なのが学校に通った事で、
「友情の大切さ」を学んだ話でした。
なのに変化の兆しが表れていますね。なのの登校と共に、みんなの日常が少しづつ変わっていく
そんな印象も受けました!!今回からOPとEDが変更。
どちらも映像的に素晴らしく。
特にEDは圧巻の一言でした。
感想なのの初登校と、なのが初めて見聞きする学校の体験が鮮烈に描かれます。
東雲(しののめ)という言葉の意味

今回、クラスに自己紹介する時に「東雲(しののめ)」と名乗りますが
この「しののめ」という文字が気になって調べてみました。
すると、どうやら以下のような意味があるようです。
「しののめ」を漢字で「東雲」と表すのは、東の雲がわずかに明るくなるとの意味を示す当て字である。「しののめ」は主として和歌の中で『しののめの別れ』や『しののめの道』のように、相愛の男女の別れを詠む際に用いられた。夜明け直前の時分を指し、曙よりやや暗いころと考えられる。「しののめ」の語源にはいくつかの説がある。
・古代の住居では明かり取りの部分に篠竹を編んでおり、その篠竹の目――網目の部分――がから光が差す頃との意味で「篠の目(しののめ)」が用いられるようになった。
・暁に山の端が細く白む様を、「篠芽(しののめ)」の細いことに喩えた。
「小竹の群れ(しぬのめ)」で、夜明けを表した。
・出雲の国みほの岩屋にいた久米の若子という神は、目が篠(しの)を立てたように細かったために「しののめ」と呼ばれていた。それをほの暗い明け方に喩えた。
(Key雑学辞典より)
そして、もう一つ「しののめ」と検索したら、
群馬県の「しののめ信用金庫」という信用金庫に引っかかりました。
しののめ信用金庫HP→
http://www.shinonome-shinkin.jp/この作品は群馬を舞台にしているようですから、
たぶんこの信用金庫を元ネタになのは名字をつけられたのかもしれません。
wikiの項にも「群馬県内最大手の信用金庫」とあるので、
群馬の地名がキャラ名になっているこの作品らしい名字だと感じました。
描写は過剰でも、内容は普通の日常

今回はなのが、登校し、クラスのみんなと出会い、クラスの出来事を見て
今までのハカセ達との日常とは違う経験をします。
なのの制服姿が初々しすぎますね。

そんななのの初めての登校日は相生と長野原の喧嘩という事件から始まります。

長野原みおのすんごい顔です!!

両者の喧嘩のボルテージは最高潮に!!
相生の尾てい骨の上に水入りコップを置く水上さんが面白い!!
格ゲーみたいな描写が面白いです!!でも、

長野原が発したふとした言葉がキッカケで二人は何か気づいたようです。
そう二人はお互いの欠点も知ってるけど、長所も知っていて、そこが好きなのだと。


このエピソードが面白かったのは、
相生と長野原との喧嘩をなのが見守るという構図だからでしょうね。
たぶんこのエピソードはなの視点が入りつつ、描かれたものだと思います。
初々しいなのの視線を通して、既に仲の良い相生・長野原の二人の関係を描く内容になってます。
なのが学校に来た事で「日常」世界は変わっていく感じを受けた話でした。
しかし二人の友情が再確認できた中で、大きな犠牲を払ったのは中之条でしたね。
囲碁サッカー部の「日常」にも異変が…
なんと囲碁サッカー部に新入部員がやってきます!!

