はじめに
ホワイトアルバム2 2話を視聴。演出の見事さに舌を巻いた。
それはキャラクターの顔を見せない演出のこと。
今回はこの事について触れてみたい。
序盤・中盤で顔を見せない演出を積み上げる雪菜、春樹
まず序盤、中盤の春希と雪菜、もしくは雪菜を顔の映し方について見てみたい。






ずっと見ていて気になっていたのが、雪菜の顔を映さないように
カメラの位置を低くして描写したものが多かったこと(顔を映すシーンももちろんある)
最初は、雪菜の下半身を見せたいサービスかと思っていたが、
雪菜の服の着替え以外は映し方が淡白な印象だ。つまり他の意図があると思った。
そんな顔を映さない描写を続けながら、
物語は雪菜が徐々に春希の説得や態度に心動かされながら、
雪菜の揺れ動く心を描いていたのも魅力的だった。

例えば、春希が雪菜が八百屋で働いている事を知りながら
その事を知られていないと思っていた雪菜に突きつけた後の公園のシーン。
ここでも顔を映さない描写を使う。
ブランコを一生懸命漕ぎ、物理的に揺れ動いている雪菜。
この雪菜は自身の心の揺れ動きを表現しているかのようにも思える。
実際にこの後、雪菜は心の揺れ動きの決着をつけるため春希をカラオケに誘い、
最終的には春樹の誘いを受け入れるのだった。
顔を全く見せない少女の登場。劇的かつ自然な流れを作るための演出
さて顔を映さない意味は後半で明らかにされる。
物語は雪菜の勧誘には成功したが、問題はピアノの演奏者がいないこと。
そして部の隣で時折演奏されるピアノの演奏者に目をつけ勧誘したい流れに。
しかしピアノの奏者が誰なのかわからない。物語に謎が生まれる瞬間だ。



そんなピアノの奏者がわからない状況。そんな中、春希が荷物を取りにクラスに戻った時、
顔を全く映さない新たな黒髪ロングの少女の登場。
ここでこの少女がおそらくピアノの奏者であることは想像がつく。
でも、春希は彼女に対し知人のような喋り方をする。どういうことだろう。
ここで雪菜の顔を映さない描写が多用されていた意味も少しわかってくる。
それは雪菜の顔を映さないことで、この少女の顔も全く映したくないようにするための
自然な流れを作りたかったのだろう。
もし雪菜の顔を見せる描写・ショットで今回の描写をずっと繋いでいると、
ここで黒髪ロングの少女をいきなり顔を見せない描写が極端に見えてしまう。
一方で黒髪ロングの少女の正体は、物語の展開的にまだ伏せておきたい。
だから顔を見せない。見せさない。映さない。
その為に雪菜の描写から顔を見せないショットを途中途中で挟み込んだのだろう。
かずさの登場
そんな物語はある確信に近づく中、下校する春希にピアノの音が聞こえてくる。
音楽室に戻る春樹。しかし音楽室は開かない。
そこで柔道の黒帯を命綱に壁づたいから音楽室に潜入する春樹。
しかし手を滑らし、絶体絶命に陥る。

そんな春樹に手を差しのべた時に、ピアノの奏者の素顔がわかる。
ここで初めてかずさという言葉が登場し、
名前も顔と同様に巧妙に伏せられていたのだなぁと思い知らされる。これは脚本の上手さだ。

つまりこの劇的、春樹の命があぶない状況下でかずさが手を差し伸べるというシーンで
始めてかずさが顔を見せることで、正体が暴かれるスケール感が見事に演出されている。
また顔を映さず、下半身を映していた描写の多用から一転し、
春希があずさの顔を見上げる構図を使ってくることで、
よりあずさの正体=顔がインパクトある見せ方になっている。
このカメラワークこそが演出だと、私は思う。
張り巡らせていた伏線
そしてよくよく見返してみると
実はかずさは、OP後のクラスで春樹達が話しているシーンできちんと映されていた。

ここでかずさがクラスのドアの外やってきて、自分の机でうつ伏せになる。
この一連の動きの中でもあずさの顔はちゃんと伏せられている。
見返してみて、はじめてわかる伏線。顔は雪菜からではなくかずさから伏せられていたのだ。

ただ次のクラスでの春樹の会話シーンではかずさが不在のため、
かずさがいたイメージが消えてしまう仕組みにもなっている。
ここで巧妙にかずさは最初に登場しているが、
中盤ではかずさの存在を意識させないように成功している。上手い。
まとめ
雪菜の顔を見せない演出は彼女の心の機敏を描く、
つまりは春樹の想いに応える描写として機能しつつ、
一方ではかずさの顔を伏せる自然な流れを作るためのものでもあった。
そして最後の最後でかずさの顔がでることで劇的な展開を作ることに成功した。
かずさの顔が明らかになることによって物語は次のステージに移行する。
その流れの一連を上手く作ったのが、今回の演出の上手さだった。
今回がとても面白かったことで、今後のWHITE ALBUMの展開により期待を抱いた。
今回のコンテは沼田誠也氏。
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