陽毬が愛おしいから、冠葉は命ですら差し出せる。
大きな運命の歯車に操られた彼ら彼女達の物語は
大きな転換点を迎えそうです。
地下鉄サリン事件・村上春樹などを扱う事で
今の日本をどう見ていくかを
考えさせられる内容になりつつありますね。
感想16年前の事件の真相とモチーフとしてのオウム事件
今回は高倉晶馬が語るところによると、桃果が無くなったのは
16年前の地下鉄で起こした事件に、自分たちの両親が関わったからだと説明します。

と、上のキャプをみるとわかるように高倉剣山が属している組織は
大きな力を持っている事がわかります。

そして事件が起こった事によって、桃果が犠牲になったという事です。
一方で興味深いショットが二つ。


高倉剣山らしいショットが連続して違うアングルで描写されます。
これは高倉剣山が実は二人の人間=双子なのか、
それともただ単にアングルを変えて撮影したのか、
ミスリードを起こしそうな描写になっています。
さてこの作品が現在の時間軸(2011年)であれば、16年前は1995年。
地下鉄で起こった、妖しい団体が起こした事件という事で
オウム真理教の「地下鉄サリン事件」がモチーフにされた事がわかります。
ここでポイントなのは「地下鉄サリン事件」を扱った、モチーフにした事。
さらにいえばこの事件で何が変わったのか、描きたいのかという事がより大事です。
例えばサリン事件で作家村上春樹が、変容したように(運命が変わったように)
「輪るピングドラム」の世界も高倉兄弟、苹果の運命も変わった事。
つまり描きたいのは「運命」が「変わる=輪る」ことなのです。
幾原邦彦監督は作品を作る動機に対して聞かれた時に
「内容はパロディでもいい。大事なのは現実の何をモチベーションとして何を作るか」
と答えています。
そう考えるとこの作品は、特に日本の16年間を振り返って
幾原監督なりに問題提起したいテーマを取り上げ、
限りなく日本の現実に模した世界だといえるのかもしれませんね。
幾原監督的に大きく扱いたいのが95年以降、
特に契機になったサリン事件や、それで変わった村上春樹に注目しているという事でしょう。
そして「運命」が「輪る」ように、そこに抗う少年少女の物語が
「輪るピングドラム」なのでしょう。
全ては「運命」と「輪る」に繋がる
この作品の輪る描写の徹底さは見事ですね。
OPはみんなオブジェが回っていますし、
本編でも幾度となく、何かが回転する描写で埋め尽くされています。

今回の、最初のカットからして、オブジェが回る描写から始まります。
つまり今回は「回る」話だという事を説明した導入部分なのです。

そしていまさら気づきましたが、
ロールキャベツのロールは「回る=輪る」という意味でしょうね。
キャラの好きな食べ物にも「輪る」事のイメージ付けがなされています。
さて、今回のクライマックス。
晶馬の語りとともに、倒れてしまった陽毬(むしろプリンセスかな?)を助ける為
冠葉は己の中にある何かを差し出そうとします。
(ここで、かつて冠葉はこれと同じ行為を行って陽毬を救ったようです。)



この冠葉の中にある赤い玉、それを取り出すプリンセス。
何かを取り出すような、これに近い描写は1話以来だと思います。
この赤い玉は間違いなく「リンゴ」を意識したものとして扱われています。
リンゴといえば、キリスト教的に言えば禁断の果実です。
リンゴを食べちゃってから人間は楽園から追放されたと。
そんな「運命」を背負ったのが人間。
今回、この描写で「運命」という言葉がより重くなった印象でした。
振り返ってみると、OP曲「ノルニル」という言葉の意味は
北欧神話に登場する運命の女神というですし
「輪る」だけではなく「運命」と作品の関連付けも密度が濃い。
他にもいろいろあると思いますが
この作品は「運命」と「輪る」というイメージを
徹底的に植えつけようとしています。特に個々の描写から。
「運命」と「輪る」を意味づける描写は今後もたくさん散見されるでしょう。
その積み重ねが「輪るピングドラム」という作品なのでしょうね。
エヴァとの関連性?
これは完全に妄想の類ですが、
高倉剣山が南極で何らかの行動を取っていた事が今回描かれましたが
南極で95といえば「新世紀エヴァンゲリオン」を示唆しているのではと思います。
そもそもエヴァの世界の始まり「セカンドインパクト」は南極で起こりましたし。
95といえばサリン事件だけではなく、エヴァが始まった年でもあります。
強引に引っ張りますが「プロジェクトM」だとかも「人類補完計画」と
同等のものとみる事もできますし。
さらに先ほどのリンゴの話でいえば、
エヴァでもリリスが禁断の果実を食べたとかありましたしね。
もちろんエヴァとピンドラが直接的関係があるわけではありませんが、
今後はエヴァを示唆する・意識した描写も出て来るかもしれませんね。
基本的には陽毬が可愛いからこそ成立している話


