ニセコイ5話を視聴。
今回は、千棘が準備運動不足でプールの中で溺れてしまい、
楽が千棘を助けるためにプール内に飛び込んで助け出す
シークエンスにおけるプール内の描写が面白かった。
特に面白かったのはプール内の描き方だ。


画面を見ると、とてもプールとは思えない深さと暗さ。
まるで深海のようであり、端的にいえば嘘な描き方をしている。
なぜこのようなプールではないような描き方をしたのか。
さらにこの千棘が溺れる直前のシーンには、るりが
るり「ここのプールは足つくんだし」というように説明的なセリフをわざわざ入れている。
このセリフに沿って画面を作るなら、足つくようなプールを描く方が自然だろう。
しかしニセコイ5話は、この自然な流れを採用せず、深海のようなプールを描く。
なぜなのだろうか。理由を二つ考えた。
まず一つ目。実際に浅い足つくプールを描いて、
楽が千棘を助けてもドラマ的に盛り上がらない。
画面的に盛り上げるために、あえて深海のようなプールを描き
ドラマティックに描こうとしたのだろう。
そして二つ目。これがより重要だと考えるが、
足つくプールという現実を描くより
千棘と楽の主観的な心情を優先させて描く意図があったからだろう。
溺れてしまった以上、そこにプールが足がつくものなのかは関係ない
むしろ千棘は上のような深海に引きずり込まれる感覚に襲われたのだろう。
そしてこの感覚は千棘を助けようとする楽も同様である。
彼にとってプールで溺れた千棘を助けるのは、
深海で溺れた千棘を助けるのと気持ち的には同義なのだろう。
こう考えると、同じ深海のようなプール、
心情的なイメージを映した画面にいる二人は、
同じ気持ち・感覚を共有しているともいえるだろう。
それだけ千棘が溺れたのは、
千棘にも楽にも深い出来事だったという証明ともいえる。

ニセコイの関係であり、表面上はお互いよく言い争ってもいる二人。
でも大事な所で二人は確かに繋がっている、
そんな印象を深海のようなプールは見せてくれたのかもしれない。
まとめ
足がつくプールを、深海のような深さで描いたのは、
楽が千棘をドラマティックに助けさせるという面と、
楽と千棘の心情を表現したいためという意図があったからだと思う。
こうした実際の設定(足がつくプール)とは違うもの、ぶっちゃけ嘘を、
いきなり主観的なイメージ(深海のようなプール)を用いて描く。
こうした大胆な嘘をつけるのがアニメの演出・表現の面白いところだと思う。
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