じんたんを抱きしめるめんま。
めんまはじんたんの母親(代り)なのでしょうね。
つまりめんまはこの作品の「母性」そのものです。まるで、二人がシャア(じんたん)とララァ(めんま)の関係に見えてきました。
今回はキャラクターの配置や向きによって、作品が奏でる心情表現について書きました。
毎回、EDの入り方と次回への引きがこの作品は抜群にうまいっす!!
感想みんな泣きます
今回はとにかくみんな泣きます。みんなめんまについて泣いています。
それだけめんまが大きい存在なのです。

まずお母さん。死んだめんまにとらわれて、お母さんの時間は止まっているようです。
そんな彼女は時間が進んでいる=成長している超平和バスターズの面々を見ると
「娘だってこんな風に成長したのに」と思わずにはいられないのでしょうね。
だからこそ半ば逆上に近い形で感情を爆発させてしまうのです。

次にあなるさん。まず服装がエロ過ぎますね。なんでこんなに挑発的な服装なのだが…。
さて本題。あなるは、じんたんに片想いをし続けてもう10年近く経っちゃったのでしょうね。
そして、自分の好きなじんたんは過酷なバイト環境に身をやつすなど
死んだめんまの影を追い続け、自分から遠くなっている事にあなるからは見えるのでしょう。
だからこそ、自分に振り向いてほしいと精一杯じんたんに気持ちは伝えましたが、
じんたんはめんま一本筋のようですね。
それにしてもあなるのこの表情は素晴らしいですね。
このあなるの表情付けを見ていると、アニメーターさんの渾身の芝居が伝わってきます。
この1枚の絵、1シーン、1カットで私は感動してしまいます。

指の中につまようじが当たり、ちょっと痛かったのか
めんまの事がキッカケ泣いてしまったけど、
めんまに気を使って泣きの定番「フランダースの犬」を使って
涙をごまかそうとしたじんたん。彼のめんま想いが伝わるシーンです。
面白いのは、じんたんは最初、ごまかそうとしていましたが、
段々と本当に泣いてしまったところですね。
一方で、めんまのフォローでさらに泣かされてしまったのでしょうね。

そんなじんたんを見ていると、めんまも泣いてしまいました。
そしてめんまはじんたんの頭に手をあてたら、彼の気持ちがわかったようです。
じんたんは母親のいない寂しさをずっと抱えていたのでしょうね。
それぞれ泣くシーンが、母親=左向き じんたん=左向き めんま=右向きな所をみると
母親(左):めんま(右) じんたん(左):めんま(右)との関係を描きたかったのだと思います。
2人の女性に後ろから捕まれるじんたん
今回、面白かった対比的な描写として
めんまとあなるがじんたんを後ろから捕まえるシーンがあります。

こちらのシーンでは、じんたんが左で、めんまが右。
このシーンは私の中では、めんまのじんたんへの好意を現すシーンより
じんたんがめんまに取り込まれている、
めんまがじんたんを決して離さないシーンのようにも見えます。

こちらのシーンは、じんたんが右、あなるが左です。
あなるは(気持ち的に)遠くへ行っちゃうじんたんを離さないようにする試みですが、
最終的にじんたんは、あなるの制止を振り切ります。
これらのシーンを舞台演劇の上手・下手の理論で考えてみると、演劇には
「身分の高い役が客席から見て右。逆に身分の低い役は左。」という約束事があります。
これに照らし合わせると、この2つのシーンの関係性がわかります。
この理論を使うと、じんたんとめんまの関係では、じんたん<めんま
あなるとじんたんの関係では、あなる<じんたん という関係になっています。
このキャラの配置によって、じんたんよりめんまの方が立場的・精神的に強い事も
あなるよりじんたんの方が立場的・精神的に強い事もわかります。
つまりじんたんがめんまに捕まるシーンでは、めんまがじんたんより強いから
めんまが「じんたんを離さない」という描写を示したシーンになりますが
一方のあなるとじんたんのシーンでは、逆になるので
「じんたんがあなるに捕まっても、最終的には振り切る」という描写を示すシーンになるのです。
こうした同じじんたんを捕まえるめんまとあなるですが、
キャラの配置によって、その描写の意味合いがとても変わってきます。
キャラの立ち位置で物語は語られるという一つの例をしましましたが、
今後、キャラの立ち位置に注目すると意外な発見があると思います。
超平和バスターズはめんまを求め、
じんたんは母=めんまを求める