ぶっ飛んでいる、イメージ的な映像、突き放す展開や描写が多い中で
それでも感情移入して見られる人がいるのであれば
それは陽毬が可愛いからでしょう。
彼女を助けたい気持ちが視聴者と高倉兄弟が共有しているからでしょう。
この1点は絶対にぶれていない。この辺りの視聴者の感情移入への操作の仕方が
幾原監督は上手いなぁと思ってしまいます。
陽毬は問答無用に可愛いです! まとめ
結局、冠葉では陽毬を救えない残酷な結末を迎えました。
まさに「何物にもなれないお前たち」状態。
そこへ現れたのは渡瀬眞悧。

彼は何を企んでいるのでしょうか。
さて、村上春樹・オウム事件・95年、さらには昭和と膨大な引用で
成り立っている作品は何を描きたいのでしょうか。
1話の感想記事でも書きましたが
「未来へ生きていくには、どういったモチベーションであるべきか。
今の大人は若者にどうやっていきていくのかを伝えられていないのでは。
だから作品を通して若者の生き方を視聴者に伝えたい」という事であるのは間違いないと思います。
今回が前半と後半を分けるクライマックス展開でしたが、
2クール以降が俄然楽しみになってきました!
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感想16年前の事件の真相とモチーフとしてのオウム事件
今回は高倉晶馬が語るところによると、桃果が無くなったのは
16年前の地下鉄で起こした事件に、自分たちの両親が関わったからだと説明します。

と、上のキャプをみるとわかるように高倉剣山が属している組織は
大きな力を持っている事がわかります。

そして事件が起こった事によって、桃果が犠牲になったという事です。
一方で興味深いショットが二つ。


高倉剣山らしいショットが連続して違うアングルで描写されます。
これは高倉剣山が実は二人の人間=双子なのか、
それともただ単にアングルを変えて撮影したのか、
ミスリードを起こしそうな描写になっています。
さてこの作品が現在の時間軸(2011年)であれば、16年前は1995年。
地下鉄で起こった、妖しい団体が起こした事件という事で
オウム真理教の「地下鉄サリン事件」がモチーフにされた事がわかります。
ここでポイントなのは「地下鉄サリン事件」を扱った、モチーフにした事。
さらにいえばこの事件で何が変わったのか、描きたいのかという事がより大事です。
例えばサリン事件で作家村上春樹が、変容したように(運命が変わったように)
「輪るピングドラム」の世界も高倉兄弟、苹果の運命も変わった事。
つまり描きたいのは「運命」が「変わる=輪る」ことなのです。
幾原邦彦監督は作品を作る動機に対して聞かれた時に
「内容はパロディでもいい。大事なのは現実の何をモチベーションとして何を作るか」
と答えています。
そう考えるとこの作品は、特に日本の16年間を振り返って
幾原監督なりに問題提起したいテーマを取り上げ、
限りなく日本の現実に模した世界だといえるのかもしれませんね。
幾原監督的に大きく扱いたいのが95年以降、
特に契機になったサリン事件や、それで変わった村上春樹に注目しているという事でしょう。
そして「運命」が「輪る」ように、そこに抗う少年少女の物語が
「輪るピングドラム」なのでしょう。
全ては「運命」と「輪る」に繋がる
この作品の輪る描写の徹底さは見事ですね。
OPはみんなオブジェが回っていますし、
本編でも幾度となく、何かが回転する描写で埋め尽くされています。

