勇太と六花で紡がれる新たな物語。
中二病自体を持ち続ける事が重要というより
自身の心の中にどういう物語・ファンタジーを
持って生きたら、楽しく・意味があるかを
問題提起した作品だと思います。
感想

髪を下ろした凸森は可愛いですね。
確かにツインテールって子供っぽく見える。
ツインテールからの脱却を、中二病からの卒業にしている感じ。
女の子にとっての髪の扱いというのは、生き方そのものなのでしょう。


眼帯をかけているくみん先輩。
まさか六花の中二病は伝染する力を持っているのか。

中二病を止めたモリサマーさんもなんだかんだで、
いろいろ思っているフシはあるようで。

結局、勇太が目指していたのは、こんなのではなかった。
六花が引っ越したことも知らなかった勇太は
やっと現実が自分とは動いてしまうことに気づいたのでしょう。
でもこんな現実、俺は認めない!だから中二病になる。
コインの裏が出て、ダークフレイムマスターに戻った勇太。
その不敵な笑みがカッコイイ。
こうして勇太は六花を取り戻しに行くのですが
この途中でくみん先輩が、
六花が中二病になったのは勇太の姿を見てからという事を告白します。
全ての現況は勇太だったというオチ。



父の死を普通に受け入れ、普通・平凡な世界に戻った六花に対して
そんな世界にいていいのか!と勇太は六花を突き動かす。
六花をまた新しい世界へ導く勇太。
勇太の姿、中二病な勇太は六花を2度救ったわけです。


海=父親の死に見立てつつも、不可視境界線へ繋げる描写。
そして物語はクライマックスへ。
海岸の光に導かれ、勇太と六花は海岸で立ち止まる。
そこで勇太は六花を誘い、不可視境界線を見せる。
六花は儀礼的な父との別れではなく(葬式とか墓参りではない)
本当の六花自身の心に決着をつける別れを送る。
まさか不可視境界線を本当に見せてくるのが京都アニメーションらしいというか。
シリーズ前半であった妄想バトルシーンの描写がここで伏線となって生きてくる。
最後は二人で自転車を左側から右側へ元いた方向に戻って
漕ぎ出していくっていうのがいいなぁ。

最後は六花がまた上から降りてやってくる。
元の木阿弥というか元通りというか、初めからというか、とにかくそういう話。
はじまりに戻る(決してそれだけではないけど)北野武の映画「キッズリターン」みたいですね。
まとめ
中二病がどうこういうより、現実をどういう目線で見るか、態度を取るか。
その為にはどうすればいいのかを、この作品は示したと思います。
そしてどう現実に受け入れコミットするか。
かつて父親の死から味気なくなった現実に、
六花は中二病な勇太の姿を見てこう生きればいいのかと感じたわけです。
そんな中で実際に勇太と知り合い、深く繋がっていきつつも、
張本人の勇太から味気ない現実に帰れと引導を渡されました。
ただそれでは現実は味気ないという事で、勇太は六花と一緒に
中二病、いやむしろ中二病的なファンタジーを持ち続けながら生きることのほうが
現実は楽しいし、意味があるという話を説いたのではないかと思います。
別に「邪王心眼が」「ダークフレイムマスター」がという中二病ではなく
心にどうファンタジーを物語(物語性)を持つのかという
問題提起をした話が「中二病だけど恋がしたい」なのではと思います。
最終話の作画監督、植野千世子さんのエフェクト良かったですね。
植野さんは煙のボワっとする、空気の移動感がいいなぁ。
さて、本作品のまとめを語ります。
まず京都アニメーションが自社レーベルの小説原作を手がけるという
今までの作品とは一風変わった形で世に送り出されたのが印象的でした。
たぶん京都アニメーションは、自社主導で物語を作りたいという気持ちが強いのでしょう。
そのために自社レーベルの小説を作ったのだと思いますし
アニメには原作に無い、オリジナルキャラを用意したのだと思います。
こうした京都アニメーションの気持ちが結構純粋に前に出た作品であり
予想以上にシリアスな感じに向かっていく展開が心地よかったです。
特に花田十輝さんのものの捉え方が面白いなぁと。
また個人的に好きな感じ・トーンで話が進んでいった感じです。
面白い以上に好きという印象が強い作品でした。

