ヱヴァンゲリオン新劇場版Qを見て改めて思ったこと。
感想は
ヱヴァンゲリヲン新劇場版Qはガキシンジを完璧に描いた大傑作!(感想) 個人的にやはり良かったのは、シンジと冬月の絡み。
冬月コウゾウファンとして、この二人の絡みこそQの真骨頂だった。元々冬月はTV版から基本的なスタンスは受身。
自分から積極的に行動する事はなく、
ただゲンドウの傍で進んでいくシナリオを傍観するのみのキャラとして描かれていた。
ユイとの出会いも、ゲンドウとの出会いも全て彼らからのアタック。
ネルフに参加することになったのもゲンドウの作戦。
ゼーレに拉致され、最終的には加持に助けられ時も自分で動く気配は見せなかった。
とはいっても、冬月の行動原理はゲンドウと同じユイへの再会と思慕にあり
ネルフへの参加と補完計画への協力という点では意志をみせている。
唯一、積極性というかシンジやアスカと接触した例としては
TV版9話でパイロットとしての本分を諭したことぐらいだった。
これは諭した時の状況がゲンドウ不在であり、司令代行だった為であるからだろう。
基本的にはそんなに積極的ではない。
そんな殆ど、自分から動くことが無かった冬月コウゾウが
自分からシンジに対して将棋を打とうと誘う。
初めて自分からの行動を見せたのがヱヴァQなんですよ!
将棋を通してシンジに対して過去の事をお母さんの事を話す冬月。
おそらくユイ君の話がしたくて仕方がなかったのだろう。
ゲンドウとはそんなにユイ君の話はできないだろうし。
それにしても服の中にユイ君の写真を忍ばせてあったのは凄かった。
これは私の妄想だが、ゲンドウが過去のユイ関係の写真などを全て抹消したということは
冬月が持っていたユイ関係の資料も全て抹消してもおかしくはないと思っていたので、
写真を持っていることに対しては、隠し通していたのかなと思った。
そんな冬月はシンジと話し終えてから自分の事を嫌な役割であることみたいな事を言っていたが
それは自分の思慕した女性の忘れ形見に対しての想いであり
またはゲンドウを知ってほしいという願いであったのかもしれない。
こうした冬月の描かれた方の理由としては、
① 大人側からシンジに手を差し伸べるキャラの必要性。
② ほぼ何も知らないシンジ=観客に情報を与える存在としての役割。
③ 冬月というキャラの新解釈として、新しく盛り込みたかった要素。
以上が挙げられるのではないだろうか。
特に①に関しては、大人側に属したミサトもリツコもゲンドウも突き放し続けた
Qの世界で唯一、大人側から手を差し伸べたのが冬月コウゾウだったわけであり
この点を考慮すると、シンジにもまだ見ている人がいるという事を
冬月を通して描きたかったのではないかと推察できる。
まとめ
このゲンドウから言わせれば冬月のこの行動も
「これもシナリオ通り」なのかもしれない。
もしくはゲンドウの心境を読んで冬月が動いたのか。
どちらにしても状況を傍観していた冬月という男が見せた行動に対して
長年の冬月ファンからすると心打たれるわけである。
冬月もQになって老いた。14年過ぎたということは既に74歳。
ますますその尖ったアゴにも磨きがかかっていた。
30年以上前に出会った教え子に対して思慕する点で、
老境に差し掛かってもいつまでもユリンを思慕し続けるフリットの姿と被るところがあった。
果たして冬月コウゾウは新劇場版でも祝福されるのか。
この点を期待して、最後のシンの鑑賞に備えたい。
それにしても「後31手で君の詰みだ」ってシンジに言ったあとに
31分後にカヲル君が自爆する展開する話もあるそうだ。次見るときは確かめたい。
冬月の目は全てを見通せる。
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積極的に行動したのではありません。
シンジが去った後、
冬月「嫌な役だな」
って言ったの覚えてない??
積極的にやったんじゃなくて今回も指示された。