サネトシの思うままに世界は向かうのか。
彼が呪いのメタファーであれば
世界は呪いに縛られてしまうのか。
「箱」というテーマを用いてきたピングドラム。
冠葉・晶馬・陽毬・苹果・山下の運命は?
いよいよ「運命」を乗り換える瞬間です!
今回は「箱」に注目してみました!
感想二つに分かれたサネトシと桃果
アバンは、サネトシと桃果が電車内で対峙するシーンから始まります。
それは事件当日、サネトシが世界を壊そうとした日でした。
「僕はこの世界が嫌いなんだって」
「世界はいくつもの箱だよ。人は体を折り曲げて自分の箱に入るんだ。」
「ずっと一生そのままに。やがて箱の中で忘れちゃうんだ。」
「自分がどんな形をしていたのか。何が好きだったのか、誰を好きだったのか」
「だからさ僕は箱から出るんだ。僕は選ばれしもの」
「だからさ僕はこの世界を壊すんだ」以上のように世界を「箱」に見立てて世界を壊そうとするサネトシさん。
このサネトシの台詞でテーマが「個人」のありよう
により深く言及してきているように思いました。




そんな桃果はサネトシを止めようと運命を乗り換える呪文を唱えようとしますが、
サネトシさんは呪いに閉じ込めようとします。
その結果、桃果の呪文は半分で終わってしまい、桃果は二つの帽子に分かれます。
サネトシもまた二つに分かれ、二つの黒兎になります。
つまり桃果は陽毬とマリオさんの帽子に分かれちゃっている状態のようです。
そうすると、プリンセスの正体に関しては、陽毬と桃果の融合体、
もしくは桃果が陽毬の本音を引き出した姿という解釈もできるでしょうね。
あのプリンセスのストレートな物言いは陽毬の本音なのかもしれませんね。
一方のサネトシさんは呪い・幽霊であることが自分自身の発言で確定します。
「私は呪いのメタファーなんだよ」。ストレートすぎます!!
(この発言自体がメタ過ぎるともいえます)
実体としては黒兎として存在しているのかもしれません。
真砂子さんの死と生 冠葉を巧みに操るサネトシ

(まずこの一枚絵は素晴らしいです)
一命を取り留めたかに見えましたが、結局死んでしまう真砂子。
でもサネトシ先生が彼女を生き返るようにします。そして日記の半分を手に入れる冠葉。
冠葉を命がけで救った真砂子ですが、陽毬のことしか見えていない冠葉にとって
このすれ違いは悲劇でしかありません。
それでも真砂子が死んだ時に冠葉の動揺した描写があったのは救いでしたね
まだまだ人の心があるって感じでした。
でも冠葉は、サネトシの死を生に変える力をまじまじと見せつけられて
愛おしい、真砂子を救った力に魅入られた心の隙を衝かれたようにも感じます。
冠葉と真砂子は双子の兄弟である事もわかりましたね。
晶馬と苹果と陽毬



雪の中、苹果と会う晶馬。先生と晶馬の回想の会話シーンでの描写です。
苹果と晶馬の関係は今は、雪のように冷え切った状態なのでしょうか。



子供の頃、冠葉と晶馬に「みつけてもらえる子供になれた」ことに喜び泣く陽毬。
そして今度は晶馬が冠葉を「みつけるように」と伝える陽毬。
冠葉は迷子であり、今度は冠葉を救ってあげてと言う陽毬。
この作品では人の救済を「みつけること」そして見つけられた人に
「愛している」と伝えることが救済としている印象です。
かつて陽毬がみつけられたように、今度は冠葉をみつけないといけないのでしょうね。
このシーン。二人はキスをしていますね。
冠葉と晶馬の対決 第一章
陽毬との肌のふれあいはどうやら幻想のようでした。(でも精神としては真実)
そんな晶馬が目を覚ますと、そこにいるのは冠葉。
どうやら陽毬を奪いにきたようです。

陽毬の為に全てを捨てて、世界を壊そうとする冠葉。
そして陽毬を一途に思い続ける晶馬。
二人の意見は平行線をたどり続けます。まるでOPの歌詞のように交わらないです。

そんな冠葉は晶馬に銃口を向け、その後に晶馬を抱き寄せ、彼の背中に弾を放ちます。
なんとも背徳的な兄弟愛を感じさせる描写になっていますね。
苹果のひたむきさ 雪と炎

