時籠ゆりが本性を表します。
彼女も桃果という光を求めていた存在。
つまりゆりも苹果も同じ目的で動いていたのです。
11話ぐらいから一気に加速的に面白いピンドラ。
個々の描写を見ても面白い。
キャラクターの心情を感じるのも面白い。
見た後の胸の衝動が収まりません!
感想今回は、桃果に会いたい・その味を忘れられない時籠ゆりが、
晶馬に嫌われてしまい、最悪の状況だった苹果を上手く籠絡して
ファビュラスマックスしたいお話でした。

赤い車の表現について ウテナもあるよ
今回、時籠ゆりさんが乗っていた赤い車。
赤い車といえば、「少女革命ウテナ」に出てきたあの車を思い出さざるを得ません。
まず赤い車の前にこの道路の灯りの描写

これを見ちゃうと思いだすのは

少女革命ウテナ25話「ふたりの絶対運命黙示録」より
この二つの描写の違いとして、ビルが描かれているかどうかに注目。
ウテナの方が背景が無い分、より虚構的・幻想的空間になっていますね。
そして赤い車といえば


少女革命ウテナ25話「ふたりの絶対運命黙示録」より
この赤い車(通称:暁生カー)を思い出してしまいます。
まぁ両作品ともに赤い車と、車を運転する描写があるわけですが、
興味深いのは、ピンドラの方の車の描き方ですね。

おそらくCGで動かしていますが、その車の質感の拘りようが凄い。
金属的な質感を表現するために、塗りが徹底されていますね。
具体的にどんな技術が使われているかわかりませんが、
この辺りは色彩設計の辻田邦男さんの手もかかっているのかもしれません。
あとは幾原監督は赤い車が好き、おそらく赤が好きなのでしょうね。
そして物語的に、この赤い車を用いて描かれるのはゆりさんの孤独性ですね。
自動車に一人で孤独に乗る事で彼女が今回言っていた
「誰も私の事を愛してくれない」という感情が表現されています。
晶馬と苹果
己の素性を苹果に明かした晶馬が取った態度は
「自分とは関わらないでほしい」という事でした。
特にあの事件の被害者の親族であった苹果にはよりその想いを強くしたのでしょう。

晶馬の発言によると、この作品の描写以外のところで
多くの人間が晶馬達から離れてしまったようです。
どんなに優しい言葉が高倉兄弟にかけられようと、
そんな言葉は嘘で、結局彼らの周りには誰もいない事をこの兄弟はよく知っています。

言葉を言えば言うほど、晶馬を傷つける事。
こんなにも好きなのに、傷つけてしまう事。
様々な感情に揺さぶられながら泣いてしまう苹果。
たぶん、苹果が晶馬に伝えたいのは、言葉ではないのでしょうが…
そして彼らの物語など気にせずに、平然と周りをうろつくピクトグラムなモブ達。
この無常なモブと、二人の物語が交差する描写は素晴らしいですね。
冠葉と真砂子
段々とわかってきましたが、
冠葉と真砂子、晶馬と苹果がそれぞれ対の関係になっているのですね。
どちらも現時点で共通しているのが、
女の方が男に惚れているっていう点です。
でも男(高倉兄弟)の方は、彼女達の愛より大事なものがあるという立場のようです。
また晶馬と苹果のドラマは地上で進んでいますが
冠葉と真砂子のドラマが地下鉄で進んでいるのも、対照的です。

この一連のシーンは痺れました。
地下鉄内で冠葉は黒づくめの男と取引をしていましたが、そこに現れたのは真砂子。
彼女は黒づくめの男たちを一瞬に蹴散らし圧倒的な力を見せつけます。
そしてパチンコ玉の焦点を冠葉の額に突きつけます。
この強さに冠葉は適わないだろうなぁと思いましたが、
冠葉は彼女を一蹴します。まさに蹴りです。
どんな事をしても冠葉は陽毬を救おうとする態度が凄いです。
そしてゆりは苹果を求める
ゆりは傷心の苹果を連れ、旅館へ行きます。


まずは温泉。ここでゆりを縛る桃果の話が出る事がポイント。

旅館といえば温泉卓球。
最近「温泉卓球をするアニメは名作」という言葉があるようです。
そんな楽しく時間を過ごす二人ですが、
ゆりは苹果に媚薬なのか睡眠薬なのかわからない謎な薬で彼女を籠絡。
ついに本性を表します。





とても生々しくエロいです。
というのはこのシーンがサービスシーンではないからです。
ゆりが本気だからこそ、このシーンの迫真性を増しているのです。
また苹果の激しい吐息も素晴らしかったですね。
結局。日記の半分を持っていたのはゆりでしたね。
まぁここでわかるのが、ゆりも苹果も二人とも
「桃果の幻影を追ってきたもの同士」って事ですね。
二人とも目的も、また手段を選ばない点も含め同じ似たもの同士だったわけです。
そんな似た者同士が、繋がってしまうのも、背徳的ですらあります。
それだけ桃果の存在が特別だって事がわかります。
まとめ
今回は晶馬と苹果の純愛を描き、
冠葉と真砂子のやり取りを通して高倉兄弟の家族愛を描き
最後にゆりと苹果による同性愛をいう
3つの「愛」を描く、凄い話でした。この作品は他のキャラがどんなにひどい事をしていようと
陽毬の周りではこうしたひどい状況を展開させません。
この事は陽毬の純真性を保持する為の措置なのでしょうね。
彼女だけが尊い存在であるようにも思えます。

