やばい、なのが可愛い!
世話焼き・几帳面・博士想い。
ネジを取ると言われると弱い。
彼女の強くもあり弱くもあるその性格が好きです! 今回は「手」の描写が印象的。記事は「手」に注目して書きました。
アニメ作りも含めて、作品を支えるのは「手」なのでしょうね。
感想毎回毎回、個々の描写が楽しいですね。
リアルそうに見える大きなウソ

この夜の月の輝く中で建物が並ぶショット。
一見何気ないように見えますが、この画にある違和感を感じました。
それは、こんなに月が大きくないだろうって事です。
こうした月を大きく描く表現は記号的表現と呼ばれます。
夜の場面に黄色く三日月の形のものを描けば、それは我々からは月と認識できるのです。
でも、実際(現実)には、こんなに夜の月は大きく見えません。
そして何が面白いのかというと、月にはちゃんとクレーターを描いている点です。
この意図は視聴者に月をよりリアルに認識させるために描いていると思います。
つまり個々の描写、月のクレーターや形、そして建物もリアルに描いているわけです。
でも大きな月という点だけ、現実から見たらウソ=フィクションなのです。

なのと博士のやり取りはリアルですが、二人の存在そのものはフィクション性が強いですね。
この作品は「日常」=リアルですが、時々「非日常」=ウソな展開がわんさか起こります。
特に博士となのの描写において、二人がやっている事がまさに何気ない「日常」です。
ただ個々の設定をみると子供なのに天才博士の博士や、
ロボットであるなの、喋る坂本など、一つ一つ設定そのものが
ウソ=フィクションでありつまり「非日常」なものがたくさんあります。
つまりこの作品は「日常」と「非日常」が一つの空間にギュッと凝縮された世界なのです。
ここもう一度、月の描写に戻りますが、
この描写には、一見リアル=「日常」に描かれた、建物や月のクレーターがありながら
大きな月=ウソ=フィクション=「非日常」が存在しているのです。
つまり何気ない大きな月にはこの作品のテーマである
「日常」の中の「非日常(性)」を表現しているのです。
まぁこの月の意図は「夜ですよ~」という事を視聴者に伝えるのが本来の目的だと思いますが、
何気ない一つの画から作品の本質が見えてくるのが、アニメの面白さの一つでもあります。
サイケな表現が面白い
気になった画(ショット)を一つ紹介します。

このサイケ感がたまらなーい。
画面が魚眼レンズのように歪み、水上の世界が変わる瞬間です。
「日常」ではこんな描写もできるのですね。
手の描写に注目
今回は物語を進めるうえで「手」が印象的な役割を果たしています。
「手」の演技がとっても多かったですね。
なので今回は「手」の描写に注目です!
そば屋で手を叩く相生さん。この後のオチも含めて楽しいです。

蚊を叩き続ける相生さん。
特に様々なバリエーションで蚊や手を叩き続ける相生さんは終始リズミカルです。
そんな相生さんもお母さんの「手」でぶたれるオチなのは面白いですね。


この手の描き方がムッチャ上手くてカッコイイです。
絵を描く人ならわかるのですが、きちんとした「手」を描くのは中々に難しい。
中々手を描いたつもりでも「手」に見えないのですよね。
そしてこの画はデフォルメされつつも、手の形として成立している意味でカッコイイです。

最後になのの「手」の描写。手では無くて、腕の中身といった方が正解でしょうが、
まぁ手に近い部分が話のオチなので、これも「手」がクローズアップされたといえるでしょう。
まとめ
今回の絵コンテ・演出は内海紘子さん。映像のテンポやカット割りがキレキレでしたね。
また上記のような個々の描写を徹底して行う事、「手」の描写を含めて
特に、シュールな相生の行動を面白おかしく描いていたと思います。
日常は個々の描写が面白くて、一つ一つ取り上げていくと時間がかかりますが
内容も含めて、描写の楽しさを発見していきたいですね。
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感想毎回毎回、個々の描写が楽しいですね。
リアルそうに見える大きなウソ