みんながバラバラに向いている所を、じんたんのTシャツ「西へ東へ」という文字で
締めくくるところが素晴らしくキマッテいる良いショットです。
じんたんは母親を求めていたのでしょうね。早くして死んだ母親の面影がちらついているいようです。
一方では超平和バスターズの面々は、めんまの幻影を追い続けている。
その中でじんたんはめんまの存在を認識できるので、幻影を求めてはいないのでしょうね。
だけどじんたんはめんまそのものを追い続けるわけです。
それはじんたんにとってめんまが自分の欠けた全てだからです。
まとめ
今回で、やっとめんまは「母親」「母性」そのものなんだなぁとわかりました。
それはめんまがじんたんを抱きしめたシーンでわかりましたね。

つまりめんまは「超平和バスターズ」にとっての「母親」であり
ゆきあつ、何よりじんたんにとっての「母親」であり
何より「あの花」の世界における「母性」そのものなのでしょう。
この「あの花~」はそんな失われためんま=「母親」「母性」を追い求める話なのでしょうね。

OPの最後のカットでも、上記のようなめんまがパッと花に変化する描写がありますが
これを見ると「花」というのはめんまであり、めんまとは
それは「母性」「母親」の事かもしれないと感じるようになりましたね。
つまりタイトル「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」から連想すると
まだ少年少女達が「母性」を追い求め、母性と折り合いをつける「乳離れ」の話なのでしょうね。
超平和バスターズが、どうめんま=母性と決着をつけるのかが今後の焦点でしょうね。

あなるの太ももは素晴らしい。素晴らしい曲線で描かれています!
彼女の服装はマジで素晴らしいです!
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感想みんな泣きます
今回はとにかくみんな泣きます。みんなめんまについて泣いています。
それだけめんまが大きい存在なのです。

まずお母さん。死んだめんまにとらわれて、お母さんの時間は止まっているようです。
そんな彼女は時間が進んでいる=成長している超平和バスターズの面々を見ると
「娘だってこんな風に成長したのに」と思わずにはいられないのでしょうね。
だからこそ半ば逆上に近い形で感情を爆発させてしまうのです。

次にあなるさん。まず服装がエロ過ぎますね。なんでこんなに挑発的な服装なのだが…。
さて本題。あなるは、じんたんに片想いをし続けてもう10年近く経っちゃったのでしょうね。
そして、自分の好きなじんたんは過酷なバイト環境に身をやつすなど
死んだめんまの影を追い続け、自分から遠くなっている事にあなるからは見えるのでしょう。
だからこそ、自分に振り向いてほしいと精一杯じんたんに気持ちは伝えましたが、
じんたんはめんま一本筋のようですね。
それにしてもあなるのこの表情は素晴らしいですね。
このあなるの表情付けを見ていると、アニメーターさんの渾身の芝居が伝わってきます。
この1枚の絵、1シーン、1カットで私は感動してしまいます。

指の中につまようじが当たり、ちょっと痛かったのか
めんまの事がキッカケ泣いてしまったけど、
めんまに気を使って泣きの定番「フランダースの犬」を使って
涙をごまかそうとしたじんたん。彼のめんま想いが伝わるシーンです。
面白いのは、じんたんは最初、ごまかそうとしていましたが、
段々と本当に泣いてしまったところですね。
一方で、めんまのフォローでさらに泣かされてしまったのでしょうね。

そんなじんたんを見ていると、めんまも泣いてしまいました。
そしてめんまはじんたんの頭に手をあてたら、彼の気持ちがわかったようです。
じんたんは母親のいない寂しさをずっと抱えていたのでしょうね。
それぞれ泣くシーンが、母親=左向き じんたん=左向き めんま=右向きな所をみると
母親(左):めんま(右) じんたん(左):めんま(右)との関係を描きたかったのだと思います。
2人の女性に後ろから捕まれるじんたん
今回、面白かった対比的な描写として
めんまとあなるがじんたんを後ろから捕まえるシーンがあります。

