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「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】 

劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。

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「Gレコ」は富野由悠季の研究論文

 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。

 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。

 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプットが凝縮に凝縮されてアウトプットされた作品だ。

 宇宙エレベーター、スコード教、フォトンバッテリー、クンタラ、アグテックのタブー、船体の装甲の材質、ムタチオン、ユニバーサルスタンダードと設定の数々。ただGレコは答えの是非は問わず問題提起に徹する。これは富野監督が2015年のGレコ放映終了後の講演会で次のように語る。

「(Gレコは)ユートピアニズムに陥った大人たちはリアリズムの欺瞞性を持ち込むから問題点を挙げておいた。」

と語ったように問題提起に留めるスタンスである。

 監督の意見を直接伝えるより、視聴者がどう受け止めるか。子供達がGレコを見てどう考えるのかを大切にしてほしいのだろう。
一方で富野監督は劇場版公開を通してのインタビューの中で作中の問題提起だけ伝わりづらかったのか「Gレコは宇宙開発反対がテーマ」をキーワードに宇宙エレベーターなどありえないと否定するメッセージも出している。

ドラマとテーマ・劇場版での昇華

 2016年の講演会では

「(Gレコの問題点は)リアリズムとテーマを優先させるためドラマを無視してしまったこと」

と語り問題提起を優先しドラマが疎かになったと語る。ドラマよりもテーマ寄りになった点でも、TV放送のGレコは研究論文的な傾向であった。

 私がGレコを面白く見られたのは、富野監督の考えを聞きたかったから。ドラマ以上に問題提起されたテーマを聞きたかったから。
Gレコは毎回、作中に散りばめられた問題提起が面白かった。「人は自分一人で本当に考えることができるのか」ハンナ・アーレントが提示する問題、組織と人の有り様など全体主義についての問題。科学技術の問題。様々な問題を提示させられ、考えさせられたのが面白かった。

 富野監督が考えを聞きたい立場なら、Gレコは面白かったのではないか。逆に富野監督のテーマに興味がなければ、楽しみづらいのではないか。富野監督がGレコを通して問題提起したい研究発表に対して、視聴者が興味を持てるかどうかがGレコの評価に繋がってくると感じた。

 このドラマが弱いと指摘されたTV版を踏まえて劇場版が製作。キャラクターの感情面をはっきり表現させるシーンを多数追加。個々の感情をキャラ同士のクローズアップさせる編集技でドラマ面の弱みの克服を試みている。

 戦争という異常空間の中で各々の愛と欲と業の叫びがこだまする。

現代の科学技術の有り様とGレコ

 Gレコは科学技術が抑制された世界。宇宙世紀の科学軍事技術の進歩はタブーとされ、宇宙エレベーターから供給されるフォトン・バッテリーとスコード教を信じて生きている。過去に起きた戦争の悲劇を通し、リギルド・センチュリーの時代を迎える。戦争と科学技術の抑制によって世界は徐々に再生されるが、戦争は起きる。

 Gレコは、富野監督が現実では叶わないと語る宇宙エレベーターと、理想エネルギーのフォトン・バッテリーがあっても戦争が起こる世界。ラ・グーを通して金星人の身体が突然変異するムタチオンが描かれたことで、人は宇宙では生きられない、地球圏から離れられない事も示唆している。

 Gレコは、現実では宇宙エレベーターは不可能で地球から離れて生きられない。人類が地球で戦争せずに持続可能性をもって生きるにはどうすれば良いのかを提起する作品だ。

 地球で戦争が起きないよう宗教や科学技術で歯止めをかけても、クンパ・ルシータによってヘルメスの薔薇の設計図が流出されれば、各国はMSを作り軍備を増強させてしまう。トワサンガやビーナス・グロゥブといった宇宙に住む人々が地球に帰りたい・見てみたいまっとうな思い(レコンギスタ)によって地球側の勢力と戦争を引き起こすことも描かれている。

 過去の反省から学び、様々なシステムを構築し宗教の教えがあっても、いずれは誰かの手によってシステムが壊れ戦争が起こる。科学技術への探求心。自分の故郷・ルーツに戻りたい気持ち。普通の人の素朴な思いが、実は業を呼び戦争を引き起こす事を描いている。

 Gレコの世界を踏まえ、戦争が起こらないようにするにはどうすればよいのか。科学技術は扱い方はアグテックのタブーのような仕組みが有効なのではないか。いずれにせよ一日一夜で解決できる問題ではない。

戦争を起こさないためには

 戦争を起こさないヒントは、メガファウナのクルーの構成と遍歴にある。メガファウナは、アメリアが海賊部隊であると偽装し、アイーダ指揮の元、キャピタルの諜報活動やフォトン・バッテリーの強奪を行う組織。その組織に様々な人間が集まる。

 アイーダが捕まったことでベルリと出会い、ベルリとノレドとラライヤがメガファウナのクルーになる。地球と宇宙を転々とする中で、キャピタル・ガードのケルベス。トワサンガのドレッド軍のリンゴ。トワサンガのレイハントン家の旧臣であるロルッカとミラジ。以上の面々がメガファウナに参加。一時期的にはアメリアのクリムとニック。キャピタルのマニィなどもメガファウナに参加していた。

 人種や国家間を越えて様々な人々が集まったメガファウナ。彼らは地球からトワサンガ、ビーナス・グロゥブを旅して地球に帰還したことで、真実を知り、実感を通して各国間の戦争を食い止める動きを取ることになる。