ゆりさんから日記の半分と、
日記には運命を乗り換える呪文が書いてある事を教えられる苹果。
日記を知っている苹果は呪文がわからないと言いますが、書いてあることを確信するゆり。
この二人の会話の背景に書かれた円形のテーブルも
「輪るピングドラム」に通底する「輪る」イメージを描写したものになっています。


そんな苹果は冠葉の誘いに乗ってしまい、日記を燃やされてしまいます。
晶馬と会ったシーンは雪、そしてこのシーンでは炎と対照的ですね。
この時に苹果の燃えている本を必死に消そうとする姿がひたむきでした。
晶馬を好きな彼女ですが、同じように陽毬の事も好きなのでしょう。
そして何より運命を乗り換える気がなかった苹果が
陽毬の為に力を使いたいと思うようになっていますね。
彼女の気高さ・素晴らしさが伝わってくる感じでした。
この作品を通して一番好転しているのは間違いなく苹果です。
そして帽子から聞こえる桃果の声を聞く晶馬。
どうやら日記が燃えた事で桃果は喋れるようになったようです。
幾原邦彦監督の「解放」という変わらないテーマ。
「箱」の描写とウテナの「棺」の描写の比較から
今回サネトシさんが言い続けた「箱」という言葉。
EDでは
「人間っていうのは不自由な生き物だね」
「なぜって。それは自分という箱から一生出られないからね」
「その箱はね。僕たちを守ってくれるわけじゃない」
「僕たちから大切なものを奪っていくんだ」
「たとえ隣に誰かいても壁を超えて繋がる事もできない」
「僕らはみんな一人ぼっちなのさ」
「その箱の中で、僕たちは何かを得ることは絶対にないだろう」
「出口なんてどこにもないんだ」「誰も救えやしない」
「だからさ壊すしかないんだ。箱を。人を。世界を!」とも言っています。
どうやら自分を認めてくれない世界を破壊して自分を認めてもらいたい側面もあるようです。
いわゆる「透明な存在」からの脱却。

そんな箱について考えてみたいと思います。
サネトシさんが残した組織KIGAは世界を壊そうとしますが、
彼らが何かを作るものに入っているのは「箱」です。
また描写的に「箱」に掛かってくるのは、10年前の晶馬の子供の回想シーン。

この中には冠葉と晶馬の二人が入っていますが、これもまたサネトシのいう「箱」でしょう。
「箱」の中にいる二人。回想シーンですが、
サネトシの言い方だと人はずっと「箱」に入ったかのような言い方をしています。
そう考えると今でも二人は箱の中にいるのでしょうか。
ここで「少女革命ウテナ」的に考えてみましょう
まず「箱」というのは、ウテナでよく使われたこの言葉を彷彿とさせます。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく、
我らが雛だ、卵は世界だ、世界の殻を破らねば、
我らは生まれず死んでいく、世界の殻を破壊せよ」これらは文学作品ヘルマン・ヘッセの「デミアン」から
ヒントを得て生まれたものですが、「卵の殻」=「箱」と置き換えるのは容易でしょう。
またもっと「箱」に近いものがウテナに登場します。それは「棺」です。
ウテナにおいて棺はよく登場するモチーフです。

(少女革命ウテナ34話「薔薇の刻印」より)
このシーンは両親の死に絶望して、棺に籠って死のうとする主人公ウテナの回想シーン。
サネトシさんのいう事になぞらえば
「体を折り曲げて自分の箱に入っています」
(少女革命ウテナ39話「いつか一緒に輝いて」より)
こちらももう一人の主人公アンシーも体を折り曲げて棺の中に入っています。

(少女革命ウテナ39話「いつか一緒に輝いて」より)
そんな棺の中にいるアンシーを棺から開放しようとするウテナ。
この棺(閉じこもった精神)からの開放がウテナという作品の根幹的テーマともいえます。

