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神殺しの物語としての「うたわれるもの」の魅力 

はじめに

「うたわれるもの」の続編であるゲーム「うたわれるもの 偽りの仮面」が
9月24日に発売され、TVアニメもゲームに連動して10月から放送される。

さて前作の「うたわれるもの」であるが、
本作の物語の魅力は「神殺しの物語」として秀逸性にある。
今回の記事では「うたわれるもの」という物語の構造について
「神殺し」という観点から見ていきたいと思う。

「神殺しの物語」

「神殺しの物語」とは何か。私の勝手な造語なのだが、
神(もしくは神に相当する存在)が
人を支配するシステムを構築した世界観で、
人が神からの支配を超える為に、神を殺す物語というのが私の定義である。

大まかにいうと、以下のような展開になった作品が「神殺しの物語」である。

神「この世界は私がシステムを作って人を導いている。
この支配に従っていれば、人は安らかに生きていける。」
人間「ふざけるな。人は神のシステムがなくても正しく生きていける。
神の支配を乗り越える。」⇒人が神を倒してED。

該当する作品として
ゲームでいえばGBの「魔界塔士Sa・Ga」「ブレスオブファイアⅢ」
アニメでいえば「装甲騎兵ボトムズ」「勇者特急マイトガイン」
などが挙げられる。
※他にもいっぱい挙げられるt思う。

「ボトムズ」でいえばワイズマン、「マイトガイン」であればブラックノワール
「ブレスオブファイア」であれば女神ミリア。
「魔界塔士Sa・Ga」であれば、かみ、であるように。

上記の作品の神達は、自分が世界と人間をコントロールすれば良いと考え
そこで起こる悲劇や問題に対して目をつぶる。そして人の存在を導こうとするが、
支配対象である人に倒されるのだ。

「うたわれるもの」の神殺しは自分殺し

さて「うたわれるもの」であるが、これらの作品と本作が違う点は、
今挙げた作品が、神(神に相当する存在)が明確に他者な敵である存在に対し、
「うたわれるもの」の神は主人公のハクオロ自身であることだ。

ここで「うたわれるもの」の物語について大まかにふれる。

記憶を失っていたハクオロは、エルルゥに助けられ
様々な事情を経て国を率いて各国と戦い仲間を増やしていく。
そんな中で本作のもう一人の神である自分の分身(ディー)と出会う。

自分の分身(ディー)は、人を裏から操り戦乱を巻き起こすことで、
我が子たる人の進化を促すのが我々の役目だといい、
そして今までお互いがそれぞれに世界に関与して人を導いてきたと話す。
この「人の進化を促す~」というのが、
本作にとっての人を支配するシステムといえるだろう。

だがハクオロ(空蝉)は分身の考えを否定する。
それは記憶を失い、人として暮らしてきたこと、
出会った仲間達とのふれあいによって
人は神のシステムとしての導きが無くても
生きていけることを身体で感じ取ったからだろう。

そしてハクオロは分身(ディー)と元の一つの存在になり、
自分自身を眠らせ永遠に封印するようにと仲間達に頼む。

神自身が最終的に仲間に神殺しを使役させる。
つまり神自身が神殺し(自分殺し)を望む
この点が神殺しの物語として「うたわれるもの」が秀逸な理由である。

まとめ

神自身が神殺しを望む作品は、
私が触れていないだけで他にもあるだろう。

「うたわれるもの」の秀逸性は、
神であり主人公のハクオロがとても魅力的に描かれているからこそ
神が神殺しを望む経過が説得力をもって描かれる点にある。
合戦の合間で描かれる日常エピソードの積み重ねが生きてくる。

以上、神が神を殺す経緯を説得力をもって描いたのが
「うたわれるもの」の神殺しの物語としての構造であると思う。
 
そして「うたわれるもの 偽りの仮面」ではどんな物語が描かれるのか。
仮面とタイトルについている以上「神殺し」が関係する可能性がある。
この点にも期待して新作を待ちたい。
 
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[ 2015/07/19 18:50 ] ニュース | TB(0) | CM(0)
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