あいうら12話(最終話)を視聴。
このアニメはいつも私の想像を超えた表現を見せてくれた作品だった。
以前にも記事で書いたのだが、
キャッチコピーの「噛み合わない、それが楽しい。女子校生たちの日常。」にあるように、
あいうらは噛み合わない=違和感を描いてきた作品だと思っている。
【参考】
「あいうら」は違和感でできている 例えば11話の傘をさすシーンでの電柱などが動く背景。
地面が入らない場所も入るレイアウト。
カット前にはあった背景が、カット後に背景が描かれなくなる6話。
声優さんの初々しい演技。
奏香のこ憎たらしい言動。
あいうらは常に「おっ」「あれっ」という違和感/噛み合わなさを生じさせていた。
そんな噛み合わないものを積み重ね続けた先にあったのが、最終話の以下のこのショット。

これだったのだから感動を覚えてしまう。
よく見ると違和感を感じる画だが、この画の力にはただただ感服するしかなかった。
そしてこの画と前後から感じられる3人の楽しそうな振る舞い。
噛み合わない事(違和感)が毎日の生活/生きていくことでありそれが楽しい。
噛み合わない先には楽しさがあり、それが日常なのだ。
あいうらはこうした事を描き続けた作品だった。
一方で最終話は1話を踏まえた構成だった点も素晴らしかった。
ゆっこんが自宅から階段を降りバスに乗り奏香達と合流し海へ。
1話と同じようで違う場所にたどり着くゆっこん。
この構成もまた、1話と最終話で同じようで違う意味において
噛み合わない=違和感を見せている演出なのだろう。

最後のカットは空の星を見るゆっこん。
この画もまた、画の力でねじ伏せてきていて、そこに痺れる。
さらにいえば、1話ではゆっこんが制服が着られるかどうかを悩んだのがオチだったが、
最終話では彼女が部屋を空けて空の星を見て話を終わる点もまた痺れる。
それは、おとなしめな性格のゆっこんは奏香や彩生と出会ったことで、
最後には外の扉を開くことができたと私には見えたからだ。
もともと1話で奏香、彩生に出会えたのも奇跡だったのかもしれない。
そして奇跡が新しい奇跡をを呼び、
ゆっこんの外の扉を開いたのがあいうらという作品だと、私は感じた。
あいうらは本当に素晴らしい作品だった。
中村亮介監督以下スタッフの皆様、ありがとうございました。
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