 元々、メガファウナに集まったクルーは好戦的ではない穏健的な人々。国家間を越え、同じ問題意識を持った個々人が集まることで、最終的にアイーダが戦争を食い止めることができた。つまりメガファウナに集まるような人々がいれば戦争を防ぐ力となる。

 物語から振り返るに、固定の考えを持った組織だけに属さずに、旅を通して異なる世界や組織の考えを触れることの大切さを訴えていた。特にアイーダは旅することで(特にグシオンからの)凝り固まった考えを開放し、公平で広く深い考えを身につけるようになっていった。旅を通して様々な考えを身に着けることが、戦争を起こさない道なのかもしれない。

TV版のコンテマンについて

 富野監督はTV版はスケジュールが無くなったために外にコンテを発注したニュアンスで語られていた。実際に6話を除きほぼ9話までは、監督がコンテを切っていた。もしTV版のGレコのスケジュールに余裕があれば、富野監督は一人でコンテを全話切っていたのでと推測できる。

 自らコンテを切るより、各話コンテマンのコンテチェックで作品をコントロールするのが富野監督の制作スタイルだ。もし全話コンテ切りを試みていたのなら、故出崎統監督のように全話コンテ切りで作品を完遂させたかったのかもしれない。

まとめ

 Gレコは富野監督の見聞きし出会いを通して得た経験を総動員した集大成。集大成であるがゆえに、テレビアニメの枠では収まらない程、密度の濃い情報量溢れる画面と思いに満ち溢れていた。劇場版ではさらに密度が凝縮されながらもドラマの焦点が強化。さらにドリカムの「G」を手に入れたことでさらに作品の有り様がクリア化されたようにも思える。凄惨な部分もあるが凄惨な展開にはせず、清々しく最後まで見られる口当たりの良さ。未来に向けて再び旅立つラスト。富野監督は永遠のチャレンジャーだと感じさせる。

Gレコは現代に山積する諸問題に対し、どう取り組めばよいのか。特に科学技術について講演会で富野監督は

「科学者が自分達の研究が進歩だと疑いがないと思っているようだが、そんなことはない。彼らはマッドサイエンティストだ」

というニュアンスで警鐘を鳴らしていた。どこまでが本当に必要な技術なのか。持続可能な地球環境であるためには、どんな技術を行使すれば良いのか。Gレコは考えるキッカケになるはずだ。

 ここまでテーマ的な事を中心に描いてきたが、まずアニメとして面白かった。極めて高レベルの手書き作画によるメカアクション。MS達の武器の面白さと戦い方のギミック。矢継ぎ早のような怒涛のカットの連続。生々しい感情と大仰さと細かさが同居する芝居の積み重ねによって生まれるキャラクター描写。面白い仕掛けに満ち溢れていた。

 劇場版ではまだ手描きメインのロボットアニメがみられる喜びに溢れている。戦争は辛いはずなのに、戦争はよくないと訴えているはずなのに画面から感じられるのはまずロボットアクションアニメとしてのエンタメ感だ。最後まで元気溢れる作風で通した「元気のGは始まりのG」の通りの作品。 
 
 そして劇場版のベルリとノレドがくっつく感じで終わるラストで救われた。

 以上、Gレコの総括。
 
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[ 2022/08/13 13:40 ] Gのレコンギスタ | TB(0) | CM(3)
Gレコに背景とかしっかりあったなんて始めてしった。。。
ガンダムシリーズはテレビOVA映画全タイトル目は通しているけど、みるに耐えなく全話通しでみれなかったタイトルの1つである。
(ちなみに「AGE」と「Gレコ」だけ)
ちなみに「AGE」の理由は「ニュータイプ」と言うカテゴリがあるなか同等の能力なのにXラウンダーとか新語かってに作るわ恐竜みたいなのにガンダムを冠するわで「ガンダム」である必要性がないうえにあの絵のタッチが後押ししてダメだった。。。
SEED覚醒は身体能力向上とかニュータイプとはまた違うからセーフw「Gガン」は従来の「戦争・政治」のガンダムのテーマから逸脱しているからニュージャンルとしてセーフだった。
Gガンはなんだろね?「愛と友情」?っと脱線しました。

Gレコがダメだった理由はガンダム好きとしては邪道ですが、「富野ワールド」がどうしてもダメなんです。
AB型特有の軸のない会話・言い回しが頭にまったく入らない・残らないでストーリー性が理解しづらいというか感情移入できないところがダメなところです。
ちなみに同じ理由で1stは苦手ですwww
(なぜそこでそのリアクション?そして全力スルーで次の展開、今のくだりなんの意味があったの?みたいなが多々見受けられる)
ちなみにSEEDにも絡んでますが、総監督してやるとストーリーが崩壊するって意味です。
前置きが長すぎてすいません。
こんなで、そんな感覚でみていたので、宇宙エレベーターとか00のパクリじゃんって思ってましたが裏に背景があったんですね。
また富野先生のファンでしたら気を悪くするかもしれません。
予めご了承ください
[ 2017/02/07 13:36 ] [ 編集 ]
↑ガノタは黙ってろ。やる必要がないだの、見た目が無理だの、素直に自分の好みに合わない、気に入らないって言えよ。借り物競走しかできねーのか?
[ 2018/09/08 01:11 ] [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
[ 2022/09/20 17:34 ] [ 編集 ]
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