あなるちゃんが可愛いよ。
キャラに力があるよ!
感想みんなでゲームをするのは楽しい!
今回みたいな話のようにみんなで子供の頃のゲームをするって楽しいですね。

例えば私なんかは、大学時代にサークルの部室で部員達が
子供の頃にやったファミコンを持ち込んで、毎日ゲーム三昧だったのを思い出します。
「ゴルフ」「ファミスタ」「ドラクエ」「魔界村」「ドラゴンスレイヤー」等々。
みんながゲームの攻略法や持論を持っていて、語り合うのが面白かったです。
私達は子供の頃「あの花」のメンバーとは違い、別の場所で暮らしていましたが
ゲームという「ツール」「共通体験」を用いる事で、
一つに繋がる事ができる事がわかりました。
今の世代だと「ポケモン」とかになるのでしょう。
そして「あの花」の登場人物たちは、
子供の頃の共通体験だった「ゲーム」を引っ張り出して遊んでいました。
自分達は成長しちゃったけど、ゲームは何も変わらない。
そんな事を感じさせてくれました。
私は今でも「ドラゴンクエスト3」なんかよくやってます。
実写指向というのは、結局は物語指向って事。
よくリアルな話や内容・物語が展開される作品の場合
「実写でやれ」というような意見がよく出てくると思います。
今期でいえば例えば「花咲くいろは」が言われてたような気がします。
(この指摘をすると、岡田磨里さんが実写指向という指摘もされそう)
この意見の是非はともかく、大事なのは物語としての在り方なのでしょうね。
アニメなのに実写的というのは、それだけ現実に肉薄している事でもあるので
強い訴えが感じられるという事でもあるのでしょう。つまり物語に力があるのです。
そしてより大事なのは物語を語る時に
・アニメで語りやすい物語、アニメでこそ語れる物語
・実写で語りやすい物語、実写だからこそ語れる物語
と傾向がわかれるので、物語によって媒体が選ばれるのだと思います。
アニメで違和感なく存在するめんま、でも人には見えない
では、なぜ「あの花」はアニメなのでしょうか。
それは「めんま」の描かれ方に集約されていますね。
たとえば

このショットを見ると、めんまって画面的に違和感ないのですよね。
でも、物語上でめんまが見える・存在を認識できるのは主人公のみ。
つまり映し出されている画面と物語にギャップがあるのです。
このシーンを実写で行う場合、めんま役の人に多少エフェクトをかけて
幽霊とか異物であるとかに見せる形で演出するのがセオリーだと思います。
もし効果をかけないと、実写の場合は俳優の存在感が強すぎて
見る側から「それで見えてないの」って画面的演出のツッコミを入れられる要因になります。
でもここでは同じ線と色彩でめんまと他メンバーは同一に描かれています。
つまり同質なんですよね。そして見ている方の野暮なツッコミも介在させない作り。
これがアニメ表現の強みなんですよね。
全部絵で描いてしまい、設定をきちんと紹介し見せておけば
見る側が上手く処理してくれるのです。

例えばOPでめんまが幽霊である表現として
① 主線の色調が違う事。
② めんまだけ手前にいるのに、他のキャラは全員奥側にいる事。
めんま=あっち側 他=こっち側
が挙げられます。
こうしてめんまが他と違うって事も見せつつ、
でも本編では画面的に違和感無く存在させているのが上手いなぁと思いました。
こうした手法はアニメならではであり、魅力でもあります。
まとめ
なんといっても、あなるが可愛すぎます!!

メガネ属性もあるのか、これは凶悪すぎる!!

イマドキの服装をしているのも魅力!!

この油断をしている座り方が素晴らしい。
特に股間の辺りの描き方が魅力的。
と、結局あなるちゃんがひたすら可愛いのです。
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感想みんなでゲームをするのは楽しい!
今回みたいな話のようにみんなで子供の頃のゲームをするって楽しいですね。

例えば私なんかは、大学時代にサークルの部室で部員達が
子供の頃にやったファミコンを持ち込んで、毎日ゲーム三昧だったのを思い出します。
「ゴルフ」「ファミスタ」「ドラクエ」「魔界村」「ドラゴンスレイヤー」等々。
みんながゲームの攻略法や持論を持っていて、語り合うのが面白かったです。
私達は子供の頃「あの花」のメンバーとは違い、別の場所で暮らしていましたが
ゲームという「ツール」「共通体験」を用いる事で、
一つに繋がる事ができる事がわかりました。
今の世代だと「ポケモン」とかになるのでしょう。
そして「あの花」の登場人物たちは、
子供の頃の共通体験だった「ゲーム」を引っ張り出して遊んでいました。
自分達は成長しちゃったけど、ゲームは何も変わらない。
そんな事を感じさせてくれました。
私は今でも「ドラゴンクエスト3」なんかよくやってます。
実写指向というのは、結局は物語指向って事。
よくリアルな話や内容・物語が展開される作品の場合
「実写でやれ」というような意見がよく出てくると思います。
今期でいえば例えば「花咲くいろは」が言われてたような気がします。
(この指摘をすると、岡田磨里さんが実写指向という指摘もされそう)
この意見の是非はともかく、大事なのは物語としての在り方なのでしょうね。
アニメなのに実写的というのは、それだけ現実に肉薄している事でもあるので
強い訴えが感じられるという事でもあるのでしょう。つまり物語に力があるのです。
そしてより大事なのは物語を語る時に
・アニメで語りやすい物語、アニメでこそ語れる物語
・実写で語りやすい物語、実写だからこそ語れる物語
と傾向がわかれるので、物語によって媒体が選ばれるのだと思います。
アニメで違和感なく存在するめんま、でも人には見えない
では、なぜ「あの花」はアニメなのでしょうか。
それは「めんま」の描かれ方に集約されていますね。
たとえば

このショットを見ると、めんまって画面的に違和感ないのですよね。
でも、物語上でめんまが見える・存在を認識できるのは主人公のみ。
つまり映し出されている画面と物語にギャップがあるのです。
このシーンを実写で行う場合、めんま役の人に多少エフェクトをかけて
幽霊とか異物であるとかに見せる形で演出するのがセオリーだと思います。
もし効果をかけないと、実写の場合は俳優の存在感が強すぎて
見る側から「それで見えてないの」って画面的演出のツッコミを入れられる要因になります。
でもここでは同じ線と色彩でめんまと他メンバーは同一に描かれています。
つまり同質なんですよね。そして見ている方の野暮なツッコミも介在させない作り。
これがアニメ表現の強みなんですよね。
全部絵で描いてしまい、設定をきちんと紹介し見せておけば
見る側が上手く処理してくれるのです。

例えばOPでめんまが幽霊である表現として
① 主線の色調が違う事。
② めんまだけ手前にいるのに、他のキャラは全員奥側にいる事。
めんま=あっち側 他=こっち側
が挙げられます。
こうしてめんまが他と違うって事も見せつつ、
でも本編では画面的に違和感無く存在させているのが上手いなぁと思いました。
こうした手法はアニメならではであり、魅力でもあります。
まとめ
なんといっても、あなるが可愛すぎます!!

メガネ属性もあるのか、これは凶悪すぎる!!

イマドキの服装をしているのも魅力!!

この油断をしている座り方が素晴らしい。
特に股間の辺りの描き方が魅力的。
と、結局あなるちゃんがひたすら可愛いのです。
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