機動戦士ガンダム逆襲のシャアにおける、ミライさんについての考察をしたい。
まずミライ・ノア(旧:ミライ・ヤシマ)は、逆襲のシャアの中において、
主役のアムロ、シャアは別として、脇役のクエスやナナイと比べても
登場数やセリフ数がキャラに比べて少ない。
しかしミライは作品内において、極めて重要な役割を握ったキャラクターといえる。
その理由を解き明かしていきたい。
・母親を求めたシャアと母親になったミライ
シャアは最後の最後でアムロに
「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。
そのララァを殺したお前に言えたことか」
という告白をする。今まで道化を演じ本音を隠してきた
シャアの本当の意味での最初で最後の本音だといえるだろう。
ではこのシャアが言った「母親」について考えるとき、
誰が宇宙世紀ガンダムで母親なのか/なったのかと考えた場合
母親に該当する女性がミライだけだからである。
確かにミライ以外にも、逆シャアまでのガンダムシリーズにおいて
登場した母親には、アムロやカミーユの母親がいる。
確かに彼女たちは母親ではあったが、
主人公達にとって決して良き母親という側面で描かれるわけではなく、
主人公達への境遇に対する無理解や別離の象徴として描かれ、
ネガティブなイメージの母親像であった。
(※ただ1stガンダムにおけるアムロの母の話は
ザンボット3から続く、乳離れの継承もあるのは留意しておきたい。)
さらにハヤトと結婚し、カツ達を養子として引き取ったフラウ・ボゥがいるが、
子供を身ごもった段階までしか描かれていないので、
本当の意味で母親になる直前までの姿しか描かれていない。
その中で逆シャアの段階までは、きちんとハサウェイ達を育て
夫のブライトとも良き関係を築いたであろうミライ。
シャアが求めていた母親像とは違うかもしれないが
1stから逆シャアまでの宇宙世紀ガンダムで
結婚・出産を経て母親になったことを体現していたのはミライなのである。
ミライとララァの比較において
ミライの重要性は、ララァと比較するとより明確になる。
例えば、以下のセリフ。
母親になったミライは、いつまでも子供なシャアの事を
「シャアならやるわ。母さんも昔、戦った事があるからわかるの。
地球の人は荒れるだけでしょ、シャアは純粋すぎる人よ」
と評している。
一方でシャアにとって母親になってくれるかもしれないララァも
「彼は純粋よ」
とアムロの夢の中で言っている。
母親になったミライと母親になってくれるかもしれないララァ。
その二人から同じ「純粋」という言葉を使うが、
もしかすると意図するニュアンスは違うのかもしれない。
ミライが母親目線からシャアを純粋と評したのはおおよそわかるが
ララァが自分をどこの目線/ポジションにおいてシャアを純粋と評したのだろうか。
ここでララァとの対比の意味でミライの存在がより明確化されてくる。
地球のミライと宇宙のララァ
ミライとララァの関係についてより掘り下げる上で、
キャラクターの居場所という枠組みで考える。
それはシャア、アムロ、ブライト、クエス、ハサウェイ、ナナイ、ギュネイ、チェーンなど
主要キャラの殆どが宇宙に全ているのに対して、ミライだけが地球にいる点。これは戦いの舞台は宇宙なので、主要キャラが宇宙にいるのは当然なのだが、
この事の意味をララァという観点から考えていきたい。
この事については、機動戦士Zガンダム15話「カツの出撃」で
アムロとシャア(クワトロ大尉)のやり取りを抜粋する。
クワトロ「君も宇宙に来ればいい」
アムロ「行きたくはない、あの無重力帯の感覚は怖い」
クワトロ「ララァに会うのが怖いんだろう」
クワトロ「死んだ者に会えるわけがないと思いながら、どこかで信じている。だから怖くなる」.
アムロ「いや」
クワトロ「生きてる間に、生きている人間のすることがある。それを行うことが死んだものへのたむけだろう」.