(今回のラストショット。箱の中にいる冠葉)
こうして見ると、「箱」も「棺」も同じ存在・意味をもったものなのだろうと思います。
今の冠葉は自分の殻に「箱」に閉じこもっている状態といえるでしょう。
そして冠葉に必要なのは陽毬の言うように「冠葉に愛していると伝える」こと。
冠葉は愛されている事を認識させることなのでしょう。
そしてウテナとの比較でわかったのですが、
幾原監督は本質的な部分で全くぶれていませんね。
ウテナでは「棺」からの解放、ピンドラでは「箱」からの解放、そして「世界」の解放について
「少女革命ウテナ」でも「輪るピングドラム」でも問い続けているのです。
私としてはこの「棺」「箱」「世界」からの「解放」というテーマに関しては
一生問い続けて初めて意味がある問題だと思います。
そしてこの問題は問い続けても答えが出る問題ではありませんが、
問い続ける行為そのものにこそ、そこに意味が生まれてくる問題・テーマだと思います。
なので幾原監督がこの二つの作品を通して問い続けているのは、全くもって正しいと感じます。だからピングドラムとウテナで内容は違いますし、発信しているメッセージも違いますが
ある根っこの部分では同じであり、そうした態度は創作者のモラルとして
私は支持したいと考えています。
ウテナでは「純粋さ」「ひたむきさ」が「棺」を、世界を解放するものとして描かれましたが、
ピングドラムは何をもって「箱」を解放するのか。
サネトシのいう世界を破壊する為に「箱」を壊すのではなく
どう「箱」と向き合い接していくことで、「箱」を乗り越えるのか。
キーワードは「家族」であると予想はできますが、さてそれをどう見せるのか!
まとめ
私は「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」という言葉が大好きです。
運命っていうと、重い言葉として捉えがちですが、
電車のようにって形容詞が付くと、なんだか簡単な感じに聞こえます。
この簡単な感じが素晴らしい。もっと運命なんて気楽に考えて
電車を乗り換える感じで考えればっていうメッセージにも聞こえます。
こうした言葉のセンスって私的には劇作家・歌人の寺山修司を彷彿とさせます。
まぁ幾原さん自身も寺山修司への影響を公言しています。
寺山には「書を捨てよ街へ出よう」という著があるのですが、
この本のタイトルと「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」の言葉遣いが
近いって感じに受け取れてしまいます。
というかピングドラムという作品自体が
「書(箱)を捨てよ街(世界)へ出よう」という言葉で表現できるのかもしれませんね。
そんな「運命」をどう乗り換えるのかを期待しながら来週はいよいよ最終回です。


交わらないイマジナリーラインと、絶対に交わらないとOP歌詞で表現された冠葉と晶馬。
赤と青の決着をつける時が来たようです。
そういえば「スタードライバー輝きのタクト」も
最後はタクトとスガタの赤と青の対決でしたね。
幾原さんも榎戸さんも赤と青を対決軸を持ってきているのは面白いです。回想シーンで考えると、二人の対決は箱の中にいた10年前から始まっていたわけで
今まで持ちこしていたっていうのが正しい言い方でしょうね。
陽毬によって愛を知った二人がどうするのか。
私的な予想では冠葉と陽毬、晶馬と苹果でまとまるのが自然かなぁと思います。
あと日記は焼けましたが、たぶん苹果は呪文を使えると思います。
という展開の予想も楽しいですが、
まずは幾原監督とスタッフがどんな面白い表現で
その展開を見せてくれるのかに期待です。
- 関連記事
-
感想二つに分かれたサネトシと桃果
アバンは、サネトシと桃果が電車内で対峙するシーンから始まります。
それは事件当日、サネトシが世界を壊そうとした日でした。
「僕はこの世界が嫌いなんだって」
「世界はいくつもの箱だよ。人は体を折り曲げて自分の箱に入るんだ。」
「ずっと一生そのままに。やがて箱の中で忘れちゃうんだ。」
「自分がどんな形をしていたのか。何が好きだったのか、誰を好きだったのか」
「だからさ僕は箱から出るんだ。僕は選ばれしもの」
「だからさ僕はこの世界を壊すんだ」以上のように世界を「箱」に見立てて世界を壊そうとするサネトシさん。
このサネトシの台詞でテーマが「個人」のありよう
により深く言及してきているように思いました。




そんな桃果はサネトシを止めようと運命を乗り換える呪文を唱えようとしますが、
サネトシさんは呪いに閉じ込めようとします。
その結果、桃果の呪文は半分で終わってしまい、桃果は二つの帽子に分かれます。
サネトシもまた二つに分かれ、二つの黒兎になります。
つまり桃果は陽毬とマリオさんの帽子に分かれちゃっている状態のようです。
そうすると、プリンセスの正体に関しては、陽毬と桃果の融合体、
もしくは桃果が陽毬の本音を引き出した姿という解釈もできるでしょうね。
あのプリンセスのストレートな物言いは陽毬の本音なのかもしれませんね。
一方のサネトシさんは呪い・幽霊であることが自分自身の発言で確定します。
「私は呪いのメタファーなんだよ」。ストレートすぎます!!
(この発言自体がメタ過ぎるともいえます)
実体としては黒兎として存在しているのかもしれません。
真砂子さんの死と生 冠葉を巧みに操るサネトシ