こちらのシーンでは、じんたんが左で、めんまが右。
このシーンは私の中では、めんまのじんたんへの好意を現すシーンより
じんたんがめんまに取り込まれている、
めんまがじんたんを決して離さないシーンのようにも見えます。

こちらのシーンは、じんたんが右、あなるが左です。
あなるは(気持ち的に)遠くへ行っちゃうじんたんを離さないようにする試みですが、
最終的にじんたんは、あなるの制止を振り切ります。
これらのシーンを舞台演劇の上手・下手の理論で考えてみると、演劇には
「身分の高い役が客席から見て右。逆に身分の低い役は左。」という約束事があります。
これに照らし合わせると、この2つのシーンの関係性がわかります。
この理論を使うと、じんたんとめんまの関係では、じんたん<めんま
あなるとじんたんの関係では、あなる<じんたん という関係になっています。
このキャラの配置によって、じんたんよりめんまの方が立場的・精神的に強い事も
あなるよりじんたんの方が立場的・精神的に強い事もわかります。
つまりじんたんがめんまに捕まるシーンでは、めんまがじんたんより強いから
めんまが「じんたんを離さない」という描写を示したシーンになりますが
一方のあなるとじんたんのシーンでは、逆になるので
「じんたんがあなるに捕まっても、最終的には振り切る」という描写を示すシーンになるのです。
こうした同じじんたんを捕まえるめんまとあなるですが、
キャラの配置によって、その描写の意味合いがとても変わってきます。
キャラの立ち位置で物語は語られるという一つの例をしましましたが、
今後、キャラの立ち位置に注目すると意外な発見があると思います。
超平和バスターズはめんまを求め、
じんたんは母=めんまを求める

みんながバラバラに向いている所を、じんたんのTシャツ「西へ東へ」という文字で
締めくくるところが素晴らしくキマッテいる良いショットです。
じんたんは母親を求めていたのでしょうね。早くして死んだ母親の面影がちらついているいようです。
一方では超平和バスターズの面々は、めんまの幻影を追い続けている。
その中でじんたんはめんまの存在を認識できるので、幻影を求めてはいないのでしょうね。
だけどじんたんはめんまそのものを追い続けるわけです。
それはじんたんにとってめんまが自分の欠けた全てだからです。
まとめ
今回で、やっとめんまは「母親」「母性」そのものなんだなぁとわかりました。
それはめんまがじんたんを抱きしめたシーンでわかりましたね。

つまりめんまは「超平和バスターズ」にとっての「母親」であり
ゆきあつ、何よりじんたんにとっての「母親」であり
何より「あの花」の世界における「母性」そのものなのでしょう。
この「あの花~」はそんな失われためんま=「母親」「母性」を追い求める話なのでしょうね。

OPの最後のカットでも、上記のようなめんまがパッと花に変化する描写がありますが
これを見ると「花」というのはめんまであり、めんまとは
それは「母性」「母親」の事かもしれないと感じるようになりましたね。
つまりタイトル「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」から連想すると
まだ少年少女達が「母性」を追い求め、母性と折り合いをつける「乳離れ」の話なのでしょうね。
超平和バスターズが、どうめんま=母性と決着をつけるのかが今後の焦点でしょうね。

あなるの太ももは素晴らしい。素晴らしい曲線で描かれています!
彼女の服装はマジで素晴らしいです!
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あなるが泣くところ素晴らしかったですね
表情だけで感情の移り変わりが伝わってきて見ているこちらも大号泣しましたw
アニメスタイルのインタビューでの
「言葉(セリフ)で説明するのではなく」
「画描きの矜持として画で見せられる(芝居)」
という田中将賀さんの言葉を思い浮かべたシーンでした
めんま=「母親」「母性」
そうなんでしょうね、今回はめんまの母イレーヌさんと向き合い
次回以降じんたんは亡くなった母とも向き合うことになるのでしょう
そして物語の決着として皆はめんまとどう向き合い
超平和バスターズの関係は物語の始まりからどう変わるのか
私にとってラストまでの道のりから目が離せない楽しみな作品になっています