今回は、私の好きな物語の方向性の話。
E.H.シューマッハという経済学者の「スモール・イズ・ビューティフル」という著書の中で
G・N・M・ティレルという人は、
論理的に解決できる問題を「収斂する問題」
論理的に詰めても解決できない問題を「拡散する問題」
と紹介し、今の現代社会は収斂する問題ばかり
解決できる問題ばかり先行して取り組んでいるとシューマッハは指摘している。
 | スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫) (1986/04/07) F・アーンスト・シューマッハー
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収斂する問題として挙げていたのは、科学技術等々。
拡散する問題として挙げていたのは、哲学etc。
私はこの考えが好きである。
どうしても全ての物事は解決できるものとしてみてしまいがちだが
実際には解決できない問題が世界には満ち溢れている。
その意味では物語も例えるなら拡散する問題を扱うような、
解決できない・答えを出せない題材/テーマを扱う作品が好きなのかもしれない。
むしろ解決できない問題に取り組むのが、
文学を中心とした物語の醍醐味なのではないだろうかとすら思う。
そんな上記で挙げた「収斂する問題」と「拡散する問題」を
例として「魔法少女まどか☆マギカ」に当てはめてみたい。
まどか☆マギカでは魔法少女というシステムの悲劇や欠陥を克服していく「収斂する問題」。
魔法少女を克服しても、魔獣という新たなシステムが起こったように
システムがある限り、新しいシステムが生まれる「拡散する問題」を描いた作品だと私は思う。
富野さんの作品でも、人の業や集団から生まれる悪癖などを含め、
「拡散する問題」を扱っていると私は思う。
ただ一方で、解決できる問題を扱う「収斂する問題」も
物事が解決できるだけに、解決するカタルシスが味わえる点はある。
その意味では、物語は解決できる「収斂する問題」と解決できない「拡散する問題」を
テーマレベルにおいてそれぞれ上手く扱うことが、
作品の魅力を引き出すポイントになるのかもしれないと思った。
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まどかマギカの魔獣という展開は
少年漫画でよくある
敵敗れる→新たな敵
ではなく
物語では解決できない部分ですよね。
むしろ
こういうものなのだと考えてしまいます。
その点、見方によっては悲しいものですが
その部分こそが深い部分だと感じます。
これからも勉強として読ませていただきます。
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ぽんこつ