千早にとって新は「かるたの神様」。
一方、新にとって祖父が「かるたの神様」なら
千早は「かるたの女神様」なのかもしれませんね。
今回は本編における電車の演出について、
また千早の涙や鼻水にまみれる描写を解説します。
このアニメは本当に面白い!
感想今回は「電話しないでくれと」いった新に会いに
ちはやと太一が新の故郷である福井に旅立ちます。
しかし新に家に行ったのはいいものの出会えず。
そこへお隣さんの女の子が駅前の本屋でバイト先にいる事を教えてくれ
千早達は駅前に戻る先で、新と再会しますが…
ちはやふると電車
この作品では電車が作品内で存在感を表していると思います。
まずOPでは「ちはやふる」のタイトルが出た後のカットが
駅内にいる千早であることからわかります。

二つの電車のの進む道が交差しているのにはどんな意味があるのでしょうか。
さて、今回は千早と太一が福井に向かいますが、
行く時は左から右へ移動することが描写されます。


ケンカしている二人ですが、電車内でも右から左へ移動している事がわかります。

帰りの新が千早達を追いかけるシーンでは
左から右へ電車が移動している事がわかります。
こうした電車の往復させる描写においては、
きちんと往路と復路で方向を逆にしないと映像的に成立しません。
どういう事かといいますと、例えば行きも帰りも右から左へ電車を進行させたら
千早達はどこへ向かってるの?帰る方向は逆ではないの?という話になります。
今回でいえば、右から左に移動して、左から右に進むのできちんと帰った描写になるのです。
一方で、電車内では乗客をいなくさせたり、極力少なくして
千早と太一が派手にケンカしたり、泣いたりしているシーンを
外部が邪魔しないようにしているのもポイントですね。
もしくは乗客が少ないのは、人が少ない田舎であるという演出も兼ねているのかも。
というようにこの作品では電車の存在感は大きいと思います。
現代の日本を舞台にした少年少女の等身大の話を描く時に
電車という場はドラマチックな空間を演出できる場として今後も有効活用されていくでしょうね。
泥にまみれ、泣き、鼻を垂らす千早
今回は上記にあるように、美しい千早が色々なものにまみれてしまいます。



まず新と出会って泥まみれになってしまいました。
千早にとっては自分の服や体がどうなってもいいという気持ち、
むしろそんな事はお構いない精神状況である事だわかります。
ここでも千早の純真さが浮き彫りになった演出です。

おまけ。千早ではなくカルタですが、今回はカルタも水まみれになっています。
千早とカルタは一心同体なのでしょう。

千早が泣くシーン。今回泣くシーンが二つありますがそれぞれで意味合いが違います。
まず、見違えた新に「合わなければよかった」と後悔する千早。悔し涙です。

そして電車を追いかける新を見て、また泣く千早。
今度は「かるたが嫌いではなかった」と安堵する嬉し涙のようです。
画面の白いほんやかとした処理が涙を良い印象として見せていますね。

最後に鼻水。本当に千早は嬉しかったのでしょうね。
私はキャラが鼻水を流す描写が好きなのは
それは嘘で涙は流せるけど、嘘で鼻水は垂らせないからです。
つまりキャラの本当の気持ちが伝わる感じを見せてくれるから。
というように、今回の千早は美人が台無しになる
涙や鼻水を垂らしながらも頑張ってきたことがわかりますね。
あまりにも一途。それはかるたであれ、人(新)に対しても同じのようです。
まとめ
今回は千早と出会う事で新の再生を描いたお話でした。
千早は新を「かるたの神様」と手紙に書きましたが、
そんな新にとってかるたを教えてくれた祖父が「かるたの神様」なら
かるたから離れた新を、再び戻してくれた千早は「かるたの女神様」なのかもしれませんね。
今回の絵コンテ・演出は伊藤尚往さん。
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感想今回は「電話しないでくれと」いった新に会いに
ちはやと太一が新の故郷である福井に旅立ちます。
しかし新に家に行ったのはいいものの出会えず。
そこへお隣さんの女の子が駅前の本屋でバイト先にいる事を教えてくれ
千早達は駅前に戻る先で、新と再会しますが…
ちはやふると電車
この作品では電車が作品内で存在感を表していると思います。
まずOPでは「ちはやふる」のタイトルが出た後のカットが
駅内にいる千早であることからわかります。

二つの電車のの進む道が交差しているのにはどんな意味があるのでしょうか。
さて、今回は千早と太一が福井に向かいますが、
行く時は左から右へ移動することが描写されます。


ケンカしている二人ですが、電車内でも右から左へ移動している事がわかります。

帰りの新が千早達を追いかけるシーンでは
左から右へ電車が移動している事がわかります。
こうした電車の往復させる描写においては、
きちんと往路と復路で方向を逆にしないと映像的に成立しません。
どういう事かといいますと、例えば行きも帰りも右から左へ電車を進行させたら
千早達はどこへ向かってるの?帰る方向は逆ではないの?という話になります。
今回でいえば、右から左に移動して、左から右に進むのできちんと帰った描写になるのです。
一方で、電車内では乗客をいなくさせたり、極力少なくして
千早と太一が派手にケンカしたり、泣いたりしているシーンを
外部が邪魔しないようにしているのもポイントですね。
もしくは乗客が少ないのは、人が少ない田舎であるという演出も兼ねているのかも。
というようにこの作品では電車の存在感は大きいと思います。
現代の日本を舞台にした少年少女の等身大の話を描く時に
電車という場はドラマチックな空間を演出できる場として今後も有効活用されていくでしょうね。
泥にまみれ、泣き、鼻を垂らす千早
今回は上記にあるように、美しい千早が色々なものにまみれてしまいます。



まず新と出会って泥まみれになってしまいました。
千早にとっては自分の服や体がどうなってもいいという気持ち、
むしろそんな事はお構いない精神状況である事だわかります。
ここでも千早の純真さが浮き彫りになった演出です。

おまけ。千早ではなくカルタですが、今回はカルタも水まみれになっています。
千早とカルタは一心同体なのでしょう。

千早が泣くシーン。今回泣くシーンが二つありますがそれぞれで意味合いが違います。
まず、見違えた新に「合わなければよかった」と後悔する千早。悔し涙です。

そして電車を追いかける新を見て、また泣く千早。
今度は「かるたが嫌いではなかった」と安堵する嬉し涙のようです。
画面の白いほんやかとした処理が涙を良い印象として見せていますね。

最後に鼻水。本当に千早は嬉しかったのでしょうね。
私はキャラが鼻水を流す描写が好きなのは
それは嘘で涙は流せるけど、嘘で鼻水は垂らせないからです。
つまりキャラの本当の気持ちが伝わる感じを見せてくれるから。
というように、今回の千早は美人が台無しになる
涙や鼻水を垂らしながらも頑張ってきたことがわかりますね。
あまりにも一途。それはかるたであれ、人(新)に対しても同じのようです。
まとめ
今回は千早と出会う事で新の再生を描いたお話でした。
千早は新を「かるたの神様」と手紙に書きましたが、
そんな新にとってかるたを教えてくれた祖父が「かるたの神様」なら
かるたから離れた新を、再び戻してくれた千早は「かるたの女神様」なのかもしれませんね。
今回の絵コンテ・演出は伊藤尚往さん。
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