アムロ「喋るな!!」
ここでシャアとアムロにとっての宇宙がどういう意味なのかがわかる。
つまり二人のとって宇宙とはララァと交わってしまう場所であり、
端的にいえば宇宙がララァなのだ。
だからこそララァの呪いにかかったシャアとアムロの決着は
宇宙で行う必然性が生まれ、それはララァという呪いに踊らされ続けたともいえるのだ。
そして、シャアに引っ張られたクエス、ナナイ。
アムロに引っ張られたチェーン。クエスに引っ張られたハサウェイ・ギュネイ。
つまりララァの呪いを直接・関節的に受けてしまったものが、
宇宙にいるという見方もできるのだ。
その中でララァの呪いとは無縁であり、唯一地球にいるミライが、
宇宙・地球という作品内におけるバランサーとしての役割を果たすのだ。
宇宙にはララァの呪いがあるが。ミライは地球で生きているのだ。
ミライの元婚約者カムラン・ブルームの存在
ミライの存在感を一際際立たせる上で、
1stガンダムではミライの元婚約者であった、カムランが再登場をするのはとても意味深い。
カムランは、ネオジオンとシャアの行動をブライトにリークをして
ロンドベルに核弾頭を横流しするという物語展開において重要な役割を果たしている。
そんなカムランの動機は
「私はミライさんに生きていて欲しいから、こんな事をしているんですよ」
に集約されている。つまりミライに集約されているのだ。
劇構成的に1stからZZまでの登場人物で連邦側内部にいる人物が限られている面が考慮され
カムランに再登場の白羽の矢が立ったと思うが、カムランが登場することで
元婚約者のミライ(さらに恋敵のブライト)の存在感が際立ってくるのだ。
それは上記でも指摘したように、
宇宙世紀の物語の主役はシャアとアムロであるが、彼ら以外の人間の物語もある。その彼ら以外を代表するのがミライとブライトであり、
カムランがこれを支える構造が浮かんでくるのだ。
逆襲のシャアにとって、ミライ(もしくはブライト)の存在が重要であるからこそ
カムランが再登場してきたと私はみている。
ラストカットからの考察
逆シャアのアクシズから地球から離れた以降のシーンの、
ラストカットの繋ぎ方から考えてみたい。
特にED曲に入る前の最後の3カットをここに掲載する。



宇宙に漂流するハサウェイ(たぶん彼の視線の先にはサイコフレームの光がある)
↓
車から降りているミライ親子
↓
サイコフレームの光を見るミライ親子
以上のように、シャアとアムロの決着がついた物語の最後は
宇宙(ハサウェイ)から地球(ミライ)に戻ってきていることがわかる。さらにいえば、上記の点に関して、最初に挙げたシャアの「母親」発言の直後に繋がるため、
シャアの母親発言→アクシズ地球はなれる等々→地球のミライ、という流れにもなる。
母というテーマをシャアとミライで繋げているのが映像的にもわかると思うし、
このラスト一連の流れで子供の鳴き声が挿入されるのも、
母というキーワードを使えば各々容易に解釈できるだろう。
追記
※ 最後の3つ目のカットはクリスチーナという指摘がありましたので取り下げます。
まとめ
以上、逆襲のシャアにおけるミライの重要性について考察してきた。
ミライは決して、物語の中心にいるわけではないが、
登場するだけで、各キャラの意味合いや立ち位置を決定してしまう存在だった。
そしてミライは結局のところ安彦さんのキャラクターなのだと思う。
安彦さんが描いたキャラだからこそ、ミライを母親になることができたのだ。
そしてクエスやナナイ、チェーンやレズンが
イデオンやダンバインなどでキツイ女性を描く事を得意と見せた
湖川友謙さんのラインを継承した北爪宏幸さんのキャラクターなのだ。
その意味で北爪女性キャラに満ちあふれた逆シャアの世界に
安彦キャラのミライという対比が明確化される。
その意味では、逆襲のシャアの女性たちの裏では、
安彦良和キャラVS湖川友謙-北爪宏幸キャラの戦いが起こっていたのかもしれない。
そして結局のところ、なぜミライが重要かといえば
宇宙世紀ガンダムの一つの総決算に当たる逆シャアにおいて
1stガンダムでブライトとアムロと一緒にシャアと戦い、
女であり母親になったミライの視点から
シャアとアムロの最後の戦いを地球から見届ける上で必要だったのだろう。そしてハサウェイ、そしてミライが見た先にあったサイコフレームの光こそ
「わかってるよ。だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ」
上記のアムロが言った人の心の光であり、
それは人に絶望していたシャアと
人に希望をもっていたアムロの二人によってもたらされるのだ。
言い換えればつまり逆襲のシャアという物語は、
シャアとアムロ側とミライ(ブライト)側が
人の光を通して交わることで、幕を閉じる事を意味しているのだ。
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