はじめに
「Gのレコンギスタ」8話を視聴。
今回、特に強く印象に残ったのは、宇宙船で脱出したウィルミット・ゼナムが、
天体観測によって月に驚異が迫っていることを知るも
自身が信じているスコード教の教えを唱えつつ、
まるで思考停止のようなヒステリックな態度を取ってしまうシーン。

今回はヒステリックなウィルミット・ゼナムから
「Gのレコンギスタ」は何を描こうとしているのかを考えてみたい。
Gのレコンギスタと宗教
まず「Gのレコンギスタ」は、スコード教という宗教が重要な役割を果たしている。
それは1話のアバンが終わり、サブタイトルのコール後のカットは
スコード教の大聖堂内で法皇がスコード教の教えを話しているシーンに移り変わり、
次に大聖堂の外に画面は移り変わり、続いてキャピタル・宇宙エレベーターを見せる
という順番で世界を説明している点でわかる。


※1話の大聖堂及びキャピタルの描写
つまり、まず本作の世界観、リギルドセンチュリーの世界には、
スコード教という宗教が存在し、その宗教の価値観を元にして、
宇宙エレベーターのような科学技術があるという見せ方を1話でしているのだ。
おそらくスコード教は宇宙世紀によって一度は死にかけた地球を再生させるために
生まれ発展した宗教なのだろう。そして行き過ぎた科学技術を抑制するために
スコード教は機能しているように描かれている。
そしてキャピタルはスコード教と宇宙エレベーターの両輪にして成立している。

※4話の「スコード」と叫ぶ直前のベルリ。
次に主人公のベルリが敬虔なスコード教徒であり、
4話の戦闘でカットシーに囲まれ危機に陥った時に
「スコード」と叫ぶなど要所要所でその敬虔な態度を見せる点にある。
主人公が何かの教えに帰依している作品は、私の中では珍しいと感じるし、
主人公が宗教を信じている設定は、何かしらの意味があるとも思う。
「ものを考えなくて済む」側面としての宗教
富野由悠季監督はハンナ・アーレントを引き合いに出して宗教を以下のように語る。
僕は去年の暮れ押し詰まって、ハンナ・アーレントという政治哲学者を紹介した本を読みました。読んで驚きました。17世紀、ルネサンスまでの人類のほとんどが、ものを判断し、決定することができない人の集まりだったとあったたためです。
(中略)
17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。
出典:「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
宗教を信じていれば考えることなく生きていける。
もしくは生きていける時代があった。
これが私は本当なのかはわからないが、
少なくとも富野由悠季監督はこの意見に納得しているようでもあり、
それ以上にポイントなのは、こうしたハンナ・アーレントの考えを
新作アニメで表現したいと表明していることだ。
この事を踏まえて上記の引用「ものを考えなくて済む」という点から8話を考えると、
「ものを考えなくて済む」態度を取ったキャラとして、
月の天体観測を見てヒステリックになった
ウィルミット・ゼナムが挙げられるのではないだろうか。

息子に会いたい一心で、宇宙船で単身飛び立ったのは、
「ものを考えている」という事を感じさせるが、
月からの脅威が訪れているということに関しては、
事実を突きつけても思考停止のような「ものを考えなくて済む」態度を見せる。
このウィルミット・ゼナムから感じられるのは
自分が信じている、もしくは自分の中の宗教の価値観以上の事が起こると
人は「ものを考えなくて済む」態度を見せることにある。
歴史を振り返れば地動説を唱えたガリレオ・ガリレイに対して
人々は「ものを考えなくなくて済む」態度を取り彼を迫害した。
こうした宗教を信じる事で起こってしまう人の有り様を
「Gのレコンギスタ」の8話では描いているように感じた。
そしてこうしたスコード教の教えも、
実は真実から目を逸らさせる為にあるのかもしれないとも思った。
まとめ
おそらく宗教を全否定する為に描いているわけではないが、
一方で宗教によって考えが狭まってしまい、
物事が見えなくなっている事の弊害を本作は描いている。
ポイントなのは、同じスコード教の敬虔なベルリは母親の態度に対して
「母さん落ち着いて」となだめている事。
ベルリはより客観的に物事を見ているのだろう。
それは海賊部隊にいる期間が長くなったことで、
キャピタルとアメリアの双方の思惑を感知できているからなのかもしれない。
その点でベルリは若く柔軟な思考を持っているのだろう。
最後に「ものを考えなくて済む」ということについて。
私はウイルミット・ゼナムの態度を「ものを考えなくてて済む」態度と感じたが、
では私が「ものを考えている」のかと聞かれれば、全く自信がない。
「ものを考えている」とはどういうことであり、どういう態度なのか。
「Gのレコンギスタ」ではベルリを通して、
この辺りをどう描くのかにも期待して見ていきたい。
何にしても息子に会いに宇宙からやってくる母親の元気な姿は、
見ていて気持ちがいいものだった。
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