はじめに
鉄血のオルフェンズ3話を視聴。

今回のクライマックス。
赤く染め上げた背景と黒い機体のシルエットがコンテの大張さんらしい絵作り。
サブタイトルの「散華」のように機体の花火が散る。
大人達からCGSを乗っ取るオルガと三日月達。
CGSは新体制となる。
今までの自分の道を見失ったクーデリアは、
わからないと言いつつも、新たな道を踏み出そうとしていた。
CGSはクーデリアをギャラルホルンに引き渡そうと協議するが
クランク・ゼントはCGSに決闘を申し込み、三日月はバルバロスで受けてたつ。
三日月はクランクを殺し、オルガはCGSを鉄華団と改称する。
鉄華団は新たに決意したクーデリアの護衛を続けるのだった。
大人と子供-世界に対する現実に対する認識力
今回強く印象に残ったのは、
大人と子供の現実認識力の差だ。
まずCGSの大人達を眠らせて捕らえた時に大人側のリーダーのグンネルが
オルガに交渉を持ちかけて、自分の身の安全を図ろうとするところ。
縛られた状態でグンネルがオルガに交渉を持ちかけること自体、
グンネルの認識の甘さがよく出ている。
グンネルは殺される可能性をわかっていないのだ。
もしくはわかったとしても助かることができると思っているのだ。
そもそも少年たちの死も グンネルの現実認識の甘さによるものであり
最後まで甘かったのが三日月に有無を言わせず殺された理由だろう。
またもう一人の大人、ギャラルホルンのクランク・ゼントが
三日月に決闘を申し込んだ所。
クランクは相手が少年(三日月)である為に殺したくはなかったようだが
自分が負ける事を想定していない都合の良い条件や
大人側の理屈だけを述べて、三日月の反感を買った。
クランクは決闘で勝敗をつけようとした。
一方の三日月はオルガに言われてはいるものの、クランクを殺す事を前提に戦う。
クランクの決闘も命令違反ものであり覚悟がいるものだが、
生きるか死ぬかの価値観で戦う三日月の方がより強い覚悟でいる。
クランクも相手が生き死にを問わない決闘に乗ると思っていたようで、
まさか殺し合いになるとは想定していなかったのだろう。
クランクもグンネルと同様現実認識が甘かった。
現実への認識力の欠如、
つまり「鉄血のオルフェンズ」の世界は生きるか死ぬかであることを
グンネルもクランクもわかっていなかった。
より正確にいうと甘い考えはオルガや三日月には通じないのだ。
さらに三日月に倒されたクランクは、自分の最後を三日月に託そうとするシーン。
強い敵が主人公側に介錯を頼むのは、ロマンシズム溢れる展開であるが、
三日月にはそんなロマンシズムも通じなかった。
それはクランクが最後まで喋らせる事無く三日月が銃を放ったことでわかる。
大人自体も大人のロマンシズムも悉く三日月は否定していくのだ。
三日月とオルガは大人の打算やロマンシズムなど関係なく生きるために動く。
だからオルガはCGSの人事の再編成時に
会計ができる大人に残ってほしいと要請をする。
鉄血のオルフェンズの物語の3話に共感するなら
三日月やオルガの現実へのシビアな対応力や切実性にあるのだろう。
まとめ
大人のずるがしこい打算や、甘いロマンシズムを
子供の三日月やオルガが破壊する。
甘さが許されない世界にこそ共感できるのではないだろうか。
物事を知っているはずの大人の方が現実への対応力を欠き
世界の底辺で生きてきた子供たちの方が現実への対応力が圧倒的に高い。
子供側の傍にいるクーデリアもまた三日月やオルガを見て、
食事の配給や新たな自分の方向性を見つけるなど
あの世界の現実に即した行動をとるようになっている。
こうした大人の欺瞞を子供達が暴いていき、少年達の自立を見せていくのが
「鉄血のオルフェンズ」3話までで明確に示していたのが痛快だった。
とはいえ、殺しに容赦のない三日月やオルガはこのままでいるのだろうか。
人との出会い、様々な出来事によって、価値観を変えていくのか。
今後の物語展開に期待をしたい。
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