話ぐらいに来るのではと勝手に予想していますが、果たしてどうなるか!
楽しみです。
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2点だけ、気になった所が。走ってるほむらは変身してましたよね?手の甲にソウルジェムが変化したものが見えますし。あと、まどかの制服の背中の模様(?)は、実はボタンがついてて襟周りを広げる服飾的デザイン化と思ってました。違うのかな?他の子も制服はそんな感じだった気が…。