(まずこの一枚絵は素晴らしいです)
一命を取り留めたかに見えましたが、結局死んでしまう真砂子。
でもサネトシ先生が彼女を生き返るようにします。そして日記の半分を手に入れる冠葉。
冠葉を命がけで救った真砂子ですが、陽毬のことしか見えていない冠葉にとって
このすれ違いは悲劇でしかありません。
それでも真砂子が死んだ時に冠葉の動揺した描写があったのは救いでしたね
まだまだ人の心があるって感じでした。
でも冠葉は、サネトシの死を生に変える力をまじまじと見せつけられて
愛おしい、真砂子を救った力に魅入られた心の隙を衝かれたようにも感じます。
冠葉と真砂子は双子の兄弟である事もわかりましたね。
晶馬と苹果と陽毬



雪の中、苹果と会う晶馬。先生と晶馬の回想の会話シーンでの描写です。
苹果と晶馬の関係は今は、雪のように冷え切った状態なのでしょうか。



子供の頃、冠葉と晶馬に「みつけてもらえる子供になれた」ことに喜び泣く陽毬。
そして今度は晶馬が冠葉を「みつけるように」と伝える陽毬。
冠葉は迷子であり、今度は冠葉を救ってあげてと言う陽毬。
この作品では人の救済を「みつけること」そして見つけられた人に
「愛している」と伝えることが救済としている印象です。
かつて陽毬がみつけられたように、今度は冠葉をみつけないといけないのでしょうね。
このシーン。二人はキスをしていますね。
冠葉と晶馬の対決 第一章
陽毬との肌のふれあいはどうやら幻想のようでした。(でも精神としては真実)
そんな晶馬が目を覚ますと、そこにいるのは冠葉。
どうやら陽毬を奪いにきたようです。

陽毬の為に全てを捨てて、世界を壊そうとする冠葉。
そして陽毬を一途に思い続ける晶馬。
二人の意見は平行線をたどり続けます。まるでOPの歌詞のように交わらないです。

そんな冠葉は晶馬に銃口を向け、その後に晶馬を抱き寄せ、彼の背中に弾を放ちます。
なんとも背徳的な兄弟愛を感じさせる描写になっていますね。
苹果のひたむきさ 雪と炎

ゆりさんから日記の半分と、
日記には運命を乗り換える呪文が書いてある事を教えられる苹果。
日記を知っている苹果は呪文がわからないと言いますが、書いてあることを確信するゆり。
この二人の会話の背景に書かれた円形のテーブルも
「輪るピングドラム」に通底する「輪る」イメージを描写したものになっています。


そんな苹果は冠葉の誘いに乗ってしまい、日記を燃やされてしまいます。
晶馬と会ったシーンは雪、そしてこのシーンでは炎と対照的ですね。
この時に苹果の燃えている本を必死に消そうとする姿がひたむきでした。
晶馬を好きな彼女ですが、同じように陽毬の事も好きなのでしょう。
そして何より運命を乗り換える気がなかった苹果が
陽毬の為に力を使いたいと思うようになっていますね。
彼女の気高さ・素晴らしさが伝わってくる感じでした。
この作品を通して一番好転しているのは間違いなく苹果です。
そして帽子から聞こえる桃果の声を聞く晶馬。
どうやら日記が燃えた事で桃果は喋れるようになったようです。
幾原邦彦監督の「解放」という変わらないテーマ。
「箱」の描写とウテナの「棺」の描写の比較から
今回サネトシさんが言い続けた「箱」という言葉。
EDでは
「人間っていうのは不自由な生き物だね」
「なぜって。それは自分という箱から一生出られないからね」
「その箱はね。僕たちを守ってくれるわけじゃない」
「僕たちから大切なものを奪っていくんだ」
「たとえ隣に誰かいても壁を超えて繋がる事もできない」
「僕らはみんな一人ぼっちなのさ」
「その箱の中で、僕たちは何かを得ることは絶対にないだろう」
「出口なんてどこにもないんだ」「誰も救えやしない」
「だからさ壊すしかないんだ。箱を。人を。世界を!」とも言っています。
どうやら自分を認めてくれない世界を破壊して自分を認めてもらいたい側面もあるようです。
いわゆる「透明な存在」からの脱却。