京アニ次作のたまこまーけっとも期待しています。
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感想

髪を下ろした凸森は可愛いですね。
確かにツインテールって子供っぽく見える。
ツインテールからの脱却を、中二病からの卒業にしている感じ。
女の子にとっての髪の扱いというのは、生き方そのものなのでしょう。


眼帯をかけているくみん先輩。
まさか六花の中二病は伝染する力を持っているのか。

中二病を止めたモリサマーさんもなんだかんだで、
いろいろ思っているフシはあるようで。

結局、勇太が目指していたのは、こんなのではなかった。
六花が引っ越したことも知らなかった勇太は
やっと現実が自分とは動いてしまうことに気づいたのでしょう。
でもこんな現実、俺は認めない!だから中二病になる。
コインの裏が出て、ダークフレイムマスターに戻った勇太。
その不敵な笑みがカッコイイ。
こうして勇太は六花を取り戻しに行くのですが
この途中でくみん先輩が、
六花が中二病になったのは勇太の姿を見てからという事を告白します。
全ての現況は勇太だったというオチ。



父の死を普通に受け入れ、普通・平凡な世界に戻った六花に対して
そんな世界にいていいのか!と勇太は六花を突き動かす。
六花をまた新しい世界へ導く勇太。
勇太の姿、中二病な勇太は六花を2度救ったわけです。


海=父親の死に見立てつつも、不可視境界線へ繋げる描写。
そして物語はクライマックスへ。
海岸の光に導かれ、勇太と六花は海岸で立ち止まる。
そこで勇太は六花を誘い、不可視境界線を見せる。
六花は儀礼的な父との別れではなく(葬式とか墓参りではない)
本当の六花自身の心に決着をつける別れを送る。
まさか不可視境界線を本当に見せてくるのが京都アニメーションらしいというか。
シリーズ前半であった妄想バトルシーンの描写がここで伏線となって生きてくる。
最後は二人で自転車を左側から右側へ元いた方向に戻って
漕ぎ出していくっていうのがいいなぁ。

最後は六花がまた上から降りてやってくる。
元の木阿弥というか元通りというか、初めからというか、とにかくそういう話。
はじまりに戻る(決してそれだけではないけど)北野武の映画「キッズリターン」みたいですね。
まとめ
中二病がどうこういうより、現実をどういう目線で見るか、態度を取るか。
その為にはどうすればいいのかを、この作品は示したと思います。
そしてどう現実に受け入れコミットするか。
かつて父親の死から味気なくなった現実に、
六花は中二病な勇太の姿を見てこう生きればいいのかと感じたわけです。
そんな中で実際に勇太と知り合い、深く繋がっていきつつも、
張本人の勇太から味気ない現実に帰れと引導を渡されました。
ただそれでは現実は味気ないという事で、勇太は六花と一緒に
中二病、いやむしろ中二病的なファンタジーを持ち続けながら生きることのほうが
現実は楽しいし、意味があるという話を説いたのではないかと思います。
別に「邪王心眼が」「ダークフレイムマスター」がという中二病ではなく
心にどうファンタジーを物語(物語性)を持つのかという
問題提起をした話が「中二病だけど恋がしたい」なのではと思います。
最終話の作画監督、植野千世子さんのエフェクト良かったですね。
植野さんは煙のボワっとする、空気の移動感がいいなぁ。
さて、本作品のまとめを語ります。
まず京都アニメーションが自社レーベルの小説原作を手がけるという
今までの作品とは一風変わった形で世に送り出されたのが印象的でした。
たぶん京都アニメーションは、自社主導で物語を作りたいという気持ちが強いのでしょう。
そのために自社レーベルの小説を作ったのだと思いますし
アニメには原作に無い、オリジナルキャラを用意したのだと思います。
こうした京都アニメーションの気持ちが結構純粋に前に出た作品であり
予想以上にシリアスな感じに向かっていく展開が心地よかったです。
特に花田十輝さんのものの捉え方が面白いなぁと。
また個人的に好きな感じ・トーンで話が進んでいった感じです。
面白い以上に好きという印象が強い作品でした。

京アニ次作のたまこまーけっとも期待しています。
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