「Gのレコンギスタ」22話を視聴。
今回を視聴して地球外に人類が済む時代に起こり得る可能性と
こうした時代における技術の使い方、及び人の有り様について気になった。
まず驚いたのは、ビーナス・グロゥブのラ・グー総裁の姿の秘密について。


前回、若々しい容貌のラ・グー総裁は自身がムタチオン(変異)し
自ら200歳だと告白してメガ・ファウナのクルーに驚きを与えた。
実はこのラ・グー総裁の若々しさは仮の姿であり、
やせ細った全身をボディスーツで支えている状態だった。

人はここまでして生きなければならないのかと思わせる。
そしてラ・グー総裁から、ピアニ・カルータことクンパ・ルシータの存在が告げられた
クンパ・ルシータもまたラ・グー総裁と同じように、相当な高齢者であり
ボディスーツをまとっているのではないかと思った。
ラ・グー総裁も、クンパ・ルシータも杖を持ち歩き、
穏やかな言動と姿勢を決して崩さない点で二人は共通している。
ラ・グー総裁と、クンパ・ルシータはほぼ同じ世代の人間で
長年の同士だったのではないだろうか。
クンパ・ルシータは、金星に住む人々のムタチオンに絶望し金星から出る。
ラ・グー総裁はムタチオンを受け入れ金星に残る。
ムタチオンという現象に対し二人の考えは異なった。
「Gレコ」に見られる、一つの勢力に複数の考えがあるという描写がここでも使われる。
金星に住む、地球から離れて宇宙に住むということは、
200年生きる、全身の筋肉が無くなるといった劣化、
ムタチオン(変異)する可能性を描いた事でも衝撃的だった。
富野作品は、ガンダム作品を通して未来の時代をベースにして、
宇宙と宇宙に生きる人々の生活や考え方を描いてきた。
今回の「Gレコ」で見せた金星まで行った人類が
ラ・グー総裁のように生きる姿を描く意味は何なのだろうか。
人類は地球から遠く離れてはいけないことなのだろうか。
人類はムタチオンを受け入れる可能性も受け入れて宇宙で暮らすことが必要なのか。
もしくはラ・グー総裁の姿は今現実社会で起きている
介護問題に対しての対処の一つのあり様を示しているのか。
富野由悠季監督は「実物大ガンダムを動かすプロジェクト」の講演で
ロボットの開発と技術について以下のように語っている。
富野由悠季「今後ロボットの開発でどういう方向でやるべきという事に関していえば、基本的に僕は介護用ロボットに特化すべきだというふうに思っています。そうでない部分のロボット化というのは基本的に僕は奨励はしません。なぜかというと、人の能力を劣化させる道具にしかならないからです。これ以後は。この意味を大人の立場で考えていただきたいと思う。この部分でつまり介護用の所以外でのロボット化が進めば進むほど何が起こるのかというと、おそらくより鮮明な格差社会が日本に起こってしまうんじゃないかという風に恐れています。」
「もう一つ問題があります。ロボットのリアル化というものを進めていくということで起こってくるのは、技術の独走です。技術だけが先走っていって社会の生活と社会性とマッチングする事が無くなってくる懸念というものをものすごく感じるようになりました。」
出典:「Gのレコンギスタから君へ」
介護用ロボットに特化するべきという主張と、
ラ・グー総裁のボディスーツの技術は直接的に重ならないとはいえ、
ボディスーツが介護的なものであるとするなら、
富野監督は介護の部分では技術の飛躍の向上を良しとしているのかもしれない。
もう一つ、技術の独走というキーワードに関しては
「Gレコ」でもヘルメスの薔薇の設計図といった設定で描いている事も留意したい。
技術にどういう思想的・倫理的背景をつけて運用するか。
「Gレコ」のテーマの一つであると思う。
ベルリと母さんの再開
22話の名シーンは、ベルリと母さんのウィルミット長官の再会だろう。

ウィルミットがベルリを抱きしめながらも
ベルリに投げかける言葉が微妙にそっけな感じであり、
ベルリが複雑な思いを抱くという描写が秀逸だった。
ウィルミットにしては、おそらく精一杯のベルリへの思いやりの言葉と見るのか。
現状がトワサンガとアメリアと緊張関係にあることもあり、
その中でも息子との事以上に、仕事のことも気にしてしまう母親なのだろう。

ベルリがノレドの言葉に従って、ウィルミットの元から立ち去った時に、
私はベルリが「乳離れ」をしたのではなかという気持ちを抱いた。
母親は今までと変わらず。
ベルリはアイーダが姉さんだと知り、金星まで行ってきて、様々なものを見てきた。
人はどこかへ行くことで変化する。母は誇りをもって仕事をする。
どちらが良い悪いではなく、変化するのもしないのも人だと示している。
マニィとルインの再会
もう一つ、マニィとルインの再会も今回の見所であり、今回の締めのエピソードになった。

自分の好きな人の為に、最新鋭の機体ジーラッハを持ってくる。
その為にモビルスーツの操縦技術を努力で習得する。
ジーラッハを持ち帰る時に、メガ・ファウナのクルーに操縦な下手なように見せかけ
マスクことルインの元に帰る隙を作る。マニィの健気な姿は心を打つ。
マニィはルインとの再開時に周囲もお構いなしに、一直線に抱きつく。
「Zガンダム劇場版」ラストのカミーユとファの抱擁を彷彿とさせるシーン。
マニィが一人で機体を持ってきたことにルインがたじろぐが、
それぐらいルインを圧倒するほどの変化をマニィが見せたのだろう。
一方で、マニィはベルリとマスクが戦うことを想定していなかったのかが気になった。
もしかして両者がお互いぶつかる事もあるし、実際に直接ぶつかってきた。
マニィの行動は、マニィとルインから見れば感動的でもあるが、
全体から見ると、戦いをより激化させる結果にもなりかねない。
全体を見ることがいかに難しいかを再び感じさせるマニィの行動でもあった。
まとめ
金星に住んだことでムタチオン(変異)し、人として劣化した姿を見せたラ・グー総裁。
再開したがベルリが期待していた言葉を投げかけなかった立派な母さんのウィルミット。
ルインの為に機体を持ち帰るマニィ。
宇宙に人が住む時代に、人はどんな形で技術を使っていくかを
ラ・グー総裁の姿は示したともいえる。
次にベルリとウィルミット、マニィとルインの再会は、
宇宙に人が住む時代でも、今と変わらないような人の有り様をみせていたと感じた。
技術と人の関係を「Gレコ」は常にでもあるが、今回も描いていた。
そんなGレコの最後の戦いは、
レイハントン家という選ばれし一族の忘れ形見のベルリと
クンタラという蔑まれた身分の末裔であるマスクことルイン。
この境遇が決定的に違う二人によって幕引かれるのだろう。
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