まさに「ぬかしおる」的な展開ですが、それ以上にビックリな事は
なんと囲碁サッカー部が正式な種目として存在していた事です。

ボールと碁石をリフティングする中学MVPな新入部員。
もはやわけわかりませんが、なのと相生達が出会った事で
今までの「日常」もちょっと変わる一方で
囲碁サッカー部にも変化の兆しが現れてと見て良いでしょう。
OPが変更
OPが2クール目に合わせて変更されました。
変わらずヒャダインのアップテンポなリズムと歌詞に合わせた映像ですね。




たぶんみんなが見たかったのは、一番下の4人が揃うショットだったのかもしれません。
1カットで「日常」の全てを描ききったED
EDも変更されました。私はこのEDを見た時に心が震えました。
このED、一切カット割りを行わずに、
カメラを左側へずっとスライド移動させる横PANのみの1カットで演出されています。
横PANだけで1分30秒もの映像を紡ぐのは、
作る側に実力と何かを訴えたい信念が無いと絶対に出来ません。
だからこそ1カットでできたEDは成功すると凄まじい威力を発揮します。
「交響詩篇エウレカセブン」の1期EDの鈴木典光さん1カット作画みたいな
とんでもないEDが出来上がってくる可能性があります。
論より証拠、まずはご覧ください!!













圧倒的緻密さで描きながら、どこか手描きのニュアンスを残しているタッチ。
その中でモブの一人一人が生き生きと描かれている描写には驚きすら感じます。
また最初は雨だったのに、晴れてきて、虹が射すという気候の変化は
明らかに日常という作品にいる彼女達への祝福でしょう。
そして一番下のキャプ絵の左上に並ぶ少女4人は、相生・長野原・水上・なの達でしょう。
こうした所のキャラ配置もなかなか憎い所です。
私はこのED映像を見た時、
京都アニメーションは「日常」をこういう形で解釈したのだなと感じました。
つまり京アニは「日常」の全てをこのEDである意味描ききっている。
日常に住む、全てのキャラに希望と祝福を与えたいと思っているのでしょうね。
絵コンテは石立太一さんですが、素晴らしいEDをありがとうございました!!
まとめ
今までで一番面白かったでしょう。絵コンテ・演出は三好一郎=木上益治さんですが、
木上さんの演出回は、本当に段違いで凄いです。
個々の描写の過剰な面白さが素晴らしいですね。
こんなに激しく描いちゃうんだという所が良いですね。
また作り手側の本気が出ているのが、何より評価したい所ですね。

「日常」は他作品に比べて売れていない、
京アニなのに売れていないと最近よく言われますが、
売れる売れないは時の運。そして作り手側は良いものを作るのが何より大事です。
だから良いものを作り続けていれば、それでOKだと思うのです。
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感想なのの初登校と、なのが初めて見聞きする学校の体験が鮮烈に描かれます。
東雲(しののめ)という言葉の意味

今回、クラスに自己紹介する時に「東雲(しののめ)」と名乗りますが
この「しののめ」という文字が気になって調べてみました。
すると、どうやら以下のような意味があるようです。
「しののめ」を漢字で「東雲」と表すのは、東の雲がわずかに明るくなるとの意味を示す当て字である。「しののめ」は主として和歌の中で『しののめの別れ』や『しののめの道』のように、相愛の男女の別れを詠む際に用いられた。夜明け直前の時分を指し、曙よりやや暗いころと考えられる。「しののめ」の語源にはいくつかの説がある。
・古代の住居では明かり取りの部分に篠竹を編んでおり、その篠竹の目――網目の部分――がから光が差す頃との意味で「篠の目(しののめ)」が用いられるようになった。
・暁に山の端が細く白む様を、「篠芽(しののめ)」の細いことに喩えた。
「小竹の群れ(しぬのめ)」で、夜明けを表した。
・出雲の国みほの岩屋にいた久米の若子という神は、目が篠(しの)を立てたように細かったために「しののめ」と呼ばれていた。それをほの暗い明け方に喩えた。
(Key雑学辞典より)
そして、もう一つ「しののめ」と検索したら、
群馬県の「しののめ信用金庫」という信用金庫に引っかかりました。
しののめ信用金庫HP→
http://www.shinonome-shinkin.jp/この作品は群馬を舞台にしているようですから、
たぶんこの信用金庫を元ネタになのは名字をつけられたのかもしれません。
wikiの項にも「群馬県内最大手の信用金庫」とあるので、
群馬の地名がキャラ名になっているこの作品らしい名字だと感じました。
描写は過剰でも、内容は普通の日常

今回はなのが、登校し、クラスのみんなと出会い、クラスの出来事を見て
今までのハカセ達との日常とは違う経験をします。
なのの制服姿が初々しすぎますね。

そんななのの初めての登校日は相生と長野原の喧嘩という事件から始まります。

長野原みおのすんごい顔です!!

