宮崎駿と富野由悠季の「大量消費」観 

今週、TBSラジオの「荒川強啓 デイ・キャッチ!」で宮崎駿氏のインタビューが放送された。
その中で気になったキーワードは「大量消費」だった。

宮崎駿「何を言っているかっていうと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。日本国に起こっていることだけじゃないんですよ。」

宮崎駿「大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるからあちこちで騒ぎがおきているんだと思う。」

宮崎駿「だからこんな民族にねろくな判断がつくはずないんですよ。大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるから、あちこちで騒ぎが起こっているんだと思うんですよ。でも大量消費をしたいんですよみんなね。それが、もうできないんです。」
 
インタビュー中に繰り返し強調した「大量消費」。
宮崎氏はこの言葉を機会があるごとに主張していた。

 
大量消費文明があと何年続くか、五十年だろうというんですが、僕は三十年くらいだろうと期待しているんです。大混乱が起こって、不幸も病気も戦争も、くだらないことがいっぱい起こるんですよ、人間の歴史ってそういうものですからね。大変なことなんだけれども、大量消費文明という嫌らしいものが終わるだけでもいいと思っているんです。
 そういう大量消費文明のまっただ中にアニメーションも入っていて、僕自身ジレンマの中にありながら解決がつかない。この世の中に生きているということはそういうことだと思います。逃れられないのなら、時代と面と向き合って作品を作っていくしかない。

出典:宮崎駿「折り返し点」(岩波書店)
  
 不安だけは着々と膨らんで、20歳の若者も60歳も区別がつかなくなりました。そして、突然歴史の歯車が動き始めたのです。生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終りの第一段階に入ったのだと思います。風が吹き始めた時代の風とはさわやかな風ではありません。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。

出典:宮崎駿「本へのとびら―岩波少年文庫を語る」(岩波新書)

大量消費・大量消費文明に強い警鐘を鳴らす宮崎監督。
一方で自身がアニメ制作という大量消費文明の送り手側に立っている
矛盾やジレンマにも自覚的でいる宮崎監督。

この大量消費という言葉が気になったのは、宮崎監督と同じ1941年生まれの
富野由悠季監督の新作アニメ「Gのレコンギスタ」の19話でも出てきたからだ。

Gレコ19話のクレッセントシップのキア・ムベッキ艦長が以下のように話す。

ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。
そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。
その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」

「ガンダムーGのレコンギスタ」19話より


Gレコの世界は大量消費と戦争によって文明が滅び、再生された世界を描いている。
つまり大量消費をしていると、世界が滅ぶという事を直接言っていると思う。

宮崎氏がインタビューで大量消費と喋っているとほぼ同じ時期に、
富野監督の新作アニメで大量消費という言葉が出てくる。
Gレコの脚本自体はずっと前にできたいたものだろうと推測できるが、
ほぼ同じタイミングにと二人から(富野監督の場合は作品からだが)
同じ言葉が出てきたことに、二人に興味がある私としては気になってしまう。

富野監督も大量消費については作品以外でも次のように語っている。

富野由悠季「60億人の大量消費行為は、ひょっとすると戦争よりも悪かもしれません。しかし、僕らの世代は新型車を買うのが夢で、その感覚をぬぐうことができないまま地球を消費し続けてきました。」

ガンダムエース2007年11月「教えてください。富野です。VS枝廣淳子」より


富野「戦後、日本は高度成長を続けてきて、大量消費が始まりました。文化生活を営んで、一億みな中流意識を持ってしまって、飽食の時代を過ごしてきた。僕も含めて国家の隆盛期に生きてきた今の日本人は、世界的に見て異常なほど贅沢に暮らしてきたわけです。何も考えないで暮らしていける時代を生きてきた人に、使えるヤツなんていませんよ。せいぜい角が立っている人間がいても、僕のレベルまで(笑)。でもこれからの日本はそうはいかない。

石川智晶 special contents第7回「石川智晶VS富野由悠季」より


富野由悠季「為替レートや株価が秒単位で上下し、巨額の利益や損失が生まれる。現実から離れたバーチャルな世界ですが、それで世の中が動くことを人々は常識と考えている。『給料が毎年上がらなければ困る』ことも、今の時代は真理ですがマクロレベルで言えば、地球資源の限界が見えているのに、さらなる大量消費を推し進める」

2013年2月8日朝日新聞「ガンダムの警鐘」より


戦後の高度成長時代に多感な時期を生きた二人にとって、
大量消費という行為に様々に強い思いがあるのだろう。
富野監督も新しいもの好きだから、新しいものを買い、新車に憧れ、
でもそれではダメだというジレンマも抱えていた。

さらにいえば、二人共に多くの人に自分の作品を送り出す
大量消費型の大衆娯楽・大衆文化であるアニメの送り手でもあり、
その日本のアニメを大きく牽引してきた二人だからこそ、
ただ時代の流れに乗っていいのかという思いもあったのだろう。
※二人共に時代へのカウンター意識が強いと思う。

同年生まれで「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」で
一緒に仕事をする機会もあったが、やがてお互いの道に突き進み大成したお二人。
作風やジャンルは別々だが、それでも「大量消費」という言葉を通して、
二人にも共通の問題意識があることを浮き彫りになった、
宮崎氏の直近のインタビューだった。
 
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[ 2015/02/19 20:57 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(3)
大量消費という言葉からは清教徒的なにおいを感じて好きではありませんが、娯楽作品の「テーマ」は理想を語るもので一向に構わないと思いますので、共通する問題意識がそこにあるというのは興味深いですね。
[ 2015/02/22 19:22 ] [ 編集 ]
資本主義の社会は利潤がなければ動かない。投資がなされず、労働が編成されない。しかし、自然界は循環を基準に出来ている。元々、人間の活動(労働が社会的に埋め込まれていた時)もその循環の枠内で広い意味で棲み分けられていた。だが利潤を求めたシステムは人間を労働諸関係を中心に編成し、利潤抜きでは成立しないシステムに変えてしまった。
[ 2015/02/22 21:39 ] [ 編集 ]
クレッセントシップの艦長はエル・カインドです、為念。
[ 2015/02/23 23:13 ] [ 編集 ]
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