はじめに
「Gのレコンギスタ」は何を見せたい作品なのか。
それは、リギルドセンチュリーで生きる人々の生活と
生活に活用される技術、そして戦争で使われる技術である。
Gレコで描かれる生活描写

ま今回冒頭にあったベルリのシャワーシーン。
ベルリが白い何かを頭にかぶりながらシャワーを浴びている。
おそらく頭髪を洗っているのだろうが、
こうした技術は今の世界では見られない。
今から遥か未来の世界だから、今には無い技術がある。
当たり前の話だが、こうした見たこともない技術を生活描写でサラっと入れる。
これが「Gのレコンギスタ」では大事な要素といえる。
他にも6話ではガムで歯磨きしていたり、今とは違う生活描写が描かれる。
軍事技術について

戦闘で目立つのは、エアバックの描写。
エアバックの描写は逆襲のシャアでもあるのだが、
TVシリーズのガンダムで戦闘シーンで印象的に使われているのは、
本作が初めてのような気がする。

今回は、ビームを遮る網が登場していたが、
Gレコでは毎回こうしたギミック・設定が次から次へ登場する。

3話で話題になったトイレ描写も同様の設定だろう。
こうした設定が生まれる源泉は何なのだろうか。
富野由悠季と宇宙旅行と宇宙戦争
評論家の宇野常寛氏は以下のように語る。
宇野常寛「彼はコロニーの全長が何キロで、そこは何か乗り捨ての電気自動車で移動しているだろうとか、そういったところまであの人は考えて描写しているんですよね。彼の根底にあるのは本当に宇宙に人が植民したらどうだろうかという、宇宙少年だった頃の徹底的な妄想力。」
「人類宇宙進出というものが、まぁ20世紀って結構リアルに感じられていて、その頃に本気で宇宙を好きだった少年がひたすら妄想していたんだと思うんですよね。よく本人も自伝とかでそういう話は書いていますよね。」
「その時の妄想力が結構異常なんですよね。非常に細かくて、そしてかなり当時の最新なことまで勉強してたぶん設定を作ってたと言われる人なんですよ富野さんて。まぁ富野さん及び富野さんのスタッフですね。あのそういった宇宙オタク少年、オタクという言葉はあの人嫌いかもしれないが、本当に宇宙に憧れて本気で行こうと思っていた少年の妄想力というものがものすごくアニメに反映されていると思うんですよね。」
「虚構というものに真剣に全力で向き合うというのはこういうことだと思うんですよ。これは同じアニメ作家の宮崎駿とは対照的ですね。彼は宮崎駿はコナンとかナウシカのユパ様とか超人的な身体能力がある人間に関してはもういっそのこと説明しないんですよ。説明しないことによって、漫画だからこそ漫画映画だからこそ得られる表現の面白さを追求しているんですよね。」
「コナンとか塔の5階とか10階からバーンって飛び降りちゃうじゃないですか。ユパ様も飛行機から飛行機にこうやって飛び移ってバツバツって人を斬ったりするじゃないですか。富野由悠季はそれをやらないんですよね。むしろ塔から飛び降りたらこんなふうに骨折するはずだとか、あの実際に存在しないビームの銃で撃たれたらこんなふうに融けるはずだ装甲は、そういったところを綿密にシュミレーションしてリアリティを出す。」
「だから宮崎駿というのは現実には存在しないものをいかに描くかという人だと思うんですよ。富野由悠季っていうのは虚構だから描くことができる現実は何かということを考えている人だと思うんですよね。同じ年のアニメ作家なんだけど方法は全く別。」
出典「Beginning of GUNDAM RECONGUISTA in G 富野由悠季から君へ」
宇野氏の指摘も含め、富野由悠季監督が子供の頃から宇宙とロケットに憧れていて、
どうすれば宇宙旅行できるかを考えていた少年時代を送っていたことが、
今までのキャリアで作ってきた作品に反映されているということだ。
つまり富野監督のやっていることは、子供の頃からの想像・イメージを
いかに作品に反映させていくかということに尽きる。
だから富野監督が描きたいのは戦争だけではなく、宇宙でどう旅行するか。
引いては宇宙時代が到来した時に、人はどう宇宙で生活するのかということ。
ただロボットアニメという前提、または宇宙で使われる技術は
軍事技術とも密接に繋がっているだろうということも踏まえて、
富野作品で描かれるのは、宇宙生活と宇宙旅行と宇宙戦争なのである。
だから生活ができる描写として母艦が必要となり、
戦争という名目のために、様々な場所に移動(旅行)するのである。
なぜGレコは技術を描くか-子供への創造力の刺激

上記のカットは、船体の装甲をGセルフが銀色の材質でコーテングする描写なのだが、
このコーテングする装甲には特殊な材質が使われている。
この材質は柔らかいうちは材質の色なのだが、叩いて硬化していくと
戦艦メガファウナの装甲の色になっていくものだという。
本作のメイキングビデオ
「Beginning of GUNDAM RECONGUISTA in G 富野由悠季から君へ」では
この上記のシーンの演出意図について富野監督が語るシーンがある。
富野監督の意図は、こうした特殊な材質は今現在の世界にはないが、
もし子供達がこのシーンをみて、この特殊な材質があるかもしれないと思える、
カンの良い子を支援してあげたいという思いがあるという。
つまり今は無いものでも、Gレコを見て特殊な材質で何であれ、
作ってみたいと思わせるような子供の創造力を刺激したいというのが
富野監督の中にあるのだろう。
確かに「機動戦士ガンダム」から35年。
動かないとはいえ、同スケールのガンダムも生まれお台場に展示された。
ロボット技術も、ガンダムからの刺激もあって大いに発展してきている。
そしてこれらの技術発展を「機動戦士ガンダム」を見ていた世代がやっているのだ。
こうした事を富野監督も知っているから、アニメを見ている子供達に
本編で使われている、今の世界にはない技術を見せて、
何かしらの刺激を与えて、次世代に繋げていきたいのだろう。
富野監督が常々言う「子供に見てほしい」という発言の意味ががこの点に込められている。
まとめ
子供の頃、宇宙少年だった富野監督は、次世代の子供たちに
自分の作品を見て宇宙少年・少女になってほしいという想いがあるのかもしれない。
それ以上に本作を見て、未来の世界の発展につながる技術者や社会人になってほしい
という想いの方が強いのかもしれない。
これらとリギルドセンチュリーの世界観を踏まえた時に、
持続可能な発展を可能にする技術と技術の使い方をするには
どうしたらよいのかを「Gのレコンギスタ」は描いているといえる。
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