はじめに
Gのレコンギスタ6話を視聴。
サブタイトル名、そしてEDの絵を含め、
デレンセンが死ぬとは予想されていたが、
実際に死ぬシーンは衝撃だった。

デレンセン「何で避けたんだ」
ベルリ「はい。常日頃、臨機応変に対処しろとは大尉殿の教えであります。」
※1話でのデレンセンとベルリの会話
1話ではデレンセンの仕置を避けるベルリの描写があったが、
今回6話のデレンセンとベルリの戦いの結末が1話のこの描写の再現となったからだ。

デレンセン「ベルリ候補生だったか」
ベルリ「デレンセン教官殿」
避けて相手の懐に飛び込む、Gセルフの動きにベルリを感じ取ったデレンセン。
そしてエルフブルの動きに、同じようにデレンセンを感じたベルリ。
本編中では描かれない、二人のやりとりが、この一瞬に詰まっていた。
さて、ベルリが殺してしまったカーヒルとデレンセン。
この二人は画面的にある共通点がある。

※2話 Gセルフ(ベルリ・左)とグリモア(カーヒル・右)

※6話 Gセルフ(ベルリ・左)とエルフブル(デレンセン・右)
この共通点とは、Gセルフ(ベルリ)が画面左側から、
画面右側にいる敵(カーヒル・デレンセン)を倒していることだ。
この位置関係の意味を富野由悠季流「映像の原則」的に読み解いてみたい。
「映像の原則」にみる、ベルリとカーヒル・デレンセンの位置関係
まずこの位置関係を見るために、下記図を参考にしたい。

参考:
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』(HIGHLAND VIEW)
これは「映像の原則」を上手・下手の要素に絞った図であるが、
このベルリ(左=下手)、敵(右=上手)の関係を上記図で見るならば
ベルリ=弱者、敵=強者という見方で捉えるのが自然だろう。
カーヒルとデレンセンはベルリ以上にベテランパイロットであるのだから。

※1話 Gセルフ(アイーダ・左・下手) レクテン(ベルリ・右・上手)
また、1話のアイーダとベルリの戦闘では、
アイーダが左=下手、ベルリが右=上手にいたので、
上記の理論でいえばベルリの方がアイーダより強者だ。
このベルリとアイーダの関係を含めるとより
ベルリに対して、上手に位置したカーヒルとデレンセンは強者だったのだ。
さらに振り返れば、1話のベルリとデレンセンのシーンでも、
ベルリが左・下手、デレンセンが右・上手に位置している事も
今回の位置関係も含めた伏線でもあるのだ。
今の所は、Gセルフの性能に助けられている面も強く(もちろんベルリも強い)
性能差で強敵に打ち勝っている面もあるが、
ベルリを下手に置くことで、弱者が強敵を打ち破っているような印象を与えている。
EDにおける「映像の原則」
さて、そんなカーヒルとデレンセンを殺したベルリだが、
EDの絵は、ベルリがカーヒルとデレンセンを背負って生きていく事なのだろう。

そして私が大事だと考えるのは、
本編中では上手・下手に対峙して戦っていた3人であるが、
EDは同じ方、左側を向いている。
これは未来を志向する意味合いがあるのだろうと私は感じる。
まとめ
あくまで、この上手・下手に関しては、私が感じた事でしかないが、
カーヒルとデレンセンが上手にいたのは意味があるのだろうと私は思う。
2話でベルリがカーヒルを殺した時は、最初は自分が殺していない感覚だったが
徐々に殺した実感をアイーダの叫びを通して感じていたようだ。
そして今回デレンセン大尉を殺した時は、今までの二人の身体的なやり取り
がリフレインされて、殺したことを本能的に実感する。
この描き方は上手いと言わざるを得ないだろう。
二人の死は、ベルリを確実に変化させていくだろう。
そして宇宙に来てベルリは何を知るのか。今後に期待したい。
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