この夜の月の輝く中で建物が並ぶショット。
一見何気ないように見えますが、この画にある違和感を感じました。
それは、こんなに月が大きくないだろうって事です。
こうした月を大きく描く表現は記号的表現と呼ばれます。
夜の場面に黄色く三日月の形のものを描けば、それは我々からは月と認識できるのです。
でも、実際(現実)には、こんなに夜の月は大きく見えません。
そして何が面白いのかというと、月にはちゃんとクレーターを描いている点です。
この意図は視聴者に月をよりリアルに認識させるために描いていると思います。
つまり個々の描写、月のクレーターや形、そして建物もリアルに描いているわけです。
でも大きな月という点だけ、現実から見たらウソ=フィクションなのです。

なのと博士のやり取りはリアルですが、二人の存在そのものはフィクション性が強いですね。
この作品は「日常」=リアルですが、時々「非日常」=ウソな展開がわんさか起こります。
特に博士となのの描写において、二人がやっている事がまさに何気ない「日常」です。
ただ個々の設定をみると子供なのに天才博士の博士や、
ロボットであるなの、喋る坂本など、一つ一つ設定そのものが
ウソ=フィクションでありつまり「非日常」なものがたくさんあります。
つまりこの作品は「日常」と「非日常」が一つの空間にギュッと凝縮された世界なのです。
ここもう一度、月の描写に戻りますが、
この描写には、一見リアル=「日常」に描かれた、建物や月のクレーターがありながら
大きな月=ウソ=フィクション=「非日常」が存在しているのです。
つまり何気ない大きな月にはこの作品のテーマである
「日常」の中の「非日常(性)」を表現しているのです。
まぁこの月の意図は「夜ですよ~」という事を視聴者に伝えるのが本来の目的だと思いますが、
何気ない一つの画から作品の本質が見えてくるのが、アニメの面白さの一つでもあります。
サイケな表現が面白い
気になった画(ショット)を一つ紹介します。

このサイケ感がたまらなーい。
画面が魚眼レンズのように歪み、水上の世界が変わる瞬間です。
「日常」ではこんな描写もできるのですね。
手の描写に注目
今回は物語を進めるうえで「手」が印象的な役割を果たしています。
「手」の演技がとっても多かったですね。
なので今回は「手」の描写に注目です!
そば屋で手を叩く相生さん。この後のオチも含めて楽しいです。

蚊を叩き続ける相生さん。
特に様々なバリエーションで蚊や手を叩き続ける相生さんは終始リズミカルです。
そんな相生さんもお母さんの「手」でぶたれるオチなのは面白いですね。


この手の描き方がムッチャ上手くてカッコイイです。
絵を描く人ならわかるのですが、きちんとした「手」を描くのは中々に難しい。
中々手を描いたつもりでも「手」に見えないのですよね。
そしてこの画はデフォルメされつつも、手の形として成立している意味でカッコイイです。

最後になのの「手」の描写。手では無くて、腕の中身といった方が正解でしょうが、
まぁ手に近い部分が話のオチなので、これも「手」がクローズアップされたといえるでしょう。
まとめ
今回の絵コンテ・演出は内海紘子さん。映像のテンポやカット割りがキレキレでしたね。
また上記のような個々の描写を徹底して行う事、「手」の描写を含めて
特に、シュールな相生の行動を面白おかしく描いていたと思います。
日常は個々の描写が面白くて、一つ一つ取り上げていくと時間がかかりますが
内容も含めて、描写の楽しさを発見していきたいですね。
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>>「手」の演技がとっても多かった
本当にそうですね!
"カッコイイもの"のコーナーでも将棋を指す手の動きが印象的でした。
あと日本独特の物が多く登場したように感じました。
日常はよく見ると面白い描写がたくさんありますね