そんな箱について考えてみたいと思います。
サネトシさんが残した組織KIGAは世界を壊そうとしますが、
彼らが何かを作るものに入っているのは「箱」です。
また描写的に「箱」に掛かってくるのは、10年前の晶馬の子供の回想シーン。

この中には冠葉と晶馬の二人が入っていますが、これもまたサネトシのいう「箱」でしょう。
「箱」の中にいる二人。回想シーンですが、
サネトシの言い方だと人はずっと「箱」に入ったかのような言い方をしています。
そう考えると今でも二人は箱の中にいるのでしょうか。
ここで「少女革命ウテナ」的に考えてみましょう
まず「箱」というのは、ウテナでよく使われたこの言葉を彷彿とさせます。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく、
我らが雛だ、卵は世界だ、世界の殻を破らねば、
我らは生まれず死んでいく、世界の殻を破壊せよ」これらは文学作品ヘルマン・ヘッセの「デミアン」から
ヒントを得て生まれたものですが、「卵の殻」=「箱」と置き換えるのは容易でしょう。
またもっと「箱」に近いものがウテナに登場します。それは「棺」です。
ウテナにおいて棺はよく登場するモチーフです。

(少女革命ウテナ34話「薔薇の刻印」より)
このシーンは両親の死に絶望して、棺に籠って死のうとする主人公ウテナの回想シーン。
サネトシさんのいう事になぞらえば
「体を折り曲げて自分の箱に入っています」
(少女革命ウテナ39話「いつか一緒に輝いて」より)
こちらももう一人の主人公アンシーも体を折り曲げて棺の中に入っています。

(少女革命ウテナ39話「いつか一緒に輝いて」より)
そんな棺の中にいるアンシーを棺から開放しようとするウテナ。
この棺(閉じこもった精神)からの開放がウテナという作品の根幹的テーマともいえます。

(今回のラストショット。箱の中にいる冠葉)
こうして見ると、「箱」も「棺」も同じ存在・意味をもったものなのだろうと思います。
今の冠葉は自分の殻に「箱」に閉じこもっている状態といえるでしょう。
そして冠葉に必要なのは陽毬の言うように「冠葉に愛していると伝える」こと。
冠葉は愛されている事を認識させることなのでしょう。
そしてウテナとの比較でわかったのですが、
幾原監督は本質的な部分で全くぶれていませんね。
ウテナでは「棺」からの解放、ピンドラでは「箱」からの解放、そして「世界」の解放について
「少女革命ウテナ」でも「輪るピングドラム」でも問い続けているのです。
私としてはこの「棺」「箱」「世界」からの「解放」というテーマに関しては
一生問い続けて初めて意味がある問題だと思います。
そしてこの問題は問い続けても答えが出る問題ではありませんが、
問い続ける行為そのものにこそ、そこに意味が生まれてくる問題・テーマだと思います。
なので幾原監督がこの二つの作品を通して問い続けているのは、全くもって正しいと感じます。だからピングドラムとウテナで内容は違いますし、発信しているメッセージも違いますが
ある根っこの部分では同じであり、そうした態度は創作者のモラルとして
私は支持したいと考えています。
ウテナでは「純粋さ」「ひたむきさ」が「棺」を、世界を解放するものとして描かれましたが、
ピングドラムは何をもって「箱」を解放するのか。
サネトシのいう世界を破壊する為に「箱」を壊すのではなく
どう「箱」と向き合い接していくことで、「箱」を乗り越えるのか。
キーワードは「家族」であると予想はできますが、さてそれをどう見せるのか!
まとめ
私は「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」という言葉が大好きです。
運命っていうと、重い言葉として捉えがちですが、
電車のようにって形容詞が付くと、なんだか簡単な感じに聞こえます。
この簡単な感じが素晴らしい。もっと運命なんて気楽に考えて
電車を乗り換える感じで考えればっていうメッセージにも聞こえます。
こうした言葉のセンスって私的には劇作家・歌人の寺山修司を彷彿とさせます。
まぁ幾原さん自身も寺山修司への影響を公言しています。
寺山には「書を捨てよ街へ出よう」という著があるのですが、
この本のタイトルと「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」の言葉遣いが
近いって感じに受け取れてしまいます。
というかピングドラムという作品自体が
「書(箱)を捨てよ街(世界)へ出よう」という言葉で表現できるのかもしれませんね。
そんな「運命」をどう乗り換えるのかを期待しながら来週はいよいよ最終回です。


