「アルドノア・ゼロ」を10話を見ていて、前々から思っていたが
この作品はクールな作風、感情表現が抑制されてる作品だと改めて思った。
例えば、人工呼吸のシーン。

伊奈帆は前回絞殺されたアセイラム姫に対し
感情を前に出さず淡々と人工呼吸を行う。
人工呼吸という盛り上がりそうなシーンを作っても、
伊奈帆が感情をわかりやすく前に出さないキャラであるため
落ち着いた画面・展開になっている。

ただクールな作品といっても、上記のキャプを見ると伊奈帆は汗をかいている。
つまり伊奈帆も姫の命がかかっているだけに一生懸命なのである。
伊奈帆の感情パラメーターとしては相当高いはずなのに
作品全体がクールであり伊奈帆が表面上冷静であるが故に
作品としての盛り上がりは演出的に抑制されている。
(音楽も抑制された曲が用いられていた印象)

シーンは少し飛んで、蘇生した姫とライエの会話のシーン。
ライエの動機を聞き、ライエに詰め寄る姫。
姫は目を見せないが、涙がつたってあごにかかっている。
涙の粒が小さいので、わかりにくいのだが、
感情描写が演出的に抑制されていることを示す一例だろう。

ライエ自身の独白は、三澤さんの感情的に徹した演技で
「アルドノア・ゼロ」の中でも、感情的なシーンに仕上がっていた。
またライエの顔の表情のつけ方、顔の動かし方に極めて力を入れていた。
その一方で音楽は感情を盛り上げる方向の曲ではなく、抑制するものを使用。
どこかで感情が高ぶる感じになれば、一方で感情を抑制する演出を施す。
もしくはわかりやすく感情が高ぶることを示さない。
これが「アルドノア・ゼロ」という作品なのかなと思った。
こうした感情を抑制した演出は、
おそらくキャラクターの精細な機敏を描くという試みがあるのだろうが、
この試みの前提には、志村貴子さんのキャラクター原案抜きには語れないだろう。
つまり志村さんの絵・キャラクターだからこそ、
こうした感情を抑制した表現になっているのである。
ロボットアニメのキャラクター原案やデザインには、
私の中では派手な絵を描く方が手がけられるイメージが多いが、
その逆の端正な志村さんの絵をもって描くのが
「アルドノア・ゼロ」の試みであると思った。
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