「あいうら」4話を視聴。4話も面白い。
この面白かった点を挙げるならば、
前半部分の学生達と後半部分の先生達のやり取りの中で
動的なキャラと静的なキャラをそれぞれに分けて、
かつ、学生達を動的に、先生側を静的にというように対比的に描いていた点だ。
動的な天谷奏香と静的な岩沢彩生
まずは学生側の天谷奏香と岩沢彩生の登校中のやり取りを見てみよう。




画面的には、奥側に向かって登校していくようなのだが、
走る天谷奏香の走っている姿をほぼ正面から、
画面左側に動くように捉えているのが面白い。
ただ3つめの画像でわかるように、奏香は画面奥側に進んでいる。
この、奥に進む動線(彩生の淡々とした動き)と
手前に進む動線(奏香の激しい動き)を交互にみせる切り返しが
映像的に緩急を生み出し、ダイナミズムを生み出している。
さらにいえば、動的な奏香と静的な彩生のキャラクターという意味でも
キャラの対比という意味の動静の緩急がついているのも面白い。


でも奏香がやって来たのは、かつて自分がいた中学校。
奏香は画面右側に向かって引き返す。
向かう時は画面左側に、引き返すときは画面右側に動くことで、
左側と右側に奏香を動かすことで、動的なイメージをさらに強めている。
このようにただの登校というシチュエーションでも、
動的な画の積み重ね方・画面の見せ方で面白く見せることができる。
これが演出の力だと思う。
静的な先生側~その中でも動的な若月先生、静的な松野先生、山下先生
天谷奏香達がギリギリの時間で登校。
そこで松野先生とやりとりしつつ、舞台は先生同士の会話にシフト。


校門前で話す先生達。
今まで奏香が生み出していた激しい動きから一点。
淡々とした会話劇が繰り広げられる。

この会話劇は奏香達との動的な動きの対比でいえば、静的でもあるとも捉えられる。
ただ画面で様々に動く若月先生は、この静的な舞台における動的な存在と捉えられるだろう。
それは最終的に若月先生が白衣をもらって画面外へ移動することからもわかる。
一方で松野先生と山下先生は静的な舞台における静的な存在に位置する。
天谷奏香が動的な登校劇から、先生達の静的な会話劇に繋げる。
この前半部分の動と後半部分の静の緩急もまた面白い。
あと若月先生の可愛さは反則。田村ゆかりを使うのもよくわかっている。
まとめ
短い時間だからこそ、計算に計算を重ねて
無駄のない面白い画の繋ぎ方をみせてくれる。
それが「あいうら」という作品の醍醐味だと思う。
水彩っぽい塗りの温かみのある美術。
ロングショットを多用した広がりを感じさせる画面=世界。
キャラクターの愛らしい動き。
そんな種々の魅力が数分の時間に凝縮された空間を楽しむのが「あいうら」の魅力なのだ。
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