今回の、最初のカットからして、オブジェが回る描写から始まります。
つまり今回は「回る」話だという事を説明した導入部分なのです。

そしていまさら気づきましたが、
ロールキャベツのロールは「回る=輪る」という意味でしょうね。
キャラの好きな食べ物にも「輪る」事のイメージ付けがなされています。
さて、今回のクライマックス。
晶馬の語りとともに、倒れてしまった陽毬(むしろプリンセスかな?)を助ける為
冠葉は己の中にある何かを差し出そうとします。
(ここで、かつて冠葉はこれと同じ行為を行って陽毬を救ったようです。)



この冠葉の中にある赤い玉、それを取り出すプリンセス。
何かを取り出すような、これに近い描写は1話以来だと思います。
この赤い玉は間違いなく「リンゴ」を意識したものとして扱われています。
リンゴといえば、キリスト教的に言えば禁断の果実です。
リンゴを食べちゃってから人間は楽園から追放されたと。
そんな「運命」を背負ったのが人間。
今回、この描写で「運命」という言葉がより重くなった印象でした。
振り返ってみると、OP曲「ノルニル」という言葉の意味は
北欧神話に登場する運命の女神というですし
「輪る」だけではなく「運命」と作品の関連付けも密度が濃い。
他にもいろいろあると思いますが
この作品は「運命」と「輪る」というイメージを
徹底的に植えつけようとしています。特に個々の描写から。
「運命」と「輪る」を意味づける描写は今後もたくさん散見されるでしょう。
その積み重ねが「輪るピングドラム」という作品なのでしょうね。
エヴァとの関連性?
これは完全に妄想の類ですが、
高倉剣山が南極で何らかの行動を取っていた事が今回描かれましたが
南極で95といえば「新世紀エヴァンゲリオン」を示唆しているのではと思います。
そもそもエヴァの世界の始まり「セカンドインパクト」は南極で起こりましたし。
95といえばサリン事件だけではなく、エヴァが始まった年でもあります。
強引に引っ張りますが「プロジェクトM」だとかも「人類補完計画」と
同等のものとみる事もできますし。
さらに先ほどのリンゴの話でいえば、
エヴァでもリリスが禁断の果実を食べたとかありましたしね。
もちろんエヴァとピンドラが直接的関係があるわけではありませんが、
今後はエヴァを示唆する・意識した描写も出て来るかもしれませんね。
基本的には陽毬が可愛いからこそ成立している話


ぶっ飛んでいる、イメージ的な映像、突き放す展開や描写が多い中で
それでも感情移入して見られる人がいるのであれば
それは陽毬が可愛いからでしょう。
彼女を助けたい気持ちが視聴者と高倉兄弟が共有しているからでしょう。
この1点は絶対にぶれていない。この辺りの視聴者の感情移入への操作の仕方が
幾原監督は上手いなぁと思ってしまいます。
陽毬は問答無用に可愛いです! まとめ
結局、冠葉では陽毬を救えない残酷な結末を迎えました。
まさに「何物にもなれないお前たち」状態。
そこへ現れたのは渡瀬眞悧。

彼は何を企んでいるのでしょうか。
さて、村上春樹・オウム事件・95年、さらには昭和と膨大な引用で
成り立っている作品は何を描きたいのでしょうか。
1話の感想記事でも書きましたが
「未来へ生きていくには、どういったモチベーションであるべきか。
今の大人は若者にどうやっていきていくのかを伝えられていないのでは。
だから作品を通して若者の生き方を視聴者に伝えたい」という事であるのは間違いないと思います。
今回が前半と後半を分けるクライマックス展開でしたが、
2クール以降が俄然楽しみになってきました!
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リンゴ → アダムとイブが食べた禁断の果実 → エヴィ
と、いうところまで考えは行っていたんですが…
まさかこの作品と「エヴァ」が繋がる可能性があるとは!!
神話系で行くのか、運命押しでいくのかまだまだ分からないですね