みんなが暗いムードで動く中、彼女だけが光り輝いている。
そんな印象を与えるシーンでした。
と考えるならば、陽毬も桃果も他の人物に光を与える存在としては
同じ存在であることがだんだんとわかってきます。
つまり「輪るピングドラム」は光を求めて闇の中で右往左往するものたちが
陽毬や桃果という光を求める話なのかもしれませんね。
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20111015/1318653231
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感想今回は、桃果に会いたい・その味を忘れられない時籠ゆりが、
晶馬に嫌われてしまい、最悪の状況だった苹果を上手く籠絡して
ファビュラスマックスしたいお話でした。

赤い車の表現について ウテナもあるよ
今回、時籠ゆりさんが乗っていた赤い車。
赤い車といえば、「少女革命ウテナ」に出てきたあの車を思い出さざるを得ません。
まず赤い車の前にこの道路の灯りの描写

これを見ちゃうと思いだすのは

少女革命ウテナ25話「ふたりの絶対運命黙示録」より
この二つの描写の違いとして、ビルが描かれているかどうかに注目。
ウテナの方が背景が無い分、より虚構的・幻想的空間になっていますね。
そして赤い車といえば


少女革命ウテナ25話「ふたりの絶対運命黙示録」より
この赤い車(通称:暁生カー)を思い出してしまいます。
まぁ両作品ともに赤い車と、車を運転する描写があるわけですが、
興味深いのは、ピンドラの方の車の描き方ですね。

おそらくCGで動かしていますが、その車の質感の拘りようが凄い。
金属的な質感を表現するために、塗りが徹底されていますね。
具体的にどんな技術が使われているかわかりませんが、
この辺りは色彩設計の辻田邦男さんの手もかかっているのかもしれません。
あとは幾原監督は赤い車が好き、おそらく赤が好きなのでしょうね。
そして物語的に、この赤い車を用いて描かれるのはゆりさんの孤独性ですね。
自動車に一人で孤独に乗る事で彼女が今回言っていた
「誰も私の事を愛してくれない」という感情が表現されています。
晶馬と苹果
己の素性を苹果に明かした晶馬が取った態度は
「自分とは関わらないでほしい」という事でした。
特にあの事件の被害者の親族であった苹果にはよりその想いを強くしたのでしょう。

晶馬の発言によると、この作品の描写以外のところで
多くの人間が晶馬達から離れてしまったようです。
どんなに優しい言葉が高倉兄弟にかけられようと、
そんな言葉は嘘で、結局彼らの周りには誰もいない事をこの兄弟はよく知っています。

言葉を言えば言うほど、晶馬を傷つける事。
こんなにも好きなのに、傷つけてしまう事。
様々な感情に揺さぶられながら泣いてしまう苹果。
たぶん、苹果が晶馬に伝えたいのは、言葉ではないのでしょうが…
そして彼らの物語など気にせずに、平然と周りをうろつくピクトグラムなモブ達。
この無常なモブと、二人の物語が交差する描写は素晴らしいですね。
冠葉と真砂子
段々とわかってきましたが、
冠葉と真砂子、晶馬と苹果がそれぞれ対の関係になっているのですね。
どちらも現時点で共通しているのが、
女の方が男に惚れているっていう点です。
でも男(高倉兄弟)の方は、彼女達の愛より大事なものがあるという立場のようです。
また晶馬と苹果のドラマは地上で進んでいますが
冠葉と真砂子のドラマが地下鉄で進んでいるのも、対照的です。

この一連のシーンは痺れました。
地下鉄内で冠葉は黒づくめの男と取引をしていましたが、そこに現れたのは真砂子。
彼女は黒づくめの男たちを一瞬に蹴散らし圧倒的な力を見せつけます。
そしてパチンコ玉の焦点を冠葉の額に突きつけます。
この強さに冠葉は適わないだろうなぁと思いましたが、
冠葉は彼女を一蹴します。まさに蹴りです。
どんな事をしても冠葉は陽毬を救おうとする態度が凄いです。
そしてゆりは苹果を求める
ゆりは傷心の苹果を連れ、旅館へ行きます。


まずは温泉。ここでゆりを縛る桃果の話が出る事がポイント。

旅館といえば温泉卓球。
最近「温泉卓球をするアニメは名作」という言葉があるようです。
そんな楽しく時間を過ごす二人ですが、
ゆりは苹果に媚薬なのか睡眠薬なのかわからない謎な薬で彼女を籠絡。
ついに本性を表します。





とても生々しくエロいです。
というのはこのシーンがサービスシーンではないからです。
ゆりが本気だからこそ、このシーンの迫真性を増しているのです。
また苹果の激しい吐息も素晴らしかったですね。
結局。日記の半分を持っていたのはゆりでしたね。
まぁここでわかるのが、ゆりも苹果も二人とも
「桃果の幻影を追ってきたもの同士」って事ですね。
二人とも目的も、また手段を選ばない点も含め同じ似たもの同士だったわけです。
そんな似た者同士が、繋がってしまうのも、背徳的ですらあります。
それだけ桃果の存在が特別だって事がわかります。
まとめ
今回は晶馬と苹果の純愛を描き、
冠葉と真砂子のやり取りを通して高倉兄弟の家族愛を描き
最後にゆりと苹果による同性愛をいう
3つの「愛」を描く、凄い話でした。この作品は他のキャラがどんなにひどい事をしていようと
陽毬の周りではこうしたひどい状況を展開させません。
この事は陽毬の純真性を保持する為の措置なのでしょうね。
彼女だけが尊い存在であるようにも思えます。

みんなが暗いムードで動く中、彼女だけが光り輝いている。
そんな印象を与えるシーンでした。
と考えるならば、陽毬も桃果も他の人物に光を与える存在としては
同じ存在であることがだんだんとわかってきます。
つまり「輪るピングドラム」は光を求めて闇の中で右往左往するものたちが
陽毬や桃果という光を求める話なのかもしれませんね。
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20111015/1318653231
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