交わらないイマジナリーラインと、絶対に交わらないとOP歌詞で表現された冠葉と晶馬。
赤と青の決着をつける時が来たようです。
そういえば「スタードライバー輝きのタクト」も
最後はタクトとスガタの赤と青の対決でしたね。
幾原さんも榎戸さんも赤と青を対決軸を持ってきているのは面白いです。回想シーンで考えると、二人の対決は箱の中にいた10年前から始まっていたわけで
今まで持ちこしていたっていうのが正しい言い方でしょうね。
陽毬によって愛を知った二人がどうするのか。
私的な予想では冠葉と陽毬、晶馬と苹果でまとまるのが自然かなぁと思います。
あと日記は焼けましたが、たぶん苹果は呪文を使えると思います。
という展開の予想も楽しいですが、
まずは幾原監督とスタッフがどんな面白い表現で
その展開を見せてくれるのかに期待です。
- 関連記事
-
今この場に至って問い続けているようでは役不足だと思います。(この一話しか見てないので勘違いかもしれませんが…)
以下、かなり電波はいるのでご注意を。
最近、古い漫画家が活発に動いている気がしないでしょうか。
クランプの暴走。
エアギアにおける空の王(ムシケラの王)の誕生。
るろうに剣心の実写化。
シャーマンキングの復活。
ライジングインパクト作者による「七つの大罪」。
さらには、押井守のコピー発言。
そして、ウテナ以来十数年ぶりのこの作品。
まるで、何かの急き立てられるかのように名乗りを上げ始めた。
我こそは、クロスオーバーだ、次元の魔女だ。と。
我こそは、虫けらの、力なきものの声だ。と。
我こそは、るろうに剣心だ、と。
我こそは、死者の代弁者だ、と。
我こそは、騎士道だ。と。
俺にも名乗らせてくれ、名乗りを上げさせてくれ、と。
多分、もうすぐそこまで来ているんです。
聖杯戦争、運命の列車、新たな祖(王、神)の生まれる時、色々な作品で描かれてきた時代の変わり目、世界の終末とはじまり、次の大きな波がすぐそこに迫ってきている。
列車の発車を告げるベルが、世界の脈動が、世界の声が、星々の導きが、いたるところでいろんな人の心に鳴り響いている。
遅れるな、まだ間に合う、今すぐにでも馳せ参じろ、と。
そして、そこに集まることできたやつで誰が一番強いのか、次へと連れて行ってもらえるのか、を決める。
その時に、なにも定まっていない奴は不要なんです。
答えの出ているものしかそこにいてはいけない。
でなければ、大きな波(波動)に呑まれ自分を見失う。
その問い続けてきたことも何もかもが押し流され後には何も残らなくなる。
だからこそ、これはこの監督の十年の答え。
この答えを次へと持って行ってくれ、次へ行くものへ渡すために駅のホームへにやってきた。
運命を乗り換える呪文。
これはカリバーンや愉悦、野望、理想、そういうものです。
それを知った時、手に入れた時、そいつは力を手にする。
しかしそれは、使い方を誤れば自分も相手も傷つけ、正しく使えば、大切な誰かを救うことも、世界を革命することも可能な力。
それは明確な言葉になっているものではなく、それを必要とするものの必要な時に、その人の心の内に現れる。
世界の声として、世界の脈動、波動、導きと呼ばれる形で。
そして、それを知った時からそれに縛られることになる。
この作品は、これから先へ行く列車に乗れるものへのメッセージなのかなと思います。
答えはきっとどこかに書いてある。見つけてくれ。そして、君の力に変えてくれ。
早く目を覚ましてくれ、見つけてくれ君だけのピングドラム(力)を。
もう時間がない、次への列車に乗り遅れるな。
一人ぼっちだ、人間は箱の中からでられない、そんなことをいう黒いウサギに捕まるな、と。
多分気づいているんでしょう、自分自身は乗れないことを誰かに託すしかないことを。
だからこそ、ここに持ってきているのは答えだと思います。
もう変わることのない答え。到達点。限界。
だからこそのOPの歌詞だと思います。
窓を開き手招く謎の声(世界の声、脈動、導き)
秘め事(答え)をあかし戦う聖戦。