両者の喧嘩のボルテージは最高潮に!!
相生の尾てい骨の上に水入りコップを置く水上さんが面白い!!
格ゲーみたいな描写が面白いです!!でも、

長野原が発したふとした言葉がキッカケで二人は何か気づいたようです。
そう二人はお互いの欠点も知ってるけど、長所も知っていて、そこが好きなのだと。


このエピソードが面白かったのは、
相生と長野原との喧嘩をなのが見守るという構図だからでしょうね。
たぶんこのエピソードはなの視点が入りつつ、描かれたものだと思います。
初々しいなのの視線を通して、既に仲の良い相生・長野原の二人の関係を描く内容になってます。
なのが学校に来た事で「日常」世界は変わっていく感じを受けた話でした。
しかし二人の友情が再確認できた中で、大きな犠牲を払ったのは中之条でしたね。
囲碁サッカー部の「日常」にも異変が…
なんと囲碁サッカー部に新入部員がやってきます!!

まさに「ぬかしおる」的な展開ですが、それ以上にビックリな事は
なんと囲碁サッカー部が正式な種目として存在していた事です。

ボールと碁石をリフティングする中学MVPな新入部員。
もはやわけわかりませんが、なのと相生達が出会った事で
今までの「日常」もちょっと変わる一方で
囲碁サッカー部にも変化の兆しが現れてと見て良いでしょう。
OPが変更
OPが2クール目に合わせて変更されました。
変わらずヒャダインのアップテンポなリズムと歌詞に合わせた映像ですね。




たぶんみんなが見たかったのは、一番下の4人が揃うショットだったのかもしれません。
1カットで「日常」の全てを描ききったED
EDも変更されました。私はこのEDを見た時に心が震えました。
このED、一切カット割りを行わずに、
カメラを左側へずっとスライド移動させる横PANのみの1カットで演出されています。
横PANだけで1分30秒もの映像を紡ぐのは、
作る側に実力と何かを訴えたい信念が無いと絶対に出来ません。
だからこそ1カットでできたEDは成功すると凄まじい威力を発揮します。
「交響詩篇エウレカセブン」の1期EDの鈴木典光さん1カット作画みたいな
とんでもないEDが出来上がってくる可能性があります。
論より証拠、まずはご覧ください!!













圧倒的緻密さで描きながら、どこか手描きのニュアンスを残しているタッチ。
その中でモブの一人一人が生き生きと描かれている描写には驚きすら感じます。
また最初は雨だったのに、晴れてきて、虹が射すという気候の変化は
明らかに日常という作品にいる彼女達への祝福でしょう。
そして一番下のキャプ絵の左上に並ぶ少女4人は、相生・長野原・水上・なの達でしょう。
こうした所のキャラ配置もなかなか憎い所です。
私はこのED映像を見た時、
京都アニメーションは「日常」をこういう形で解釈したのだなと感じました。
つまり京アニは「日常」の全てをこのEDである意味描ききっている。
日常に住む、全てのキャラに希望と祝福を与えたいと思っているのでしょうね。
絵コンテは石立太一さんですが、素晴らしいEDをありがとうございました!!
まとめ
今までで一番面白かったでしょう。絵コンテ・演出は三好一郎=木上益治さんですが、
木上さんの演出回は、本当に段違いで凄いです。
個々の描写の過剰な面白さが素晴らしいですね。
こんなに激しく描いちゃうんだという所が良いですね。
また作り手側の本気が出ているのが、何より評価したい所ですね。

「日常」は他作品に比べて売れていない、
京アニなのに売れていないと最近よく言われますが、
売れる売れないは時の運。そして作り手側は良いものを作るのが何より大事です。
だから良いものを作り続けていれば、それでOKだと思うのです。
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