「あいうら」は違和感でできている 

あいうら6話を視聴。今回も面白い。

そして今回は、この作品に対する自分なりの回答、
「あいうらは違和感でできている」ことの発見に気づけたのが良かった。
この記事ではこの違和感について語りたい。

まず今回の話は、勉強のために3人かなかなの家を訪れ
かなかなの弟の天谷颯太と交流する話。

そしてゆっこんがかなかなの部屋を見た後で、
やはり颯太の部屋を使わせてほしい事を示す時のカット。
このカットが今回の発見だった。

aiura6000.jpg

いきなりの抽象度の高い背景。この背景には驚いた。

aiura6-2003.jpgaiura6-2000.jpgaiura6-2001.jpgaiura6-2002.jpg

今まではきちんと部屋内外が描かれていたが、
こと一番上のカットに限っては一気に抽象性が上昇した描かれ方をしており
キャラクターの関係に特化して描かれているといっても良い。

また上記の抽象的な背景のカットは、一つ目のEDに入る前フリでもあるため
きちんと描かれた背景から抽象的に描かれた背景への転調で落差をつけることで、
一種の落ち/オチを表現している見方もできるだろう。

こうした背景の描き方のレベルに落差/違和感を難なくやれてしまうことに、
画面における情報量を自由にコントロールするスタッフの決断力を感じさせる。
こうした違和感を色々な所に張り巡らせたのがあいうらという作品なのだ。

天谷奏香の公式サイトのキャラ紹介で「軽くウザいレベル」といわれること。
奏香以外のサキや山下先生など他のキャラクター達もツッコミ前提の言動が多いこと。
主役の声優さん達の決して慣れているとはいえない演技。
飛躍性を感じさせるトリッキーなカット割り。
今回の背景の情報量の落差。
カニカニと連呼するOP、二つ目の棒人間EDの起用意図も含めて、
作品全体に違和感を散りばめる事自体が、この作品のコンセプトなのではないかと思う。

この違和感の散りばめ、積み重ねて作品が作られていることは

「噛み合わない、それが楽しい。女子校生たちの日常。」

という本作のキャッチコピーでもわかる。

噛み合わないことが違和感を散りばめた結果そのものだろうから。

まとめ

あいうらとは違和感を散りばめ/積み重ねることで
女子高生の噛み合わない日常生活を描いた作品であることがわかる。

いいかえれば、噛み合わない/違和感こそが日常生活=生きていくこと、という
この作品なりのメッセージなのかもしれない。
そんな彼女たちが生きる中で生まれ出てくる違和感を
楽しく見せてくれるのがあいうらの醍醐味なのだ。
  
※追記

知り合いのコメントに噛み(カミ)合わない=カニ合わないという指摘があり
なるほどと思いました。
 
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[ 2013/05/19 18:00 ] あいうら | TB(1) | CM(0)
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あいうら第6話です。 太もも!太もも! かなかなが倒れてますw またですか♪
[2013/05/19 22:54] アニメなので